『てっぱん』にははまったが、『おひさま』はまったく受けつけなかった。視聴率は高かったみたいだが、100%好い人タイプのヒロインは苦手である。調合の匙加減は微妙だがどこかに毒を持っていないと面白くない。
『カーネーション』の第一回は1924年(大正13年)9月の岸和田だんじり祭の日から始まった。だんじりを曳くシーンの映像を見た時「なかなかのものだ!」と思った。だんじりの迫力を出すことはむずかしいだろうと期待していなかっただけにそのカメラワークにひきつけられた。以後毎朝見てきたが映像の良さにホーッと声を出すことしきり。気になったので調べてみると『龍馬伝』で話題になった“30Pプログレッシブカメラ”を使っているとのこと。『龍馬伝』はほとんど見ていないが従来の映像より深味のある映画タッチのものになっているという宣伝は覚えている。
従来のものとプログレッシブカメラとの原理上の違いを読んだがさっぱりわからない。しかし、だんじりのシーン、舞踏会のシーン、川に流されるシーンなどは朝ドラのレベルを超えたものになっていることは確かである。カメラワークでわくわくさせてくれるテレビドラマに出会うのは年に数えるほどだが、毎朝お目にかかれるとはうれしいかぎりである。レベルダウンしないことを祈る。
もう一つは、歴史背景にある。大正から昭和にかけて民主主義(デモクラシー)と専制主義(オートクラシー)がぶつかり新しい潮流が生まれ、先行き不透明で不安定な政情ながら、一方で大衆文化が花開くという“明るく不安な時代”を生き抜くヒロインにも興味を覚える。特に今週は“女であること”で社会的に制約を受けることに疑問を感じる11歳のヒロイン(大正2年生まれ)がよく描かれている。女性が職場に進出を始め、政治に参加することを強く求めるようになってきた時代背景とうまくマッチしている。
女性の権利獲得の歴史は、基本的人権を考えていくうえでとても重要であると思っている。
日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であった。しかし、参政権が付与されたのは男性のみであった。
普通選挙法により選挙権を与えられなかった女性達は、1911年に青踏社、1920年に新婦人協会を結成した平塚雷鳥や市川房枝を中心として婦人参政権の獲得を目指して運動を続けるが、世間からは「新しい女」として白眼視された。この普通選挙法に基く選挙は1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙から1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)まで計6回行われた。
婦人参政権の獲得運動は、戦前の日本において、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。
1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案になった。
戦後のGHQによる民主化により1945年(昭和20年)12月に改正衆議院議員選挙法が公布され、全ての成人男女による完全普通選挙がようやく行われるようになった。
1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。
明治末年からの長い婦人運動苦闘の歴史を経て、日本女性の中には政治的権利を希求する意識が着実に醸成されていた。戦争終結後の数日目には、早くも新たな婦人団体が立ち上げられ、再び婦人参政権要求の声が上がり、翌年の総選挙で多数の女性議員が誕生したのも、そのような日本における婦人運動の成果であったと言える。
そのようなことも思いながらドラマを見ると違った味わいもある。
『カーネーション』の第一回は1924年(大正13年)9月の岸和田だんじり祭の日から始まった。だんじりを曳くシーンの映像を見た時「なかなかのものだ!」と思った。だんじりの迫力を出すことはむずかしいだろうと期待していなかっただけにそのカメラワークにひきつけられた。以後毎朝見てきたが映像の良さにホーッと声を出すことしきり。気になったので調べてみると『龍馬伝』で話題になった“30Pプログレッシブカメラ”を使っているとのこと。『龍馬伝』はほとんど見ていないが従来の映像より深味のある映画タッチのものになっているという宣伝は覚えている。
従来のものとプログレッシブカメラとの原理上の違いを読んだがさっぱりわからない。しかし、だんじりのシーン、舞踏会のシーン、川に流されるシーンなどは朝ドラのレベルを超えたものになっていることは確かである。カメラワークでわくわくさせてくれるテレビドラマに出会うのは年に数えるほどだが、毎朝お目にかかれるとはうれしいかぎりである。レベルダウンしないことを祈る。
もう一つは、歴史背景にある。大正から昭和にかけて民主主義(デモクラシー)と専制主義(オートクラシー)がぶつかり新しい潮流が生まれ、先行き不透明で不安定な政情ながら、一方で大衆文化が花開くという“明るく不安な時代”を生き抜くヒロインにも興味を覚える。特に今週は“女であること”で社会的に制約を受けることに疑問を感じる11歳のヒロイン(大正2年生まれ)がよく描かれている。女性が職場に進出を始め、政治に参加することを強く求めるようになってきた時代背景とうまくマッチしている。
女性の権利獲得の歴史は、基本的人権を考えていくうえでとても重要であると思っている。
日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であった。しかし、参政権が付与されたのは男性のみであった。
普通選挙法により選挙権を与えられなかった女性達は、1911年に青踏社、1920年に新婦人協会を結成した平塚雷鳥や市川房枝を中心として婦人参政権の獲得を目指して運動を続けるが、世間からは「新しい女」として白眼視された。この普通選挙法に基く選挙は1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙から1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)まで計6回行われた。
婦人参政権の獲得運動は、戦前の日本において、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。
1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案になった。
戦後のGHQによる民主化により1945年(昭和20年)12月に改正衆議院議員選挙法が公布され、全ての成人男女による完全普通選挙がようやく行われるようになった。
1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。
明治末年からの長い婦人運動苦闘の歴史を経て、日本女性の中には政治的権利を希求する意識が着実に醸成されていた。戦争終結後の数日目には、早くも新たな婦人団体が立ち上げられ、再び婦人参政権要求の声が上がり、翌年の総選挙で多数の女性議員が誕生したのも、そのような日本における婦人運動の成果であったと言える。
そのようなことも思いながらドラマを見ると違った味わいもある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます