二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

小林生観さん 講演会に行く ②

2009年04月30日 | その他の活動
年300回を超える講演回数をこなす生観さんが、冒頭で話された言葉が、
「私は好きで講演会をやっているんじゃないんですよ~」
でした。ただ人から頼まれた頼み事をひきうけて死んでいく、そんなスタンスで人生を歩んでおられるようです。

その話と前後して、「好きか、嫌いかではなく、ただ淡々と生きている」と話されていましたが、この辺りは、私は達観していないので理解できないことですが、要は、自分のペースで、自分の使命を、自分なりに全力を尽くすことが大切なのだと思いました。人と比べる必要はなく、競争することや、優劣をつけることが人生の真理ではないということと理解しました。

様々な例をあげながら、「教育というのは、称賛し、救済することであって、教えるということではありません」「すべての人に対し、同じ対応をとることが信頼につながります」「お金が欲しい!結婚したい!と自我を欲すれば欲するほど遠ざかるようです」

現代社会は競争することが求められる社会です。教育、経済、政治、すべての事柄において競うことが当たり前のように言われていますが、人と比べず、競わず、協力して行うことにより、自分が必要である存在だという自覚が生まれ、生きがいができ、興味が湧き、そこに他者のため、世の中のため、それがひいては自分の成長のためなのだという思考に変化していくのではないかと思います。

世の中の常識や社会通念は、宇宙の法則からすると非常識なのかもしれませんね。

「知的障害のある人たちに共通することがあります。それはガンで死ぬ人がいないということです。
「逆に、20代~50代で若くしてガンで亡くなる人たちに共通することは、人より優れている人であり、出世頭なんです」

そんな話もされていました。ガンに関しては、私もちょっと勉強していますので、この話題を書くと長~~~~~~い文章になってしまいますから書きませんが、これは何を意味するのでしょうね。「全ての人がそうではない」という批判もあるかもしれませんが、生観さんの言葉を素直に捉えると、これはどういうことなんでしょうかね。

「笑わない人が痛い」「病気が治りたければ、命をかけて笑ってみよう」「謙虚さ、素直さを失った人が、それを取り戻すために事故や病気になる」
わかるような気がします。ここまで意識が高まっている人は理解できることです。私は、臨床において医学的な説明や、全力で治療するわけですが、心の面をここまで持ってこれれば患者様の治りもきっとよくなってくるな~と思いました。

また、言葉と記憶の妙のお話もありました。
ある動物学者と生観さんが会談されている時、「動物には”痛み”という認識はないのです」という動物学者さんが話されたそうです。ヒトには”痛いという言葉”があるから、例えば傷ついたり、骨折したりすると、「痛かったね」「痛くないよ」という言葉とともに、この状態が=痛い として脳に記憶され、これがケガをした時やぶつけたときに「痛い」と認識されるというお話でした。

「だから、骨折したら、あー楽しい、あー嬉しいと言葉をかけていれば、痛みなんてどこかへ行ってしまいますよ」ということでした。難しいことだが…これも真理の一つでもあるんでしょう。

また、「平和という言葉は、戦争や紛争があるから出てくる言葉であって、平和が普通の状態であれば”平和”という言葉は必要ありません」「ニューギニアのある部族では”自然”という言葉がありません。それは、自然が普通だからです」「また、ある部族では”やさしい”という言葉がありません。それは部族のほとんどが親戚のようなもので、協力して生活するのが当たり前だからです」というお話もありました。
んん~これも宇宙の真理でしょうね。当り前に普通に存在していれば、そこに言葉を作らなくても、皆が共通して認識していることになりますからね。それが混沌とした状態になるところに人間の学びや成長があるのかもしれませんが…

少し長くなりましたので、③に続きを書きたいと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和

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