次は、「麗花集断簡(八幡切)」(平安時代、伝小野道風筆、彩䇳墨書、
26/12.5cm、一幅、TNM所蔵)は、平安時代の私撰集「麗花集」巻7
「恩」を書写した断簡で、山城国の男山山頂に鎮座する石清水八幡宮
に收藏されていたことから「八幡切」の名がついている。
「麗花集」の撰者は不詳で、全10巻あったとされるものの完本が残
っておらず全容が判明していない。現在の同集古筆は「八幡切」と
「香紙切」の二つの断簡が存在している。
光悦が生きた16世紀末から17世紀初頭にかけて、石清水八幡宮瀧本
坊の住職・松花堂昭乗は、光悦、近衛信尹とともに“寛永の三蹟”と謳
われた近世初期を代表する能書で、画僧、茶人とした文化人だった。
さらに昭乗は青蓮院流や大師流といった平安時代の和様書を学び、
自らの書風を確立してその書は後に“松花堂流”と呼ばれる。光悦と同
様に昭乗も平安時代の古筆を手元に学んだのだろう。
TNM(台東区上野公園13-9)
26/12.5cm、一幅、TNM所蔵)は、平安時代の私撰集「麗花集」巻7
「恩」を書写した断簡で、山城国の男山山頂に鎮座する石清水八幡宮
に收藏されていたことから「八幡切」の名がついている。
「麗花集」の撰者は不詳で、全10巻あったとされるものの完本が残
っておらず全容が判明していない。現在の同集古筆は「八幡切」と
「香紙切」の二つの断簡が存在している。
光悦が生きた16世紀末から17世紀初頭にかけて、石清水八幡宮瀧本
坊の住職・松花堂昭乗は、光悦、近衛信尹とともに“寛永の三蹟”と謳
われた近世初期を代表する能書で、画僧、茶人とした文化人だった。
さらに昭乗は青蓮院流や大師流といった平安時代の和様書を学び、
自らの書風を確立してその書は後に“松花堂流”と呼ばれる。光悦と同
様に昭乗も平安時代の古筆を手元に学んだのだろう。
TNM(台東区上野公園13-9)