菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

今日も、「菊池のぶひろの議会報告会」の周知の宣伝をしました

2018年07月31日 19時53分20秒 | 議員活動
 今日は、また暑さがぶり返したようで、街頭演説はできそうもない。
 そこで、8月4日の演説会の呼び込みをしました。

 午前中は、青柳、水戸、上城、西友部、東友部、松田と、かなり綿密にやったので、2時間以上かかりました。さすがに眠気を催し、12時すぎに終わりにし、昼寝となりました。

 午後は、4時半に出発し、上城谷中、稲荷橋、西小塙、羽黒駅周辺、加茂部と回り、最後は磯部で終わりにし、午後6時過ぎに終わりました。

「土生都」の名前の由来=良質の土の産地

2018年07月30日 21時37分49秒 | 桜川市
 私が真壁高校に赴任したとき、「土生都」先生という家庭科の品のいい、本当に家庭科らしい先生がおられました。私は「どいと」と読むのかと、長い間思っていました。
 真壁町には結構多い名前で、それほど珍しくないと思っていましたが、ある新聞の「珍名さんを追って」というシリーズ物(名字研究家・高信幸男)に書いてありましたので、紹介します。

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 茨城県桜川市の旧真壁町地域に「土生都」とかいて「はぶつ」と読む名字がある。全国に約30軒あるがほとんどが桜川市真壁町酒寄地区に存在している。実は、土生都家の元々の名字は、「羽仏」とかいたという。

  江戸時代、旧真壁町に立ち寄ったある旅人に「仏」の文字が入っていることから、縁起を考えて土生都に変えることを勧められたらしい。なぜ土生都だったのかは伝承されていない。

 ただ、この地域は昔から焼き物にする良質の土がとれ、「はぶ」の言葉に「土生」の文字を当てた可能性がある。「土」とは、古代の言葉で良質の土のことをいう。つまり、良質の土が算出される所であったので、「土生」の字を当てたものと思われる。

 「つ」に「都」を当てたのは、この旅人が都に上る途中であったことから「都」の文字を当てたのではないだろうか。いずれにしても、理にかなった名字である。

 土生都さんのエピソードで、東京で「沖縄の方ですか」と聞かれたそうである。「はぶ」から、沖縄の猛毒の「ハブ」と勘違いされたそうである。それにしても、「土生都」の名字を考えた旅人とはどんな人物だったのか知りたい。

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 私の「土生都」さんとの出会いは、真壁高校の先生、真壁町酒寄の十字路の土生都自転車屋さん、真壁町椎尾の土生都レンタカー、桜川市議会事務局長の土生都さんです。

  

常陸大宮市、常陸太田市の市議選挙を分析してみると

2018年07月30日 21時19分07秒 | 地方政治

 常陸大宮市議選挙
 ここでは、共産党議席が1から2になったことと対称的に、ただ一人の自民党公認の落選したことではないでしょうか。多くの方は、無所属も自民党もたいした違いはないと考えると思いますが、私はそうは見ません。たった1人だけの自民党公認が落選し、その対極軸にある共産党が議席を倍加した。これは、小さなまちの選挙ですが、将来をうらなう意味を持っていると考えるのです。

 私が注目するもう一つは、投票率です。前回の69%を大きく下回り、59%と10%も下がったことです。農村部の選挙も、都市部に近づいてきているのです。ちなみに、4年前の桜川市は72%でした。
 桜川市も、一気に下がることが予想されます。

 常陸太田市議選挙
 ここは自民党県連会長の梶山氏の地盤ですから、6人も公認されています。ここでも落選したのは、ダントツ最下位の新人を除けば、自民党公認の現職が落選しています。
 ここは4年前の投票率が57%でしたが、今回はさらに低くなって55%になっています。投票率だけみれば水戸市議選並みに低くなっています。

 これはあくまでも私の推測でしかないのですが、投票率50%前後が、日本国民の平均的投票率ではないかと考えています。それが、異常に、70%を超えている選挙は、背後に、政策以外の要素が働いているのではないのでしょうか。
 政策以外に、市民を投票所に足を運ばせる魅力的なものとは、みなさんが想像するもと一致いたします。





 

