「心ゆたかな暮らしを」  ~Shu’s Page

小説のレビュー、家族の出来事、趣味の事、スポーツ全般など、日々の出来事をつづりながら、一日一日を心豊かに過ごせれば・・・

沖縄出張 その②

2006年07月16日 | 仕事
夕べのビール&ウーロン茶がこたえたのか?夜中に2度、トイレに起きました。
おかげで、6時半頃に目が開き、めざましテレビなんかを見ながらすごしました。

8時半から朝食を食べに3階の朝食会場に行くと、そこはもう家族連れ&カップルの巣窟でした。 僕らはスーツ姿だったんで浮きまくりでしたわ。

朝ごはんを食べて、イベントに出席して、17:10那覇発の便で関空まで。

沖縄では沢山のお土産を頂戴しました。美味しいマンゴーや泡盛。これまた、どれも重たいものばかりで、とても持って帰る気にならないので、空港から宅配便で送ってもらいました。

家に届くのが楽しみです。

まぁいずれにしても、沖縄-関空間が2時間。関空-京都駅が、はるかで1時間40分あまり。 結構、しんどかったです。

京都に帰ると、祇園祭も宵山で、京都駅も浴衣姿の方々で溢れかえってました。 若い頃は、一大イベントとして、燃え燃えモードでしたが、今は人込みの中に入っていくだけで億劫になります。

年はとりたくないですね・・・・(^_^;)

『おばあちゃん』の手

2006年07月16日 | mieのコーナー
次女ゆうちゃんの風邪もほぼ完治したので、今日は去年末に脳梗塞で倒れ、寝たきりになってしまった
私の『おばあちゃん』のお見舞いに行くことにしました。

今月の27日で満92歳になる『おばあちゃん』と私は、私がお嫁にいくまで、ずっと一緒でした。

身寄りのなかった『おばあちゃん』は、幼い頃から苦労がたえなかったそうです。そんな中、やっとめぐりあえた人生のパートナーである(私の)祖父も戦争で亡くし、女手ひとつで二人の娘(私の母と叔母)を育てあげたのです。
私の母は、「すごく怖いお母さんやったで」と言いますが、私にとっては本当にやさしくて、とってもあたたかい『おばあちゃん』でした。

倒れる前の日まで、元気で、陽気で、いつも私達家族の心配をしてくれていた『おばあちゃん』
今となっては、言葉も表情もなかなかでてきません。

その『おばあちゃん』が、今日は二人の曾孫(私の娘)を見て、ニッコリ微笑んでくれたのです。
そして、「ようきてくれたなぁ 歩いてきてくれたんかぁ・・・」と!


私の手作り好きは、『おばあちゃん』の影響が一番大きいのです。
物が無い時代であったからこそ、なんでも自分の手で作る。
そして、そのなんでも作れる『おばあちゃん』の手が、私は大好きです。

今日もそのあたたかな手を握りながら、この手で数々のぬくもりを私にそそいでくれた事を改めて感謝し、
いつか私もこんな手になりたいなと思いました。

5分もしないうちに『おばあちゃん』は眠ってしまったので、私達は家路につきました。

あのあたたかい『おばあちゃん』の手のぬくもりを感じられるような、手作り雑貨をつくっていこうと、ミシンに向かう私でした。