ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

過去の日記。2005.3-2

2007年07月24日 | Weblog
骨太の仕事人生。
at 2005 03/14 06:45 編集

朝日新聞、日曜版「朝日求人」の安藤宏基氏のことばより

文章を読んでいて、いったいこれはどういう意味なんだろう、と思って気になりました。例えとして、いつくかのことが述べられていた。

まず、仕事をしていれば誰にでも失敗はつきものだが、それは悔いのないようにやった結果かどうか。ということで、自分自身納得できるものかを問うている。

同じようなことだが、適当なところで妥協しないでやったか、つまり持てる力を出し切ったかも大事だということなのだろう。

そして、自分で設けたハードルを全力で跳ぼうとする人間であるということ。おまけに安易なゴールを作らないことも必要だという。

以上を実行すれば「骨太の仕事人生」を歩める」ことになるのだ。

私は、さらにその前提条件として心身のコンディションをベストの状態に保っていなければ、それらをクリアーすることは困難なようにも思えた・・・な。(しかし、実行していくのはかなりハードでもありそう。)






高価なノートを使うことが“発想のフィルター”になる。
at 2005 03/12 18:03 編集

THE21 2005.4月号より

このコーナーは「仕事ができる人の秘密兵器(ビジネスグッズ)」という特集のなかで小山薫堂氏(放送作家)が語っている部分。

そんなこともあるんだろうか、とちょっと気になりましたね。この人がこだわっているのは高くて良質のノートを使うことで、自然に「いいアイデアを出さなきゃ」という気持ちになるからだという。

そのノートの写真を見ると8000円もする。それまでは300円程度の大学ノートを使っていたという。しかし安価なノートだと存在感がなくなくしやすいらしい。

私も安価な大学ノートを使っているが、外へ持って出ることもないのでなくしたこともなかった。それで、高価なノートと読んで少々驚いた。

私がそれほど高い値段のノートを使いたくないのは、悪筆だというのも理由だ。どうせ、悪筆なら安物でもいいだろうって思っているからでもありますね。かなり経済的でもあるか。






要領がいい人とは、要するにダンドリ上手な人のこと。
at 2005 03/11 21:15 編集

THE21 2005.4月号より

一般的に要領がいいといえば、マイナスのイメージでとらえられることが多い。しかし、実際は時間の使い方が上手な人のことだ。人にゴマをすったり楽をするということではなく、限られた時間内でそれなりの成果をあげられることが大事になってくる。

ある外資系の企業で働く人によれば、一つの仕事にほんとうに集中できるのは、だいたい1時間半程度だという。しかも、そのあとはリラックスタイムを作るのがコツらしい。

そういえば、大学の講義も90分単位になっていた。でも、講義によってはその90分間すべて集中できるわけもなく居眠りしたくなったこともあったな。

集中できる時間を分散して管理できる人がダンドリ上手だということになる。さっそく今からでも段取り名人への道を歩もう。






情報を吸い寄せる磁石
at 2005 03/10 21:06 編集

今朝、ちょっと面白そうな表現を思いつきました。それが上記のもの。

そもそもそんな表現を思いついたきっかけは、数日前に「関心のフック(釣り針)を多く持てば情報は自ずとかかってくる。」というフレーズを書いたときに遡る。「(その釣り針に)餌は付けといた方が良いんだろうか?(笑)」というご指摘があって、そのことについて考えてみた。

そしたら、この釣り針には「関心、興味、好奇心、問題意識」のようなエサをしっかりとつけておけば、無意識のうちにたくさんの針にはいろいろな情報が引っかかるということにも気づく。

それらは表現を変えれば、“情報を吸い寄せるための磁石”と同じものだと思った次第。本物の磁石が鉄だけを吸い寄せるのに対して、心の中の磁石は人の言葉さえも吸い寄せるかな。そして、“ちょっと気になる~”が“すごく気になる~”になったとき、その情報はその人にとって意味があるものになる・・・かも。




