鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2006.10月の「お銀さまの里」取材旅行  その1

2006-10-25 23:11:12 | Weblog
23日(月)は職場の代休日(土曜日が出勤日だったので)。あいにく小雨が降っていましたが、せっかくの休みなので、以前から、ふたたび行きたいと思っていた綾瀬市の小園(こぞの)というところに行ってきました。その小園には、ずいぶん昔に行ったことがあります。おそらく21年前。1985年の夏だったかなあ。結婚する前になります。かなしんブックスの『大山道今昔』(金子勤著)を読んで、矢も盾も堪らず、車で出かけたことを思い出します。さて、21年経って、あの辺りはどうなっているだろう。 . . . 本文を読む

「関東歴史散歩~日本を歩きつくそう Ed.2」について

2006-10-23 22:23:56 | Weblog
 今日は月曜日でしたが、勤務先が代休(土曜日が出勤であったため)だったので、少し雨が降っていましたが、前から再び行きたいと思っていた場所へ取材旅行(ウォーキングを兼ねて)に行ってきました。その詳細については、後日、報告します。  帰宅してから、明日、「腹部超音波検査」のために相鉄線の天王町に行くことになっているので、天王町周辺の地図を見ていると、保土ヶ谷に近いことがわかり、その辺りについて調べてみようと思って、「保土ヶ谷 史跡」を入力して検索すると、一番頭に出てきたのが、「旧東海道保土ヶ谷宿旧蹟」で、保土ヶ谷関係の主な旧蹟の写真と説明文が、5ページに渡って出てきました。「HOME」を押すと、「たけうち」さんという方が管理人の「関東史跡散歩~日本を歩きつくそう」というホームページでした。  私にとって「先達(せんだつ)」ともなる、とても幅の広い、しかも薀蓄(うんちく)のある内容で、とても感動し、また興奮しました。  ということで、まことに勝手ながら、紹介かたがたコメントをさせてもらいます。 . . . 本文を読む

武市半平太と土佐勤王党 その3

2006-10-21 23:19:31 | Weblog
 文久3年(1863年)の正月から、武市半平太の処刑まで、土佐勤王党の動静を年表風にまとめてみます。その年、篤助は藩校文武館に入学して2年目。数えで17歳。  篤助の住む山田町には藩の牢獄があり、その山田町の長屋(その足軽の住む長屋がある一帯は「部屋町」ともいいました)に住む篤助は、土佐勤王党に対する藩庁の動きに無関心ではいられなかったはずです。 . . . 本文を読む

昨夜は楽しい集まりがありました。

2006-10-09 13:03:05 | Weblog
 いつもは夜10時過ぎには就寝し、そして朝4時頃に起床と、早寝早起きの生活習慣が定着していたのですが、今日は珍しく午前六時過ぎに目が覚めました。といっても、いろいろなことがあふれるように思い出されて、何度も寝返りをうち、熟睡はできなかったのですが。というのも…… . . . 本文を読む

厚木東高校創立百周年記念の写真展

2006-10-07 21:14:36 | Weblog
 厚木「サティ」の七階の市民ギャラリーで、10月3日(火)から9日(月)まで、「神奈川県立厚木東高等学校百周年記念写真展」が開かれていることを耳にしたので、興味を引かれ、昨日(6日)と今日(7日)、行って見ました。6日は仕事帰りに寄ってみたのですが、夕方でゆっくり見れなかったため、今日、再び出かけてみました。明治から平成にかけての「女学生」の変遷、太平洋戦争中の「学徒勤労動員」、神奈川県内の主要な都市における「空襲」の様子などがよくわかり、思わず取材ノートに書き留めました。 . . . 本文を読む

武市半平太と土佐勤王党 その1

2006-10-07 00:22:48 | Weblog
 土佐藩参政の吉田東洋が、土佐勤王党のメンバーである那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人により、文久二年(1862年)四月に暗殺されたことは、すでに「土佐藩参政吉田東洋の暗殺者」で触れました。この暗殺以後、土佐勤王党は、土佐藩政に大きな力を持つことになりますが、文久三年(1863年)に入ると、山内容堂(豊信・前藩主)を中心とする公武合体派が、土佐勤王党の弾圧に乗り出します。そして、ついに同年六月八日の夜、勤王党のメンバー三人が処刑されるという事件が起こります。若き日の中江兆民(篤助)は、山田町の牢獄の塀から、その処刑のさまの一部始終を目撃します。この場面から、「武市半平太と土佐勤王党」について、何回かに分けて触れていこうと思います。 . . . 本文を読む