小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

無題

2014-01-27 07:08:34 | Weblog
24日21時ころ、自転車で転倒し、かなりの怪我をしました。
左手小指、薬指の裂傷で左手が使えず、顔面左側こめかみ部分の骨折で左目が眼帯でふさがれています。
そのため、いま右手人差し指1本でキーボードを打っていますが、しばらくブログ活動は休止します。
毎週月曜日には状況を報告しますので、ブログ活動再開のめどが立ちましたら、お知らせします。毎日楽しみにしてくださっている読者の方には、ご迷惑をおかけしますが、お許しください。、
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安倍総理の憲法改正への意欲は買うが「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ。③

2014-01-24 04:57:59 | Weblog
 憲法問題についての最終回である。かなり長い。明日から週末なので私もブログを休ませてもらうが、読者もじっくり読んでいただきたい。
 昨日のブログで書いたように、『日本が危ない――NI(ナショナル・アイデンティティ)のすすめ』を上梓したのは1992年7月、『忠臣蔵と西部劇』の5か月前である。この著書を読んでくれた朝日新聞の軍事ジャーナリストの権威(当時)としてテレビにもたびたび出演していた田岡俊次氏から自宅に電話をいただいた。田岡氏は「論理的にはまとまっていると思うが、危険な要素もある」と感想を述べられた。1時間以上に及ぶ議論の末、私の「日本国民が海外で、犯罪集団によってではなく国家権力によって生命の危機にさらされた場合、日本政府はどういうスタンスでこの問題に対処すべきだと田岡さんはお考えですか」と聞いたのに対し、田岡氏はしばらく沈黙した挙句「その答えは持っていない」と率直に答えられた。「平和ボケ」していると、そういう事態が現に生じていても論理的思考力が停止してしまうようだ。
 その著書のまえがきを転用する。

 正直なところ、私は湾岸戦争と旧ソ連邦の解体に直面するまで、日本の安全や防衛問題について深い関心を抱いていたわけではなかった。
 戦後40数年の間、日本は自ら軍事行動に出たこともなく、また他国から侵略されることもなく、見せかけの平和が続く中で経済的繁栄を遂げてきた。私はそういう状態が今後も長く続くに違いない、と無意識のうちに思い込んでいたのかもしれない。日本とアメリカの結びつきは政治的にも経済的にも強固であり、日米関係に突拍子もない異変が生じない限り、日本の安全は世界のどの国よりも保障されている、と信じて疑わなかった。
 だが、湾岸戦争と旧ソ連邦の解体は、そんな勝手な思い込みをアッという間に打ち砕いてしまった。
 まず湾岸戦争。イラクが突如クウェートに侵攻し、日本人141人が人質にされた。経済大国日本の海外駐在ビジネスマンが、テロリストの標的にされる事件は最近頻発しているが、いかなる犯罪とも関係のない日本人の、それも民間人の生命が他国の国家権力の手によって危機にさらされるという事態は、戦後40数年の歴史で初めてのことだった。
 このときは日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのではなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
 私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいことは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万一のことが生じたときは、日
本政府は重大な決意をもって事態に対処する」
 海部首相が内外にそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことが出来たし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。
 もちろん、そのような宣言をすれば、国会で「自衛隊の派遣を意味するものだ」と追及されたであろう。その時は、直ちに国会を解散して国民に信を問うべきであった。その結果、国民の総意が「人質にされた同胞を見殺しにしても日本は戦争に巻き込まれるべきではない」とするなら、もはや何をか言わんやである。私は日本人であることを恥じつつ、ひっそりと暮らすことにしよう。
 私の本書における基本的スタンスは、この一点にあることを、前もって明らかにしておきたい。
 もう一つの旧ソ連邦の解体は、日本にとっての安全保障とはいったい何なのか、という問題を改めて私に突き付けた。
 これまで日本の安全が、日米安保体制によって守られてきたことは、今さら多言を要さないであろう。平和憲法の理念は、私も大いに尊重しているが、「平和憲法の存在」が他国の日本侵略への野望を封じてきたわけでは決してない。
 が、旧ソ連邦の解体とCIS(独立国家共同体)の民主化が、日米安保体制崩壊への引き金になる可能性が出てきた。日本にとっては旧ソ連以外にも、日米安保体制に自国の安全を委ねざるを得ない脅威は存在するが、アメリカにとってはその理由はきわめて希薄である。日本にとっては日米安保体制の存続はいぜんとして死活の重要事だが、アメリカにとってはそうではない。CISの今後はいまだ不透明だが、エリツィンの経済改革が成功し、民生が安定化し、民主化が急速に進んだときは、アメリカが日米安保条約を破棄しようとする可能性はかなり高いと考えなければならない。(※現在は中国の軍事大国化や北朝鮮の核が極東の平和にとって重大な脅威となっており、アメリカも日米安保体制を放棄するわけにはいかない状態になっているが、私が同書を執筆していた時点では今日を予想することはだれにもできなかったと思う)
 そのとき日本は、自国の安全と防衛に対して、自ら全責任を負わなければならなくなる。
 その仮説に立って、日本の防衛政策はどうあるべきかを考えてみた。

 昨日のブログでは日本が「世界の奇跡」と言われた経済復活の足掛かりを作った吉田茂氏の“功”の部分に光を当てた。今日のブログでは“罪”の部分を検証する。
 昨日のブログで、日本が独立を回復したのは朝鮮戦争の真っ最中であり、吉田内閣の「傾斜生産方式」によって日本が産業の立て直しに成功し、朝鮮戦争の特需にありつけたことを検証した。今日は、まず日本が独立を回復したことの意味を深く掘り下げて考えてみたい。
 現行憲法が占領下において制定されたことは昨日のブログで書いた。そして第1次吉田内閣が憲法草案を国会に提出したのは1946年6月25日である。玉音放送で昭和天皇が終戦を国民に宣言したのは45年8月15日だが、日本政府が国体維持を条件にボツダム宣言の受諾を連合国に伝えたのは8月9日である。
 実は奇妙な話がある。日本政府は北方四島は日本の領土だと主張する。45年8月9日が終戦日であるなら、ソ連の北方四島占領はその後であるから国際法上も無効なはずだ。だが、終戦日が15日ということになると、その前に北方四島はソ連に占領されていたから、ソ連の戦勝獲得領土ということになる。だから日本政府が「不法占拠だ」と主張できないのはそのためである。せいぜい日本政府は日ソ中立条約の一方的破棄は国際法上許されないと主張するしかない。日本が終戦日を8月15日としている以上、北方四島がソ連によって戦争中に占領されたという事実は認めざるを得ない。こんなことを書いたら私は命を狙われるかもしれないが、論理的思考を基準にする限り、そういう結論にならざるを得ない。
 また昨日のブログで書いたように、ボツダム宣言は米英中三国首脳の名で発せられたが、宣言の作成は米英ソの三国首脳による。このブログで、この歴史の不可解を解明することは無理なので、簡単に経緯だけ書いておこう。
 日ソ中立条約が締結されたのは41年4月13日である。日本にもソ連にもそれぞれの思惑があって条約の締結に至っている。日本政府にとっては南方作戦を推進することや、アメリカとの関係悪化に備えて背後の憂いを排除しておきたかった。ソ連もドイツの侵攻が確実視されていた状況からも、日本軍に侵略されない状況を確保しておきたかった。実際、日ソ中立条約の締結によってソ連は日本の脅威を考慮する必要がなくなり、極東の兵力を根こそぎ対独戦に備えて大移動させている。
 そもそも国際間の条約とはそんな利害関係の中でしか作られないということを肝に銘じておく必要がある。歴史の検証には「たられば」の視点が絶対に欠かせないと書いたが、もしソ連が日本軍の脅威を重要視して対独戦に兵力を集中することが出来なかったら、独ソ戦争はどうなっていたかわからない。
 それでも、スターリンはボツダム宣言の作成に深くかかわっていながら、日本との中立条約のために宣言に名を連ねることを断っている。そのためボツダム宣言はトルーマン(米)・チャーチル(英)・蒋介石(中)の3首脳連名で日
本に突き付けられることになった。そしてスターリンは、日本との中立条約を
破棄できる大義名分をトルーマンに要求、トルーマンは国連憲章の名において対日参戦をソ連に要請するという形をとったのである。
 そういう経緯があるから、北方四島の返還についてアメリカは一切口出しできないし、日本も対ソ返還交渉においてアメリカのバックアップを期待できない理由がそこにある。尖閣諸島についてはアメリカは日米安保条約の対象になると中国をけん制してくれているが、それは南下政策をあらわにしている中国をけん制することがアメリカにとっての国益になるからで、アメリカの国益にならない北方四島や竹島の領有権に関しては知らんぷりだ。アメリカの日本に対する見方なんて、そんな程度だということも国民は分かっておいた方がいい。
 永世中立を宣言した国はたくさんあるが、永世中立を宣言したら平和が保障されると思っていたら、とんでもない。いちおう国際会議などで永世中立が認められたら、その国が第三国から侵略されたら永世中立を承認した国は武力で第三国を排除する義務を負うことになってはいるが、その義務を果たす国があったとしたら、義務を履行することが自国の国益に合致する場合だけである。現にベルギーやルクセンブルグはロンドン会議で永世中立を承認されたが、ドイツに侵略されたとき、ロンドン会議で永世中立を承認した国のうちのどの国も軍事的支援を行わなかった。スイスが永世中立を維持できているのは障害者以外は例外を認めない徴兵制があり、かつ兵役義務を果たしたのちもスイス国民は他国から侵略された場合、直ちに兵役に復帰する義務を負っており、また自宅やグループ単位で武器弾薬を保管して備えを万全にしているからだ。独立国家としての誇りと尊厳は、文章では守れない。
 そうした現実を考えるとき、日本が連合国に占領されていた間は、日本を防衛する義務は連合国側にあり、だからそのことを前提にして憲法9条が設けられたという認識を国民すべてが共有する必要がある。「平和憲法があったから、戦後の日本は戦争に巻き込まれなかった」などという幻想をばらまくことは、日本がベルギーやルクセンブルグのようなことになることを国民に事実として知らせたうえで、そういう主張が国民から支持されるなら、それはそれで国民の総意による選択だから、私は何も言わない。
 実は占領下において現行憲法は制定されたが、GHQが勝手に日本国憲法を作って日本に押し付けたわけでもない。GHQが憲法の各条文についてどこまで関与したかは、憲法学者たちが様々な資料を検証し、いろいろな説も出ているが、最終的には日本の国会で可決されたことは事実であり、また国会で可決されたのちに国民投票が行われたという事実もなければ、日本国民が承認して成立した憲法ではないことも紛れもない事実である。
 私に言わせれば、現行憲法はGHQから押し付けられたとか、押し付けられてはいないとかの議論はどうでもいいことなのだ。はっきりしていることは、現行憲法は独立国の憲法でもなければ、国民の審判も仰いでいないという動かしがたい事実だけである。憲法9条にどの程度GHQの意向が反映されたかは、憲法学者たちが趣味の世界で勝手に騒いでくれていればいいことで、国会でどういう議論があったかだけを検証しておく。
 実は憲法9条に真っ向から反対したのは社会党と共産党だった。『日本が危ない』で国会での審議について検証したので転用する。

