江戸時代の資料にも「山海経」「貫匈国」の住人が出てくる。
この「弘賢随筆」は、幕臣で能書家、故実家、蔵書家の屋代弘賢
(1758~1841)の手元になった雑稿を取りまとめ、全60冊に綴ったも
の。その原稿の大部分が毎月15日に開かれていた会合「三五会」に
提出された原稿である。
展示されていた資料は、幕臣の故実家・栗原信充(1794~1870)
が持ち寄ったもので、「穽胸国」(胸に穴がある人が住む国)につい
て、山海経の記述と「三才図会」に載せる「穿胸国」の記述を引用
している。
(公立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)
この「弘賢随筆」は、幕臣で能書家、故実家、蔵書家の屋代弘賢
(1758~1841)の手元になった雑稿を取りまとめ、全60冊に綴ったも
の。その原稿の大部分が毎月15日に開かれていた会合「三五会」に
提出された原稿である。
展示されていた資料は、幕臣の故実家・栗原信充(1794~1870)
が持ち寄ったもので、「穽胸国」(胸に穴がある人が住む国)につい
て、山海経の記述と「三才図会」に載せる「穿胸国」の記述を引用
している。
(公立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)