小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

ウクライナ紛争で、日本が対ロ制裁を強化することは、国益上プラスかマイナスか。(前)

2014-07-31 06:17:35 | Weblog
 思わず、笑ってしまった。テレビを見ながら声を出して…。そして、怒りが込み上げてきた。
 見たテレビの番組は、NHKのニュース7である。ニュースの内容は、ウクライナ問題で、欧米がロシアへの経済制裁の強化に踏み切り、日本も同調することを菅官房長官が記者会見で発表したことについてである。
 なぜ、腹の底から笑ってしまったのか。読者の予断を避けるため、NHKオンラインから報道記事の主要な部分を転載する。なお菅官房長官の発言部分はカットされていた。

 ウクライナ情勢を巡り、EU=ヨーロッパ連合とアメリカが連携してロシアへの大規模な追加制裁を発表したことを受けて、ロシア中央銀行は、制裁の対象となった政府系銀行への支援を打ち出しましたが、経済への影響は避けられない見通しです。(中略)
 EU=ヨーロッパ連合のファンロンパイ大統領らが、制裁の合意に当たって発表した声明では、「ウクライナを不安定化させることは、ロシアの経済にとって、大きな代償を伴うことを、ロシア指導部に強力に示すものとなる」として、ロシアに強く警告を発しています。EU各国は、ロシアとの経済的な結びつきが強いため、これまで経済制裁には、慎重な立場を示してきました。
 今回の合意に向けては、ロシア経済に大きな影響を与えるため、ロシアの基幹産業にかかわる金融、防衛、エネルギーの3つの分野で、制裁を科すことにしましたが、その中身については、EU経済への影響を抑えるよう慎重に検討が行われました。
 このうち金融分野では、ロシアの政府系銀行が、ヨーロッパの市場から新たに資金調達することができなくなるため、欧米の金融市場に大きく依存しているロシア経済にとって、痛手となることが予想されています。
 一方、エネルギー分野では、深海の掘削技術や北極海での油田開発など、主に石油産業への先端技術の供与を制限していますが、EUにとってロシアへの依存度が高い天然ガスの取引については、制裁の対象から外されました。
 また、今回の制裁では、ロシアとの武器の取引も制限されていますが、対象となるのは、今後、新たに結ばれる契約で、3年前にフランスがロシアと結んだ強襲揚陸艦2隻を売却する契約については、対象になりませんでした。

 私が思わず声を出して笑ってしまったのは、制裁対象から除外された「天然ガスの取引」とフランスの「強襲揚陸艦売却契約」である。なんと、ご都合主義的な「制裁」か。こんな制裁を国際社会が「正義」と認めるとでも思っているのだろうか。
 マレーシアの民間航空機の「誤撃墜」は、すでにウクライナ東部の反政府過
激派グループによるものであることは明らかになっている。フライトレコーダーも過激派グループから国際調査団に提供されている。
 私は、メディアが「親ロシア派」と位置付けている過激派集団について、「反政府過激派グループ」(「集団」でもいい)と書いた理由を述べておく。
 ウクライナ全土で投票が行われた大統領選挙でポロシェンコ現政権が誕生した。大統領選挙は正常に行われ、親ロシア派の国民が選挙をボイコットしたかどうかは分からないが、少なくとも選挙妨害を行ったという報道はされていない。ロシアのプーチン政権も、ウクライナの新政権を承認している。
 ウクライナで新政権が誕生する前の紛争は、まぎれもなく「親欧米派vs親ロシア派」だった。そもそもメディアは当初、この対立を「暫定政権vs親ロシア派」と位置付けていた。私がブログでも書き、主なメディアにも、そういう対立軸で紛争を位置付けるのはおかしいと主張し、メディアは私の主張を受け入れて「親欧米派vs親ロシア派」と対立構造を位置付け直した。
 ウクライナに国際社会が承認する新政権が誕生した以上、その政府の政策であるEUへの加盟はウクライナの国民が選択した道であり、ロシアもそのことは承認している。その瞬間から、対立構造は「親欧米派vs親ロシア派」ではなく「新政権(あるいは新政府)vs反政府過激派」に変わった。そう理解するのが、ウクライナ情勢のフェアな認識方法である。
 そのことを踏まえ、ポロシェンコ大統領も国内の軍事紛争を打開するため、一時的な攻撃停止を軍に命じた。そのうえで、東部2州には大幅な自治権を与えることも提案した。また、過激派に対する制裁も極力行わないとまで譲歩の姿勢を見せていた。
 が、反政府過激派は、ウクライナからの分離独立を要求して一歩も引かない姿勢を崩さなかった。彼らの多くはロシア系民族のようだが、ロシアのプーチン政権にとっては「鬼っこ」になってしまった。クリミア自治共和国が住民投票でウクライナから分離独立して、ロシアに編入したことについては、もはや既成事実として欧米も黙認している。ロシアにとっても、これ以上欧米との対立は回避したいはずだ。
 またウクライナは鉄鋼などの重工業を基幹産業としている国であり、産業を支えるエネルギー源である天然ガスはロシアに依存している。そうした事情から、ポロシェンコ大統領も、EUへの加盟は表明したが、ロシアとの友好関係は継続したいとプーチン大統領との会談を希望していた。プーチン大統領もポロシェンコ大統領との話し合いには前向きだった。
 が、ウクライナとロシアの関係が一気に悪化したのは、実は東部の反政府過激派の軍事的抵抗ではない。ウクライナがロシアの勢力圏にとどまっていた時代までは、ウクライナへの天然ガスの供給は、国際市場価格の約半値で提供するという最恵国待遇を行ってきた。またロシアの天然ガスのヨーロッパへの供給のためのパイプラインはウクライナ国土に敷設されている。そのため、ウクライナの企業による「盗み」の疑いが前々から指摘されていた。
 そうした経緯もあってロシアはウクライナへの天然ガス供給について、それまでの最恵国待遇を中止し、国際相場価格に引き上げることと、それまでの未払い分を支払うまでウクライナへの天然ガスの供給をストップすると宣言した。こうして発足したばかりのポロシェンコ政権は、たちまち窮地に立たされることになる。ロシアへの対抗策として反政府過激派への攻撃も再開し、ウクライナ紛争は泥沼化していった。
 そうした中で生じたのが、マレーシア機に対する反政府過激派の「誤爆撃」だった。航空機には軍用機か民間機化の識別装置が必ず搭載されており、プロの軍隊だったら「誤爆撃」など絶対にしない。正規のロシア軍の行為でないことは明らかだ。ただプーチン大統領にとっては、この反政府過激派の行動はまったくの誤算だったと言えよう。だが、「鬼っこ」みたいにロシアによる制御不可能な状態になっている反政府過激派の行動に対して、親の言うことを聞かない子どもを叱るように、お灸をすえるくらいのことはすべきだったと思う。
 EUも、本音はロシアとあまり事を構えたくなかったと思う。実際、対ロシア制裁も、私が思わず笑ってしまったように、「そんな勝手な話はないだろう」というものだ。EU諸国にとって必要不可欠なロシアの天然ガスは従来通り供給してもらいたい、フランスが建造中の軍用船のロシア売却は契約通り進める。そんな自分勝手な「制裁」行為が、ウクライナ紛争に利害関係のない国から笑いものになるのは当然だろう。
 そういえば、日本もウクライナ紛争とは利害関係がないはずだ。なぜ欧米による「対ロ制裁」を笑わず、同一歩調をとるのか。果たして日本が対ロ制裁を強化することは、日本の国益(安全保障と北方領土問題の解決、ロシア東部の眠れる資源開発に技術的・経済的に協力することで得られるものなど)にとって、どういう意味を持つのか。
 今日はこれから出かけなければならないので、続きは明日書く。読者も日本の対ロ制裁強化は、国益上プラスになるのかマイナスになるのか、明日までに考えたおいてほしい。
 

改めて問う。国の在り方を転換する重大事を、国民の意思を問わずに閣議決定で決めていいのか。

2014-07-30 07:08:09 | Weblog
 昨日までの「集団的自衛権行使容認問題」についての2回にわたる長期連載ブログを書き終えて、正直かなりの疲労感がある。また新たな視点が思い浮かべば書くが、現時点で私がこの問題について書きたいことは書き尽くしたという思いもある。疲労感もあるが、同時にさわやかさもある。「集団的自衛権問題」に関して、閣議決定支持派も批判派も、私以上の論理で主張できる人は日本に何人いるだろうか。
 実は、かく言う私自身、この問題に私のように頭を真っ白にして取り組めば、同様の結論を論理的に導き出せる人はかなり多いのではないかと思っている。ただ頭の中を空っぽにして、一切の既成概念や価値観、常識を排除するということは、それほどたやすいことではない。現に公明党・山口代表の「他国のためだけでなく」という発言に、びっくり仰天する感覚は、学んで得られるものではない。だが、私がそのことを指摘すると、100人中100人が「その通りだ」と理解する。また安倍総理が「湾岸戦争のような戦争に参加することはない」という説明を聞いて、「では、イラクのフセイン政権によって人質として拘束された141人の日本人を見捨てた海部内閣と同じことをするのか」と素朴な疑問をぶつけると、やはり100人中100人が私の主張に同意する。

 ただ、まだ私自身、「なぜなのか」という疑問をいまだ解決できない問題が残っている。憲法96条の制定のプロセスと、「硬性憲法」とされるこの規定が、肝心の国民の同意を得ずに制定された理由に納得がいかないからだ。
憲法96条は、憲法改正の要件を定めた条項である。具体的には、①衆参両院でそれぞれ3分の2以上の賛成で発議でき、②国民の過半数の賛成で改正できる、というものだ。
 国民の過半数の同意は民主主義制度においては当然のことであり、②の要件はハードルでもなんでもない。問題は①のほうで、衆参両院でそれぞれ3分の2以上の賛成が必要とされていることだ。これでは「国民主権」ではなく「国会議員主権」ではないか、と私は素朴な疑問を持つ。
 実は大日本帝国憲法においても、帝国議会の両院(公選の「衆議院」と非公選の「貴族院」)でそれぞれ3分の2以上の出席と、出席議員の3分の2以上の賛成が憲法改正の要件とされていた。
 また現行憲法制定に大きな影響を与えたアメリカも日本以上の「硬性憲法」と言われ、上下両院でそれぞれ3分の2以上の賛成に加え、全州議会の4分の3以上の賛成が必要とされている。

 憲法は、権力をしばるためのもの、と解釈されている。かつての日本は天皇が統帥権という絶対的権力を持っており、また大統領制をとるアメリカも大統領が相当大きな権力を持っている。だから、権力による独裁政治を防ぐための防波堤としての意味を持つことは理解できるのだが、現在の日本のように議員内閣制の場合は首相に絶対的権力が集中することはありえず、硬性憲法にして、憲法が時代の要請にこたえられないようにまでする必要性があるのかと思う。
 また、現行憲法が制定された時代と異なり、国民が接するメディアの選択肢も大幅に増えた。私のブログも、「継続は力なり」で、亀の歩みのようではあるが読者が着実の増え続けており、メディアや政党に対してそれなりの力を持つようになってきた。だから、こうやって1円にもならないブログを書き続ける意欲も湧いてくる。
 私のブログのことはともかく、政治家や政党もSNSを利用して、費用をかけずに主張を広く訴えることができるようになり、インターネットの世界は国民の知る権利を大幅に拡大した。メディアの主張が様々であればあるほど、国民は多くのメディアに接することにより、特定のメディアの世論誘導的な主張に惑わされる危険性も少なくなってきた。
 国民は、もっと自分自身に自信を持っていいと私は考えている。メディアも、国民の民度の高さを重く見るべきだ。
 メディアの人たちは、自分があたかも特権階級の存在であるかのように考えていないだろうか。読者や視聴者より、自分たちは頭がいいと思い上がってはいないだろうか。「上から目線」で主張していないだろうか。
 またメディアの人たちは、自分が属するメディアに対しても常に批判的精神で対する、というジャーナリストとしての基本的姿勢を忘れているのではないだろうか。メディアはしばしば間違うことを、メディアの人たち自身が自覚してほしい。先の大戦におけるメディアの報道姿勢については、すべてのメディアが間違っていたと、しおらしく「反省」して見せてはいる。が、その間違いがどうして生じたのかの検証はおざなりだ。
 メディアは勘違いしてはいないだろうか。「メディアが1枚岩でなければならない」などと思い込んでいないだろうか。メディアの使命は、読者や視聴者に、自分たちが自分たちの頭で判断できるように、正確な情報を提供するだけでいい。そして報道スタンスは読者や視聴者が決める――もうメディアと読者・視聴者の関係は逆転すべき時期を迎えている。そうなれば、読者が創り上げる新聞、視聴者が創り上げるテレビが、国民から支持されるメディアになる。

 読売新聞が独自の憲法改正試案を発表したのは1994年11月3日だ。実は11月3日という日付けには大きな意味がある。現行憲法が、帝国議会の承認を経て公布されたのが、その日なのだ。国民周知のための半年の期間を置いて翌年の5月3日から施行された。国民の祝日である「憲法の日」は、現行憲法が施行された5月3日になっているが、現行憲法が制定されたのは11月3日なのだ。
 その日の重みを胸に抱いて、読売新聞は総力を挙げて憲法改正試案(以下「試案」と略す)を作成した。いまから20年も前のことだ。当時のメディアは「新聞社のやるべきことか」と一斉に反発した。が、国民的憲法議論に、読売新聞が最初に小さな灯をともした記念すべき日でもあった。いまメディアによる憲法論議はタブーではない。この20年で日本人の民度がどれだけ成熟したか。
 その試案をいま私は読み返している。現行憲法は旧憲法を多少引きずっていて、第1章は「天皇」だったが、読売新聞は試案で第1章にあえて「国民主権」という項目を新設した。現行憲法の前文で国民主権についてこう述べている。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恩恵を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることがないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(後略)」
 現行憲法も国民主権を謳ってはいるが、現行憲法は国民の総意を問わずして作成されたにもかかわらず、あたかも憲法の「確定」が国民の主権によって行われたかのような書き方になっている。
 それに対し、試案は前文できわめて簡潔にこう述べている。
「日本国民は、日本国の主権者であり、国家の意思を最終的に決定する。国政は、正当に選挙された国民の代表者が、国民の信託によってこれに当たる」
そして試案の第1章「国民主権」の項の第1条と第2条ではこう述べている。
「第1条(国民主権)日本国の主権は、国民に存する。
 第2条(主権の行使)国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じ、及び憲法改正のための国民投票によって、主権を行使する」
 試案が現行憲法に比して「主権在民」をより明確に憲法の条文に反映していることはだれも否定できないだろう。条文の文章も、かなり格調が高く、日本国民が誇りを持って自国憲法を語れるものになっていると思う。
 ただ、主権の行使が、選挙によって国民の意志を国政に反映させることと、憲法改正の際の国民投票に限定されているのは、やはり国政の現状を見るとき物足りなさを感じる。
 日本の首相は公選制ではなく、議会で選出される。そして首相の権限は内閣
の組閣と衆議院の解散権だけである。前回の参院選やその前の衆院選で自民党が圧勝したが、自民党は選挙の公約(マニフェスト)ではまったく触れなかった、従来の政府の公式見解である「集団的自衛権は、憲法の制約によって行使できない」としてきたのを国民の意思を問わずに変更し、「憲法解釈の変更によって行使できるようにする」と閣議で決めることができるということになると、果たして国民の意志が反映された国政と言えるのかどうか、きわめて疑問だ。メディアが政府の方針をどう評価するかは、NHKを除いて自由だが、非常に重大な国政の転換が、いとも簡単に行えるということに私は最大の危惧を感じる。
 少なくとも、国の在り方や、平和と安全を維持するため、国際社会に対する貢献と責任の基本的在り方を変更するような重要なことは、国民の総意によって決められるよう、国民投票の権利を選挙と憲法改正だけにとどめず、国会での一定の手続きによって行えるよう、国民の権利をより拡大した条文を試案に盛り込むべきだったと思う。
 今後、閣議決定に伴い、自衛隊法や周辺事態法など関連法案が20以上国会に上程されることになっているが、政府は来春の統一地方選挙まで法案提出は見送るという。国民の審判をあえて避けるという安倍内閣の姿勢に、国民が統一地方選挙でどういう意思を反映させるか、結果は目に見えるようだ。ただ政権の受け皿が、まだ日本には育っていないという状態が解消されていない。
 55年体制に終止符を打った細川内閣は「野合政権」だったし、事実上の単独政権だった民主党は「野合政党」だった。いま野党は党内の主導権争いで乱立状態に四散しており、自公政権の受け皿になれるような軸が見えてこない。
 自民党も一枚岩ではない。多くの派閥を抱えながら、過去にも小分裂を繰り返しながらも、何とかぶれない中心軸を維持してきた。その知恵を野党は学ぶべきだ。そもそも太陽の党と維新の会が合流したとき、石原氏は「小異を捨てて大同に付く」と主張していた。共同代表の橋下氏が結いの党との合流を目指しだした途端、国民には理解できない「憲法改正」と「新憲法制定」との「考え方の差異」を理由に橋本派とたもとを分かった。この「分党」で分かったことは、「小異にこだわることにした」のではなく、新党の主導権を握れなくなることがはっきりしたからだということだ。国民は分かっているのに、メディアが分かっていない。これはもはや「悲劇」ではなく「喜劇」である。
 疲労困憊状態の中で、とりあえず、予定を変更して憲法について考えてみた。「憲法解釈の変更」という重要なことを、時の政権が自由に閣議で決めていいものか、という疑問が新たに生じたためである。

