小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「新党」船出も前途多難?

2020-08-31 01:32:41 | Weblog
 安倍総理が辞任を発表した。後継の総理が決まるまでは総理の座にとどまるわけだから、在任期間の記録はまだ伸び続ける。最長記録はつくったが、総理として何をしたかと考えると、消費税増税くらいかなという感じだ。北方領土問題も拉致問題も憲法改正も、「私の代で必ずやり遂げる」と公言してきたことの何ひとつとして実現できなかった。辞任の記者会見でアベノミクスについて問われたとき、安倍総理は「雇用を400万人増やした」と胸を張ったが、経済成長の結果として雇用が増えたわけではない。日銀・黒田総裁とタッグを組んで経済成長の目安でもある消費者物価2%上昇は、在任中一度も実現しなかった。少子化によって老後生活に不安を抱いた定年退職者や専業主婦だった人たちが、非正規労働者として低賃金で働くことを余儀なくされ、その数が雇用統計に反映されただけの話だ。だから非正規を含む労働者の平均賃金は下降線をたどり続けている。これはコロナ禍とは関係ない。
 在任期間だけでなく、たぶんもう一つ新記録があると思う。アメリカの歴代大統領が外国の首脳とゴルフをした回数だ。こういう記録はギネス・ブックの対象になるかならないかは不明だが、おそらく空前にして絶後の記録だろう。
 なお、アベノミクスについてはこれまで何度も批判してきたが、アベノミクスは単なる経済政策の失敗ではすまない。これから日本はアベノミクスが残した負のレガシーをどうするか。自公が政権を継続しようが、奇跡的に野党が政権の座に就こうが、この問題から逃げることはできない。アベノミクスがなぜ巨大な負のレガシーになったのか、次のブログで検証する。

 すったもんだの挙句、9月上旬、ようやく新党が発足することになった。党名はまだ決まっていないが、立憲と国民を足して2で割るような党名になると、新鮮さどころか野合そのものというイメージがついて回る。それでも新党の勢力は衆参合わせて約150人を数える。野党勢力としては一応「大きな塊」ができたと言えるかもしれない。
 しかし、2009年8月に旧民主党政権が誕生したときの衆院議席数は、戦後最多を記録した308。その選挙に国民が寄せた期待感の大きさに比べれば、まったく盛り上がらない状況だ。あとで述べるが、メディアの見方も厳しい。前途洋々たる船出、とはとても言えなさそうだ。

●この道は、いつか来た道
 そんな童謡があったが、国民がいま新党に抱いているイメージはそんな感じだろう。はっきり言えば「烏合の衆」の党。実際、308という圧倒的多数の議席を獲得しながら、旧民主党政権が日本の政治史に何を残したのかと問えば、記憶に残るほどの業績は何もなかった。選挙の時は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで人心を集めることができたが、国民の期待に応えるような政策はほとんど打ち出せなかった。
 政治は結果だから、昨今のような自然災害が暴発するような事態を当時、予想できなかったことはやむを得なかったとしても、「コンクリート」のすべてが無駄な公共事業というわけではない。とくにダムの治水力を軽視した結果、昨今のような大水害をもたらした事実は否定できない。確かに蓮舫氏が国会で大見得を切ったように、何でもNO.1にならなければならないという考え方はおかしいと私も思う。が、スパコンをやり玉に挙げた「無駄な投資」論をぶつなら、日本は今後、どういう分野で世界に貢献すべきかの将来像を示すべきだった。国会議員は歌舞伎役者ではないから大見得を切ることが仕事ではない。これまで日本が目指してきた「技術立国」の道を転換すべきだというなら、それはそれで一つの卓見と言えなくもないが、新しい「日本が歩むべき道しるべ」を示さずに、無定見な国策批判をしても、喜ぶのはメディアだけだ。
そういう意味では中国の場合、統制国家だから可能だと言ってしまえばそれまでだが、研究開発投資の方針はかなり戦略的だ。これからの世界をリードする技術分野は何かを考え、その分野に集中的に投資している。それに気が付いているのがアメリカで、だから中国の先端技術分野の製品をアメリカ国内だけでなくヨーロッパなどからも締め出そうと躍起になっている。その結果、アメリカのご機嫌も損じたくないし、中国との経済関係は良好に保ちたい日本や韓国は板挟みになって困っている。現に日本がコロナ禍で習近平氏の訪日を延期した間隙を縫って、韓国が中国に急接近し習近平氏の早期訪韓を決めた。
いま日本はこれからの「国づくり」をめぐって、かつてない困難な道に差し掛かっていると言わなければならない。そうした状況のなかでの新党結成である。が、国民の新党結成を見る目もかなり厳しい。「カネ目当てか(政党助成金のこと?)」「選挙対策か?」といった冷めた見方が大勢を占めているようだ。
メディアの見方も厳しい。かつて旧民主党政権時代には、政権支持の論評を重ね、「つねに政権すり寄りメディア」と私から揶揄された読売新聞は「選挙目当ての離合集散を繰り返しても、国民の期待は集まるまい。再編過程にある野党の現状を懸念せざるを得ない」とバッサリ切って捨てた。
リベラル系の朝日新聞も「前回衆院選でバラバラになった旧民進党勢力が、3年を経て『元のさや』に収まった印象は否めない。民進党の前身である民主党は、国民の高い支持で政権交代を実現しながら、政治主導の空回りや内紛で自壊した。信頼を取り戻すのは容易ではないと覚悟すべきだ」と厳しい。
朝日よりさらに左派リベラル系とみられる毎日新聞も「合流新党は衆参で150人規模となりそうだ。だがこれも旧民主党の元のさやに収まるだけだと感じている国民は多いだろう」「安倍政権を追及するため国会で共同歩調を取る今の統一会派方式の方が、まだましだった――。そんな事態になることを懸念する」(3紙とも8月21日付「社説」より)
そもそも国民が分党したことも不可解だ。玉木代表は「消費税減税を巡って、最後まで立憲と折り合えなかった」と、合流に参加しなかった理由を説明しているが、はたしてそのような些末な政策での不一致が分党の理由になるなら、政党は共産党や公明党のように一枚岩の宗教団体的組織にならざるを得なくなる。メディアの世論調査でも国民の支持率は共産や公明にも及ばず、年内が予想されている次期総選挙での惨敗は免れ得ないとみられていることから、立憲と合流しても冷や飯を食わされることが必至とみて、小さくても「お山の大将」でいたかったのか。私自身はコロナかを克服するまでの時限立法として消費税をいったんゼロか5%に戻すべきだと考えているが、そうした議論は「大きな塊」の中で議論を尽くして同調者を増やしていくべきだろうと思う。いま、消費税問題で一致できないからと極小政党の「お山の大将」になって、どうやって消費税軽減を実現できるというのか。それこそ選挙の時の「キャッチフレーズ作り」のためとしか考えられない。
もう少しうがった見方をすれば、もともと独自の改憲論者の山尾氏が、玉木氏、自民の石破氏と3人で会食して改憲について論じ合ったことに、立憲のワンマン・枝野代表が激怒し、立憲党内で徹底的に山尾外しを始めたことで山尾氏が離党、昔から親しかった玉木氏を頼って国民入りをしたという経緯があり、いまさら新党には戻れない山尾氏に、義理人情に厚い玉木氏が運命を共にしたという見方もできないではない。そうだとすれば政界人脈はやくざのくっついたり離れたりとさして変わらない世界だということになる。やはり「この道は、いつか来た道」か。

●そもそもは選挙制度改悪から始まった
 戦後政治体制は長く「55年体制」と呼ばれる自社の2大政党時代が続いた。
が、2大政党政治と言っても政権交代の可能性はほとんどなく、事実上自民の単独政権時代が長期にわたって続いてきた。そうした中で1980年代後半からリクルート事件を契機に政治改革の機運が自民党内部から高まりだした。旗振り役を演じたのが小沢一郎氏で、「55年体制打破」「政権交代可能な2大政党政治の実現」が旗印だった。その政治改革実現のため、小沢氏ら改革派が目指したのは「小選挙区制」と「政党交付金制度」だった。
が、自民党が圧倒的多数を占める中での小選挙区導入には社会党をはじめ野党が一斉に反発。政治改革法案は露と消えた。この時期、小沢氏は竹下派の中心人物であり、海部総理の後継指名権を有し、候補者の宮澤氏らを自分の事務所に呼びつけて「面接」するという傲慢さが批判されたこともある。93年には『日本改造計画』を出版、発行部数72万5000部を数えるベストセラーになったが、同書においても「政権交代可能な2大政党政治」の実現を訴えている。
実は先進国で「政権交代可能な2大政党政治」が行われているのはイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、伝統的に宗教観における「保守」VS「革新・リベラル」という二つのイデオロギー軸に収れんされがちな国に多い。また、日本の55年体制は政権交代の可能性はともかくいちおう2大政党制であり、その体制はかつての中選挙区制でも確立されていた。私は何度も小沢氏の著書を読み直してみたが、彼がどういう2大政党制を目指したのかはいまだにわからない。実際、小沢氏が辣腕を振るった自民党時代を考えても、彼がリベラル派だったとは到底思えず、その後、自民党を離れてリベラル系の政党間をうろつき回っている現状を考えると、日本の政治風土をどうしたいのかがますますわからなくなる。
小沢氏の考えとは別に、ロッキード事件やリクルート事件など、単独政権の膿に国民もメディアも強烈な拒否反応を示すようになり、政権交代可能な2大政党政治の実現に期待するようになった。実は政権交代可能な2大政党政治を実現している先進国の選挙制度は単純小選挙区制である。イギリスも保守党と労働党だけでなく少数政党は多く存在し、昨年の地方選挙では少数政党が大躍進を遂げている。アメリカも共和党と民主党の2大政党以外にも多くの少数政党があり、トランプ氏もかつては第3政党の「合衆国改革党」から大統領選に出馬しようとしたこともある。
このような米英の選挙制度を考えれば、政権交代可能な2大政党政治を目指すのであれば、単純小選挙区制以外の選択肢はない。が、単純小選挙区制にすれば、地方選挙は別にしても国政選挙で少数政党に属する政治家が選挙で勝てる見込みはかなり厳しくなる。で、1994年に公職選挙法を改正したときは衆議院議員の定数500のうち小選挙区300、比例代表区200として、少数政党も比例代表区で選出できる道を残した。実に馬鹿げた少数政党への配慮である。
しかも、さらに馬鹿げたことに小選挙区と比例区に重複立候補できるようにまでした。その結果、小選挙区で落選しても比例区で復活当選するという、国民の常識から考えたらあり得ない選挙制度にしてしまった。国民の常識と永田町の常識がこれほどずれていることが明らかになったことはかつてない。
私は少数政党のために比例区を作ったことを全否定するわけではない。が、小選挙区は有権者が立候補者個人を選ぶための選挙であり、比例区は原則として有権者が支持する政党を選ぶ選挙である。つまり比例区で選出される議員は特定の個人である必要はまったくない。はっきり言えばロボットで十分だ。もちろん国会での質疑への参加権は保証しなければならないから、獲得議席数に応じて質問回数や時間の配分をする必要はあるが、質問書は書面で提出し国会職員が読み上げればよい。あるいは、委員会や本会議が開かれるときだけ、政党の党員が特別資格で出席し、質疑や決議に参加できるようにすればいい。そうすれば、議員歳費は大幅に削減できるし、比例で当選した議員が離党して他党に移るといった問題が生じることもなくなる。
そもそも「政権交代可能な2大政党政治体制」を目指しながら少数政党に「配慮」することが、論理的に大矛盾していることに気が付かないような人たちに国会議員としての資格があるのか疑問を持たざるを得ない。

●諸悪の根源は政党助成金と党議拘束
 小選挙区比例代表制を採用している国は少なくない。むしろ単純小選挙区制を採用している先進国の方が少ない。が、単純小選挙区制を採用している主要国はアメリカとイギリスだ。両国とも「政権交代可能な2大政党政治」が実現している。なぜアメリカとイギリスが単純小選挙区制を採用し、2大政党政治を実現したのか。
 実は、この二つの国は日本とは全く違う国家体制である。つまり単一国家ではなく「連合国家」あるいは「連邦国家」なのだ。たとえばイギリスの場合、正式国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(略称:UK)である。またアメリカの正式国名は United States of America(略称:USA)である。つまりそれぞれの地域あるいは州が「国家内国家」としてかなり強い独立性を有しており、たとえばイギリスではEU離脱問題をめぐってスコットランドや北アイルランドがイギリスから独立してEUにとどまるといった動きを見せたりしたこともある。また国際スポーツ競技でも、オリンピックはイギリスとして参加しているが、サッカーやラクビーのワールド・カップはそれぞれの地域が別々に出場権を争っている。だからワールド・カップにイギリスとして出場したことはない。
一方アメリカはもっとはっきりしている。50の州のそれぞれに憲法や最高裁判所があり、軍隊(州兵)まで各州にある。
いずれにせよ、アメリカもイギリスも「政権交代可能な2大政党政治」を実現するために単純小選挙区制を採用したわけではない。いろいろ調べてはみたが、とくに理由はなかったようだ。日本が今の小選挙区比例代表制に変えるまでの中選挙区制も、とくに理由があったわけではなかったようだ。ただ、結果としてアメリカやイギリスの場合、単純小選挙区制を採用したことによって、政権交代可能な2大政党制が実現したようだ。アメリカはもともとイギリスの植民地だったため、イギリスの選挙制度をそのまま採用したのかもしれない。
ただ面白いのはイギリスの場合、厳密には下院議員は保守党と労働党以外の政党議員もかなりいるのだ。地域政党のスコットランド国民党や民主統一党(北アイルランドの地域政党)、労働党から分離した自由民主党という政党の議員もいる。しかも国会運営は議案ごとに賛成派と反対派が一定の間隔を挟んで対峙し、論争し合うという形式をとっている。日本ではイメージしにくいが、たとえば野球でホームチームのファンが1塁側スタンドに陣取り、ビジターチームのファンが3塁側スタンドに陣取って「応援合戦」を繰り広げるような感じをイメージしてもらえれば、と思う。
アメリカの場合はどうか。アメリカにも共和党と民主党以外に多くの少数政党がある。が、下院議員定数435人のうち共和党にも民主党にも属さない第3政党の議員は現在1人しかいない。同じ単純小選挙区制を取り、事実上2大政党政治体制でありながら、イギリスとアメリカでの差はどうして生じたのか。
要は党と議員の関係による。イギリスは党が主体であり、議員は党の歯車でしかない。議員は自分で自分の選挙区を選ぶこともできなければ、自らの政治信念で行動することもできない。日本が採用している政党助成金も、実はイギリスの真似である。選挙資金という財布のひもを党に握られていたら、党の指示に従うしかない。だから議員は党議拘束に従うしか亡くなる。小泉郵政改革の時は造反議員が大量に出たが、小泉総理は造反議員を「党則違反」を理由に除名して衆院を解散、総選挙で造反議員の選挙区に刺客を送り込んで造反議員の政治生命を奪うことまでした。
一方アメリカは「党」という実態が実はない。だいいち、党本部が存在しない。今年11月には大統領選挙が行われるが、共和党の大統領候補は慣例で現職大統領のトランプ氏が、民主党はバイデン氏が大統領候補になったが、バイデン氏は民主党所属の国会議員の投票で選ばれたわけではない。全50州の予備選挙を勝ち抜いて大統領候補に指名された。
が、トランプ氏やバイデン氏は共和党や民主党の党首(代表)というわけではない。また議会での採決に際しても、アメリカでは大統領であっても、自らが所属する党の議員にも党議拘束がかけることができない。アメリカの国会議員は上院も下院も党からの支援はほとんどなく、自力で選挙を勝ち抜いてきているからだ。だから賛成・反対が拮抗している重要法案では、大統領自らが反対政党議員を個別に説得するといったこともしばしば生じる。
つまり同じ2大政党政治と言ってもアメリカとイギリスでは性質がまったく違うのだ。大統領制と議院内閣制という政治の仕組みそのものの違いは別にしても、「有権者ありき」のアメリカと「党ありき」のイギリスの違いをまず理解していただきたい。そのうえで、2大政党制がいいのか、それ以前に「党ありき」の議員選出と「有権者ありき」の議員選出のどちらが国民にとっていいのかをまず考えてほしい。
日本には「出たい人より出したい人」という標語がある。そのために金がなくても志のある人が選挙に出られるように「政党助成金」制度が創設された。その効果は歴然たるものがあった。参院選広島選挙区で新人の河合杏里氏を当選させるために、自民党本部は1億5千万円という大金を選挙資金として提供した。杏里氏が「出たい人」だったかどうかは不明だが、少なくとも自民党本部にとっては、何が何でも「出したい人」だったのだろう。
そう考えれば、「政党助成金」や、それとセットになっている「党議拘束」が諸悪の根源であることが容易に理解できるだろう。

