鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010年夏の取材旅行「高知市および高知市周辺」美空ひばりのバス事故 その1

2010-10-20 06:59:36 | Weblog
 大杉で美空ひばり(当時の芸名は「美空ひばり」ではない。本名は加藤和枝)の乗ったバスが事故を起こしたのは昭和22年(1947年)の9月上旬のことであったようです。

 当時美空ひばりは10歳。10歳といえば小学4年生。小学校4年の女の子が、夏休みも明けた9月上旬になぜ高知県の大豊町の「大杉」付近をバスに乗っていたかといえば、それは父増吉の反対を押し切って、漫談の井口静波・俗曲の音丸夫妻の一座の前座歌手として、中国地方から四国地方へと巡業の旅に出ていたからでした。小学生の和枝に付き添っていたのは母である喜美枝でした。

 美空ひばりは『ひばり自伝』に次のように記しています。

 「わたしは音丸さん夫妻の前歌をうたう歌手として四国巡業の旅へ出発しました。わたしは十歳でした。母がついて来てくれました。もちろん、美空楽団のメンバーもいっしょです。」

 戦後まだ2年ほどしか経っておらず、巡業といってもなかなか大変だったようで、移動する時には米屋に米穀通帳を持っていって外食券に代えてもらい、それを渡して食事をもらったという。旅先での食事は、お米は三分の一ぐらいであとはグリンピースとかトウモロコシの方が多かったと記されており、当時の巡業中の食糧事情がよく分かります。

 巡業中は学校に行けないので、家庭教師が巡業についてきて、昼夜の公演の間とか就寝前に旅館で細切れの積み重ねという感じで教わったらしい。

 さて、肝心の事故当日のことはどうであったのか。

 自伝によると、当日はある所で興行があったものの、その興行の都合でその場所からのバスの出発が遅れたものであるらしい。この「バス」は女性の車掌さんが乗り込んでいたというから乗合バスであったと思われます。

 その乗合バスは、国鉄土讃線の駅である「大杉」へと向かっていました。前座歌手である美空かずえを含む音丸・静波一座は、次の興行地である高知市を目指して、高知駅行きの汽車に「大杉」駅から乗り込もうとしていたのです。

 当日興行があって一座がバスに乗り込んだ場所がどこであったかは自伝にも『美空ひばり』にも書かれていません。

 しかし『美空ひばり』の音丸の話では、トンネルを潜って坂道を下り、左手が崖であったというから、この乗合バスは高須トンネルを抜けて穴内川沿いに走る道(現在の国道32号線)に出て右折し、大杉駅に向かったものと考えられ、そう考えると、この乗合バスは本山方面から出発したものと考えられる。

 おそらく事故当日の興行地(一座がバスに乗って出発したところ)は、私は本山町ではないかと推定していますが、確かなところはわからない。

 「興行の都合でバスの出発が遅れ、これでは汽車に間に合わないから、というので、興行師がすこし無理して飛ばさせたのでした。おり悪しく雨上りでした」と自伝にあります。

 「『お母さん。わたし恐い。うしろのトラックにのって行こうよ』 わたしは幾度となく母にそう訴えたそうです。うしろのトラックには、美空楽団のメンバーが楽器といっしょに乗りくんでいたのでした。」

 このことから、乗合バスの後ろにはトラックが付いてきており、それには「美空楽団のメンバー」が乗り込み、楽器が積み込まれていたことがわかります。

 「美空和枝」とその母喜美枝は、バスの最後部近くに手すりにしがみついて座っていたようです。

 竹中労の『美空ひばり』は、音丸の話から、事故が起きたのが大杉という駅の近くだということを聞いているにもかかわらず、事故が起きたのは、「高知県の海岸」で「海ぞいの急坂を下っていたバスがトラックと衝突した」と決定的なミスをおかしています。

 「大杉」という駅がどこにあるかを調べなかったのでしょう。「高知」→「南国」というイメージから、「海ぞい」としたのでしょうが、実際は「大杉」という駅は、土讃線の徳島県との県境に近い高知県の山奥にあります。崖の下を流れるのは穴内川。

 事故にあってからの美空ひばりの記憶は途切れます。事故で意識を失ってしまったから。

 そのバス事故の様子については、『美空ひばり』の音丸の話が詳しい。

 静波・音丸夫妻を初めとした音丸一座も、そのバスに10歳の「美空かずえ」とともに同乗していたからです。


 続く


○参考文献
・『ひばり自伝』美空ひばり(草思社)
・『美空ひばり』竹中労(朝日文庫)
 
 


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2 コメント

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Unknown (大杉駅)
2020-03-29 21:48:01
私の父が、大杉のトンネルでひばりさんを運んだそうです。
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Unknown (shunsuke-ayukawa)
2021-03-10 11:35:46
地元の方には、いろいろな記憶があったのだなぁ、と思いました。しかし年輩の方は亡くなっていき、どこかで記録しておかないと、貴重な記憶もなくなってしまいます。記録を掘り起こしていくことも、大切だと思います。
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