小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

集団的自衛権問題――全国紙5紙社説の論理的検証をする。結論から言えば、メディアは理解していない。④

2014-07-09 06:37:56 | Weblog
 なぜだかわからないが、昨日のブログの訪問者・閲覧者が激減した。東京女子医大の内紛事件を冒頭に書いたため、「今日は集団的自衛権問題をパスしたのだろう」と思われたのかもしれない。もしそうだとしたら「本題に入る前に、ちょっと書いておきたいことがある。東京女子医大の内紛に興味がない方は読み飛ばしていただいてもいい」と断り書きを書いておくべきだったと反省している。まことに申し訳ないが、そう勘違いされた方は、東京女子医大事件を書いた後、今日のブログにつながる重要なことを書いているので、改めて昨日のブログを読んでから今日のブログを読んでいただきたい。私のミスで二度手間をおかけして申し訳ないが、ほかに理由が思い当たらないので、その旨を今日のブログのまえがきとして書かせていただいた。

「日本が戦争に巻き込まれる」という誤解があります。そういったことは絶対にありません。抑止力を高め、日本の安全を守るためのものです。――安倍総理は「国民への説明」で、そう強調した。が、本当にそうだろうか。二つの問題を巧みにすり替え、一つの問題であるかのような「振り込め詐欺」もどきの説明ではないだろうか。
 確かに日米関係を日米軍事同盟化することによって一時的には戦争の抑止力が高まるかもしれない。アメリカは「日米同盟」がこれまでの片務的なものから双務的なものに代わると解釈している。だからこそ「集団的自衛権行使を憲法解釈の変更によって可能にする」という閣議決定を高く評価し、歓迎の意を表している。アメリカがそう信じ込んでいる間は、日本防衛へのスタンスは強化されるであろう。そうなれば、安倍総理が「説明」したように、日本の抑止力は一段と強化される可能性はかなり高い。
 が、その一方で「日本が戦争に巻き込まれる」というのは誤解だとも「説明」している。日本が戦争に巻き込まれることがないなら、アメリカにとって「歓迎すべきメリット」は何もないことになる。今回の閣議決定で、1972年に政府が行った答弁の中での集団的自衛権についての解釈は、「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」だった。その解釈に基づいて政府は「日本も固有の権利として保持しているが、憲法の制約によって行使できない」としたのが当時の政府見解だった。その従来の政府答弁のもととなっていた集団的自衛権解釈の変更について、閣議決定は何も触れていない。ということは集団的自衛権の解釈は従来の政府答弁を踏襲していると見なさざるを得ない。
 しかし、安倍政権は「憲法解釈の変更」によって集団的自衛権を限定つきではあるが、行使できるとした。その根拠にしたのが、安倍総理が設置した安保法制懇の報告書である。報告書は、こう述べている。

 憲法9条をめぐる憲法解釈は、戦後一貫していたわけではない。政府の憲法解釈は、終戦直後には「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」としていたのを(※これはウソ。後述)、1950年代には「自衛のための抗争は放棄していない」とした(※これもウソ。根拠が示されていない。こんな説明は、ウィキペディアだったら絶対に採用されない)。(中略)70年以降、政府は、憲法は自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じていないが、その措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものであって、憲法上許されない、との立場を示すに至り、政府の憲法解釈は、今日まで変更されていない。

 この憲法解釈の歴史的経緯についての記述は、まったくの嘘八百である。すでにそのことはブログで書いたことがあるので、読者から「今まで国民に憲法
の教育をしてこなかった。(芦田修正すら教えないから)誰も議論にしないとい
うことですね」というコメントをいただいている。で、改めて現行憲法制定過程を箇条書きで振り返っておこう。

1 46年2月8日、日本の憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)が大日本帝国憲法を多少手直しし、GHQによっていったん完全解体された日本軍の再建を明記したうえで、戦争をしたり和睦する場合は帝国議会の承認を必要とするとした原案を作成、GHQに提出した。この改正案は天皇の統帥権をはく奪することで日本が丸裸にされることを回避しようとしたためと考えられる。

2 これをGHQが却下。当時のアメリカは「リメンバー・パールハーバー」を対日戦争遂行の大義名分にしており、マッカーサーも「日本憎し」の対日感情に凝り固まっていた。当時のアメリカ国内の「リメンバー・パールハーバー」の反日感情は日系アメリカ人をも敵性米国人と見なして強制隔離政策をとり、日本の敗戦が決定的になっていた時期にもかかわらず広島・長崎に原爆を投下したほどであった。その反日感情のすさまじさはナチスのユダヤ人弾圧をさえ超えた世界戦争史上、空前のものだった。それに比べれば、今日の韓国の「リメンバー従軍慰安婦」の反日感情など赤子の空腹泣きに等しい。
 マッカーサーは日本の憲法改正に関与していたGHQのホイットニー民政局長にマッカーサー三原則を示して「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」という文言を憲法に盛り込ませるよう指示した。

