菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

ふるさと納税制度の問題点

2018年08月05日 23時16分45秒 | 社会・経済
 今日の茨城新聞の一面トップには。ふるさと納税の金額が一覧表で示されている。
 茨城新聞の記事でもわかるように、返礼品の豪華さが増し、自治体間で競争がおこったり、税収の奪い合いも指摘するなど、混乱も見られる。

 県内自治体のトップに位置する境町は、21億円とすごい金額になっている。私の住んでいる桜川市は1425万円と下から数えて9番目である。

 この一覧表をみて、寄付額が少ない自治体の市民は、「もっと境町を見習え」と思うかも知れないが、この制度自体に問題があると思う。

 桜川市議会でも、この問題を取り上げたある議員は、「市外に在住している市役所職員は、桜川市に寄付をしたらどうか」との意見まで言い出した。これでは、自治体間の税収の取り合いであり、共食いではないか。

 ふるさと納税も、市の財源のささやかなプラスと考えているうちは、ほほえましく思えても、市の財源の10%を超えるようになると、自治体の死活問題になって来るのではないか。

 こんな税制は、決して好ましいものではない。いつかは廃止せざるをえないのではないかと、予測している。

  

共産党豪雨災害救援募金2500万円を17市町村に届けました

2018年07月24日 20時56分03秒 | 社会・経済
 日本共産党は、23日、小池書記局長が記者会見をし、西日本豪雨災害救援募金(2500万円)を岡山、広島、愛媛県を中心とした17市町に届けたと発表しました。

 この中で、小池氏は、日本共産党の救援募金活動にかかわって、大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)がツイッターで不当な攻撃をしている点について言及しました。

 共産党救援募金に松井大阪府知事が不当攻撃
 「現場を知らぬ者のざれ言」

 
 松井氏は11日のツイッターで、日本共産党が東日本大震災時に集めた募金総額10億7091万円と被災地自治体などへの義援金五億9357万円の差額を「経費」といい「集めた金額全額を届けていない」と攻撃しています。
 
 小池氏は、「松井氏は『経費』」を差し引いているとして、流用しているかのような印象操作をしようとしているが、とんでもない」と指摘。
 「党は、救援募金は被災者と被災地に一番効果的な活用をしている。義援金としてお金を自治体に届けるとともに、緊急に被災者の一番切実な要求に対応するために救援物資を購入して届けることもした」として、救援募金の義援金以外の使途を説明しました。

 救援物資の購入は2億52万円、ボランティア約5万人が現地で活動した際の救援に使う機材・がれき撤去の費用が2億2958万円、資材・郵送料等の諸経費が4724万円です。

 小池氏は、「救援募金は全額、被災地、被災者のためにつかっており、募金してくれた、被災者の気持ちに一番そった使い方だ」と強調。

 松井氏のツイートは、被災者・被災地のニーズもわからずに、ボランティア活動や救援活動の現場をしらない者のざれ言といわざるをえない。知事は住民の命と暮らしを守る立場にあり、公党の代表であるにもかかわらず、日本共産党の救援活動をゆがめて描き、ブレーキをかけるやり方は断じて許されない」と指摘しました。

 注)日本共産党の「救援募金」活動は、一番信頼されている活動ではないかと思っています。
 2年前の常総市の鬼怒川決壊の水害でも、日本共産党からは、常総市に義援金が送られています。
 贈ったのは、日本共産党の梅村さえこ衆議院議員と党西部地区委員長、受け取ったのは常総市長です。
 西部地区委員長は、常総市の議員でもあります。

 小池書記局長の「現場を知らない者のざれ言」とは、うまく表現した言葉だと思い、気分がすっきりした次第です。


オウム真理教関係者の死刑執行について

2018年07月07日 08時12分41秒 | 社会・経済

 昨日は、雨のためもあり、出かけずにテレビを見ていたら、突然、オウム真理教の元代表・松本智津夫死刑囚の死刑が速報で入り、テレビはオウム真理教報道一色になった。

 私が、オウム真理教で思い出すのは、山梨県の元上九一色村(かみくいしきむら)の元共産党村議・竹内精一さんのことでした。ここには、オウムの巨大施設・サティアンがあり、ここでサリンが製造されたのです。ここでサリンをつくることができなければ、あの1995年の地下鉄サリン事件はおこせなかったのです。

 私は、竹内さんがいつテレビに出てくるかとと思っていたのですが、いろいろチャンネルを回しても出てきませんでした。もう、お年だからと心配していたのですが、今朝のしんぶん赤旗には大きく出ていました。
 その竹内さんの言葉を紹介します。

 防げなかった責任警察や行政に
    住民と危険性を告発した元上九一色村共産党村議  竹内精一さん



 松本智津夫死刑囚の死刑執行で、事件の主要な真実が明らかにされずに終わって残念です。
 オウム真理教が、殺人から地下鉄サリン事件まで起こしたその経緯、多くの若者が入信して平気で人を殺す集団になっていった経過は明らかになっていません。行政や警察の対応もあまりにも悪かった。オウムが悪かっただけではすまされません。どうして阻止できなかったかを反省しなければなりません。

 1989年にオウムが上九一色村に進出して以降、廃液の垂れ流しや掘削による騒音、私たちの監視や脅迫などいろいろな問題がありました。日本共産党は住民と一緒に告発し危険性を訴えてきました。

 松本サリン事件(94年6月27日)のときも、私たちは最初から「あれはオウムだ」と訴えてきましたが、
警察は被害者の河野義行さんを犯人扱いし、誤認捜査しました。私たちの告発を聞いていれば、地下鉄サリン事件は防ぐことはできたはずです。防げなかった責任は警察や行政にもあります。

