〜森本隼子、14歳。地方の小さな町で、彼に出逢った。
ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。
苦しかった。切なかった。ほんとうに、ほんとうに、愛していた―。
姫野カオルコの新境地、渾身の思いを込めて恋の極みを描ききった長編小説。「BOOK」データベースより
『リアルシンデレラ』で惚れ込んだ、姫野カオルコ女史の二作目です。
『ツ、イ、ラ、ク』
このタイトルと表紙を見て、「ハイハイ、あんな感じやろうね・・・」と、想像しながら読み始めましたが、自分の想像力の足りなさを実感しました(ToT)
物語の始まりは、小学校二年生の女の子たちの日常で、軽いイジメや、軽い恋愛の真似事のような出来事がつらつらと続きます。
「んで、この子達が大人になって、それぞれの人生の歩みのなかで、大事件(殺人や自殺、はたまた不倫や略奪愛など)が起こって・・・」なんて想像しながら読みましたが、またまた裏切られました(ToT)
さて、皆さんが恋愛というものを実感したのは高校生ですか?大学生ですか?それとも社会に出て20代の頃に激しく燃え上がるような大恋愛をしましたか?
しかしそれは、歳を重ねるにつれて、自分自身に衣や鎧を纏うように、色々な経験を積み、知恵もつけていき、いつの間にか頭の中で計算しながら恋愛というものをしていたのかも知れません。
本当の本物の恋愛って何でしょうか?身を焦がすような剥き出しの愛とは・・・?
「小学生から中学生の頃に恋い焦がれた、あの子への真っすぐな想いやったのかも知れんなぁ・・・。」
ということを思い出させてくれる小説でした。
文中に、「恋とは、するものではない。恋とは、落ちるものだ。どさっと穴に落ちるようなものだ。・・・(中略)
「アッ」。恋に落ちるとは、この「アッ」である。こんなことはめったにないのである 。」
とあります。
物語の中で、様々なタイプの男女のキャラクターが登場します。それぞれに良い持ち味を発揮してくれるのですが、徐々にその中の一人『隼子』が際立っていきます。
この隼子と河村が、まさに恋に「落ちる」のではなく、「墜ちて」しまった物語でした。
ここでようやく、タイトルの『ツ、イ、ラ、ク』=(墜落)の意味がわかります。
墜落していった二人はどうなってしまうのでしょうか?目まぐるしく変わるキャラクター達の視点で語られる内容にはグイグイと引き込まれて、あっという間に530頁を読みきってしまいました。
そして、熱く激しい恋物語には、爽やかなエンディングが用意されており、静かに幕が降ろされます。
巻末の斎藤美奈子女史の解説にあるように、「姫野文学は、いつもある種の『異化効果』をもって描かれてきました。『異化』とは、日ごろ慣れ親しんでいる現象に別の角度から光を当てることで思いもよらなかった側面が浮かび上がる、くらいの意味ですが、姫野文学に親しんできた読者なら『その感じ』がすぐにわかってもらえるでしょう。」とあります。
また、「中学生の恋愛が描かれているからといって、その小説が中学生向けではあるとは限りません。(中略)おそらく『ツ、イ、ラ、ク』をもっともよく理解できるのは、三十代、いや四十代以上の大人でしょう。」ともあります。
姫野文学は、まだ二作目ですが、その意味はひしひしと伝わりました。いまジャストタイムで読むことが出来て良かったと思います。
★★★☆3.5です。
ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。
苦しかった。切なかった。ほんとうに、ほんとうに、愛していた―。
姫野カオルコの新境地、渾身の思いを込めて恋の極みを描ききった長編小説。「BOOK」データベースより
『リアルシンデレラ』で惚れ込んだ、姫野カオルコ女史の二作目です。
『ツ、イ、ラ、ク』
このタイトルと表紙を見て、「ハイハイ、あんな感じやろうね・・・」と、想像しながら読み始めましたが、自分の想像力の足りなさを実感しました(ToT)
物語の始まりは、小学校二年生の女の子たちの日常で、軽いイジメや、軽い恋愛の真似事のような出来事がつらつらと続きます。
「んで、この子達が大人になって、それぞれの人生の歩みのなかで、大事件(殺人や自殺、はたまた不倫や略奪愛など)が起こって・・・」なんて想像しながら読みましたが、またまた裏切られました(ToT)
さて、皆さんが恋愛というものを実感したのは高校生ですか?大学生ですか?それとも社会に出て20代の頃に激しく燃え上がるような大恋愛をしましたか?
しかしそれは、歳を重ねるにつれて、自分自身に衣や鎧を纏うように、色々な経験を積み、知恵もつけていき、いつの間にか頭の中で計算しながら恋愛というものをしていたのかも知れません。
本当の本物の恋愛って何でしょうか?身を焦がすような剥き出しの愛とは・・・?
「小学生から中学生の頃に恋い焦がれた、あの子への真っすぐな想いやったのかも知れんなぁ・・・。」
ということを思い出させてくれる小説でした。
文中に、「恋とは、するものではない。恋とは、落ちるものだ。どさっと穴に落ちるようなものだ。・・・(中略)
「アッ」。恋に落ちるとは、この「アッ」である。こんなことはめったにないのである 。」
とあります。
物語の中で、様々なタイプの男女のキャラクターが登場します。それぞれに良い持ち味を発揮してくれるのですが、徐々にその中の一人『隼子』が際立っていきます。
この隼子と河村が、まさに恋に「落ちる」のではなく、「墜ちて」しまった物語でした。
ここでようやく、タイトルの『ツ、イ、ラ、ク』=(墜落)の意味がわかります。
墜落していった二人はどうなってしまうのでしょうか?目まぐるしく変わるキャラクター達の視点で語られる内容にはグイグイと引き込まれて、あっという間に530頁を読みきってしまいました。
そして、熱く激しい恋物語には、爽やかなエンディングが用意されており、静かに幕が降ろされます。
巻末の斎藤美奈子女史の解説にあるように、「姫野文学は、いつもある種の『異化効果』をもって描かれてきました。『異化』とは、日ごろ慣れ親しんでいる現象に別の角度から光を当てることで思いもよらなかった側面が浮かび上がる、くらいの意味ですが、姫野文学に親しんできた読者なら『その感じ』がすぐにわかってもらえるでしょう。」とあります。
また、「中学生の恋愛が描かれているからといって、その小説が中学生向けではあるとは限りません。(中略)おそらく『ツ、イ、ラ、ク』をもっともよく理解できるのは、三十代、いや四十代以上の大人でしょう。」ともあります。
姫野文学は、まだ二作目ですが、その意味はひしひしと伝わりました。いまジャストタイムで読むことが出来て良かったと思います。
★★★☆3.5です。