3 このマッカーサーの指示に対し、ホイットニーは「自衛権まで奪うとなると、日本が独立を回復したのちの日本の防衛義務をアメリカが負い続けなければならなくなる」と反発、「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する……」という文言を憲法条文に入れることを拒否、自衛権についてはまったく触れない憲法草案を作成し、日本政府(吉田茂第1次内閣)に示した。このGHQ案は二つのチームが別個にそれぞれ日本政府と文言をすり合せながら作成したとみられる。というのは、二つのGHQ案が提示されたのは3月2日と5日で、6日には早くもGHQ案を盛り込んだ日本政府の「憲法改正草案要綱」が発表されているからだ。日本政府はGHQ草案を丸呑みしたのではない。「アメリカに押し付けられた」という「誤解」をことさらに強調している極右の人たちは、ためにする主張をしている。私は主権国家としての尊厳と責任を明記した憲法に、国民の総意で改めるべきだと考えているが、極右の人たちとは基本的立場が違う。

4 3月6日に発表された政府の憲法改正草案要綱は、大日本帝国憲法と同様、文語体で書かれていた。それを口語体に改め、多少の語句修正を施して政府原案として発表され、天皇直属の諮問機関(事実上の最高意思決定機関)である枢密院に諮詢されたのが4月17日。このときの政府原案が現行憲法のベースになったが、GHQ案と同じく戦争の放棄と戦力の不保持はうたったものの、自衛権と自衛手段については一言も触れていなかった。そのため帝国議会では自衛権と自衛手段についての与野党間の激しい論争があった。

5 枢密院がいったん政府原案を可決したため吉田内閣は6月25日に帝国議会衆議院に政府原案を上程、衆議院に「帝国憲法改正小委員会」(芦田均委員長)が設置され、政府原案に対して細部にわたる検証作業を開始した。その間も衆議院では与野党間で激しい論争が行われていた。その過程についてはウィキペディアより私が92年7月に上梓した『日本が危ない』の方が詳細なので、その個所を転記する。

 吉田首相は国会での日本進歩党・原夫次郎議員の「自衛権まで放棄するのか」との質問に答え、「第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と、明確に自衛権を否定している(6月26日)。
 この吉田答弁に猛反発したのが、今日では護憲を旗印にしている社会党と共産党。まず共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と噛みついた。吉田首相は次のように答弁した。
「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」(28日)
 社会党の森三樹二議員も「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」と主張した。これに対して吉田首相は次のように答弁した。
「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」(7月9日)

