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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

奈良の国宝巡り  その⑤ 石上(いそのかみ)神社

2025年04月04日 19時11分50秒 | 旅行/色々な風景
 最後の訪問先は、天理市にある石上神社。この前は何度も通っていますが参拝するのは初めてです。

 古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座し、非常に歴史の古い神社で、『古事記』『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述があるようです。

 神社のことは余り判らないのでが、拝殿が国宝に指定されています。
 入母屋造、檜皮葺で、白河天皇が新嘗祭を行う皇居の神嘉殿を拝殿として寄進したとの伝承があるが、実際の建立年代は鎌倉時代初期の由です。

 また、この拝殿に向かい合ったように道を隔てた向い側に、摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)があります。
この拝殿は、元来は内山永久寺【鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶】の鎮守の住吉社の拝殿だったのが、大正3年に現在地に移築されたもののようです。形式を割拝殿と呼び、その最古の遺例ということらしいです。

 また、楼門(重要文化財)は鎌倉時代後期文保2年(1318年)の造営ですが、元々本殿は無かったようで、本殿は大正2年(1913年)に建立の由です。

 その他、東天紅鶏・烏骨鶏など約30羽が境内に放し飼いされていることでも有名なようです。


 これでこの欲張りな奈良の国宝巡りのツアーは無事終了。
後は一路大阪に向けて帰り、18時頃に無事到着・解散となりましたが、1時間ほどで帰阪できるのですから、本当に大阪というのは立地の良い場所だと思います。

 心配していた雨も、途中の聖林寺で駐車場から寺院迄、傘を差した程度で済み、ここでも悪運の強さ(?)を感じました。(まさ)


鳥居

楼門が見えてきました

楼門

内側から見た楼門

拝殿(国宝)

楼門の回廊

同上


摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)

同上

同上

出雲建雄神社


楼門と拝殿・本殿の屋根

拝殿・本殿の屋根

長生殿


放し飼いの東天紅鶏

境内の杉の木

境内のハナモモ

 

奈良の国宝巡り  その④ 安倍文珠院 

2025年04月03日 18時56分02秒 | 旅行/色々な風景
 聖林寺の後は、直ぐ近くにある同じく桜井市内の安倍文珠院へ。

 ご存じのように、日本三文殊の一つですが、華厳宗の寺院で山号は安倍山。本尊は木造騎獅文殊菩薩。
開基は大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂が、大化元年(645年)に孝徳天皇の勅願もあって安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まりであるとされています。

 本堂に安置されている、有名な木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像(国宝)は快慶作で鎌倉時代の作品と言われています。
写真ではその大きさは、判り難いですが、非常に大きなもので何と約7mもあるようです。
文殊菩薩と、乗っておられる獅子は個別に彫られていますが、単に上に乗っているだけなので、万一に備えて安置場所の耐震工事中でした。

 ということで、今回は文殊菩薩が獅子に乗っておられるのではなく、獅子から降りて横に並んでの展示となっていましたが、非常に珍しい木造騎獅文殊菩薩を拝見できました。

 その後、境内を駆け足で回りましたが、境内には文殊院西古墳(国指定特別史跡)があります。
これは、7世紀中頃の古墳で、豪族安倍(阿倍)氏一族の墓とされています。

 また、金閣浮御堂(仲麻呂堂)も中には入りませんでしたが、非常にユニークなお堂です。(まさ)

山門

境内

サクラはまだ咲き始め

本堂

木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像 同寺のパンフレットより

本坊

吉祥閣の内庭


西古墳

同 内部

金閣浮御堂
境内

サクラ

近くの溝で見かけたクレソン?



