遊歩道を進むと、左手に「天塩川歴史紀行 『天塩日誌』を訪ねて」というガイドパネルがありました。それによると『天塩日誌』の著者である松浦武四郎は、安政4年(1857年)6月7日、北方に向かってこれから天塩川の河口を海に出ようとしている箱館奉行堀織部正(おりべのしょう・利熙〔としひろ〕・1818~1860)の一行を見送った後、アイヌの男性4名とともに延べ24日間の天塩川探査に出発しました。アイヌ男性4人の名前は、アエリテンカ、トセツ、エコレ、トキコサン。船は2人乗りのひょうたん型をした丸木舟。松浦武四郎は、その前日である6月6日に天塩に到着して宿泊。この6月7日に天塩川河口付近を丸木舟に乗って出発し、名寄川および天塩川の沿岸地帯および上流を探査。オニサッペというところには、上流探査からの帰途、6月27日に宿泊していますが、ここが「北海道」命名の地であるらしい。そして6月30日に出発地点である天塩に戻り、そこで泊まって長かった探査の疲れを癒しました。 . . . 本文を読む