 吉田首相は国会での日本進歩党・原夫次郎議員の「自衛権まで放棄するのか」との質問に答え、「(9条)第2項に置いて一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と、明確に自衛権を否定している(46年6月26日)。
 この吉田答弁に猛反発したのが、今日では護憲を旗印にしている社会党と共産党。まず共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と噛みついた。吉田首相は次のように答弁した。
「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争の多くは国家の防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」(6月28日)
 社会党の森三樹二議員も「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」と主張した。これに対しては吉田首相は次のように答弁した。
「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する侵犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」(7月9日)
 それから40数年の星霜を経て、「平和憲法」に対する政府・自民党の考え方と、社会党や共産党などいわゆる護憲勢力の主張は180度逆転してしまった。歴史のパラドックスはしばしば皮肉な結果を生むことがある。

 かくして現行憲法は自衛権についての曖昧さを残したまま46年11月3日に公布され、半年後の47年5月3日から施行された。こうした経緯で5月3日が憲法記念日というのは、なんとなく「それでいいの ?」と言いたくなるような気分がする。
 果たせるかな、日本に戦後最大の危機が突然やってきた。朝鮮戦争の勃発である。
 あれっ、昨日は朝鮮戦争で日本は経済復活の足掛かりを作ったと書いたのでは…と思われる方もいるだろう。確かにそう書いた。だけど、昨日は吉田総理の“功”の部分として日本経済復活の足掛かりとなった(ただし結果論)「傾斜
生産方式」について書いたが、今日のブログは“罪”の部分について書くと、あらかじめお断りしておいたはずだ。
 占領下での憲法で、日本が自衛権すら放棄したのはやむを得ない面もあった。GHQの日本への制裁は厳しく、日本を農業国家に逆戻りさせようとした気配も確実にあった。そうした方針について米政府内で批判が巻き起こったことも昨日のブログで書いている。GHQは軍事技術につながりかねない民間用の航空機の開発生産まで禁じたくらいだから、そうした状況下で吉田内閣が自衛権すら否定する憲法解釈をしたのは、米軍が日本に駐留して日本の防衛を肩代わりしてくれている間に経済の立て直しに全力を注ごうという意図があったのは疑いを容れない。
 吉田総理の国会答弁を改めて見直すと、「ほとんどの戦争は防衛を口実にしている」というのも事実だし、いまでも先の大戦は「自衛のためのやむをえざる戦争だった」と主張する人もいるくらいで、もともとは自衛のためにやむを得ず戦火を交えることになった結果、予想以上に大勝して侵略戦争に化した例は世界史を紐解くとごまんとある。たとえば織田信長が桶狭間で今川義元率いる大軍勢を破った戦争は紛れもなく「自衛権の行使」であったが、勝利したことによって信長は侵略者になっていった。戦争の本質は今も昔も変わらない。
 憲法制定の3年後に勃発した朝鮮戦争によって、日本はどういう状況に直面したか。私は『日本が危ない』でこう書いた。

 アメリカは大バクチを打つことにした。日本占領軍を根こそぎ(朝鮮半島に)動員することにしたのだ。
 当時、日本にはアメリカ陸軍四個師団が占領軍として日本各地に駐屯していた。その四個師団を、国連軍最高司令官のマッカーサー元帥は次々に朝鮮半島に投入していった。日本は、たちまち丸裸になってしまった。平和憲法の理念はいいが、理想だけでは国は守れない、という冷たい現実に日本国民は直面した。
 この戦後最大の危機を無事に凌げたことは、今から考えると、やはり僥倖というしかないであろう。マッカーサー率いるGHQは朝鮮戦争勃発の直前、レッドパージを指令、共産主義者に対する弾圧を強めていた。これによって共産勢力の力が急速に衰えたことが、日本への共産革命の飛び火を結果的に防いだ。またソ連軍もヨーロッパに釘づけにされていて、日本に革命を輸出するだけの余力がなかった。もちろん中国は北朝鮮への支援で手一杯だった。こうした「偶然」が、丸裸になった日本を辛うじて支えたのであって、平和憲法の理想が日本を戦火から防いでくれたわけではないのである。

 安倍総理は、今日の中韓の反日感情の高まりや北朝鮮の軍事的脅威に対する国民の意識の変化を利用して憲法改正に取り組もうとしているが、政治というものははそういうものだと言われてしまえばそれまでだが、私はいくばくかの寂しさを抱かざるを得ない。
 なぜ安倍総理は吉田総理が、独立を回復した時点で現行憲法無効を宣言せず、日本の防衛をアメリカ任せにして経済再建にのみ総力を挙げざるをえなかったのかという、当時の日本が置かれていた状況を説明し、その後、憲法解釈の変更に次ぐ変更でつぎはぎだらけの防衛体制を整えざるをえなかったこと、それも限界に達していること、そもそも自衛隊の存在そのものが厳密には憲法違反であることを率直に国民に訴え、現行憲法が制定された当時は日本が占領下に置かれていたという特殊事情もあったこと、日本が独立を回復した時点で本来なら憲法を改正すべきだったことを粘り強く国民に訴えれば、いまの日本国民の認識力レベルの高さから考えても十分理解が得られるはずだ。
 確かに、日本が独立を回復した時点では、アメリカが日本を防共の砦として日本の安全を保障することがアメリカ自身の国益にかなっていたし、吉田総理がアメリカに日本防衛を委ねて経済復活の総力を挙げたことはやむを得なかった面もあると私は考えている。だが、当時の日本の国際社会に占めていた地位と現在とでは雲泥の差がある。
 人口数で日本の10倍はある中国にGDP(国内総生産)こそ抜かれて世界第3位になってはいるが、国際社会に占める日本の地位の高さに見合う責任と義務を、国際社会に対して負うべき状況に日本が直面していることを訴えれば、日本国民は間違いなく理解する。日本人の民度はそこまで高まっていることに、安倍総理は国家の事実上の元首として誇りを持ってもらいたい。
 私は前にブログで「消費税増税を国民が支持したことは世界に例を見ないことだ」と書いたが、日本人が豊かさを実感できない状況下でも社会保障の充実のためにはやむを得ないと受け入れたことからも、日本国民の民度は世界に誇れるほど高くなっていることを安倍総理は自覚してもらいたい。
 そのうえですでに日本は「集団的自衛権」をいつでも日本は行使できる状態にあることを明確にして、従来の政府解釈が間違っていたことを国民に謝罪してほしい。また日米安保条約は細い糸のような危ういものに過ぎないことを明白にし、日本が他国から侵略を受けた場合、日本の集団的自衛権の行使に、アメリカが日米安保条約に基づいて、日本防衛のための軍事的支援を確実にさせるための「保険」として、日米安保条約を現在の片務的な規定から双務的な規定に変更する必要があることを国民に訴えるべきだろう。
 日本の国は日本自身が自分の力で守ることが独立国としての当然の責務であり、安倍総理は、独立国家としての責務を果たすべく、また世界の平和に貢献すべく、今日の日本が占めている国際的地位にふさわしい責務を果たせるような憲法に改めなければならない、ということを心の底から国民に訴えて欲しい。
 政府解釈によれば自衛隊は「専守防衛」にとどめなければならないことになっている。専守防衛とは、敵国の攻撃が開始されてから軍事行動を行使できること、戦力の保有と軍事力の行使は自衛に必要な最小限度にとどめること、敵国の軍事基地などへの攻撃は行わないこととされている。果たしてそういう制約の中で自衛隊は本当に日本を防衛できるのだろうか。子供にも理解できるたとえで検証してみる。
 個人の格闘技に剣道やフェンシングがある。柔道やボクシングも格闘技ではあるが、武器は使わないので、武器を使用する格闘技に絞って検証したい。
 もし剣道やフェンシングで、一方が専守防衛を義務付けられたら果たしてまともに戦えるだろうか。剣道やフェンシングで専守防衛を義務付けられた選手は相手を攻撃できないから、もっぱら自分が持っている武器(剣道の場合は竹刀、フェンシングの場合はフルーレ、エペ、サーブルの3種類)を、相手を攻撃する用途には使えず、相手の攻撃を防ぐための道具としてしか使用できないことを意味する。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」ということわざがあるが、どんなに力の差があっても相手が専守防衛だと分かっていれば攻撃側は自分を守ることを考えずに相手を攻めることが出来るのだから、大人と子供くらいの力量の差がないかぎり相手の攻撃を防ぐことはできない。
 日本が自衛隊が保持できる戦力と、戦力の行使の範囲を専守防衛にとどめてきたのは、日本がアメリカを勝手に同盟国と思い込み(安倍首相は間違いなくそう思っていない。だからこそ真の同盟関係を構築するために政治生命をかけている。ただ集団的自衛権について従来の誤った政府解釈が安倍総理の判断を誤らせただけだ)、「いざ鎌倉」というときはアメリカが助けてくれると信じ込んでいたことによる。アメリカにとって、間違いなく同盟国と言えるのは、たぶんイギリスだけだろう。
 やはり戦国時代を思い起こせば、織田信長と徳川家康は攻守同盟を結んでいた。その攻守同盟に基づいて織田軍が窮地に陥った時、家康は援軍を派遣した。だが、徳川軍が窮地に陥り信長に援軍を求めたとき、信長はすぐには援軍を派遣しなかった。この事実をもって後世の歴史小説家は「信長は冷たい、家康は律儀」といった人物像を作り上げてきた。だが、そうした人物観では解釈できない歴史的事実も豊富にある。そして、自分が描きたい人物像を正当化するために、そうした事実をネグってきた代表的歴史小説家が司馬遼太郎氏である。信長が援軍を出し渋ったのは、それなりの事情があったからで、だから直面していた問題が解決した時点で援軍を急いで出している。一方、家康のほうはそうした事情がなかったうえ、信長との力関係を少しでも有利な方向に動かしたいという思惑があったためと考えられる。歴史的事実の検証とは、そういう目線でいろいろな事実の裏に潜む当事者の思惑を合理的に忖度することでなければならない。
 そういう目線で、吉田総理がなぜ、サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約に調印したのかと考えることが必要であり、そう考えると吉田総理が朝鮮戦争の勃発によって傾斜生産方式という経済政策が実を結びつつある状況を絶好の好機として、さらに経済復興に総力を注ぐことを目的に、日本の防衛をアメリカに全面的に委任するという、独立国の誇りも尊厳も失うことを意味する日米安全保障条約をアメリカとの間に取り交わし、占領下において制定された憲法を温存した理由も忖度できようというものだ。
 一方、アメリカも共産主義勢力の南下を食い止めるため、考えようによっては割に合わない安保条約を結んだのは、日本が共産化したら、太平洋を隔ててアメリカ本国が共産主義勢力の脅威をまともに受けることになるという計算が裏にあった。だから、朝鮮戦争が予想外に長引き、北朝鮮軍の手強さ(中国が人海戦術で北朝鮮軍を支援したことも見逃せないが)に手こずり、すでに書いたように日本各地に駐屯していた米陸軍四個師団をすべて朝鮮半島に投入して日本を丸裸にしてしまったことからも、アメリカの国益が日本の防衛より朝鮮半島の共産化を防ぐほうにあると判断したら、日本を見捨てることをためらわないのだ。
 実際、この判断を下したマッカーサー総司令官はのちに『回想録』でこう書いている。
「ところで(在日米軍を根こそぎ朝鮮半島に投入した場合)日本はどうなるのか、私の第一義的責任は日本にあり、ワシントンからの最新の指令も『韓国の防衛を優先させた結果、日本の防衛を危険にさらすことがあってはならない』と強調していた。日本を丸裸にして、北方からのソ連の侵入を誘発しないだろうか。敵性国家が日本を奪取しようとする試みを防ぐため、現地部隊をつくる必要があるのではないか」
 吉田総理の“罪”の部分について、私は『日本が危ない』で、日本が独立を果たし、吉田内閣が日米安保条約の国会での承認を求めたときの状況をこう検証している。その検証記述の見出しは「憲法改正へのたった一回のチャンス」である。この記述の転用をもって憲法問題の連載ブログを終える。

