ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

生きて好まれ、命終わってなお価値を認められる。

2007年11月22日 | Weblog
「こぼれ種」青木玉著より。

そのあとには、次の一文があった。「人もかくてこそ、ちょいとなれるものならあやかりたいと思う木だ。」と。

つまり木について書かれた部分だったのだ。その木とはケヤキ(欅)のことだった。関東地方ではいまちょうどケヤキが紅葉している。日が当たっている街路樹のケヤキ並木は見ごたえがある。

ここには書かれていないが、このケヤキも春には小花が咲き実をつける。しかし、ほとんど見かけるケヤキは大木になっているので、小花や実は目につかない。

自宅の庭の片隅にケヤキの苗が育っていたことがある。もちろん植えた覚えもないのに。きっと鳥によって種が運ばれてきたのだろう。大きくなり過ぎると面倒なので切ってしまったが。

ケヤキは実に有益な樹木だった。古くから家具や神社仏閣の建築に用いられてきている。堅くて丈夫なのが特徴のようだ。磨くと光沢がでて高級家具ともなっている。

ありふれた木ではあるが生きている間は、春の新緑は人の目を楽しませ、また日差しの強いときには日陰を作って癒してくれる。また材としても役に立ってくれるから価値があると言えるのだろう。

蛇足

上記のフレーズはあとから、偶然にも11月2日(母親の)幸田文さんの『木』を取り上げた時の部分ともやや似ていたことに気づいた次第。
そして『木』を連載している時に、最後のとりはケヤキを取り上げるように青木さんは働きかけたと述懐している。しかし最後は「ポプラ」でした。


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