素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

山口県勢夏の甲子園優勝校は柳井高校だった!

2022年08月24日 | 日記
 息子と一緒にテレビ観戦した第104回全国高校野球選手権の仙台育英と下関国際の決勝は「仙台育英が勝てば東北勢春夏通じて初、下関国際が勝てば山口県勢63年ぶりの優勝」というのがうたい文句だった。

 その時息子が「中国地方だと広島県や岡山県の高校は浮かぶが山口県で強い学校あったかなあ?」とつぶやいた。私は即座に、「下関商業かな?
池永というすごいピッチャーがいた。」と答えが、27年差のある息子には下関商業や池永という名前など頭の中にひとかけらもない。私ですら、自分がいくつの頃だったかがはっきりしていない。仙台育英が優勝したので山口県の話はそれっきりになった。

 ところが息子は気になっていたみたいで、夜になって「優勝したのは柳井高校やで」と報告してくれた。私の記憶にない学校だと言うと「あの板東英二に勝って優勝したらしい。」ときたから「たしか徳島商業やったな」と私も興味を覚え、調べてみた。

 1958年8月8日から8月19日まで阪神甲子園球場と阪急西宮球場で行われた全国高等学校野球選手権大会だったので、7歳の私には記憶がなくて当たり前である。

 この大会は、第40回の記念大会だったので、沖縄の代表が初めて参加したことや優勝旗が新調されたり、引き分け再試合規定が制定されたりと新たな一歩を踏み出したと言っても良いものだと思った。

 決勝戦のスコアを見ると、一方的なゲーム展開のように思える。あの板東が?と気になって調べると、準々決勝で徳島商―魚津が延長18回引き分け再試合となり、徳島商の板東英二投手は6試合で奪三振83個を記録した。とあった。決勝ではおそらくバテバテで本来の力は出なかったのだろうと推察する。

8月19日

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R  H  E
徳島商 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0  4  2
柳 井 0 3 0 1 0 0 0 3 X 7  14 1
(徳):板東 - 大宮
(柳):友歳克 - 久保

 池永投手を擁する下関商業が活躍したのは、その5年後の1963年(昭和36年)になる。私が中学生の頃だったのだと確認できた。

 投手として3季連続で甲子園に出場した。2年時の春は北海道代表として春夏通じて初めて決勝に進んだ北海高校を10-0で退けて優勝し、夏は決勝の対明星高校戦で完投するが1-2で敗れ準優勝だった。3年の春の選抜は初戦の博多工業に敗れ、夏は県大会で亀井進を擁する早鞆高校に敗れた。とあった。

 プロ野球の西鉄でも活躍したが「黒い霧事件」に巻き込まれ球界を去ったが、いろいろな関係者の話を総合すると身体能力が飛びぬけていて投手としても一流だったが足も速く、打撃センスも抜群だったみたいだ。今でいう大谷選手に匹敵する選手だったようだ。私の記憶に残っている投手の一人だ。

 コロナ禍のおかげで、息子と野球談議ができ、古い記憶が少し整理できた。コロナ禍は悪いことばかりではない。

 
コメント
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