 これが国会に政府原案が上程されたときのやり取りである。このやり取りを根拠に、安保法制懇は、「憲法9条をめぐる憲法解釈は、戦後一貫していたわけではない。政府の憲法解釈は、終戦直後には『自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したとしていた』」としている。まったくの捏造説明である。この帝国議会でのやり取りの時点では、まだ新憲法は制定されていず、大日本帝国憲法がまだ有効のときである。だから、憲法改正の手続きも旧憲法の規定に沿って行われ、天皇直属の枢密院での可決と天皇の裁可が必要だった。当然、自衛権どころか天皇の統帥権すら喪失していない時で、読売新聞の捏造に匹敵するほどの悪質な歴史の捏造と言わなければならない。そこまでやらないと、安倍政権は「憲法解釈による集団的自衛権行使容認」の「正当性」を主張できなかったことを、読者はよーく頭に刻み込んでおいてほしい。
 とくにメディアは歴史認識の方法論として、フェアに検証することの意味を改めて考えてほしい。何らかの主張をしたいために、都合のいい歴史的事実の一部だけ切り取って、その「事実」をもって歴史認識の「正当性」を主張するといったやり方は、もういい加減にやめてほしい。メディアがそういうことを繰り返すから、国民も誤った歴史認識を持ちかねない。韓国や中国に付け込まれる原因を作ってきたのはメディアだという認識を持ってほしい。
 なお、この歴史の捏造は安倍総理も熟知していたはずだ。安倍総理の了解なしに、安保法制懇が勝手に歴史を捏造した報告書を提出できるわけがないからだ。それに元総理で、現在安倍内閣の閣僚でもあり、吉田茂氏の孫でもある麻生太郎氏が、祖父の回顧録を読んでいないはずもない。
 アメリカは朝鮮戦争に突入したとき、日本を独立させるための講和条約のすり合わせを行う中で、日本に再軍備を強く要請した。が、吉田首相は警察力強化のために(というのは、駐留米軍兵士は根こそぎ朝鮮戦争に動員されて、日本は丸裸状態になっていた)、警察予備隊(のち保安隊を経て自衛隊に発展)の創設こそ認めたが、本格的な再軍備は「やせ馬に重い荷物を負わせるようなもの。日本は国力を養うことが先決」として拒否している。日本のリーダーとしての重い責任をかみしめた姿勢だ。今の政治家とは重さがまるで違う。
 吉田内閣は戦後、壊滅状態に陥った日本の産業界を立て直すために、思い切った財政政策を採った。「傾斜生産方式」というのがそれで、当時の基幹産業である鉄鋼と石炭の生産力回復にすべてを注ぎ込むという財政政策を採ったのである。この大胆な財政政策を吉田首相が採っていなかったら、日本産業界復興の分岐点になった「朝鮮動乱特需」に日本産業界はありつけなかった可能性がかなり高いと私は考えている。
 吉田首相について私は、戦後日本が生んだ最高の総理だったと思っている。が、その財政政策による日本産業力の奇跡的回復を「功」とするなら、日本が独立を回復したとき、再軍備はともかく憲法改正に手を付けなかったことも再評価されるべきであろう。少なくとも憲法改正のための発議要件だけでも吉田首相はハードルを低くしておくべきだった。憲法を国民の手に取り戻し、国民の総意が反映できる憲法に改正できる状態だけは整えておくべきだった。それを怠ったのが、吉田首相の「罪」の部分である。
 NHKは今秋、吉田茂伝をドラマ化するようだが、吉田首相をヒーローとして扱うだけでなく、その「功罪」も明確にしてもらいたい。私たち国民が、憲法に対してどう向かい合うべきかの重要な歴史の検証になるからだ。
 吉田氏も、のちに回顧録『世界と日本』でこう書いている。
「それ(再軍備の拒否)は私の内閣在職時代のことだった。その後の事態にかんがみるにつれて、私は日本の防衛の現状に対して多くの疑問を抱くようになった。(中略)経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも、世界の一流に伍するようになった独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存のまま改まらないことは、いわば国家として未熟の状態にあると言ってよい」
 これ以上の説明は不要だろう。新憲法制定過程の検証に戻る。
 衆議院本会議で憲法政府原案をめぐる激しい論戦が繰り広げられている間、「帝国憲法改正小委員会」での審議は9条をめぐってマッカーサーの承認も得られ、日本が独立したときの自衛権回復の意図を盛り込むための条文修正作業が7月25日から8月20までの約1か月に13回もの会議を開いて行われた。その作業の結果、ようやく新憲法9条の修正案(いわゆる「芦田修正」)がまとまり、8月24日には衆議院本会議で芦田氏が修正の意図を説明、衆議院、貴族院の可決を経て枢密院に10月12日に諮詢、29日に天皇が裁可して11月3日に新憲法が公布され、国民に周知するための期間(6か月)を置いて翌47年5月3日に発効した。5月3日が「憲法の日」として祝日になったのは、そういう経緯で新憲法が発効に至ったからである。来年以降、5月3日は「屈辱の日」として長く国民は記憶にとどめなければならない。
 少なくとも、新憲法を天皇が裁可した46年10月29日以降、政府が憲法9条の解釈を変えたことは一度もない。言っておくが、警察予備隊が保安隊になり、自衛隊になったのは憲法解釈の変更によってではない。日本の経済発展によって防衛力の整備に多額の予算を投じることができるようになり、それに伴った自衛力の強化にふさわしい呼称に変えただけで、憲法9条の解釈とは無関係である。何を根拠に安保法制懇は歴史的事実を捏造し、また安倍総理もそのことを承知しながら、なぜ「憲法解釈変更の正当性」の根拠にしたのか。
 私は一貫して、日本が国際社会に占めている地位にふさわしい国際社会への貢献をしなければならない時期に来ていると主張している。特にアジア太平洋地域の平和と安全に日本がどういうスタンスで寄与すべきかは、国民的議論を経て国民自身が決めるべきだと主張してきた。
 私自身は、アメリカの「警察権」頼みでアジア太平洋の平和と安全を守るという過去から脱却すべきだと思っている。別にアメリカを仲間外れにしようというわけではなく、アメリカも含めてアジア太平洋諸国による集団安全保障体制の構築に、日本は全力を挙げて取り組むべきだと考えている。出来れば中国
や北朝鮮も仲間に誘いたいとすら思っている。
 その結果、アジア太平洋の平和と安全の確実性が飛躍的に高まれば、日本は仲間の国々の了解を得て、日本の戦力を本当の意味で必要最小限に抑え、浮いた防衛コストは新興国や貧しい人々に仕事と生活の機会を作ることに使う。特に、そうした国々の教育制度の充実と、それらの国が国際競争力を持てる産業の育成に全力を挙げる。
 そう日本が訴え、仲間の国々が同意してくれたら、それが私たちの親や祖父母、さらにその親たちが国際社会の平和と安全を乱した過ちの最大の償いになるのではないか。そのとき、日本は世界で最も平和で安全で、世界から尊敬される国になる。メディアは安倍総理の片棒を担いで、いたずらに国際情勢の変化による日本の安全保障の「危機」を声高に主張すべきではない。

