鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.夏の越前福井・取材旅行 「板取宿・今庄宿・脇本宿  その3」

2007-08-31 06:57:36 | Weblog
 昨年12月から今年の7月にかけて、旧東海道の日本橋~平塚間を歩きましたが、東京・神奈川の旧東海道筋は都市化が進んでいて、往時の面影を探るのは難しくなっています。それでも、実際に歩いてみると、かつての主要街道としての長い歴史の蓄積をいろいろなところで感じ取ることが出来、それはそれでとても面白い。しかし、江戸期以来の歴史的建造物となるといたって少なく、たまにしかそれを見かけることは出来ません。ところが、ここ北陸街道の今庄宿の場合、江戸期以来の古い建物が文字通り軒を連ねている。宿場町の面影が濃厚に残っているのです。東京・神奈川の東海道筋を見てきた私からすれば、まさに興奮の連続。もしこの中の1軒でも、東京・神奈川の東海道筋にあれば、それはたいへんな名所になるに違いない。そういう貴重な古い建物がずらりと並んでいるのです。しかも中山道(木曽路)の妻籠(つまご)や馬籠(まごめ)のように観光地化されているわけではない。観光客向けの土産物屋は1軒もありません。ごく日常の生活時間が流れているのです。街道筋で空き地(櫛の歯が欠けたような)になっているところはほとんどなく、昔のまま、あたりまえのように人々がそこで生活をしているのです(生業は、宿場町としてあったかつての仕事とは全く違ったものになっているのでしょうが)。それでいて、案内板が各所にしっかりと設けられているのは、私のような者にはとてもありがたい。ともかく、宿場内を歩いていて感動の連続だったのです。 . . . 本文を読む

2007.夏の越前福井・取材旅行 「板取宿・今庄宿・脇本宿 その2」

2007-08-30 06:21:19 | Weblog
 「そば道場」にあった観光マップによると、北陸街道(北国街道は今庄宿の手前で北陸街道と合流)は、合波(あいば)→鹿蒜(かひる)川→今庄→湯尾(ゆのう)峠→湯尾→鯖波(さばなみ)→西大道→東大道→脇本→府中(旧武生市・現越前市)という道筋をたどります。今は、田んぼの中を国道365が走っていますが、私が小さい頃は、このバイパスは出来ておらず、昔ながらの狭い街道(道幅三間〔約5.4m〕もない)を、バスが走っていました。狭いから車はすれ違うことはできません。軒先に触れるかのようにバスが街道の家並み(脇本宿)の中を走っていたことを思い出します。矩折(かねおれ・軍事上の配慮で道が鍵のように直角に曲がっている)のところでは、バスはスピードをぐんと落として、角の家の塀や壁すれすれに曲がっていきました。子ども心に、なんでこんな風に道が曲がっているのだろう、と疑問に思ったことをよく覚えています。 . . . 本文を読む

2007.夏の越前福井・取材旅行 「板取宿・今庄宿・脇本宿 その1」

2007-08-29 06:28:17 | Weblog
 北陸街道は、近江に向かう場合、今庄宿を抜けたところで右手の道を行き、二ツ屋を経て木ノ芽峠を越えて敦賀に出ます。一方、今庄宿を抜けたところで左手に行く道がありますが、これは板取宿を通過して栃ノ木峠を越え、東近江に入って木ノ本宿に通じます。この道を、北陸街道と区別して北国(ほっこく)街道と言うのです。この北国街道は、中山道や京都に向かう際の最短路であるために、加賀百万石の前田家や越前福井松平家の参勤交代の道として利用され、往時はたいへん賑わった重要な道筋でした。現在の国道365に沿う道(一部重なり合う)ですが、この板取宿から栃ノ木峠に至る道は、国道365のルートとはかなり異なっていたようです。国道365もかなりくねくねと曲がりながら峠へ登っていくハードな道ですが、往時の北国街道は谷を分け入り、山の斜面の急な坂道をのぼっていくものでした。木ノ芽峠を越える北陸街道(あの天狗党は、今庄宿からこの道を越えて行きました)がハイキングコースとして残っているのに対して、この北国街道の場合は、もう昔の道は残ってはいないようです。 . . . 本文を読む