台風が過ぎ去るのを、街頭演説と演説会の呼び込みをしました

2018年07月29日 22時25分45秒 | 議員活動
 さいわいというか、幸運というか、桜川市は台風12号の影響もあまりなかったようで、10時頃から、街頭演説に出かけました。ところが、空には青いところが見えるに、突然のシャワーのような雨。演説も4回やったところで、「演説の呼び込み」に切り替えました。

 午前中は、鍬田、西区、東区、そして犬田を、かなり綿密に走行しました。先週の日曜日には、演説会実施のチラシを、今日の日曜日には、リーフレットを、桜川市全域に折り込ませていただきました。チラシと街頭からの宣伝で、少しは効果があったと思っているのですが、いかがでしょうか。

 昼寝をした後、午後というか、夕方は、御領、明日香、富士見台と国道50号線の北側を走行しました。

今日は、県北の常陸大宮市と常陸太田市の市議選挙の投票日です。

 常陸大宮市は、9時前に確定票が発表になり、共産党は2名に挑戦し、現職が最下位ながら当選し、2議席確保ができました。過疎の農村部の市で議席確保はすごいことです。

 10時半まで待っていても、常陸太田市は確定票が発表になりません。疲れていますので、私は寝ます。


注)7月30日、朝5時前に起きて、常陸太田市の宇野たか子さんの当選を確認いたしました。それにしても確定が午後10時過ぎというのは、遅かったですね。



 

山口武平氏の死去に触れて

2018年07月28日 07時43分37秒 | 地方政治
 今朝の茨城新聞のトップ記事、さらには23面も半分以上の紙面をさいて、「希代の政治家」として報道している。茨城県が「保守王国」と言われる時代をつくった政治家であるから、確かに、希代の政治家ではあった。一時は、自民党員が東京都につぐ全国第2位に押し上げたからだ。

 私は、1969年4月から、茨城県民となった。東京もいっせい地方選挙とずれて、7月に都議選挙を行なっていた。それは、私が高校生の時代に、汚職事件がおき、都議会が解散となったためだ。
 この茨城県も、県議選挙はいっせい地方選挙とずれて、12月におこなわれている。これも1966年におきた県議長選挙を巡る贈収賄事件で、議会が解散となったからだ。山口氏も関与し、有罪となった。

 私が覚えているのは、1972年の参議院補選からである。先代・中村喜四郎氏が死去し、それに伴う補欠選挙が行なわれた。中村喜四郎氏といえば、オートバイにまたがり、県内各地を乗り歩くバイタリティで知られていた。「すごい議員がいるもんだ」と感心したことを覚えている。この補選では、喜四郎氏の奥さんの登美氏が当選した。「弔い選挙」の強さを、知った。ここから、中村喜四郎氏と山口武平氏の因縁の関係が始またとのことである。
 
 それから、山口氏は、国政に出るのを断念し、県議一本で行くことになった。茨城県以外では、自民党県連会長は国会議員が務めている。ところが、茨城県は県議の山口氏が県連会長を長くつとめてきた。
 私には、この政治構造の力学が理解できなかった。だれにも聞くわけにも行かず、「山口武平氏の力は強いもんだ」と思うしかなかった。今日の茨城新聞の「評伝」で少しはわかった気がするが。

 そんな山口氏と席を隣あわせになる機会が一度だけあった。それは、笠間高校の同僚の父親の葬儀で、岩井市(今は坂東市)にいったときである。そのとき、「県議会のドン」といわれた山口氏もきていた。顔をみただけでは気がつかないほど、静かな方だった。ところが、葬儀が始まると、隣の席に座る人がいない。そこで私は持ち前の図々しさを発揮して、隣に座った。そこで、「県議をされている山口さんですよね」と声をかけた次第です。本当のドンという人は、「ふだんは、目立たず、穏やかにしている」ということを学んだ次第です。

 なぜこんなことを言うかというと、いまから約40年前、真壁高校で「創立70年式典」をおこなったのときことです。当時の校長は、退職後は七会村長になったほどの「政治家」です。普通は、真壁郡の県議を優遇して来賓挨拶してもらうのです。ところが、県議を代表して来賓挨拶にたった県議は、鉾田町で県議をしていた方だったのです。この方は、山口氏がドンになる前の県議会のドンだったのです。式典がおわり控え室にかえってきた真壁郡の県議の「おこること、おこること」。
 しかし、山口氏の死去により、3代続いた「ドンの時代」も終わることでしょう。

 山口武平氏死去の報に接し、こんなことを思い出しました。