●新党代表は党員投票で選べ
 野党が「大きな塊」をつくること自体に私は反対しているわけではない。先に述べたように大半のメディアはおおむね「元のさやに納まるだけ」と野合を厳しく批判しているが、野合政党でないのは共産党と公明党の2党だけだ。自民党など、国民の大多数が立憲に合流する「元のさや」新党よりはるかに野合政党だ。一応「改憲」(自主憲法制定)を党是にしているが、「9条だけは変えてはいけない」と主張するリベラル派も党内でかなりの勢力を擁している。核抑止力を重視する右派から平和主義の左派まで、これが一つの党かと思えるほど人材も多彩だ。55年体制の下で、政権を担い続けてきた歴史が、自民党を「大人の政党」に育ててきたのだろうと思う。
 55年体制とは、1955年に、いったん右派と左派に分裂していた社会党が再統一したのがきっかけで、保守陣営も日本民主党と自由党が合同して自由民主党(自民党)を結成、メディアも「2大政党政治が実現する」と歓迎した。対立軸は自民の「改憲・保守・安保維持」に対し、社会は「護憲・革新・反安保」で対峙した。そういう意味ではイギリスの保守党VS労働党の2大政党体制と似ていないこともない。ただイギリスの労働党は社会主義政党というより、「ゆりかごから墓場まで」で知られる社会福祉重視型の政党で、日本の旧社会党とは基本理念において違う。日本の旧社会党が教条主義的社会主義国家の実現を目指したこともあって、政権を担える政党に育たなかったのだと思う。
 私は新党が「野合」であっても、自民党のように「大人の政党」に育ってほしいと願っている。この稿の冒頭で「この道は、いつか来た道」という見出しを付けたが、玉木グループが合流から離脱したことで本当に「この道は、いつか来た道」になるのではないかと危惧している。
 そうならないために、新党に大きな提案をしたい。9月に発足する新党の代表は両院議員総会で決めるしかないが、その任期は総選挙の時期との兼ね合いもあるが、できるだけ短い方がいい。そして本格的な代表選はアメリカの大統領候補指名選挙のように、すべての党員が一人一票という「党内民主主義」をまず確立してもらいたい。
 次に「党議拘束」はやめてほしい。国会議員は選挙区の有権者から選ばれたひとであり、党執行部が決めたわけではない。もちろん公認は党執行部が決めるが、議員は党執行部のロボットではない。個々の議員の信念や信条を大切にしてあげてほしい。
 共産党のように政党助成金を辞退しろとまでは言わないが、少なくとも総選挙で小選挙区と比例区の重複立候補は廃止してほしい。すでに述べたように私は単純小選挙区制にすべきだと考えているが、現在の選挙制度の下で国民に党の選挙に対する姿勢を訴える方法としても、「重複立候補は認めない」ことは強烈なアピールになると思う。
 新党が「いつか来た道」をまた辿ることになるのか、あるいは日本の淀んだ政界に新風を吹き込めるのかは、党員一人ひとりが決めることだ。

【追記】 安倍総理の辞任表明で自民党次期総裁選の火ぶたが切られた。今朝(8月31日現在)の時点で出馬を明確にしているのは岸田、菅両氏のふたり。河野氏や下村氏も党内の情勢次第では出馬する可能性がある。安倍総理の辞任表明前の最も直近の世論調査である時事通信によれば、時期総理としての人気度はトップが石破氏で24.5%。2位が小泉氏12.3%、3位・安倍氏9.2%、4位・河野氏7.8%、5位・岸田氏6.0%、6位・菅氏4.5%だった。自民支持層に限ってもトップ・石破氏28.5%、2位・安部氏18.0%、3位・小泉氏11.1%と、石破氏への期待度が群を抜いている(調査期間は8月7~10日)。が、肝心の石破氏が出馬するのかどうかが今のところ不明だ。総裁選が両院議員総会だけで行われる可能性が高く、国民や党員の期待度が高くても極めて不利な選挙になる可能性が高いためだ。
 そうなると、小選挙区制導入や政党助成金導入の口実ともなった「派閥政治の撲滅」はどこへ行ったのかということになる。政治はあくまで結果だから、「政権交代可能な2大政党政治の実現」や「派閥政治の撲滅」ができなかったという結果が明らかになった以上、改めて選挙制度や政党助成金制度についても見直すべきだろう。石破氏が総裁選に出馬するかどうかはまだ不明だが、自民党総裁は党の代表者であり、自民党所属の国会議員の代表者ではない。これは立憲・国民の合流による「新党」への注文としても書いたが、党の代表を決めるのは党員の権利であり(唯一の権利だ)、国民や自民党員の支持がダントツに高い石破氏が、派閥力学で総裁選に出ても勝てないということになると、そもそも民主主義を語る資格が自民党にあるのかを問いたくなる。「新党」も含めて党内民主主義を確立して初めて、議員は異論があっても党が決めた政策に従う義務も生じる。私は「勝つか負けるか」ではなく、派閥力学で次期総裁を決めるような総裁選には出ない、という姿勢を石破氏には期待したい。(8月31日)
※日本経済新聞とテレビ東京が29~30日にかけて行った「次の首相にふさわしい人」の緊急世論調査結果は以下の通り(カッコ内は自民党支持層)。
1位 石破氏28%(28%)
2位 河野氏15%(18%)
3位 小泉氏14%(13%)
4位 菅氏11%(16%)
5位 岸田氏6%(9%)


 【追記2】 岸田氏はなぜ当てが外れたのか?
 今日(9月1日)、自民党総裁選の立候補者の顔が出そろう。今朝の各メディアの報道によれば、菅、岸田、石破の3氏になるが、菅官房長官が圧倒的に有利なようだ。
 安倍総理の、この時期での退任は想定外だったとしても、ポスト安倍の最有力候補は岸田氏だったはず。が、安倍総理が辞任表明をした途端、後継総裁の有力候補として菅官房長官が急浮上しだした。党内でも「政策の継承が重要」といった主張が大きくなりだした。安倍政権の「政策の警鐘」が重要だと言うなら、政調会長として党の政策集約に当たってきた岸田氏が、安倍総理から禅譲を受けるとみるのが常識だろう。
 が、政策の継承には岸田氏より菅氏の方が適任ということなのか。党内の空気に不安を抱いた岸田氏は、本来なら安倍総理にまず会って「私に禅譲してくれるんでしょうね」とくぎを刺すべきだったが、岸田氏が8月30日、まず会ったのは安倍総理の盟友・麻生副総理だった。が、案の定、麻生氏は「総理の意向がまだわからないから」と、岸田支援の約束を断った。
 翌31日、首相官邸に安倍総理を訪ねた岸田氏の、会談後の顔は落胆し切っていた。ぶら下がりの記者たちは一斉に「総理の意向はどうでしたか?」と質問を浴びせたが、岸田氏の答えは「力添えをお願いしてきました」だけだった。後でわかったことだが、岸田氏の懇願に対して安倍総理は「自分の立場では個別の名前を出すことは控えている」と素っ気なかったようだ。
 なぜ安倍総理は衆目が一致していた岸田禅譲を辞めたのか。安倍総理はいまだ様々なスキャンダルを抱えている。モリカケ疑惑や桜を見る会招待者問題、検察庁人事への露骨な介入、河合杏里氏への1億5000万円に上る巨額の選挙資金提供など、自分が総理を辞めた後、だれなら確実に自分を守ってくれるかが、後継人事についての最大のポイントになった。
そういう意味では、外様の岸田氏より、安倍政権を官房長官として長年支え続けてきた菅氏なら、絶対安心できると考えたのではないか。また菅官房長官の場合は岸田氏と違って、安倍スキャンダルに関しては一連托生の関係にあり、安倍総理を裏切れないという安心感もあったのではないか。
 すでに菅氏の支持を明らかにしているのは二階派(47人)、細田派(98人)、麻生派(54人)、石原派(11人)と、圧倒的に有利な状況になっている。が、絶対安全圏となるはずの菅総裁(=総理)が誕生した場合、岸田氏自身が直接動くことはないにしても、岸田派の誰かが安倍スキャンダルの真相を週刊文春などにリークするリスクも負うことになった。安倍総理が「菅の後をやってくれ」と、いまさらなだめても、そんな甘言、だれも信用しないだろう。裏切られた岸田氏の今後の出方が気になる。(9月1日)
 


 

 
 
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終戦から75年。私たちはあの戦争から何を学んだのか?

2020-08-14 01:06:20 | Weblog
 今日8月14日は日本の「終戦の日」だ。前回「原爆の日」に原爆にかかわるブログを書いたので、今回は「終戦」にまつわるブログを書くことにした。
 あれっ、終戦日は15日ではなかったの? と思われる方が大半だと思う。また一部に10日だと主張される向きもいる。が、間違いなく終戦の日は8月14日なのである。国民が「玉音放送」によって日本の敗戦を知らされたのは翌15日だが、それは例えば事件のニュースを新聞が翌日の朝刊で報道するのと同じで、だからといって事件が生じた日が新聞が報道した日というわけではない。

 本題に入る前に書いておきたいことがある。「黒い雨」裁判の判決を不服として、厚労省・加藤大臣の強い要請で広島県と市が広島高裁に控訴したというのだ。控訴自体は被告の権利だから、ここでは問わないが、控訴理由である。広島地裁の判決が科学的見地から見て疑問があるということだ。
 だとしたら、最新の科学的手法で検証すべきは正確な降雨地域ではない。84人の原告一人ひとりについて、彼らが苦しんできた症状が原爆とは無関係であることを、最新の科学的手法で証明することではないか。そもそも、原告の訴えに「偽りがあるのでは…」という疑問があったのなら、なぜ広島地裁での裁判中に原告一人ひとりについて、原爆症の専門医数名に診察してもらい科学的手法に基づいた診断書を提出すべきだった。それを怠った以上、広島高裁は県と市の控訴を棄却すべきである。

●ヤルタ協定で、すべてが決まっていた
 日本が連合国によるポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、第2次世界大戦が終結したことはよく知られているが、そこに至るまでのプロセスをまず明らかにする必要がある。
1943年5月12日、無敵を誇っていたドイツ軍ロンメル将軍が北アフリカ戦線で敗北、その前年にはドイツ軍がスターリングラードの攻防でソ連軍に大敗しており、対独戦争での勝利を確信した連合国は11月23~27日、エジプト・カイロで米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相、中・蒋介石主席が会談、対日戦争の基本方針を協議し、12月1日に「カイロ宣言」を発表した。宣言には、日本は満州・台湾・澎湖島を中国に返還すること、朝鮮は適当な時期に独立することなどが記され、その基本方針はポツダム宣言に引き継がれた。
 44年6月には連合国軍がノルマンディに上陸、ドイツの敗色が濃厚となるなか、45年2月には米・英・ソ(スターリン)がクリミア半島南端に位置するヤルタで戦後の国際体制構築について協議、国際連合の設立、ドイツの分割支配、ソ連の対日参戦条件などを協議し、「ヤルタ協定」を締結した。
このヤルタ会談で、ソ連の対日参戦を強く望んだ米ルーズベルトがソ連スターリンに大幅譲歩し、ドイツ降伏後3か月以内にソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦することを条件に、南樺太および千島列島のソ連帰属を認めたという事実がある(ヤルタ協定第3項に明記されている)。北方領土問題に関するこの事実を日本国民のほとんどは知らない。中高の歴史教科でも教えていないし、日本政府もひた隠しに隠してきたからだ。が、ヤルタ協定は米・英・ソの3国が大戦終結後のドイツと日本に対する報復処分を勝手に決めたものにすぎず、国際法上、有効な協定とみなせるか否かは別問題である。

●ロシアが北方領土を「戦争による戦果」と主張する根拠
ロシア(旧ソ連時代から含めて)が「北方領土は第2次世界大戦の勝利」と主張する根拠は、実はこのヤルタ協定でアメリカが千島列島のソ連への帰属を認めたことにある。ただし、旧ソ連も今のロシアも、ヤルタ協定を根拠に主張することはさすがにはばかられ、戦争が終わった日は「日本が降伏文書に調印した9月2日であり、それまでにソ連が獲得した領土は戦争による戦果だ」と、公には主張している。確かに公式には降伏文書に調印した日が戦争終結の日とされてはいるが、その解釈に従えば8月15日の「玉音放送」は国際法上は無効となりかねず、連合国総司令場(GHQ)の設置(8月28日)も国際法違反になり、8月30日の連合国総司令官マッカーサーの平和的かつ歓迎を受けての厚木飛行場への来日もありえないことになる。なお朝日新聞東京本社版は8月31付朝刊でマッカーサーの来日第一声をこう伝えている。
「メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長いそして困難な道だった。しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、(中略)日本軍は非常に誠意を以てことに当たっているようで、報復や不必要な流血の惨を見ることなく(連合国による占領が)無事完了することを期待する」
ソ連による北方領土占領の国際法上の解釈はともかく、このヤルタ協定で米ルーズベルトは国連における大国の拒否権を強く要求、スターリンやチャーチルも同意、結果的に「ヤルタ協定」によって戦後の米ソ2大国による世界支配体制が構築されたとみることができる。
 そしてドイツ降伏(45年5月7日)後、日本政府はようやく講和への道を模索、まだ日ソ中立条約が有効だった7月10日、御前会議でソ連に講和の仲介を依頼することを決定、近衛文麿を全権大使としてソ連に派遣して仲介を申し入れたが、すでにヤルタ会談で対日参戦を決めていたソ連は当然のように拒否、日本は後戻りのきかない自滅への道を突き進むことになる。

●昭和天皇が、近衛の上奏を受け入れていれば…
 実は、「歴史に『たら、れば』は禁句」を承知で歴史的事実として書いておくが、45年2月14日に近衛文麿が昭和天皇に上奏し、敗戦が必至なこと、このまま戦争を続けた場合、ソ連が日本に侵攻して共産主義革命が起きる可能性があるゆえ直ちに和平すべきと上申したが、昭和天皇は「和平するにしても、敵に一泡吹かせてからだ」と、戦争継続の意思を明らかにしている。
昨年夏、NHKのスクープによって明らかになった昭和天皇の田島宮内庁長官に語った回想メモ(拝謁記)には何度も「下剋上」という言葉が出てきて、戦争についてはあたかも自らは「裸の大様」であったかのような回想が記されているが、近衛の上奏を蹴飛ばしたことについてはまったく触れていないようだ(全文は未公開のため、必ずしも断定はできないが)。もし2月の時点で昭和天皇が「天の声」を発して戦争に終止符を打っていたら、沖縄戦も広島・長崎への原爆投下も、さらにソ連は対日参戦の機会を失い、南樺太はともかく北方領土まで失うことはなかった。
戦後、昭和天皇は「戦争責任を問われるのが一番つらい」と周囲に愚痴をこぼされていたようだが、ご自分自身が自らの「戦争責任」についてどうお考えだったのか、NHKが公開した「拝謁記」による限り、あまりご自身は責任を痛感されていなかったようだ。「天皇陛下万歳」と叫んで「死の突撃」をした日本軍兵士たちのことをどう思っておられたのだろうか。
なお、拝謁記を部分公開したNHKは「未公開部分も含めすべて出版物で公開する」と視聴者に約束したが、いまだ公開されていない。NHKのしかるべき地位にある責任者に「政府筋あたりから圧力でもあったのか」と尋ねたが、「私はお答えできる立場にはありません」と言う。やっぱりね、さもありなんということか。
ただ、私は皇室否定論者ではない。戦後、日本がそれなりに国際社会から温かい目で迎えられるようになっていく過程において、皇室外交が果たした役割の大きさは計り知れないものがある、と考えている。とりわけ現上皇・皇后のお二人が平和外交の礎を築いてくださったこと、慰霊の旅をお続けされてきたこと、そのお気持ちには私も含め大多数の国民が感謝していると思う。ただ、お二人の心残りとしては、中国や東南アジアの、日本の侵略戦争による犠牲者への慰霊を必ずしも十分には行えなかったことに対する痛切な思いを、今でもお持ちなのではないかと私は推察している。

