菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

大和地区で「県西総合病院存続」を訴える

2014年02月28日 20時07分33秒 | 議員活動

一応、岩瀬地区の演説は一周したので、今日から大和地区に広げることにしました。大曾根での演説で、いきなりご夫婦の拍手を頂戴したので、気分よく、東飯田まで足を延ばしました。

今日は、午後4時から筑北環境組合(長方のし尿処理場は、桜川市と笠間市の2市で運営されています)の議会があり、参加しました。

 議会後、意見交換会があり、それにも参加ししました。

 山口笠間市長は、私の笠間高校勤務時代は同窓会長でもあったので、知り合いです。今笠間市は、市内の道路整備が進んでいます。笠間高校も、美術科ができ、学校の雰囲気もぐ~と、よく変わったといっていました。他自治体の首長や議員と、本音で交流できるのは、勉強になるものです。


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茨城県初の共産党県議・高橋清さんの訃報に接して

2014年02月27日 23時17分06秒 | 議員活動

1970年に茨城県初の共産党県議になった高橋清さんが亡くなられた。85歳でした。

私が、はじめて茨城県の高校教員として赴任したのは1969年4月であった。はじめて茨城県高等学校教職員組合の会議に4月の終り頃参加した。そのとき、とても歯切れよく話をしている方がいた。それが、水戸商業高校の高橋清さんであった。

 その高橋さんが、翌年、1970年12月県議選に立候補することになった。

茨城県は、県議選挙が全国いっせい地方選挙でおこなわれない3つの県です。あと2つは、東京都、沖縄です。東京都と茨城県は、いわゆる黒い霧解散をしたため、いっせい選挙とずれることになった。

 茨城県で共産党県議が誕生したことが、「あの保守王国茨城」で共産党県議が誕生したことが、全国の共産党を励ますことになり、いわゆる第一次共産党の躍進が始まった。1972年の共産党衆議院議員40名の時代が生まれたのです。

 高橋清さんは、以後、連続6期、24年間共産党県議をつとめられました。

 晩年は、息子さんのいる宮城県に住まわれていました。

 個人の遺志により家族葬でおこなわれたとのことです。

 冥福をお祈りします。


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昨日の議会全員協議会での「中核病院に関する」菊池議員の発言

2014年02月26日 17時40分50秒 | 議会2

中核病院「推進会議」の進捗状況について

  全員協議会では、中核病院の進捗状況について、市当局から報告がありました。その中で、菊池議員は 次のような発言をいたしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は、2月20日、県の医療対策課にいき、要望書を提出し、懇談をしてきました。中核病院の一番の問題は、県も当事者なのに、「アドバイザー」だといって、何も具体策を出さないことにある。いま、区長会有志の方が、県知事に要望書をだそうということで署名が始まっている。市もこの方向で、がんばってほしい。

 また、新聞が、進捗状況を揶揄しているような書き方、「筑西市長はいらだっている」、「中核病院建設難航」などと書いている。TPPでも交渉というのは、困難を伴うものです。また、水面下で行うものです。その中身を洗いざらい記者会見で公表しては、まとまる話もまとまらなくなってしまう。

桜川市民は、県西総合病院存続の声が圧倒的に多い。交渉は粘り強くやるしかないのだから、市長には、桜川市の立場を堅持して、頑張ってほしい。私は、「大塚市長にがんばってほしい」というエールを送ります。

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今日の一部の新聞に、大塚市長の話が載っていますので、関連があるので紹介しました。

過日の筑西市長は記者会見を開いた時の発言ですが、大塚市長は、いわゆる「ぶらさがいり」という形の取材に答えたものです。


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3月議会の議事日程決まる

2014年02月25日 20時58分07秒 | 議会

今日、議会運営委員会が開かれ、3月議会の日程が決定いたしました。

3月4日(火)一般質問3人

       (午前10時開会、以後、最終日を除いて、

        原則午前10時開会です)

       菊池議員、市村議員、萩原議員

   5日(水)一般質問4人

       潮田議員、相田議員、川那子議員、榎戸議員

   6日(木)一般議案(一般会計補正予算案等)の提案、質疑、討論、採決

   7日(金)施政方針(大塚市長の初の施政方針演説です)

         予算議案の上程、説明

         (この日は、1日中、数字の読み上げで、

         「議会の1番長い日」と言われています。)

   10日(月)大綱質疑

         議員が予算案について、20分間質問できます。

         ただし、自分が所属する常任委員会の予算は、

         委員会で質問しますので、できません。

   11日(火)委員会審議

   12日(水)休会(この日は、各中学校の卒業式です)

   13日(木)委員会審議

   14日(金)委員会審議

   17日(月)最終日(この日だけ、開会は午後3時です)

          予算案の討論、採決。

          この日には、議員提案で、議員定数の

          削減が高田議員から提案される

          予定になっています。 

          (可決されれば、9月の市議選挙は新しい定数で

           おこなわれることになります)

 


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真壁水力発電所跡をみる

2014年02月24日 18時36分55秒 | 議員活動

3月議会の質問通告に、「小水力発電」の項目を加えた。

ところが、大正時代に、真壁町山口で、真壁町の電力をまかなうだけの量の水力発電所があったことを教えられ、市役所職員の方々と一緒に、そのあとを見に行きました。

 私が予想していたところと違い、発電機を置いた場所は、湯袋峠へ向かう、現在も人家のある近くなのですが、貯水池がはるかに離れたところにあったのです。

そこまで行くことになり、雪が残る山肌を、道なき道の藪の中を20分くらい登ると、貯水池跡がありました。そこには大正天皇即位を記念した碑もたっておりました。

 重機もなく、険しい山の中腹に、石積みの貯水池、1.5キロにわたる土管。立派な歴史遺産です。知る人ぞ知るで、もっと市民のみなさんに知ってもらう価値があると感じた次第です。

 真壁町の電気をまかなったのですから、それなりの工事をしているのです。発電機もドイツ製とのことですから、重さも相当あったと思われます。こんな山の中まで、良く運んだものと、一同、「ハアー、ハアー息を吐きながら、」語り合いました。

 最初は真壁水力発電所としてスタートしたのですが、その後、東京電力に買収されたのですが、昭和の初めには、廃止となってしまったようです。

 水量の関係で維持は難しかったようです。

詳しいことは、真壁庁舎文化財課にお問い合わせください。

 0296-55-1111

Img_1164

発電機のある場所から登ること徒歩20分。

石積みの貯水池が作られていました。

Img_1169

1.5キロ先の取水口から土管で貯水池まで水が運ばれました。ここから、一気に発電機に水が送られたようです。


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