国会で昨日、安倍晋三元首相の追悼演説を立憲民主党の野田元首相が行なった。その事が決まった時、どんな演説になるのかな?と興味津々であった。私の頭の中には10年前の11月にあった党首討論が強く残っている。野党であった安倍さんが挑発的に野田首相に迫り、消費税増税を巡り丁々発止のやり取りの末、野田さんが「消費税増税」を担保に、突然の解散総選挙の約束を宣言した。聞いていた私は「アッと驚く為五郎」になった。「おいおい敵の挑発に乗っていいのか?無謀な勝負と違うか?」と思わずつぶやいた。
その結果、政権可能な二大政党による政治というものが儚く散ってしまった。政治体制の大きな分岐点で主役を演じた2人が、追悼する側とされる側になったのだから運命の皮肉も感じた。
さて、その演説だが久々に言葉の力を感じる格調の高いものだった。今日の朝刊で追悼演説詳報を改めて読み直したがよく練られた一語一語に魂の入った文章で長く残しておきたいと思った。
合わせて、古賀攻さんのコラム「水説」の「追悼演説は誰のため」を読むとその価値がよくわかった。
野田さんが演説の最後に議員に向けて発した言葉「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんんか。」は政治の原点だと思う。
その結果、政権可能な二大政党による政治というものが儚く散ってしまった。政治体制の大きな分岐点で主役を演じた2人が、追悼する側とされる側になったのだから運命の皮肉も感じた。
さて、その演説だが久々に言葉の力を感じる格調の高いものだった。今日の朝刊で追悼演説詳報を改めて読み直したがよく練られた一語一語に魂の入った文章で長く残しておきたいと思った。
合わせて、古賀攻さんのコラム「水説」の「追悼演説は誰のため」を読むとその価値がよくわかった。
野田さんが演説の最後に議員に向けて発した言葉「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんんか。」は政治の原点だと思う。