カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

あたふたの草稿。

2017-07-12 13:12:05 | Weblog

 
 日本で住んでいる私たちからしてみれば、想像がまったく付かないことであろう、インドでは年間8万人の子供が行方不明になる。

 人身売買、臓器売買、またインドには非常に多数の言語{22言語}があるために容易に迷子になってしまうケースも有り得てしまう。

 私が今回コルカタ滞在時に関わったケースにメンタル{精神障害}な母親と娘のケースがあった。

 私たちはそのメンタルな母親をマザーの施設に、娘をアイルランドのNGOホープのフリースクールに行かせようとしていた。

 娘は6・7歳ぐらいであるが、すでにタバコもシンナーも吸っていた、このままではいずれ誰かにレイプされるか、さらわれるかのどちらかであることは容易に想像が出来た。

 母親は普通の会話は出来ず、たとえ食べ物を渡そうとしたとしても、ヨーロピアンのボランティアの姿を見ると逃げ出してしまうことも度々あった。

 アイリッシュのジョンが帰国前の最期の日にホープの車を呼び、すべてを整えて、二人をまず車に乗せ、施設に運ぼうとした。

 その朝、ジョンは駅の構内で寝ている二人に私から食べ物を渡して欲しいと言った。

 そうした関わりから、その後のことがうまく行くことを願ってのことだった。

 アジア人であり、ベンガル語を話す私から母親はいつも逃げることはしなかったからでもある。

 二人は人が激しく行きかうチケットの売り場のところでズタ袋を敷き、母親が娘を守るように丸くなり、モーフに包まれて眠っていた。

 私はそれを見た瞬間、どうして母と娘を別けることが出来よう、その権利など誰も持ちわせない、この母は娘を愛している、この娘は母を愛している、私たちがしようとしていることがほんとうに正しいのか、どうなのか、分からなくなった。

 私は食べ物を手にしゃがんで母親を優しく起こすると、目をこすりながら起きて、食べ物は受け取ってくれた。

 その間、娘は何の心配もしていないように安心してずっと寝ていた。

 私には正しい答えを見い出させなかった、そこからすべてを神さまに強く委ねた。

 ジョンがこれから行うことがうまく行けば、それは神さまがそうしたことと思い、そうでなければ、それも神さまがそうしたことと。

 私にはもう祈ることしか出来なくなっていた。

 疲れ切ったジョンがホープの車に乗って、私たちが集まる駅の傍にある治療所{マザーの修道会のもの}に来たのは12時近かった。

 ホープのインド人の職員とジョンの二人で母親と娘を連れて行こうとしたが、母親は暴れて逃げて行ってしまったとのことだった。

 それを聞き、私は心のどこかでホッとしていた。

 もちろん、娘の将来のことを考えれば、激しい苦悩を感じずには居られなかった、そのことを忘れていた訳では決してないが、神さまは母親と娘を離れ離れにすることを望まなかったこと、そのことの方が私の願いに少しだけ近かったからかも知れない。

 {つづく}