ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

過去の日記。2005.3-1

2007年07月24日 | Weblog
つまらない仕事を黄金に変える。
at 2005 03/31 20:50 編集

「ブランド人になれ!」より

最初から面白い仕事があるわけではない。その仕事が自分に合っているかどうかや、やる気がでるかどうかが問題だろう。とくに下っ端で若いうちにはつまらない仕事しか回ってこないもの。

著者のトム・ピーターズは問題はそこから先だという。・・・「つまんねえ」と言いながら仕事にとりかかるか、それとも、その「つまんねえ」仕事を「すげえ」プロジェクトに変えてやろうと思うか。ここがポイントらしい。

結局、やる気がなければ、なにごとも始まらない、というわけだ。すべては気構えの問題になる。

つまらない仕事、ちっぽけな仕事が回ってきたら、それを感動の仕事に変えてしまおう、という発想こそが大事らしい。

やはり仕事はクリエイティブでなけりゃ。これで、明日からの仕事も少し面白くできそうな気もしてきたな。




強いブランドとは優れた企業経営の結果。
at 2005 03/30 21:44 編集

「企業を高めるブランド戦略」田中洋著より

再びブランドにこだわってみた。上記のフレーズは短いが企業とブランドとの関係を表しているように思えた。

しかもそれは自然に形成されるものではなく、意図的に育てなければならないという。つまり企業の戦略によって作られていくものだということを意味している。ただ良い製品を提供すれば自然にブランドは浸透するというものではないらしい。

もし企業が有名ブランドを持っているなら、ニセブランドやイミテーションから守らなければならなくなる。また、マネされるということはある意味一流ブランドの証拠でもあるだろう。

人についても似たようなことがいえそうだ。多くの人はその道の達人に憧れたり真似しようとする。しかし、やはりマネはあくまで本物にはなり得ないもの。本物をはるかに越えたときにはじめて優れたオリジナルブランドができそうだ。

ブランドには直接関係ないが、最近ニセ札が出回っているというニュースを聞く。でも本物以上のものはないらしい。もちろん本物以上の出来でもニセには違いないが・・・





グローバルなブランドがその品質を保つための気概。
at 2005 03/29 16:10 編集

朝日新聞 日曜版3月27日全面広告、朝日求人の吉田忠裕氏のことばより

たまたま、ブランドという一つのキーワードが頭に残っていたので、目に入った広告記事でもあった。

吉田氏はファスナーで世界的に有名なYKKの代表取締役をしている。そこにグローバルなスポーツ用品メーカーのアディダスの会長から全製品のファスナーを引き受けて欲しいと申し出があったのだ。しかもわざわざ、吉田氏が出向いていた富山工場まできて100%の供給を依頼したという。

これはアディダスが今後も世界を魅了するための執念ともいえる。そこに吉田氏はアディダス会長の品質を保つための気概を感じたという。YKKもまたグローバルな一流企業である証拠ともいえる。

また、エクセレントといわれるブランドは同時にメーカーの生産スピードにあわせられるだけのタフさを備えていることが必要だという。

こんなことから、ブランドはそれ自体が迫力でもあるといえそうだ。単に名前が知られているだけでなく、その中身の信頼度がすごいからこそ継続しているのだろう。“たかがファスナー、されどファスナー”という言葉も印象的だ。




ブランドは一日にして成らず。
at 2005 03/28 21:42 編集

「ブランド人になれ!」より

一日にして成らなかったものはローマだけではなかったことに気づかされた。

私たちが日ごろなじんでいる一流ブランドのマーク(例えばナイキにしてもアップルにしても)は認知されるまでには長い年月を経ている。

一流といわれるブランドのマークからはどれもシンプルでもパワフルなイメージが伝わってくる。しかも、それらは現在すべて信頼のマークでもあるのだ。

すでに確立されたもの(ブランド)は、はじめからそこにあるように思えるが、実際は無数の人々の信頼を勝ち得たからこそ、そこにあることを知るべきだろう。

自分のブランド化にはまず、どういうことが自分らしいかについてしっかりと確認する必要がある。そのためにアイデアと戯れ、自分の切り札は何か、弱点は何かについても考える必要がでてくる。

