「逆境を生きる」城山三郎著より。
(前日のつづき)
ここでは御木本幸吉を引き合いに出していた。上記は、御木本幸吉が、色紙を頼まれた時に書いていた言葉だった。しかも、「Knowledge,luck,long life」という英語まで付けていたという。いずれにしても、「智」というものを重く見ていたのだ。
彼は、汽車に乗るとき決して二等車には乗らず、一等か三等に決めていたようだ。それは、当時の一等車なら、政財界の大物と乗り合わせる可能性があり、三等車なら庶民が乗ってくるため、大衆と肌で接していろいろな話が聞けたからだった。
貪欲に新しい知識を求めてやまなかったのだ。正規の教育を受けていなかったが、講演会があればその分自ら熱心に聴きに行き、最前列に座り自己紹介をして、質問をしたそうだ。
御木本は受信する能力も発信する能力も長けていた。成功した後も終生、好奇心のかたまりで、あらゆる機会を捉えて受信、吸収して自らの糧としていたそうだ。この姿勢こそが日本が世界に誇れる「ミキモト」ブランドのスタートだったのかな。
(前日のつづき)
ここでは御木本幸吉を引き合いに出していた。上記は、御木本幸吉が、色紙を頼まれた時に書いていた言葉だった。しかも、「Knowledge,luck,long life」という英語まで付けていたという。いずれにしても、「智」というものを重く見ていたのだ。
彼は、汽車に乗るとき決して二等車には乗らず、一等か三等に決めていたようだ。それは、当時の一等車なら、政財界の大物と乗り合わせる可能性があり、三等車なら庶民が乗ってくるため、大衆と肌で接していろいろな話が聞けたからだった。
貪欲に新しい知識を求めてやまなかったのだ。正規の教育を受けていなかったが、講演会があればその分自ら熱心に聴きに行き、最前列に座り自己紹介をして、質問をしたそうだ。
御木本は受信する能力も発信する能力も長けていた。成功した後も終生、好奇心のかたまりで、あらゆる機会を捉えて受信、吸収して自らの糧としていたそうだ。この姿勢こそが日本が世界に誇れる「ミキモト」ブランドのスタートだったのかな。
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