「違和感のチカラ」齋藤孝著より。
つまり、消去法で嫌なものを消していけば、残ったものが実は好きだったのだという判断もつくというこのなのだろう。趣味、好みがない人には嫌いもないわけだ。
身近な例では同僚とランチに行く時がそうだ。「何にする?」に対して「何でもいい」という答えが多いが、それが一番困る。肉、天ぷら、魚、和食、洋食、カレー、ラーメン、日本そば、イタリアン、すし、中華・・・。
そして、「ラーメン」といえば、きのうそれ食べたから今日は避けたいとなるだろう。その選択に困ってしまう。まあ、迷うほどあればそれも贅沢なのかもしれないが。とにかく、あれとあれは今日は食べたくない、となれば絞りやすくなる。
さらに「これではない」、という選択肢をたくさん挙げられれば判断しやすくなる。齋藤氏は「優れた決断とは、百の違和感、千の違和感によってふるい落とされたときに、手元に残ったものなのではないか」と語っている。
初めは違和感があったものの、時間の経過とともにそれは薄れてしまう。違和感センサーが鈍くならないようにするためには、立ち止まって考えることも必要そうだ。これでいいのだろうか?と常に疑問を持ちたいもの。
つまり、消去法で嫌なものを消していけば、残ったものが実は好きだったのだという判断もつくというこのなのだろう。趣味、好みがない人には嫌いもないわけだ。
身近な例では同僚とランチに行く時がそうだ。「何にする?」に対して「何でもいい」という答えが多いが、それが一番困る。肉、天ぷら、魚、和食、洋食、カレー、ラーメン、日本そば、イタリアン、すし、中華・・・。
そして、「ラーメン」といえば、きのうそれ食べたから今日は避けたいとなるだろう。その選択に困ってしまう。まあ、迷うほどあればそれも贅沢なのかもしれないが。とにかく、あれとあれは今日は食べたくない、となれば絞りやすくなる。
さらに「これではない」、という選択肢をたくさん挙げられれば判断しやすくなる。齋藤氏は「優れた決断とは、百の違和感、千の違和感によってふるい落とされたときに、手元に残ったものなのではないか」と語っている。
初めは違和感があったものの、時間の経過とともにそれは薄れてしまう。違和感センサーが鈍くならないようにするためには、立ち止まって考えることも必要そうだ。これでいいのだろうか?と常に疑問を持ちたいもの。