素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「足立原 貫」 なつかしい名前を夕刊で

2009年12月03日 | 日記
 今日の夕刊の『憂楽帳』という小さなコーナーに、『教育十字軍』というタイトルのコラムが目に入った。



 足立原 貫さん、79歳になって、まだがんばっているんやと感慨深く読ませてもっらった。富山県立技術短期大学の教授であった足立原さんは「農業が世襲的な古い体質を残し受け継がれてきているが、後継者問題をはじめとしておのずと限界が出てくる。逆に、農業に興味を持っても農家に生まれなかったら、なかなか農業という仕事につけない。そのあたりを変革していかないと農業の将来は暗い」という思いで、1967年(昭和42)に教え子たちと廃村(富山県上新川郡大山町小原)を拠点に『農業開発技術者協会』を結成した。

 “文明批判の実践”の取り組みとして、1970年(昭和45)に「人と土の大学」を開講し、1974年(昭和49)に「草刈り十字軍」の運動を始めたのである。私は、大学2年の時に「人と土の大学」に参加した。廃村のリフォームされた家屋で、大学の先生を中心に、いろんなことをテーマにして語り合った。

 足立原さんは、実践者の立場を貫かれている人である。だから“やらされる者”と“やる者”を明確にくべつしている。

 “やらせる者”が“やらせる者の発想と論理”で青写真を描いてみせ、“やらされる者”がその青写真通りにやらされようとしてきたところに「農業問題」の根があると考えている。これを打破するには“やる者”としての発想と理念を確立して生き方を変えなければいけないと説いた。

 著書の中でこう述べている。『強制的にやらされるのではなく、好きで自分からすすんでやるのであればこそ、苦労も苦労と思わずに、きびしい試練やさまざまな困難をのりこえようとするチエやチカラもわいてくるでしょうし、情熱も燃えてくるでしょう。そのチエやチカラや情熱によって自信も持てるでしょう。
 そして、やりたくてやるのであればこそ、やっていることに誇りも抱けるし、喜びも生まれてくるのではないでしょうか。そこに出てくる仕事への「自信」や「誇り」や「喜び」は、“やらせる者”が“やらされる者”へ向かって、「自信を持ってやれ」とか「もっと誇りを持て」とか「仕事の喜びを知れ」などという“説教”のなかのコトバとしてだけの「自信・誇り・喜び」ではなく、“やる者”がやる者の姿勢で仕事をやっていくうちに、誰に教えこまれるのでもなく、自分自身で体得するし、次に自分がやることの原動力となる「自信」や「誇り」や「喜び」なのです。』


 1週間ほどの大学であったが、足立原さんの実践者の論理は農業だけではなく教育においても同じであると思い、私の発想の土台になった。氏は厳しくこう言い放つ。『“やる者”に“道標”と“手引き書”はない。』

  
コメント
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