 旧安保条約は、前文及び五つの条文から成り立っているが、そのポイントは以下のとおりである。
 日本は武装解除されているため固有の自衛権を行使できる有効な手段を持っ
ていない。しかし無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないため、日本は自国防衛のための暫定措置として、日本に対する武力攻撃を阻止するために米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを希望する。アメリカは安全と平和のために、自国軍隊を日本国内およびその付近に維持する意思がある。
 旧安保条約によれば、駐留米軍は「極東における国際平和と安全に寄与する」ため、また「外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱および騒擾を鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するため使用することができる」となっていた。この条文は一見、米軍が日本の防衛のために駐留するかのごとき印象を与えるが、実はそうではない。条文の草案段階では「もっぱら日本の防衛を目的とする」という表現でいったん合意していたのを、アメリカ政府が「日本の安全に寄与することを目的とする」に変更するよう強く主張し、日本政府がやむなくアメリカ側主張をのんだという経緯がある。
 その結果、日本側には駐兵受入れの義務があるのに、アメリカは日本の防衛についての明確な義務を負わなくて済むことになった。在日米軍の義務はせいぜいのところ「日本の安全に寄与する」ことであった。つまり、日本防衛の主体は日本側にあることが、この表現によって明確にされたのである。実際旧安保の前文には「(日本が)直接および間接の侵略に対する自国の防衛のため、漸増的に自ら責任を負うことを(アメリカは)期待する」と明記されており、警察予備隊(※自衛隊の前身)の枠組みを超えた軍事力の整備を図らなければならないという重い責任が日本政府にのしかかったのである。
 そしてこのような旧安保条約の片手落ちさが、左右両翼から厳しく批判されることになる。社会党が「対米従属だ」として反対したのは当然のことながら、憲法解釈で「自衛権の行使は許される」とした芦田氏(※実は憲法9条2項の原案には「前項の目的を達するため」という文章が入っていなかった。それに噛み付いたのが芦田均議員で「この原案のままだと、いかなる戦力も無条件に保持しないことになってしまう」とクレームを付けて原案を修正させた。いわゆる「芦田修正」である)も、「日米安保は日本の安全だけでなくアメリカにも利するところが大きいのに、ひたすら日本の懇請に基づいたようになっている」「米軍に日本の治安を頼むような内容になっているが、これは吉田首相のいう民族の自負心と矛盾しないか」「日本が自ら防衛責任を負えるようになるため、アメリカに対して経済援助の戸口をたたく従来の態度をやめ、軍事援助の戸口をたたいて再軍備すべきではないのか」と、吉田内閣に迫ったのである。
 吉田首相はこれに対し「当面は国力の回復を図ることと、民主主義日本を世界に印象づけることが大切だ」とのみ答えた。(中略)
 この安保条約を批准した国会では、憲法論議はほとんど行われなかった。旧
安保には日本自身の手による防衛責任が明確にうたわれていたのに、それと憲法第9条との整合性を問題にする政党はなかった。せめて芦田氏が自分の憲法解釈へのこだわりを捨て、自衛権をも否定した吉田答弁との矛盾をあくまで追求していたら、この時点で憲法を改正することは可能だったと思われる。(中略)
 この時期の保守と革新の力関係からすれば(※旧安保条約の採決は衆院で賛成289票、反対71票の大差で、参院でも147対76の大差で可決した)、憲法を改正し、第9条の条文に「ただし日本国と日本国民の安全を守る自衛のための戦力の保持と、そのやむをえざる行使については否定するものではない」という一文を付け加えることができたであろう。そうしていれば、際限のない憲法の拡大解釈によってその場しのぎの帳尻合わせをしていくという歴代自民党政府の無様さは回避できたであろう。まさに旧安保を批准したときが憲法改正の千載一遇のチャンスであり、そしてこのようなチャンスは二度と訪れることはなかった。(※念のため、『日本が危ない』の上梓は1992年7月である)
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安倍総理の憲法改正への意欲は買うが「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ。②

2014-01-23 06:07:16 | Weblog
 1951年9月8日、当時の吉田茂総理は米サンフランシスコで連合国と平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)と、アメリカとの間に日米安全保障条約を締結した。本来なら、この瞬間、占領下において施行されてきた現行憲法は無効になっていなければおかしかった。吉田内閣は独立国家としての尊厳を明確にした新憲法案を策定し、国会で審議を尽くして可決したうえで、国民に信を問うべきであった。
 現行憲法の第96条に憲法改正の要件として衆参両院の各議員総数の3分の2以上の賛成で国会が発議でき、国民の審判を仰ぐ必要があると定められており、憲法改正は容易でない。ゆえに日本国憲法は「硬性憲法」と呼ばれている。
 しかし、占領下においても日本政府はいちおう存在した。だが、国会は疑似「立法機関」に過ぎず、事実上重要な政策はGHQが決め、国会はそれを容認するための存在でしかなかった。私は『忠臣蔵と西部劇』でGHQの対日占領政策を以下のように分析している。

 日本の行政は、平等主義という点では共産圏以上に社会主義的である。だが、水面下には様々な強者優先のルールが隠されていて、いざという時は行き過ぎた平等主義とのバランスを取るため、水面下のルールが発動される仕組みになっている。(野村証券などが行っていた)大口投資家への損失補てんも、このような類の水面下の業界ルールであった。そして水面下の業界ルールの存在が、商行為における日本的信頼関係のベースになっているのである。
 したがって、バブル崩壊による株価暴落という緊急事態が生じると、たちまちにして強者優先のルールが発動される。水面下のルールだけを取り上げれば、そのルールは強者優先の論理に貫かれているから、きわめてアンフェアなものに見える。
 しかし、そのようなアンフェアなルールが水面下で存続してきたのは、水面上のルールがあまりにも硬直した形式平等主義でおおわれているためだ。そして日本の官庁(とくに大蔵・農水・建設・文部)は、この形式平等主義を錦の御旗に掲げて関連業界に君臨し、自由競争による実質平等主義の実現を妨げてきた。
 そして、日本の行政に形式平等主義が根づいてしまったのは、敗戦で焦土と化した日本に乗り込んできたGHQが行った民主化政策の結果であった。
 江戸時代までの日本は農業国であったが、明治維新以降は富国強兵・殖産興業の二大政策を柱として近代工業立国を目指した。それが行き過ぎた軍国主義を生み、アジアに覇を唱えようとしてアメリカと衝突、まったく勝ち目のない戦争に突入してすべてを失う。
 GHQは農地解放・労働民主化・財閥解体・独占企業の分割(三井物産は約
220社に、三菱商事も約140社に分割された)など、強力に経済民主化を推進した。政治家や軍人だけでなく、大企業経営者も次々に公職から追放され、独占禁止法や過度経済力集中排除法なども制定された。
 だが、この時期のGHQの占領政策の基本は、日本経済の民主的再建をバックアップしようというものでは必ずしもなかった。むしろ、日本の工業力を徹底的に骨抜きにし、農業国に先祖帰りさせてしまおうという報復的色彩が強かった。現に、産業民主化政策と並行してGHQは、日本工業力の再建を不可能にするような対日賠償計画を立てていたのである。
 戦争末期、日本の主要工業地帯はB29の爆撃によってほとんど壊滅状態に陥っていた。終戦直後の日本の工業水準はナベやカマの生産さえ覚束ない状態まで後退していたが、幸いにして戦火から免れた生産設備・機械類が多少残っていた。それらの設備・機械類を根こそぎアジア諸国に移してしまおうというのがGHQの対日賠償計画であった。この計画が実施されていたら、朝鮮戦争特需を引き金とする日本経済の奇跡的復興はありえなかったであろう。
 しかし、東西冷戦の激化がGHQの占領政策を急転換させる。
 ソ連軍によって「解放」された東欧諸国は次々と共産化していったが、アジアでも共産主義の嵐が吹きまくった。北朝鮮には金日成政権が生まれ(46年2月)、中国でも毛沢東の支配が固まった(49年10月)。このような国際環境の激変によって、GHQの占領政策は根本的な見直しを迫られる。米政府の基本方針が、日本への共産革命の波及を防ぎ、日本と韓国をアジアにおける防共の砦にしようという方向で固まったからである。
 47年8月、賠償政策の見直しのため来日したストライク調査団は、「軍需施設を除く生産施設まで撤去してしまうと、日本自立の可能性が失われ、かえって米政府の負担が増大するだろう」と警告、続いて来日したドレーバー使節団も、日本の経済復興に必要な生産設備を賠償対象から外すようGHQに勧告した。
 また米政府内では、GHQの対日占領政策に対する批判が強まった。「GHQは民主化の美名のもとに、日本の産業を破壊しようとしている」と、民主化政策の行き過ぎを問題にしたのである。
 事ここに至って、GHQも政策転換を余儀なくされた。厳しい賠償計画を中止し、財閥解体や追放の緩和、過度経済力集中排除法の適用緩和に踏み切らざるをえなくなった。(中略)
 結局、GHQの民主化政策は、財閥解体や追放など行き過ぎた面を軌道修正しただけで、日本経済の構造的歪み(※『忠臣蔵と西部劇』は、日本経済の構造的歪みを明らかにするために書いた著書だが、その再検証はいずれまたブログで書きたいと思うが、このブログは現行憲法の問題点を提起することが目的なので触れない)には、まったく手を付けない中途半端なものにとどまった。
 さて戦後日本経済の最大の課題は、悪性インフレの克服であった。
 インフレの基本的要因は、需要と供給のアンバランスにある。供給が需要に追い付かないと、モノの値段は市場原理で高騰する。供給量を増やすためには、設備投資によって生産活動を刺激する必要があるが、そのための資金は通貨の増発によるしかない。またインフレ対策で従業員の賃金を増やそうとすれば、それも通貨の増発を招く。生産量が増えないのに通貨供給量が増大すれば通貨の価値が下落し、インフレがますます進む。まさにイタチごっこである(現在のロシア経済がそういう状態になっている)。
※この記述は1996年のものであることをお断りしておく。現在安倍総理は通貨の無制限の増発(それを金融緩和という)によって円の価値を下落させてデフレ脱却を図ろうとしているが、インターネットの普及が従来の経済理論を過去のものにしてしまっていることにまだ気が付いていない。インターネットは経済理論に限らず、世界のあらゆる既成の価値観を破壊しつつあり、いずれ現代は産業革命に並ぶ「インターネット革命」の時代と位置付けられるだろう。すでにアメリカでは『ニューズウィーク』が活字メディアからネットメディアに転換しているが、日本の新聞社は従業員と販売店を守るため、電子版のほうの値段を高くしている。いったい新聞はだれのために存在するのか、すっかり忘れているようだ。実はデフレの原因は円高というより、インターネットによる価格破壊が進んだ結果と考えるべきなのに、金融緩和によってデフレを脱却しようという経済政策は一時的なカンフル注射的効果はあっても、根本的なデフレ対策にはならなかったことが早晩明らかになるだろう。
 46年2月、篠原内閣は新円切り替えによって通貨供給量を減らそうとした。日銀が新しい紙幣(新円)を発行し、旧円との交換は1人100円まで、残りは強制的に預金させることにしたのである。だが、モラトリアム(預金封鎖)によってもインフレは収まらず、国民の生活をさらに窮地に追い込んだだけであった。
 一方、生産力の回復についてもいろいろ試みられた。吉田内閣(第1次)は46年10月、復興金融金庫法を公布し日本興業銀行を通じて産業融資を開始したが、かえってインフレを促進した(いわゆる復金インフレ)。
 いわば、八方ふさがりの中で日本経済は縮小再生産の危機に直面した。この危機を突破するため吉田内閣は“傾斜生産方式”を採用する。
※これが吉田茂氏の”功”の部分。この経済政策が成功していなければ日本産業界は朝鮮戦争特需にありつけなかった。経済学者たちは「朝鮮戦争特需で日本経済は“世界の奇跡”と言われる経済復興の足掛かりをつかんだ」と結果解釈しているが、吉田内閣の“傾斜生産方式”が成功していなければ、日本産業は間違いなく朝鮮戦争特需にありつけなかった。が、経済復興を最重要視したことにより占領下に制定された憲法を廃棄して、独立回復後に独立国家としての尊厳を取り戻すことを放棄したことが“罪”の部分。この厳然たる事実を憲法論議のベースに据えないと、憲法問題はいつまでたっても解決しない。この“罪”の部分については明日のブログで明らかにする。
 傾斜生産方式とは、資源(資金及び原材料)を特定の基幹産業に重点的に配分、その産業の生産物をさらに重点的に配分することにより、経済全体への波及効果を生み出そうというもので、具体的には重油を鉄鋼産業に重点的に配分して鉄鋼を増産し、鉄鋼製品を石炭産業に重点的に配分して石炭の増産を図り、さらに石炭を鉄鋼に重点的に投入していこうという政策である。つまり、鉄と石炭という工業原動力を相互循環的に拡大再生産させることで、経済再建の足掛かりを築こうというわけだった。
 しかし、生産力は一気には回復しない。そのためインフレは勢いを弱めはしたが、依然として続いた。
※そうした状況下で勃発したのが朝鮮戦争である。朝鮮戦争が勃発していなかったら吉田内閣の経済政策は空中分解していた可能性は否定できない。そのことにも経済学者たちは気づいていない。日本社会の「縦割り」構造は行政分野だけではない。経済学者は経済政策と結果、ケインズなどの経済理論との関連・検証しか視野に入れていない。吉田内閣の経済政策が結果的に日本経済の奇跡的復興の足掛かりを作ったという結果解釈しかできないのは、複眼的視点で経済政策を考えようとしないからだ。
 朝鮮半島に戦火が生じたのは、そんな状況下の1950年6月25日である(※日本がサンフランシスコ講和条約に調印して独立を回復したのは翌51年9月8日である。このことが非常に重大な意味を持つので記憶にとどめておいてほしい)。
 朝鮮戦争は53年7月27日の休戦協定まで3年余も続いた。その間、日本経済は特需景気に沸き、金属・機械・化学肥料・繊維を中心に輸出が急増した。その結果、外貨保有高は朝鮮戦争勃発前の49年末2億ドルから51年末9億4000万ドルへと大幅に増加した。
 特需の総額は、日本駐留の米兵の個人消費まで含めると約36億ドルと見積もられている。特需の増大により、アメリカの対日援助は51年6月末ですべて打ち切られたが、それまでの援助総額が約30億ドルだったから、特需が日本経済の再建にいかに貢献したかが理解できよう。
 日本経済はよみがえり、戦後ずっと赤字経営を続けてきた主要産業も軒並み黒字に転じた。
 また、朝鮮戦争は日本の講和・独立も促進した。
 
