しんぶん赤旗には、「新型コロナが問う日本と世界」と題して、連載記事が掲載されています。
今日は、細胞生物学者・歌人の永田和宏さんか登場し、インタビューに答えています。なかなか考えさせられる記事になっていますので、紹介します。
新型コロナ流行から人類が何を学び生かしていくのかが問われています。細胞生物学者で生命研究に詳しい、歌人の永田和宏さんに聞きました。聞き手 山沢猛
科学の知識集め行動へ
今回の新型コロナウイルス感染では、科学的知識の基づいて行動することがいかに大事かが鮮明になりました。
政府の専門家会議は最初、生命系の学者だけでしたが、経済の問題が視野に入らないので経済学者をいれました。私は、歴史的観点をもった専門家も入れるべきだと思っています。
世界で5000万人が亡くなったと推計されている「スペインかぜ」から何を学ぶか、世界的な感染症の流行がどんな体制をとり、どんなことがデメリットを引き起こすかを把握している専門家が必要です。一つの分野の専門家だけでは対処できないと言うことを教えたのも今回の感染症です。
国会議員にも勉強が求められますね。先日、日本共産党の志位和夫議員の衆院予算員会での質問をテレビで見ました(6月10日)。岐阜大学前学長の黒木登志夫さんさんの論文を引用していましたね。PCR検査の徹底で院内感染防止に成功した三つの病院の例に挙げた上で、他の病院は、厚労省がわずかな予算を渋っていることが院内感染を招いていると指摘した論文でした。黒木さんは私の友人ですが、国会議員もこういうきちんとした研究にあたることが大切だと思ったことでした。
日本では、感染拡大防止に重要なPCR検査が諸外国に比べて桁違いに少ない。保健所や保健師が少なく、PCRを増やせばパンクしていしまう可能性があるからです。ICU(集中治療室)も、人口10万人当たり5床程度、イタリアの半分以下です。
保健所のような一般の目に見えにくいところをどんどん削ったからです。保健所は憲法第25条の「公衆衛生の向上及び増進」のために設置された公的機関です。
しかし保健所法が地域保健法(1994年)になってから約20年間に半分くらいにされました。
韓国はマーズ(中東呼吸器症候群)が2015年に持ち込まれた苦い経験があるので、検査機関に財政出動して大規模なPCR検査をやりました。日本やれるはずです。
いま不要だが危機に必要
そこにカネを使う意志を
今回の新型コロナウイルスは、無症状の人が非常に多く、しかも症状が出る前に感染性を持つ、したたかなウイルスです。
生命の定義は、①遺伝物質を持ち自己複製ができる、②細胞膜や殻で外界と自分とを区別できる、③代謝(外からものを取り込み要らないものを排出する)ができる、の三つです。
ところがウイルスは「代謝」ができない。動物の細胞内に入らないと死んでしまいます。また、ずっと一つの宿主に、とどまっていると宿主の免疫が働いて排除されてしまうため、次々と宿主を代えないと自分を維持できません。なので、ウイルスは移動を止めれば消滅します。
自然壊し災厄をよぶ
今回の感染拡大が教えるものは、自然を尊重することの重要性です。自然は傍若無人な人間だけのものではなく、生態系全体のものなのです。ウイルスもその生態系の中で辛うじて生きている。
コウモリの中で悪さをしないで自分の子孫を残してきた。ところが人間が、野生動物の中に分け入って食料にするとか、森林を破壊し動物との接触を増やすなど、そこに手を伸ばしていくものだから、ホストジャンプ(それまで宿主でなかった動物・植物への寄生性を獲得すること)が起きることになります。そのときにウイルスが別の性質をもつことが多いうえに、人間はそれに対する免疫を持っていないので、ばたばたと死ぬことが起こるわけです。
感染症対策というのは、基本的に無駄になってこそ意味がある。この認識が共有される必要があります。いまは要らないが、いざというときに必要になるところにカネを使いという意志を国民が固めなければなりません。保健所のように地味でも、いざというときに必要なところにカネを使っていかなければならない。今回のことはそれを鮮明に照らし出しました。