●靖国参拝問題についての考察
 ついでに、靖国問題に触れておきたい。靖国神社は国のために戦死した人たちを祀った神社ということになっている。先の大戦で、学徒出陣する学生たちが靖国神社で別れの盃を交わし、「今度会うときは、この桜の木の下で」と誓い合ったという。
我が国総理大臣の靖国神社参拝が国際社会からも問題視されるようになったのは1978年、靖国神社がA級戦犯を「昭和殉難者」(国家の犠牲になった人)という屁理屈を付けて合祀して以降である。
それまでは昭和天皇も参拝されていたようだが、A級戦犯合祀に不快感をお示しになったようで、それ以来、天皇はじめ皇族の方々も靖国神社参拝をおやめになった。が、歴代総理や閣僚は、「日本のために犠牲になられた方たちをお祀りした神社だ。今日の日本の繁栄はこの方たちの犠牲のたまものだ」と主張して参拝してきた。
 こうした総理や閣僚の参拝に対して近隣諸国、とりわけ中国や韓国からの批判が強い。「靖国神社にはA級戦犯が合祀されており、総理や閣僚の参拝は先の侵略戦争を美化する行為だ」という主張だ。一方、国内では政教分離の建前から、公式参拝は違憲だという議論が繰り返され、また違憲とした判例もある。私は、そうした議論の前に、A級戦犯を殉難者として合祀するなら、なぜ沖縄や、東京大空襲をはじめとする大都市への度重なる空襲、さらには広島・長崎の原爆被害者たちを合祀しないのか、と靖国神社に問いたい。「昭和殉難者」と呼ぶなら、A級戦犯より、戦争責任がないのに政府の戦争遂行政策の犠牲になった、沖縄で集団自決させられた民間人、空襲や原爆の被害者たちを優先すべきだろうと思う。彼らは「戦死者ではない」というなら、A級戦犯も戦死者ではない。私は、軍人、民間人を問わず、国の政策で犠牲になった人たちを追悼するための国立施設をつくるべきだと思っている。

●8月10日、日本は「国体維持」を条件に降伏しようとしたが…
 終戦に至る経緯を続ける。ドイツが無条件降伏したのち、連合国の首脳、米トルーマン、英チャーチル、ソ・スターリンらは7月17日からベルリン近郊のポツダムに集まり、カイロ宣言およびヤルタ協定に基づく対日降伏勧告書を作成、26日、米英中三国首脳の連名で日本に突き付けた。それが「ポツダム宣言」である。この時点ではソ連はまだ日ソ中立条約を破棄しておらず、宣言にはスターリンの代わりに中国の蒋介石が名を連ねた。
 この時期すでに日本では沖縄守備隊は全滅しており、民間人を含めた多大の犠牲を出し、もはや反撃能力は皆無、藁をもすがる思いで戦争終結の仲介を頼んだソ連からも袖にされ、もはや、ほかに選択肢はなかったにもかかわらず、何をトチ狂ったのか日本政府はポツダム宣言受諾を拒否した。
実際には大本営も一枚岩ではなく、「降伏派」もいたようだが、強硬派から「意気地なし」「卑怯者」とののしられ、「降伏派」は沈黙を余儀なくされた。こうして最後のチャンスも日本は自ら放棄、破滅への道をひたすら進むことになる。
 そして、そのときがやってくる。前回のブログで書いたように、ソ連による日本侵攻と日本の共産化を恐れたアメリカが、最後の手段として8月6日、広島に原爆を投下。慌てたソ連が急遽、8日に日ソ中立条約破棄と対日宣戦を布告。アメリカはさらに9日に長崎にも原爆を投下し、日本は窮地を通り越してにっちもさっちもいかない状況に追いつめられた。
 ここまで追い詰められて、ようやく大本営の強硬派も降伏やむなしと決断、御前会議を開いて「国体維持」を条件にポツダム宣言受け入れを連合国に申し入れた(10日午前2時半)。「8月10日終戦日」説を主張する向きは、このことを根拠にしているようだが、連合国はこの申し入れを拒否、戦争は終結していない。「8月10日終戦」説を主張する人たちは、そう主張することで、どう歴史認識を修正したいのかが、私にはさっぱりわからない。

●私が「8月14日終戦」説を主張する、これだけの理由
 それはともかく、この「国体維持」を条件としたポツダム宣言受け入れの申し入れについて、これは私の推測というより憶測に近いが、背後に米ソの思惑の対立があったのではないかという感じがする。
アメリカは1日も早く戦争を終結させたかったはずで、たぶん日本の「国体維持」という条件付きポツダム宣言受諾の申し入れに前向きだったのではないか。現に、日本が最終的に無条件降伏した後、連合国の中には昭和天皇の戦争責任を問うべきとの声がかなり大きかった中で、アメリカは天皇制維持を強力に主張(その方が占領下での日本国民統治がやりやすくなるとの計算があったことは間違いないと思う)、戦後の東京裁判でも昭和天皇の戦争責任は問わなかったことからも、アメリカとしては日本側の「国体維持」条件を呑んでもいいと考えたのではないかと私は思っている。
が、ソ連としては、この時点で日本側の条件を受け入れてしまうと、そこで戦争は終結し、対日宣戦を布告したものの、何の戦果もあげられず手を引かざるを得なくなる。そのため「無条件降伏でなければだめだ」との強硬姿勢を崩さなかったのではないか。いずれ、このときの米ソのやり取りが明らかになるだろうが、たぶん、私の推測(憶測?)が当たっていると思う。
 いずれにせよ、万事休した日本政府は14日に御前会議を開いて、ようやく「無条件降伏」を要求したポツダム宣言受諾を決定、直ちに在スイス加瀬公使、在スウェーデン岡本公使を通じて米・英・ソ・中にポツダム宣言受諾を通告した。日本国民には翌15日正午に「玉音放送」で戦争終結が知らされたが、それは新聞が前日の出来事を記事にするのと同様、15日に戦争が終結したわけではない。私が「終戦の日」は8月14日とする理由は、この点にある。
ただし、ロシアは米戦艦ミズーリで日本が降伏文書に調印した9月2日を「戦勝記念日」としている。そうしないと、北方領土を「戦争の戦果」と主張できないからだろう。
 ただ、国際社会では9月2日を戦勝記念日としている国の方が多い。アメリカ、イギリス、フランス、カナダなどだ。中国は9月3日を戦勝記念日に決定した(2014年の全人代で)。「戦勝記念日」はそれぞれの国が自国の都合で勝手に決めればいいことだが、あまり合理的ではないように感じる。時差の関係があるので、ネットでいろいろ調べたが、ミズーリ号での降伏文書調印が9月2日の何時ころなのかがどうしてもわからない。が、写真で見ると空が明るいことから日中であることは間違いない。となると、少なくとも中国は2日、イギリス・フランスは不明だが、アメリカやカナダはまだ9月1日である。なおポツダム宣言で独立を回復した韓国は、8月15日を「光復節」として祝賀している。いずれにせよ、戦勝記念日は各国がそれぞれ自国の都合で勝手に決めているだけで、日本が戦争終結の日をそれに合わせる必要はない。

●ソ連の北方領土占領は国際法違反なのか
 今年7月1日、ロシアは大統領任期の延長や領土の割譲を禁止する項目を盛り込んだ憲法改正案の賛否を問う全国投票(「全国投票」の意味不明。なぜ国民投票ではないのか、外務省欧州局ロシア課に聞いたが、実質的には日本でいう「国民投票」と同じらしい)を実施、8割近い賛成で成立し、4日に発効した。これにより北方領土の返還交渉はかなり難しくなったと言われている。
が、ソ連が対日参戦したのは、連合国の1員としてであり、したがって8月14日以降に日本から略奪した旧日本領土(北方領土)は国際法上、日本の領土であるというのが私の歴史認識だ。実際、8月14日、日本政府はソ連を「連合国」として扱い、ポツダム宣言受諾をソ連にも通告している。
日本政府は、日ソ中立条約を一方的に破棄したのは国際法違反だから北方領土占領は無効だと主張しているが、日本の同盟国だったドイツも独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連領に攻め込んでおり、「日ソ中立条約に違反して北方領土を占領したのは国際法違反」という主張はあまり説得力がないと思う。実際、同盟国のドイツがソ連との不可侵条約を一方的に破棄してソ連に侵攻したとき、日本も実は機が熟すれば日ソ中立条約を破棄してソ連に侵攻する作戦を立てていた。
そういう意味では、国際間の条約(約束)はいわば気休めみたいなもので、本当に条約に縛られるなどと考える国は少なかった時代だったとも言える。現に、日ソ中立条約があっても、満州とシベリアの国境地帯は常に緊張状態にあり、日本も関東軍の精鋭をソ連との国境地帯に貼り付けていたし、ソ連も精鋭部隊をシベリアに配備していた。「機が熟すれば」と書いたのは、実際、ドイツとの間に密約があったかどうかは不明だが、ドイツ軍がスターリングラードの攻防で勝利していたら、日本軍は一気にソ連に侵攻して西と東からソ連軍を挟み撃ちしていたのは間違いない。
そのことはさておき、日本は8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、即日、在スイスの加瀬公使、在スウェーデンの岡本公使を通じて米・英・ソ・中に通告している。が、ソ連軍は日本侵攻を停止せず、8月18日。カムチャッカ半島方面から千島列島に侵入し、9月3日までに北方四島を含む千島列島すべてを占領した。ソ連軍が歯舞群島を占領したのは9月3日である。
なお、日本政府が米戦艦ミズーリで降伏文書に調印したのは9月2日で、ロシア(旧ソ連時代から)は戦争終結は9月2日であり、それまでに占領した領土は「第2次世界大戦における戦果だ」と主張している。国際的解釈としては降伏にせよ和平にせよ、両者が文書に調印した日ということになっているが、事実上戦闘行為は終結しており、日本としてはロシアの主張を「はい、そうですか」と認めるわけにはいかない。いずれにせよ、北方領土問題の解決は、今後かなり困難にならざるを得ないだろう。
またソ連の千島列島占領について、米トルーマンは、ヤルタ協定でルーズベルトがソ連に千島列島帰属を承認している経緯から事実上黙認しており、そういういきさつもあるためアメリカは今でも北方領土問題については「我、関与せず」である。日本政府は北方領土や竹島は日本領土だと主張するなら、米大統領に「北方領土や竹島も、尖閣諸島と同様、安保条約第5条の適用範囲だと宣言してくれ」と、頼んでみたらどうか。
いっそのこと、アメリカが正式に「北方領土はロシアに帰属する」と表明してくれた方が、日米間の真実の関係が明らかになって、日本は今後、アメリカの顔色をうかがうことなく対米、対ロ、対中、対韓、対北、対イランなどとの外交戦略を自立して構築することができるようになる。
日本はいま、国際社会からはアメリカの属国とみなされており、日本は尖閣諸島についてのみ米大統領から安保条約5条の範疇だという言質を取り付けて大喜びしているが、竹島や北方領土についても、「日本の領土と認めるのかどうか」と強く迫るべきではないか。それができないくらいなら、アメリカに自国と自国民の運命を託するような愚はやめた方がいい。
おかしなことに、日本の安全保障上、日米安保条約の役割を最重要視して、アメリカの言いなりになってきた自民党の政治家が、実はいざというときアメリカが自国の兵士を犠牲にしてまで日本を守ってくれるかという、アメリカに対する不信感をいま募らせている。だから自衛隊の役割を「専守防衛」に限定せず、敵基地攻撃も可能にすべきだという議論を盛んに行いだしたのだ。

●「専守防衛」という名の空理空論は世界の非常識
 これまで政府は、自衛隊が憲法第9条に違反していないという根拠として「憲法9条2項が保持を禁止している戦力とは侵略戦争を行うための戦力を意味しており、自衛つまり専守防衛のための実力の保持と行使は否定していない」(昭和29年見解)という立場を堅持してきた。
 また最近は積極的な合憲論として、憲法13条の条文「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法府その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を援用して、「国民の生命を脅かす外国からの攻撃が発生した場合、国は最優先で国民の生命を守る必要がある。そのための自衛手段としての自衛隊は合憲である」という主張が加えられるようになった。いずれにせよ、自衛隊の「実力」(おかしな表現だが)行使は「専守防衛」の自衛範囲にとどまるという立場を崩してはいない(現時点では)。
 また、その立場は日米安保条約で定められている日米の役割分担、つまり自衛隊は「盾」(敵の攻撃を防ぐ)の役割に専念し、「矛」(敵を攻撃する)の役割は米軍が担うというのが、これまでの日米軍事協力の在り方として定着してきた考え方だった。
が、陸上配備型迎撃ミサイルシステムのイージス・アショアの配備計画を断念することになった結果、イージス・アショアに代わる防衛力の構築を検討していく中で、「果たして専守防衛という枠組みでの『実力』だけで防衛力として十分機能しうるのか」という「本音」が顔を出し始めたのだ。
 これは、よく考えてみれば当たり前の話なのだ。自衛隊が専守防衛としての「盾」の役割しか果たせないということは、例えばボクシングのスパーリング練習で、顔面や頭部を守るためにヘッドギアを付け、両手には相手のパンチを受け止めるパンチンググローブをはめて、相手のパンチによるダメージを受けないようにすることしかできないのが「専守防衛」の意味だろう。
 実際の戦闘場面でいえば、敵の攻撃機や艦船が撃ってきても撃ち返してはいけない(正当防衛の範囲なら可)、撃ってきた弾やミサイルを撃ち落とすことしか許されないというのが、日本用語の「専守防衛」だ。言うなら警察官が犯罪者に対して拳銃を使用する場合は、威嚇のためか正当防衛のためしか認められていないのと同様の範囲でしか「実力」を行使できないというのが、自衛隊の専守防衛範囲ということになる。
 自衛隊の役割としての「専守防衛力の行使」は実際の戦闘行為の中で、具体的にどこまで許容されるのかという議論は、おそらく一度も国会で行われてこなかったのではないか。もし行われていたとしたら、「専守防衛力の行使」だけでは防衛することすら不可能だということに、いくらアホな国会議員たちも気づいていたはずだ。
実際、人類の歴史上で、専守防衛の「実力行使」などありえたか、考えなくても分かる話だ。与党も野党も空想の世界で、なんとなく「専守防衛の範囲なら憲法9条に抵触しないだろう」と不問に付し、自衛隊が日本の国土と国民を防衛するために、どこまで実力行使ができるかの真摯な議論を避けてきたとしか考えられない。
 世界中どこを探しても、「専守防衛」のためだけの軍隊など、笑い話にもならない。永世中立国のスイスですら、もし攻撃されたらただでは済まないぞ、というだけの国民皆武装体制で国を守っている。それが本来の専守防衛体制で、実際に敵から攻撃を受けたら、倍にしてやり返すくらいでなければ防衛力にはならないことくらい、赤ん坊でもわかる理屈だ。
 これは日本語のあいまいさに起因しているのかもしれないが、専守防衛という言葉をいったん「専守」と「防衛」に切り離して考えてみればよく分かる。どちらに重点を置くかと言えば、「防衛」に決まっている。ただし、現行憲法制定の国会答弁で、当時の吉田茂総理は共産党の野坂参三議員の「戦争には侵略戦争と自衛のための戦争があり、自衛のための戦争まで否定するのはいかがなものか」という質問に対して、「近年の戦争は国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実」として自衛権も否定している。そうした経緯があって自衛隊創設に際し、その「実力」行使の範囲を「専守」と限定したのではないだろうか。
そのことは、核保有国の「核抑止力」についての苦しい言い訳を見れば、核兵器の保有が「専守防衛」にとどまるかどうかがよくわかる。
実際、アメリカなどの核保有国やアメリカの「核の傘」で守られることになっている日本や韓国、ドイツ、カナダなどは、核兵器禁止条約に反対する理由として「核抑止力」を主張している。つまり、アメリカをはじめとする核保有国は「もし自国や同盟国が核攻撃を受けた場合、核報復する力があることを誇示することによる抑止力」という、核使用条件を「専守防衛」に限定しているかに装っている。しかし「反撃力を行使できない防衛力」などありえないことは明らかで、どの国からも「核の傘」で守ってもらっていない北朝鮮が、アメリカの核の威嚇の前に核・ミサイル開発に血道をあげる理由がそこにある。
「専守防衛」という言葉の欺瞞性はともかく、自衛隊の役割変化に大きな影響を与えたのは湾岸戦争であった。