 いま、注釈を加えながら、21年余前に上梓した我が著書を転用しながら、感
慨深いものを感じるのは、当時の私の文章はいまのブログの文章よりかなり短
文だったのだなぁ、ということである。そして「吉田茂」「傾斜生産方式」をキーワードに検索したが、「吉田茂」では傾斜生産方式に触れた記事はなく、「傾斜生産方式」では朝鮮戦争特需や日本の独立回復や憲法問題との関連についての記述はない。インターネットがなかった時代に、国会図書館に通いつめながら、よくぞここまで分析した、と自分で自分をほめてやりたい。ただ同書はサブタイトルに「日米経済摩擦を解決するカギ」とあるように、アメリカでジャパン・バッシングの嵐が吹き荒れる中で、経済摩擦が生じるに至った日本の戦後経済の歩みの検証と、日米経済摩擦を解消するための方策を書くことが目的だったため、憲法問題にはあえて触れなかった。というより憲法問題を基本に日本の安全はいかにして守らねばならないかという視点で『日本が危ない――NI(ナショナル・アイデンティティ)のすすめ』と題した本を半年ほど前に上梓していたため、『忠臣蔵と西部劇』では日米経済摩擦の根っこにあるパーセプション・ギャップに相違に焦点を当てた。「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」日本人の特質は、ほんの30年ほど前にはアメリカでジャパン・バッシングの嵐が吹きあれ(現在の中韓のような状態)、「日本は異質だ」と村八分にされかかったことをすっかり忘れているようだ。また独立国でありながら、日本は自らの国の防衛の基本をアメリカに「おんぶにだっこ」してきたことに対しても、アメリカでは「安保ただ乗り」批判が巻き起こり、日本の防衛政策に大きな影響を与えたことも日本人はすっかり忘れているようだ。(続く)

 


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安倍総理の憲法改正への意欲は買うが、「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ。①

2014-01-22 06:35:55 | Weblog
 最初に私のスタンスを明らかにしておく。私の基本的立場は現行憲法無効論である。従って護憲派でもなければ改憲派でもない。現行憲法は無効なのだから、国会で十分憲法論議を尽くしたうえで新憲法草案を策定し国民の審判を仰いで新憲法を制定すべきだ、というのが私の基本的立場である。自民党が公表している改正案も、事実上現行憲法の一部改正ではないから結果的には私が主張する手続きと同じプロセスが必要になるが、基本的スタンスが違う。
 とりあえず、現行日本国憲法が制定されたプロセスを検証しておこう。 
 1945年7月にドイツ・ベルリン郊外のボツダムで開かれた米(トルーマン大統領)英(チャーチル首相)ソ(スターリン書記長)三国首脳会談で合意し、中華民国の蒋介石主席の合意を得て、26日に米英中三国首脳の名で無条件降伏を求める「ボツダム宣言」を日本に突き付け、米トルーマン大統領が戦争の早期終結のためという口実で広島・長崎に原爆を投下したことにより、日本政府もボツダム宣言を受け入れざるをえなくなった。その日が1945年8月15日ということになっている。が、実際には長崎に原爆が投下された直後の午前2時半、政府は御前会議を開いて国体維持を条件にボツダム宣言を受諾することを決議し、連合国に申し入れ、海外放送でもその旨を発表している。が、その日に終戦に至らなかったのはボツダム宣言が「無条件降伏」を要求していたため、ソ連はこの申し入れを無視して攻撃の手を緩めず、多くの日本兵を拘束し(のちシベリアに抑留)、北方四島も占領してしまう結果を招く。
 すこし話が横道になるが、トルーマンは世界史上最大級の戦争犯罪者だと私は考えている。そもそもボツダム会議に対日戦争当事者でもなく、日本と中立条約を結んでいたソ連の首脳であるスターリンを招いたのは、激しく抵抗する日本軍に手を焼いて、ソ連を連合国側に巻き込んで日本を早期に降伏させることが目的だった。原爆はすでに開発を終えており、いつでも投下できる状態にあった。だから、人的被害を最小限にとどめる小さな島に原爆を投下して、「無条件降伏しなければ皇居に原爆を投下するぞ」と日本政府を脅せば、その時点で戦争は終結していた。
 が、トルーマンはソ連に日ソ中立条約を破棄させることで、戦争は終結できると考え、スターリンをボツダム会議に呼んだのである。だが、米英ソの三国連名でボツダム宣言を日本に突き付けるわけにはいかず(まだその時点ではソ連が名を連ねる名目がなかった。「盗人にも三分の理あり」ではないが、イラクがクウェートに突然侵攻したのもイラクなりの「正当な理由」があったし、アメリカがベトナム内戦への軍事介入に踏み切ったのも南ベトナム政府の要請があったからである。)、日本軍と熾烈な戦いを行っていた中華民国の蒋介石・国民政府国家主席に呼びかけて米英中の三国首脳の名でボツダム宣言を発表したという経緯がある。
 スターリンにとっては、トルーマンの要請はまさに「タナボタ」だった。スターリンとしてはドイツと日本の挟み撃ちにされてはかなわないという思惑で日ソ中立条約を締結しており(日本も中国侵略戦争の背後からソ連の脅威を除いておきたいという意図があった)、ドイツの脅威が消滅した時点で日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告をしたくてたまらなかったが、肝心の中立条約破棄の名目が立てられなかった。だからトルーマンの対日参戦要請はまさに「渡りに船」だったのだ。日本側としても、ソ連の「裏切り」は当然織り込み済みだった。だから満州国のソ連との国境には相当の兵力を配備してはいた。
 ここから先は推測の域を出ないが、もしソ連が連合国軍の一翼として対日参戦に踏み切った場合、日本本土での地上戦になったらアメリカよりソ連のほうがはるかに有利だ。海空軍は米軍が圧倒していても、地上戦となるとソ連軍のほうが地の利がある。おそらく米政府内で、トルーマンがスターリンに対日参戦を要請したことに対する厳しい批判があったのではないだろうか。だから日本政府がボツダム宣言を「黙殺する」と発表した8月5日の翌日に広島に原爆を投下して、ソ連が参戦する前に日本政府にボツダム宣言を受け入れるよう促したのだと思う。が、それでも日本政府は降伏しなかった。バカというより、気が狂った判断としか言いようがない。
 アメリカの原爆投下作戦と、それにも日本が降伏しないのを見てスターリンがこのチャンスを逃すわけがなかった。トルーマンの要請を受けて「大義名分」を得たスターリンは背後の憂いがなくなったことで、極東(ソ連にとっては)の兵力を着々と整えていた。そしてついに8日、対日宣戦布告を発して関東軍と戦火を交える。ソ連の参戦であわてたのがトルーマン。翌9日には長崎に2発目の原爆を投下して日本の息の根を止めた。この日、日本政府は御前会議を開いて国体維持を条件にボツダム宣言の受諾を連合国に通知する。が、国内では極秘とされ、15日正午に玉音放送で終戦が公にされたが、それまでの間に北方四島はソ連軍に占領された。
 いったい、この時期日本政府の中でどういう動きがあったのか、今となっては検証のしようがないのかもしれないが、しかるべき資料が見つかったら『日本がボツダム宣言を受諾した日からの6日間』という題名のノンフィクションを書いてみたいとは思っている。
 これまで私は何度もブログに書いてきたが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」はつねに歴史認識を左右する基軸なのだ。日本軍の「些細な」非人道的行為が戦後70年近くになっても中韓から非難され続けるのは仕方がないことなのだ。スポーツに「たられば」は禁句だが、歴史認識はつねに「たられば」を頭の片隅に置いて検証していかないと、先の大戦の教訓を後世に残すことはできない。
 ともあれ、日本政府は原爆投下によってボツダム宣言の受け入れを決定し、連合軍の占領下におかれた。連合軍ということになってはいるが、事実上連合軍らしきことが行われたのは「東京裁判」だけである。実際に日本を占領下に置いたのはマッカーサー総司令官をトップに抱いたGHQだった。
 GHQが日本を占領下において行ったことの数々はいろいろな形で検証されており、私も『忠臣蔵と西部劇』と題した著作で一部検証したが、現行日本国憲法はそういう状況下で制定されたことを念頭に置くことが、憲法改正問題を論じる場合のスタート・ラインでなければならない、と私は思っている。その場合、GHQに押し付けられたとか、憲法の条文は日本人が書いたか書かなかったかとか、いちいちGHQにお伺いを立てたか立てなかったか、といった論争は私に言わせれば愚の骨頂である。
 そもそも護憲派だけでなく、多くの日本人が現行憲法を「平和憲法」だと思い込んでいる(たとえばNHKで理事待遇まで昇り詰めたアナウンサーは「日本のこれから」の司会をしているが、無意識かどうかは不明だが何の疑問も持たずに「平和憲法」なる思想的表現を乱発している)ことの無意味さをここでまず明らかにしておこう。共産党や旧社会党だけでなく、それほど左翼的思想に染まっているとは思えない市民団体ですら「日本が戦後、平和を維持できたには憲法9条があるからです。憲法9条を守りましょう」と街頭で道行く人たちに呼びかけ、署名活動をしているが、その人たちにお尋ねしたい。「あなたはアメリカの憲法の1か条でも知っていますか。そもそも学校でアメリカに限らず外国の憲法の1か条でも教わりましたか」と。「日本人がアメリカの憲法の1か条も知らないのに、外国の人たちが日本の憲法9条を知っているはずがないでしょう」と。「日本は平和憲法を守っている国だから、日本を侵略してはいけませんといった学校教育をしている国がどこにありますか」と。「日本はかつてこんなひどいことをした国だから、日本に気を許してはいけませんよ、という学校教育をしている国はありませんか」と。「戦後、日本が平和でいられたのは、日米安保条約によってもし日本が侵略を受けたら、日本を防衛するために米軍がしゃしゃり出てくることを各国政府は知っているからではないんですか」と。
 だが、米軍だっていざとなったら当てにはできない。現に日本固有の領土である竹島が韓国に占領されても、日本政府は口先の抗議しかできない。日本政府は「占領されている」とは口が裂けても言わないが、「実効支配」とは占領のことである。自衛隊が竹島を奪還すべく軍事行動に出ても米軍は間違いなく日本の軍事行動にストップをかけてくる。北方領土にしても同じだ。尖閣諸島に関してはアメリカ政府はいまのところ「日米安保条約の対象になる」と言ってくれてはいるが、米中関係次第でスタンスがどう変わるか、わかったものではない。
 そもそも日本政府やマスコミは日米関係について勝手に「同盟国」と位置付けているが、「同盟」関係とは「攻守同盟」のことであり、アメリカにとって同盟国と確実に言えるのはイギリスだけだと思う。少なくともケネディ駐日大使が着任したときの第一声は「日本とのパートナーシップを大切にしたい」だった。つまり、アメリカにとって日本は単に友好国のワン・オブ・ゼムに過ぎないということを頭に叩き込んでおく必要がある。安倍総理が必至になって日米関係を同盟関係に一歩でも近づけようと努力していることは、私もこれまでの総理にできなかったことを成し遂げようとしているという意味においては高く評価しているが、「集団的自衛権の行使」についての憲法解釈変更が無意味であることに気づいたのであれば、「積極的平和主義」などというわけの分からない新概念を強調するより、現行憲法がどういう状況下で制定され、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復したにもかかわらず、独立国家としての「自分の国は自分で守る」「生まれ変わった日本が国際社会の中で果たさなければならない義務と責任は何か」という国家の尊厳を明確に盛り込んだ新憲法案を作成し、国民の審判を仰がなかったのはなぜか――それを明らかにして憲法論議を国民と一緒に行うべきではないだろうか。(続く)