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑧

2014-07-29 07:26:55 | Weblog
 吉田内閣が、「国家警察予備隊」という名称での自衛部隊を創設したのは1950年8月10日である。日本の軍事力を完全に解体したアメリカが、占領下における日本の安全を守るために、米陸軍四個師団を日本に駐留させたものの、朝鮮戦争の勃発によって日本駐留のすべての米軍兵力を朝鮮半島に投入せざるを得なくなり、マッカーサーは吉田内閣に自衛部隊の創設を命じたのだ。マッカーサーが吉田内閣に交付した指令書(50年7月8日)にはこうある。
「日本の警察組織は民主主義社会で公安維持に必要とされる限度において、警察力を増大強化すべき段階に達したものと私は確信する。したがって私は、日本政府に対して75,000人からなる国家警察予備隊を設置するとともに、海上保安力に8,000名を増員するよう必要な措置を講ずることを許可する」
「許可する」とは言葉のあやにすぎず、空白状態になった日本の自衛力の再建を命じたものだった。それが証拠に、警察予備隊は創設したものの、警察予備隊には自衛手段である装備類は皆無だった。防衛庁がまとめた『自衛隊10年史』にはこうある。
「警察予備隊発足当時の主要装備は在日米軍から貸与を受けたが、これら装備品は米国との協定に基づくものではなく、米軍の所有する武器等を必要のつど、借用するという形式をとった。したがって、所有権は米国政府にあり、修理・整備は米軍が行っていた」
 また傾斜生産方式によって日本経済の再建を最優先課題としていた吉田内閣にとっても、警察予備隊の創設は経済的にも大きな負担であった。警察予備隊創設後の国会での施政方針演説で吉田首相はこう述べている(51年1月26日)。
「わが国の安全は国民自らの力によって保障され、擁護せられるべきはもちろんであります。しかしながら、これを直ちに再軍備に結びつけ、これを軽々に論断することは私のとらざるところであります。我が再軍備論は、すでに不必要な疑惑を内外に招いており、また事実上強大なる再軍備は、敗戦後の我が国力の耐えざるところであります」
  日米安全保障条約(以降「旧安保」と記す。1960年に岸内閣の手によって改定された現在の日米安全保障条約は「新安保」と記す)は、1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に日本と連合国49か国が調印して日本の独立が確定した、その日に日米両国の間で調印された。サンフランシスコ講和会議には中国は招かれず(中国ではすでに中国共産党の独裁体制が確立していたが、アメリカは台湾で蒋介石が率いる国民党政府を中国の代表と見なしていた。が、蒋介石を講和会議に招くことにはソ連のスターリンが同意せず、中国の代表者は講和会議に招かれなかった。それがパワー・ポリティクスの実態であることを読者は理解しておく必要がある)、インドとビルマは参加を拒否した。会議の最終日の8日、ソ連、チェコスロバキア、ポーランドの3か国が調印を拒否、日本との講和に調印したのは49か国にとどまった。

 旧安保は、前文及び五つの条文から成り立っているが、そのポイントは以下の通りである。
 日本は武装解除されているため、個別的自衛権を行使できる有効な手段を持っていない。しかし無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないため、日本は防衛のための暫定措置として、日本に対する武力攻撃を阻止するために、米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを希望する。アメリカは日本の平和と安全のために、自国軍隊を日本国内およびその付近に維持する意思がある――。
 これが、実は個別的自衛権と集団的自衛権の関係を明確に示している。ソ連はまだ原爆の開発に成功しておらず、世界最強の軍事力をアメリカが誇示していた時代で、「日本が、自国に対する武力攻撃を阻止するために、アメリカに日本防衛のための兵力を日本国内およびその周辺に駐留することを希望し、アメリカは日本が独立後も“占領軍”を日本に駐留させる」ことを約したのが旧安保だった。もっとわかりやすく書けば、日本の要請によって米軍が日本を防衛する部隊を配置することを取り決めたのが旧安保である。もし日本が他国から攻撃された場合、集団的自衛権を行使できるのはどっちか、ここまでわかりやすく書けば、中学生でも理解できるはずだ。さらに念押ししておこう。集団的自衛権の意味について、この時代はアメリカも正確に理解していた。米ソ冷戦が激化する過程で、米ソは「協同」で集団的自衛権の解釈をご都合主義的に変更してきたのである。
 旧安保によれば、駐留米軍は「極東における国際平和と安全に寄与する」ため、また「外部の国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱および騒擾を鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するため使用することができる」となっていた。
 実はこの条文の草案段階では「もっぱら日本の防衛を目的とする」という表現で日米がいったん合意していたのを、アメリカ政府が「日本の安全に寄与することを目的とする」に変更するよう強く主張し、日本政府がやむなくアメリカ側主張をのんだという経緯がある。
 なぜか。この表現の微妙なニュアンスの差異を理解できないようでは、ジャーナリストの資格がない。前者の表現だと、日本駐留の米軍が「日本防衛のためではなく」他の目的のための軍事行動を行う場合に問題が生じかねないと米政府は危惧したと思われる。「もっぱら」という表現は100%の制約を受けなくても、限りなく100%に近い制約を受けざるを得なくなる。そうなると、日本駐留米軍の手足を、ある程度日本政府に縛られることになりかねない。そうなることをアメリカは危惧し、行動の自由を確保したのである。
 実際、草案のまま条文として締結していたら、日本駐留米軍がベトナム戦争の際、日本駐留米軍を動員する時に問題化していた可能性は否定できない。草案を変更することによって駐留米軍は「日本国の安全に寄与するため使用することができる」と、日本防衛は駐留米軍の目的の one of them にしたのである。つまり駐留米軍の主要な目的は、日本防衛ではなく、アメリカのアジア太平洋地域の「国益」を守ることにあった、ということだ。だから、日本の米軍基地の大半が、日本の安全とほとんど無関係と言っていい沖縄に集中しているのである。
 なぜ日本独立後も、アメリカは沖縄を日本に返還せず、占領し続けたのか。そして佐藤内閣時に沖縄を返還しながらも、沖縄に配備した米軍基地だけは撤去せずに沖縄全土を巨大な軍事拠点として今日に至るまで維持しているのか。そのことを考えただけでも、アメリカは日本の主権を侵し続け、自国の「国益」のために沖縄を利用し続けている理由を垣間見ることができよう。
 また、旧安保の前文には「(日本が)直接および間接の侵略に対する自国の防衛のため、漸増的に自ら責任を負うことを(アメリカは)期待する」と明記されており、警察予備隊の枠組みを超えた軍事力の整備を図る義務が日本には課せられることになった。
 この旧安保は国会で紛糾した。社会党が「対米従属だ」と猛烈に反対したのは当然としても、吉田内閣がGHQとすり合わせて作成した新憲法の政府原案に「このままでは自衛権すら持てなくなってしまう」と修正した芦田氏も「日米安保は日本の安全だけでなくアメリカにも利するところが大きいのに、ひたすら日本の懇請に基づいたようになっている」「米軍に国内の治安を頼むような内容になっているが、これは吉田首相のいう民族の自負心と矛盾しないか」「日本が自ら防衛責任を負えるようになるため、アメリカに対して経済援助の戸口をたたく従来の態度をやめ、軍事援助の戸口をたたいて再軍備すべきではないのか」と厳しく政府を追及した。
 吉田首相はこれに対し「当面は国力の回復を図ることと、民主主義日本を世界に印象づけることが大切だ」と、経済復興に全力を注ぐ姿勢を明らかにしただけだった。この答弁で国会を乗り切った吉田首相が、政界引退後に書いた回顧録『世界と日本』で、日本はすでに世界の一流国とあらゆる面で伍するようになったのに、いつまでも自国の防衛を他国に頼っていてよいのか、と吉田後の政府の姿勢を痛烈に批判している。
 旧安保を批准した国会では、憲法論議はほとんど行われなかった。旧安保に
は日本自身の手による防衛責任が明確にうたわれたのに、自衛権と憲法9条の整合性を問題視する政党はなかった。なおサンフランシスコ講和条約も旧安保条約も圧倒的多数で可決されており、この時期の保守と革新の力関係からすれば、憲法を改正することは十分可能だったと思う。
 憲法9条の制定過程についての歴史的検証は行われており、私もさんざんブログで書いてきたが、憲法改正の要件を定めた96条の制定過程の検証は行われた気配がない。日本が主権を回復した時点の状況を考えると、吉田首相が敢えて憲法9条を存続させたことについては理解できなくもないが、将来日本経済が復興を成し遂げた時点で、憲法改正が国民の総意によって行えるよう、96条だけでも改定しておくべきだった。吉田首相自身が、回顧録を書いた時、そのことを一番悔やんでいたのではないだろうか。
 そう考えると、安倍内閣による「憲法解釈の変更」の閣議決定は、せっかく国民的合意として形成されつつあった憲法改正への気運を、完全に振出しに戻してしまった。いま憲法改正の是非を世論調査で問うたら、間違いなく国民は拒絶反応を示す。
 まだ安倍内閣に対する支持率は、私が予想していたほど低下はしていない。が、内閣発足以来最低の支持率に下がっていることも事実だ。支持率がまだ比較的高水準にあるのは経済が回復しつつあることによると思われる。が、その原因は、いわゆるアベノミクスによるものとは言えない。確かに建設業界は公共事業ラッシュで人手不足状態にあるほど好景気に沸いているが、肝心の円安誘導によっても輸出産業の国際競争力は一向に回復の気配を見せない。
 私が安倍内閣が発足した直後の13年12月30日に投稿したブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で提案した景気回復のための税制改革を、安倍内閣が、まだ不十分ではあるが、実行に移しつつある結果として消費税増税による内需の冷え込みが「想定内」に収まったからである。「不十分」と書いたのは、このブログで提案した税制改革だけでは不十分だったということを、私自身がいま気付いていることも含めてである。もっと抜本的に「税」についての考え方を見直すことを提案すべきだったと思っている。そのことについては、明日のブログで書きたいと思っているが、集団的自衛権問題の二度にわたる長期連載ブログのために心身ともに疲労しており、1日休ませていただくかもしれない。
 とりあえず、旧安保下での日本の防衛力整備に話を戻す。アメリカから自衛力の強化を要求された吉田内閣は、とりあえず「形だけでも」と考えたのか、警察予備隊と海上警備隊を統合して保安隊を発足させることを決定、52年5月10日、衆議院に「保安庁案」を提出した。当時「非武装中立」という妄想を抱いていた社会党から憲法9条との整合性を追及され、吉田首相は「戦力とは、近代戦争を有効に遂行しうるだけの装備を有するものであり、保安隊はその規模および実力からして戦力に該当しない」と強弁し、「戦力なき軍隊」という奇
妙な流行語が生まれた。
 ただ保安隊発足後、米軍から貸与された装備類は警察予備隊時代に比べると、かなりの重装備になっている。日本駐留米軍は朝鮮半島にくぎ付けになっており、日本の米軍基地に残っていた装備類を保安隊に貸与することによって、保安隊の自衛力を高め、アメリカの負担を軽減したかったのだろう。
 さらに翌53年6月にはアメリカはMSA法による「援助」を吉田内閣に提案する。MSA法は51年に米議会で成立した「相互安全保障法」で、同盟国への武器供与を定めた法律である。警察予備隊も保安隊も、装備類を米軍から貸与されていたが、「貸与」から「供与」に変えるという提案である。「タダほど高いものはない」のたとえ通りで、もちろん「供与」には条件が付いていた。実際MSA援助の条件として米政府の公式文書にはこう書かれている。
「アメリカから援助を受ける国が最大級の自助努力を行い、アメリカと共同して自由世界を防衛することが相互安全保障の目的であり、これを最大の効率と最小のコストで実現するためにアメリカの資源を活用することが、アメリカの確固たる方針である」

 その後、日本は経済力の回復に伴って、自力による防衛力の整備を図っていく。吉田内閣は、保安隊の位置付けを「日本防衛のための軍隊」であることを明確にするため、「自衛隊」に再編する構想を54年1月の通常国会の施政方針演説で明らかにした。吉田内閣はこの国会で防衛庁設置法と自衛隊法を上程し、衆参両院での可決を経て7月1日、防衛庁と自衛隊が誕生した。その過程で問題になったのは「戦力なき軍隊」の自己矛盾だった。
「戦力」という表現に吉田首相がこだわったのは、憲法9条に「戦力の不保持」が明記されていたためで、憲法に抵触しないために「実力」という意味不明な言葉を発明せざるを得なくなった。「憲法が保持を禁じている戦力とは、自衛のための必要最小限度を超えるものであり、自衛隊が有する実力は戦力に該当しない」という解釈を、政府として初めて示したのである。憲法9条についての政府の公式解釈は、これが最初であり、今日に至るまで変えていない。前にも書いたが、憲法9条について政府が公式解釈を表明したのは、これが最初であり、その解釈は今次閣議決定でも変更されていない。
 そういう意味でも、安倍総理が主張する「憲法解釈の変更」とは、何を意味するのかまったく不明である。「自衛のための必要最小限度」を超えるのが「集団的自衛権行使」のための実力であるとするなら、確かに「憲法解釈の変更」に相当するが、閣議決定はあくまで「必要最小限度の実力」の範囲にとどめている。閣議決定のどの部分が「憲法解釈の変更」に当たるのか、安倍総理は国民に説明する必要がある。
 自衛隊発足後も、日本は自衛力の整備拡充に力を注いでいく。それに伴って旧安保の「対米従属性」が国会で問題視されるようになった。そうした中で57年2月に発足したのが、安倍総理の祖父である岸信介内閣である。内閣発足直後に岸首相が渡米し、アイゼンハワー大統領に「安保改定」を強く申し入れた。国民から誤解されている要素もあるが、新安保はアメリカから押し付けられたものではなく、日本からの要請で改定されたのである。
 58年10月、東京で安保改定交渉が始まった。この交渉で日本がアメリカに要求した主なポイントは六つあった。
①旧安保には明記されていない米軍の日本防衛義務を明文化すること。
②在日米軍の日本領域外での作戦行動を協議事項にして、日本側の意見が尊重
 されるようにすること。
③米軍の核持ち込みに関しては何らかの了解を与える。
④旧安保の内乱条項は、独立国の体面を傷つけるから削除する。
⑤国連憲章との関係を明確にすること。
⑥期限を明記すること(旧安保は期限が定められていなかった)。
 改定交渉は一時的中断を挟んで59年4月から60年1月まで続けられ、1月19日ワシントンで調印され、2月5日に衆議院に上程された。新安保で改定された主なものは3点である。
①内乱に関する条項の削除。
②日米共同防衛の明文化(アメリカが日本防衛の義務を負うとともに、在日米
 軍への攻撃に対しては自衛隊が米軍に協力して防衛義務を持つこと)。ただし、
 この条項(第5条)は必ずしも在日米軍の日本防衛義務を明記していないと
 いう学説もある。
③在日米軍の配置・装備に関する両国政府の事前協議制度の設置。この条項(第
 6条)には在日米軍の目的について「日本国の安全に寄与し、並びに極東にお
 ける国際の平和及び安全の維持に寄与する」と位置付けられており(いわゆ
 る「極東条項」)、在日米軍が日本防衛以外の極東での軍事行動を行った場合、
 在日米軍基地が攻撃される可能性が指摘され、そのときにも自衛隊が在日米
 軍の防衛義務が生じるのではないかとの指摘がされた。
 社会党や共産党はこの極東条項をめぐり、「極東」の範囲が不明確であり、「安保改定によって軍事同盟的要素が強まり、日本が戦争に巻き込まれるおそれがある」として猛反対した。また岸内閣の衆議院での強行採決に対してメディアが「民主主義の破壊」と一斉に反発、学生を中心に安保闘争が燎原の火のごとく全国に広がった。アイゼンハワー大統領の訪日計画も、「安全に責任が持てない」と日本政府が中止を要請するという、異例の事態になった。
 私自身も、安保改定の意味も理解しないままに闘争に参加し、6月15日には樺美智子氏が機動隊との衝突で死亡した国会南門周辺にいて、デモ隊に襲い掛かる機動隊員から逃げ惑ったことを昨日の出来事のように記憶している。デモ隊は統制が取れないほど混乱した状態になり、岸首相は「声なき声は私を支持している」とうそぶきながら、防衛庁長官の赤城宗徳氏に陸上自衛隊の出動を要請し、東京近辺の各駐屯地では出動準備体制が整えられたが、国家公安委員長の石原幹市郎氏の反対を受けて赤城氏も自衛隊出動要請を拒否、治安維持を目的とした自衛隊出動はかろうじて回避された。