つまり目標意識をもって試行錯誤していくことがなけば、はじまらないのかもしれない。やはりこういうことも一朝一夕にはいかないものに思えてくる。

そこで、“ブランドは一日にして成らず”が理解できそうだ。頭で考えているうちは何事も前には進まない。アイデアを何らかの形にできたときがスタートといえそうだ。





偉大なるブランドは感情に訴える。
at 2005 03/27 21:34 編集

「ブランド人になれ!」より

確かに私たちはそのブランドを見るだけで安心してしまうことがある。しっかりしたブランドは「信頼のマーク」ということだ。

ブランド物という言葉をよく聞くことがある。そのブランドにあこがれたり、持っているだけでもワクワクしたり、喜びを感じたりするもの。それが容易に手に入らないものなら、おまけに自慢したくなるかもしれない。

そしてブランドは上記のように人の心を揺さぶるものでもある。つまり、私たちはしばしば感情に左右される。

本来製品のもつ機能よりむしろ心に訴えることのほうが大きいかもしれない。こう考えてみるとブランドの持つ力のスゴさがわかる気がする。やはりブランド力が大きいほど感情により訴えるということなのだろう。

さらに個人がブランド化しらたどうなるのだろう、と思ってしまう。




ブランド人になれ!
at 2005 03/26 15:20 編集

「ブランド人になれ!」トム・ピーターズ著の本のタイトル。

~~サブタイトルには“サラリーマン大逆襲作戦1”とある。これはシリーズになっていて1~3まである。数年前に発行されてすぐに読んで面白かったので、本棚にとっておいたものを再度取り出して読んでみたら気になるフレーズがいくつも出てきた。そこで、今日から数回にわたってこれらのシリーズから気になる箇所をいくつか取り出してみたい。~~

トム・ピーターズは米の経営コンサルタントで何冊ものベストセラーがある。

さて、「ブランド人」とはいったいどんな人をさすのかについて書いてある。それは会社勤めをしていても、個人事業主のように考え、行動するひとだという。誰にも頼らず自分の力で生きていける人だ。

さらに、ひとめで違いがわかるもの、お客さんを裏切らないもの、人の心を癒すもの、グッと来るものーーーそれがブランド人だという。

実際のブランドを考えてみればわかりやすい。世界の一流ブランドであるシャネル、カルティエ、ブルガリ、ルイ・ヴィトン、エルメス・・・それらには強力なファンが存在し、そのブランド力で信用されている。

人の世界も彼は「ブランド人の世界」と「雇われ人の世界」と仮に区別している。その気構えについて面白い比較があったので記してみたい。

☆「ブランド人」・・・日々、切磋琢磨し、達人を目指す。楽しくなければ仕事じゃない。一に行動、二に行動。すったもんだがあるから人生は楽しい。

☆「雇われ人」・・・書類とにらめっこして、時間をつぶす。仕事はつまらんものさ。メモさえとっておけばいい。ごたごたはもうたくさん。

というような違いらしい。

まあ、ひとつとしてこんな考え方もあるのかと改めて気づかされる。これから大いに今までの自分の行動を反省してみたい。(ややつらいが・・・)







“カラ元気”も出し方でいつかは本物になる!
at 2005 03/25 06:34 編集

『中村天風「勝ちぐせ」のセオリー』鈴村進著より

簡単に言ってしまえば、自己暗示ということだ。

とにかくカラ元気でも出しているうちに、潜在意識が芽生えてくるというものらしい。

だから、こんなことも言える。元気な人の周りには元気な人が集まってくる。そして、そこで交わされる会話も元気で活気にあふれている。その逆の消極的な場合もまたありえることになる。

ただし、注意しなければならないのは、それが惰性やマンネリにならないように工夫しなければならないことだ。いい意味での自己暗示の蓄積は自分を変えてくれるかもしれない。

とにかく、タダだからだまされたつもりでやってみても損はなさそうだな。




あやまちは消してしまうことができないけれども字なら消せる。
at 2005 03/24 13:13 編集

「文房具事典」のなかで目にしたフレーズ。

そのページには実際はいろいろな種類の消しゴムの写真が載っていて説明文はほとんどない。それにもかかわらず、(あやまちなどと)こんな人生についてまで書かれているようなところがすごい。

“あやまち”は何かをやらかしてしまうこと、つまり過失。
“あやまり”は間違えてしまうことだろう。

漢字で書いてみよう。「過ち」、「誤り」となる。かなりわかりやすいはず。
で、気になった表題をもう一度振り返ってみると、「過ち」と「誤り」をうまく混同させているところが面白い。