 
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都知事選の火ぶたが切られた。細川・小泉陣営が無理やり「脱原発」を争点にしようというのは疑問だ。

2014-01-20 04:29:21 | Weblog
 細川護煕元首相が「脱原発」をスローガンに都知事選に出馬し、小泉純一郎元首相が応援団長を買って出たおかげで、いったんは「お蔵入り」になっていた小泉氏の脱原発論の検証記事が投稿できるようになった。今更当時書いた記事を書きなおすのもどうかと思われるので、そのまま投稿する。そのため、今回は「である」調ではなく、「です・ます」調の文体のままで投稿することをご容赦願う。
 なお、その前に前回のブログで読者に出した問題について述べておきたい。残何ながら今回も読者からのコメントはなかった。問題はこうだった。
「子供の頃、家での生活は苦しく、両親や兄弟から暴力を振るわれて育った少年が凶悪犯罪を犯した場合、弁護士は裁判で、恵まれなかった子供時代の出来事をことさらに強調して情状の酌量を求めるケースが少なくない。さて、この弁護士の弁護方針は正しいだろうか」
 この問題は難問だったと思う。前回の台形の面積の計算を公式を使わずに解く方法を文章で書け、という問題よりはるかに難問である。おそらく最高裁判事、最高検検事、弁護士会会長でも、この問題を解く事は出来なかったと思う。しかし、答えを明かしてしまうと簡単なのだ。もちろん、読者が予想していたように「正しくない」のではあるが、「間違っている」わけでもない。
 弁護士は被告の利益を図る職責がある。わたしは「被告の利益」は量刑を軽くすることではないと考えている。犯行に至る被告のねじまがった精神(その原因には同情すべき要素を認めたとしても)を自らの努力によって矯正し、社会人が一般的に求められる最低限の人間性やモラルを自覚できるようにする教育と、一般社会に戻った時に社会が必要とする仕事ができるだけの能力を身に付けさせるだけの十分な期間と、そうした教育体制を整備することを裁判官に求めたうえで、量刑は「無期懲役」を要求する――それが弁護方針でなければならない、というのが私が考えた正解である。
 この場合の「無期」は犯罪者を立ち直らせるための期間だから、個人差によって期間をあらかじめ定めることはできない。そういう目的の「無期懲役」であれば被害者や被害者の遺族も納得するであろうし、被告も裁判官が「無期」の意味を懇切丁寧に説明し、「無期ということは1か月後かもしれないし、30年後かもしれない。あるいは一生、刑務所の中で過ごさなければならないかもしれない。被告が心から悔い改め、社会から受け入れられる人物となって1日も早く出所できるよう、命がけで犯罪を犯した時の自分と向き合う生活を刑務所の中で過ごしてください」――そう諭せば、被告も自己更生を心の底から誓うに違いない。これが私の出した正解である。
 少なくとも、この程度の犯罪だったら「懲役15年の刑でも10年たったから仮釈放にする」といった先例主義で簡単に社会に復帰させてしまうと、再犯率が高くなるのは当たり前の話だ。だから私は無期懲役は「不定期刑」とし、犯罪の悪質性にかかわらず被告の更生状態をよく観察したうえで、「予備社会復帰期間」を設け、予備社会復帰期間に職を見つけ(そのためには公的機関が就職先をあっせんすることを義務付ける)、社会人として十分に生活していけることを確認したのち正式な釈放とするのが、再犯率を大幅に軽減することにつながると思う。
 他方、死刑を選択せざるを得ないほど悪質で更生の見込みのない犯罪者に対しては「仮釈放を認めない終身刑」を新たな量刑として設けたらどうかと思う。被害者の遺族のなかにも「簡単に死なれてたまるか。一生刑務所の中で自分が犯した罪と向かい合ってほしい」と願う遺族は少なくないと聞く。少なくとも「他人を道連れにして死刑になりたい」などという身勝手な犯罪はなくなる。私は人道的立場からの死刑廃止論者ではないが、死刑制度の継続より「仮釈放を認めない終身刑」を死刑に代わる最高の量刑として設けたほうが、凶悪犯罪抑止力の効果が大きいのではないかと思う。
 
 ついでに1月8日に投稿したブログ『安倍総理の靖国神社参拝はなぜ国内外から袋叩きにあったのか。「説明すれば分かってもらえる」が虚しい』の補足を付け加えておきたい。
 これは靖国神社問題を論じたジャーナリストや歴史家たちがまったく気づいていない重要な視点である(ただし朝日新聞お客様オフィスとNHKふれあいセンターには電話で伝えてある。読売新聞読者センターには伝えるつもりはない)。
 靖国神社はA級戦犯を合祀した理由について、「お国の犠牲になった人たち」という解釈で、戦死者と同等に扱うことにしたことは、あまねく知られている。どう解釈しようと、それは自由と言えば自由だが、それなら沖縄で集団自決に追い込まれた人たちを、靖国神社は合祀したのだろうか。「お国の犠牲になった」という意味では、死刑になったA級戦犯よりはるかに重たい。朝日新聞お客様オフィスに調べてもらったが、少なくとも朝日新聞がそういう「事実」を記事にしたことはないようだ。おそらく読売新聞もそうだろう。第一、靖国神社が沖縄で集団自決に追い込まれた人たちを合祀していれば、当然公表していたであろうし、マスコミがそれを無視することはありえない。ということは、靖国神社がA級戦犯を合祀した理由付け(お国のために犠牲になった人たちだから戦死者と同等に扱うことにしたという説明)が根底から覆ることを意味する。このことを指摘したのは、たぶん日本人で私が初めてだと思う。もしどなたか先人が靖国神社の説明がまやかしでしかないことを告発していたら、小泉首相も安倍総理も靖国神社参拝を見送っていたに違いない。
 では、小泉純一郎氏の「脱原発」論の検証記事を墓場から掘り出すことにする。すでに書いたが、書いた当時の「です・ます」調のままで投稿する。したがってこの記事は細川元総理の都知事選出馬は当然視野に入っていないことをお断りしておく。

 小泉純一郎元首相の発言が自民党内で波紋を呼んでいますね。もちろん「脱原発」の主張です。
 元首相の「脱原発」論の趣旨は、「核のゴミ(※放射性廃棄物)の捨て場がないのに、このまま原発依存を続けるべきではない」という、至極もっともな話です。
 確かに元首相の主張には多くの国民が同感しているようですし、私も理想論としては理解できます。
 でも、原発が核のゴミを排出し続け、その捨て場がないことは、小泉氏が自民党の総裁で、かつ郵政民営化を実現した首相時代にすでに分かっていたことではないでしょうか。彼が首相だった時代に、その絶大な権力を駆使して「脱原発」論を主張したのであったら、国民の大多数は大喝采をおくっていたかもしれません。しかし、それなら、なぜ絶大な権力を握っていた首相時代に「脱原発」を訴えようとしなかったのでしょうか。
 話がちょっと飛びますが、実は私は2度の石油ショックは日本産業界にとって「神風」だったと考えています。若い人たちはご存じないでしょうが、石油ショックは日本経済を根底から揺さぶる大事件でした。
 最初の石油ショックは1973年10月に勃発した第4次中東戦争を契機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国のうちペルシャ湾岸の6か国が原油価格を一気に70%上げると発表し、それを可能にするため原油の協調生産縮小に踏み切ったことによって生じました。それまで日本は高度経済成長を続けていたのですが、原油の輸入をほとんど中東諸国に頼っていた日本は大変なピンチに襲われました。実際翌74年には日本の消費者物価は23%も上昇し、狂乱物価という造語が流行語になったほどだったのです。また大手企業(おもに商社)が石油とあまり関係のないものまで「もっと騰がる、もっと騰がる」と買占め・売り惜しみに走り、スーパーなどの店頭からトイレットペーパーや洗剤が姿を消すような事態にもなりました。
 2度目の石油ショックは6年後の79年で、イラン革命が勃発し、イランに大量の原油輸入を依存していた日本は大打撃を受けたのです。さらにOPECはこの機に乗じて14.5%の再値上げを行い、日本経済は戦後最大の危機を迎えました。
 しかし結果論と言えば結果論になるかもしれませんが、この2度の石油ショックが日本産業界にとっては「神風」になったのです。そのことに日本の経済学者はだれもまだ気づいていないようですが、私は1992年11月に祥伝社から上梓した『忠臣蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』と題した著書の中でこう述べでいます。