奈良の国宝巡り  その③   聖林寺(しょうりんじ)

2025年04月02日 19時07分49秒 | 旅行/色々な風景
(奈良の国宝巡りに戻ります)
 五條市の榮山寺を終えてからは、奈良県桜井市にある聖林寺(しょうりんじ)へ。
 
 ここは真言宗室生寺派の寺院で、山号は霊園山(りょうおんざん)、本尊は地蔵菩薩です。

 伝承では和銅5年(712年)に多武峰妙楽寺(現・談山神社)の別院・遍照院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したと言われています。

 慶応4年(1868)、神仏分離令による廃仏毀釈を逃れるため、大神神社(三輪明神)の神宮寺である大御輪寺の本尊・十一面観音立像(国宝)が大御輪寺の住職大心上人によって聖林寺に移されましたが、これには当時の聖林寺がこの地の学問の中心地として栄えていて、この学門所で広まった人間関係が影響しているようです。

 明治20年に、アメリカの哲学者アーネスト・フェノロサによってこの十一面観音立像の素晴らしさが伝えられ、一躍有名になりその美しいお姿は多くの人々を魅了しています。

境内からは、十一面観音立像がいらっしゃった三輪山をはじめ、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓などの大和盆地の古墳群、山の辺の道などを見渡すことができます。(まさ)


十一面観音立像(国宝) 同寺のホームページより
駐車場より本堂を見る まだサクラはチラホラです

山門

石塔

本堂の前

本堂内にある十一面観音立像の写真 本体は撮れませんが、これはOK

本堂から見た周囲の様子 三輪山などが見えます

十一面観音立像が安置されている観音堂への階段
観音堂から見た本堂の屋根

境内の様子

<昨日の夕食> 久しぶりに天満市場に行き、新鮮な海産物が入手できましたので、豪華夕食となりました。

湯豆腐/生シラス/豆アジの南蛮漬け/かき揚げ

生シラス ポン酢で

豆アジの南蛮漬け 多すぎて残るかと思いましたが、完食でした。本当に小さな豆アジで美味しかった

かき揚げ 同じ油を使うからにはという事で、サクラエビとミツバのかき揚げを少しだけ




奈良の国宝巡り  その② 榮山寺(えいさんじ)とその周辺

2025年03月31日 19時09分39秒 | 旅行/色々な風景
 當麻寺を終えてからは、奈良県の南部にある五條市へ。

 先ずは吉野川(和歌山県に入ると紀ノ川と名前が変わります)の川沿いにあるレストランで昼食。
食事が終ると吉野川の風景を楽しんだり、近くを散策。

  その後、歩いて直ぐ近くにある榮山寺へ。

  ここを訪れるのは初めてですが、この寺院は真言宗豊山派の寺院で、山号は学晶山(がくしょうさん)。本尊は薬師如来。奈良時代の建築である八角円堂(国宝)があることで有名です。

 この寺院は藤原不比等の長男である武智麻呂によって、養老3年(719年)に創建され、八角円堂は武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が天平宝字4年から8年(760年-764年)に建立したものだと言われています。

 外観は八角形ですが、内部の身舎(もや)は四角形であり、須弥壇周囲に立つ4本の八角柱が構造上の要となっています。

 法隆寺夢殿や、興福寺の北円堂に似た優雅な建築物ですが、そういえば興福寺の北円堂は興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721)に、元明・元正天皇が長屋王に命じて建立したものだと聞いた記憶がありますが、当時の藤原家の隆盛ぶりが伺えます。


  この寺院にあるもう一つの国宝は、梵鐘です。
この梵鐘は、銘文から延喜17年(917年)の製作ですが、京都の神護寺、宇治の平等院の鐘と共に「平安三絶の鐘」として知られているもので、四面に菅原道真撰で、小野道風の書と伝えられる陽鋳の銘文が施されています。藤原武智麻呂の5世の孫である藤原道明と道明の伯父の橘澄清によって寄進されたものとされています。

 吉野川沿いの風景と共に、榮山寺の様子をお知らせします。(まさ)

 <吉野川の風景>
吉野川 左がレストラン
ツバキ越しの吉野川

コブシ/ハナ桃と吉野川
吉野川

ベニコブシ(モクレン科)
同上

同上

シデコブシ(モクレン科)

