小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。②

2014-07-18 06:42:08 | Weblog
 そもそも集団的自衛権についての政府の「定義」が間違っている、と私は何度もブログに書いてきた。私が集団的自衛権について初めてブログ投稿したのは昨年8月29日だったが、その時の集団的自衛権についてのウィキペディアの解説は政府の「定義」をそのまま転記した内容だった。
 私が8月29日に投稿したブログのタイトルは『安倍首相は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』である。そういうタイトルをつけたのは、集団的自衛権についての国連憲章の規定を読むと(実は国連憲章51条をこの時初めて読んだ。もしインターネットが普及していなかったら、私もわざわざ国連憲章の条項を調べるために図書館通いなどしなかった)、「自衛権」の条項に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とある。
 で、私は小学生並みの幼稚な疑問を持ったのである。「自衛権」とある以上、自国を防衛する手段(自国の戦力あるいは密接な関係にある国に自国防衛のための支援要請)を行使する権利ではないのか、と。他国が攻撃されたら、自国が攻撃されたと見なす権利など国連憲章が認めるはずがない。そもそも、第1次も第2次も世界大戦は、そういう「権利」を口実にして、列強が戦争を拡大していった。そうしたことへの反省から国連憲章は作られたはずだ。
 実は昨日ブログを投稿した後、いま一度「集団的自衛権」についてのウィキペディアの解説を読んでみた。びっくりした。私が、いかなる知識にも頼らず論理的に理解したことが、ズバリ1986年に国際司法裁判所がニカラグア事件判決において明らかにしていたのだ。私も知らなかったが、皆さんもご存じないと思うので「ニカラグア事件」についてウィキペディアで調べてみた。またびっくりした。
 この事件は1984年、ニカラグアがアメリカから受けた軍事行動が違法だとして国際司法裁判所に提訴した事件である。国際司法裁判所は、国内の裁判と異なり、訴訟を起こされた国の同意がないと裁判自体が開かれない。たとえば、韓国に武力占領されている竹島は、日本の固有の領土だが、領有権をめぐって日本が国際司法裁判所に提訴しても韓国が裁判で領有権を争うことに同意しない限り裁判は開かれない。逆に尖閣諸島の場合は、日本側が「領土問題は存在しない」という立場をとっているため、中国は国際司法裁判所に提訴できない。
 だから、ニカラグア事件でアメリカが訴訟を受けて立ったということは、相当な自信があったのだろう。あるいは訴訟に応じざるを得ない、何らかの公にできない事情があったのかもしれない。
 いずれにせよ、国際司法裁判所は1986年6月にアメリカの軍事行動の違法性とニカラグアの賠償請求権を認定したが、結局アメリカはニカラグアの賠償請求に応じず、ニカラグアはたびたび安保理に提訴したが、アメリカの拒否権の行使によって安保理もこの紛争を解決できず、なぜかニカラグアは請求を取り下げて国際司法裁判所は1991年9月26日に裁判終了を宣言した。
 が、アメリカの違法性とニカラグアへの損害賠償を命じた判決は、初めて集団的自衛権行使のための要件や武力行使禁止原則の内容について本格的な判断が下されたリーディングケースとされている。日本のケースでいえば、自衛隊の合憲性を最高裁が初めて認めた砂川判決のようなものと考えていい。
 このニカラグア事件の判決で国際司法裁判所が示した「集団的自衛権」行使についての要件は以下の二つである。
①攻撃を受けた側が個別的自衛権を行使できるケースであり、そのことを国際
 社会に表明すること。
②攻撃を受けた側が第三国に対して援助の要請をすること。
 この国際司法裁判所の判断によれば、日本は日本の領土が攻撃された場合、第三国であるアメリカに援助の要請をできる権利を、日米安全保障条約によって既に保持している。集団的自衛権とはそういう権利だということが、国際司法裁判所の判決によって確定している。
 敗訴したアメリカは、裁判のやり直しを要求していないのだから、判決の基準となった集団的自衛権は、第三国をかってに軍事援助する権利ではなく、自国が攻撃された時に(つまり判決要旨の①)、第三国に援助を要請できる権利(つまり判決要旨の②)だということが、国際的に確定したと考えてよい。
 このニカラグア事件での国際司法裁判所が下した判決を受けて、ウィキペディアの解説は、それまでの解説を一変し、こう述べている。
「冷戦期に、とくにアメリカ合衆国とソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるために武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である」
 この文章に続いてウィキペディアは、日本の「集団的自衛権」についての安倍政権の新解釈についても書いているが、残念ながら、まだ私の論理的結論には至っていない。この問題を論理的に理解するには、ウィキペディアの著者が、私のブログ『集団的自衛権問題――全国紙5紙社説の論理的検証をする。結論から言えば、メディアは理解していない』シリーズの⑥(7月11日投稿)で書いたように、「集団的自衛」の定義、「集団的自衛権」の定義、「集団的自衛権行使」の定義、を明確に区別して論理的に理解することが必要になる。
 先週から、膨大なブログを書き続けて、本当の体力の限界に達した。文字数からすると、単行本でゆうに1冊分(単行本の平均原稿量は400字×300枚)を超える分量に達した。しかもこの間、毎日フィットネスクラブでくたくたになるほど汗を流し、さらに友人たちとゴルフも2回した。よくぞ、ぶっ倒れなかったと、われながら思う。
 今日もゴルフの予定なので、今日のブログはこれ以上書いている時間的余裕がない。中途半端な終わり方で申し訳なく思うが、明日からの3連休を挟んで体力を完全に回復して、この連載ブログを締めくくりたい。
 なお私はいま係争中の事件を一つ抱えている。私が提訴した約30万円の少額訴訟だ。提訴を起こす前に相手と文書によるやり取りをしたが、そのとき相手が「提訴された場合、法律事務所に委託する」と文書で言ってきたので、私はパスモ裁判のケースを伝え、係争している相手にプロの弁護士が就き、私は素人のたった一人という場合、私には絶対に勝ち目がないということが、その後友人になった弁護士から聞いていたので、「そちらが弁護士に代理依頼をするのであれば、私も弁護士に依頼せざるを得ない。その場合、私が勝訴すれば請求金額の多少にかかわらず、訴訟費用が莫大になることをご承知おきください」と文書で返答した。
 いま提訴しているが、裁判官が無能なため2階の裁判でも判決を出せず、3回目の裁判が8月に予定されている。私は簡易裁判所の事務官に「今度の裁判で結審できないようであれば、裁判官の忌避手続きをとる」と伝えてある。
 パスモ裁判で私が負けたことを、いまだに執拗に問題にしてくる読者がいるが、負けた理由は二つある。
 被告側が5人もの大弁護団を組んで、わずか1万円程度の損害賠償請求に対して対抗してきたこと。
 またメガバンクの一つがミスで被告のクレジットカードの請求引き落とし停止の手続きを私が採ったにもかかわらず、引き落とさせてしまい、メガバンクが10日後にミスを認めて弁済したこと(通帳に記録が残っている)、さらにその事実をなぜか被告側が知り、答弁書で「すでに原告は損害金額はメガバンクから弁済を受けており、損害は解消されている」と主張した。
 この二つの要因が敗訴の真相であり、ベネッセ問題もあってメガバンクに、なぜこの事実が被告側に漏れたのかの調査・検証と、もしメガバンクのメインコンピュータが侵入されたとしたらゆるがせにできないことなので、事実の公表を私は要求している。そうしたことも重なり、心身ともに極度の疲労状態にあり、今日ゴルフを楽しんで、3連休はフィットネスクラブには通うが、じっくり体力を回復したいと思っている。(続く)