 結果論ではあるが、石油ショックは日本経済にとって神風となった。石油消費量の99.7%を輸入に依存する日本産業界は、石油ショックを機に“脱石油„“省エネ省力„の技術革新に全力を挙げる。それまでは、米欧先端技術の後追いに終始してきた日本が、この時期の技術革新によって世界に冠たるハイテク工業国への地歩を固めることに成功したのである。

 私は別に自分の論理的分析力を自慢したくて「石油ショックが実は日本にとっては神風になった」という歴史認識を書いたわけではありません。
 実はこの時期、日本産業界は脱石油・省エネ省力を実現するための技術的旗印を高々と掲げたのです。
 その旗印が「軽薄短小」でした。いまでは死語になってしまいましたが。
 軽くする・薄くする・短くする・小さくする――その技術を開発するために日本の産業界は総力を傾けたのです。そしてその技術革新の中心を担ったのがエレクトロニクスだったのです。この時期技術的にも世界のトップを走っていたアメリカは、国産石油が需要の50%前後を賄っていましたから日本ほどの打撃を受けず、たとえば車でもガソリンをがぶ飲みする大型車中心の開発生産体制を転換しませんでした。その結果、世界の技術開発のリーダーの地位を日本に奪われることになったのです。
 つまり私が言いたいことは、“脱原発„を目指すなら、石油ショックを契機に「軽薄短小」という技術革新の旗印を見つけることによってエレクトロニクスの技術革新に成功したように、脱原発のための技術革新の旗印を見つけないと、いかに正論であっても所詮「絵に描いた餅」に終わってしまうということなのです。
 確かに核のゴミの処分は現実的な問題として日本人の肩に重くのしかかっています。その問題を解決する方法は二つしかありません。
 一つは核のゴミの画期的な処分方法を開発することです。それに成功すれば原発は日本のエネルギー問題をほぼ永遠に解決できるでしょう。もちろん福島のようなケースは今後もありうるわけで、原発そのものの安全性を飛躍的に高めることが前提にはなりますが。
 もう一つは原発に代わる代替エネルギーを開発することです。そして今のところ代替エネルギーとして最も有力視されているのは太陽光発電です。しかし私に言わせれば「有力視」ではなく、まだ遠い将来の「夢物語」の域を出ていません。従来の延長線上でどんなに技術開発を行っても、絶対に太陽光発電は原発の代替エネルギーになりえないのです。
 その最大の理由は発電コストの差にあります。総合エネルギー調査会の試算(2011年3月)によると、発電コスト(円/kwh)は原子力が5~6、石炭火力が5~7、LNG火力が6~7、石油火力が14~17、水力(小規模を除く)が8~13に対して太陽光は37~46とべらぼうに高いのです。ただしこれは稼働時における発電コストの試算(つまりランニング・コスト)で、原子力の場合核のゴミの処理コストは見込まれていません。だから反原発派は政府系の総合エネルギー調査会の試算はインチキだと主張しているのですが、日本の電力料金体系は発電に要するランニング・コストをベースにしていますから、現に原発が1基も稼働していない現在、電力料金はうなぎのぼりに高騰し続けています。太陽光発電のランニング・コストが原子力に対抗できないのは歴然としており、少なくとも現在はあまり実用的な原発に代わる代替発電方法とは言えないと考えるのが論理的でしょう。小泉氏のような精神主義で、画期的な脱原発技術が開発できるわけではありません。
 日本では再生可能エネルギー(太陽光発電だけでなく風力、地熱、バイオマスなども含む)は電力会社に対し固定価格買取を義務付けています。その固定価格は太陽光発電コストに多少上乗せして、「太陽光発電は儲かる」という計算方法で決められています。そうしないと太陽光発電が普及しないからです。しかし太陽光発電のコストは原子力の7~8倍もの価格差がありますから、太陽光発電が普及すればするほど電気料金は高くならざるを得ないのです。元首相は「政府が明確に方針転換をすれば大多数の国民は納得してくれる」と主張していますが、果たして日本人はそれほどお人好しでしょうか。
 ちなみに固定価格買取制度をいち早く導入して世界で最も太陽光発電が普及しているドイツのケースを見てみましょう。
 ドイツが固定価格買取制度を導入したのは1990年ですが、急速に普及して現在は電気供給量に占める太陽光発電のシェアは3%に達しています(日本は現在約1%)。そのためドイツは電気料金が猛烈に高騰し、国民が固定価格買取制に猛反発、政府もこの制度の廃止に追い込まれました。その結果太陽光発電は儲からないということになり、市場は一気に冷え込んでしまっています。ドイツでは今後、新規の太陽光発電装置の設置は皆無になるとみられています。小泉元首相はドイツの太陽光発電の実態をご存知でしょうか。知らないわけはないと思いますけどね。
 太陽光発電のランニング・コストが高いのはいくつかの理由がありますが、最大のネックは太陽光のエネルギーを電気に変換するモジュール(一般的にはソーラーパネルと言われています)の変換効率が悪すぎるからです。モジュールの主要構成要素であるソーラーパネルの材料はアモルファスシリコンが主流ですが、現在の太陽光エネルギーの電気変換効率は5~18%とされています。この大きな差はモジュールの性能の差というより立地条件の差によって生じています。世界各国の年間日照時間の比較データはないようですが、少なくとも緯度から見るとドイツに比べ、日本は決して有利な立地ではないのです。シェア3%で破たんしたドイツの固定価格買取制度から考えても、日本も数年のうちに固定価格買取制度の廃止に追い込まれることは必至です。
 固定価格買取制度を維持できなくなるほど太陽光発電が普及したとしても、太陽光発電による電気の供給はドイツの例から考えて全供給量の3%を超えることはないでしょう。いったいその程度の供給量で、脱原発が可能になるのでしょうか。子供でも分かりますよね。
 小泉氏が、橋本龍太郎氏と闘った自民党総裁選で叫んだことはたった二つでした。
「自民党が変わらなければ、私が自民党をぶっ壊す」
「私の政策を批判するものはすべて抵抗勢力だ」
 この、中身がまったくないスローガンが、しかし全国の自民党員の共感をかち取ってしまいました。国会議員による投票に先立って行われた各都道府県の自民党員による投票で小泉氏が空前の圧勝をしたため、橋本氏はバンザイしてしまったのです。
 確かに小泉氏は人の心をわしづかみする天才的アジテータでした。しかし、それ以上でもなければ、それ以下でもない政治家に過ぎません。郵政民営化にしても中途半端でした。ヤマト運輸がメール便で郵便物のシェアを伸ばしてはいますが、信書や書留、内容証明、配達証明、特別送達など、民間企業になっても日本郵政が独占しているドル箱事業には手を付けることが出来ませんでした。ま、もっとも、ヤマト運輸の配達人のタチの悪さから考えても、差し当たってはやむを得ない処置だったとは思っていますが。
 それはともかく、現在のアモルファスシリコンによるモジュールでは太陽光エネルギーの変換効率を大幅にアップすることは不可能なのです。少なくとも変換効率が70~80%くらいの画期的な新材料が発明されるまでは太陽光発電が原発にとって代わることはできません。
 また変換効率が70~80%のモジュールが開発されたとしても太陽光エネルギーを電気エネルギーに変換できるのは太陽が顔を出している時間帯だけですから、これまた画期的な蓄電池が開発されなければ太陽光エネルギーを有効に活用することはできないのです。
 そういう要素を考えると、もちろん太陽光発電の研究開発には官民が総力を挙げて取り組むべきですが、いまエネルギー政策を転換する云々という段階ではないことは明らかでしょう。小泉人気はいまだ高いのですが、あまり調子に乗りすぎて国民を惑わすようなことは公言しない方がいいと思いますよ。

 以上が、小泉元総理が突如言い出した「脱原発論」の空っぽの中身である。まだ、福島原発事故の直後に、「これからの日本のエネルギー政策の中心軸は“脱原発”の技術革新の推進に方向転換すべきだ」と主張したのであれば、私も大いに評価していたが、いまだに高い「小泉人気」にあぐらをかいて無責任にも
「脱原発」だけでなく「東京オリンピック返上」すら都知事選で公約しかねな
い細川氏の応援団長を買って出るとは、「お年を召されましたな」と言うしかない。
 それにしても民主主義とは何かを、また考えさせられる都知事選ではある。かつて美濃部亮吉都知事時代のばらまき福祉政策はいまだに残滓を引きずっている。たとえば障害者への手当は東京都民がもっとも優遇されている。また70歳になると私鉄(JRも含む)を除く公共交通機関(すべてのバスや都営地下鉄)は低所得者(貧困層ではない。どんなに資産を持っていても収入が年金受給程度までの所得層まで含む)は1年間たった1000円でフリーに乗降できる信じがたい優遇制度もある。
 都に、そこまでばらまける余裕があるのなら、「大企業や高額所得者が都に納めている税金(都税)の一部でも東日本大震災の復興や、福島原発事故による被害者も含めて東北の人たちの生活支援に使わせてください」と訴える立候補者が一人もいないのは、さびしいかぎりである。都税は都民のためにしか使わないと言うのなら、国は東京都の固定資産税を大幅にアップしたり、東京都には特別消費税として税率を大幅増税すればよい。そうなると都民はアメリカのように(アメリカの消費税は州で異なる)、消費税が安い都外に買い出しに行くようになり、地方の経済活性化にも貢献できる。国にもそのくらい柔軟な発想が必要ではないだろうか。

 明日から、読売新聞読者センターとの戦いの経緯を長期連載する予定で、すでに3回分の記事は書き終えていたが、昨19日の自民党大会で安倍総理が「集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈の変更」をどうやら私のブログで引っ込めたようで、代わりにまだ中身が明らかにされていない「積極的平和主義」と憲法改正に本格的に取り組む姿勢を明らかにしたので、急きょ予定を変更して憲法改正問題について、日ごろから感じていたことを書くことにする。
 ただ、憲法問題は、私は5月3日の憲法記念日の直前にブログ投稿する予定でいたので、原稿はまだ1行も書いていない。また今日のブログが実数で約7800字に達しており、かなりの長文になったので、明日21日はブログ投稿は休みにさせていただきたい。22日に憲法問題についての私の見解をブログ投稿するつもりでいる。1回で終わるか、連載になるか、これから考える。

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法務省官僚と国会が世論とマスコミに屈服して、とんでもない法律を作ってしまった。 ⑤