●湾岸戦争が自衛隊の役割を変えた
 湾岸戦争は、1990年8月2日、フセイン・イラク軍が隣国クウェートに突如侵攻し、その日のうちに全土を制圧、8日にはクウェート併合を一方的に宣言したことで勃発した。またこのとき、クウェート国内に在留していた外国人をイラクに強制連行、軍事施設などに収容して「人間の盾」にした。その人質の中に、民間人を含む日本人141人も含まれていた。
産油国でありながら、当時の原油安で巨額の債務返済に困窮していたイラクが、地下で国境をまたいでつながっていた油田からクウェートが不正に原油をくみ上げていたと非難、交渉が暗礁に乗り上げていたことから軍事力で一気に片を付けようとしたとみられている。
また、もともとクウェートはイラクと同一部族の支配下にあったのを、ヨーロッパ列強がアラブ諸国を分割支配するために分断したという、クウェート併合を正当化する説もある。
この事態にいち早く動いたのがアメリカ。NATO諸国など友好国に呼び掛け「多国籍軍」を結成した。サウジアラビアやエジプトなどのアラブ諸国も加わり、34か国が多国籍軍に参加したが、日本は憲法の制約もあって多国籍軍には参加せず、物資の輸送や資金協力にとどまった。
このとき、海部内閣は直接戦闘行為にかかわらないまでも、紛争地帯周辺の安全確保のため自衛隊を派遣しようとしたが、野党の反対や自民党内でも「憲法に抵触する可能性がある」といった慎重論が多く、自衛隊の派遣を断念したと言われている。
多国籍軍は91年1月17日に軍事行動を開始、2月28日にはイラク軍を打倒、クウェートを解放した。その直後、クウェート政府は米ワシントン・ポストに全面広告を掲載、クウェート開放に尽力してくれた国に対する感謝の意を表したが、その中に日本は含まれていなかった。また、同盟国アメリカからも「日本は人的貢献がなかった」と非難された。
実は日本はこの戦争に130億ドル余の資金協力をしている。が、その大半はアメリカに吸い上げられ、クウェートの復興資金として渡ったのはたったの6億3000万円だった。クウェートが日本に感謝する気持ちになれなかったのは当然かもしれない。
湾岸戦争後のこうした国際社会の反応が、自衛隊の役割を大きく変えることになる。自民党内部は当然としても、外務省、保守系言論人たちからも「人的貢献がなければ評価されない」という声が高まり、湾岸戦争終結からわずか1年3か月後の92年6月にはPKO協力法が成立、自衛隊の国連平和維持活動(PKO活動)参加への道が開かれた。

●日報隠ぺい問題で露呈した自衛隊のPKO活動の限界
日本はPKO活動に参加することで、自衛隊の国際貢献をPRしたかったのだろうが、国際社会からの評価は芳しいものではなかった。PKO活動に参加する自衛隊の軍事装備は、ゲリラなどの襲撃を受けた場合に一時的に自己防衛するための小武器類(拳銃・小銃、のちに機関銃も)の保持しか認められなかったため、大規模ゲリラ部隊に襲撃されたときは他国のPKO派遣部隊に救助されるというみっともないこともあった。
また派遣目的も後方支援や復興支援が主で、紛争地帯の難民救援活動には消極的で、とくに派遣先は非戦闘地域に限定されているため、他国から見れば自衛隊の国際貢献度がそれほど高くは評価されていないと思う。少なくともPKO活動に参加して、日本の国際社会における地位にふさわしい国際貢献をするというなら、もちろん自分たちの安全確保は最優先だが、多少のリスクは不可避な活動を展開するのでなければ、あまり意味がないと私は思う。あくまでリスク回避を前提にするなら、そもそも南スーダンのような紛争が絶えまない地域のPKO活動に参加すべきではなかった。
スーダンから独立して間もない南スーダンの道路などインフラ整備のために自衛隊がPKO活動に参加することになったのは2011年、民主党・野田政権のときで、翌12年から自衛隊が南スーダンに派遣されたが、直後から南北スーダン国境紛争が生じた。自衛隊が宿営していたのは首都ジェバの近くで当初は比較的治安も安定していたが、反政府武装勢力の攻勢が強まり、16年7月には270人以上の死者を出すかなりの規模の紛争も生じ、自衛隊宿営地に隣接するビルでも銃撃戦が生じた。そうした状況は逐一現地から日報で防衛省にも届いていたが、自衛隊のPKO活動が非戦闘地域に限られているため、その事実を隠すために起こしたのが、いわゆる「日報隠ぺい事件」である。しかも、政府(稲田防衛相および安倍総理)は、この紛争を「戦闘ではなく衝突」と言い張り、野党と激しく対立することになった。
結局、稲田防衛相が引責辞任し事態はそれでとりあえず収拾したが、問題の本質はそういうことではない。自衛隊のPKO活動参加は国連の平和維持活動である。自衛隊員は戦争をするために行くのでもなければ、派遣先で武力侵略を行うことが目的でもない。しかし、派遣先で予期せぬ事態が生じたとき、自分たちの身の安全を守ることが最優先され、派遣された目的である任務が後回しにされるのであれば、日本が有事に直面したときでも、自衛隊員は自国防衛の任務より自らの安全を最優先していいということになりかねない。そんなスタンスでPKO活動に参加しても、国際社会から評価されるわけがない。
やはり国の名誉と威信をかけてPKO活動に参加するのであれば、自分の身の安全より任務を優先するのでなければ、国際社会からの評価も感謝も得られない。
政府も政府で、「戦闘ではなく衝突だった」と逃げれば、「近くで戦闘が生じたら、身の振りかまわず逃げろ」というのが日本のPKO活動参加の基本方針だということを、国際社会に向かって表明したことを意味する。
もちろん、戦闘なり武力衝突なりが生じた場合、そのどちらかに自衛隊が加わって武力行使することは憲法9条に抵触する・しない以前の問題である。だが、難民が自分たちの目の前で武装ゲリラやテロ集団から武力による迫害を受けた場合、身をもって難民たちを守るのでなければ、日本有事の際も私たち国民は自衛隊を頼りにはできないということになる。

●日本の安全保障上の最大のリスクは在日米軍というパラドックス
第2次世界大戦以降、世界から消えたもの(と言っても物質ではない)がある。「帝国主義戦争」だ。戦後75年、様々な地域紛争は絶えることはないが、列強が植民地の争奪・支配をめぐって血を流しあった帝国主義戦争の時代は完全に終わりを告げた。なぜか。
戦争には大きく分けて2種類ある。一つは宗教や民族間の対立から生じる戦争で、宗教や民族間の主導権をめぐっての争いだから損得の計算ずくではない。「兄弟は他人の始まり」というが、血の濃さは兄弟が一番だ。が、なぜか憎み合うことになるケースが多い。「宗教戦争」も「民族紛争」も、距離が遠いと生じない。近いから生じる。人間のサガと言ってしまえばそれまでだが、「近親憎悪」という言葉もあるくらいで、永遠に解決不可能な問題かもしれない。
もう一つは、経済的利益の対立をめぐっての戦争だ。多くの戦争はこの類に分類されると思うが、とくに近代における経済的利害の衝突は領土の拡大(軍事的政治的支配による植民地化)をめぐる争いによって生じる「帝国主義戦争」がその典型だ。
だが、植民地化による他国(もっぱら「後進国」)の軍事的政治的支配には巨額な資金がかかり、ROI(費用対効果)の観点から決して有利ではないことを、第2次世界大戦の結果として大国が学んだためではないか。
実際、日本もかつては朝鮮や台湾を植民地支配した時期があるが、投下資本と収益の損得を計算すれば、おそらく大赤字になっていたと思う。そのうえ、支配される国では必ず独立運動が生じ、その鎮圧にも相当な苦労と費用が伴う。そのため、いまは政治的に支配するのではなく、経済的にWin Winの関係を構築することでROIを高めたほうが得策だという考え方が主流になった。かつてのような領土拡張を目指す「帝国主義戦争」が消えたのはそのためである。
そういう視点から、日本が他国から攻撃される可能性を考えてみよう。少なくとも日本を植民地化して政治的・軍事的に支配しようという国はありえない。日本は国内では巨額の財政赤字を背負っているが、海外の途上国から見れば巨額な資本と優れた技術力を有する、「できれば手を組みたい国」である。とくに、産業近代化に後れを取っているロシアや北朝鮮は日本と仲良くしたいはずだ。
中国は極めて戦略的に発展を遂げてきた国であり、先端技術でも分野によってはすでに日本を凌駕しているくらいだが、ロシアや北朝鮮にとっては、日本の資金力と技術力はよだれが出るほど魅力的だ。
だが、日本と友好関係を構築して、日本とWin Winの関係を結ぶには高いハードルがある。北朝鮮やロシアにとっては敵対的な関係にあるアメリカの存在だ。とくに在日米軍基地は、彼らにとって極めて大きな脅威である。
安倍総理は「北朝鮮の核・ミサイルは日本にとって最大の脅威だ」と主張するが、北朝鮮は核・ミサイルを日本を標的にして開発してきたわけではない。前回のブログで書いたように、アメリカの核・ミサイルの脅威に対抗するためだ。実際問題としては、金正恩が逆立ちしても北朝鮮の核・ミサイルはアメリカに対抗出来っこないが…。
が、万一何らかの偶発的衝突が米・北の間で生じた場合、北朝鮮が「江戸の敵を長崎で討つ」手に出たら、そのとき北朝鮮にとって標的は韓国と日本になる可能性が高い。現在の日本にとっての最大の安全保障上のリスクは、そこにある。もっとわかりやすく言えば、在日米軍基地の存在が、日本にとって最大の安全保障上のリスク要因なのだ。日本を外国の攻撃から防衛するためにあるはずの米軍基地が、実は日本の安全保障にとって今や最大のリスク要因になっている。なんというパラドックスだろうか。

●現行憲法下で、自衛隊に敵基地攻撃ができるか
「専守防衛」論は空理空論だ、と先に書いた。敵にとっては、こんな楽な相手との戦争はないということになる。絶対に反撃されないのだから。
イエス・キリストは弟子に「汝の敵を愛せよ」(ルカ伝)と説いた。「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」(マタイ伝)とも。「専守防衛」はそれほどお人好しであれという意味ではないが、自衛隊があくまで「盾」の役割しか果たせないとしたら、「矛」の役割を果たす米軍と一体にならなければ敵の攻撃に対抗できない。仮に自衛隊が憲法の制約を受けなかったとしても、自衛隊の構成が「防衛部隊」と「攻撃部隊」に分かれ、指揮系統も別々などという状態がありうるか、と考えたら、赤ん坊でも「そんな非常識な軍隊は世界中にないよ」と一蹴するだろう。
 だから現実問題として考えたら、日本が戦争を仕掛けることはありえないにしても、実際に戦争になったら自衛隊は防衛だけでなく攻撃力も行使しなかったら戦争にならないし、敵の攻撃を防ぐこともできない。そういう状態になったら、指揮官は憲法がどうのこうのと議論している暇なんかない。それでも憲法の制約によって自衛隊が軍事装備の範囲として攻撃力を持ちえないとしたら、攻撃の役割を担う米軍と一体化するしかない。もっとはっきり言えば、米軍を傭兵として扱い、自衛隊の指揮系統に入ってもらうか、あるいはその逆しかない。米軍が自衛隊の指揮系統に入ってくれるなどということは絶対にありえない。ありうるくらいなら、とっくに「地位協定」の破棄に応じている。だとしたら、日本は独立国としての尊厳を捨てて、自衛隊を米軍の指揮系統に入れるしかない。林家三平のように頭を掻きながら「すいません。自衛隊は、あの~、相手を攻撃しちゃいけないことになってるんで、専守防衛に徹するということで…。あの~、すいません」と、頭を下げるしかない。
 かといって、いま自民党議員の一部で議論されている、自衛隊に敵基地攻撃力を認めることは、いくら憲法を拡大解釈しても無理だ。実際には軍事専門家によれば、自衛隊はすでに相当の攻撃力を擁しているそうだ。ただ、「専守防衛」しか認めないという現在の憲法解釈の上で。敵基地に対する先制攻撃まで認めるとなると、いくらなんでも、ということになる。現在でも「自衛隊違憲論」の憲法学者は6割を超えているのに、「専守防衛」の枠組みまで外すということになると、「自衛隊合憲論」を主張する憲法学者は、おそらくゼロになる。御用学者と言えど、そこまでは学者としての良心を売り渡しはしないだろう。

●アメリカに自衛隊基地を――究極の安全保障策はこれだ
 ただでさえトランプ米大統領は「アメリカ人は日本を守るために血を流さなければならないが、アメリカが攻撃されても日本人はソニーのテレビを見ているだけだ。こんな不公平な話はあるか」と、日米安保条約の片務性に怒っている。別にトランプだけが怒っているのなら「馬の耳に念仏」で聞き流しておけばいいが、実はアメリカ人の大半が同じような対日感情を持っている。だから1980年代後半に日米貿易摩擦が頂点に達したとき、アメリカ自動車産業のメッカだったデトロイトで日本車がハンマーで叩き壊され、ひっくり返され、最後は火まで付けられるような状態になったとき、アメリカ中を席巻したジャパン・バッシングの合言葉は「リメンバー・パールハーバー」であり「安保タダ乗り論」だった。「のど元」民族の日本の政治家は、そのことをすっかり忘れているようだが…。
 そういう対日感情をいまだに根強く抱いている米軍兵士が、日本有事の際、自分の感情を押し殺して日本を守るために喜んで血を流してくれるだろうか。そんなことはありえない。日本が逆の立場になったら、そんなお人好しになれるかどうかを考えてみれば、赤ん坊でもわかる理屈だ。
 そこで発想を180度、転換してみる。せっかくトランプが言質を与えてくれているのだ。それを利用しない手はない。
「確かに現行の日米安保条約はあまりにも片務的だ(※ここで「在日米軍基地は日本防衛のためだけでなく、アメリカの覇権主義の軍事拠点にもなっているではないか」などと正論で反論してはダメ。せっかくの言質が日本にとって絶好の口実にならなくなってしまう)。日本もアメリカを守るために血を流すことにした。アメリカに自衛隊基地を設置して、米軍と一緒にアメリカを守る。もちろん、在日米軍基地と同様に、自衛隊基地をアメリカのどこに設置するかは日本が決めるし、自衛隊基地とは地位協定も結ばせてもらう」
 9.11のようなテロ攻撃は今後もあるかもしれないが、本格的にアメリカと戦争しようなどと考えるバカは旧日本軍くらいしかいない。旧日本軍も、本格的な戦争になるとは当初考えていなかったようだ。真珠湾に集結しているはずの米空母艦隊に壊滅的な打撃を与えれば、アメリカは当分反撃できなくなる。そのうちに…と勝手に考えていたようだ。
 が、肝心の標的だった空母艦隊は真珠湾にはいなかった。真珠湾は水深が浅く、吃水線が高い空母は入港できないのだ。そんなことも調査せず真珠湾に奇襲攻撃をかけ、うろちょろ空母を探したものの見つけることができず、戦艦や巡洋艦などくその役にも立たない軍船を何隻か沈めて「大戦果」を挙げたかのように喜んだのが大本営と当時の新聞。だいいち、日本海軍がハワイを攻撃するのに戦艦や巡洋艦を主力戦力にしたか。主力戦力は攻撃機を搭載した空母だったではないか。戦艦や巡洋艦は空母の護衛のためについていっただけだ。真珠湾攻撃は大成功どころか大失敗だったのだ。いまさら「失敗しました」とは言えない空気が、当時の日本には充満していたのだろう。
 そんな戯言はともかく、アメリカに自衛隊基地を設置することが日本にとって最高の安全保障策になる。そのうえ、沖縄の米軍基地問題も一気に解決できる。「自衛隊基地をアメリカのどこに作るかは日本が決める。基地協定も結ばせてもらう」という要求を日本が突き付ければ、そんな要求を誇り高いアメリカが認めるわけがないから、在日米軍基地のありようについてもアメリカの方から譲歩してくる。

