8月21日のブログで書いたように、佐藤優の書評を読んで是非読みたいと思った本だった。しかし、注文すると「在庫切れ・入荷の見通し未定」となっていた。同じような思いの人が多いのだと思った。待つこと1ヶ月余り、9月末にようやく手にすることができた。
その頃には安倍晋三元首相の銃撃、殺害された事件も、山上容疑者の動機、旧統一教会への高額献金による家庭崩壊から政治家と旧統一教会との関係に視点が移っていた。関連団体を含め教会との関係を指摘された政治家の釈明が続いた。
10月中旬になると「旧統一教会への質問権の行使」という解散命令を視野に入れた新しい局面を迎えた。その間の国会論議、マスメディアの報道を見聞きすると8月21日のブログで抜粋した佐藤優さんの危惧が、私の中ではますます膨らんでいる。
「・・・この反省に立って戦後は国家が宗教団体の教義、人事、財務などに関与できないとする政教分離原則が確立した。なお日本の政教分離は国家が特定の宗教を優遇もしくは忌避することが禁止されているので、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動を行うことは認められている。仏教の寺やキリスト教の教会が国家から独立して活動できるtsめに重要なのは独自の経済的基盤を持つことだ。旧統一教会問題で宗教団体への献金に制限を設けようという主張をする政治家と有識者がいるが、そのような事態になれば憲法で保障された信教の自由が実質的に担保されなくなる。この点についてのマスメディアと有識者の感覚が鈍いことに評者は危惧を覚えている。」
古今東西を見れば宗教と政治の関係こそが、人類の永遠の課題に思えてならない。宗教が政治(政治家)を取り込もうとするのは必然のことであって、旧統一教会が政治家とのコンタクトに力をいれてきたことは驚くに値しない。問題は政治家側の脇の甘さだろう。でも、このことは旧統一教会だけに限ったことではない。公明党と創価学会、日本会議と自民党、靖国参拝問題など宗教と政治の関係は根深いものがある。
鵜飼さんの本を読み進めると仏教界が明治維新政府によって出された「神仏分離令」(1868年)によって、幕藩体制の下での寺請制度で過剰に庇護されてきた権限を失ったことが国家体制へのすり寄りという動きを産み出したことがよくわかった・
この法令を拡大解釈した「私的な」仏教弾圧である廃仏毀釈に加え、明治政府による「公的な」仏教弾圧「上知令(あげちれい)」(1871年、1875年)によって、全国の寺領が宗教儀式にかかる主要な境内地を除き、すべて没収され大打撃を与えられた。
このあたりの宗教界の動きを資料をもとに書かれている部分を今読んでいる途中だが、「う~ん」と唸ることが多い。そして今起こっている旧統一教会問題も一筋縄ではいかないぞという思いを強く持った。
たくさんの示唆を与えてくれる鵜飼さんの本である。
その頃には安倍晋三元首相の銃撃、殺害された事件も、山上容疑者の動機、旧統一教会への高額献金による家庭崩壊から政治家と旧統一教会との関係に視点が移っていた。関連団体を含め教会との関係を指摘された政治家の釈明が続いた。
10月中旬になると「旧統一教会への質問権の行使」という解散命令を視野に入れた新しい局面を迎えた。その間の国会論議、マスメディアの報道を見聞きすると8月21日のブログで抜粋した佐藤優さんの危惧が、私の中ではますます膨らんでいる。
「・・・この反省に立って戦後は国家が宗教団体の教義、人事、財務などに関与できないとする政教分離原則が確立した。なお日本の政教分離は国家が特定の宗教を優遇もしくは忌避することが禁止されているので、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動を行うことは認められている。仏教の寺やキリスト教の教会が国家から独立して活動できるtsめに重要なのは独自の経済的基盤を持つことだ。旧統一教会問題で宗教団体への献金に制限を設けようという主張をする政治家と有識者がいるが、そのような事態になれば憲法で保障された信教の自由が実質的に担保されなくなる。この点についてのマスメディアと有識者の感覚が鈍いことに評者は危惧を覚えている。」
古今東西を見れば宗教と政治の関係こそが、人類の永遠の課題に思えてならない。宗教が政治(政治家)を取り込もうとするのは必然のことであって、旧統一教会が政治家とのコンタクトに力をいれてきたことは驚くに値しない。問題は政治家側の脇の甘さだろう。でも、このことは旧統一教会だけに限ったことではない。公明党と創価学会、日本会議と自民党、靖国参拝問題など宗教と政治の関係は根深いものがある。
鵜飼さんの本を読み進めると仏教界が明治維新政府によって出された「神仏分離令」(1868年)によって、幕藩体制の下での寺請制度で過剰に庇護されてきた権限を失ったことが国家体制へのすり寄りという動きを産み出したことがよくわかった・
この法令を拡大解釈した「私的な」仏教弾圧である廃仏毀釈に加え、明治政府による「公的な」仏教弾圧「上知令(あげちれい)」(1871年、1875年)によって、全国の寺領が宗教儀式にかかる主要な境内地を除き、すべて没収され大打撃を与えられた。
このあたりの宗教界の動きを資料をもとに書かれている部分を今読んでいる途中だが、「う~ん」と唸ることが多い。そして今起こっている旧統一教会問題も一筋縄ではいかないぞという思いを強く持った。
たくさんの示唆を与えてくれる鵜飼さんの本である。