「アートソムリエ」という肩書き
at 2005 03/08 16:20 編集

AERA2005.3.14号より

この肩書きを考案したのは、絵画好きのある山本さん(57)というサラリーマンだった。

その前にサラコレっていう言葉もこの中に出てきた。これも初めて耳にする言葉だ。何かと思えば、小遣いで好きな絵画を買うサラリーマン・コレクターのことだそうだ。なるほど略せばそうなる。

さて、先ほどの山本氏は、毎週土曜日には10件ほどの画廊をまわるという。好きな絵画を見つけて購入するためだ。もちろん自分の趣味にあった作品との出会いを求めている。今後有望な作家を見つける楽しみもあるという。

アートソムリエなんて結構響きのいい言葉でもある。

3LDKのマンションの自宅にはぎっしりと買った絵画が詰まっているらしい。気になる値段は数万円から10万円台が中心で、上限は50万と決めている。

私は趣味としての絵画は描くことばかり考えていたが、このようにコレクションとして楽しむサラリーマンのコレクターがかなり存在することを知ってあらためて驚いた次第。

純粋に芸術を楽しみ、投機の対象でないところがまたいい。美味しいワインなんか飲みながらお気に入りの作品をたっぷり鑑賞できたら最高ですね。




関心のフック(釣り針)を多く持てば情報は自ずとかかってくる。
at 2005 03/07 21:10 編集

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」より

私たちはもし趣味や仕事でも、すでに関心のあることに関しては無意識のうちに情報をとりこんでいる。それは自然のことでもある。つまり、より多くのことに関心をもっていればそれだけ多くの情報を手に入れることはできる。

注意することは固定観念や思い込みがあると大切な情報は取れなくなってしまうことだ。

さらに、鈴木氏は関心のフックは挑戦する意欲でより磨かれるという。フックをより多く持つだけでなく、その針先を鋭くすることも大事になってくる。

きっちりとした情報を得ようとするなら、挑戦する意欲と問題意識が欠かせないことに気づかされた。




「予期しない出会いは、自分の人生をかえてくれるかも」
at 2005 03/06 07:03 編集

これは、ある方のウェブ日記にあった詩のように流れる文章の中のワンフレーズ。

なぜか同感だなあ、という気にもなった。

出会いは予期しないことのほうが多いかもしれない。現在親しい人との関係の元をたどってみれば、意外に偶然だったりするもの。

たまたま、同じ学校、職場、趣味だった・・・・数え上げれば切がない。

そんな人との出会いが人生を変えてくれるという。それはいいほうに解釈した場合だろう。でも、そうならその人にとってはラッキーなことだといえる。

ところが、場合によっては、予期しない出会いが自分の人生を変えてしまった、となったらどうだろう。それは、きっと不運の人生かもしれない。

これからも、自分にとっていい意味で人生を楽しく有意義にしてくれる、たくさんの予期しない出会いがあることを期待したいもの。




“理想を求める思いの原石”は誰の胸にも埋蔵されている
at 2005 03/05 22:24 編集

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」勝見明著より

簡単にいえばああなりたい、こうありたい、というのが理想を求める原石ということになる。それは誰もが思うことだが、それはどうやって磨いたらいいのだろうか。

鈴木氏は、その原石が磨かれるのは職場で直接いろいろな経験をするからだという。さらにはビジネスにおいては仮説を立てて挑戦する力ともなるらしい。

鈴木氏の大きくて強力な理論の一つは「仮説とその検証」だ。そのはじめの仮説創出力こそ大事なことだと述べている。

「新しいことに挑戦しようとする意欲、その心境こそが“生きる”ということではないでしょうか」(鈴木氏)

というふうに、ビジネスばかりでなく生きることそのものについても触れている。経営のなかに心理学を取り入れたところが、鈴木メソッドのようだ。

ちょっと異質なものどうしを融合させるとそこに化学反応が起こって今までにないものが生まれたりする。やはりとことん考えている人は一味も二味も違う!これから先を読むのが楽しみだ。




サービスが、マニュアル化された時点で、感動は薄れます。
at 2005 03/04 08:51 編集

「あなたのお客さんが戻ってくる!」より

そういえば、振り返ってみれば最近サービスで感動したことないな~って思える。

以前はあったが、もういつのことやら思い出せないくらいだ。

当たり前、日常になってしまったことには無関心、無感動になってしまう。それは事前情報が多すぎるということも考えられる。実際に体験する前に雑誌やテレビ、インターネットですでに擬似体験していることが多いから、感動も薄れてしまう。

