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相模国の夢のまた夢のお話

2013-04-18 22:54:41 | いい街・相模原
よくブログを読んでくださっている方から「相州ってなんとなく分かるけど、そういう言葉って今まだあるんだっけ?」と質問されます。このブログの左側にいつもある画像「相州の誇りを胸に」を見てのご指摘です。
確かに「相模原の誇りを胸に」で全然問題ありませんし、むしろそのほうが一般的で、多くの皆さんにご理解いただけるとも思います。でもやっぱり私的には「相州」でありSC相模原は「相模の国」の人たちに支持されるクラブであって欲しいと願っています。

現実に、SC相模原の活動を見ていると、積極的に隣接する市町村の皆さんと交流する場をもっています。普段、SC相模原が練習しているのは、綾瀬市です。4月、始めて出来たSC相模原のオフィシャルショップは海老名市にあります。またここ2~3年、愛川町の子供たちとの交流の場も積極的に作っています。関東リーグの試合を愛川町で開催したのは、近年ではSC相模原だけではないでしょうか。私は、座間市・大和市・厚木市・清川村も含めて、「県央地区」の市民の皆さんともっと積極的に交流を持っていいのではないか、と感じています。それを、考えると今年のJFLホームゲームで麻溝公園競技場が使えない10月26日(日)の試合が、なぜ「武蔵の国・横浜市」保土ヶ谷公園なのかが今もって疑問に思います。

鎌倉時代約140年間、相模国(さがみのくに)は日本の政治の中心地でした。今で言う県知事の相模守は、鎌倉幕府の最高の政治権力者である執権・北条氏が代々務めていたようです。また戦国時代、相模国・小田原城を拠点にした(後)北条氏は、甲斐・武田や越後・上杉と言った強力な戦国大名を押しのけ関東をほぼ平定していたのです。そうした、相模国(さがみのくに)の先人達の夢物語になぞらえて、このSC相模原というクラブを語るのも、面白いと思いませんか。相模国の覇権をめぐる湘南 VS 相模原対決。ヴァンフォーレ甲府との甲相決戦。こうした楽しい「戦国サッカー」ダービーマッチの構図がいくつも出来あがります。

SC相模原は、今年JFL昇格を達成しました。次の目標は「J2昇格」です。JFLであれば「相模原市のサッカークラブ」で十分です。しかしJ2に上がるのであれば少なくとも「神奈川県県央地区をホームタウンにするサッカークラブ」に、J1に上がりたければ湘南ベルマーレを追い越して「相模国(相州)を代表するサッカークラブ」に支持層を広げて行かないと、クラブ経営は成り立たないのではないか、と私は個人的に考えています。ベルマーレ平塚が湘南ベルマーレになった経緯、ジェフユナイテッド市原が、千葉に本拠地を移した経緯、ザスパ草津が今年からザスパクサツ群馬になった経緯を思い起こせば、なおさら「相模原市だけにとどまらず広く県央地区の市民の皆さまにも愛されるようになって欲しい。」と思ってしまうのです。
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