未知との遭遇必至
もう一つは、基礎研究です。ウイルスを専門にやる人が日本で少なくなっている。微生物学というのは地味な学問で、研究費が十分に手当てされないので、それに意欲をもって取り組む若い人が少なくならざるを得ない。
私は京都大学で湯川秀樹さんの最後の年の学生でしたが、湯川さんは「いま役に立つことは30年も経ったら何の役にも立たないよ」と言っていました。
「選択と集中」という科学行政からは、基礎研究は育ちません。このような状況下でワクチン開発はもちろん大切ですが、ウイルスそのものに関する基礎研究をおろそかにしていては、いつまで経っても泥縄式の対応しかできません。たとえば北極海の氷河にどれだけのウイルスが閉じ込められているか分っていない。地球温暖化がすすんで氷河が溶け出すと、未知とのウイルスとの遭遇は必ず出てくるでしょう。
アメリカのトランプ大統領が、消毒液を注射してはと記者会見で発言したのには、驚きを通り越してあぜんとしました。
ブラジルのボルソロナ大統領の経済への偏重も怖いですね。毎日数万人の感染者が出ているのに、まだ外に出ろと言っている。ブラジルのスラム街に住む人、アメリカの黒人層など、こういう大疫下では、常に格差が助長されます。そういう人への想像力がすこしでもあれば、犬を抱いて安楽椅子にくつろぐという、わが国の動画は流れなかったでしょうね。
ウイルスの基礎研究をおろそかにしていては、いつまでたっても泥縄です
注)永田氏の発言は、非常に分りやすく、私も、再度、いい勉強になりました。
私が、今、街頭演説で訴えていることも、「PCR検査体制の充実です」。これは志位委員長の衆院予算委員会での質問を参考に練り上げたものです。私自身、何回語っても、この重要性は、言い足りないと思っています。
また、後半部分では、「生命の定義」にふれて、学生時代の「ウイルスは生物と無生物の間」にいることを、さらに、進化した形で教えてもらいました。
本当に専門家と言う人たちは、「ものごとを分りやすく語ってくれます」ね。
今日は、細胞生物学者・歌人の永田和宏さんか登場し、インタビューに答えています。なかなか考えさせられる記事になっていますので、紹介します。
新型コロナ流行から人類が何を学び生かしていくのかが問われています。細胞生物学者で生命研究に詳しい、歌人の永田和宏さんに聞きました。聞き手 山沢猛
科学の知識集め行動へ
今回の新型コロナウイルス感染では、科学的知識の基づいて行動することがいかに大事かが鮮明になりました。
政府の専門家会議は最初、生命系の学者だけでしたが、経済の問題が視野に入らないので経済学者をいれました。私は、歴史的観点をもった専門家も入れるべきだと思っています。
世界で5000万人が亡くなったと推計されている「スペインかぜ」から何を学ぶか、世界的な感染症の流行がどんな体制をとり、どんなことがデメリットを引き起こすかを把握している専門家が必要です。一つの分野の専門家だけでは対処できないと言うことを教えたのも今回の感染症です。
国会議員にも勉強が求められますね。先日、日本共産党の志位和夫議員の衆院予算員会での質問をテレビで見ました(6月10日)。岐阜大学前学長の黒木登志夫さんさんの論文を引用していましたね。PCR検査の徹底で院内感染防止に成功した三つの病院の例に挙げた上で、他の病院は、厚労省がわずかな予算を渋っていることが院内感染を招いていると指摘した論文でした。黒木さんは私の友人ですが、国会議員もこういうきちんとした研究にあたることが大切だと思ったことでした。
日本では、感染拡大防止に重要なPCR検査が諸外国に比べて桁違いに少ない。保健所や保健師が少なく、PCRを増やせばパンクしていしまう可能性があるからです。ICU(集中治療室)も、人口10万人当たり5床程度、イタリアの半分以下です。
保健所のような一般の目に見えにくいところをどんどん削ったからです。保健所は憲法第25条の「公衆衛生の向上及び増進」のために設置された公的機関です。
