海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

2004年上海の画像を発掘その1

2024-03-28 | 遠い記憶 現代のレンズ

高給ブランド街の南京西路(2004年)

 

 

閔行区なので上海郊外1㎡5280元の時代(当時の為替で約7万円ほど)

 

 

不動産フェア上海展覧中心(2004年)

 

以前もアップした画像から 

HDを整理していて、20年前2004年の画像を発掘。この頃は、全てが右肩上がりの時代で未来は明る過ぎるぜと言っていた序曲時代。この頃の南京西路は、今の淮海路よりもブランド街だった。今世紀に入ってから不動産のイベントは、毎回満員電車並みの混雑だったのを思い出す。この住宅展示会は、上海展覧中心(静安寺近くのロシア建築)での展示会で、この日に販売するマンションの場所は上海の郊外の閔行区なので当時は比較的安い価格で買える不動産だった。当時の値段を見ると1平方メートル5280元からと書かれているので、20年前のレートだと約7万円ほどだったようだ。今、この時代の中古物件は広さにもよるが日本円で軽く億は超える。"中国では"と一括りに出来ないのは、あまりにも国土が広いから。なので、"上海では"と置き換えて話をしなければならない。今回のブログは、20年前の上海での話。

☆私が上海で一番長く住んでいた場所は、新華路だった。ここは旧フランス疎開ではないが、疎開時代当時は各国の大使館スタッフや地元の名士が住んでいた場所で、ヘンリームーアの2作品が路にさりげなく置かれプラタナスの並木路が美しく環境の良い住みやすい場所だった。この付近で小説家J・G・バラードは生まれ、上海で名建築を残したラズロ・ヒューディックの私邸などもあり、住むには最高の環境だった。このアパートは1990年に建てられ、約70平米の広さで当時は日本円で約200万円ほどで買えたそうだ。で、4年前に大家が売った値段は約7000万円。

☆上海南京西路の"梅龍鎮伊勢丹"が6月末で閉店というニュースが。これも時代の流れだな。残る日系は大丸と高島屋。

☆今の上海郊外の松江には昨年の2月21日に仙霞路から引っ越してきたが、来月に引越し予定。契約は今年の11月までだが、違約金を払って来月に出て行く事にした。私が今現在住むエリアは、昔は畑だったような場所に出来た新興住宅地なので、外観のみナンチャッテイタリア風の建物の一角。つまり文化の積み重ねの無い無機質な街。ちょっと散歩に出て街を散策したいという気持ちも起きないし、ここに居ても上海の時代の流れが読めない。という事で、上海の孤島のようなエリアなのだ。そんな理由もあり、最低限の荷物を選び家具も含め処分中。昨年の引っ越し時に必要のない物は処分したが、さらにスリムにしている。20年以上も上海に住んでいるので物が増えるのは当たり前だが、本当に必要な物って意外と少ないものだという事がよく分かる。少しずつ私の住む5Fのフロアーにあるゴミ捨て場に捨てる物を持って行っているが、ここはゴミ分別が上海中心部ほど厳しくないので、時間に関係なくざっくりと生ゴミとその他に仕分ければ良い。処分するアンティーク家具などの一部は元アシスタントの元へ。家電などは、外に置いておけば誰かが勝手に持って行ってくれるので楽。

 

コメント (5)
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