●日米安保条約の再改定によって、日本は最も平和な国になる理由
 安保条約を再改定して双務的な関係にしようとすれば、左翼系からは「日本がアメリカの戦争に巻き込まれるリスクが高まる」という反対論が出てくるだろう。が、現行安保でも、アメリカは日本の戦争に無条件に協力するなどという条文はどこにもない。安保条約でアメリカが行使しなければならない軍事的義務は第5条に明記されているが、「日本国の施政の下にある領域」での武力攻撃について、日本とアメリカが「共通の危機に対処するように行動することを宣言する」とあるだけで、日本の戦争にアメリカが巻き込まれることはない。この第5条を双務的な内容に変えればいいだけのことで、自衛隊がアメリカのために軍事的協力の義務が生じるのは、あくまで「米国の施政の下にある領域」での武力攻撃に限定されるからだ。イラク戦争や9.11に端を発したアメリカのタリバンやアルカイダに対する報復攻撃などに自衛隊が米軍に軍事協力する義務は生じない。
 実際、日本は竹島や北方領土は日本の固有の領土だと主張しているし、私も日本人だからそう思っているが、では日本が軍事力を行使して領土を奪還しようとした場合、米軍が協力する義務があるかどうかは難しいと思う。というのは、竹島を実効支配しているのは現実には韓国であり、北方領土はロシアだ。一時アメリカでも竹島や北方領土についても日本の領有権を認めるような発言をした大統領がいたが、米政府がその一時的見解を継続して維持してくれているわけではなく、日本の「施政下」にあると言えるかどうかの判断は微妙だ。現に、オバマやトランプが「安保条約5条」が適用されると明言してくれた尖閣諸島にしても、日本が何らかの施設をつくって実効支配に乗り出そうとすると、アメリカから「待った」がかかることは間違いない。また大統領が代わるたびに尖閣諸島が安保条約5条の適用対象だという「お墨付き」をもらわなければならず、その都度、日本側はお返しとしてアメリカから軍事装備品を買わされる。そういうことを日本政府はずっと続けてきたのだ。
 だから日米安保条約を双務的なものに改定することは、日本の平和と安全にとっても、また沖縄の米軍基地問題や地位協定問題の解決にとっても、ベストとまではいかなくても、現状に比べればベター・ベター・モア・ベターな方法であることをご理解いただけただろうか。いつまでも空理空論の「平和主義」にしがみついてきた結果が、沖縄基地問題や地位協定問題を今日まで引きずってきたことを、国民はそろそろ気付いてもいいころだと思う。

※なお、老婆心で最後に書いておきたいことがある。政府は北朝鮮の核・ミサイルの脅威を口実に「抑止力」として軍事力の強化や「自衛権」の範疇に敵基地攻撃も含めようとしているが、前回のブログで明らかにした「核抑止力」の欺瞞性と同様、自国の「抑止力強化」は他国にとっては「脅威」になる。とくに日本の場合、過去にアジアの諸国と人たちに多くの苦しみを与えてきただけに、私たちが原爆による被害の記憶をいつまでもとどめているように、アジアの人たちも過去に日本がしてきたことを忘れていない。いま日本は平和主義を大切にしているが、依然として過去の十字架を背中に背負っていることを忘れてはならない。日本が「抑止」のためと称しても、抑止力としての軍事力を強化すれば、それは直ちにアジアの諸国民にとっては脅威の対象となる。過去の軍拡の歴史は、抑止力を口実に作られてきたことを、先の大戦の最大の加害者であり、かつ最大の被害者であった日本は、決して忘れてはならない。


【緊急追記】 今日(15日)、NHKが午後7時30分から大作ドラマを放映する。戦時中、日本でも原爆の研究が行われていたことは周知の事実であり、ドイツでも研究が行われていた。またナチスの迫害から逃れてアメリカに亡命した科学者・アインシュタインが米政府に原爆のアイデアを提供し、のちにアインシュタインは自分の行動が間違っていたと後悔したというエピソードはあまりにも有名である。NHKが制作したドラマは京都大学で原爆開発に携わった若い科学者の使命感と苦悩のはざまを描いたらしい。それはそれでいいのだが、私が強い違和感を抱いたのはドラマのタイトルである。
ドラマのタイトルは『太陽の子』だそうだ。山崎豊子の『大地の子』にヒントを得たのかどうかは知らないが、少なくとも『大地の子』という題名からは明るさは感じられない。とくに暗さを感じるわけでもない。山崎豊子らしい「重み」を、なんとなく感じさせる題名だ、と私は思う。
が、NHKのドラマのタイトル『太陽の子』から抱くイメージは、石原慎太郎の『太陽の季節』であり、美空ひばりの『真っ赤な太陽』のような明るさだ。テーマの重さとか若い科学者の悩み、苦しみなんか、これっぽっちも伝わってこない。まさか、NHKが、あの戦争でもう少し日本軍が頑張っていたら、日本が原爆をニューヨークに投下して大逆転できたかも、などという「浦島太郎」のようなドラマを作るとも思えないが、それにしても唯一の被爆国日本の公共放送が作るドラマの主人公である、日本で原爆開発に取り組んだ若い科学者が「太陽の子」か。
私は昨日、NHKの「ふれあいセンター」の上席責任者に、「私はこのドラマは見るけど、少なくとも広島と長崎では放映するな」と電話した。こういうタイトルを付ける無神経さを、私は信じられない。
NHKは8月4日、「3か年経営計画」の案を発表した。案に対する意見募集を8月5日から9月3日までに実施し、寄せられた意見なども踏まえて来年1月までに計画と取りまとめるという。私は6日にNHKのホームページに設けられた「意見募集」フォームで提案した。その内容をこのブログで公にするつもりはなかったが、朝日新聞が何をトチ狂ったか、14日になってどうでもいいようなケチ付けを、それも社説でしたので、朝日にはメールで私がNHKに対して行った提案の全文を送った。この際、この「緊急通知」で公にしてしまうことにした。同感していただける方はSNSで拡散していただきたい。(15日)

① 経営委員会についてー―経営委員会はNHKの最高意思決定機関であり、公正で公平な意思決定ができるように、公選制にすべきである。現在のように政府によって経営委員が任命される制度では公共放送としての、権力との適正な距離を保つことができなくなる。現に、かんぽ生保の不正販売についての番組に経営委員会が不当に関与し、公共放送としての信頼性を著しく損なったこともある。
② 番組編成について――NHKは公共放送であり、民間放送局には放送できないような公共性の高いコンテンツに絞るべきである。かなり前(数十年前)は娯楽が少なく、民間放送局も自前でドラマなどを制作できなかった時代には、NHKが自前でドラマ制作して放送することも合理性があったが、今はそんな必要はない。「民間ができることは民間に」が公共放送の原則であるべきだ。NHK3人娘(馬渕晴子・富士真奈美・小林千登勢)をNHK職員として育成しなければならなかった時代ではない。どうしてもエンターテイメント・コンテンツを外せないというならNHKを半官半民にして、娯楽番組は民間放送局と同様CMで制作費を賄うか、あるいは課金制のコンテンツにすべき。
③ 受信料制度について――かつてはテレビは一家に1台だった時代があり、いまの受信料制度はその時代に適正だった制度をいまだに続けている。いまはNHKの放送を受信できる設備も多様化しており、またテレビ自体も一家に1台から一人1台の時代に移っている。放送法64条はNHKの放送を受信できる「受信設備を設置したものは、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」となっており、この規定によれば「世帯単位の契約」は無効である。現代では一人数台の受信設備を持っている人もいる時代であり、世帯単位の受信契約でなく個人単位の視聴契約にすべきである。また現在の受信料制度は憲法14条の定めによる「法の下での平等」に抵触する可能性も高い。「法の下での平等」が「世帯単位」で行使されているのは事実上NHKの受信料制度だけであり、受信料未払で裁判になった場合、「一人暮らしの単身世帯と5人家族でテレビも5台ある世帯の受信料が同一なのは憲法違反である」と、憲法14条の解釈が争点になったら、おそらくNHKは敗訴する。
そこで放送法64条の一部を「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した世帯に属し、協会の放送を視聴できるものは、協会とその放送の視聴についての契約をしなければならない。ただし、満1歳未満の幼児および著しく聴覚障害がある者で協会が定めた基準に該当する者は、その限りではない。また未成年者については世帯主が代理で契約することを妨げるものではない。協会と視聴契約をしたものは協会に視聴料を支払わなければならない。ただし、未成年者については世帯主が代わって支払うことができる」と改定することを求める。なお、この改訂によって事業所向けの受信料制度は廃止する。視聴の二重契約になるからである。
また、生活保護世帯に属するものや障碍者に対する受信料(新しくは視聴料)免除制度は廃止することも求める。この制度は本来社会福祉に属する性質のもので、国なり各自治体が行うべきことである。彼らが負担すべき視聴料を一般の視聴者に自動的に負担させることは違憲の可能性がある。





 
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広島・長崎の原爆から75年。「核のない世界」をつくるために日本は何をしてきた?+日韓問題(10日、緊急事態告発)

2020-08-06 02:04:57 | Weblog
 最近、古くからの友人で、元編集長の方からアドバイスをいただいた。「小林さんのブログ記事はすごく面白いし、『目からウロコ』の部分もあるが、長文なので小見出しを付けたら、もっと読みやすくなる」というのだ。もっともなアドバイスなので、今回から長文の記事には小見出しを付けることにした。

●衝撃だった広島地裁の「原告全面勝利」の判決
 今から75年前の1945年8月6日午前8時15分、広島市中心部の600メートル上空に閃光が走り、その直後に猛烈な爆風が市内だけでなく市の周辺まで襲った。生き残った人たちが「この世の地獄」と語ったように、そのすさまじさは想像を絶するものがあったようだ。
 そのときの壊滅的な状況は、いま市内ではほとんど見ることはない。永久に保存されるであろう「原爆ドーム」だけが、かすかに史上初の原子爆弾「リトルボーイ」の威力を物語っているだけだ。
 原爆投下によって、当時の広島市民35万人のうち9万~16万6000人が被爆によって2~4か月以内に死亡したとされる。さらに周辺地域も含め56万人が被爆し、現在も生存者は後遺症に苦しんでいる。
 これまで被爆者たちは国を相手取って何度となく訴訟を起こしてきた。今年も広島高裁と広島地裁で二つの判決が出た。
 まず6月22日の広島高裁判決。被爆の影響で心筋梗塞や甲状腺機能低下症を患っているのに原爆症と国が認めないのは不当として、11人が国を相手取って起こした控訴審で、三木昌之裁判長が下した判決。11人のうち5人は一審(広島地裁)判決を取り消して原爆症と認める一方、6人は1審判決を支持して訴えを退けた。原爆症と認定した5人について、裁判長は「被爆時は若年で放射線に対する感受性が高かった」とした一方、訴えを退けた6人については「被爆との関連性があるとしても限定的」とした。
 メディアが大きく取り上げたのは7月29日判決の、いわゆる「黒い雨」裁判。「大雨」地域外に居住していたが、放射能を含んだ降雨により原爆症を発症したとする原告84人が起こした訴訟の裁判だ。原爆投下直後に黒い雨(爆発で空中に飛散したすすなどを含んだ雨)が激しく降った「大雨地域」(国が「爆心地から東西11キロ、南北19キロ」と定めた範囲)に居住していた人たちしか、国は被爆者と認定しなかった。実際には当時の地元気象台技師の調査で降雨範囲は「東西15キロ、南北29キロ」とされたが、国は原爆症認定の基準を「大雨地域」に絞り、その地域外の被爆者は原爆症の認定を拒んできた。この裁判で高島義行裁判長は、「原告らは降雨による外部被曝や放射能汚染された水などによる内部被曝が想定される」として原告全員を被爆者と認定した。原爆被害者を広く認定した画期的判決としてメディアも大きく報道した。

●無差別大量殺りく兵器の原爆を投下したアメリカは国際法違反 BUT 
 原爆訴訟の第1弾は1955年、広島の下田さんら3人が国を相手に東京地裁に起こした訴訟で、国に対しては損害賠償を、アメリカに対しては国際法違反とすることを求めた。被爆者に対して国が何の援護も行わず放置していた時代だった。東京地裁は63年12月、当時としては画期的といえる判決を下した。「米軍の広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」としたうえで、原告の国に対する損賠賠償請求は棄却した。責任が米軍にあることを認めた以上、国が賠償責任を負うのは論理的整合性に欠けるという意味では、きわめて合理的な判決と言えなくもない。
 ただ、この裁判で裁判長は「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ。しかも原爆による被害の大きさは、一般戦災者の比ではない。被告(国)は十分な救済策を講じるべきで、それは立法府と内閣の責務である」と、被爆者を放置してきた国に対して厳しく苦言を呈した。この裁判は、その後の被爆者援護施策に大きな影響を与え、57年には原爆医療法が制定、続いて68年には原爆特別措置法が施行された。
 原爆訴訟はその後も相次ぎ、1972年には韓国人被爆者も救済対象となることが確定(最高裁)、さらに2002年には被爆後、韓国に帰国していた韓国人が帰国によりいったん打ち切られていた健康管理手当の回復訴訟で勝利した(大阪高裁)。また被爆当時、軍人として広島で被爆、被爆者健康手帳を持っていながら、ブラジルに移住したため健康管理手当の支給が打ち切られたことを不服として、2002年、広島地裁に提訴したケースもある(その後の経緯は不明)。
 以降、私は「原爆による被害者に対する責任はだれが負うべきか」を、一切の先入観や思想的偏りを排して、純粋に論理的整合性だけを唯一の基準として考察していく。その考察を進めていく場合、必ずしも裁判の結果と同じ判断になるとは限らない。むしろ、裁判での確定判決に疑問を呈することになるかもしれない。さらに、原爆に対する一般的国民感情に反することになるかもしれない。また私は法曹家でもないから、法律を基準にして判断したりすることはできないし、したいとも思わない。

●組織的行為の意味を考察する
 まず被爆者が裁判で求めたのは損害賠償である。その請求先が日本国政府であるべきか、はたまたアメリカ政府であるべきか、という問題に切り込む。
 原爆を投下したのが日本軍だったなら、損害賠償先が日本政府(つまり日本国)になるのは当たり前だ。たとえば戦争末期の特攻隊や人間魚雷。これは米軍との戦闘行為で戦死したのではなく、国の命令によって「自殺行為」を強いられたわけだから、当然だが、普通の戦闘行為における戦死者とは同等ではない。国家責任がより厳しく問われるべきだろう。
 仮にこうした行為が犯罪だとしたら、単独犯(つまり第3者の命令や協力などの関与が一切ない場合)は、全責任は直接実行者が負うべきである。が、第3者による命令(指示も含めて広義の意味で)による行為の場合は、最高責任者は直接実行者ではなく、命令を下した人物ということになる。が、軍隊や特殊詐欺集団のように命令系統が階層的になっている場合、だれが最も重い責任を負うべきかを明らかにすることは、容易ではない。組織的行為の責任を明らかにすることの困難さがここにある。
 いま問題になっている河井克行・杏里夫妻の公職選挙法違反事件。この二人が有罪になるのは当然としても、杏里氏の選挙資金として自民党本部が提供した1億5000万円。報道によれば、東京地検特捜部も自民党本部にまでは手を出せないようだ。国民の大半は安倍総裁が関与していないわけがないと思っているし、私も同様だ。が、安倍総裁は日本の首相でもある。確実な証拠がないと特捜といえども手を出せない。ロッキード事件で特捜が田中元総理を逮捕できたのは、米上院でロッキード社のコーチャン副会長が贈賄を証言したためだ。それでも、田中逮捕に至るまで、特捜は組織をかけた捜査を重ねた。その間、田中の秘書をはじめ何人かが自殺や不審な死を遂げている。総理・総裁ともなると、憲法14条の「法の下での平等」は適用されないようだ。

●「勝てば官軍、負ければ賊軍」の歴史認識基準は?
 それはともかく、戦争という組織的行為の中で生じた問題の解決は、これまで「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」が基準とされてきた。私はいままでもブログで、こうした歴史認識基準に対し一貫して批判を続けてきた。もちろん、日本の戦争犯罪を擁護するためではない。確認された事実に基づき、論理的整合性のある歴史解釈をするべきだと主張しているだけだ。広島・長崎の原爆投下についていえば、絶対に動かせない事実は、米空軍の爆撃機が、米政府の命令によって原爆を投下したということだ。誰か(例えばマッカーサー)が独断で行った命令による行為だったら、米政府はとっくにマッカーサーを処分していたし、日本に対してそれなりの謝罪をしている。戦後75年たっても謝罪どころか、いまだに正当化していることから、アメリカ政府の組織的行為として広島と長崎に原爆が投下されたことは明白である。
 こんな、当たり前のことをいまさらのように書いたのはそれなりの理由があってのことだ。つまりアメリカが原爆投下を正当化している理由(口実)が、すべて真っ赤なウソとまでは言わないが、一つは正しく、もう一つはウソだということを明らかにするためである。アメリカ政府が、無理やり原爆投下を正当化しようとするから、かえって墓穴を掘ることになったと言える。
 まず、真っ赤のウソの方から明らかにする。「米兵士の犠牲をこれ以上出さないため」という口実だ。米軍が沖縄に上陸して日本軍と激しい戦いを始めたのは1945年4月1日である。戦闘は6月23日まで続いたが、日本の守備隊は全滅し、死者は日本側が19万人(うち9万4000人は民間人)、米軍の死者は2万人を数えた。米軍にとっては甚大な兵士の損傷だったが、沖縄制圧は日本本土を爆撃するための航空基地の確保が最大の目的であり、かなりの犠牲を出すことは覚悟の上の作戦でもあった。
なお重要なことは、沖縄戦が始まった直後の4月5日にソ連が日ソ中立条約不延長を通告、ソ連が対日参戦に踏み切ることは時間の問題になった。このことが、原爆投下の重要なターニング・ポイントになったと、私は考えている。
 沖縄を完全制圧した米軍は、直ちに航空基地の整備を突貫工事で進め、日本本土の爆撃拠点とする。が、その以前から空母ホーネットからの中型爆撃機B25による東京・川崎・横須賀・名古屋・神戸に対する空襲は行っており、とくに東京空襲は44年11月以降、計106回を数えたほどだった。なかでも大型爆撃機B29を主力とした45年3月10日の空襲は、のちに「東京大空襲」と呼ばれるほどの規模で、人口密集地の下町を中心に死者数10万人を超えたと言われている。ということは、この時期すでに米軍は沖縄戦を除いて日本攻略作戦の中心を空爆に置いており、地上戦での米軍兵士の損傷は沖縄戦以降、皆無といっていい状態だった。
日本側は米軍の本土上陸作戦に備えて婦女子も戦力にしようと竹やり部隊を編成したりしたが、仮に米軍が本土上陸作戦を行ったとしても、日本が完全武装の米兵士に大きな損傷を与えることなど全く不可能だった。しかも沖縄戦以降、日本の反撃能力はほぼゼロで、8月の段階で「米軍兵士の損傷をできるだけ少なくするため」という原爆投下の口実は真っ赤なウソ以外の何物でもない。