 今回の閣議決定について、安倍総理は「日本が戦争に巻き込まれるおそれがある、という声があるが、安保改定のときも同じような反対があったが、日本は戦争に巻き込まれなかった。集団的自衛権の行使容認も日本の抑止力を高めるためで、戦争に巻き込まれる危険性はより少なくなる」と主張している。が、これほど自家撞着に満ちた説明はない。
 すでに竹島は小中学校の教科書にどう書こうと、日本は事実上韓国から奪還する意思を放棄している。個別的自衛権の行使すら、アメリカが絶対に核の壁で阻止するからだ。
 また北方領土に関しては、日本にとって何の国益上の意味を持たないウクライナ問題でアメリカの尻尾にくっ付いてしまったため、ロシアとの交渉も暗礁に乗り上げてしまった。日本は「われ関せず」のスタンスをとり、ロシアとの交渉を粛々と進め、北方領土問題を解決し、ロシアとの平和友好条約を締結して「日露交戦」状態に終止符を打てば、日本の安全性と抑止力は「集団的自衛権行使」によらなくても飛躍的に高まる。 
 さらに尖閣諸島問題については、米政府が日本の領土と公認し、中国が実効支配に乗り出した場合は米軍が自衛隊に協力して防衛してくれることに、いちおうなった。日本の安全についての唯一のリスクは回避されたと言ってよい。
 残る北朝鮮は、核を持とうがミサイルを持とうが、日本にとっては何の脅威にもならない。北朝鮮の核やミサイルはアメリカの脅威に対抗するためであり、国際的孤立状態から脱出するため、拉致問題の解決に本腰を入れて取り組もうとしているほどだ。日本がアメリカに強要されて北朝鮮を敵視するような行動をとらない限り、北朝鮮が日本にとって脅威になるわけがない。
 そう考えると、現在の国際情勢は、日本がロシアと平和友好条約さえ締結できれば、かつてないほど安全で平和が保障される状態はないと言っても差し支えない。が、「集団的自衛権行使」を可能にすれば、アメリカは喜ぶだろうが、中国どころか国益を共有しているはずの韓国にさえ警戒心を与えている。それで「抑止力が高まる」というなら、脅威の対象は、論理的に考えれば、アメリカだという結論になる。なんと馬鹿げた「抑止力」か。
 私は、現行憲法が制定された当時の日本が国際社会に占めていた地位や責任と、今日のそれとでは「月とすっぽん」ほどの差があると考えている。
 日本は国際社会に現在、占めている地位にふさわしい責任として、とりわけアジア太平洋の平和と安全に貢献できるよう憲法を改正し、アメリカも含めてアジア太平洋諸国の集団安全保障体制の構築に努力すべきだと主張してきた。できうれば政治体制が異なる中国や北朝鮮もその仲間に誘いたいとすら考えている。そういう体制が構築できれば、どの国も「脅威」を口実にした軍事力の強化を図ることが不可能になり、また「脅威」を感じるような相手もなくなる。
そのためにも、昨日のブログで書いたように、日米安全保障条約の片務性を完全に解消し、日本もアメリカに対して防衛義務を負うことを明確にしたうえで、さらにワシントンDCやニューよーク市近郊に自衛隊基地を設けて「基地協定」を米政府に要求して完全な日米共同防衛体制を築き、、そのうえで日本防衛には必要のない沖縄の米軍基地は撤去していただく。そして新新安保をてこにアジア太平洋諸国に集団安全保障体制の構築を呼び掛ける。
 日本がそういうスタンスを明確にすれば、アジア太平洋の諸国、とりわけ自衛力に乏しい弱小国が雪崩を打って日本に同調する。そうした大きな流れができれば、アメリカも中国も無視できなくなる。日本が、国際社会に占めている地位にふさわしい平和と安全に対する貢献とは、そういうことではないだろうか。
 そのためには、当面日本が国際社会に訴えなければならないことが二つある。一つは核不拡散条約を認めないという立場に転換することだ。そして他国の核を脅威に感じた場合、個別的自衛手段として核を保有する権利はすべての国にある、と宣言することだ。核不拡散条約が、いかに核大国のエゴであるかが、日本の宣言によって国際社会で明らかになる。
 もう一つは日本が国連安保理の常任理事国入りを目指すのではなく、常任理事国制の廃止を国際社会に訴えることだ。すべての国際紛争は、国連総会の多数決によって解決する、という枠組みを提案することだ。そして現在の常任理事国が日本の提案を潰しに掛かったら、現在の常任理事国を「村八分」にして新国連の結成を提案したらどうか。現在の常任理事国以外の国が雪崩を打って新国連に動けば、日本は世界を変えることができる。
 かつてアジア太平洋地域の平和と安全を破壊した過去を持つ日本が、その反省に立ってアジア太平洋地域の平和と安全のために貢献できる唯一の方法は、これしかない。(終わり)
 
 

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑦

2014-07-28 07:06:34 | Weblog
 この連載ブログも長くなった。今日から日米安全保障条約改定の必要性を読者の方たちと考えたい。
 サンフランシスコ講和条約の調印によって日本が独立を回復した日、日本はアメリカとの間に最初の日米安全保障条約をアメリカとの間に締結した。私がまだ小学校4年生のときで、いまは亡き父が画用紙に書いた「日の丸」を玄関に張り、母が赤飯を炊いたことは覚えている。確か、その日から交通法規も変わり、「車は右、人は左」から「車は左、人は右」に変わったと思う。が、依然として占領下におかれていた沖縄では「車は右、人は左」のはずだったと思う。いまの若い人には想像もつかないだろうが、そのくらい占領下におかれるということは、国民生活のありようまで一変させるという紛れもない事実である。
 逆に日本が占領した国でも、同じようなことを相手国に対して日本もしてきたということだ。戦争というものは、単に人を殺したり殺されたりするという悲惨さだけではなく、戦争に負ければ「箸の上げ下ろし」に至るまで相手国の生活様式に沿うことを強制されるということであり、そうした屈辱を私は二度と味わいたくないし、また他国の人たちにもそうしたつらい思いをさせたくない、という一心で「集団的自衛権」問題に取り組んでいる。

 閣議決定後の記者会見で、安倍総理は戦争を知らない世代の若い記者の「自衛隊員が戦闘に巻き込まれ、血を流す可能性が高まるという指摘があるが、どう考えるか」との質問に答え、「今次閣議決定を受けて、あらゆる事態に対処できる法的整備を進めることによりまして、隙間のない対応が可能になり、抑止力が高まります。我が国の平和と安全をそのことによって、抑止力が強化されたことによって、一層確かなものにすることができると考えています」と、記者の質問に正面から答えず受け流してしまった。相撲では勝負技として認められている「肩すかし」は、政治の世界では認められないというルールを、安倍総理はご存じないようだ。
 公明党・山口代表の「他国のためだけでなく」という発言はとうとう政治問題化せず、読売新聞やNHKまでもが発言内容を「他国のためではなく」と黒を白と言いくるめたことも不問に付されたままで闇に葬られたが、自衛隊が何のために存在するかを考えたら、安倍総理は色をなして記者の質問に対し、「日本の国と国民を守るために自衛隊員は命を捧げる覚悟で職務についている。日本の平和と安全性を強化するために自衛隊員が戦闘に参加するリスクは高まるが、日本人の命はより確実に守れるようになる」と、なぜ正面から答えなかったのか。安倍総理が、そう答えられないところに、この政治課題に取り組んだ安倍総理の真意が透けて見えてくる。
 いかなる改革も、リスクを伴わない改革はない。民主主義とは、改革に伴うリスクを政府が可能な限り国民に説明し、国民が「そういう改革であれば我々もリスクを受け入れよう」と納得するまで、政府が説明責任を果たす義務があるというのが、その本来の政治システムのはずだ。
「戦争に行くことなど考えていなかった」という自衛隊員もいるようだが、そう考えている人たちは私に言わせれば「税金泥棒」でしかない。日本国と日本人の平和と安全が脅かされたとき、自らの命を懸けて守り抜くのが自衛隊員の責務であり、そうしたリスクに伴う待遇を受けているはずだ。警察官や消防隊員も、犯罪防止や消火活動に命を懸けている。戦後、日本で殉職した警察官や消防隊員がどのくらいいるか。その一方で日本の安全と国民の命を守るために殉職した自衛隊員は一人でもいたか。飛行訓練中の事故で死亡した自衛隊員はいるが、戦争で殉職した自衛隊員は一人もいないはずだ。
 肩すかしという禁じ手を使った安倍総理も安倍総理だが、日本国と日本国民の平和と安全より自衛隊員が「血を流す可能性が高まる」ことを重要視するような記者は、とっととどこかの国に国籍を移してもらいたい。そんな都合にいい国があればのことだが。
 この記者と総理のやり取りについて、毎日新聞は11日夕刊でこう書いた。
「自衛隊員が実際の戦争で死傷したことは一度もない。だからこそこの記者の質問は重みをもつのだが、安倍総理の答えはズレている」
 ズレているのは、この記事を書いた記者ではないのか。

 まず日本の「安全神話」は、日本が「アメリカの核の傘で守られている」という大きな誤解の上で成り立っている。
 もし仮に、日本が尖閣諸島の領有権を中国に一定の条件付きで譲り渡したら、日本にとって中国の軍事力は脅威の対象ではなくなる。
 すでに日本は「日本固有の領土であるはず」の竹島を事実上韓国に無償譲渡している。政府や外務省は「返してください」と韓国にお願いしているが、60年以上にわたって「空鉄砲」を撃っているだけだ。政府が得意になって持ち出す国連憲章は、確かに国際紛争は話し合いなどの平和的手段によって解決することを加盟国に義務付けているが、60年以上にわたって話し合いを続けろ、とまでは義務付けていない。
 実際、外務省には右翼からではなく、一般の国民や竹島の編入を決めた島根県の住民からも「いつまで話し合いを続ける気だ。韓国が平和的交渉に応じない限り、いつまで日本が平和的解決の努力を重ねても無駄だ。平和的に解決できる手段はアメリカの仲裁に頼る以外に手はないが、そのアメリカはいま日本との同盟関係より韓国との同盟関係のほうを重要視している。だとしたら、竹島を取り戻すためには、個別的自衛権を行使する以外に方法がないではないか。なぜ国連憲章が認めている個別的自衛権を日本は行使しないのか」という抗議が殺到している、と思われる。「集団的自衛権」議論の中で、なぜ竹島問題が問われないのか、野党もメディアも、無能というしかない。
 個別的自衛権すら行使できない日本が、閣議決定で「集団的自衛権行使」を「憲法解釈の変更」によって可能にしたとしても、実際に政府が想定している事例が生じても「集団的自衛権」を行使できるわけがない。
 まず安倍内閣は、「集団的自衛権行使」の想定事例をいろいろ並べ立てる前に、「個別的自衛権」を行使できる事例を明らかにして、竹島問題を個別的自衛権の行使によって解決しようとしない理由を明確にすべきだろう。
 が、安倍総理は、その理由を明らかに出来ない。なぜなら、もし日本が個別的自衛権を行使して竹島を奪還しようとしたら、たちまち「アメリカの核」が、日本の正当な権利の行使に対する、抑止力として機能することが分かっているからだ。
 
 竹島問題に詳しくない方のために解説しておこう。戦後日本を占領下においた連合国は、連合国の施政権が及ぶ範囲をマッカーサー・ラインによって決定した。つまり独立後の日本の領土が、このマッカーサー・ラインによって確定したと言える。その範囲の中に竹島も入っていた。日本の独立後も米軍の占領下におかれた沖縄や小笠原もマッカーサー・ラインの範囲に含まれていた。が、北方四島はマッカーサー・ラインから外され、国際法上日本の領有権の有無は微妙である。
 もっともソ連も、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏したのちに北方四島を占領しており、旧ソ連時代からロシアが主張する「戦利品」という解釈が、国際社会から承認され得るかも微妙である。というのは、ポツダム宣言は米トルーマン大統領、英チャーチル首相、ソ連スターリン書記長の3人の会談によって作成されたが、その時点ではソ連は日本との中立条約を破棄しておらず、ポツダム宣言にはスターリンは署名していない。そのためポツダム宣言はトルーマン、チャーチルに加えて中華民国の蒋介石総統の名によって発せられている。
 ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年8月8日、ソ連軍が北方四島を占領したのは8月28日から9月5日にかけてである。ソ連はポツダム宣言に署名しておらず、日本のポツダム宣言受諾後も交戦状態は続いていたとの立場をとっている。またトルーマンの前大統領だったルーズベルトが、アメリカの兵力がヨーロッパと日本に二分されていた過大な負担を軽減するため(※これは私の論理的見解。俗説では重病で病床にあったルーズベルトが思考力を失っていたというのが有力)、ソ連に「北方四島を奪っていいから対日参戦してくれ」とスターリンに頼んだという事実も背景にある。だからアメリカは北方領土問題に口を挟めないし、日本もアメリカに仲介を依頼できない。
 そういう諸事情について政府は国民に説明責任を果たさず、ただひたすら「北方四島は日本の領土だ」と、必ずしも国際社会が認めるとは限らない主張を繰り返してきたため、ソ連が「二島返還」で日ソ平和条約を結ぼうと提案してきた絶好のチャンスにも、「四島一括でなければ応じられない」と突っぱねざるを得なくなり、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という結果を招いた。
 もっとも、ソ連もサンフランシスコ講和条約に調印できず(サンフランシスコ講和条約に調印すれば、日本がボツダム宣言受諾を連合国に通告した8月14日に戦争は終結したことを認めることになるため、米国が中心になって連合国が日本政府と交渉してまとめた講和条約に、なんだかんだとイチャモンを付けて調印を拒否した、というのが真相だろう。歴史家は、そういう認識をしていないようだが…)、実は国際法上は、いまだに日露は交戦状態が続いていることになる。
 そういう経緯で継続中の北方領土問題を解決するには、ロシア側が納得できる何らかの条件で折り合いをつけるしかない。プーチン大統領はそのことを正確に認識して、領土問題を解決しようとした。が、日露が領土問題を解決して平和友好条約を提携して友好関係になることは、アメリカにとっては必ずしも喜ばしいことではない。日ロ関係が修復されると、日本の安全性は格段に強化され、アメリカが日本に軍事基地を網羅して、アジア太平洋地帯の支配権を維持する正当性の理論的根拠がなくなるからだ。
 もし日本が先の大戦でどんでん返しの大勝利を治めていたら、北方領土問題どころか、ソ連軍による終戦後の日本兵士に対する行為(戦争終結で武装放棄をした日本兵を不法に捕虜にしてシベリアに抑留し、虐待的肉体労働を強いて無数の死者まで出した行為)をめぐって、間違いなく「歴史認識問題」が発生している。歴史認識の正当性は、常に勝者側にあり、だから私は「勝てば官軍、負ければ賊軍」の歴史認識基準は改めるべきだと主張してきた。
 日本政府が毅然とした姿勢で、先の大戦で日本政府と軍が犯した、国際の平和と安全を破壊した行為については厳しくかつフェアに反省しつつ、これからの国際の平和と安全に日本はこういう貢献をしたいと世界に向かって発信すれば、米・韓・中を除いて国際社会から大きな支持が間違いなく得られる。

