明治時代の学校行事には、遠足や運動会と並び、元旦や紀元節
(2/11)、新嘗祭(11/23)などの祝日大祭日は学校へ行き、それぞれ
の儀式を行うことが定められた。
元旦は学校長や教員および生徒が式場に集まり、そこで天皇皇
后両陛下の御影に対して最敬礼し、万歳の後に唱歌を合唱した。
祝日大祭日で歌われる唱歌は、明治26年(1893)8月12日に文部
省告示第3号により定められ、正月には“一月一日”が歌われた。
この“一月一日”は、大正2年(1913)に第2章の歌詞が“あき(明)
らけく 治まる御代の“から、“さしいでて 四方に輝く”と変更され
ている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)
(2/11)、新嘗祭(11/23)などの祝日大祭日は学校へ行き、それぞれ
の儀式を行うことが定められた。
元旦は学校長や教員および生徒が式場に集まり、そこで天皇皇
后両陛下の御影に対して最敬礼し、万歳の後に唱歌を合唱した。
祝日大祭日で歌われる唱歌は、明治26年(1893)8月12日に文部
省告示第3号により定められ、正月には“一月一日”が歌われた。
この“一月一日”は、大正2年(1913)に第2章の歌詞が“あき(明)
らけく 治まる御代の“から、“さしいでて 四方に輝く”と変更され
ている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)