しかし保健所法が地域保健法(1994年)になってから約20年間に半分くらいにされました。
韓国はマーズ(中東呼吸器症候群)が2015年に持ち込まれた苦い経験があるので、検査機関に財政出動して大規模なPCR検査をやりました。日本やれるはずです。
いま不要だが危機に必要
そこにカネを使う意志を
今回の新型コロナウイルスは、無症状の人が非常に多く、しかも症状が出る前に感染性を持つ、したたかなウイルスです。
生命の定義は、①遺伝物質を持ち自己複製ができる、②細胞膜や殻で外界と自分とを区別できる、③代謝(外からものを取り込み要らないものを排出する)ができる、の三つです。
ところがウイルスは「代謝」ができない。動物の細胞内に入らないと死んでしまいます。また、ずっと一つの宿主に、とどまっていると宿主の免疫が働いて排除されてしまうため、次々と宿主を代えないと自分を維持できません。なので、ウイルスは移動を止めれば消滅します。
自然壊し災厄をよぶ
今回の感染拡大が教えるものは、自然を尊重することの重要性です。自然は傍若無人な人間だけのものではなく、生態系全体のものなのです。ウイルスもその生態系の中で辛うじて生きている。
コウモリの中で悪さをしないで自分の子孫を残してきた。ところが人間が、野生動物の中に分け入って食料にするとか、森林を破壊し動物との接触を増やすなど、そこに手を伸ばしていくものだから、ホストジャンプ(それまで宿主でなかった動物・植物への寄生性を獲得すること)が起きることになります。そのときにウイルスが別の性質をもつことが多いうえに、人間はそれに対する免疫を持っていないので、ばたばたと死ぬことが起こるわけです。
感染症対策というのは、基本的に無駄になってこそ意味がある。この認識が共有される必要があります。いまは要らないが、いざというときに必要になるところにカネを使いという意志を国民が固めなければなりません。保健所のように地味でも、いざというときに必要なところにカネを使っていかなければならない。今回のことはそれを鮮明に照らし出しました。
未知との遭遇必至
もう一つは、基礎研究です。ウイルスを専門にやる人が日本で少なくなっている。微生物学というのは地味な学問で、研究費が十分に手当てされないので、それに意欲をもって取り組む若い人が少なくならざるを得ない。
私は京都大学で湯川秀樹さんの最後の年の学生でしたが、湯川さんは「いま役に立つことは30年も経ったら何の役にも立たないよ」と言っていました。
「選択と集中」という科学行政からは、基礎研究は育ちません。このような状況下でワクチン開発はもちろん大切ですが、ウイルスそのものに関する基礎研究をおろそかにしていては、いつまで経っても泥縄式の対応しかできません。たとえば北極海の氷河にどれだけのウイルスが閉じ込められているか分っていない。地球温暖化がすすんで氷河が溶け出すと、未知とのウイルスとの遭遇は必ず出てくるでしょう。
アメリカのトランプ大統領が、消毒液を注射してはと記者会見で発言したのには、驚きを通り越してあぜんとしました。
ブラジルのボルソロナ大統領の経済への偏重も怖いですね。毎日数万人の感染者が出ているのに、まだ外に出ろと言っている。ブラジルのスラム街に住む人、アメリカの黒人層など、こういう大疫下では、常に格差が助長されます。そういう人への想像力がすこしでもあれば、犬を抱いて安楽椅子にくつろぐという、わが国の動画は流れなかったでしょうね。
ウイルスの基礎研究をおろそかにしていては、いつまでたっても泥縄です
注)永田氏の発言は、非常に分りやすく、私も、再度、いい勉強になりました。
私が、今、街頭演説で訴えていることも、「PCR検査体制の充実です」。これは志位委員長の衆院予算委員会での質問を参考に練り上げたものです。私自身、何回語っても、この重要性は、言い足りないと思っています。
また、後半部分では、「生命の定義」にふれて、学生時代の「ウイルスは生物と無生物の間」にいることを、さらに、進化した形で教えてもらいました。
本当に専門家と言う人たちは、「ものごとを分りやすく語ってくれます」ね。