 アメリカが国際社会に占めてきた巨大な権威は、いま大きく崩れつつある。イラク戦争やアフガニスタンのタリバン政権を攻撃したアメリカと軍事行動を共にした、アメリカにとって最大の同盟国イギリスですら、いま国内でアメリカの軍事行動とは一線を画すべきだという世論が大きくなっている。肝心のアメリカ国内ですら、イラク国内の紛争に手を出せないでいる。オバマ大統領は民主党政権の維持のために「世界の警察官」としての権威を誇示したいところなのだが、アメリカの世論がアメリカの軍事的介入に拒否反応を示している。
 そうした状況の中で、あえて安倍総理はアメリカとの「同盟」関係を中途半端に双務的なものに変えようとしている。アナクロニズムもいいところだ。
 でも、やるならとことんやれ、と私は言いたい。つまりイギリス以上に同盟関係を強固な双務的なものに変えればいい。ということは、日本もアメリカを防衛するためワシントンDCやニューヨーク市近郊に自衛隊基地を設け、アメリカと基地協定を結ぶ。そして、日本の安全にとって必要以上なアメリカ軍基地は撤去していただく。もちろん他国から攻撃される可能性などゼロに等しい沖縄の米軍基地は、一カ所あれば十分だ。
 そうすることによって、日米同盟は完全に対等な関係になる。そうなった場合、日本も核武装しろという声が耳元に聞こえてくるが、そんなバカげた妄想はいい加減にしろと言いたい。どの国も、日本を核攻撃して利益が得られるような状態ではない。ただ日本は「核保有国、とりわけ核5大国が自国の個別的自衛手段として核独占を宣言した核不拡散条約を撤廃し、核を放棄しないのであれば日本も自国の個別的自衛手段として日本全国に核基地を作るぞ」と国際社会に訴えればいい。それだけのことだ。世界の非核国は大半が日本を支持するだろう。
 もう読者は、私がこのブログのタイトルに書いた『日米安全保障条約の片務性解消のほうが優先課題だ』とした意味をご理解いただけたと思う。中途半端な「集団的自衛権行使」を意味不明な「新3要件」を付け足して容認し、オバマ大統領のご機嫌取りをしながら、アメリカの「国益」のために奉仕するというこれまでの自民党政治の姿勢を、安倍総理はさらに一段と強めようとしているだけではないか。
 現に、安倍総理はアメリカ防衛のための一里塚を築きながら、オバマ大統領に対して「もう沖縄の米軍基地は、日本のためになら必要ない。日本はロシアと領土問題を解決して平和友好条約を締結するから、そうなるとロシアの軍事力の前には手も足も出せない中国や北朝鮮の脅威は霧のように消えてなくなる。日本はアメリカの核の傘など必要なくなる」となぜ主張できないのか。(続く)
 

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑥

2014-07-25 06:05:22 | Weblog
 無謀なアメリカとの戦争に、敗北に次ぐ敗北を重ね、原爆を2度投下されるまでは、婦女子に至るまで近代兵器で武装した米兵に竹槍で戦うことを、大本営は本気で考えていた。当時の日本政府は「精神異常者集団」とでも考えようがない、としか言えない。
 米国から「ハル・ノート」と呼ばれている最後通告を突きつけられ、ABCD包囲網で石油入手の道(近代戦争においては糧道を意味する)を絶たれた日本が、精神主義だけを「武器」に、すでに世界の軍事最強国になっていたアメリカに単独で戦争すること自体、「ハル・ノート」を受け入れて失うものと、拒否して戦争に敗れて失うものとの「足し算・引き算」ができないほど判断能力を失った政府だったと言えよう。
 戦勝国連合が、敗戦国の責任者を裁判で裁くことが国際法上正当であったかどうかの議論はあるにせよ、もし日本側が戦争責任者を告発して裁判を行っていたら、戦争犯罪者として告訴された被告は、極東軍事裁判(東京裁判)で起訴された被告の数百倍に達していたであろう。その中には、戦争について外電などで真実の戦況を知りうる立場にありながら、あえて国民に真実を伝えず「竹槍で戦え」と自殺行為を推奨したメディアの責任者も、当然ながら含まれる。そのことをメディアは、いま自覚しているのか、と私は問いたい。
 ノンフィクション作家の大宅壮一氏は「一億総懺悔」なる「名言」を残したが、それはちょっと違うだろう。懺悔すべきは戦争を遂行し、「竹槍で戦え」と国民の戦意高揚を図った軍部や軍部協力者(メディア関係者もその中に含まれる)だけで、原爆投下や空襲で逃げ惑った戦争被害者は懺悔すべき筋合いではない。
 第一、戦争犯罪者のA級戦犯を「昭和受難者」という名目で合祀しながら、集団自決に追い込まれた戦争被害者については「昭和受難者」と見なさず、合祀していない靖国神社への参拝を「政治信条」としているはずの安倍晋三首相は、今年8月15日にあくまで靖国参拝を強行すべきだ。もし靖国参拝を行わず、安倍総理の「政治信条」が紙より軽いものであったら、「実は私の政治信条はトイレット・ペーパーより軽いのです」と、正直に国民に告白したらどうか。そうすれば国民も「安倍さんは正直な人だ」と思い、世論調査で内閣不支持を表明したうちの何人かは内閣支持に転じるかもしれない。逆に内閣支持を表明していた人のどのくらいが不支持に転じるかは分からないが…。
 いずれにせよ、戦争に敗れた日本は連合国に占領され、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の施政下におかれた。この「最高司令官総司令部」というのはおかしな言い方で、連合国最高司令官はダグラス・マッカーサー米陸軍元帥だから、こうした言い方を日本の政治機構に当てはめると「内閣総理大臣」ではなく、「総理大臣内閣」という言い方になる。いい加減なのは日本もアメリカも変わらない、ということか。
 それはともかく、GHQによって大日本帝国陸軍・海軍・空軍はすべて解体さ
れ、武器弾薬や軍需産業の生産設備に至るまですべて没収された。つまり日本は下着まで脱がされ、すっぽんぽんになったのである。あっ、警察という下着はかろうじて着けていたか…。
 マッカーサーは「日本憎悪」の念に凝り固まった総司令官で、日本占領政策もきわめて過酷なものだった。マッカーサーの対日感情の原点は、最初の戦いで大敗北したことによるとされている。もともとアジア系人種に対する差別意識が強かったとも言われている。おそらく両方が重なって憎悪感が巨大化したのではないだろうか。
 1941年12月8日、日本は米英に宣戦布告して無謀な戦争に突入する。真珠湾に集結していた米艦隊を奇襲攻撃すると同時にイギリス領のマレーにも侵攻した。当時この方面の米軍の指揮官だったマッカーサーは、日本陸軍戦闘機の攻撃で米軍航空機が壊滅状態に陥った時も、日本の戦闘機のパイロットが日本人であるとは信じられず、本国に「日本軍戦闘機のパイロットはドイツ人である」と報告したくらいである。
 米軍は敗北に敗北を重ね、マッカーサー自身捕虜になりかねない状態になった。本国では「英雄」視されていたマッカーサーを米政府も、戦死させたり日本の捕虜にさせたりするわけにはいかず、フィリピンで日本軍と死闘を続けていた米軍兵士を見捨てて「身一つでオーストラリアに脱出するよう」命令を出した。政府が、敗軍の指揮官に自分だけ逃げろと命じること自体異例である。が、この本国の命令を奇貨として脱出したマッカーサーは伝説となる言葉「アイ・シャル・リターン」という捨て台詞を残して戦地から逃げ出した。
 戦後、米本国では昭和天皇の戦争責任を問うべきだという考えが上下両院で支配的だった。連合国のなかにも天皇の戦争責任を問う声がかなり大きかった。が、連合国最高司令官のマッカーサーにとっては、対日占領政策を成功させることが最優先事項だった。現在の皇室と国民の距離感はイギリスのそれに近いほど親密な関係になっているが、当時の天皇は「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれ神格化されていた。一般人が「ご尊顔」を直視することさえ「畏れ多いこと」として禁じられていたくらいである。そういう日本国民の精神的支柱である天皇の戦争責任を問うとなれば、占領政策に重大な支障が生じかねないことをマッカーサーはまず恐れた。
 「アイ・シャル・リターン」を実現して、さらに米国内の人気を集めていたマッカーサーは、この時すでに大統領への野望を抱いていたと思われる。その野望を達成するためにも対日占領政策を成功させ、日本から軍国主義思想を徹底的に排除して「平和を愛する国」に変えることが、総司令官としての使命であることを自覚していた。
 その使命の達成には昭和天皇の協力が不可避と考えていた(と言うより側近のブレーンたちの進言が大きかったようだが)。マッカーサーが他の連合国や本国政府を説得して昭和天皇の戦争責任を問わず、皇族の政治権力をはく奪したうえで皇室を存続させた最大の理由はそこにある。
 だからマッカーサーの占領政策は、皇室の存続に見られるような寛容なものではまったくなかった。同じ敗戦国であり枢軸国で日本に3か月先立って無条件降伏したドイツに対する占領政策に比べても、おそらく相当に過酷だったと思われる(ウィキペディアを含め、連合国による日独の占領政策比較研究はネットでは調べられなかった)。
 そう思える節はいくつかある。まず財閥解体。財閥が日本の戦争遂行に果たした役割は否定できないが、財閥解体の狙いは日本の産業工業力の回復を不可能なまでに破壊することにあったと考えられる。
 敗戦直後の日本はナベ・カマの生産すらままならないほど工業生産力は疲弊していたが、それでも戦禍から免れた工場も地方には存在した。マッカーサーはそれらの工場に残されていた生産設備や機械類をすべて撤去して東南アジア諸国に移してしまうという制裁的政策を実行に移そうとしていた。
 さすがに、この政策は米本国政府が認めず、撤去破壊されたのは武器・兵器類の製造設備だけにとどめられたが、マッカーサーの占領政策はそういうものだったということを、若い人たちは歴史認識として頭の片隅に刻み込んでおいてほしい。
 それはともかく、ドイツの場合もそうだが、占領下におかれていた間は、その国を防衛する義務が占領側にあることは国際常識である。ドイツは1945年5月7日に無条件降伏し、欧米とソ連に分割占領されたが、西ドイツは49年5月23日に占領を解かれて主権を回復した。東ドイツもほぼ同じ時期に主権を回復している。
 念のため、日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏したのは45年8月14日。ただし、国民に玉音放送で知らしめたのは翌15日なので、いちおう日本では15日を終戦日としている。その日本がサンフランシスコ講和条約に調印し占領を解かれて主権を回復したのは51年9月8日。ドイツの占領期間は4年だったが、日本は6年余である。
 ついでに同じ枢軸国のイタリアは43年にムッソリーニが失脚して連合国側に寝返って戦争に参加しており、ちゃっかり戦勝国の仲間入りをしている。
 それはともかく、果たしてドイツの無条件降伏が3か月遅れていたら、アメリカはドイツにも原爆を投下していただろうか。歴史の検証に「タラレバ」は禁句とされているが、この疑問だけは私の脳裏から消えたことがない。
 1980年代後半から90年代初めにかけて、日米経済摩擦が発生したとき、アメリカ国内で吹き荒れたジャパン・バッシングの合言葉は二つあった。一つは「安保ただ乗り」論であり、もう一つは「日本は異質な国」論である。いずれも「自分たちの規範や価値観だけが正しく、それを受け入れないのは…」という、アングロサクソン民族に共通した、明らかな差別意識である。政治家もメディアも、そのことをすっかり忘れているようだ。「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」日本人の特質なのだろうか。
 私は日米経済摩擦が最高潮に達していた時期の92年11月に上梓した『忠臣蔵と西部劇』でこう書いた。

 折しもアメリカでは「どうやら日本人は、我々と共通の価値観を持った人種ではないようだ」という、一種諦めに似た日本論が台頭しつつあった。いわゆる“日本異質論”である。「日本を理解してもらう」という受け身の姿勢は、この“日本異質論”への対応でもあった。
 だが、よく考えてみれば、こんな情けない話はない。
 なぜなら、アメリカ人が「日本は異質だ」と極めつけるとき、彼らの発想の前提には「われわれが普遍であり、そのわれわれとの共通性が少ない日本は、異質である」という、恐るべき傲慢さがあるからだ。その傲慢さを、なぜ日本の論客は問題にしなかったのか。
「お前たちは日本を異質だというが、オレたちから見たら、お前たちのほうが異質だ。価値観が異なる場合は、互いに異質なのは当たり前の話で、だからこそ、互いに近づきあって、共通できる要素を広げていく努力が、必要なのではないか」
 日本側がそう反論していれば、新しい建設的な議論の場を、日本側のリーダーシップで作り出すことも可能だったのだ。だが、日本の論客はそうしなかった。ひたすら、卑屈な弁解に努めた。「日本にはこういう事情がありまして…」とか、「日本の伝統や文化はこういうものでして…」と、何とか日本を理解してもらうことによって、批判の矛先を避けようとした。矜持のある人のやることではない。(※アメリカのジャパン・バッシングを日本のメディアが支持したことで、その後日本のアメリカ化が急速に進み、それに味を占めてヨーロッパ諸国にも同様の試みを行おうとして失敗したのが「グローバル化」作戦だった。そのことを記憶しているジャーナリストはほとんどいないだろうな。いやそもそも「グローバル化」作戦にアメリカが乗り出す先鞭をつけたのが、日本での成功例だったことに気付いているジャーナリストは皆無ではないか)

 それはともかく、日本の主権回復がドイツに比して2年も長くかかったのは、連合国の差別意識だけが理由ではなかった。48年から49年にかけて中国で共産革命が進展したこと、その余波が朝鮮半島にも飛び火し50年6月25日には朝鮮戦争が勃発したことも大きな要因であった。
 ヨーロッパにおける共産勢力の波及は東欧圏で止まった。西側列強が同盟を結んで共産勢力の拡大に歯止めをかけることができたためだったが、アジアはそう簡単に共産化の波を抑えることはできなかった。軍事大国日本が破滅したうえ、中国では共産革命が成功し、朝鮮半島でも国家分裂が生じ北朝鮮と韓国が同じ民族同士で戦争を始めたのである。アジアにおける共産勢力の浸透を防ぐのはアメリカ一国の責任になってしまった。マッカーサーの対日占領政策が裏目に出た瞬間でもあった。
 実際、北朝鮮軍は強かった。戦争が始まって3日目には首都ソウルを支配下におさめ、さらに南下して韓国軍を釜山まで追い詰めた。北朝鮮を支援した中国共産党軍はすでに国内の支配権を確立しており、蒋介石率いる国民政府は台湾に封じ込められていた。もし朝鮮半島が共産主義勢力によって支配されることになると、日本も含め東南アジアでは雪崩現象的に共産党政権が生まれる可能性もあった。
 事ここに至って、アメリカは大ばくちを打った。当時、日本には米陸軍4個師団が日本防衛のため日本各地に駐屯していた。マッカーサーは、その4個師団をすべて朝鮮半島に投入した。日本の軍隊はとっくに解体されていたから、日本列島は丸裸になってしまったのである。平和憲法の理念はいいが、理想だけでは国は守れない、という冷たい現実に日本国民は直面した。
 この時期、日本に共産革命が飛び火しなかったのは、僥倖としか言いようがない。GHQはアメリカ本国のレッドパージに呼応して、日本でも朝鮮戦争勃発の直前にレッドパージを行い、共産勢力の拡大を封じ込めていた。中国は北朝鮮の支援で手いっぱいであり、ソ連軍もヨーロッパにくぎ付けになっていて日本に革命を輸出するだけの余力がなかった。アメリカの対日政策が転換したのはこの時期である。マッカーサーはのちに回顧録でこう書いている。
「ところで(在日米軍を根こそぎ朝鮮半島に投入した場合)日本はどうなるのか。私の第一義的責任は日本にあり、ワシントンからの最新の指令も『韓国の防衛を優先させた結果、日本の防衛を危険にさらすようなことがあってはならない』と強調していた。日本を丸裸にして、北方からのソ連の侵入を誘発しないだろうか。敵性国家が日本を奪取しようとする試みを防ぐため、現地部隊を作る必要があるのではないか」
 こういう危惧を抱いたマッカーサーはGHQを通じ、吉田内閣に「日本警察力の増強」を指令した。当時の吉田総理は、日本の経済再建を最優先する考えを持っていた。日本の国力のすべてを二大基幹産業である、鉄鋼と石炭産業の再建に注ぎこむという「傾斜生産方式」を最優先の政策課題に掲げていた。実はこの経済政策の成功によって日本は工業生産力の回復を成し遂げたことで、日本経済復興の足掛かりとなる「朝鮮戦争特需」にありつけたとも言える。
 吉田総理はGHQの指令に可能な限りの抵抗をしながら、警察予備隊を発足させる。占領下において吉田内閣の選択肢は、きわめて限られたものにならざるを得なかったとも言えよう。
 アメリカは日本に警察予備隊という名の疑似軍隊を作らせたが、占領状態を続ける限り日本の防衛責任はアメリカの肩に掛かってくる。連合国と日本の講和条約の締結を急ぎだしたのは、日本に主権国家としての自衛責任を持たせることが狙いだった。サンフランシスコ講和条約の内容をすり合わせる過程で、アメリカは「自衛のための軍備力の強化」を吉田内閣に求めたが、吉田総理は「やせ馬に重い荷を背負わせるようなものだ」とアメリカの要求を突っぱねている。吉田内閣は経済復興に全力を注ぎたかったのである。
 この時期の政策について吉田氏は回顧録『世界と日本』でこう述べている。
「それ(再軍備の拒否)は私の内閣在職時代のことだった。その後の事態にかんがみるにつれて、私は日本の防衛の現状に対して多くの疑問を抱くようになった。(中略)経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも、世界の一流に伍するようになった独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存のまま改まらないことは、いわば国家として未熟な状態にあるといってよい」