●原爆投下の真の目的は、ソ連の日本侵略・日本の共産化を防ぐためだった
 しかし、もう一つの理由である「戦争を早く終わらせるため」というのは、おそらく事実だろうと、私は考えている。すでに述べたように、アメリカが沖縄上陸作戦を開始した直後に、ソ連は日ソ中立条約の延長拒否を日本政府に通告している。
日ソ中立条約は1941年4月にモスクワで調印された。有効期間は5年で、期間満了の1年前までに日ソのどちらかが破棄を申し出なかった場合はさらに5年間自動延長するという内容。だから少なくとも46年4月までは条約は有効なのだが、日本は連合国との和睦の仲介をソ連に依頼すべく、ソ連側との交渉に全力を注いでいた。44年1月には漁業協定を5年延長したり、北樺太の利権をソ連に返還したり、ソ連への譲歩を重ねてもきた。が、ソ連スターリン書記長はひそかに米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相と会談、ポツダム宣言の原案を作成するなど、連合国参加の準備を着々と進めていた。ソ連が日ソ中立条約の延長を拒否したのはそういう背景があったからである。
 もう一つ見落とせないのは、45年5月7日にドイツが無条件降伏し、東欧諸国を支配下に収めることに成功していたソ連は、それまでヨーロッパ戦線に釘付けされていたソ連軍の精鋭を満州と国境を接するシベリアに移動させることが可能になったことだ。また米ルーズベルトは前例がない大統領4選を果たした直後の4月12日、脳卒中で急死し、副大統領のトルーマンが大統領に就任していた。米軍が沖縄上陸作戦を開始した直後であった。
 新大統領のトルーマンは外交経験も全くなかったし、だいいち、原爆の開発状況すら知らされていなかったという。ただ、アメリカが第2次世界大戦に参加して連合国の中心になって以降、連合国軍は倒的な戦力で枢軸国に連戦連勝、対独・対日戦争の終結は時間の問題だったということ、またソ連が東欧を席巻して共産圏を一気に拡大したことはトルーマンも承知していた。そのソ連が対日参戦して、東欧を席巻したように、満州・朝鮮・日本まで共産圏に組み込むことだけは米政府も避けたかったのではないか。
そう考えると、ソ連軍が日本に侵攻する前に、なにがなんでも戦争を終結させる必要があった。が、日本は婦女子まで動員して竹やりで近代武装した米軍を迎え撃とうとしている。容易なことでは日本を無条件降伏させることはできない。そう考えたのが、米政府が原爆投下を決断した最大の理由ではないか、と私は考えている。実際、アメリカが広島に原爆を投下した直後の8月8日にソ連は対日宣戦布告して満州に攻め込んでいる。
 日本は広島原爆で完全に戦意喪失していたため、降伏はやむなしと考えたものの、降伏の条件をめぐって軍内部でバカみたいな議論に終始し、すぐにはバンザイをしなかった。焦ったのはアメリカの方で、ソ連はすでに対日戦争に突入している。日本政府の「トコトン抵抗派」の息の根を止めるには原爆をもう1発落とす必要がある。トルーマンはそう考えたと思う。で、広島の3日後に長崎に原爆を投下したというわけだ。それでも、まだ日本政府は決断できない。よっぴいての御前会議の末、ようやく10日の午前2時半になって「国体維持を条件にポツダム宣言を受け入れる」ことを決定し、連合国側に通告した。が、ポツダム宣言は、日本に無条件降伏を求めており、条件付きの降伏という日本側の申し入れを拒否、3発目の原爆投下の危機が目の前に迫った。こうした状況下で、ようやく日本が無条件降伏を連合国に通告したのが14日。昭和天皇が玉音放送で国民に日本の敗北を知らせたのが翌15日。そういう経緯から私は終戦日は8月15日ではなく、8月14日とすべきだと考えている。この私の歴史認識については8月14日に投稿するつもりだ。

●慰安婦問題や徴用工問題は日本政府が関与すべきことではない
 かなり話が横道にそれたが、原爆によって受けた被爆者の損害賠償と救済措置は、本来、日本政府の責任ではなく、アメリカ政府の責任である「べき」だ。が、日本政府が「正論」を持ち出して被爆者に対する責任をアメリカに追及したら、アメリカはおそらく「だったら、日米戦争(太平洋戦争)でアメリカが被った損害も賠償してもらう」と言い出すに決まっている。日本は先の大戦で損害賠償請求権を放棄してくれた米英蘭(オランダ)や中国に対して、そうした重荷をいまだに背負っていることを忘れてはならない。
 一方、韓国との間でいまだ解決に至っていない、いわゆる「慰安婦問題」と「徴用工問題」はまったく別次元の国際問題だ。
 この二つの問題は、いずれも当時の日本政府が直接関与した組織的行為ではないことを、まず確認しておく必要がある。
 従軍慰安婦問題に関して言えば、「当時、売買春は国際法で禁じられていなかった」として日本側に賠償責任はないと主張する向きもあるが、それは的外れの反論。韓国も売買春行為を問題にしているのではなく、商売女ではなく、嫌がる一般女性を無理やり「強制連行」して慰安婦にしたことを問題にしている。そういった行為が、あの時代になかったかというと、おそらくかなりあっただろうと私は推測している。が、それが組織的行為、つまり政府が直接間接に関与した行為だったかどうかは別である。いわゆる「河野談話」は「政府の関与があったことが認められた」と結論付けているが、本当か?
 実際には軍(政府と同義)が慰安婦所設置について厳しい通達を出している。要約すると、「占領地域内での日本軍人による住民の強姦など不正行為を厳重に取り締まり、士気の振興、軍紀の維持、犯罪および性病の予防のため慰安所の設置が必要である。慰安婦の募集に当たる者の取り締まりについては、軍の威信を保持し社会問題を惹起させないため、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うこと。適正な慰安所利用料金、避妊具の使用義務、慰安婦の健康管理(性病の検査を含む)に留意すること」などを各部隊に命じている。当時の日本政府が行っていた慰安所管理は国際水準からみても、模範とされるべきものだった。
 保守系メディアは、「ほとんどの慰安婦は職業的売春婦であり、自ら応募して大金を稼いだ者もいる」と、何人かの元慰安婦の証言を集めて韓国側の主張に反論しているが、これも全くの的外れ。いまでも警察官や自衛官の立場にありながら、強姦や痴漢、万引きなどの犯罪に手を染める連中が少なくない。まして当時の日本軍兵士が置かれていた状況から考えて、不正な行為が少なからずあったであろうことは想像に難くない。また、軍に取り入った慰安婦募集の業者が、場合によっては一部の兵士の協力を得て若い女性を強制連行したケースも少なからずあったと思う。
が、それらの不正な行為が「組織的行為」(つまり個人的犯罪ではなく政府の責任による行為)とまで言えるのだろうか。はっきり言えば「河野談話」は、こうしたケースをごっちゃにして「政府の関与があった」と認めてしまった。その結果、韓国から付け込まれることになった。
安倍総理は一時、「河野談話の作成過程を検証する必要がある」と主張していたが、アメリカから「やめとけ」と恫喝され、「はい、かしこまりました」と検証作業をすぐやめた。靖国神社参拝中止にしろ、これほど信念に欠けた総理を、私は知らない。中曽根氏や小泉氏も、総理時代、毎年靖国参拝を欠かさなかったが、アメリカからコケにされたことは一度もない。
 次に「徴用工問題」である。この問題は、当時、韓国で事業を行っていた個々の企業が、従業員募集に際して虚偽の説明をし、かつ差別的処遇(賃金や労働内容)をされたとして、元徴用工が日本政府ではなく、かつての雇用主である日本製鉄などの企業を訴えた事件である。
 韓国の大法院は、原告の訴えを認め、企業に損害賠償を命じ、かつ賠償金を支払わなかった場合に備えて株式の差し押さえも認めた。この裁判には二つの問題があると、私は思う。まず、韓国の法律に照らして時効になっていないかという点。これは私には分からない。韓国の法律に詳しい法曹家が確かめてほしい。次に75年以上前のことなので、仮に時効になっていないとしても原告の主張を裏付ける証拠が法廷に提出されたかの検証だ。もし、証拠が提出されていたとしたら、訴えられた企業側は反証を提出できなければ敗訴してもやむを得ない。その辺の経緯がまったく明らかにされていない。が、少なくとも徴用工問題に日本政府が乗り出して、貿易上の報復措置を行うのは、まったくの筋違いであろう。

●日本はなぜ「核兵器禁止条約」に反対するのか
 原爆問題に戻る。2017年7月7日、ニューヨークの国連本部で画期的な条約が採択された。「核兵器禁止条約」である。国連加盟国の3分の2を超える122か国が賛成し、規定によって採択された。核兵器の非人道性を訴え続けてきたメキシコやオーストリアなどが主導して提出、多くの加盟国が賛同した。この条約の前文には「ヒバクシャ(日本語で記載)が受けた、容認できない苦しみと被害を心に留める」と記され、広島・長崎の被爆者に対する痛切な思いが込められていた。
 条約は、核兵器は「国際人道法に反する」としたうえで、核兵器の「開発」「保有」「使用」などの禁止をうたっている。また核兵器による「威嚇」も禁止された。核兵器による「威嚇」を禁じたことは、核保有国が核保有を正当化してきた「核による核抑止力」の行使も否定することを意味しており、当然、「核の傘」による抑止力も論理的には否定されることになる。
 条約の調印(署名)、批准、参加の受付は同年9月20日から始まり、今年7月には新たにスーダンが署名、82か国が承認した。批准まで進んでいる国は40か国を数え、50か国に達したら発効される。
 当然、多くの犠牲者を出した日本にとって、「核のない世界」はまさに夢の夢だった、はずだ。が、驚いたことに、日本政府はこの条約に反対した。日本と同じく「アメリカの核の傘」で守られている(ことに一応なっている)カナダやドイツなどのNATO加盟国や韓国、オーストラリアなども不参加を明らかにしている。なぜ日本政府は「核兵器禁止条約」に反対するのか。外務省が公表している「日本政府の見解」には、こうある。
「日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です」
 果たして、日本は本当にアメリカの「核の傘」で守られていると言えるのか。そのことを論理的に検証しよう。

●核不拡散条約の欺瞞性
 1968年6月、アメリカ・イギリス・ソ連の核保有3か国と56か国が調印して核不拡散条約(核拡散防止条約 NPT)が発効した。この条約は67年までに核を保有しているか核実験を行った米・英・仏・ソ・中の5か国にのみ核保有を認め、それ以外の国が核兵器を開発・実験・保有することを禁じている。この5か国は国連安保理の常任理事国でもある。常任理事国は拒否権を有しており、他の国連加盟国に対して圧倒的に優位なポジションにある。
 まだ、核保有が認められた5か国について、条約発効以降の新たな核兵器開発・実験・保有を禁じ、さらに核非保有国に対する核兵器の行使・核による威嚇等を禁じていれば、核拡散の抑止効果はあったと思う。
 が、核不拡散条約は、きわめて不公平な条約だった。核大国のみがさらなる核軍拡を続ける一方、核を持たない国はつねに核の脅威に怯えながら、核大国の庇護下で自国の安全保障を維持しなければならなくなった。冷戦時代の日本や韓国がその典型だった。
 おそらく、日本が核の洗礼を受けていなければ、日本国民も、国際社会から見れば異常なほどの「核アレルギー」を持っていなかっただろうし、とっくに旧ソ連や中国の核に対する抑止力として核の開発・保有に踏み切っていたはずだ。実際、米・ソ(現ロ)・中の核軍拡が激しくなるたびに、「万一の場合、本当にアメリカが核で日本を守ってくれるだろうか。日本も核開発すべきではないか」という議論がされてきた。純粋に論理的に考えれば、そういう議論が出るのは不思議でも何でもない。
 現に、核不拡散条約が成立したときは核保有国は5か国だけだったが、いまはインド、パキスタン、北朝鮮の核保有は明らかであり、イスラエルの核保有も公然の秘密と言われ、イランも核開発の疑惑を持たれている。核保有が認められている5か国が、これらの認められていない核保有国や疑惑を持たれている国に対して公平・平等に国際的制裁を加えるのであれば、核非保有国もあえて核を開発・保有する必要もない。が、肝心のアメリカが核問題に関してはえこひいきが激しいのだ。
 実際、イスラエルが持っていると思われる核に対して抑止効果を狙ったのかどうか、イスラエルと敵対関係にあるイラクのフセインが核開発を進めているかのようにふるまって(実際には事実無根だった)、イスラエルびいきのアメリカの逆鱗に触れて攻撃を受け、フセイン・イラクは崩壊した。いま、やはりイスラエルと敵対関係にあるイランが核疑惑をもたれ、アメリカの主導による国際制裁を受けている。

●「核のない世界」をつくる二つの方法
 さらに、核兵器禁止条約に反対している日本が、その理由として挙げている「北朝鮮の核」は、日本の軍事力に対抗して開発したのか。さすがに日本政府もYESとは言わないだろう。北朝鮮が、国民の大多数が飢えているのに、あえて核・ミサイル開発に力を注がざるを得ないのはアメリカの敵視政策に対抗するため以外の何物でもない。アメリカ政府から「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」とつねに罵倒されてきた北朝鮮が、アメリカの核の脅威に対抗するために核を開発する行為は、純粋に論理的に考えれば「正当防衛手段」と認めざるを得ないだろう。
 もちろん金正恩にしても、まさかアメリカと核戦争をして勝てるとは思っているまい。が、アメリカが北朝鮮を攻撃したら、北朝鮮は韓国や日本を標的にすることは間違いない。日本には「江戸の敵を長崎で討つ」という格言があるが、この意味は江戸の敵を長崎まで追いかけて討つという執念深さではなく、敵を困らせるために別の方法でやっつけるという意味だ。実は、アメリカは北朝鮮がそういう方法に出ることを一番恐れている。とくにトランプはもともと政治家ではなく、ビジネスマンというより商売人だ。おそらく自らがそういう手練手管で金もうけをしてきたはずで、だから北朝鮮の核でアメリカが被害を受けるなどとは毛頭思っていない。が、ひょんなことで北朝鮮と軍事衝突に至ったとき、北朝鮮が「江戸の敵を長崎で討つ」とばかりに韓国や日本を標的に核攻撃を仕掛け、アメリカが韓国や日本を防衛できなかったら、アメリカの威信は地に堕ちる。そうなることが一番怖いから、アメリカは何とか北朝鮮を挑発しまいと、いま必死なのだ。一方、金正恩の方も、そうしたアメリカの弱みが分かっているから逆に攻勢に出ている。いまの北朝鮮情勢は、そう見るのが最も論理的だろう。
 イラクやイラン、北朝鮮の核や核疑惑にアメリカが神経をとがらしていながら、インドやパキスタンの核には知らん顔なのも、同様にアメリカのご都合主義だ。インドが核を開発したのは、中国との間に領土紛争を抱えているからで、アメリカにとっては中国に対するけん制手段になりうるから、むしろ歓迎なのだ。またインドとの間でやはり領土紛争を抱えているパキスタンも、インドの核に対する抑止力として核を開発したのだが、パキスタンやアフガニスタンでいまだ勢力を維持しているタリバンに対する威嚇力にもなるから、アメリカにとってはかえって好都合なのだ。
 そう考えていくと、核の脅威を世界からなくす方法は二つしかない。
 一つは核兵器禁止条約にすべての国を参加させること。そのために、世界で唯一核の洗礼を受けた日本が、核廃絶のリーダーシップを発揮すること。
 もう一つの方法は、核不拡散条約を廃棄し、他国の核を脅威に感じるすべての国に抑止力としての核開発と核保有を認めること。日本は原爆の原料となるプルトニウムを大量に保有しており、核開発の技術も容易に持てるだろう。ミサイルに至ってはお手の物だ。日本にとって核ビジネスは極めて魅力的だし、すべての国が核に対する核抑止力を保有することになれば、もはや核を保有する意味がなくなる。核による威嚇外交も不可能になるし、事実上核戦争のない世界ができる。こんな、いいこと、ないではないか。