 松本死刑囚以外の人の死刑を執行していいのだろうかという思いはあります。戦争中の軍隊と同じで、「やれ」と命令されてやったという面があった。

 オウムが上九一色村に進出していた当時、信者に対して、「あなたたちはここにいるべきではない。帰らないといけないよ」と話しかけてきました。

 私は戦争に行った最後の世代です。中国で、人としてやらなくてもいいことをやってきました。私は戦争の被害者だが、中国の人民にとって加害者だ、あなたたちもオウムの被害者だが、信者としては加害者なんだと伝えてきました。

 この事件を教訓に、社会の在り方、国民のくらしを守る行政や警察の在り方を考えて行かなければいけないと思っています。

 注)上九一色村という名前を聞いたとき、あまりにも珍しい名前で覚えてしまいました。そのご、この村は平成の大合併で、分離して、合併してしまいました。
 私が、竹内精一さんという村議を忘れられないのは、あのサティアンを前にして、オウム真理教の信者に、「一人一人話しかけ、脱会をすすめていた」という地道な活動を続けていたという古参党員がいたということです。日本共産党の党員として見習わなければと思っているからです。

 
 



原水禁平和行進団と笠間市所から桜川市から筑西市と共に歩く

2018年07月03日 18時05分30秒 | 社会・経済
 今日は、原水禁の平和行進の一行が、水戸市から笠間市、桜川市、筑西市へと歩く日です。
私は、笠間支所から桜川市岩瀬庁舎、大和庁舎、筑西市役所へと、行進をともにしました。

 午後2時半に笠間市笠間支所に迎えに行きました。行進団の運転手は、毎年、変わるために道案内が必要なのです。

笠間市支所まえでの歓迎集会の様子。

 


 

 その後、桜川市岩瀬庁舎の議会事務局を表敬訪問

 

 左から、大内くみ子元共産党県議、加藤茨城原水協会長、北海道礼文島からの通し行進者

 

 歓迎する谷田部議会事務局長(左)と太田事務局次長


 すぐに大和庁舎に向かいました。大和庁舎は歓迎の出迎え者が多いことで有名です。私が数えたところ50名はおられました。

 


 ずらっと並んだ平和行進団

 

 歓迎の挨拶をする猪瀬副市長


 

 挨拶をする礼文島からの通し行進者

 

 挨拶をする大内くみ子日本共産党元県議

 

 続いて筑西市へ向かいました。

 筑西市では、旧市役所が集合場所です。この広場で、トランペット演奏を披露する礼文島からの通し行進者。この方は、トランペット演奏の名手でもあったのです。行進団みんなで聞き惚れました。忙中閑ありの楽しいひとときでした。

 

 筑西市役所庁舎へむかって行進です。後ろからとりました。

 

 庁舎内で歓迎会です。

 


 最後に、横断幕の引き継ぎ式です。明日からは、筑西市職員組合の方が中心となって、結城市、八千代町を通って、古河市までつなぎます。

 


 なお、この行進団は、古河市で折り返し、坂東市、常総市をまわり、7月6日(金)の午後1時10分に桜川市真壁庁舎を訪問する予定です。
 都合のつく方は、ご参加をお願いします。
 もちろん、私は参加します。




 

 

 




 

今年は、絵本画家・いわさきちひろの生誕100年です。

2018年05月07日 18時44分02秒 | 社会・経済

 みなさんは、絵本画家・いわさきちひろさんを知っていますか。私は絵本画家というより、衆議院議員・松本善明さんの夫人としてしっていました。
 まだ、共産党の国会議員が数名しかいなかった頃、(戦争直後の35名のころは別にして)、東京でいち早く国会議員になったのが、松本善明さんでした。練馬区に住んでいて、松川事件の弁護士として名前が有名になり、東京では先陣をを切って、共産党議員国会議員となった方です。その後、不破哲三氏も当選し、1972年には、東京の全選挙区で国会議員が誕生する先駆けとなった方です。

 その松本議員に7才も年上の姉さん女房がいる。しかも、有名な絵本画家だと聞いて、もっとびっくりしたものです。

 5月6日の東京新聞は、大図解シリーズ No1352として、いわさきちいろ生誕100年をカラーページで見開きで扱っています。

 いわさきちひろさんは1918年、福井県に生まれ、本名は岩崎知広です。
 21才で婿養子をもらうかたちで結婚したのですが、23才のとき、夫が自殺をしています。
 その後、東京・山の手の家を空襲で焼かれ、長野県松本市の母の実家へ疎開し、開拓農民になりました。

 28才で、日本共産党に入党しています。これは、戦前から一貫して戦争反対をつらぬいた共産党に共鳴したからとのことです。戦争直後の1946年に、日本共産党に入党したのは、本当に筋金入だったのですね。

そして、32才のとき、弁護士の松本善明氏と結婚。
 このときの花に囲まれた結婚式の様子は、下館労音の上条恒彦コンサートで、歌にしていたのを聞いた覚えがある。そういえば、上条恒彦氏は長野県生まれで、引退したいまも、長野に住んでいるようです。このとき聴いた歌で一番印象に残っているのは、「さとうきび畑」です。

 翌年には、長男・猛氏が生まれています。

 いわさきちひろは、55才という若さで、死去している。肝臓がんであった。

 いまは、練馬区に「ちひろ美術館・東京」、長野県松川村に「安曇野ちひろ美術館」、福井県越前市に「ちひろの生まれた家」記念館があるという。
 この3つは、私が議員を引退したあとに、ゆっくり訪問したいところとなっている。