 過去の不幸な歴史についてのフェアな検証作業はこれからも続けるべきだが、そのためには中韓といくつかの歴史的事実についてのやり取りに終始していたのでは、いつまでたっても中韓との本当の友好関係は回復しない。木を見て森を見ないような作業は歴史認識とは言えない。まず歴史認識の方法論について中韓と真摯に話し合い、日本がなぜ軍国主義に走ることになったのか、当時の国際情勢の中で日本が列強に植民地化されないために採った国家戦略が誤っていたのか、そこから歴史を検証しなければいけない。
 「世界の奇跡」と言えなくもない、ほぼ平和的に実現された政権交代の明治維新を成功させた巨大なエネルギーは、「尊王攘夷」という四字熟語だったとされている。が、実際には「尊王=攘夷」ではなく、「勤王」思想が長州藩の過激派によって「尊王」思想に転化され、それが倒幕運動につながっていった。
 そうした革命運動のいわばスタートラインは、徳川幕府が屈辱的な条件で鎖国体制を解除して列強に門戸を開いたことに対する、復古主義者たちの激しい反発として燎原の火のごとく広まった「攘夷」運動だった。その先駆けをしたのが、「勤王」を藩是としてきた水戸藩士たちだったため、「勤王」と「攘夷」が結び付き、そうして広がった「勤王攘夷」の運動(勤王派は討幕までは目指していなかった)を、京都の朝廷の有力公家たちを取り込んだ長州藩の過激派が、倒幕運動に転化すべく、巧みに「勤王」を倒幕(政権交代)を意味する「尊王」にすり替えることに成功して実現したのが明治維新である。
 司馬遼史観に汚染させていると、最大の倒幕エネルギーだった「攘夷」思想が、なぜ維新が成功した途端「煙のように消えた」のかが理解できなくなる。そもそも「煙のように消えた」ことにすら気づかないのは歴史に対する五感障碍者と言わざるを得ない。
 明治維新の真実をそう理解しないと、政権交代が実現した途端に新政権が、
革命運動のスタートラインだった「攘夷」をいとも簡単に投げ捨て、列強との友好関係を密にして列強近代国家から最新の軍事技術と最新の産業技術を導入して日本近代化への道を歩み出した理由をフェアに検証できない。
 歴史学者(司馬遼太郎氏らの歴史小説家も含めて)は、明治維新の革命エネルギーを「尊王攘夷」としながら、なぜ政権交代が成功したとたん、「攘夷」が煙のように消えたことすら検証していない。「攘夷」が煙のように消えたのはなぜか…子どもだったら間違いなく持つだろう素朴な疑問(子供が持つ疑問はものすごく論理的ですよ。既成観念に汚染されていないからです)を、なぜ彼らは持とうとしないのか。いや、「持てないのか」と書く方が正確だろう。
 言うまでもないことだが、明治政府の日本近代化戦略の合言葉は「富国強兵・殖産興業」だった。最近世界遺産としてユネスコから認められた富岡製糸場は、「殖産興業」政策の象徴だった。近代化を成し遂げた日本が、どうして列強と競って植民地獲得競争に乗り出したのか。その過程でメディアはどういう役割を果たしたのか。それを解明するのがフェアな歴史認識の方法論である。枝葉末節の些細な「事実」にこだわり続けていたら、何度も何度も新しい「河野談話」をでっち上げていかないと、中韓との友好関係を築くことができなくなってしまう。念のため、「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」といった歴史認識の方法論から脱却しないと、日本はいつまでも「一億総懺悔」を続けなければならなくなる。
 
 今日のブログの最後に、「脅威」について書く。安倍総理は中国の海洋進出とりわけ尖閣諸島近辺での軍事的挑発行為や、北朝鮮の核やミサイルを「日本の安全にとっての脅威」と感じているらしい。だから「日本を取り巻く国際情勢の変化」に対応して「集団的自衛権」の行使を憲法解釈の変更で容認したいと主張している。
 だが、日本が「集団的自衛権」を行使してアメリカとの軍事同盟を強化したら、中国や北朝鮮にとっては「無視できない重大な脅威」が生じることになる。中国や北朝鮮がその「脅威」に対抗して、さらに個別的自衛力の強化を図ることは間違いない。そのくらいのことは安倍さんも政治家だから、分かっているはずだ。「軍拡競争」はそうして拡大していくことは、歴史が証明している。「集団滝自衛権行使」の範囲の「歯止め」が、中国や北朝鮮の軍拡に応じてどんどん失われていくのは歴史の必然でもある。(続く)