【追記】 共同通信のネット配信によれば、6日(ニューヨーク日付)、ナイジェリア・アイルランド・ニウエの3か国が国連本部に核兵器禁止条約批准書を国連に提出、批准した国・地域が43に達した。国連加盟の批准国・地域が50に達すると規定によって発行することになり、核不拡散条約との整合性が問われることになる。核不拡散条約の再検討会議は来年1月に開催されることになっているが、唯一の被爆国である日本の立ち位置が改めて問われることになる。
 私が昨日(6日)、外務省に問い合わせたところ、「核のない世界」の実現のため、まだ具体化はしていないが日本政府としては「第3の道」を模索中とのことだった。アメリカとの関係を損なわずに、核廃絶を目指すということのようだが、日本が主導してアメリカが合意できるような核廃絶の道を国際社会に提案しても、国際社会からは日本政府の独自性としては受け入れてもらえない。国際社会に見る目は「日本は事実上、アメリカの属国」であり、アメリカの代理提案としか受け止めてもらえない。
 そうした状況の中で、日本が選択すべき道は核兵器禁止条約に賛同することであり、さらに条約案に追加項目として「この条約の規定にもかかわらず、核兵器の開発・実験・保有を停止しない国は国際連合から除名する」という条文を加えることの提案である。そこまで日本政府が行ったとき、初めて国際社会は独立国としての日本の尊厳を明確に認めてくれる。(7日)

【緊急事態告発】 長崎で原爆式典が行われた9日、式典に出席した安倍総理は式典後の記者会見で、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつある中で「緊急事態宣言の再発令」について記者からの質問に、「雇用や暮らしに与える影響を考えれば、できる限り(緊急事態宣言の再発令は)避けるための取り組みを進めなければならない」と、経済政策を優先する意向を強く示した。
 が、いまの日本の感染状況は、感染対策と経済対策を両立できるような環境にあるだろうか。安倍総理は、経済対策優先の理由をこう述べた。
「4~6月期のGDPは年率換算で20%を超えるマイナス成長が予想されており、リーマン・ショックを上回る甚大な影響が見込まれる」と。
安倍総理の短絡思考は「アベノミクス」でデフレ脱却を目指したときと、まったく変わらない。アベノミクスも、「失われた20年」の原因を単純にデフレに起因すると考え、【日銀による円安誘導→輸出産業の国際競争力回復→輸出産業の設備投資と雇用拡大と賃金上昇→国内消費の拡大→国内向け産業の活性化→デフレ脱却】と【赤字国債の発行による公共投資の増大→建設業界の活性化→建設業界の雇用拡大と賃金上昇(以下同じ)】の組み合わせという単純な図式に従っただけの経済政策だった。
が、世界経済はもっと構造的に深刻な時代を迎えている。日本に限らず先進国に共通した社会現象である「少子化+高齢化社会」だ。一般には「少子高齢化」とひとくくりにして言われているが、実は「少子化」と「高齢化社会」は関連性がないとは言わないが、まったく別の問題。たまたま同時期に進行したため、ひとくくりにしてしまう傾向があるが、「少子化」は合計特殊出生率が2.0%を大幅に下回ることによって生じた、将来の生産人口(労働人口)と国内消費力の減少が予想されることを意味する言葉。一方「高齢化社会」は、国内の人口構成に占める高齢者の割合が増大し、それに伴う社会福祉財源の増加を支えきれなくなりつつある現象をさす言葉。この二つの社会現象が先進国で共通して同時に進行するという、アダム・スミスもマルクスもケインズも想定すらしなかった、人類史で初めて私たちの世代が経験している社会問題である。ケインズ経済政策で単純に克服できる問題ではない。
それと同様、新型コロナウイルスも人類が初めて経験する、まったく新しいタイプのウイルスだ。私は医学的知識はまったくないが、当初はインフルエンザと同様、季節型ウイルスで、夏場に向かえば「夏眠」してくれると思っていた(多くの感染症専門家もそう考えていたようだ)。
インフルエンザ・ウイルスと同一視するわけにはいかないなという気がしだしたのは、春を過ぎても感染拡大が収まらず、かつ流行も北半球から南半球に拡大し、どうやら新型コロナは通年型・全地球型のウイルスだということが分かってきたことによる。しかも新型コロナの場合は【感染即発症】とはならず、感染しても潜伏期間があり、かつその無症状期間でも感染力がかなり強い、非常に厄介なウイルスだということも分かってきた。このウイルスに立ち向かうには、強力なワクチンと効果的な治療薬の開発が不可欠だが、手をこまねいて待っているわけにはいかない。その間も感染はどんどん拡大しているのだから。
そうした状況で、政治が果たすべき役割は、まず感染拡大に歯止めをかけることだろう。問題は、感染拡大への歯止めのかけかただ。これを失敗すると、
経済活動は疲弊し、かつ感染に歯止めもかけられないということになる。実は4月に発令した緊急事態宣言は、(結果論であることを承知で言うが)失敗だった。結果論ではあるが、その失敗から何を学ぶかで、結果論を次の対策に生かすことができる。
 私は8月1日付のブログ『東京オリンピックの開催がほぼ絶望的になった理由――Go Toトラベルから「東京外し」をしたためだ』の最後に【コロナ禍指数】を提案した。単純に感染者数や陽性率で地域ごとの感染状況を判断するのではなく、自治体ごとにバラバラなPCR検査の実態を把握し、各自治体がどういう基準でPCR検査をしているかをまず調べ、そのうえで感染者数や陽性率に重みづけをするのが、私の言う「コロナ禍指数」である。
 これはまったくの偶然だが、分科会が同じ時期に感染対策のステップとそれに対応する指標となる指数の提案を考えていたようだ。それに対して政府側は、指数化すると、それに縛られて経済対策が柔軟にできなくなるという理由で反対したらしいが、分科会が政府を押し切ったのかどうかは不明だが、7日に6項目からなる指標を示した。が、私はこれでは不十分だと思っている。
 まず全国的に、PCR検査実施の基準を一定化することを最優先すべきだ。PCR検査をするかしないかの基準が自治体ごとにまちまちのままだと、単純に感染者数や陽性率だけしかわからず、地域ごとのきめ細かい感染状況を把握することができない。これができなかったら、感染対策も経済対策も全国一律か都道府県単位でするかの差でしかなく、どっちも中途半端になる。いや、すでに中途半端な感染対策や経済対策ばかりやってきたではないか。
 いま政治がすぐにでも手を付けることは、緊急事態宣言を全国一律に再発令することでもなければ、経済対策をやはり全国一律に行うことでもない。前にもブログで書いたが、私はGo Toトラベルは政策としては評価している。ただ皮肉なことに、安倍政権かでどうにか日本経済がもってきたのは、アベノミクスが想定していなかった「インバウンド効果」による(インバウンド効果を高めるには円高の方が有利だ)。かつての「爆買いブーム」は去ったが、コロナ禍が押し寄せるまでのインバウンドは「日本体験」をしたいという新たな観光層だ。コロナ禍で、インバウンドの受け皿ともいえる地方の観光産業が疲弊することだけは何としても避けたい、と私も考えている。が、インバウンドの受け皿を維持するためのGo Toトラベルで、地方の観光地にまで感染が広がると、コロナ禍によって地方の観光産業が致命的な打撃を受けかねない。
 だから、Go TOトラベルを今すぐ中止しろとまでは言わないが、とりあえず新規の予約は中止して、きめ細かな対策を講じたうえで再開するようにしたらどうか。いまの政府の政策は、何から何まで大雑把すぎはしないか…。(10日)

 【追記2】 非常に残念なニュースが飛び込んできた。原告84人全員に被爆者健康手帳を交付するよう命じた7月29日の広島地裁の判決に対して、松井一美・広島市長が広島高裁に控訴した。加藤厚労相と11日、Web会議をした場で、加藤氏から強い要請があったようだ。加藤氏は「黒い雨の降雨地域の範囲について最新の科学技術を用いて可能な限り調べ直すが、広島地裁の判決は最高裁判決と異なり、十分な科学的見地に基づいているとは言えない」というのが松井市長に控訴を要請した理由だという。
 が、75年前のことだ。現在の最新の科学的手法を駆使したとしても、当時の降雨地域を厳密に調べることができるのか。そんなことが可能だというなら、どうして地裁で裁判中にやらなかったのか。いたずらに高齢被爆者をさらに苦しめるだけではないか。憤りを感じる。(12日)                                                                                                       

                                                                                                      






 
 
 
 
 




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東京オリンピックの開催がほぼ絶望的になった理由――GoToトラベルから「東京外し」をしたためだ。

2020-08-01 00:45:41 | Weblog
 東京オリンピックの開催が極めて厳しくなった。7月に入って新型コロナの感染が急拡大しており、1年後に迫った東京オリンピックを無事開催できるかという懸念が高まりだしたのだ。で、一部のメディアが月例の世論調査で、オリンピック開催についても調査を行った。その結果、IOCとの間で決めたとおりに来年7月23日に開催すべきだと答えた人は圧倒的に少なかった。NHKと朝日新聞の世論調査の結果を、「予定通り開催すべき」「さらに延期すべき」「中止すべき」の順に調査結果を紹介する。
 NHK   26%(開催) 43%(延期) 31%(中止)
朝日新聞   32%(開催) 32%(延期) 29%(中止)
 実は私は7月17日、あることで東京オリンピックが夢と消えたと断言した。13日付のブログ『安倍政権は風前の灯火か? コロナ感染が拡大しつつあることを確認した。 小池・西村はどうする?』の【追記2】でこう書いた。ただ、この記事を書いたときはまだ一般に「キャンペーン」と言われていて、のちにキャンペーンの一つである「トラベル」を前倒しするという話だった。

 さて、昨日(16日)急変したことがある。Go To キャンペーンから東京発着の観光旅行を外すというのだ。Go To キャンペーンはコロナ禍でインバウンド客も国内の観光客も激減し、窮地に追い込まれている観光地のホテル・旅館などの観光関連業界を経済再生の足掛かりにすべく1兆3500億円の巨費を投じての観光支援事業である。もともとは8月に入ってからスタートする予定だったが、7月10日、赤羽国土交通層が突然記者会見で7月22日に前倒しスタートすると発表、メディアも含めて大論争になった。
というのも、緊急事態宣言解除後、いったん沈静化に成功しつつあるかに見えたコロナ対策だが、7月に入って繁華街の「夜の街」を中心にクラスターが随所で発生し、とくに東京の感染判明者が急増するなど、いわゆる「第2波」が懸念されだした中でのキャンペーン前倒しだったから、私もブログで「ばかげている」と糾弾したくらいだ。さすがに小池都知事も「(キャンペーン前倒しは)ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもの」と不快感を示していた。
とくに今週(13日以降)に入ってからコロナ感染は全国的に拡大傾向に入ったことが明らかになり、地方の知事たちから「再考」を促す声が急速に高まりだした。政府が観光事業を経済再生の足掛かりにしたいと考える気持ちは私にも理解できないわけではない。
少子高齢化が進み、生産人口(あるいは労働人口)の減少に歯止めがかからない状況の中、昨年まで日本の経済再生の柱になりつつあったインバウンド効果が、このコロナ禍で一気にしぼんでしまった。とくに客層がほとんど外国人の観光客に占められるようになったホテル・旅館も少なくなく、老舗旅館も閉館に追い込まれるところが続出し、コロナ禍が過ぎ去るまで、何とかインバウンドの受け皿を維持しておきたいと考えるのは自然ではある。
だが、コロナ禍が7月に入ってぶり返しだした時期に、なぜコロナに手を貸すようなキャンペーンの前倒しに踏み切ったのか、私は理解に苦しむ。むしろ、この時期は、何とか予定通り8月にキャンペーンを開始して経済再生の足掛かりにできるよう、緊急事態宣言を再発令して7月中にコロナを可能な限り抑え込むという政策をとるべきだったのではなかったか。
しかも、日本は中国のように情報統制ができる国ではない。敢えてキャンペーンの実施から東京を外してまで前倒しに踏み切るということは、当然世界中が知ることになる。つまり「東京は日本で最も危険な都市だ」というイメージが世界中に拡散しかねない。それが、どういう影響を生じるか。いうまでもなく、まだかすかに開催の可能性が残っている東京オリンピックにとって、昨年の19号台風のような逆風として襲ってくることを意味する。
はっきり断言する。東京外しのGo To キャンペーンを本当に7月22日からスタートさせるということは、東京オリンピックに「死」を宣告することを意味する。そういうことを意味する結果になることが、政府には分からなかったのか。(17日)

私が調べた限り、7月16日に政府がGo Toトラベルの前倒しを発表して以降、改めて東京オリンピック開催についての是非を問う世論調査を行ったのは、NHKと朝日新聞だけである。これがどれほど世界に大きな衝撃を与えたか、NHKと朝日以外のメディアは鈍感としか言いようがない。

政府の慌てふためきぶりは、メディアに登場する「顔」ぶれを見れば一目瞭然だ。まず、Go Toトラベルの前倒しと「東京外し」が公表されて大混乱が生じたころから、安倍総理の記者会見がほとんどなくなった。番記者のぶら下がり質問にも、普段なら愛想よく二言三言くらい答えるのに、まったく無言で記者たちを振り切る日が続いている(先日、久しぶりに記者会見を行ったが、「緊急事態宣言を再発令する状況にはない」と、ほんの1分ほど言いたいことだけ言って、さっさと会場から逃亡したくらいだ。
一時は経済再生担当相兼新型コロナ感染対策担当相兼全世代型社会保障改革担当相という三つの大臣職を兼任し、「政府の新しい顔」としてメディアに登場する機会が急増していた西村氏だが、彼も7月中旬以降は「出演」場面が激減してコロナ感染拡大対策についてしか発言しなくなった(だったら西村氏の肩書も「コロナ感染対策担当相」とすべきなのだが、なぜかメディアは「経済再生担当相」としている)。
一時はGo Toトラベル関係については国交省の赤羽大臣が急にメディアに登場しだし(本来は実務を担当する観光庁の蒲生長官の役割のはずだが)、その赤羽氏もGo Toトラベルの大混乱の責任を記者たちから追及されるようになると逃げ出し、一時「政府の顔」を西村氏に譲っていた感のあった菅官房長官が再びメディアに登場する機会が増えるというごたごたぶりだ。
政府が、早く社会経済活動の正常化を目指したい気持ちは私も分からないではないが、すでに述べたように感染抑止と経済活性化を両立できる政策はありえない。それを無理に両立させようとしたのか、それとも両立させようと努力しているんだというジェスチャーのためか、感染が急増した東京都をキャンペーンから除外することにした。
 そのことにメディアも野党も、また憲法学者も問題にしていないが、感染者
数の多い少ないで地域住民を差別するのは、「法の下での平等」をうたった憲法
14条に抵触するのではないかという疑問を、私は前回のブログの冒頭に急遽【緊
急告発】として追記した。

