風連別の旅店の主人船水宗五郎は、兆民たちに、地面払い下げの願書を出してからかなりの年数が経っているがまだ辞令書が得られていないことを訴える。近来土地を開墾し畑を耕し収穫を得ているけれども果たして所有権を得られるものかどうかとも。そこで兆民は、「ニシン業の方はどうか」と問いかけます。すると宗五郎は、「ここにはニシンかたいそうやってきます。だから建網(たてあみ)五十統余の願書が出ていますが、いずれもいまだに辞令が出ていません。私も一統分だけ願書を出しているのですが…」と答えました。すなわち願書を出してもお役所の事務処理が滞(とどこお)っているのです。兆民は、ここはたしかに広大な北海道の中でもとくに僻遠(へきえん)の地で、しかも道庁役人がしばしば交代しているからこのような状況はとうてい免れないことなのだろうと思いつつも、その事務処理の停滞という積弊(せきへい)は解決がなされるべきだ、という思いを抱いています。この記述からもいろいろなことがわかりますが、風連別にも、この時期ニシンの大群がやってきていたことがわかります。「建網五十統余」といえば苫前に匹敵する。西海岸中、ニシン大漁場の一つになる可能性を秘めていたことになります。しかし僻遠の地であることや道庁役人の頻繁な交代のために、願書の事務処理がはなはだしく停滞し、土地の人々の不満を招いていた、という現実があったのです。ここで一つ不可解な点。兆民一行(といっても宮崎と馬子を含めて3人)が風連別の宗五郎の旅店に入ったのは9月5日。ここに一泊していることは確実です。ところが天塩に宿泊したのは9月7日のことでした。7日の昼、一行は遠別(えんべつ)でお昼を摂っています。風連別から遠別まで約20km。遠別から天塩までもおよそ20km。ということは風連別から天塩まで約40km(十里)。馬に乗っておよそ7時間前後の距離。ところが天塩到着は7日の夕刻前。考えられることは、風連別に兆民一行は2泊しているということ。風連別で兆民は何を見たのか。なぜもう一泊したのか。辺りを歩いたとしたら、どういう景色を彼は見たのだろうか。そういったことを念頭において、晩夏の青い日本海が見える風連別の地で取材をしました。 . . . 本文を読む