高知市内の中心部に、丹中山(たんちやま)と小高坂山(こだかさやま)という二つの小山があり、そこには坂本龍馬の先祖や、龍馬の仲間たちや、土佐の著名人たちの墓が無数にありました。ところが、この二つの山に、突如開発の波が押し寄せてきました。その開発は、1970年代に、高知市が、丹中山を含む地域を市街化区域に指定したことから始まり、2001年になると、丹中山には建設重機が入り、開発が本格的に始まって、最終的に、丹中山も小高坂山も、それぞれおよそ五千五百坪が、この「開発」によって消え失せた、とのこと。高知在住の歴史写真家前田秀徳さんは、いつ取り除かれるかわからないそれらの墓山に、ひとり通い続け、膨大な数の墓を調べ、その写真を撮り、貴重な墓石の保存に尽力しました。その記録というぺきものが、この『龍馬、原点消ゆ』(三五館)という書物です。
前田さんは、『写真集 龍馬脱藩物語』(新人物往来社)という本を著されていて、その文字通り、くまなく現場を歩いて調査(古老への聞き取りも含めて)された記述の内容に感銘しましたし、掲載されている貴重な古写真はとても参考になりました。
ということで、書店で『龍馬、原点消ゆ』という本を見つけた時、私はためらいなく購入しました。 . . . 本文を読む
島津三郎一行400余名は、文久2年8月21日の四ツ頃(午前10時頃)、江戸高輪(たかなわ)の薩摩藩下屋敷を出立します。品川宿を過ぎ、六郷の渡しを渡って、次の川崎宿を抜け、鶴見川に架かる鶴見橋を渡って、生麦村に差し掛かります。
一方、イギリス人のマーシャル、クラーク、リチャードソン、そしてボラディール夫人の4名は、船で横浜から神奈川宿に向かい、神奈川の湊に回してあった馬に乗って、目的地の川崎大師に向かって東海道を江戸方面に進み、午後3時頃、生麦村に差し掛かります。
リチャードソンを先頭にした騎馬の4人は、その生麦村で島津久光の行列と遭遇します。彼らは、「脇に寄れといわれたので、道路の脇をすすんでゆくと、今度は後続の行列が来て、引き返せと命じられたので、馬首をめぐらそうとしていたとき」(『遠い崖 Ⅰ 旅立ち』萩原延壽)攻撃を受けました。すなわち、有名な「生麦事件」が発生することになったのです。 . . . 本文を読む
昨年12月の取材旅行は、東海道「神奈川宿」でした。京浜急行の子安駅で下車し、「神奈川宿歴史の道」を、江戸(東京)側の起点である「神奈川通東公園」(長延寺〔開港当時のオランダ領事館〕跡地)から、JR横浜駅近くの上台(かみだい)橋まで歩きました。
その報告の中で、「史跡アメリカ領事館跡」の碑が建つ本覚寺に触れ、文久2年(1862年)8月21日の「生麦事件」の際、薩摩藩士に斬られたイギリス人、マーシャルとクラークの両名が、ここ本覚寺に逃げ込み、近くの成仏寺から駆けつけた宣教医ヘボン(ヘップバーン)により応急手当を受けたことを述べました。
今回は、その生麦事件の現場である生麦村から、神奈川宿に入る辺り(京急神奈川新町付近)までを歩いてみることにしました。その取材結果を、以下報告します。 . . . 本文を読む
1月7日(日)に、神奈川県立図書館に行った折り、時間があったので、昨年11月(11日)に見つけることが出来なかった「鉄道発祥の地記念碑」を探して見ました。駅員の方に2度尋ねて、ようやくのことで見つけました。 . . . 本文を読む
昨年末、取材旅行で「三州田原」に行って来たことについては、先にまとめましたが、その田原市の中央図書館(なんども言うようですが充実した図書館でした)の郷土史関係の奥まったコーナーで、杉浦明平さんの『わたしの崋山』(未来社・ファラオ企画)に目を通しました。その内容紹介を…。 . . . 本文を読む
年末年始に読んだ本の中で、印象に残った一冊は、理論社より2006年3月に出版された、『日本という国』(小熊英二)でした。「中学生以上すべての人の よりみちパン!セ」というシリーズの一冊。ほかにも、このシリーズでは、重松清さんの『みんなのなやみ』、養老孟司さんの『バカなおとなにならない脳』、石川直樹さんの『いま生きているという冒険』など、面白そうな内容の本があるようですが、それは、また別の機会に目を通すことにして、この『日本という国』という本は、小熊英二さんの本としては、たいへん薄く(ページ数が190ページ弱と少ない)、また中学生以上向けということで文章も平易で、私が初めて購入した小熊さんの本なのですが、昨日、読み終わりました。 . . . 本文を読む