日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第九項 「偽造写真」を根拠とした人間性無視の卑劣な讒言・誣告を破折する

1997-12-15 | 創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す

 第九項 「偽造写真」を根拠とした人間性無視の卑劣な讒言・誣告を破折する



 「末法無戒」とあるとおり、酒や女で遊んでも根本的には問題ない。
(文責者注・右文は創価学会が宗門の主張として挙げたもの)

 堀日亨上人が「有師化儀抄註解」において「化儀抄」の
『破戒無智にして上位となすべからず』(富士宗学要集1巻P.146)
の文を引き、厳しく御指南されているのも知らないで、よくそんな愚かなことが言えたものです!

 実に誣告、欺瞞の言である、と言っておきます。このようなことを、日蓮正宗でどこに言っているのか。「よくそんな愚かなことが言えたものです!」と言う以上、明らかにその具体的事実を示してみなさい。文なく義なきに、言い掛かりをつけるべからず、と一蹴しておきます。


 『三界恩愛の家を出て永く煩悩と別るる事が出家僧侶の義分なれば持戒清浄が本意なり乃至末法無戒と示し給ふも、唯正像末の時の区別に従ふ大判にして・持破に超然たれと云にあり、敢えて酒食婬事に耽溺(たんでき=おぼれること)して末法無戒と誇れと云はしめんとにはあらざるなり『破戒無智にして上位となすべからず』とは此れ末法無戒が宗門の誇にあらざることを顕し給へり乃至「上位」とは班中の上首なり本山にては貫首・末寺にては住職等なり』(富士宗学要 集1巻P.148)
と、末法無戒と言って坊主が酒食婬事(宴会や女性との淫らな遊び=芸者遊び)をして遊ぶのは許されるものではないこと、さらにはそのような生臭坊主を法主や住職にしてはならないと厳しく御指南されているではありませんか!恥を知るべきです!
 日興遺誡置文においても、
「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の婬犯有りと雖も衆徒に差置く可き事」
と、法主が淫行をしたら平僧にするべきである、とまで明言されているではありませんか!日顕宗の坊主どもは、いったいどこに目をつけて御書を読んでいるのでしょうか?
 日顕宗のクソ坊主どもは、日興上人の遺誡置文を引かれた日亨上人の嘆きに耳を傾けるべきです。
  「開山上人がこの法度に『先師の如く予が化儀も聖僧たるべし』と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埒破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埒を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の僧行を認めたものではない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。』(富士日興上人詳伝(下)P.272)

 さて、日蓮正宗においては、僧俗和合して厚い相互の信頼のもとに、大聖人、日興上人、日目上人の垂訓を根本として、日夜、正法護持興隆に努めております。邪教と手を握り、本筋よりすべて逸脱した創価学会如き者とは、本質的に異なっているのであります。
巷間に伝え聞く様々な犯罪等の関係者として,創価学会の会員の関与が多いとも聞いております。おまえらがここに挙げたような文証に,すべて本質的に背いているのが学会員であり,日蓮正宗は信心の上から孜々としてこの文義を体し,広布に励んでいるのであります。
 次に「末法無戒と言って坊主が酒食淫事をして遊ぶ」云々は、まず、おまえら創価学会の捏造・欺瞞による写真偽造事件のことでありましょう。その経過より見て、わざわざ写真を偽造する手の込んだやり口は、ことごとく芸者遊びという悪口誹謗を仕立てる意味であり、これは、そのしからざる所以を訴え、目下、係争中のことではありませんか。しかれば、確定事項の如く言うことは、道理に反することであります。
 また、その創価学会の論拠は、スリ替え、捏造であることを、当方は明らかに主張しております。もし、いまだ国法の裁きで決定しないことを事実と言うなら、おぞましい池田大作の女性問題事件こそ、恥知らず、色魔と言うべきであります。これこそ人倫にもとる大破廉恥事件であり、写真偽造事件の内容と同日の談ではありません。
 写真偽造事件は、椎名法宣、阿部法胤の両名が古稀を迎え、その祝いとして一席設けたいので、ぜひ出席をと頼まれて、日開上人の遺弟一同、それにその関係者の寺族、弟子、子供等が加わって、それらの人々の企画によって宴席の一切が行われたのであります。故に、場所、内容等の設定には、日顕は一切関知していないし、招待を受けたから行って、その宴席で一時を過ごしたというだけであります。ただ、宴席にいた者からの希望による記念写真やスナップ写真を撮った者があり、それが反逆僧・椎名法昭の手によって、のちに創価学会に渡り、この写真をいかにも日顕が芸者遊びをしている如き印象と受け取れるように造り変え、偽造して、大々的に芸者遊びと宣伝したものであります。
 この経過を正しく見れば、日顕が芸者遊びをしたという事実はどこにもありません。それをやみくもに決定としてしまうところに、池田大作の指導である「ウソも百遍繰り返せば真実になる」という、人間性無視の卑劣な創価学会の体質がある、と指摘しておくものであります。

 芸者遊びに狂っている坊主どもは、「一時の変体」どころか、「常時変態」である。恥を知りなさい。そして、そのような坊主を絶対に法主や住職にしてはならない、平僧にしろ、というのが、大聖人門下の正しい化儀なのです。

 最後の「芸者遊びに狂っている坊主どもは、『一時の変体』どころか、『常時変態』である。恥を知りなさい」という言は、正宗僧侶が常に芸者遊びをしているということらしいのですが、証拠もなく当てずっぽうを言うなかれ、と言っておきます。
 あるならば、その実証を挙げなさい。推測の誹謗を邪推・虚言と言うのです。
 師匠が師匠なら弟子も弟子で、色魔の池田大作を師匠とする創価学会幹部には、とかく女性問題が多いようです。「常時変態」は、おまえ達学会幹部のことではないのか。自らの卑しい心根や行状を元に、他に対して想像を逞しくするなかれ、と言っておきます。

 

※『第十項 『化儀抄』の御供養取り次ぎに関する条項を「ネコババ防止の化儀」と冒涜する妄言を破折する』へつづく

 

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