鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「増毛 その4」

2008-09-17 06:04:14 | Weblog
私の幼い頃の記憶に、「昆布巻(こぶまき)」というものがあります。とろとろの分厚い昆布で幾重にも巻かれた芯のところにあるのは身欠きニシン。一本そのまま食べたり、輪切りにして食べたりしました。これを売りに来た行商のおばちゃんの姿が、私の脳裡には刻みこまれています。家の玄関の上がり框(かまち)(といっても狭いものでしたが)に、おばちゃんがどっかりと座って、背中から下ろした籠(竹で編んであったような)の中から「昆布巻」を取り出し、母が財布からお金を出して、何か世間話をしながら買っていました。行商に来るおばちゃんとは顔馴染(かおなじみ)であるように感じられました。おばちゃんはもんぺと着物姿であったような気がする。頭には手拭いを巻いていました。食べると、昆布は口の中でとろけるような感じ。芯の身欠きニシンの方も柔らかでした。昆布を巻いているのはかんびょう。昆布をほぐして広げていったら、その大きさに驚いたことも。あのおばちゃんはどこからやって来たのだろう、と考えてみると、おそらく京福電車の三国線に乗って、三国からやって来たに違いない。歩いて来たのではなく、電車で福井平野の真ん中を走り抜けて、おそらく田原町で下車し、そこからお得意さんを行商に回っていたと思われます。当時行商にやって来たのは、昆布巻売りのおばちゃんだけではない。鰯売りのおじさんもいました。遠くから「いわーしわしわしわし…」という呼び声が聞こえてきたものです。魚屋さんが行商にもやってきました。自転車にリヤカーみたいなものを引いて、そのリヤカーにいろいろな種類の魚が氷とともに並べられているのです。買う魚を指示すると、おじさんがまな板の上で、その魚をさばいたものです。魚屋さんの店の名前は「魚伝(さかでん)」と言いました。富山の薬売りもやって来ました。木箱のようなものから子どもへのお土産である紙風船などをくれて、それが子どもには楽しみでした。さてあの「昆布巻」ですが、あれは三国港の人が作っていたものだと思われますが、原料の昆布やニシンは、北海道から運ばれてきたものであったに違いない。当時は昭和30年代。ニシン漁は昭和29年頃にニシンが来なくなったことによって突然途絶えています。三国は「北前船」の重要な寄港地の一つ。その歴史の中で生まれた三国の特産品の一つであったのでしょう。それを幼いときの私は、まだ、確かに食べていたのです。 . . . 本文を読む