 そのことはともかく、この「東京外し」はIOCや世界各国のオリンピック委員会に大きな衝撃を与えた。当初、今年の夏に開催が予定されていた東京オリンピックだったが、世界中を襲ったコロナ禍のため、森会長率いる日本の組織委員会がIOCとすったもんだの交渉を重ね、何とか1年延期で合意に達した。IOCから1年延期の合意を取り付けるため、日本は何がなんでもコロナ禍を防いでいるという状況証拠をでっちあげるため、政府も組織委員会の言いなりにコロナ対策を放棄して(PCR検査のハードルを異常に高くしたり、感染者の受け入れ態勢の整備を意図的に怠ったりしたこと)感染者数が少ないように見せかけ、あたかも日本は安全・安心であるかのような印象を作り上げてきた。
 が、社会経済活動を、コロナ対策と両立させながら再開するという国内向けの政策アピールのために、Go Toトラベルの前倒し実施と「東京外し」という方針を打ち出したことで大騒動が生じたと言える。「東京外し」が憲法違反になる可能性についてはすでに書いたが、同時に「東京は日本で最も危険な都市」というメッセージを世界中に発信したことも意味する。
 当然、1年延期した東京オリンピック開催に対する懸念が世界中に広まった。一貫して「東京オリンピック払い夏、スケジュール通りに行う」と強気の姿勢を崩さなかった組織委員会の森会長も、NHKの取材に対して「今のような状態が続いたらできない。日本だけで判断できる問題ではない。各国・地域のオリンピック委員会がどうするのか、そしてIOCがどう判断するのか」とかなり弱気の発言をするようになった。
 こうした状況下で日本でも大きく報道されショックを与えたのが、IOCでかなりの力を持っていると目されているカナダ代表のディック・パウンド委員だ。7月20日、共同通信の取材に対し、「(東京オリンピック開催は)2021年が残された唯一のチャンスだ」と述べ、22年夏への再延期や24年パリ大会と28年ロサンゼルス大会を4年ずつ繰り下げる案には否定的な見解を示した。
 パウンド氏は、さらに21年の東京オリンピック開催が不可能になった場合、22年冬には北京の冬季オリンピックが予定されており、同じ年に夏・冬と2回もオリンピックを行うのは各国オリンピック委員会の負担が過重になり、現実的ではないとの見解も示したという。
 しかし、コロナ禍は縮小の気配を見せるどころか、むしろ日本だけでなく世界中で拡大しつつある。とくに、いったん縮小しつつあると見えた国、地域で経済活動を再開しだした国、地域が軒並みコロナ再拡大の波に襲われていることからも、新型コロナ対策が容易でないことがはっきりした。政治の都合を優先させると、かえって傷を大きくしかねないことが、今回の各国政府の対応からも明らかになった。政府は、何度同じ失敗を繰り返しても、懲りない存在のようだ。
※ 7月29日になって、Go Toトラベルの延期をめぐって政府と分科会の間で激しい対立があったことがわかった。政府は16日の分科会で東京都を除外して8月上旬にスタートさせる予定だったGo Toトラベルを前倒しして22日に開始することを決めたが、その場で分科会の尾身座長が前倒しに反対したようだが、政府に押し切られたという。(29日の衆院国土交通委員会での尾身氏の証言)
 こうして東京オリンピックは予定通り来年夏に開催するか、開催不可能となれば中止という選択肢しかない状況になった。日本側では、組織委員会の高橋治之理事が再延期も選択肢に入れるべきだと主張したようだが、たとえ再延期が可能となっても28年ロサンゼルス・オリンピックの次、32年の開催か、あるいはオリンピック施設の準備をまだほとんど始めていないだろうロサンゼルス大会を32年にずらしてもらって、28年の開催年に割り込むしか東京オリンピック開催の可能性はなくなった。
 Go Toトラベルの強行がコロナ感染の再拡大を招いたためというより、Go Toトラベルからオリンピック開催都市の東京を外したことの方が、「日本は、日本自身が日本で最も危険な都市と位置付けた東京でオリンピックを強行するというのか」という反発が世界中に広まったためと言っていいだろう。
 こうした状況になって慌てたのがIOC。調整委員会のコーツ委員長がロイター通信の取材に応じて中止論の蔓延に歯止めをかけた。
「私の直感だが、東京オリンピックは間違いなく来年開かれる」と。
 が、そんな状況ではないことは、いまのコロナ感染拡大状況を見れば、よほどの奇跡でも起きない限りコロナの感染拡大を止めることは不可能であることは誰にでもわかる。
 もし奇跡が起こるとしたら、この秋までに画期的な治療薬とワクチンが両方とも開発に成功し、かつ世界中の感染者や未感染者に提供できることが唯一の条件になる。仮に開発に成功しても、世界中にいきわたるだけの生産と流通、医療体制が構築されていなければ、来年のオリンピックには間に合わない。そう考えると、確率的にはコロナのウイルスを指で捕まえるくらい困難なことがお分かりだろう。日本だけが仮にコロナ退治に成功したとしても、オリンピック開催は無理だ。オリンピックとはそういうものだからだ。

【メディアのコロナ報道の問題】
 メディアとくに民放テレビの報道番組が、NHKと違って識者たちがいろいろな立場から意見を言うのはいいのだが、番組を面白くするためかどうかは知らないが、極論で議論し合うことが多いのが気になる。感染拡大の防止か、経済活動の正常化かの二者択一のような議論は、わかりやすいと言えばわかりやすいが、実際には0か100かではない。振り子にたとえれば、いまの政府の政策は経済活動の正常化に振り子を大きく振りすぎている。そもそも感染対策と経済対策は両立しえないのだから、緊急事態宣言発令中に冷え込んだ経済活動に軸足を置きたくなるのは分からないこともないが、緊急事態宣言発令中に冷え込んだ経済活動の状況を考えたら、一気に経済活動を活性化しようと軸足を極端に移したらどうなるか、中学生でもわかることだろう。
 もちろん政府がGo Toトラベルを前倒しでスタートさせた政策は私にも理解できないことはない。日本のGDPに占める個人消費(インバウンドも含めて)はいま約60%と言われているが、少子高齢化によって日本人の消費活動が今後増大することは期待できない。一方、日本の従来の経済成長の柱だった輸出産業は国際競争力の低下によって伸び悩んでいる。そういう状況下で、これからの日本経済の大きな柱として期待できるのがインバウンド効果だ。いまはコロナ禍でインバウンドもほとんどゼロ状態だが、人類の英知がコロナを克服したとき、肝心のインバウンドの受け皿が喪失していたら、コロナ後の経済復活も困難になる。そういう意味でGo Toトラベルを前倒しして疲弊しつつある観光産業のテコ入れをしたいと考えたのは、ごく自然である。
 が、時期が悪かった。いったん感染の勢いが収まりつつあったのだが、緊急事態宣言の解除が早すぎた。もう少し様子を見るべきだったのに、社会経済活動の正常化を急ぎすぎた。それも、東京アラートや大阪モデルのように段階的に軸足を経済政策に少しずつ移していけばよかったのだが、一気に解除してしまった。東京の小池知事も大阪の吉村知事も、国の政策にあおられたのかどうかは知らないが、やはり一気に飲食業などの規制を外してしまった。ただでさえカラオケや「夜の街」は3密営業の業種だ。これらの3密業種だけは、規制を外すべきでなかった。東京や大阪・ミナミ、沖縄などは3密業種に対して再度営業時間規制や休業要請をすることにしたが、Go Toトラベル客を受け入れる観光地も、3密業種の営業は自粛してもらうことをキャンペーン対象の条件にすべきだ。
 改めて言う。コロナ対策と経済活動は絶対に両立しえない。両立しえないからこそ、政策の軸足のコントロールが政府の能力として試されている。
 東京オリンピックの開催は、すでに述べたようにほぼ絶望的になった。そうである以上、せっかく作ったオリンピック施設の活用法をそろそろ考えておくべきだろう。

【コロナ禍指数】の提案
 メディアの報道を見ていて、本当に日本のコロナ禍の実態を解明しているのか、疑問にずっと思っていた。私はかなり前から、各都道府県の「感染率」を重視すべきだとブログで書いてきた。
 というのは、PCR検査基準が自治体によって異なり(厳密には都道府県別に検査実施基準が設けられているわけではなく、実際には市区町村ごとに検査実施基準が設けられている)、だから都道府県単位の「感染者数」だけみてコロナ禍の状態を判断するのは極めて危険だと思っていた。そのため、コロナ禍の実態を表すには「感染者数」より、PCR検査で感染が判明した人の割合の方を重視すべきだと主張してきた。
 そういう概念が、当時は一般的ではなかったので、とりあえず私は「感染率」という言葉を使ったのだが、その後、「陽性率」という言葉が一般化したので(陽性率の計算方法は、私の「感染率」の計算方法と同じ)、私も陽性率という言葉を使うようにしたし、メディアも陽性率を重要視するようになった。が、それはそれで新たな矛盾が生じたことに最近、気が付いた。

 実は私がブログで始めてコロナ問題について書いたのは3月26日付の『日本のコロナ感染数は世界水準からみて異常なほど少ないのに、なぜ小池都知事は…』である。この記事を書いたのは、前日の夜、小池氏が緊急記者会見を開き、東京都があたかも非常事態宣言前夜に直面しているかのような警告を発したからである。この記事の中で私はこう書いている。
「なぜこのタイミングで小池氏は(中略)危機感を訴えたのか? 勘ぐりたくはないが、IOCバッハ会長がそれまでのかたくなな『東京オリンピックは予定通り開催』という姿勢を大きく転換し、約1年間の延期に同意したことが緊急記者会見の伏線にあったのではないかという疑いが生じる」と。さらに、
「刑事裁判においては『疑わしきは罰せず』が原則であることは私も否定しないが、コロナ感染については「疑わしきは即検査」を原則にすべきだ。が、なぜか日本では検査を受けるためのハードルが極めて高く、実は隠れ感染者が相当数いるのではないかと私は疑っていた。小池氏の記者会見での懸念が見事に当たるようだと、今後の検査のハードルが下がることを意味するのかもしれない。そうなれば隠れ感染者が爆発的に表面化する可能性も考えられよう」(※東京都のコロナ感染者数の推移は、その通りになった。が、私は預言者ではない)
「公表されている日本のコロナ感染者数は世界各国の感染者数に比べて異常に少ない。26日(※3月)には公表感染者数は1,291人と多少増えたが、人口当たりの感染者数まで考えると、「超異常」に少ない。1億2000万人の国民がいる日本での感染比率はどのくらいになるか、皆さん電卓をたたいて計算してみてください。日本の倍の国民数のアメリカは昨日1日だけでコロナ感染による死者数は200人を超えている。日本では死者数ではなく感染者数だけでも増えたのは200人に達していない」と、書いている。この時点ではまだ「陽性率」の重要性を指摘してはいないが、「感染者数」や「死亡者数」だけ重視していると「樹を見て森を語る」誤りに陥りかねないことは明らかに認識していた。

 さらに、4月9日付の『いまなぜ「緊急事態宣言」――敢えて問う「これだけの疑問」』では、諸外国の人口に占める感染者比率や、感染者の死亡率を計算して、「PCR検査のハードルが高く重症者しか検査していなかったはずの日本で、なぜ死亡率が海外より低いのか」という疑問も呈している。ノーベル賞学者の山中教授が提唱した「ファクターXを探せ」よりはるかに私の方が早い。なお、この疑問に続けて、私はこういう疑問も呈している。
「さらに不思議なのは、直近のデータでは海外との比較である海外の感染者数1,275,104人のうち死者数は72,523人で死亡率は5.7%と、3月26日時点での死亡率より1.2%も増加している(※海外のデータはWHOだが、発表時期は厚労省より1日前)。海外では感染者数の増加に従って死亡率(※死亡者数ではない)も増えている。感染者数増加と死亡率増大の因果関係は不明だが、アメリカやイギリスなどで医療崩壊が生じ、その結果、死亡率も増大したと考えられないことはないが、日本でPCR検査のハードルを下げて「隠れ感染者」が表面化しつつあるのに、かえって死亡率が激減しているのはなぜか。安倍総理は専門家の諮問に応じて「緊急事態宣言」を出すことにしたというが、バカな専門家を1000人集めても意味がない。まず、こういう基本的な疑問に答えたうえで対策は講じるべきだろう」

 翌10日には、このブログの【追記2】で、こう書いた。この時点でPCR検査実施数を問題にしたのも、私が初めてだ。
「大病院がPCR検査の実施に後ろ向きだったのは、新型コロナの感染力が強く、感染者を病院の大部屋で他の病気で入院中の患者と一緒の部屋で治療することができなかったためではないか。日本で感染者数が海外に比べ10分の1以下と異常に少なかったのは、実は感染者が少なかったのではなくてPCR検査を極力避けてきたからではないか。私は今日、厚労省のコロナセンターに電話して、毎日感染者数だけでなくPCR検査数も公表してくれと頼んだ。そうすれば検査を受けることができた人のうち何%に陽性反応が出たかがすぐわかり、本当に感染者が増加しているのか、それとも「隠れ感染者」があぶりだされることによってあたかも感染者数が急増したかのように見えるだけなのかが一目瞭然ですぐわかる」
 4月10日には私は明確に「陽性率」の重要性を認識していた証拠だ。が、最近、感染者数や陽性率だけで日本のコロナ感染状況をうんぬんするのは危険だと思うようになった。
 すでに述べたように、PDRの実施基準が都道府県ごとどころか市区町村ごとにばらばらだからだ。たとえば、東京都に次いで人口が多い神奈川県の場合、厚労省が発表している最新のデータ(7月31日午前0時更新)によると、東京都の感染者数(累計)12,228人に対し神奈川県は2,432人に過ぎない。人口は東京1,380万人に対し神奈川は910万人だ。この数字だけみると、あたかも神奈川県はコロナ封じ込めに成功しているかに見えるが、陽性率を見ると数字の重さが逆転するのだ。
 というのはPCR検査実施数(累計)は東京182,521件(人)に対し、神奈川は17,863件でしかない。単純に陽性率を計算すると、東京は6.7%だが、神奈川はなんと13.6%になる。東京のほぼ倍の感染「大県」ということになる。それにしては神奈川県の黒岩知事は小池さんほど大騒ぎしていない。メディアも東京都の感染者数増加については熱心に報道するが、陽性率を基準にしたら神奈川県の方がよほど危険な地域だということになる。私が感染者数や陽性率だけで感染状況を判断するのは危険だと考えたのは、そのためだ。で、私が中学生並みの数学能力で考えたのが、【コロナ禍指数】という指標である。

 この先、計算方法をいろいろ考えてみたのだが、所詮私の数学能力は中学生並み。陽性率をもう一度、PCR検査実施数で割ったらどうかとか、各自治体のPCR検査基準を数値化して陽性率に乗じたらどうかとか、いろいろ考えてみたが、私の頭のなかがグルグル回りだして、そこで思考力がストップしてしまった。とても私の能力では手に負えないことだけはわかった。
 が、考え方だけは提示したので、数学が得意な人(高校生レベルで十分)なら「コロナ禍指数」を簡単に割り出す方程式はつくれるはず。ぜひ、数学が得意な高校生諸君、「コロナ禍指数」を計算する方程式を見つけてほしい。(8月1日)


※まったくの偶然だが、共同通信のネット配信で、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長が31日、政府との会合で感染状況を4段階に分類し、感染対策の指標とするよう強く求めたのに対して、首相官邸がコロナ対策が経済の足を引っ張ることを懸念、調整がつかなかったと報じた。
 私がイメージしている「コロナ禍指数」と尾身会長が考えている感染対策の具体的指標が同じかどうかは不明だが、少なくとも尾身会長をはじめとする専門家も、「感染者数」や「陽性率」を基準にした対策では間違いを犯すと危機感を抱いているようだ。共同通信の記事を引用する。

 関係者によると、尾身氏ら専門家は会合前から、指標を数値の形で示すべきだと主張。これに対し、官邸は数値化に反対した。感染拡大の勢いが止まらない中、具体的な数値を示せば政治判断の余地がなくなり、経済への深刻な影響を承知の上で緊急事態宣言を再び出さざるを得なくなる展開も想定されるためだ。4~5月の宣言発令が日本経済に与えた打撃は大きく、30日の経済財政諮問会議で委員から「再発令すれば日本は持たない」との声が上がったほど。もともと再発令に消極的だった官邸は今や「絶対に出せない」(政府関係者)との立場だ。

 共同通信の報道が事実なら、政府のコロナ対策は「一応やっています」というアリバイ作りのためのジェスチャー以外の何物でもない。おそらく尾身氏ら分科会の専門家は感染状況のレベルに応じてきめ細かな対策を講じることを考えていると思うので、そうであれば、その指標に欠かせないのが、私の主張した客観的な「コロナ禍指数」しかありえない。私は前にブログでも書いたが、厚労省に大都市(政令都市)の繁華街と住宅地、中小都市の繁華街や商店街と住宅地をアトランダムに100か所くらいコンピュータで無差別に選び、それぞれの地域でPCR検査を実施して全国の感染状況を分析し、それぞれ感染状況に応じた対策をとるべきだと申し上げてきたが、おそらく尾身氏も同様の感染対策を考えているのではないかと思う。
 が、図らずも、政府のスタンスが共同通信の報道によって明らかになってしまった。これまで政府は「感染対策と経済対策を両立させる」と主張してきたが、政府も腹の中では「両立なんか出来っこない」ことを百も承知だったのだ。(2日)



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