鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

中浜万次郎と河田小龍-『漂巽紀畧』に見るアメリカ情報

2006-09-30 11:39:25 | Weblog
 手元に『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』川田維鶴(いかく)撰(高知市民図書館・1986)という本があります。おそらく、地方出版の本を販売している神田神保町の書店から購入したものと思いますが、いつ購入したのか全く記憶がありません。この本は中浜万次郎が漂流してから帰国するまでの体験を、川田維鶴(河田小龍)が聞いてまとめたもの。ここで語られるアメリカ情報は、当時の土佐藩や幕府中枢の人々、また諸大名に、大きなインパクトを与えます。今回は、そのことについて触れてみます。 . . . 本文を読む

幕末土佐の英学とジョン・万次郎 その4

2006-09-22 22:51:38 | Weblog
 しばらく、取材旅行の報告のため、話が飛んでしまいました。万次郎と土佐の英学についての話に戻ります。今回は、1860年(安政7年)5月、咸臨丸でサンフランシスコから帰国した万次郎が、それ以後、何をなしたか、ということについて簡単にまとめたいと思います。 . . . 本文を読む

吉村昭さんの『史実を歩く』(文春文庫)について

2006-09-13 21:43:02 | Weblog
 先々月に亡くなった吉村昭さんの著書『史実を歩く』を、改めて読み返しました。  本を読む際、私は、参考になるところや印象に残ったところに付箋を張り、後でパソコン上で、該当のファイルに打ち込んでいくのですが、この『史実を歩く』は付箋(ふせん)で一杯になってしまいました。  それらの中でも特に印象に残り、歴史小説を書く上で参考になるところを抜粋しました。  「先達(せんだつ)はあらまほしき事なり」と『徒然草(つれづれぐさ)』にありますが、まさにそういう思いを抱きました。 . . . 本文を読む

幕末土佐の英学とジョン・万次郎-その1

2006-09-08 21:02:16 | Weblog
 文久二年(1862年)四月八日の参政吉田東洋暗殺事件の三日前(四月五日)に、藩校文武館が開設され、そこで細川潤次郎が蘭学や英学を教授し、その彼に英学を学んだ学生の一人が中江兆民(篤助)だったことは先に触れました。  「土佐は、蘭学については他藩にかなりの遅れをとったが、英学は中浜万次郎、細川潤次郎によって、一歩先んじて始まったといってよいかも知れない」とする、飛鳥井雅道さんの文章も紹介しました。  安政五年(1858年)、細川潤次郎は藩命を受けて江戸に赴き、築地南小田原町の軍艦操練所で航海術を学ぶとともに、藩主豊信(とよしげ・容堂)の命令で、そこで教授をしていた中浜万次郎(「ジョン・万次郎」・1828~1898)から英語を学びます。  兆民の学んだ細川の英学は、細川が中浜万次郎から学んだ英学であったと言っていいでしょう。  ということで、幕末土佐の英学について、「ジョン・万次郎」を中心に、これから数回にわたってまとめてみたいと思います。 . . . 本文を読む