2014-01-17 06:00:39 | Weblog
 さてこの長い連載ブログ記事も今日で間違いなく終える。
 私がネット検索で調べた結果分かったことは、日本の(日本だけではないと思うが)裁判での判決は間違いなくその時点の世論の動向を反映しているということである。まず日本の確定死刑囚(最高裁で死刑が確定した囚人)の推移を見てみよう。
1950年代(1950~1959年.以下同様)   232人(年平均23.2人)
1960年代   154人(15.4人)
1970年代   50人(5人)
1980年代   41人(4.1人)
1990年代   47人(4.7人)
2000~2004年   20人(4人)
2005~2009年   82人(16.4人)
2010~2013年(4年間)   49人(12.25人)
この間の無期懲役確定囚についての公的記録がないようで、どなたか奇特な方が2012年と13年の2年間だけ新聞報道などを頼りに調べられた数字がある。わずか2年間の、それも新聞報道を頼りにということなので世論の動向との関連性をうんぬんできないが、参考までに引用しておこう。
2012年   17人
2013年   22人
 死刑確定囚の推移をご覧になって(すでにお調べになった読者もいると思うが)、ちょっとびっくりされたのではないだろうか。私自身も正直びっくりした。予想していた以上に裁判官や裁判員は世論を反映した量刑を科しているな、という感じが否めない。50年代、60年代の死刑確定囚が70年以降04年までと比べて異常に多いのはおそらく戦後の混乱がまだ収まっていず、凶悪犯罪を抑え込むための「見せしめ判決」で極刑が多くなったのではないかと考えられる。が、70年代以降22世紀初頭までは死刑確定囚が大幅に減少している。この時代になって戦後の混乱が急速に終止符を打ったとは考えにくいので、量刑の目的が②の「反省の機会を与え、社会復帰への努力を促す」に重心が移っていったのではないかと考えられる。また「死刑廃止」運動が活発化していったのもこの時代だったように思う。ここまで書いて私は「死刑廃止」を検索することにした。
 その結果分かったことは死刑廃止論は私が予測していた通り法理論での主張ではなく人道的主張など感情論がほとんどだと言っても過言ではないということだった。私は量刑の目的は三つあるということを最初から主張している。私は法曹家ではないが人道的主張としてではなく①の「社会的制裁」、②の「犯罪抑止力」の観点からしか死刑問題は考えない。私は別に死刑制度を全面的に肯定しているわけではないが、かつて法務省の刑法担当者に死刑より「仮釈放を認めない終身刑」のほうが「社会的制裁」としても「犯罪抑止力」としても有効ではないかという疑問をぶつけたことがある。法務省の方は「死刑と無期懲役の量刑の差が大きすぎるという観点から中間に終身刑を設けるべきだという議論はあり、法務省としても検討すべき事項として考えていますが、そういう観点からのご指摘は初めてです。非常に重要なご指摘だと思いますので上司に伝えます」と言ってくれた。
 このとき私が主張したのは、「遺族の感情は二分される。早く殺してくれという感情と、簡単に死なれてたまるか。獄中で死ぬまで苦しみ続けさせろ」という感情だ」ということだった。その時の法務省の方とのやり取りを思い出して再びネット検索することにした。今度のキーワードは「加害者」と「被害者」、「遺族」である。
 この検索で分かったことは、加害者や加害者の家族も「自分たちも被害者だ」と声を上げていることだ。たとえば大津市立皇子山中学校で生じたいじめ自殺を巡って、加害者生徒の一人の母親(大津市女性団体連合会会長)が、校門前で「うちの子供は被害者です」というビラをまき、被害者遺族に対し「あんたの子供は死んだけど、私の子供は生きていかなければならない。子供の将来をめちゃくちゃにしてくれた」と主張していたことが分かった。
 一方この事件ではないが、交通事故で死んだ被害者の遺族がネットにこう書きこんでいる。
「11年前兄が交通事故で死んだ。目撃者、証拠などから相手の25歳男の信号無視が分かったが、それ以外も酷かった。反省の色なしで、通夜に来たときヘラヘラ笑っていた。『お互い運が悪かったッスねー俺も怪我してんスよ』と言いながら包帯アピール。(私の)両親は落ち着いた表情で『それは大変でしたね。死んだら楽になりますよ』とだけ返した。加害者と話したのはそれが最後だった」「地獄は今年の春終わった(結婚した加害者家族が車で3分の場所に引っ越してきて両親は近所で買い物もできなくなっていた)。加害者は一般国道を80㎞で信号無視し停車中の大型トラックに正面から突っ込んだ。意識がある中苦しんで数時間後に亡くなった。一報を聞いた母親が泣いたのが修羅場だった」「(なのに)母は(中略)初盆に加害者の墓参りに行ってたらしい」
 加害者の家族にも「三分の理」があるのかもしれないと思うと同時に、被害者遺族の切ない感情が私の胸を打った。
 国連総会で死刑廃止条約が採択されたのは1989年。ただし日本をはじめアメリカ、中国、イスラム諸国などが反対し、日本は批准していない。なおアメリカには刑法は連邦法と州法があり、州内での犯罪に対する裁判は州裁判所で行われ州法に定められている量刑が適用されている。
 連邦法には死刑の刑罰があるが、州によっては死刑制度を維持している州もあれば廃止した州もあり、いったん廃止したものの復活した州もある。とくにキリスト教徒が多い州では人道的立場から死刑を廃止し、死刑に代わる犯罪抑止力として、それぞれの犯罪に対して量刑を科し、合計すると懲役数百年になる判決を下せる州もあれば、仮釈放を認めない終身刑を刑罰に定めている州もある。日本も含め死刑廃止論は人道的立場からの主張が多いようだ。また一見理論的主張に思わせるおかしな屁理屈もある。具体的には「殺人を犯した犯罪者に対して国家が殺人行為をするのは矛盾している」といった主張である。なぜ矛盾していると考えるのか、私にはわからない。そう主張する人に聞きたい。「脱税した人(あるいは法人)に対して国家が重加算税を取るのは矛盾しているの ?」と。人道的主張なら、それだけで止めておけばいいのに、下手に屁理屈を付けをようとすると、こういう結果になる。
 いずれにしても死刑制度を容認するかどうかは難しい問題ではある。ただ先ほど列記した数字だけでは、死刑制度が③の「犯罪抑止力」としてどのくらい効果があるかどうかは不明のようだ。ネット検索によれば、アメリカでは死刑の犯罪抑止力についての研究論文がいろいろ出されているようだが、説得力のある論文は出ていないということだ。ただ、危険運転致死傷罪の新設によって飲酒運転事故が激減していることは疑いのない事実である。ただし、この例は刑事事件としてはむしろ例外的事件と考えるのが妥当だろう。というのは、これまでにも述べてきたように飲酒運転は人を殺傷することをあらかじめ目的にはしていないからである。だから私は「未必の故意」を適用して一般刑法の殺人罪、傷害罪で起訴、裁判を行うべきだと考えている。
 死刑か無期かで裁判官が一番悩むのは、被告に更生の可能性があるか否かである。それは懲役囚(あるいは少年院の収容者)が社会に復帰したのちの結果で判断するしかない。現時点でネット検索で分かるのは2011年における再犯率(交通事故などを除く一般刑法犯)は、過去最悪の43.8%だった。では裁判で下した量刑が甘かったのか。そう考えざるを得ないのだが、一方でそういう結論を出すのは矛盾している。一つは犯行意志がない交通事故に対して最高20年の懲役刑を設けた結果、他の刑事事件の量刑も軒並み厳しくなったという事実がある。また裁判員制度の導入によってこれまで②の「反省の機会を与え、社会復帰への努力を促す」という量刑の尺度から①「社会的制裁」と②「犯罪抑止力」を重視する方向に量刑の尺度が移行しつつある事実(それを無視したのがこのシリーズの冒頭で述べた東京高裁の1審判決の破棄)があり、さらにそのことと表裏一体の関係にあるのだが、これまでの裁判は「加害者の人権を被害者の人権より重視しすぎている」といった世論の動向も無視できない。
 だから読売新聞も産経新聞も高裁判決に対し「裁判員制度の趣旨を無視しており、先例主義だ」と批判したのである。ではいったい何が原因で再犯率が大幅アップしたのか。仮釈放の基準が甘くなったのか。仮釈放については刑法28条に「懲役や禁固の刑を受けた囚人は、反省し更生の可能性が高いと見なされた場合、有期刑は刑期の3分の1、無期刑は10年たてば仮釈放できる」(要旨)とある。で、ひょっとしたら刑務所の収容能力不足が原因で囚人を厚生の可能性がそれほど高くないのにどんどん仮釈放してしまったのかと思い、すでにプリントしておいた「仮釈放」の検索結果を調べてみた。が、データ的には再犯率の大幅アップを裏付けるものは見つからなかった。ちょっと古いデータしか見つからなかったが、07年末の時点では無期懲役囚の総数は1670人で過去最多になり、その年には89人の無期懲役確定囚が出たのに仮釈放は3人で、出入率は3.3%に過ぎず、仮釈放者の平均収容年数は30年を超えている。一体どこに問題があるのか。仮釈放者も含めて出所した元囚人を受け入れる社会体制が整備されていないからだろうか。確かにそういう指摘は最近テレビのニュースでしばしば見るようになった。だとすれば、そういう社会体制を整備しないままに一定期間たった囚人を仮釈放してしまうことに問題はないのか。あるいは収容期間中に釈放後の社会復帰が可能になるだけの能力を身に付けさせないまま釈放してしまい、「あとは司法の知ったことか」と居直るつもりなのか。そういう視点で、もう一度東京高裁の判決理由を見直すと(私も全文を読んでいるわけではない。ネット検索で知り得た範囲で書いている)、1審の死刑判決を破棄して無期懲役に変えたということは、被告に更生の可能性を高裁の裁判官たちは認めたということであり、その結果に対する責任を高裁の裁判官はとらねばならない。その覚悟があっての1審判決の破棄なのか。
 
 私には専門的な法律知識はまったくない。それでも、ネット検索だけで、現在の司法制度の問題点をこれだけ浮き彫りにできた。私より若い人たちができないはずがない。できないのは、くだらない知識や既成概念で物事を簡単に理解してしまおうとする癖が付いているからではないだろうか。
 とりあえず5回にわたるシリーズはこれで終わりにする。読者の皆さんにとって、人間が動物に勝る唯一の資質「人間は考える葦である」(パスカル)を磨いていただきたい。そのための練習問題をお出しする。これはネット検索の方法を学ぶための問題ではない。ネットに限らず新聞やテレビの報道などから得た情報をどういう思考力を働かせれば、真実が見えてくるかのテストである。間違えてもいい。とりあえず自分の頭で考えて自分なりの答えを出してほしい。答えが思いついたらコメントに書いていただきたい。

問題:子どもの頃、家での生活は苦しく、両親や兄弟から暴力を振るわれて育った少年が凶悪犯罪を犯した場合、弁護士は裁判で、恵まれなかった子供時代の出来事をことさらに強調して情状の酌量を求めるケースが少なくない。
さて、この弁護士の弁護方針は正しいだろうか。

ヒント:この裁判で裁判官は私が上げた三つの目的のどれを重視すべきか。東京高裁の裁判官のように、何も自分の頭で考えずに「こういうケースで死刑を選択した先例がない」などというおかしな量刑基準は最初から頭の片隅から消しておいてほしい。

 
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法務省官僚と国会が世論とマスコミの感情的主張に屈服して、とんでもない法律を作ってしまった。 ④