誤りは早いうちにサッと消したいもの。でも過ちは時間が経って薄れていくのを待つしかないか。

これを読んでなんだかわからない方には「謝ら」なければ・・・






誰かのゴミは別の人の宝。
at 2005 03/23 06:37 編集

AERA 3.28号より

パックンのHandy Englishのコーナーにあったフレーズ。

似たような言葉はどこかで聞いたことがあると思う人が多いかもしれない。

上記のものは、英語の“One man's trash is another man's treasure.”を直訳したもの。簡単に言ってしまえば、人の価値観はいろいろある、っていうことになる。つまり、フリーマーケットやリサイクルのことを思い出せば、わかりやすい。

また、別の英語のことわざには次のものもあることを思い出した。“One man's meat is another man's poison.日本語ではよく「甲の薬は乙の毒」と言うやつだ。

さて、今やっているホームページを振り返ってみれば、「ある人にはムダな情報も、別の人にとっては有益だ。」とも言えよう。

おまけ・・・treasure には動詞で「大事にする」、「熱愛する」っていう意味があることを知りましたね。




日記は仕事と人生のサポーター。
at 2005 03/22 06:55 編集

「日経ビジネス・アソシエ」2005.4.05号より


これはパイオニア専務の小林尚氏の話の中の言葉。

日記にはこんな使い方もあるっていう例を語っている。たとえば、目的達成のツールとして使う。

年頭にその年の目標を掲げて細かなチェック項目を書き出し、その項目を毎月採点していく。しかし、これにはかなり強い心構えが必要とされそうだ。

そして、氏にとって日記は、“人生のサポーターであり、人生を充実させてくれる道具”、だと言っている。

一般的に個人の人生のサポーターと思われるのは、家族、配偶者場合によっては家族の一員としてのペットなどではないだろうか。しかし、それらとは別に日記というのも利用の仕方では氏のいうようにサポーターにもなりうる。

また、最近ではブログやウェブ日記のように公開される日記の場合は、さまざまな人たちとの交流もサポーターといえなくもない。それがあるからこそ継続できるとも言えそうだ。

でも、ただの思いつきを綴っているだけのこんな自分のものはどうなんだろう。





実力はウソをつかない。
at 2005 03/21 06:33 編集

3月20日夕方のTBSラジオ番組「The road to super hero」より

青島健太のインタビューに対して松下浩二が答えている。

(松下浩二選手は日本初のプロ卓球選手。愛知県出身で1967年生まれ、現在37歳。全日本では何回も優勝経験がある。オリンピックには4回連続で出場を果たしている。)

上記のフレーズは彼が高野山に修行にいっているときに、そこの住職から言われた言葉だった。

つまり、実力がなくてもラッキーなことがあれば勝てるかもしれない。しかしそれは本物の実力とは違うものだ。

松下はさらに次の北京五輪も目指しているという。そのとき彼は41歳となる。

また常に努力して可能性をわずかでも伸ばしていきたいというのが、今の心構えらしい。

しっかりした目標を定めてそれに向かうためには、実力をつけることだけが頼りなのだ。

なんとかごまかしながら日々を過ごしている自分が反省させられてしまう。




過去の自分が、今の自分に新たなヒントをくれる。
at 2005 03/20 19:52 編集

「日経ビジネス・アソシエ」2005.4.05号より

これは予備校講師の表三郎氏がいっている言葉。彼は日記歴30年だという。

そして、日記を「読む」ことが「書く」ことと同じくらい重要だと考えている。結局読み返さなければ意味がないという。

彼はまた「読み返すと自分の知らない自分の姿が浮かび上がってくるのだ。」といっているが、そんなことが本当にあるのだろうか。

自分のことを振り返ってみれば、学生時代に書いていたものはすべて処分してしまっている。読み返す価値がないと思ったからだ。そして今書いているこんな思いつきも書きっぱなしで、読み返すことがないかもしれない。

でも、後で再び読み返そうと意識して書き続けるならもう少しまともなものになるのだろうか、とも思う。

いや、そんなことを考えたら書くのが疲れてしまい続かなくなるに違いない。(自分の場合は)とりあえず今までどおりだらだらやるかな・・・




少年の気分で、少女の気分で・・・
at 2005 03/19 09:57 編集

2005.3.19 新聞の全面広告の中にあったフレーズより

この日、小田急の新しいロマンスカーがデビューする。

タイトルは「ときめきを、ご一緒に。」となっている。

やはり新しくデビューする乗り物には何かしら、ときめきを感じる。

少年、少女だったころにはときめきを感じていたことも、大人になるにつれてすっかり感動も忘れてしまうもの。この新しいロマンスカーに乗れば、きっとそんなドキドキ、ワクワクした気分になれそうだ。

