今日は、岩瀬小学校の運動会です。市代表は井上副市長です。大塚市長は猿田小学校へ行ったとのことです。
9月初めの岩瀬西中の運動会には見えなかった、榎戸議員がきて、久々に会話ができました。
一番はじめの会話は、「近く行われる鉾田市長選挙では、市議2名が辞職して補欠選挙の定数は2名になったようです」と話しかけたことです。
榎戸「あ、そう。それは知らなかった」
帰るとき
「私は、来年の選挙もあるし、運動会に来ていて顔を出さなくても怒られるから、帰りは、それぞれのテントを周って、挨拶をしながら帰るんだよ。
榎戸さんもそうした方がいいのではないですか。」
無言で返事はなかったのですが、テント周りの途中、榎戸さんとバッタリ。
このアドバイスは聞いてもらえたようです。
今日のしんぶん赤旗によりますと、希望の党は、民進党を離党して衆院選の公認を希望している前議員に対して、寄付金を支払うことを求めていると報じています。
それによりますと、希望の党に公認申請する場合には、公認料300万円(供託金として必要)と寄付金として200万円の計500万円振り込むよう求められたと言います。
中には、早々と500万円振り込んだものの、28日現在公認内定の連絡が入っていない人もいるとのことです。
一方、小池代表は、「お金のしがらみからみをつくってはいけない」と言いつつ、それぞれ自前の努力で出馬して選挙たたかってもらうことを条件としている」と説明しました。
民進党関係者の話では、「28日まで在籍していた衆院選候補者には、党から”持参金”が支払われるが、それ以前に離党した者には、”持参金”が支払われない」と言います。
小池百合子氏は、今では”女王様”のようにふるまっていますが、あまりやりすぎますと、足元をすくわれるのではないでしょうか。
それによりますと、希望の党に公認申請する場合には、公認料300万円(供託金として必要)と寄付金として200万円の計500万円振り込むよう求められたと言います。
中には、早々と500万円振り込んだものの、28日現在公認内定の連絡が入っていない人もいるとのことです。
一方、小池代表は、「お金のしがらみからみをつくってはいけない」と言いつつ、それぞれ自前の努力で出馬して選挙たたかってもらうことを条件としている」と説明しました。
民進党関係者の話では、「28日まで在籍していた衆院選候補者には、党から”持参金”が支払われるが、それ以前に離党した者には、”持参金”が支払われない」と言います。
小池百合子氏は、今では”女王様”のようにふるまっていますが、あまりやりすぎますと、足元をすくわれるのではないでしょうか。
解散となれば、もう選挙と状況です。「希望の党」に触れるには工夫がいります。日刊スポーツ新聞が「緑の狸に踊らされている民進党」という見出しをつけていることをラジオニュースキャスターが感心してたコメントが多くありましたので、実物は見ていないのですが、気にいって、私の演説の中にも、使わせていただきました。
加茂部がやっていなかったことを思い出し、加茂部に行きました。
ここは、羽黒の「農村改善センター」です。正式名称は、農村改善センターだけですので、真壁地域の人にはわかりません。だから、通称は「羽黒農村改善センター」と呼ぶように、市に申し入れているのですが、なかなか直してくれません。
車の向こうは、燕山です。加波山が隠れて見えませんので、「加波隠し」とも呼び人もいます。
加茂部では、7か所演説しました。演説が終わった時、草取りをしていた人が話しかけてきて、「いつも、ニュース、分かりやすくて、読ませてもらっています」との話をいただきました。
今日のお昼は長谷川食堂です。疲れているせいか、カツ丼は重すぎて、野菜炒めと半ライスにしました。
午後は、明日香、富士見台をまわりました。岩瀬高校は中間テストだそうで、生徒は帰ってしまったとのこと。今度は初めての総選挙ですから、帰り際を狙っていきたいと思っています。
希望の党の小池百合子氏は、「政党の綱領など3日もあればできる」と豪語しているそうです。どうも、小池氏は、綱領とキャッチフレーズを混同しているのではないか。
日本共産党の綱領はそうはいかない。日本共産党の今の綱領が確定したのは、1960年代はじめである。当時は、宮本顕治書記長が中心となって、綱領の原案を作成した。それが当時、「日本革命の展望」という上下2冊の新書版となって売られた。
当時、この本は、「50刷り」を超える本となり、日本共産党に共鳴する人も批判する人も読んだものです。
「日本革命の展望」の主要命題は、「日本は高度に発達資本主義でありながら、アメリカに従属した国である」との規定に在った。
沖縄や東京都に所属する小笠原がアメリカの支配下の時代である。
この綱領を決めるだけでも、日本共産党は、全国で論議をおこない、全国大会を2回も開き、やっと全員一致で確定した。
その後、沖縄や小笠原の返還もあり、日本の現状はかわり、綱領の改定が必要になった。
そこで今度は、不破哲三氏が中心になって「綱領の改定」をおこない今の綱領が採択された。
不破哲三氏は本をたくさん出している党首としても有名だが、「綱領改定」に関する本だけでも沢山書いている。
そんな苦労をして作った綱領をもった党から見ると、「3日で作った綱領」はただのキャッチフレーズとしか思えない。