鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「小樽 その1」

2008-09-04 07:22:43 | Weblog
函館駅を発車して間もなく、窓外に駒ケ岳の美しい山容が見え始め、やがて特急は海際ぎりぎりを走るようになりました。沖合い(内浦湾)には1隻の船も見えず。特急だから小さい駅は次々と振り切っていくように疾走します。時々窓外に見えてくる家々は、昔ながらの板張りの家はごく少なく、ほとんどが新建材の家。厳寒に備えての機密性の高い家が選ばれていることがよくわかります。町から遠く離れた数軒の家々が建つだけの集落を見ると、子どもたちはどのように学校に通っているのだろうか、と思われてくるほど。車の送迎があれはともかくも、歩いて通うとしたらなかなかたいへんだと思われる。八雲駅を過ぎると、いかにも北海道の風景を思わせるサイロが見えて来ますが、中には廃墟系のサイロもある。鉄道はずって海岸線際ないし海岸線からやや入ったところを走り続けます。長万部駅に停まると思っていたところが、特急はなんとここも通過(17:47)。虻田駅を過ぎると左手に有珠山が見えてきました。伊達紋別駅を通過する頃には、やや暮れかかってきて、東室蘭駅に到着した時(18:29)にはかなり夕闇が迫ってきました。特急「北斗17号」が函館駅を出発したのが16:43。東室蘭駅に到着したのが18:29。ということは、この「北斗17号」は、1時間46分も、どこの駅にも停まらずに疾走し続けたことになる。本州の特急においては考えられないこと。ここから苫小牧・南千歳・新札幌を経て札幌駅に到着したのが、函館駅を出発してちょうど3時間の19:43。ここで19:54発の小樽行きに乗り換えました。この電車は、出入口が、冷気が入らないよう二重になっていました。駅のホームの屋根も、雪が吹き込まないような工夫がされているようだ。例外的に郊外まで家並みが長く続いている札幌の市街を抜けると、外は漆黒の闇になる。小樽築港・南小樽を経て小樽駅に着いたのが20:35。函館からおよそ4時間の鉄道の旅でした。駅から歩いて、稲穂3丁目の「グリーンホテル別館」に入りました。素泊まりです。函館や札幌は仕事の関係でかつて来たことがありますが、小樽は今回が初めてとなります。 . . . 本文を読む