菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

北野武著「新しい道徳」を読む (北野流ツッコミの紹介その5)

2018年12月31日 16時47分48秒 | 桜川市
 誰かに押しつけられた道徳に、唯々諾々に従って従うとバカを見る。それはすでに昔の人が経験済みだ。

 社会という大きな枠に、その社会の構成員は囲い込まれて生きている。構成員にはいつもその枠からできるだけはみ出さないように、という圧力がかかっている。
 人間は大昔から、ずっとそうやって生きてきた。
 キリストだって、人間と神様の関係を、羊と羊飼いに例えている。
 人間に限らず、社会を構成する生きものはみんなそうだ。
 道徳は、そういう観点からすれば、その社会の枠を湿すものといえる。
 いうなれば牧場の柵だ。
 武士道にしても、騎士道にしても同じだ。

 「武士道というは死ぬことと見つけたり」というのも、武家社会の構成員である武士が、羊である自分と羊飼いである主君との関係を如何するかっていう話のわけだ、結局は。
 命を捨てて忠義を尽くすとか、大義のために死ぬとか。
 そういえばなんか格好いいけれど、柵の中の自分を美化しているだけじゃないか。
 
 武士が主君に絶対的忠誠を誓い、忠臣は二君に仕えずなんていうことをやかましくいうようになったのは、江戸時代になってからの話だ。その前の戦国時代は、「士はおのれを知る者のために死す」で、自分を高く評価してくれる主君がいれば、二君でも三君でもどんどん仕えた。

 実力主義の時代と終身雇用の時代では、道徳は変わるのだ。
 変わるのは当たり前だ。 
 牧場の柵なんだから。
 牧場の持ち主が変われば、柵のカタチや場所が変わる。昨日まで自由に往き来できたところが、いきなり立ち入り禁止になったりもする。

 道徳はしょせんそんなものだと思っていれば害はないのだけれど、普通には道徳を教えない。道徳が相対的なものだといいだしたら、誰も道徳を守ろうとしなくなるからだ。
 だから、まるで永遠の不変真理のように道徳を教える。

 世の中が変わらなければ、それでも問題はない。柵を柵と思わずに、自分が此処にいから此処にいるんだと思っている方が、羊はよっぽど幸せだ。

 だけど、なかなかそうはいかない。この世はいつも動いている。
 いちばんわかりやすいのは戦争に負けたときだ。
 ある歴史学者が何かの本に書いているけれど、戦争とは、敵国の社会を成立させている基本原理に対する攻撃なんだそうだ。
 「俺たちが正義だ。お前の考え方が間違っている」
 そういって戦争するわけだ。 アメリカとソ連(当時)の冷戦も、まさくそういうものだった。太平洋戦争中に、日本が鬼畜米英なんていっていたのもそうだった。
 戦争の勝ち負けと、どちらが正しいかは別問題だと思うけれど、現実には勝った方の正義が通って、負けた方は間違っていたことになる。負けた国は、その国を成り立たせている基本原理を否定される。今まで白だったことが黒になり、黒だったことが白になる。太平洋戦争に負けた日本の教科書は、あちこちを墨で黒く塗りつぶされた。

 鬼畜だった米英の兵隊はヒーローになって、子どもたちはガムだのチョコレートほしさに追いかけ回す。子どもだけでなく、若い女もそうなった。今もそれが続いているのは夜の六本木あたりを歩けばすぐにわかる。

 良いの悪いのなんて話をしているわけじゃない。道徳なんてそんなものだという話だ。
 正義なんてものは、戦争に負けたくらいのことで簡単にひっくり返るのだ。
 戦争の世代は、そのことを身に沁みて経験したはずだ。


 戦後の教師は、それまでとまるで反対のことを、子どもに教えなくてはなくてはいかなくなった。真面目でいい先生ほど、そのことに悩んだり傷ついたはずだ。
 いい加減で、人の尻馬に乗るのが大好きな奴は、そうでもなかっただろうけど。
 戦後の日本で幅をきかせたのは、だいたいそういう連中だった。昨日までバリバリの軍国主義者だった奴らが、今度は占領軍の手先になって、またデカい顔をする。
 腹の立つ話だ。

 だけど生きものとして考えれば、そういう奴は環境適応力がすぐれているともいえる。
 牧場主が自分の都合で牧場の柵を作るように、権力者は自分の都合で道徳をつくる。都合が変われば、道徳もコロコロ変わる。 
 ころころ変わるのが道徳の宿命なのだから。
 学校で教わった道徳を、絶対と信るからおかしくなる。

 戦後の日本が世界も驚くような復興を遂げたのは、戦前の道徳がひっくり返って、道徳なんてどうでもいいやってことになったおかげともいえる。人生はなんぞやなどという難しい話はやめて、ひたすら経済活動に邁進したおかげで今の日本がある。かってはエコノミックアニマルなんていわれたものだけど、それはつまり道徳を失った動物ってことだろう。
 今更になって、日本人はエライとかスゴイとか、日本人の道徳を取り戻せなんていい出したのは、その反動にちがいない。
 だけど、なんだかそれも虚しい。
 
 世の中の道徳が変わったからといって、自分まで変わる必要はない。誰かに押しつけられた道徳に、唯々諾々としたがうとバカを見る。

 それはもう、すでに昔の人が経験済みのことだ。

 (注)今日は、大晦日ということで、新書版5ページを延々と書いてみました。私は、この北野武氏の文章の鋭さ、凄さに感銘しています。みなさんも、是非お読みいただければ幸いです。


