鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「風連別 その7」

2008-09-25 05:23:01 | Weblog
兆民が風連別の宿で宿泊(2泊)した当時、家は一軒のみであったという。ニシン漁も、建網50余統の願書が出されていたものの、まだ許可は下りていませんでした。しかし、土地の方の話によれば、風連別の川筋や旧道の両側には、かつて家が密集し、浜辺にはニシン船が置いてあって、二シン漁が盛んに行われていました。つまり兆民がここを通過した明治24年(1891年)以後、ここ風連別には人が入植し、昭和29年頃までニシン漁が盛んに行われていたということです。神社(豊岬稲荷神社)も出来たし、小学校(豊岬小学校)も出来たのです。お寺(浄土宗法心寺)も出来ています。この風連別に多くの人が入ってきたのは、兆民が旅した年の後になるわけですから、兆民はこの土地の賑わいはとうぜんのことながら見てはいないことになる。であるなら、なぜ2泊しているのか。考えられるのは、遠別方面へ向かう崖下の砂浜の道(道なき道)が通れる状況ではなかったこと。風連別からしばらくはかなり急傾斜な崖が右手に続いていくことになるのですが、一昨日来の風雨の余波で大きな波が打ち寄せていたということでしょうか。宿の主人である宗五郎と話をしたり、付近の台地の上(現在の「みさき台公園」のあるあたり)を荒波の打ち寄せる日本海を眺めながら歩いてみたりしたのかも知れない。早朝から夕暮れまでの景色の変化を楽しんだのかも知れない。全く人家のない、広漠たる海と陸地の景色の広がり。「北海道の本色」があらわれて、「天地開闢(かいびゃく)の初(はじめ)」とはこういう景色であったか、との思いを、兆民にふたたび痛感させるような展望であったと思われます。 . . . 本文を読む