2007.夏の越前福井・取材旅行 「敦賀より北陸街道へ その2」

2007-08-28 05:52:14 | Weblog
 元家老武田耕雲斎(61)、元目付山国兵部(72)、元町奉行田丸稲之衛門、藤田小四郎(藤田東湖の四男・24)らを始めとする水戸藩を中心にした尊王攘夷派の武士や農民など、353名(テープの説明による・一説には352名)が大量処刑されたのは、当時は、時宗来迎寺(らいごうじ)の境内であったらしい。松原が広がり、地面は砂浜の延長で細かい砂地。子どもの時に、親と一緒に、近くの松原海水浴場に海水浴に来たことがありますが、その海水浴場の背後(南側)に、凄惨な大量処刑が行われた場所があるとは、幼い私には知るよしもありませんでした。 . . . 本文を読む

2007.夏の越前福井・取材旅行 「敦賀より北陸街道へ その1」

2007-08-26 07:19:34 | Weblog
 21日(火)より24日(金)まで、3泊4日で、夏の取材旅行に行ってきました。行き先は、私の故郷である福井県。取材先は大きく四つ。①敦賀市②北陸街道③福井城下④大野城下。22日の夕方に、神戸からやってきた友人Iさんと落ち合い、翌23日の大野城下探索をともにしました。ほん少しばかり雨に降られましたが、あとは天気に恵まれ(残暑はまだまだ厳しかったですが)、予定していた以上の取材と予期していた以上の収穫を得ることができました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む

2007年夏「ご来光と富士登山〈砂走りと宝永山 そして下山  その1〉」

2007-08-19 20:44:19 | Weblog
オールコックは頂上の休息所を出発して、3時間で下山(おそらく馬のいる八幡堂まで)。八幡堂から頂上まで8時間かけて登ったことを考えれば、倍以上の速さでした。しかも濃霧と土砂降りに見舞われての下山ということを考えれば、たいへんなスピードです。私の場合も、有名な「砂走り道」をたどることによって、途中宝永山に立ち寄ったものの、6:49に下山を開始して、大石茶屋で休んで、御殿場口五合目バス停に到着したのがちょうど11:00。4時間11分の下山でした。宝永山に立ち寄らず、大石茶屋で休まなかったら、3時間半ほどで下ったに違いない。ところで、村山登山道の途中の八幡堂(そこまでオールコック一行は馬で登った)は、どの辺りにあったのだろう。おそらく五合目辺りの森林の上限地帯にあったと思われますが、ガイドブックを見る限り、現在は残ってはいないようです。いつか、村山古道をたどって、富士宮口登山道に合流する形で、富士山登山をしてみようと思っています。オールコック一行の登山ルートをたどっていくわけです。 . . . 本文を読む

2007年夏「ご来光と富士登山〈夜行登山  その2〉」

2007-08-19 07:59:18 | Weblog
 今回の富士登山は、車で御殿場口の無料駐車場まで行く予定だったのですが、マイカー規制というのが頭にあり、またお盆休みで御殿場駅周辺の駐車場は混んでいるだろうという予測があって、急遽、電車利用に切り替えたのですが、実は、御殿場駅からバスに乗って御殿場口に向かう時にも、マイカーが登山口へ向かっているし、また登山口から帰って来るのにしばしば出会うのです。バスから降りる時に、運転手さんに尋ねると、「ここはマイカー規制はないんだよ」「お盆休みでも?」「そう、ないよ」とのこと。駐車場には多くの自家用車が停まっていました……。事前の調査不足でした。河口湖口・富士宮口・須走口は、マイカー規制がかかっているとのこと。しかし考えてみれば、車を利用していなければ、頂上から違う帰りのルートを選べるわけで、融通性はあるというもの。今回は、宝永山見学を一つの目的にしているので、同じルートを帰ってきますが、御殿場口はマイカー規制はない、と知ったことはうれしい発見でした。 . . . 本文を読む