 現行憲法の制定過程における吉田内閣とGHQの交渉のプロセスと、そのプロセスを経て作成された政府原案が、個別的自衛権をも否定する内容だったこと、その政府原案にいわゆる「芦田修正」が行われ、その修正が根拠となって最高裁が「個別的自衛権」を行使する実力部隊として自衛隊の合憲性を認めたことは、すでに何度もブログで書いた。ただ、日米安保条約によって日本防衛の名目で米軍が駐留していることに関しては、「このような高度な政治的問題については裁判所が是非を判断することはできない」と、判決を避けた。
 この砂川判決で、最高裁が自衛隊を「自己防衛のための自然法であり、憲法に違反しているとは言えない」と個別的自衛権行使のための軍事力を合憲と判断しながら、「駐留米軍は、日本防衛のためであり、日本が固有の権利として保持している集団的自衛権である」と合憲性を認める判決を下していれば、「日本にとっての集団的自衛権とは、あくまで日本を防衛することに限定される」と判決理由を述べていれば、今日のような混乱は防げたはずである。

 日本は1951年9月8日、サンフランシスコ条約に調印して主権を回復すると同時に、日米安全保障条約をアメリカとの間で締結した。その日米安全保障条約と、岸信介総理が強行した1960年の日米安保条約改定については、来週書く。(続く)
 

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑤

2014-07-24 08:10:59 | Weblog
 ウィキペディアで「集団的自衛権」を再度、検索してみた。また直近に書き加えられていた。7月19日のことが記載されていたからだ。
 ウィキペディアは言うまでもなく、新聞の社説などと異なり、原則として客観的事実に基づいた「解説」である。「リアルタイムの百科事典」といってもいい。ただし、根拠があいまいな解説もある。あるいは根拠が示されていても、その根拠自体に論理的合理性が認められるかどうかは別である。
 だからしばしば寄稿された「解説文」についてウィキペディアの編集部が注釈をつけることがある。今日検索した「集団的自衛権」の解説には「宣戦布告との関係」という項目が書き加えられており、その項目にウィキペディア編集部は「この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題個所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください」という注釈がつけられている。誤報しても、知らん顔のメディアと違って、私がしばしばウィキペディアの解説を最も信用するに足ると考えているのはそうしたチェックが入っているからだ。ただ間違いを見つけたときは、一度ブログで「ウィキペディアの解説は間違っている」と指摘したことはある。今日取り上げる解説も「間違い」とまでは言えないにしても、「偏向」とみられる言葉があった。
 それはともかく、「宣戦布告との関係」について非常に重要な記述がある。日本にとって対米関係の最大のトラウマである「宣戦布告なき真珠湾攻撃」についての歴史的評価を一変させかねない重要な記述が追加されているからだ。
 これまで歴史的事実として解明済みのことは、日本帝国海軍が真珠湾奇襲を開始する前に、日本政府は在米日本大使館に「宣戦布告を米政府に通告せよ」との暗号電文を送っており、米側はその暗号電文を解読していながらハワイの米海軍基地に防衛体制をとることを指示しなかったこと、また駐米大使の野村・来栖両大使がこの重大な局面を熟知していながら、パーティに出席していて宣戦布告の通告が真珠湾攻撃の後になったことである。
 分かっている事実はそれだけで、米側が日本を「アンフェアな国」と決めつけ、米兵の戦意高揚と日本に対する憎悪を国民の共通認識として確立しようとしたかしなかったかは、歴史的事実としては解明されていない。その後の事実としてわかっていることは「リメンバー・パールハーバー」がアメリカ国民の合言葉として共有されるようになり、その残滓がいまだに米国内の一部に存在することと、当時、在米日系人がいわれのない虐待を米政府によって行われた(その後、米政府はその過ちを認めて謝罪し補償もしたが、在米日系人の失われた時間は永遠に取り戻せない)という事実だけである。
 その「宣戦布告なき真珠湾攻撃」という日本のトラウマが、解消されるような記述がウィキペディアに載ったのだ。その項目の全文を転載する。

 宣戦布告は、開戦に関する条約第1条により敵対行為開始前に行って置く義務があるが、集団的自衛権を行使する際に宣戦布告が必要かについて、中谷元防衛庁長官(平成13年5月当時)の国会答弁や坂田雅裕元内閣法制局長官の見
解に見られるように、「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」という解
釈が日本では支配的である。
 これに対し、1966年のベトナム戦争当時、アメリカがベトナムに対し宣戦布告をせずに戦争を開始したことの合法性について、アメリカのラスク国務長官は、理由を示さず「個別的、集団的自衛権の行使の前に、宣戦布告の(※「を」の誤入力?)するという国際法上の要請はない」と議会証言している。どのような理由で宣戦布告が必要ないと証言したかは不明であるが、同時期の1966年3月に米国務省の法律顧問が米上院外務委員会に提出した書面には、国際法上、自衛権の行使の前提として宣戦布告をすることを必要としない理由として、国連憲章での武力の行使の違法性の判断に関し宣戦布告の有無は関係しないことを挙げているが、開戦に関する条約の宣戦布告義務がなぜ適用されないかについては何も論じておらず疑問が残る。
 なお、「国連憲章は戦争を禁じているので、宣戦布告は禁止されている」という説があるが、これに対し米国議会調査局の2007年3月8日のレポートは「自衛権行使のための宣戦布告」は認められているとの見解を示している。前者の説は、国連憲章が自衛権の行使を認めていることを考慮に入れていない点で、米国議会調査局の結論に反した結論になっている。
 磯崎陽輔国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官は、集団的自衛権と宣戦布告に関し、twitterで「『宣戦布告』のことがお気に掛かるのでしたら、外務省にご紹介してはいかがですか。議論する話ではありません」と発言し、2014年7月1日の閣議決定による解釈改憲直後であるにもかかわらず、宣戦布告の必要性について十分調査されていないことを吐露している。

 このウィキペディア記事の著者は不明だが、ちょっと気になることはこの記事の最後で段落で「解釈改憲」という表現をしていることである。閣議決定は「憲法解釈の変更」であり、「解釈改憲」とは微妙にニュアンスが異なる。「解釈改憲」という用語は「平和憲法」という用語と同じく、すでに用語自体に特種な思想性が含まれている。
 内閣法制局によると、現行憲法が施行されて以降、今日に至るまで「憲法解釈の変更」が行われたのは過去1度だけだという。今回が2度目だというが、それはウソだ。閣議決定で変更したのは、「憲法解釈」ではなくて「集団的自衛権」の「定義」である。そのことは、私の指摘を受けて外務省北東アジア局の官僚が認めている。しかも私が「安倍総理はそのことを国民に説明していませんね」と言ったとき、間髪を入れず「その通りです」と答えた。
 安倍総理があくまで「憲法解釈の変更」にこだわるなら、憲法9条のどの部分の「解釈」を、どのように「変更」したのか、国民に説明する必要がある。
 少なくとも、従来の「集団的自衛権」に関する憲法解釈は、「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」という定義にのっとって「憲法の制約によって行使できない」というものである。この「憲法解釈」を変更するということは、上記の定義を変えない限り、「自衛のための実力の行使」に該当しない。
 閣議決定で自公両党が合意した「集団的自衛権行使の新3要件」は、①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が脅かされる明白な危険があり、②その危険を排除するについて他に適当な手段がないとき、③必要最小限の実力を行使する、というものである。
 新3要件とある以上「旧○要件」がなければおかしい。が、「集団的自衛権行使を容認する旧○要件」など存在しない。あえて無理やり該当させるとしたら「集団的自衛権についての定義」しかない。「旧定義」であれば、「新3要件」により「密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」としてきた定義が、今回の閣議決定による新3要件によって変更されたことを意味する。それだけのことで、この新3要件には「憲法解釈の変更」が入り込む余地がない。
 再度、念を押すが、従来の政府の定義は「密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」というものである。その定義を維持する限り、解釈の問題ではなく憲法の制約によって行使できないのは自明の理である。そのため、安倍総理としては集団的自衛権の定義を変えない限り、合憲性が認められる他国防衛のために実力を行使することが不可能なため、「新3要件」を盛り込んだ「集団的自衛権の新定義」を閣議で決定したということなのだ。無理やり他国防衛のための実力の行使に合憲性を持たせるために「定義」を変えただけで、それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 繰り返すが、集団的自衛権の定義を変更することは、憲法解釈の変更を意味しない。そもそも従来の定義にしても憲法解釈によって作られたものではなく、冷戦時代の米ソが「自衛」(自国防衛)ではなく、自国の「国益防衛」のために行ってきた、他国や、密接な関係にある国の反政府勢力に対する攻撃を正当化するための口実にしてきた「定義」である。22日のブログでも書いたように、ニカラグア事件などはアメリカがどう屁理屈をつけようと「自国防衛」のための武力行使ではない。ニカラグア事件のようなケースが「集団的自衛権」として国連憲章が容認しているならば、先の大戦における大日本帝国の戦争も、すべて集団的自衛権の行使ということで正当化されてしまう。
 メディアもいい加減、目を覚ませ、と言いたい。

 それはともかく、アメリカのご都合主義には呆れるばかりだ。確かに日本が
今日あるのは、アメリカの軍事力によって日本の平和が保たれてきたという側面も間違いなくあり(アメリカも自国の国益に合致するから日本を防衛してきたのだが)、それはそれで感謝すべき点はあると思う。
 が、アメリカのやることは何でもかんでも支持するというのなら、それは主権国家ではない。アメリカの同盟国でも、しばしばアメリカを厳しく批判し対立することもある。アメリカの外交政策(戦争も含む)に対して何も言えない日本は、はっきり言ってアメリカの従属国であり、準植民地ということになる。そんなくらいなら、いっそのことロシアに編入したウクライナのクリミア自治共和国のように、アメリカに編入を要請して「アメリカ合衆国日本州」になったほうがまだましだ。日本国民はアメリカ国民と同等の権利が保証されるからだ。沖縄では米兵による性犯罪が後を絶たないが、米国内では性犯罪は重罪である。沖縄の性犯罪被害者もアメリカ国民と同様に保護されれば、性犯罪は激減する。安部さん、マジにアメリカ編入を考えたらどうかね。

 ウィキペディアから転載したように、宣戦布告をせずにアメリカがベトナムに戦争したことについて、ラスク国務長官が議会で「個別的、集団的自衛権の行使の前に、宣戦布告をするという国際法上の要請はない」と証言し、「宣戦布告なき攻撃」の合法性を主張するなら、日本の真珠湾攻撃も宣戦布告の必要がなかったことになる。
 また現代においても、日本が突如攻撃されたら、相手に宣戦布告するまでもなく反撃しなければ、宣戦布告を準備している間に、好きなようにやられてしまう。相手から攻撃を受けた場合に反撃する権利を「自衛権」として国連憲章は認めており、相手から攻撃されていないにもかかわらず勝手に相手を攻撃する権利など国連憲章は認めていない。現に、旧ソ連ですら、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本を攻撃したとき、攻撃に先立って対日宣戦布告をしている(1945年8月8日)。ベトナムから攻撃されていないにもかかわらず、宣戦布告も行わず、「自衛権の行使」と居直るアメリカの非条理は、日本がアメリカから受けてきた恩恵に対する感謝と相殺されるような性質のものではない。

 なお別件だが、昨日、ソウルで日韓の外務省局長協議が行われた。日本は井原アジア太平洋局長が、韓国はイ・サンドク北東アジア局長が出席し、約4時間にわたって協議を行ったという。この席で、韓国側は日本政府が「河野談話作成過程の検証」を行い公表したことに強い遺憾の意を示した。日本側は、「談
話に対する作成過程を検証したのは国民に対する説明責任を果たすためであり、
談話を継承する方針に変わりはない」という日本政府の立場に理解を求めた。
 またこの問題について菅官房長官は記者会見で「韓国側の反応は極めて残念だ。今回の検証は、国会の要請を受けて河野談話の作成過程の事実関係を明らかにするため、角界の有識者の指示に従って行われた客観的作業だ。ぜひ韓国政府も検討結果を冷静に見てほしい」と述べたという。なお、菅官房長官の会見での発言内容はNHKオンラインから転載したもので、発言内容が事実であるとの保証はない。NHKはしばしば大物政治家の発言内容を捏造するからだ。
 ま、いちおう本当だとして、ふざけるな、と言いたい。メディアや国民が疑問を提起してきたのは、談話の作成過程ではなく、談話の内容自体に対する疑問である。談話の内容を検証するために、まず談話の作成過程を検証して、作成過程に問題がなかったかどうかを明らかにすることが無意味だとまでは、私も考えていない。
 が、作成過程の検証の結果、韓国側とのやり取りやすり合わせがあり、韓国側の要請もかなり受け入れた、相当程度の政治的配慮によって作成されたことが明らかになった。そうである以上、河野談話の内容自体の検証が不可避になるはずだが、オバマ大統領が示した不快感の前に安倍総理が跪き、河野談話自体の検証はおろか、「談話の継承」まで国際社会に約束してしまった。
 国民に対する説明責任は「河野談話」そのものに対する国民の疑念に答えることだったはずだ。ところが、安倍総理は肝心の「河野談話」の検証を放棄し、国民に対する説明責任より、オバマ大統領のご機嫌取りと韓国政府に対する政治的配慮を優先した。そんな人が「政府は国民の命に責任を持つ」と1万回約束してくれても、信用できるわけがない。
 
 明日から、アメリカとの「同盟」関係の再構築について考えたい。





集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。④

2014-07-23 05:41:10 | Weblog
 昨日のブログを投稿した後、ネットで毎日新聞の布施博氏(論説室)が、『記者の目:集団的自衛権と湾岸のトラウマ』と題した記事を読んだ。その記事の書き出しはこうだ。
「集団的自衛権をめぐる論戦を見聞きしながら、ふと不安になった。議論にはよく1991年の湾岸戦争が登場するが、私が前線で取材したこの戦争はかなり誤解されているように思えるからだ」
 布施氏はこの記事で、湾岸戦争の停戦から約2か月後の憲法記念日(91年5月3日)の朝日新聞の社説を引用している。
「今回浮き彫りになったのは、日本の政治・外交が平和主義の基本理念を積極的に発信し、世界に浸透させる努力を十分重ねておらず、むしろ憲法理念を『制約』として自らの怠慢の言い訳にしか使ってこなかった、という事実ではないだろうか」
 一方布施氏が所属する毎日新聞については、翌92年の憲法記念日に掲載した社説で「『正義の戦争などない』という正論性を、とことん詰めもしないで済ませてきた日本が、その虚をつかれたのが湾岸戦争だった」と総括し、「戦争放棄の理想という原点」を踏まえ「人的な貢献策をギリギリ詰めていく」必要性を説いている、と述べた。
 そんな20年以上の新聞の社説を調べようにも、国会図書館にでも行けば、多分コンピュータの記録媒体ではなくマイクロフィルムに保存されているだろうが、私のブログは対価を得るために書いているわけではないので、そこまでの時間とコストはかけられない。
 布施氏は、当時の社説を振り返って「ここにはトラウマの影はなく、両紙とも深い問題意識によって日本の在り方を反省している。どんな結論に至るにせよ、ここが模索の出発点と思うが、昨今の論戦でこうした問題意識が希薄なことに驚かされる。90年代からの課題が自然消滅、または乱暴にリセットされているかのようだ」と語っている。以下布施氏の思いを転載させていただく。問題意識の原点は、私と共通した要素も感じられるが、その後の認識を深めていくプロセスが微妙に異なっている。できれば読者にもそのあたりを意識しながら布施氏の記事を読んでいただきたい。

