鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「増毛 その1」

2008-09-14 05:54:25 | Weblog
 中江兆民が初めて小樽の地に上陸したのは、明治24年(1891年)7月27日の早朝。その日の朝飯後、堺町の「北門新報社」(金子商店)を訪問した兆民は、それ以後、日々、北門新報社の「編輯局(へんしゅうきょく)」に通い、主筆として執筆につとめました。最初は、色内町の「キト旅館」に滞在していましたが、8月2日に、旧小樽郡長長森氏の相生町の別宅を借りて、そこへ転居。そこに社員1名と同居し、賄(まかない)の老婆を雇って「極(きわめ)て質素」な生活をすることに。  「是(ここ)に於いて余は北海道人と成れり」  と兆民は記しています。  小樽に到着してから一ヶ月ちょっと経った9月2日の夜、兆民は、増毛(ましけ)行きの汽船に乗船します。同行するのは、北門新報社員である宮崎伝と古川吉平。このうち古川吉平は社用で増毛まで同行。宮崎伝とは増毛から宗谷岬まで一緒に行動しました。宮崎ははおそらく案内人でもあったでしょう。増毛から西海岸(日本海側)に沿って北上し、北海道の最北端宗谷海峡に向かう旅でした。増毛港に到着したのは、翌9月3日の午後5時頃。この船には、『北海時論』の武藤金吉、中村齢助・白土宇平というものも乗り合わせていました(彼ら3人は宗谷に船で直行)。この増毛の旅店で風呂に入り朝食を摂った兆民と宮崎は、それぞれ馬に乗ってまず留萌(るもい)に向かって海岸線を出発しました。馬はおそらく道産子(どさんこ)。その馬の背中に、兆民らはまたがりました。兆民らは、広大な日本海を目の前にしながら、波が打ち寄せる海岸べりを留萌へと進んでいきました。兆民にとって、馬に乗るということは、これが生まれて初めての体験でした。 . . . 本文を読む