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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

星田神社秋祭りだんじり曳行

2022年10月16日 | 日記
 今日、星田神社秋祭りだんじり曳行が3年ぶりに執り行われた。広報レポーターをしている妻は「秋の山野草展」のため朝8時に家を出て枚方市民の森へ、代わりに私が曳行の様子を撮りにいくことになった。

 午前10時、星田だんじり保存会のみなさんによって江戸時代から受け継がれてきた五穀豊穣を感謝し、疫病退散などの様々な願いをこめ東の地車が太鼓と鉦の音高らかに宮司さんの先導で星田神社を出発岸和田のように勇壮に駆けるだんじりとは真逆で、星田区内の車一台通るのが精一杯の細い道幅しかないところを音頭取りの指示に従ってゆっくりとすり抜けるところが
見せ場。

 星田神社から星田駅までの1km弱の区間を往復するのだが、中間のスーパーニッコーまで1時間近くかかった。私も展示会の片づけの手伝いがあるので撮影はそこまで。自転車で戻り、早めの昼食を済ませ市民の森へ。秋祭りは今日が宵宮明日が例祭。

星田神社秋祭りだんじり曳行
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秋の味覚 サツマイモ届く

2022年10月15日 | 日記
 昨夕、保育園の帰りに孫と娘が立ち寄った。孫の通っている保育園で先日、芋ほり遠足がありたくさんのサツマイモを持ち帰ったのでおすそわけとのこと。芋の入った紙袋を重そうに持って来て、大きな芋を取り出して誇らしげな顔で見せてくれた。なかなかの豊作だったみたいだ。
《洗はれて紅奕々(えきえき)とさつまいも》日野草城 
 娘も迎えに行った時、サツマイモでパンパンになったリュックを見て驚いたと言っていた。その日、芋ごはんとふかし芋にして食べて孫はご満悦だったみたいだ。そして「残りはじいじとばあばに」となった。今計ると3kg余りだったから当日は5kg弱はあっただろう。リュックを背負って靴を履くためお尻を下ろしたら立ちあがるのに難儀していたと娘が笑って報告してくれた。孫の焦った様子が目に浮かんだ。どんなに重くても自分で収穫したものは自分で持ち帰りたい。それが子ども心だろう。

 薩摩芋は中国、琉球を経て薩摩に伝わり、青木昆陽が普及させたことはよく知られているが、農林水産省のホームページを見ると、人類とのかかわりは紀元前までさかのぼるみたいだ。
 
 メキシコを中心とする熱帯アメリカで生まれ紀元前800~1000年ごろには、中央アンデス地方でサツマイモがつくられていたそうだ。紀元前200~600年につくられた、サツマイモをかたどった土器も見つかっています。ペルー北海岸のあたりで栄えたモチーカ文化のものだ。

 ヨーロッパへは、コロンブスが15世紀の終わりにアメリカから持ちかえったのが始まり。しかし、涼しすぎて気候があわなかったので、あまりつくられなかった。あたたかいアフリカ、インド、東南アジアの植民地に持ちこまれたことで、世界中に広がった。

 1600年ごろ、中国から日本にやってきた。琉球から薩摩に伝わったので、サツマイモと呼ばれた。中国から来たいも=からいもとか、中国での名前と同じく、かんしょ、とも呼ばれていたそうだ。
 
 八代将軍吉宗のころに、蘭学者の青木昆陽によって全国に広められた。今の埼玉県川越市あたりはサツマイモの産地で、江戸から十三里あったので、ここから来る焼きいも屋のことを「十三里」とよんでいた。それにひっかけて、焼きいも屋が「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」とふれて売っていたそうだ。

 「老いも若きも サツマイモ いいもの前に 皆笑顔」
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菊芋

2022年10月14日 | 日記
 近頃はゴミの収集日で曜日を把握している。今日、金曜日は生ごみ。収集場所横に菊芋がしっかり伸びて黄色い花をつけている。
 

 菊芋を知ったのは、奈良方面に行った時に立ち寄った道の駅。「天然のインスリン」という宣伝文句が目に入った。当時、母や妻が血糖値を気にしていた時期だった。すべての野菜の中で、イヌリンが最も多く含まれているのが菊芋と書いてあった。イヌリンは体内で水に溶けるとゲル状になって余分な糖質を包み込み、結果的に消化・吸収を阻害すると言われています。菊芋を食前や食事中に摂取することで、急激な血糖値の上昇を抑えられるという。