 いささか恣意的な分類と独断を許してもらえれば、いわゆる「保守」の人々が湾岸戦争の「教訓」を長年考え続けたのに対し、いわゆる「リベラル」の人々は「トラウマ=忌まわしい記憶」として忘れようとする傾向が強かったのではなかろうか。このことは集団的自衛権をめぐる論戦にも影響していて、双方に優れた論考があるのは確かだが、私の目には「リベラル」の側に稚拙で雑な文章が多いように映った。「こう書くのが平和主義なんだ」という安易で根拠のない思い込みが論理の緻密さを失わせ、朝日新聞社が指摘した「怠慢」にも通じ
るような気がしたのである。
 私自身は2001年の米同時多発テロ後、日本周辺の防衛と邦人保護に限って集団的自衛権の行使を認めた方がいいと思い始めた。テロもそうだが、中国や北朝鮮も含めて国際秩序の流動化が続く。憲法解釈は大事だし、閣議決定を急いだ安倍晋三政権を批判するのも当然である。だが、安全保障や国際貢献がからむこの問題はしょせん、賛成と反対では割り切れないのではないかという疑いを禁じ得ない。
 国連決議を積み重ね「正義の戦争」といわれた湾岸戦争から同時多発テロを経て、米国は大義なきイラク戦争へ突き進んだ。これが湾岸戦争のイメージを損ない、集団安全保障の論議などに響いているのは残念だが、ともあれ米国が各国を強引に「テロとの戦争」に組み込む過程を私はつぶさに見た。米国の力が衰えた時も、肩代わり的に日本が巻き込まれる状況は生じよう。
 だが、米国の力に頼りつつ米国に巻き込まれるのを警戒するのは日本の宿命的な現実であり、二律背反的な要素を使い分けて日本は平和を保ってきたとも言える。そう簡単に日本が巻き込まれるとは思わないし、巻き込まれることを自明とする必要もない。
 昨秋、ある国立大学で約100人の学生に聞いたところ、半数以上が集団的自衛権の行使容認に賛成する一方で、日米問題について「強化」を求めた学生は2割に満たなかった。この種の調査をするたびに若者たちが日本の自立を求めていることを痛感する。
 集団的自衛権をめぐる論戦は50年後100年後の日本を見据えた議論であってほしい。「私たち日本人は、世界の中で、平和のためにどうしたいのか」。むかしからリセットされがちな問いと向き会わない限り、行使を容認しようがしまいが、日本人は国際貢献でも安全保障でも主体的な選択はできないだろう。

 私が知る限り(私が知りうるのはごく限られていることを前提に言っている)、集団的自衛権問題について自らが属する毎日新聞の立場にも敢えて立たず、外野席に身を置いて集団的自衛権問題の再考察の必要性を訴えた方は布施氏のみである。
 ただ、私とは考え方が違うという意味ではなく、湾岸戦争について「『正義の戦争』といわれた」戦争と位置付けながら、イラク戦争については「大義なき」戦争と決めつけた合理的根拠を明確にしていないのは、新聞の場合紙面の制約があるとはいえ、メディアの常とう手段であるご都合主義的主張の仕方とも思える。学生へのアンケートも、どの大学名を特定していない以上、でっち上げの可能性が否定できないと言われてもやむを得ないだろう。
 メディアが主張の正当性の根拠として、いまでもしばしばでっち上げや捏造を行っていることは、私が知りうる限り、これまでも暴いてきた。でっち上げ
た、あるいは捏造した、という事実を内部情報に接触して得たわけではない。私がそう断定するに至った、閣議決定に関するNHKと読売新聞がでっち上げもしくは捏造について検証したことを改めて再検証する。
 メディアは、先の大戦については何度も再検証を重ねているが、戦後の報道については「すべて正しい」と信じているのかも知れないが、明らかな誤報は別として、ねつ造やご都合主義的解釈についての検証作業を行ったメディアは、私が知る限りない。布施氏の記事は例外中の例外と言っていいだろう。

 7月1日の閣議決定の直後、公明党の山口代表の発言(同党の「外交安全保障・憲法両調査会合同会議」での)を、NHKはなぜか山口代表の映像をバックに武田アナウンサーが、山口代表の肉声ではなく「代行アナウンス」した。おそらくNHKの報道局内部で集団的自衛権行使の容認派と批判派グループの間で主導権争いが背景にあったことをうかがわせるに足る放送の仕方であった。
 武田アナウンサーが「代行アナウンス」した内容は「他国のためだけでなく…」だった。私は耳を疑った。閣議決定に至るまで、公明党は集団的自衛権を事実上個別的自衛権や警察権で対応可能な範囲まで絞り込み、自民・安倍執行部に丸呑みさせてきたはずだ。そのうえで閣議決定の文言に「集団的自衛権行使容認」とそれを可能にするために「憲法解釈を変更する」という事実上意味をなさない言葉を盛り込むことで自公は折り合いをつけたはずだ。
 その折り合いをつけるために閣議決定では、これまでの憲法9条の解釈として定着してきた個別的自衛権(我が国に武力攻撃が発生した場合に反撃する「専守防衛」の権利)だけでなく、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」というのが、自公がギリギリの折衝を重ねた結果として「集団的自衛権行使」が憲法解釈の変更によっても許容できる限界としたはずだ。
 相撲でいうなら、「集団的自衛権」行使の範囲は、勝負を行う円形の土俵の内側に限るということである。もう少し厳密な解釈をしても、土俵(円形の勝負俵と東西南北の4カ所に少し出っ張った徳俵)の完全に内側での実力の行使は「個別的自衛権」、勝負俵や徳俵に足がかかった状態での実力の行使が「集団的自衛権」と解釈するのが文理的である。少なくとも、土俵の外で実力を行使することは、いかように屁理屈を付けて憲法9条を解釈しようと、解釈の許容範囲を逸脱していることは明らかだ。
 もし、土俵外での実力の行使までも憲法の許容範囲だとすれば、天皇の統帥権復活も憲法解釈の許容範囲になる。山口代表の発言(「他国のためだけでなく…」)は、明らかに土俵の外での実力の行使を容認した発言である。私が武田アナウンサーの「代行アナウンス」を聞いて耳を疑ったのは、そうした理由からである。
 この日、まず私がチェックしたのはネットのNHKオンラインで確認することだった。基本的にNHKのニュース原稿は放送開始直前に飛び込んできたニュース報道の原稿以外は、放送前にオンラインで公表(配信時刻も表示)されている。が、武田アナウンサーの「代行アナウンス」の原稿はNHKオンラインで公表されていなかった。
 私が事実確認のためにとった次の方法は公明党事務局に電話で確認することだった。が、公明党に何度電話してもつながらない。「話し中」のピ、ピ、ピ…が受話器に流れるだけだった。
 NHKのニュース7は原則7時30分前に終わる。その日はどうだったか覚えていないが、NHKオンラインでは確認できなかったので、8時半過ぎにNHKふれあいセンターに電話して上席責任者に、「武田アナウンサーの代行アナウンスはNHKの誤報ではないか」と疑問をぶつけた。上席責任者は「私は山口代表の発言映像を見たわけではありませんが、放送からすでに1時間は経っており、公明党からは全く抗議の連絡がありませんから誤報ではないと思います。こういうケースの場合、誤報だったら間違いなく公明党から抗議の連絡があり、訂正放送します」と答えた。
 公明党事務局にやっと電話がつながったのは9時半近かった。本来この時間帯だと電話受け付けは終了しているのだが、NHKのニュースを見た公明党支持者たちからの抗議が殺到して、電話対応時間を延長したのだろう。事務局はあっさり、武田アナウンサーの「代行アナウンス」の内容が事実であることを認めた。
 さらにその後、10時過ぎにやっとNHKオンラインで武田アナウンサーの「代行アナウンス」原稿が公表された。だから私は武田アナウンサーの代行アナウンスのすべてを一字一句正確に知りえて、その内容をブログで書いた。事実かどうかを確認するために、私は最低限そのくらいのことをしたうえで、メディアが流した情報の正確性を確認して主張している。改めて山口発言をNHKオンラインが公表した原稿通りに記載しておく。
「他国のためだけでなく、日本国民の生命、自由、権利を守るための限定的な行使容認であり、閣議決定以上のことは憲法改正でなければならないことを確認するなどの歯止めを勝ち取った」 

 その後、NHKはこの山口発言を改造するのだが、時系列的に山口発言をメディアがどう扱ったかを検証する。閣議決定の翌日7月2日の読売新聞朝刊は1面で、公明党「外交安全保障・憲法調査会合同会議」での山口発言を、こう紹介した。
「意見が一通り出たところで、山口代表が閣議決定について『他国防衛ではなく、自国防衛であるという目的が明確になった』と歯止めを求めた成果を強調した」
 明らかに読売新聞は山口代表の発言を捏造した。NHKのニュース7での武田アナウンサーが正確に山口代表の発言を、重要な部分だけを切り取ってではあるが、「代行アナウンス」したことは、上記のように私は確認している。
 さらに念のため当日朝日新聞お客様オフィスに電話をして「読売新聞が山口発言を捏造していますよ」と伝えたところ、即座に「分かっています」と答えられた。「これは、かつて朝日新聞のカメラマンがスクープ目的にサンゴに自分で傷をつけて撮影し、その写真を朝日新聞が紙面に掲載したケースとは違う。メディアとしての致命的な犯罪行為だ。いくら村社会を大切にしたいとしても、かばい合える性質の問題ではない。かつて朝日新聞は吉田清治氏の捏造本を過大評価して、それが今日の従軍慰安婦問題に発展した」と言ったところ、「あれは“勇み足”でした」と即座に認めた。
 が、朝日新聞は結局、読売新聞の捏造記事を無視した。そのせいかどうかはわからないが、NHKが7月13日に放送した『NHKスペシャル』での捏造につながる。番組のタイトルは『集団的自衛権――行使容認は何をもたらすのか』で、番組の内容紹介にはこうある(NHKオンラインによる)。
「戦後の安全保障政策の大転換となった集団的自衛権の行使容認。憲法解釈を変更する閣議決定に至る舞台裏では自民、公明両党の間で、憲法解釈の変更や“歯止め”などをめぐってさまざまな協議が行われた。なぜいま集団的自衛権の行使容認なのか。自衛隊の活動はどう変わるのか。キーパーソンへの取材で、今回の決定までの動きと背景に何があったのかを検証。海外の事例も交え、今回の決定が今後の日本に何をもたらすかを考える」
 問題意識はよしとするが、肝心のキーパーソンの最重要人物である山口代表の発言を肉声ではなく、「他国防衛のためではなく、自国防衛のため」と読売新聞と同様の捏造テロップを流した。
 私は即座に『NHKスペシャル』の担当ディレクターに電話をして、山口代表の発言内容を文字化したテロップは明らかに捏造だ。どうして捏造したのか、と追及した。ディレクターは、「私は山口代表の肉声を聞いているわけではなく、報道局から渡された原稿をそのままテロップにしただけです。捏造されているとは思えませんが…」という返事だった。
 私はディレクターにニュース7での武田アナウンサーの「代行アナウンス」について徹底的に真偽を確認した経緯と読売新聞の捏造についても説明し、7月1日のNHKオンラインで代行アナウンスした内容が確認できるから、確認してほしい、と伝えた。
 実は、この日の番組ではもう一つ重要なシーンがあった。NHKの女性記者が安倍総理に取材するシーンが映像で流れたのだが、安倍総理がインタビュー・ルームに入っていくシーンから放送された。女性記者の質問は放映されず、はっきり言って意味のないシーンなのだが、女性記者が椅子にでんと座ったままで入室する安倍総理に対して、向かい合った椅子に座るよう手で指図した。一国の総理に対し、失礼を通り越して非常識極まりない映像だった。
 そのことについても番組ディレクターの抗議したところ、「私どもは、権力と距離を置くという姿勢を明らかにするためにしたつもりですが…」と返答したので、そういう撮影は距離を置いたことにならない。アメリカの大統領でさえ、他国の首相や大統領を執務室に迎えるとき、必ず立ち上がって、自ら訪問者に歩み寄って握手し、訪問者と同時に椅子に座る。その程度の常識すらNHKの職員はわきまえていないのか、と厳しく追及した。ディレクターは、そう言われると私たちが非常識だったと思います、と素直に非を認めた。
 が、この撮影シーンは、どうやらNHKと首相官邸との打ち合わせの過程で、首相官邸側から「こういうシーンを入れてくれ」と要請があったのではないかという疑いを私は持たざるを得なくなった。
 いつだったか覚えていないが、NHKの『クローズアップ現代』が菅官房長官をゲストに招いて、国谷裕子キャスターがインタビューしたことがあった。この番組は私も見たが、国谷氏と菅官房長官とのやり取りは覚えていない。記憶にないということは、問題になるような追求を国谷氏がしたとは感じなかったということだ。国民の多くが抱いている疑問を国谷氏が代弁したに過ぎないと私は解釈している。
 が、官邸はそうは受け取らなかったようだ。NHKの籾井会長と国谷氏を官邸に呼び出し、安倍総理じきじきに「あの番組はなんだ」と恫喝したらしい。籾井会長、国谷氏はともども土下座して謝罪し、国谷氏は涙したという。写真週刊誌の「スクープ」記事なので、真偽のほどは分からない。もっとも、週刊誌も「煙もない」のに火事だ、火事だと騒ぎ立てたりはいくらなんでもしないから、それに近い情報は官邸筋から流れたのであろう。籾井会長や国谷氏が安倍総理の前で土下座している写真が掲載されていれば、それは間違いなく事実であったことの証明になるのだが、公には官邸側もNHK側も否定しているので私がどうのこうのと言う筋合いではないが、この写真週刊誌の「スクープ」にツイッターが炎上した。
 それでもNHKも官邸も写真週刊誌に抗議もしなければ、名誉棄損で告訴をする様子もないことから、やはり「火のないところに煙は立たず」で、『クローズアップ現代』をめぐって官邸とのいざこざが多少はあったのではないかと思わざるを得ない。そう考えると、『NHKスペシャル』での総理インタビュー・シーンは、「NHKが権力との距離を置いている」ように一見視聴者を思い込ませることを目的に、官邸側からNHKに要請した可能性がかなり濃厚になる。
 そう考えると、このインタビュー・シーンで、女性記者が映像で椅子にでんと座ったままでインタビュー・ルームに入室する総理を手招きするシーンだけが映像化され、肝心のインタビュー・シーンはまったく映像化されず(つまり女性記者が質問しているシーンの映像はまったくなかった)、総理が一方的に説明する映像だけが放送されたことも併せ含めて、山口代表発言の捏造テロップを考えると、『NHKスペシャル』の番組は、ディレクターたちが報道局の「集団的自衛権行使容認派」によって、自らは無自覚なまま「操り人形」として官邸の意に沿う番組を作らされた可能性がかなり濃厚になる。
 もちろん一般視聴者もバカではないから、見え見えの閣議決定支持番組を作ったりはしない。第一、そういう指示が何らかの筋からあったとしても、「分かりました。そういう番組にします」などと権力に尻尾を振る人間集団ではNHKはないはずだ、と信じたい。が、番組制作の責任者であるプロジューサーは違う。少なくとも、この番組については権力と相当程度癒着して制作されたと考えざるを得ない。
 歴史が作られていく過程で、メディアがしばしば国民に対して加害者になるのは、先の大戦のときだけではない、という証左である。(続く)

 

 