さて、最近みなさんは最近“ときめき”を感じたことありますかね。

私は以前はよくロマンスカーに乗っては居眠りをしていたものだ。今度この新しいロマンスカーに乗って(気持ちだけ)少年になってみるかな・・・新宿から箱根までの85分間だけでも。







むずかしいことを勉強することが学問ではない。
at 2005 03/18 21:52 編集

JAF Mate 2005.4月号より

福沢諭吉の独立自尊というコーナーに書かれていた言葉。

彼の「学問のすすめ」は有名だが、学問というとなんだかそれを聞いただけで、難しいもののように思えてくる。

しかし、それは生きた学問、つまり実学を意味していたのだ。たとえば、農業なら、どういうふうに作物を育てるのが効率がいいかなどを考えることになる。

結局、机上の空論では意味がなく、生きるために役に立つことを学んでいくことが大事なのだ。

振り返ってみれば、学生時代難しいことを覚えさせられたが、その後ほとんど役に立ってないですもんね。受験のためのテクニックなんてバカバカしい感じがしますね。

ただしそれを教える予備校や塾の講師にとってはそれ(受験に通るためのテクニックを教えること)は実学ともいえるか。




脳の中をマッサージされているよう。
at 2005 03/17 21:24 編集

「超簡単!ブログ入門」増田真樹著より

ブログは本格的なホームページに比べてかなりお気軽に始められる。何しろ一旦作ってしまえば、更新が簡単なことが何よりだ。

自分も気がつけばHPをはじめて5年も経っていることに気づく。

HPにしろブログにしろ、それを継続しているとさまざまな人と交流する機会は増えてくる。当然、価値観の異なる人の言葉と向きあうことにもなってくる。

付き合ったこともない人との掲示板への書き込みやコメントなどを通して、時には自分の知らなかった知識も得られたりする。

世代を超えた多くの人との交流で得られる刺激で気分転換も図ることができ、気持ちよくも感じられる。つまり脳の中をマッサージしてくれるといっていいのかもしれない。

でも私のHPを読んだ人は、もしかしたら疲れる?






ただ読むだけでなく、考え、調べ、検証する。
at 2005 03/17 23:29 編集

PRESIDENT 2005 2.14号より

なんとこれをやっているのは小学一年生だった。ある愛知県の小学校の授業で入学したばかりの一年生に辞書を引き活用することを教えた。すると子供たちはゲーム感覚で辞書引きを楽しんだという。

しかも、全学年での辞書引きのコンクールではその一年生が六年生を圧倒して上位10名を占めてしまったという。日々の訓練はすごいと思わせる。

さらに、国語辞典の間違いまでも指摘するまでになってしまう。たとえば、タンポポの背丈は15センチから30センチとある辞書には書かれている。しかし、中には50センチ、1メートルを超えるものもあるのだった。そんなことから、辞書にも嘘が書いてあることを実践から学んでいる。

辞書は引いてそこに書かれている意味を鵜呑みにするのではなく、考え、調べ、検証するものでもあったのだ。常識にとらわれた大人には見えないものも子供には見えている。





「ほしい」をカタチに。
at 2005 03/16 21:50 編集

先日小田急線の車内広告にあったコピー文。

普通の文なら、「欲しいを形に」となるはずだが、それらをひらがなやカタカナにしたのにはそれなりのメッセージ性を持たせたものと思われる。

新宿にあるデパートの広告で、陶器のマグカップの写真が載っている。このモーニングカップは作家もので肉厚の陶器で冷めにくいらしい。しかも、大きさも手になじみやすそうな感じがする。絵柄にはフクロウが描かれている。値段も高めだが、見るからにちょっとこだわり感が伝わってくる。このデパートのオリジナル商品だという。

本文の最後には次のように書いてある。「グッド・モーニング・カップで朝が楽しくなってきた」と。最後のセンテンスもちょっと面白いコピーだな、と思った次第。

“「ほしい」をカタチに”で思い出したことがありました。

かつて大型文房具店で一筆箋を探したことがあります。でも、なかなか自分の気に入ったものがなかったので、結局はパソコンで自分の好きなデザインのものを作ってしまいました。これもまた、好きなものを形にしたものだと気がつきましたね。そして、今でもいろんなバリエーションのものを作って使っていますね。これもまたオンリーワン。






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