 店の人から菊芋は簡単に育つが繁殖力が強く、背も高くなるから気をつけないといけないと言われた。大げさなと思ったが、想像以上に繁殖して大変だった。その割には芋の部分は育たなくて、3年ほどで厄介者になってしまった。母も妻も関心を示さず我が家では立ち消えてしまった。今、菊芋を見ると当時の菊芋だらけになってしまった無残な畑を思い出す。Mさんが管理している畑も年々菊芋が増えていっているように思う。見ている分にはいいが、「大丈夫かな?」といらぬ心配をしてしまう。

 栗の実も爆ぜてしまい、長く続いた栗の木の観察もおしまいとなった。
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恒例「秋の山野草展」の搬入無事終了

2022年10月13日 | 日記
10月14日(金)から3日間、妻が会長を務める枚方山草会の「秋の山野草展」が開催される。
 今日は、搬入準備の日。妻が入会して10年近くなるが、鉢運びは私の仕事。年々鉢の数が増えるのと他にも近隣の2人の方の鉢も一緒に運んでいるので、車2台を使ってもギリギリ一杯となってきた。会場が近くであればピストン輸送も可能だが、片道45分余りかかるので一度で運びきらないといけない。積み込みパズルのようで、私は結構楽しんでいる。

 朝、駐車場に集められた3人の鉢の入った箱をにらみ、頭をフル回転する。
 天気がよくて本当に良かった。雨の中の搬入程厳しいものはない。朝の積み込みから輸送、会場への運びこみ、準備の間は、余計なことを考える間もなく、100%集中といった感じである。

 私は、壁面に写真、押し絵、水彩画などの作品を飾るのが仕事。その間は壁とにらめっこでメインの山野草展の準備の様子はは目に入らない。
 

 すべての掲示が終わり振り返ると会場が見事にできあがっていた。この光景を見た時、自分の役割は終わったと、ホッと一息つく。
 

 片づけの日までは、ゆっくりと英気を養うつもり。ハプニングのないことを祈るのみ。
 市民の森はハロウィンムード一色のなか、緑化フェアを開催していた。


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今日は芭蕉の命日

2022年10月12日 | 日記
 今日の18時からのニュース「ホット関西」のクイズは、松尾芭蕉の命日に関するもの

終焉の地は、現在の大阪の何筋になるのか?という5択。


 小澤實さんの「芭蕉の風景」上・下(ウエッジ)は、やっと下巻に入ったところだが、命日ということで下巻の最後にスキップした。小澤さんが、最後に取り上げた句は清滝や波に散り込(こむ)青松葉であった。辞世の句として有名な旅に病で夢は枯野をかけ廻るでなかったのが意外だった。

 「旅に病で…」の句は、1つ前で取り上げ、弟子の路通が記録した芭蕉の言葉から、芭蕉はこの句を辞世の句として詠んだのではない。と解説している。弟子の路通は「芭蕉翁行状記」の中で、「平生則ち辞世なり」という芭蕉のことばを記録している。「先生はふだんの句がそのまま辞世の句ですと言っていました。そういう方にどうして臨終の折に辞世の句がありましょうか」と書いている。

 元禄七(1694)旧暦11月、今の10月、大坂の南御堂前の静かな家で死の床にあっても、芭蕉の頭から俳諧は離れず、多くの発句を改作してよりよき句に変えていた。「清滝や…」の句が、芭蕉の生涯、最後の改作となったものだ。

 「清滝や波に塵なき夏の月」を「大井川浪に塵なし夏の月」と改作。「旅に出て…」の句を詠んだ翌日、弟子の支考にこの改作した句が気に入らないと吐露し、臨終の床で清滝や波に散り込(こむ)青松葉と改作したという。この改作の持つ深い意味を小澤さんは述べている。「なるほど!」と思った。

天気予報が長引いてしまって、クイズの答えは3秒で終わり。今日の「ホット関西」は緊張感が走った終わり方であった。
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