最近の夜の楽しみは缶チューハイを持って、あんと散歩に出かけることである。
まず玄関を出て、プシュっと缶チューハイを開け、あんに「お疲れ様でした」と伝え、ゴクっと始める。
あんは寝ぼけ眼を覚ますかのように、「お疲れさま」の意味など知らないとでも言うように、身体をブルブルさせ、とりあえず、すぐおしっこをする。
最近は大通りの向こう側に夜は行きたがる。
これは新たな縄張りを広げようとする行為なのか、前は良くうんちもおしっこもしていた場所では満足いかない顔をして、知らん振りする。
だから、どんどん家から遠いところがあんのトイレになる。
だけど、そんなことはお構いなし。
自分には缶チューハイがある。
晩酌に急ぐこともない、あんがクンクン電柱に夢中でも、自分は缶チューハイをゴクっとしてお月見などしていれば、何とも穏やかな気持ちに包まれる。
今日もつつがなく一日を終えたことに静かに感謝しながら居られる。
良い季節になってきた。
田植えを終えた田んぼではカエルがケロケロ合唱中、虫の音も心地良い、命あることに喜びを感じる時が静かに流れていく。
すべてに「ありがとう」と伝えることさえ、可能のように思われる。
縄張りを広げたあんを褒め、晩酌の待つ家にその喜びのまま帰る。
ささやかな宴の前の出来事である。