お店でマニュアルどおりのサービスをされても大して嬉しくも感じない。やはりマニュアルにないことやそれを超えたことをして始めて満足を感じてもらえるもの。

人の作ったマニュアルでなくて自分だけのマニュアルを作ることも必要だ。それこそアナログの世界でなければならない。

こんどいつ感動できるサービスに出会えるかな。





「送りつける」と「送る」では大違い。
at 2005 03/03 06:43 編集

これは私がふと思いついたこと。

連日のように何通ものダイレクトメールが届く。それらは送るというよりむしろ送りつけられてくるという感じがする。

でも、「送りつける」と「送る」では大違いだ。送りつけるには大量、均一、印刷というイメージがつきまとう。

ダイレクトメールは「送りつける」、という感じがする。しかし、お礼状や個人の手紙は「送る」でなければならないはず。しかも、できれば「贈る」という気持ちをこめて書いたほうが気持ちが伝わるに違いない。

すると、そこには何か“わくわく”するものが含まれていたほうがよさそうだ。

手紙にしてもメールにしてもそんな気持ちになるものは極めて少ない。やはり、わくわく感を伝えるにはそれなりの技術も心も必要だろう。

いずれにしても、“手っ取り早い”というところからはそんな雰囲気は伝わらない。わざわざがあって初めて気持ちが伝わるかもしれない。

一通のハガキや手紙そしてメールにどれだけ気持ちをこめられるか・・・反省することばかりの日々。





人間に関する記憶というのは、サービスの記憶です。
at 2005 03/02 06:47 編集

「あなたのお客さんが帰ってくる!」中谷彰宏著より

これはレストランを例にとっての話。あとで思い出したとき金額についても、何を食べたかについてもすっかり忘れてしまうことが多い。

ところが、どんなサービスを受けたかについての印象は残っていたりする。

べつに、レストランのサービスに限らず、人の印象は長い間消えない。その人とのいい思い出があれば、それはずっと後まで心の中の宝物になるかもしれない。また、逆に感じがよくないことも覚えていたりする。

レストランでは味がよくてもサービスが悪ければそちらのほうが記憶に残ってしまう。そしてもしかしたら、ホームページも似たようなことがいえるかもしれない。

日記などに何が書いてあったかなどの内容よりも、掲示板での気持ちのいいやり取りが後まで印象に残ったりして・・・






今夜は話すことがたくさんありすぎて眠りに就くのが待ちきれない。
at 2005 03/01 21:23 編集

昨夜2月28日にアカデミー主演男優賞を受賞したジェイミー・フォックスのことばより。

レイ・チャールズの生涯を描いた作品、主演で熱演したジェイミーが俳優になるきっかけを作ったのは昨年亡くなった祖母だった。そのおばあちゃんとは今でも夢のなかで話をしているという。さっそく受賞の報告をしたくて眠りにつきたい気持ちをこう表現している。(一般的には興奮して眠れそうにもない、というところだろうが)

今日たまたまその映画「Ray」を鑑賞してきたが、彼の熱演は確かにレイ・チャールズがそこで演じているような錯覚をしてしまうほど。レイのヒット曲がいくつも歌われていて迫力満点でもあった。

これではアメリカで、昨年DVDが発売初日で200万本以上売れたというのもうなずける。

それとは別に、スポーツ紙ではアカデミー賞を各紙独自の視点でとらえているのも面白い。

【スポニチ】ジェイミー・フォックス「レイありがとう」

【サンスポ】グラミー&アカデミー どっちもレイ!!史上初

【ニッカン】イーストウッド映画4冠

【報知】「ミリオンダラー・ベイビー」やったぜ4冠

【デイリー】オスカー届かず レオ様無念 

と、レイの受賞をメインで報じているのは2紙で、あとはイーストウッドとディカプリオ。でも、現時点で日本国内で上映中のものは「Ray/レイ」だけですね。今夜はレイ・チャールズの歌声やメロディーが夢のなかに出てくるかな。



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