アケビ(アケビ科)の蕾

<榮山寺>

寺院の看板

寺院の説明

入口近くで見かけた石塔

レンギョウ(モクセイ科)が見頃

梵鐘の説明

梵鐘(国宝) 龍頭や文様ははっきり見えませんでした


七重石塔
本堂

お堂
サクラはチラホラ咲き
サクラ
モミジ
池の散りツバキ


八角円堂の説明版

八角円堂
同上

同上

御霊神社

同上






奈良の国宝巡り  その① 當麻寺 

2025年03月30日 19時26分52秒 | 旅行/色々な風景
 3月27日に奈良を回ってきました。
M新聞社旅行主催の「古都・奈良の国宝巡り」というバスツアーに参加で、當麻寺⇒(五條市の吉野川に面したレストランで昼食)/榮山寺⇒聖林寺(桜井市)⇒安倍文珠院⇒石上神社という欲張ったコースですが、自分の車を手放した身には有難いツアーで、旅行案内を受け取ってから直ぐに申し込みしました。

 天気予報では午後からの天気が思わしくないということで、傘だけでなくレインコートなど重装備をして集合場所に行くと、例によって高齢者が多いのですが、女性19名に対して男性も9名とかなり健闘。
やはり、歴史に関心のある男性は多いようです。

 結構見どころも多かったので、訪問順に報告していきます。


 先ずは、お馴染みの當麻寺(たいまでら)で、ここはツレアイがまだ動ける間に3回ほど一緒に来ました。

 二上山の麓にある非常に広い古刹で、本来ならここだけで丸1日掛るのですが、今回はポイントだけという事で僅か1時間余り。

 この寺院の大きな特徴は、一応「當麻寺」という名前にはなっていますが、當麻寺自体の本坊はなく、境内には高野山真言宗5院、浄土宗8院の子院があり、當麻寺本堂(曼荼羅堂)は真言宗と浄土宗の兼帯で、金堂、講堂、塔などは真言宗が管理しているというちょっと変わったお寺です。

 史料によって記述の細部には異同があるようですが、<聖徳太子の異母弟の麻呂子王によって建立された前身寺院があり、それが天武朝に至って現在地に移転された>という点は概ね一致しているようですが、當麻寺はこの地に勢力をもっていた豪族葛城氏の一族である「当麻氏」の氏寺として建てられたものと推定されています。

 このように、当麻氏の氏寺として始まった當麻寺は、中世以降は中将姫伝説と当麻曼荼羅の寺として知られるようになります。

 当麻曼荼羅の原本については、中将姫という女性が蓮の糸を用い、一夜で織り上げたという伝説があり、中将姫については、藤原豊成の娘とされているが、モデルとなった女性の存在は複数想定されているようです。

 今回は、支院の一つである中之坊の副住職の案内で、本堂(曼荼羅堂)・講堂・金堂と中之坊を拝見しましたが、この寺院にある国宝は、
梵鐘/本堂(曼荼羅堂)/本堂内にある厨子と当麻曼荼羅/弥勒仏(金堂内にあり、創建時の本尊)、それに有名な東塔/西塔ですが、残念ながら堂内・仏像や曼荼羅などは撮影禁止でご紹介できません。

 また、拝観した中之坊は、高野山真言宗の子院で、かつての名称は中院で當麻寺最古の子院。中将姫剃髪の地と伝承され、中将姫の仏法の師である実雅の開山という。また、役行者が開いたともいわれています。
庭園「香藕園(こうぐうえん)」(国指定史跡・名勝)は築地塀で内庭と外庭に分かれ、内庭は當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園。外庭は山の斜面に造園されています。(まさ)


仁王門
鐘楼 この中の梵鐘が国宝です


咲きかけの桜と東塔(国宝)

同上 西塔(国宝)

中将姫像

本堂(国宝)
同上

<中之坊>

剃髪堂
庭園「香藕園」入口

香藕園内部 東塔が借景になっています
築地塀

同上

カンザキアヤメ(アヤメ科)

ラッパスイセン

アミガサユリ(ユリ科)

同上
フキノトウ(キク科)
ヒマラヤユキノシタ(ユキノシタ科)

同上


境内の様子

同上

同上


参道で見かけた風景

同上