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。③

2014-07-22 07:34:17 | Weblog
 18日に投稿したブログは、われながら恥ずかしい限りだった。いくら疲れていたにせよ、ゴルフの予定があって時間的余裕がなかったにせよ、ニカラグア事件についてきちんとした説明をせず、国際司法裁判所の判決と、ウィキペディアの解説だけを根拠にした主張では説得力を持ち得ない。「体力の限界なので、今日は休ませていただく」として、3連休に調べられることは調べきってから国際司法裁判所の判決の意味について書くべきだった。
 まず国際司法裁判所について補足的説明をしておく。裁判所はオランダのハーグに本部があり、国籍が異なる15人の裁判官(任期9年)で構成される常設の裁判所で、国際間の紛争を取り扱う。当事者になれるのは国家のみで、おもに領土・領有権をめぐっての紛争が提訴される。今年オーストラリアが日本に対して「捕鯨禁止」を求めて提訴したが、こうした事例は異例と言える。
 ニカラグア事件は、ニカラグアの国内紛争にアメリカが軍事介入した行為に対して、ニカラグア政府が抗議し提訴した事件である。
 私は決して反米主義者ではない。アメリカには取材だけでなくレジャーも含めると数えきれないほど行っており、いい面も悪い面もかなり熟知している方だと自負している。アメリカから学ぶべきことも多く、また戦後の日本が世界の一流国になれたのも、かなりアメリカの恩恵に浴した面が大きいことも認め感謝している。
 アメリカは、フェアネスを社会的規範とする世界で唯一の国である。アメリカ人は論争になったとき、しばしばどちらがフェアな主張をしているかを争う。下層階級での相手を侮蔑する最大の言葉は「ファック・ユー」だが、知識階級では「お前はアンフェアだ」という言葉が最大の侮蔑的表現である。「お前はアンフェアだ」と言われたら、「死ね」と言われたに等しいくらいの重みを持つ。だからアンフェアな経済活動に対する制裁も厳しく、世界最大級の総合エネルギー会社だったエンリコと、同社の会計監査をした世界の最大手級監査法人のアーサー・アンダーセンも、違法な会計処理をしたことでつぶされた。日本最大の証券会社・野村証券も、かつてバブル期に暴力団とつるんで株価操作をしたり、「つぶしてはいけない」顧客に対して行った損失補てんのような事件をアメリカで行っていたら、間違いなくつぶされていた。アメリカの公務員には「1ドル規制」という厳しいルールがあり、たとえ仕事と関係のない友人と飲食する場合でも、1ドル以上を相手からおごられたら「許されない接待」と見なされてクビになる。
 が、そういうフェアネスのルールは、アメリカは国内だけのものと考えている。国外に対してはどんなにアンフェアなことをしても、国益に反しない限り正当化してしまう国でもある。たとえば「同盟」関係にある国との関係においても、相手に対しては「同盟国」としての義務を果たすことを厳しく要求するが、アメリカ自身は「同盟国との友好関係」より自国の国益を優先して当たり
前と考える国だ。そういう国だということを分かっていないと、アメリカの外交政策や行動も理解できない。
 とくにそうしたアメリカの身勝手さが象徴的に表れたのが、中南米諸国に対する軍事的圧力である。1959年、キューバで共産革命が成功した。アメリカはCIAが中心になってキューバのカストロ政権を何とか打倒しようとさまざまな工作を行う。日本でも人気が高いケネディ大統領の時代だ。そのアメリカの脅威に対して「個別的自衛手段」として、キューバはソ連の援助によってミサイル配備計画を立てた。キューバがミサイルをもっても、アメリカにとって脅威になるわけがない。が、ケネディ大統領は、キューバのミサイルはアメリカにとって脅威だと主張し、世界戦争も辞さずの構えでソ連のミサイル搬入を阻止した。
 自国は「個別的自衛手段」として核の保有を正当化しながら、アメリカの核を脅威と「感じた」北朝鮮の「個別的自衛手段」としての核やミサイルの開発・保有は認めないという、子供でもおかしいと思うことを平気でやる国でもある。ニカラグア事件も、そうしたアメリカの身勝手さによって生じた。キューバ革命後、中南米に共産主義の波が押し寄せるのを防ぐために、65年にはドミニカ共和国を占領し、83年にはグレナダにも侵攻して共産勢力を軍事制圧した。
 ニカラグアで43年間にわたり支配してきたソモサ政権が、反政府勢力によって79年に打倒され左翼政権が生まれた(ニカラグア革命)。西欧との友好関係も重視した穏健な左翼政権だったので、アメリカも当初は新政権との友好関係を重視していた。が、81年に発足したレーガン政権は、イラク戦争と同様根拠のない「脅威」をでっち上げてニカラグア国内の反政府勢力を支援、CIAが直接軍事行動を行うまでに至った。これがニカラグア事件で、ニカラグアが国際司法裁判所に提訴して、アメリカが敗訴したという経緯があった。
 類似したケースで現在のウクライナ情勢がある。私はロシアのプーチン政権のウクライナ反政府過激派への支援(?)を支持するわけではないが、少なくともアメリカにはロシアを非難できる資格がないことだけは断言できる。
 ついでのことに、メディアはウクライナの反政府過激派を「親ロシア派」と位置付けている。ポロシェンコ政権が発足する以前も「暫定政権vs親ロシア派」と対立関係を位置付けており、そういう位置付け方はおかしいとブログにも書いたが、メディアにも直接、電話で申し入れた。メディアは私のクレームを受け入れ「親欧米派vs親ロシア派」としたが、「親ロシア派」住民が大統領選挙をボイコットしたかどうかは知らないが、ロシアも含め国際社会が認めるポロシェンコ政権が樹立した以上、その新政権に対して武力闘争を続けている集団は、もはや「親欧米派」に対抗することを意味する言葉である「親ロシア派」とすべきではなく、ポロシェンコ政権に武力抵抗する「反政府過激派」とするのが、言葉の使い方としては正しい。メディアに対する影響力は私など足元にも及ばない石原慎太郎氏が、「言葉にうるさい」ことを自負していながら、このことにすら気付かないのは、やはりもうろくしたのかな? 私とは8歳違いだが、私もあと8年長生きすると石原氏のようにもうろくするのだろうな、おそらく。長生きはしたくないものだ。本題に戻る。

 集団的自衛権問題を考察する場合、やはり憲法9条の制定過程と、占領下において制定された憲法が、サンフランシスコ講和条約調印によって主権国家として独立を回復したのちも改定されることなく、今日に至っているという問題の検証と切り離して考えることは合理的でない。
 憲法9条の制定過程については、私はブログで散々書いてきたが、肝心のポイントだけおさらいしておこう。あらかじめお断りしておくが、石原慎太郎氏のように「占領国(アメリカ)から押し付けられた憲法」という解釈は、私はしていない。またその対極にある「日本の国会の承認を経て制定された憲法だから、国民の総意が反映された憲法」という考え方にも否定的である。
 私の見解は「河野談話の作成過程と同様、日本政府と占領下において日本の施政権を事実上掌握していたGHQとのすり合わせによって作成されたもので、GHQの意向が相当程度反映された憲法」である。こう定義した場合、「相当程度」とは具体的にどういうことかを明らかにする必要がある。
 大日本帝国憲法の改定作業は当初、日米でそれぞれ独自に進められた。日本側は形式上は民間の「憲法研究所」が新憲法草案を作成した。政府がGHQの意向と無関係に独自の憲法草案を作成することは、さすがにためらわれたのであろう。「憲法研究所」作成の憲法草案のポイントは、軍国主義を排しつつ日本の自衛権行使のために、GHQによって完全に解体された軍隊を再興再編し、天皇の統帥権をはく奪して軍をシビリアン・コントロール下に置くというもので、GHQの了解を求めた。1945年12月26日である。
 が、GHQ総司令官のダグラス・マッカーサーは「日本、憎し」の一念で固まっており、軍の再興再編など許すつもりは毛頭なかった。そのためこの案に対して、実際に事務レベルで日本の新憲法作成で日本政府とのすり合わせ作業を行うことになっていたGHQ民政局に、新憲法に盛り込むべき原則についての指示を出した(46年2月3日)。それが「マッカーサー三原則」(通称「マッカーサー・ノート」)と言われているものである。その内容はこうである。

1.天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意志に応えるものとする。
2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
3.日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は皇族を除き、現在生存するもの一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。

 これが、いわゆるマッカーサー三原則と言われているものであり、現行憲法
にどの部分が押し付けられ、日本の主権を完全に否定しているか、石原慎太郎氏とその一派は答える必要がある。石原氏はBSフジの『プライムニュース』にゲストとして生出演したとき、「私は文学者だから言葉の使い方に非常に慎重だ。憲法改正と新憲法制定とは意味するところがまったく違う」と、結いとの合流を目指している維新・橋下派とたもとを分かった理由を説明していたが、キャスターの反町理(そりまち・おさむ)氏も島田彩夏(さやか)氏も、この説明に納得してしまったのか、それ以上の追及はしなかった。どうしてメディアの人は、このバカげた説明に論理的疑問を持たないのか、あるいは持てないのか、私には不思議でならない。
 まず、マッカーサー三原則のどの部分が「日本に押し付けられたのか」そのことの説明を石原氏に求めるべきだった。キャスターの二人は毎日出演しているので、二人で手分けしたとしても憲法制定過程を検証したうえで石原氏にしつこく質問するだけの情報を入手する時間はなかったとは思う。いや、そもそも現行憲法の制定過程を検証すべきだという問題意識そのものが、キャスターにも「プライムニュース」のスタッフにも全くなかったとしか考えられない。彼らは私とは違って論理的思考力を持っていないようだからね…。
 
 マッカーサーの支持を受けたGHQ民政局は25人で新憲法草案の作成に取りかかったが、その過程でコートン・ホイットニー民政局長がマッカーサー三原則に示された「さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」との部分の削除をマッカーサーに進言した。その理由は、「この憲法が、将来日本が独立を回復したのちも再改正されなかった場合、日本の安全はアメリカがずっと保証しなければならなくなる。そうなるとアメリカの負担が大きくなりすぎる」というものであり、きわめて論理的主張だったため、マッカーサーも渋々認めざるを得なかったという経緯があった。のちにマッカーサー自身は回顧録で「日本の自衛権を否定するつもりはなかった」と書いているが、マッカーサー・ノートは現存しており、あとからどのように言いつくろっても、マッカーサーが日本に自衛権すら持たせない、という確たる信念を持っていたことは否定できない。
 GHQ総司令官としてのマッカーサーが対日制裁手段として考えていた別の経済制裁政策もあり、日本に原爆を二度も投下して大量虐殺行為によっても消えなかった日本に対する憎しみの大きさを証明できる。そのことを私は1992年11月に上梓した『忠臣蔵と西部劇』でこう書いている。題名から「映画文化の比較論」と書店に思われ、「映画もの」の棚に並べられてしまうというミスマッチが生じたが、この本のサブタイトルは「日米経済摩擦を解決するカギ」とあり、日米経済摩擦の深層に横たわるパーセプション・ギャップを解明しようと試みた著書である。その中で私はマッカーサーの個人名は出さなかったが、マッカーサーが行おうとした対日経済制裁政策についてこう書いている。

 GHQは農地解放・労働民主化・財閥解体・独占企業の分割(三井物産は約220社に、三菱商事も約140社に細分化された)など、強力に経済民主化を推進した。政治家や軍人だけでなく、大企業経営者も次々に公職から追放され、独占禁止法や過度経済力集中排除法なども制定された。
 だが、この時期のGHQの占領政策の基本は、日本経済の民主的再建をバックアップしようというものでは必ずしもなかった。むしろ、日本の工業力を徹底的に骨抜きにし、農業国に先祖帰りさせてしまおうという報復的色彩が強かった。現に、産業民主化政策と並行してGHQは、日本工業力の再興を不可能にするような対日賠償計画を立てていたのである。
 戦争末期、日本の主要工業地帯はB29の攻撃によってほとんど壊滅状態に陥っていた。終戦直後の日本の工業水準はナベやカマの生産すら覚束ない状態まで後退していたが、幸いにして戦火から免れた生産設備・機械類が多少残っていた。それらの設備・機械類を根こそぎアジア諸国に移してしまおうというのがGHQの対日賠償計画であった。この計画が実施されていたら、朝鮮戦争特需を引き金とする日本経済の奇跡的な復興はありえなかったであろう。
 しかし、東西冷戦の激化がGHQの占領政策を急転換させる。
 ソ連軍によって「解放」された東欧諸国は次々と共産化していったが、アジアでも共産主義の嵐が吹きまくった。北朝鮮には金日成政権が生まれ(46年2月)、中国でも毛沢東の支配が固まった(49年10月)。
 このような国際情勢の激変によって、GHQの占領政策は根本的な見直しを迫られる。米政府の基本方針が、日本への共産革命の波及を防ぎ、日本と韓国をアジアにおける防共の砦にしようという方向で固まったからである。
 47年8月、賠償政策の見直しのため来日したストライク調査団は、「軍需施設を除く生産施設まで撤去してしまうと、日本自立の可能性が失われ、かえって米政府の負担が増大するだろう」と警告、続いて来日したドレーバー使節団も、日本の経済復興に必要な生産設備を賠償対象から外すようGHQに勧告した。
 事ここに至って、GHQも政策転換を余儀なくされた。厳しい賠償計画を中止し、財閥解体や追放の緩和、過度経済力集中排除法の適用緩和に踏み切らざるを得なくなった(※吉田総理の「傾斜生産方式」という経済政策は、これによって可能になった)。そうした状況の中で、行政府主導による産業復興のレールが敷かれ、財閥解体によって“民”の力が衰えた間隙をついて“官”による産業支配力が、急速に強化されていくのである(※これが“官”による規制があらゆる分野で行われ、いわゆる「戦後民主主義」の誤った風潮によって「弱者救済横並び」の“護送船団”行政が横行するようになった。「護送船団政策」というと、大方の人は金融界のことだけだと思っているが、教育分野、農業分野、
大規模店舗規制など、あらゆる分野で行われてきた。タバコや酒、コメなどの販売も小商店を保護するための政策が行われてきた。そういう意味では、当時の日本政府は共産党以上に共産主義的思想に染まった政府だったと言えよう)。

 この『忠臣蔵と西部劇』を書いた同じ年の7月には、日本の安全保障体制が危機的状態にあることを訴えた『日本が危ない』を私は上梓している。集団的自衛権問題が政治課題として急浮上してから「付け焼き刃」的主張を始めたのではない。『日本が危ない』で書いてきたことは、これまでブログで何度も書いてきたが、あえて繰り返しておかねばならないことがある。「集団的自衛権行使を認めた閣議決定」の中に見逃せない個所がある。

政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることにある。

「言や良し」と言いたいところだが、にわかには信じがたい。自民党政権は、かつて国民の命のゲタを多国籍軍に預け、自らは見捨てた過去がある。イラクのフセイン政権が突如隣国のクウェートに侵攻し、同時にイラク国内の外国人をすべて“人質”として拘束したことがあった。その中に日本人141人が含まれていた。この日本人を救出するために動いたのは自民党政府ではなく、アントニオ猪木氏だった。本当に「政府の最も重要な責務は…」というなら、実際に日本人141人の救出に動いたアントニオ猪木氏を自民党の副総裁、内閣の副総理大臣に任命したらどうか。
「バカなことを言うな」と批判されることを承知で、私はそう主張する。そのくらい、私はこの欺瞞的文章に怒りを覚えている。私は『日本が危ない』のまえがきでこう書いた。その転載で、今日のブログは終える。

 経済大国日本の海外駐在ビジネスマンが、テロリストの標的にされる事件は最近、頻発しているが、いかなる犯罪とも関係のない日本人の、それも民間人の生命が他国の国家権力の手によって危機にさらされるという事態は、戦後40数年の歴史で初めてのことだった。
 このとき日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのでなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
 私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。
現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいのは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万一のことが生じたときは、日本政府は重大な決意をもって事態に対処する」
 海部首相が内外にそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことができたし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。
 もちろん、そのような宣言をすれば、国会で「自衛隊の派遣を意味するものだ」と追及されたであろう。そのときは、直ちに国会を解散して国民に信を問うべきであった。その結果、国民の総意が「人質にされた同胞を見殺しにしても日本は戦争に巻き込まれるべきでない」とするなら、もはや何をか言わんやである。私は日本人であることを恥じつつ、ひっそりと暮らすことにしよう。
 私の、本書における基本的スタンスは、この一点にあることを、前もって明らかにしておきたい。