 
 




 
 

 

 
 

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大晦日は「年譜の整理」の日です

2018年12月31日 10時54分51秒 | 日々の雑感
 私は、いつ死んでもいいように、自分の「年譜」を作っています。
 これは仮説実験授業研究会で教えてもらったものです。自分の一生の記録です。あまり書くことが多すぎてもダメなのですが、1年間を1行くらいに、自分の記録を書いておくのです。

 私の父のときにも作っておいて、葬儀のときに参列者のみなさんに配布して見てもらいました。とくに、焼き場では、時間を持て余すので、これが喜ばれますし、役に立つのです。
 父は9人兄弟の末っ子ですから、兄弟だけでなく、いとこや甥、姪が沢山います。多くの方が参加してくださいましたが、「だれがどうだか」かわからないのです。
 そんなとき、この年譜を見ながら、「私はここの年に、お父さんと知り合いになりました」などと、話してくださるのです。
 また、近い親戚同士でも、「あの年には、こんなことがあったわねえ」などと話が盛り上がります。

 ですから、私は毎年、大晦日に、自分の年譜に、今年の分を1行加えるのです。

 2018年の1行
  桜川市議選挙で3選 18人中10位 1173票

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 また、お墓の件も付け加えました。

 菊池伸浩・節子の親族のみなさんへ

 このたび、私たち夫婦は、科学の碑(共同墓地)の同人となることを決め、申し込みをいたしました。
 ご存知のように、私たちは、まだ墓地を持っていません。どのようにしたら良いか考えていたところ、伸浩が以前から参加していた仮説実験授業研究会が中心となって運営している「科学の碑」運営委員会が、新規募集していることを知り、申込いたしました。

 私(伸浩)は、根っからの原子論者ですから、死ねば原子にもどると思っていましたから、お墓はいらないと考えていました。しかし、2人とも議員という公人になってしまったからには、死亡するときの年齢にもよりますが、葬儀はやらざるをえない時もあると考えています。
 そのとき、遺骨をどうするかが、遺族の間で困ると考え、「遺骨の納め場所」をはっきりさせておくことが必要と考えました。以前から行ったことのある科学の碑に納めてもらうことがいいと考えました。
 私の考えを奥さんに伝えたところ、「私もそれでいい」との同意を得ましたので、2人で申し込んだ次第です。
とりあえず、そのことをお伝えしておく次第です。
選挙が終ったら、奥さんをつれて、新潟県魚沼市の東養寺を下見をしてこようと考えています。


 2017年10月10日
     菊池伸浩・節子


 
 

 

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京都高校駅伝の思いで

2018年12月31日 10時32分45秒 | 日々の雑感
 12月23日は東京へ行ったため、楽しみにしていた京都高校駅伝を見ることができなかった。
今朝は、久しぶりにゆっくりし、テレビを見ていたら、京都高校駅伝のダイジェスト版を放映していた。私は、京都高校駅伝には、それなりの思い出がある。

それは、1977年だと記憶しているのだが、当時勤務していた真壁農業高校が県の駅伝大会で優勝して、京都駅伝に出場したのです。
 当時、鈴木定治先生という方がおり、畜産科を担任していた私のクラスにも、陸上部の生徒さんが3人いたのです。
 兎に角、駅伝を走る選手というのは、「まじめ」そのものだったのです。毎日、毎日、黙々とグランドを走っているのですから、私らには想像できません。
 当時は、茨城県では、駅伝では水戸工業高校の天下でした。それを破って優勝したのですから・・・・・。
 
 遊びたい盛りの生徒さん生徒さん。私のクラスには、そうでなくても、一筋縄ではいかない生徒さんが沢山いたので、クラスのなかでは、場違いなほどの生徒さんで、鈴木定治先生にまかせっきりでした。

 また、家庭では、奥さんが議員にはなっていませんでしたが、初立候補したあとでもあったので、かなり忙しい時期でした。
 学校では、多くの先生が応援のため、京都まで行ったのですが、私はクラスの生徒が3人もいたのに、いかなかったのが、今考えても残念でなりません。


 

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12月1日現在の桜川市の常住人口は、4万0350人です

2018年12月31日 10時20分38秒 | 桜川市
 いつもは、茨城新聞に、月の中・下旬に掲載される「常住人口」が大晦日の今日掲載されていました。私は、見落としてしまったのかと思い、整理した新聞の束を崩して、ひっくり返し調べたのですが、見つからずにいました。まさか、月末になって掲載されるとは。

 世帯数  1万3652世帯
 総人口数 4万0350人
 前月比  ー63人

 相変わらず、いちばん人口減が多いのは-154人の日立市です。
 私が比較対象の参考にしている稲敷市はー43人で、4万0542人です。

 このペースでいきますと、60人×4ヶ月=240人です。
 しかし、3月末には大きく動きますから、新年度に4万人を維持できるかは、微妙です。
 

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枡箕ヶ池に薄氷が・・・

2018年12月31日 10時12分37秒 | 桜川市
 今朝、新聞配達のとき、枡箕ヶ池の脇を通たっら、薄氷が張っていました。私は、毎年、ここに氷が張るようになったら、寒くなっていると、メルクマールにしています。

 



 この池をみてビックリしたのは、白鳥をはじめとして、鴨などの鳥も全く見当たらないのです。
どこに行ってしまったのでしょうか。
 過日は、大月の小野池にかなりの白鳥が見られました。
 エサをやる人がいなくなったので、いなくなったのでしょうか。
 

 

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