2007年夏「ご来光と富士登山〈夜行登山  その1〉」

2007-08-18 06:35:47 | Weblog
 御殿場口登山道は、1883年(明治16年)に開鑿(かいさく)された最も新しい富士登山道。1889年(明治22年)2月1日に、東京~大阪間の幹線鉄道の一部として、国府津~御殿場~沼津~静岡間が開業しますが、この御殿場駅の設置により、アクセスの良さとすぐれた眺望により、この御殿場口登山道は多くの登山客を集め全盛を極めました。しかし丹那トンネルの開通(1934年)による東海道本線のルートの変更や、河口湖口・富士宮口が自動車道開鑿によってアクセスが容易になったことによって、御殿場口を利用する人々は少なくなりました。しかしそれゆえに、静かで落ち着いた登山と雄大な眺望を楽しめる富士登山道として、根強い人気があるようです。 . . . 本文を読む

2007年夏「ご来光と富士登山〈山小屋まで その2〉」

2007-08-17 06:00:58 | Weblog
富士山にはやはり思い入れがあります。私が生まれて初めて富士山を見たのは、小学校3年生の時に、家族で東京・伊豆旅行をした際。東京から伊豆下田経由で湯ヶ島温泉に泊まり、翌日沼津に出て、東海道本線の普通列車の車窓から富士山を見たのです。全くの快晴で、上からすそ野まで全てがくっきりと見えました。妻と結婚する前、妻の住む平塚のアパートの側から見た富士山も綺麗でした。家族旅行で中央高速を利用した行き帰りに、山の間からそびえる富士山も印象的でした。旧東海道を歩くと、家並みの間から、思わぬところで富士の姿が現れるのも感動です。丹沢三ツ峰を縦走した時、丹沢山の頂上から見た、空に白く浮かび上がるように見えた富士山も忘れられない。他の山とは間(あいだ)が離れた孤高の、神々しいまでの独立峰で、姿はあくまでも流麗。しかも日本最高峰。やはり「富士は日本一の山」。名峰です。昔の人々も感ずるところは同様で、その思い入れは、広重や北斎の浮世絵からも伺うことが出来ます。しかし実際富士山に登ってみると、富士山に対する思い入れは、日本人にとどまらないことを知りました。登山道でも頂上でも、実に多くの外国人がいて、耳慣れぬ外国語が飛び交っていました。富士山はすぐれて「国際化」した空間でもあったのです。 . . . 本文を読む

2007年夏「ご来光と富士登山」〈山小屋まで その1〉」

2007-08-15 06:10:42 | Weblog
8月12日〈日〉と13日〈月〉の両日、念願の富士「ご来光」登山に行って来ました。1週間ほど前に、長期天気予報を見て、日曜日〈12日〉に行くことを決定。無理をしないために山小屋にも連絡をとり、一泊の予約をしました。選んだ登り口は、御殿場口。主な登山口は四つありますが、ガイドブックで、「距離も歩行時間も富士登山道で一番長い」が、富士山の雄大なスケールとすぐれた眺望を味わうことができること、それに利用する人が他の登山道に較べると少ないこと〈混雑が少ない〉、また3軒あるどの山小屋からもご来光を望めること〈東向きなので〉、といったことを確認し、それらの理由から御殿場口を選びました。途中、宝永山もあるので、それを行きか帰りかに立ち寄って「宝永大爆発」の爆裂口を近くで見ることも楽しみでした。もし、体力的に余裕があれば、最高地点の剣ヶ峰まで登り、そこから噴火口〈「お鉢」〉を見下ろしてみたい。今回の山行きのポイントは、①ご来光②「お鉢」③宝永山、この三つでした。 . . . 本文を読む

ブログ開始1周年

2007-08-06 20:02:35 | Weblog
 今日でブログを始めてからちょうど1年目になりました。昨年の今日、「ブログを始めました」との記事を投稿。さっそく、『50代にもよくわかる「ブログ」入門』(ベスト新書)の著者である滝田誠一郎さんから、コメントが届いたことに感動したのが懐かしい。週1の投稿を、なんとか持続することが出来たのは、我ながら頑張ったと思います。月1回の取材旅行(日帰り)の報告、夏と冬の取材旅行(泊を伴う)の報告(年2回)も、なんとか目標通り続けることが出来ました。投稿記事は110回。小説とブログを書くための取材ノートは16冊。ブログの記事を印刷したのをまとめたクリアファイルブックは8冊になりました。今後5年間続ければ、取材ノートはおそらく100冊、クリアファイルブックは50冊ほどになるのでしょう。まさに「塵も積もれば山となる」!これからも、健康に気を付けて取り組んでいきたい。 . . . 本文を読む