 その時、日本の政治に対して抱いた絶望感が、いまでも私の文筆活動のエネルギーになっている。少なくとも安倍総理の「集団的自衛権行使」への執念は、このときの反省から滲み出たものではない。いくら口先だけで「政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである」などとしおらしいことを言っても、「朝鮮有事の際、脱出する日本人を乗せた米艦を防衛」するという事実上ありえないケースを「事例」として上げる一方、「他国の国家権力によって何の罪もない日本人が“人質”として拘束された場合」にどうするのかという事例を上げていない以上、安倍総理がどんなきれいごとを言っても、にわかには信じがたい思いを抱くのは私一人ではないはずだ。(続く)
 

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。②

2014-07-18 06:42:08 | Weblog
 そもそも集団的自衛権についての政府の「定義」が間違っている、と私は何度もブログに書いてきた。私が集団的自衛権について初めてブログ投稿したのは昨年8月29日だったが、その時の集団的自衛権についてのウィキペディアの解説は政府の「定義」をそのまま転記した内容だった。
 私が8月29日に投稿したブログのタイトルは『安倍首相は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』である。そういうタイトルをつけたのは、集団的自衛権についての国連憲章の規定を読むと(実は国連憲章51条をこの時初めて読んだ。もしインターネットが普及していなかったら、私もわざわざ国連憲章の条項を調べるために図書館通いなどしなかった)、「自衛権」の条項に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とある。
 で、私は小学生並みの幼稚な疑問を持ったのである。「自衛権」とある以上、自国を防衛する手段(自国の戦力あるいは密接な関係にある国に自国防衛のための支援要請)を行使する権利ではないのか、と。他国が攻撃されたら、自国が攻撃されたと見なす権利など国連憲章が認めるはずがない。そもそも、第1次も第2次も世界大戦は、そういう「権利」を口実にして、列強が戦争を拡大していった。そうしたことへの反省から国連憲章は作られたはずだ。
 実は昨日ブログを投稿した後、いま一度「集団的自衛権」についてのウィキペディアの解説を読んでみた。びっくりした。私が、いかなる知識にも頼らず論理的に理解したことが、ズバリ1986年に国際司法裁判所がニカラグア事件判決において明らかにしていたのだ。私も知らなかったが、皆さんもご存じないと思うので「ニカラグア事件」についてウィキペディアで調べてみた。またびっくりした。
 この事件は1984年、ニカラグアがアメリカから受けた軍事行動が違法だとして国際司法裁判所に提訴した事件である。国際司法裁判所は、国内の裁判と異なり、訴訟を起こされた国の同意がないと裁判自体が開かれない。たとえば、韓国に武力占領されている竹島は、日本の固有の領土だが、領有権をめぐって日本が国際司法裁判所に提訴しても韓国が裁判で領有権を争うことに同意しない限り裁判は開かれない。逆に尖閣諸島の場合は、日本側が「領土問題は存在しない」という立場をとっているため、中国は国際司法裁判所に提訴できない。
 だから、ニカラグア事件でアメリカが訴訟を受けて立ったということは、相当な自信があったのだろう。あるいは訴訟に応じざるを得ない、何らかの公にできない事情があったのかもしれない。
 いずれにせよ、国際司法裁判所は1986年6月にアメリカの軍事行動の違法性とニカラグアの賠償請求権を認定したが、結局アメリカはニカラグアの賠償請求に応じず、ニカラグアはたびたび安保理に提訴したが、アメリカの拒否権の行使によって安保理もこの紛争を解決できず、なぜかニカラグアは請求を取り下げて国際司法裁判所は1991年9月26日に裁判終了を宣言した。
 が、アメリカの違法性とニカラグアへの損害賠償を命じた判決は、初めて集団的自衛権行使のための要件や武力行使禁止原則の内容について本格的な判断が下されたリーディングケースとされている。日本のケースでいえば、自衛隊の合憲性を最高裁が初めて認めた砂川判決のようなものと考えていい。
 このニカラグア事件の判決で国際司法裁判所が示した「集団的自衛権」行使についての要件は以下の二つである。
①攻撃を受けた側が個別的自衛権を行使できるケースであり、そのことを国際
 社会に表明すること。
②攻撃を受けた側が第三国に対して援助の要請をすること。
 この国際司法裁判所の判断によれば、日本は日本の領土が攻撃された場合、第三国であるアメリカに援助の要請をできる権利を、日米安全保障条約によって既に保持している。集団的自衛権とはそういう権利だということが、国際司法裁判所の判決によって確定している。
 敗訴したアメリカは、裁判のやり直しを要求していないのだから、判決の基準となった集団的自衛権は、第三国をかってに軍事援助する権利ではなく、自国が攻撃された時に(つまり判決要旨の①)、第三国に援助を要請できる権利(つまり判決要旨の②)だということが、国際的に確定したと考えてよい。
 このニカラグア事件での国際司法裁判所が下した判決を受けて、ウィキペディアの解説は、それまでの解説を一変し、こう述べている。
「冷戦期に、とくにアメリカ合衆国とソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるために武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である」
 この文章に続いてウィキペディアは、日本の「集団的自衛権」についての安倍政権の新解釈についても書いているが、残念ながら、まだ私の論理的結論には至っていない。この問題を論理的に理解するには、ウィキペディアの著者が、私のブログ『集団的自衛権問題――全国紙5紙社説の論理的検証をする。結論から言えば、メディアは理解していない』シリーズの⑥(7月11日投稿)で書いたように、「集団的自衛」の定義、「集団的自衛権」の定義、「集団的自衛権行使」の定義、を明確に区別して論理的に理解することが必要になる。
 先週から、膨大なブログを書き続けて、本当の体力の限界に達した。文字数からすると、単行本でゆうに1冊分(単行本の平均原稿量は400字×300枚)を超える分量に達した。しかもこの間、毎日フィットネスクラブでくたくたになるほど汗を流し、さらに友人たちとゴルフも2回した。よくぞ、ぶっ倒れなかったと、われながら思う。
 今日もゴルフの予定なので、今日のブログはこれ以上書いている時間的余裕がない。中途半端な終わり方で申し訳なく思うが、明日からの3連休を挟んで体力を完全に回復して、この連載ブログを締めくくりたい。
 なお私はいま係争中の事件を一つ抱えている。私が提訴した約30万円の少額訴訟だ。提訴を起こす前に相手と文書によるやり取りをしたが、そのとき相手が「提訴された場合、法律事務所に委託する」と文書で言ってきたので、私はパスモ裁判のケースを伝え、係争している相手にプロの弁護士が就き、私は素人のたった一人という場合、私には絶対に勝ち目がないということが、その後友人になった弁護士から聞いていたので、「そちらが弁護士に代理依頼をするのであれば、私も弁護士に依頼せざるを得ない。その場合、私が勝訴すれば請求金額の多少にかかわらず、訴訟費用が莫大になることをご承知おきください」と文書で返答した。
 いま提訴しているが、裁判官が無能なため2階の裁判でも判決を出せず、3回目の裁判が8月に予定されている。私は簡易裁判所の事務官に「今度の裁判で結審できないようであれば、裁判官の忌避手続きをとる」と伝えてある。
 パスモ裁判で私が負けたことを、いまだに執拗に問題にしてくる読者がいるが、負けた理由は二つある。
 被告側が5人もの大弁護団を組んで、わずか1万円程度の損害賠償請求に対して対抗してきたこと。
 またメガバンクの一つがミスで被告のクレジットカードの請求引き落とし停止の手続きを私が採ったにもかかわらず、引き落とさせてしまい、メガバンクが10日後にミスを認めて弁済したこと(通帳に記録が残っている)、さらにその事実をなぜか被告側が知り、答弁書で「すでに原告は損害金額はメガバンクから弁済を受けており、損害は解消されている」と主張した。
 この二つの要因が敗訴の真相であり、ベネッセ問題もあってメガバンクに、なぜこの事実が被告側に漏れたのかの調査・検証と、もしメガバンクのメインコンピュータが侵入されたとしたらゆるがせにできないことなので、事実の公表を私は要求している。そうしたことも重なり、心身ともに極度の疲労状態にあり、今日ゴルフを楽しんで、3連休はフィットネスクラブには通うが、じっくり体力を回復したいと思っている。(続く)

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。①

2014-07-17 09:41:05 | Weblog
 集団的自衛権行使を安倍政権が閣議で、「憲法解釈を変更して容認する」ことを決定した。7月1日のことである。全国紙5紙は翌2日に社説面すべてを使って論評を加えた。大まかに言えば閣議決定支持派の読売新聞、日本経済新聞、産経新聞の3紙と、反対派の朝日新聞、毎日新聞の2紙に分かれた。
 私は2日に『閣議決定――安倍総理の説明はデタラメだ。もっとひどいのは読売新聞の捏造記事。小保方晴子もそこまではやらない』を、3日には『号外――閣議決定はやはりオバマ大統領の指示だった』と題するブログを投稿した。
 翌4日からは、土日を除いて昨日まで9回にわたり『集団的自衛権問題――全国紙5紙の社説の論理的検証をする。結論から言えば、メディアは理解していない』と題した長期連載ブログを投稿した。その閣議決定を米政府は大変喜んだ。テレビ各局も米政府高官のコメントを映像付きで「閣議決定を歓迎する」と支持していることを報道した。こうした場合の報道の捏造は不可能である。
 しかし、新聞の場合は昔からよく言われているように「新聞記者、見てきたようなウソを書き」放題である。名前を特定せず「政府筋は」とか「政府高官は」とか「関係者によると」といった方法で情報源を特定せずにコメントなるものを掲載することがしばしばあるが、こうしたケースは99.99…%、記者によるでっちあげと見做してよい。
 情報源をどうしても特定できないようなケースは、私がかつて外務省北東アジア局に電話したときのようなケースだ。私が「安倍総理は従来の集団的自衛権についての定義を変えていますね」と聞いた時、相手は間髪を入れずに「そうです」と答えた。正直びっくりした。集団的自衛権問題に深くかかわっている行政機関は内閣法制局と外務省北東アジア局である。そのことを初めから私が知っていたわけではない。
 内閣法制局が深くかかわっていることは、ジャーナリストとしては常識だが、内閣法制局は国家公安委員会と同様、国民からの電話には対応しない。ホームページにも住所は記載されているが、電話番号は記載されていない。電話帳に至ってはその存在すら記載されていない。いちおう公安委員会(各都道府県にもある)の所在地と電話番号は電話帳にも記載されているが、所在地は道府県の警察本部で電話番号は道府県警察本部の代表番号と同じ番号しか載っていない。東京の場合は警察庁の中に国家公安委員会があるが、やはり所在地、電話番号とも警察庁の代表番号しか記載されていず、警察庁や道府県の警察本部に電話しても、広報に回されるだけで、絶対に公安委員会には電話を回してくれない。
 そういうわけで内閣法制局に個人が電話することは不可能であり、私は
外務省の代表番号に電話をして「集団的自衛権について聞きたいことがある」と言ったところ、電話を回されたのが北東アジア局だった。最初に出たのは若い職員で、私が「安倍内閣は集団的自衛権について従来の政府の定義を変えているように思えるが、どうか」と質問したところ、「少々、お待ちください」と2,3分待たされて電話口に出た方が、私の質問に対していとも簡単に「そうです」とお答えになった。私はさらにその方に「定義を変えていることを国民に説明していませんね」とさらに問い詰めたところ、これまたあっさり「その通りです」とお答えいただいた。
 私にとっては、それだけで十分だった。だが、そのやり取りをブログで書く場合、情報源を特定しなかった。今でも外務省北東アジア局の方の氏名は公表できない。情報源を秘匿する条件で聞き出した情報ではなかったが、情報源をその時点で明らかにした場合、その方に何らかの圧力がかかる可能性が十分考えられたからだ。閣議決定に至った現在では、情報の出所は明らかにしても読売新聞読者センターのような「犯人探し」はしないと考えたので、出所の外務省北東アジア局だけは明らかにすることにしたのである。が、個人名は、墓場まで持っていく。私にはその方を守れる力がないからだ。
 
 さて15日の国会答弁で横畠内閣法制局長官が重要な証言をした。今回の憲法解釈の変更について「政府が憲法解釈を変更したのは戦後2回目」と証言したのである。極めて重要な証言だ。
 安保法制懇は憲法9条について戦争直後には自衛権をも否定していたし、その後もしばしば憲法解釈は変更されてきたと報告書で述べている。が、それが憲法解釈に関する事実の捏造であると私は何度もブログで書いてきた。まず自衛権をも否定したのは現行憲法制定以前の(つまり芦田修正が行われていない時点での)吉田内閣による政府原案についての帝国議会での46年6月の総理の答弁である。当時の憲法はまだ大日本帝国憲法が有効だった時代で、最終的には天皇の裁可が憲法の改正には必要だった。実際、芦田修正が行われ、天皇の裁可を得て帝国議会が承認し、現行憲法が公布されたのが46年11月3日、施行は半年後の47年5月3日である。それ以降政府が自衛権を否定したことは一度もない。
 また、警察予備隊が創設され、保安隊を経て自衛隊に名称も変更し防衛力を強化してきた過程で、メディアはしばしば「解釈改憲」と批判してきたが、自衛権についても自衛力についても自衛権行使の条件についても、憲法は何らの規定もしていない。安保法制懇は、メディアの誤報を根拠に「政府はこれまでも9条の解釈をしばしば変更してきた」と主張するなら、閣議決定支持派のメディアでさえ「本来は憲法改正で行うべきだ」と主張しているくらいだから、
メディアの主張をうのみにして「憲法解釈の変更によっては集団的自衛権の行
使を容認することを認めることはできないと考えるのが文理的である」と報告すべきだったのではないか。
 横畠内閣法制局長が「憲法解釈変更は戦後2回目だ」と証言したことの意味は、だから非常に重要だ。では1回目の変更はなんだったのか。現行憲法制定前の吉田総理の帝国議会での答弁でないことは間違いない。安保法制懇と違って、内閣法制局はそこまでの捏造は絶対にしない。私は1回目の変更についてネットで調べた。事実が分かった。
 実は横畠法制局長の前の小松法制局長が病に倒れて退任する前の現職時代の13年11月1日に、憲法66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という条文の解釈について、憲法制定時には軍隊も軍事組織も存在していなかったため同項でいう「文民」とは「職業軍人の経歴を有し、かつ強い軍国主義の持ち主」のこととしていたのを、自衛隊が生まれ制服組(武官)だけでなく背広組(事務官)も「文民」に相当するのかどうかの議論が国会で行われたときに、現役自衛官は背広組も「文民」とすべきでないとの解釈に変更したのが唯一の憲法解釈変更の事例である。はっきり言えば、安倍総理の思想とは180度異なり、自国防衛のためであっても、軍事行動に対するシビリアン・コントロールの徹底を図るために「文民」の解釈を変更したというのがこれまでの唯一の憲法解釈変更の事例である。 
 このケースを考えると、安倍政権が閣議決定した憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認するということが、いかに重要な意味を持つかが読者にもお分かりのことと思う。
 しかし、今回の閣議決定の内容からすると、わざわざ「憲法解釈の変更」を強調しなければならないような内容にはとうてい思えない。芦田修正も、自衛権については否定していないと最高裁は認定しているが、最高裁は国連憲章51条を前提にして「集団的自衛権」は認められないが「個別的自衛権」は認める、などと言う判断は下していない。個別的自衛のための自衛隊の存在は合憲であるとは認定したが、「片務的集団的自衛権を確立した日米安全保障条約」については、高度な政治的問題であり、裁判所が合憲性を判断することは適当でない、と判決文で述べている。
 そもそも集団的自衛とは、集団で安全保障体制を構築することであって、これは国連憲章で加盟国に認めている。日本の場合、日米安全保障条約によって「日本の領土が他国から攻撃を受けた場合(日本国内の米軍基地も含まれる)、日米双方は協力して防衛に当たる」(第5条)とされている。が、その「対価」として日本はアメリカの領土が攻撃されたときに共同で防衛に当たる義務は持っていない。これが「片務性」とされているゆえんである。
 この片務性を解消するのであれば、「日本はアメリカが国外での戦争には共同軍事行動はとらないが、アメリカの領土に攻撃があった場合は日本もアメリカに協力して防衛に当たる」とするのが合理的であろう。が、アメリカは自国を攻撃する国があるとは思っていないし、第一そうした事態が生じても、日本に助けを求めることなど、毛頭考えていない。
 だとすれば、日本の防衛力強化のために抑止力を高めるというのであれば、国連憲章が認めている集団的自衛体制を構築するための法整備は、わざわざ憲法解釈を変更しなくても国会の議論で十分であるはずだ。(続く)