鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

幕末土佐の蘭学と坂本龍馬 その2

2006-11-26 12:38:13 | Weblog
 幕末の土佐藩における西洋砲術家の双璧は、徳弘孝蔵と田所左右次。坂本龍馬が入門したのは、徳弘孝蔵であったことは、前回に述べました。徳弘孝蔵の息子である数之助からも西洋砲術やオランダ語を学んでいるようです。坂本龍馬の西洋に対する関心の深まりは、彼の西洋砲術の修業にも由来しているように思われます。 . . . 本文を読む

幕末土佐の蘭学と坂本龍馬  その1

2006-11-19 17:47:00 | Weblog
 飛鳥井雅道さんは、その著『中江兆民』(吉川弘文館)で、「土佐は、蘭学については他藩にかなりの遅れをとったが、英学は中浜万次郎、細川潤次郎によって、一歩先んじて始まったといってよいかもしれない」と述べています。「幕末土佐の洋学」については、ジョン・万次郎(中浜万次郎)を中心に、英学に絞って、以前にまとめましたが、「幕末土佐の蘭学」についてはまとめていません。  「他藩にかなりの遅れをとった」土佐の蘭学について、坂本龍馬と関連させて、しばらくまとめていきたいと思います。 . . . 本文を読む

2006.11月の「横浜・桜木町界隈」取材旅行 その1

2006-11-11 22:31:48 | Weblog
 今日は午後4時半に、歯医者の予約が入っており、それに天気の方も、昨夜の天気予報によると、午前は曇で雨は降らないものの午後より雨、ということなので、取材旅行をどうしようかと迷ったのですが、来週の土曜日も、さ来週の土曜日も予定が入っているため、決行することにしました。  目的地は桜木町(さくらぎちょう)。閲覧したいと思っている本が、インターネットで調べたところ、「横浜市立中央図書館」と「神奈川県立図書館」にあることがわかったため。大学図書館にもあるのかも知れませんが、大学図書館は利用が面倒なので、公立の図書館で探してみたのです。  ほかには、東京都立中央図書館、同日比谷図書館、同多摩図書館、そして国立国会図書館にあるのですが、自宅から近いのは横浜(といっても片道2時間もありますが)。  私が住んでいるところは、丹沢の山々に近い田舎ですが、東京にしても横浜にしても、日帰りで行って帰って来れるのはありがたいことです。  ということで、朝5時前に、愛車キューブで自宅を出発。小田急線座間駅近くの駐車場にキューブを停め、座間駅から小田急線で海老名駅に行き、海老名駅から相鉄線で横浜に向かいました。 . . . 本文を読む

『藤沢周平 父の周辺』(遠藤展子著)について

2006-11-04 07:27:59 | Weblog
 水曜日に「郁朋社(いくほうしゃ)」から『週刊読書人』(10月27日号)が送られてきました。目を通すのは2回目という、ほとんど読まない新聞(週刊)ですが、一面にまず「対談 小和田哲男・関幸彦」とあって、「中世の視点から 戦争から日本の歴史に迫る」と赤白抜きの見出し。吉川弘文館の新シリーズ「戦争の日本史」全23巻の刊行開始を記念した対談をまとめたもの。冒頭、小和田さんは、これまで「通史的な戦争のシリーズは」なく、「しかも民衆の目から見る」ということで、吉川弘文館から話を持ちかけられた時に、すぐに承諾した、と話されています。全巻を読むことはないでしょうが、関心のある時代の巻については読んでみようと思いました。  2面まで、その対談が掲載され、他の紙面の多くは、最近出版された本の書評や広告。9月4日に亡くなられた西洋史家阿部謹也さんへの福井憲彦さんの追悼文などが掲載されています。興味深い記事が多く、あとでゆっくりと目を通そうと思った次第。それにしても、多くの本が出版されているもの。中には、こういう本はどういう人が読むのだろう、という本も。「日本図書センター」から出されている『平和人物大辞典』(監修鶴見俊輔)は、食指が動きましたが、定価は18,900円。ボーナスが出た時に、思い切るしかないか、という値段。書評の見出しの中で,目に飛び込んできたのは、6面の「読書界への嬉しい贈り物」。安宅夏夫さんの『藤沢周平 父の周辺』(遠藤展子著)についての書評でした。前にどこかの新聞か週刊誌の書評欄でも取り上げられていて、読みたく思っていたのですが、この書評を読んで、矢も盾もたまらず購入したく思いました。幸いに3連休。一気に読める、ということで、翌日の帰りに、厚木の有隣堂に立ち寄り、ワクワクした思いで購入しました。 . . . 本文を読む

武市半平太と土佐勤王党 その4

2006-11-03 00:39:29 | Weblog
 前回の「武市半平太と土佐勤王党 その3」より10日ぶりになります。平井ら三名の処刑より、土佐藩庁の勤王党に対する弾圧は、過酷さを増していきます。勤王党員で、藩庁により捕縛された者たちは、その多くが下級武士であるために、山田町の牢獄に投ぜられます。それにより手狭になった牢獄には、新しい獄舎が増設されたりします。  山田町の長屋(牢獄と板塀を隔てた北側にある。この長屋がある一帯は、別に「部屋町」とも言われた)に住む篤助(中江兆民)は、そういった情勢に無関心ではいられなかったことでしょう。 . . . 本文を読む