函館の写真歴史館の展示室の解説によれば、世界最古の写真は、ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765~1833)が、1826年に写した「書斎の窓からの眺め」という写真。露光に8時間かかったという。ダゲレオ・タイプの銀板写真術を発明したのは、フランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールであったというのは前に触れた通り。彼が「ダゲレオ・タイプ」を発明したのは1837年で、それをフランスの科学アカデミーで公表したのが1839年。露光には当初20分もかかり、また器材一式も50kgを超えたという。気軽に持ち運びできるものではなかったのです。このダゲレオ・タイプの写真術はあっという間に世界に広まっていきますが、それが日本に伝わったのは、フランスの科学アカデミーでダゲールが公表してから9年後の1848年(嘉永元年)のこと。長崎にやってきたオランダ船が、ダゲレオ・タイプ・カメラ一式を長崎に持ち込みました。やがて箱館や横浜にもダゲレオ・タイプは入ってきますが、箱館の場合は、1854年(嘉永7年)のペリー艦隊来航の際、その艦隊に乗り込んでいた写真師E・ブラウン・ジュニア(1816~1886)が、そのダゲレオ・タイプで箱館の人々を写真におさめました。その後、ロシア領事館に洋服仕立職人として出入りし、ゴシケーヴィチより写真術を学んだ木津幸吉(1830~1895)や明治元年(1868年)に開業した田本研蔵(1831~1912)、「天才的写真研究家」といわれた横山松三郎(1838~1884)などの写真師が出てくるのですが、そのうち田本研蔵は、あの土方歳三の写真を撮った人物として有名。また写真歴史館には、中江兆民が初めて函館を訪れた明治20年代の函館市全景を写した写真が展示されていました。明治29年(1896年)に取り壊された函館砲台(弁天台場)が写っているため、それ以前の撮影のものと推定されるわけです。函館山上から写したもので、左端真ん中に函館砲台が写っています。浜町(現在の末広町・弁天町・大町)がしっかりと写っています。兆民が上陸した函館の町は、このような様子の町であったのです。この町並みは、やがて明治40年8月25日に発生した火事(函館大火)により、そのほとんどを失ってしまうことになりますが、その大火の時、あの石川一(はじめ・啄木)は、妻子や老母とともに青柳町の借家に居住していました。 . . . 本文を読む