ブログやエッセイのよさは、厳密さを要求されない気楽さにある。
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
(前日のつづき)
確かに「すべての男は消耗品である」というような強引ない方をされれば、中にはそれに反発する人もいるかもしれない。しかし、言い切ってしまうところもまた面白いところだ。
賛否両論あるからこそ、インパクトがあるとも言える。やはりあたり前のタイトルでは、無数の本の中からは手にとってはもらえない。
齋藤氏は、言い過ぎ感こそ「表現の自由」というものではないだろうか、と述べているが、まさにそれは的を得ている。個人ブログでも、タイトルは言い過ぎるくらいでちょうどいいらしい。勇気がいるかな。
さらに、仮にそれが間違いであったとしても、誰にも迷惑がかかるわけではないという。まあ、コメントで突っ込まれたり、場合によっては炎上するかもしれないが。
まあ、独りよがりの言いぱなしの無責任では、読む人もいないだろう。たとえば、だらだらとつまらないことを書きつづけているこのブログのように。ま、いいか。
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
(前日のつづき)
確かに「すべての男は消耗品である」というような強引ない方をされれば、中にはそれに反発する人もいるかもしれない。しかし、言い切ってしまうところもまた面白いところだ。
賛否両論あるからこそ、インパクトがあるとも言える。やはりあたり前のタイトルでは、無数の本の中からは手にとってはもらえない。
齋藤氏は、言い過ぎ感こそ「表現の自由」というものではないだろうか、と述べているが、まさにそれは的を得ている。個人ブログでも、タイトルは言い過ぎるくらいでちょうどいいらしい。勇気がいるかな。
さらに、仮にそれが間違いであったとしても、誰にも迷惑がかかるわけではないという。まあ、コメントで突っ込まれたり、場合によっては炎上するかもしれないが。
まあ、独りよがりの言いぱなしの無責任では、読む人もいないだろう。たとえば、だらだらとつまらないことを書きつづけているこのブログのように。ま、いいか。