2014-01-16 06:43:26 | Weblog
 再びNHKの報道体制のほころびが露呈した。ニュース7ではまったく報道せず、ニュースウォッチ9の最後(気象予報の直前)に井上あさひアナウンサーが読み上げたニュースで、ニュース番組の放映中に飛び込んできた臨時ニュースのような感じだった。なんとなく歯切れの悪いアナウンスだったので、ふれあいセンター終了の直前だったが電話で問い合わせた。コミュニケーターはアナウンス内容を確認した後「3年前に脱線事故を起こしたJR北海道の当時の社長で元会長の坂本真一相談役が自殺した可能性が高いと北海道警は見ているというアナウンスでした」と答えた。なんとなく釈然としなかったが、私も年齢を重ねることで記憶力は確実に衰えており、私の思い違いだったかといったんは納得して、引き続いてテレビ朝日の報道ステーションを見た。
 ところが、私の思い違いではないことを報道ステーションが明らかにしてくれた。JR北海道の脱線事故は11年5月、その年の9月の当時の社長の中島尚俊社長が遺書を残して自殺していたのだ。報道ステーションはこの事件の報道について既に編集を終えており、現場からの中継や関係者への取材も放映し、坂本氏は08年に会長職を退き相談役になって取締役も辞めていたという(07年の間違い。この程度のミスは許容範囲)。が、坂本氏は取締役を辞任した後も毎回取締役会にしゃしゃり出て、事実上坂本氏が院政を敷いていたようだ。報道ステーションはこの事件についてコメンテーターとの打ち合わせもすでに済ませており、滞りなく報道した。
 私はNHKの報道姿勢について批判を繰り返してきたが、もはや報道スタンス以前の問題で、箍(たが)が緩んでいるとしか言いようがない。最近民放のニュースショーはショー的要素を弱めつつあり、逆にNHKはエンターテイメントなど娯楽色を濃厚に打ち出している。これが公共放送としてあるべき姿かと思うと、情けないの一言に尽きる。

 さて読者の皆さんは、私のブログ記事を参考にいろいろ情報をネット検索されただろうか。実は私もこの記事を書く直前に調べたことがある。
 私がネット検索したのは、「裁判員制度」「死刑囚」「終身刑」「仮釈放」「再犯率」「永山裁判」「陪審員制度」「12人の怒れる男」などのキーワードで検索した。検索サイトはウィキペディアと特定せず、検索エンジンであるヤフーから検索をかけた。結果的には大半の情報はウィキペディアから得た。あとは、そうして得た情報をどう論理的に解釈し、ジグソーパネルを組み立てるような感じで主張の一貫性を確認しながら問題を解決するという作業を完成すればよい。
 ちょっと横道にそれる。論理的な解釈とはどういう方法かを説明しておこう。一番説明しやすいケースを例にとる。ゴルフの規則の変更である。ゴルフなんかやったことがないという方は前後に1行空白を入れるので、読み飛ばしていただきたい。

 ゴルフには人工の障害物によって正常なプレーが困難とプレーヤーが判断した場合、ホールに近づかない範囲で障害物を避けることが出来る場所に球をドロップして、球が多少転がっても2クラブ以内の範囲であればその球を打つことが出来る。2クラブ以上転がった場合は再度ドロップして、また2クラブ以上転がってしまったら2回目にドロップした地点に球をプレースすることが出来る。仮に球がカート道路上に止まった場合、道路の左右どちら側にドロップするかが複雑になった。
 かなり昔は、道路の中央を基準にして中央より左側に球があればドロップする地点は道路の左側、右側にあればドロップする地点は道路の右側と決められていた。この場合はきわめて単純で、プレーヤーが迷うことはなかった。が、いつルールが変更されたかは覚えていないが、道路の中央を基準にするのではなく、ニアレスト・ポイントが基準になった。そのため非常に複雑になったのである。ニアレスト・ポイントとは、元の球の位置を起点にして、障害物を避け、かつホールに近づかずに正常なプレーができる地点のことである。
 その変更がされたとき、規則ではもし障害物がなかったとしたら使っているはずのクラブを使用してニアレスト・ポイントと球が転がる許容範囲を決めるべきだということになっていた。たとえばピンまで150ヤードの距離が残る地点だったら5番か6番アイアンでニアレスト・ポイントを決め、その地点とホ-ルに近づかない範囲でそのクラブ2本分のスペースにドロップしなさいという規則だったのである。が、この規則には違反しても罰則がなかった。そのため、プロ選手でさえ一番長いドライバーを用いてニアレスト・ポイントと球をドロップする範囲を決めることが許されていた。
 私のこの解釈を「間違い」と指摘できる人がいたら、私は完全に脱帽する。おそらくプロのプレーヤーでもそういう解釈をしていたと思う。
 ところが数年前、再び規則が改定された。改定されたことによって私はなぜ前の規則に罰則規定がなかったのかという本当の理由が分かった。
 どういうふうに改定されたか。ニアレスト・ポイントを決めるために使うクラブは何を使ってもいい、となったのである。さてこの部分を読んでおられる読者はゴルフ規則をある程度ご存じだということを前提に私は書いている。皆さんはなぜ規則を再改定する必要があったとお考えだろうか。
 実は某名門ゴルフ場の専属プロやマスター室のスタッフに、ちょっと意地悪だったが質問してみたことがある。彼らの答えは同じだった。「罰則規定がないから、どのクラブを使ってもいいとした方が分かりやすいからでしょう」。読者の皆さんもそうお考えではないだろうか。単純に考えるとそういう答えになるのだが、さらにもっと素直に、そして単純に考えると、この答えは間違っていることに気づくはずなのだ。
 この問題を解くヒントは、前の規則ではなぜ罰則規定を設けることが「できなかったのか」という単純で素朴な疑問を持つことである。私は前に論理的思考力を磨くには幼子のような素直な感覚で常識と思ってきたことに疑問を持つことだと書いたことがある。もっと分かりやすく書くと、とりあえず頭の中を真っ白にして素直な気持ちで考えてみなさい、ということである。
 そろそろ皆さんを焦らすのはやめて私の考えを述べる。これはあくまで私の考えでJGAに質問して答えを得たわけではないので、JGAに聞いたら別の答えが返ってくるかもしれない。ただゴルフ規則はJGAは原文(英語)を日本語に翻訳しているだけで、規則の改定にかかわっているわけではないから「USGAにお問い合わせください」と言ってくるかもしれない。念のためゴルフ規則はUSGAとゴルフ発祥の地・英セントアンドリュースゴルフクラブが共同で毎年改定している。
 では私の単純思考の結果を書こう。理由は二つある。
 ① 仮に障害物がなかったとしたら、どのクラブを使うかはプレーヤーの自
  己判断で、マーカーや競技委員が「そこにある球だったら5番アイアンを
  使うべきだ」などと指示することは許されていない。プレーヤーが「私は
  ドライバーを使ってコントロールショットで球を転がしてグリーンを狙う」
  と主張したら、だれも「それはおかしい」と言えないのが、ゴルフの自己
  責任の基本的な考え方である。
 ② 救済処置を取れば球は当然移動するから、シチュエーションも変わる。
  ということは、最初の球の状況だったら5番アイアンを使うかもしれない
  が、球のシチェエーションが変われば当然使用するクラブ選択にも影響が
  生じる。同じクラブを使えというなら、同じシチュエーションの場所に球
  をプレースしてもよいという規則に変えないとおかしなことになる。
 ほとんどの読者は「なーんだ、そんなことか」と思われると思う。私はゴルフの規則についての専門的知識はほとんど持っていない。ただ規則が変わった時、それを「ああ、そうなりましたか」と何の疑問も持たずに受け入れるようなことをしないだけだ。これが私のいう幼子のような素直な感覚であらゆることに疑問を持つ訓練を自らに課すことが、論理的思考力を高めるための最善の方法だということである。

 もう一つ例を上げる。ニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したという有名なエピソードは子供のころ、だれもが聞いているはずだ。あまりにも出来すぎたエピソードで、この話は後から作られたと思う。だが、「あまりにも出来すぎたエピソードだ」と疑問に思うことが大切なのだ。そういう疑問を持つと、必ずしも「まったくのウソ」とも言い切れないかもしれない、と次々に疑問が出てくる。そこから「なぜ、こんな一見ありえないエピソードが真実として今日でも伝えられているのか」という疑問がさらに生じる。そこから私はこう想像力を働かせる。
 おそらくニュートンは子供のころにふと見た光景が鮮烈で脳裏の片隅に残っていて、物理学者になった時、何かのきっかけで子供のころに疑問に思ったことを思い出したのだろうと。 私事になって恐縮だが、私の孫が幼稚園の中年組の時(4歳)電車に乗っていて、たまたま座席が空いていなかったためドア横の手すりにつかまって外を見ていた。その電車が地下鉄だったのが幸いした。外の景色を見ることが出来ないので、孫が面白いことに気付いて私に聞いてきた。「じいちゃん、どうして石がいっぱい置いてあるの ?」。
 大人になると、あまりにもありふれたことには何の疑問も持たずに見過ごしてしまう。私はそれまで自分では意識せずに、何にでも疑問を持つ習慣を自然に身に付けてきた。が、孫が私に大人だったら疑問を持たないことに素朴な疑問を持った。その幼い感覚が、論理的思考力を高めるための方法にとして非常に有効だということに、その瞬間気づいたのである。
 それからである。私が幼こころで物事を考えることを目的意識にするようになったのは。「頭の中をいったん空っぽにする」という言い方もするし、「すべての既成観念を持たずに考えろ」とも言うが、せんじ詰めれば同じことを表現を変えて言っているだけなのだ。
 論理的思考力は、簡単な習慣を身に付ければ誰にでも容易に自分のものにすることが出来る。その簡単な習慣とは、たとえば日本の憲法は「平和憲法」と位置付けることに疑問を持つことである。実は自民党は結党以来の念願であり、党是でもある憲法改定を主張する際ですら、現行憲法が「平和憲法」であることを否定していない。おそらく読者の皆さんも、日本の憲法は「平和憲法」だと思い込んでおられると思う。それだけ「平和憲法」という言葉は国民の脳裏に染み込んでいる。
 護憲団体が「日本には平和憲法があるから戦後、平和でいられた」と主張していることには「バカ言うな」と反発している方も少なくないと思う。おそらく反発される方は「日本が平和でいられるのはアメリカが日本を守ってくれているからだ」と考えておられるのではないだろうか。
 その考え方が間違いだというわけではないのだが、日米安保条約には期限の定めがあり、その期限が来たとき日米の一方が条約の破棄を申し入れれば、一瞬にしての本はアメリカに援助を要求する権利を失うことになっている。アメリカはアメリカの国益のために日米安保条約を維持しているのであって、日本を防衛することがアメリカの国益につながらなくなったら、期限が来たら日米安保条約は解消される。そのとき日本の平和を「平和憲法」が守ってくれるだろうか。そうお考えの方は、刑法の条文だけ作っておけば犯罪は生じないはずだと考えなければ自分の思考法に論理的整合性がないことをお認めいただかなければならない。憲法も刑法も国内法である。外国の行動を国内法で規制することはできない。そう考えれば「平和憲法」などと思い込み、現行憲法が日本の平和を守っているなどといった考えが、何の根拠もない幻想でしかないことにすぐ気付かれるはずだ。
 私が言いたいのは、「平和憲法」という位置づけ方に素朴な疑問を抱くことが大切だということである。たまたま私が「平和憲法」を問題にしたのは、第2次安倍内閣の誕生によって憲法96条の改正や集団的自衛権の行使問題が浮上したためで、それが現行憲法に対する「平和憲法」という位置づけに対する疑問を私に持たせるきっかけになっただけの話である。つまり、国民の大多数が知らず知らずのうちに思い込まされてきたことに、ふと疑問を抱く機会はごまんとあり、その疑問を解くためのヒント(あくまでヒントですよ)はインターネットがいくらでもタダで与えてくれる。
 
 さて本題に戻ろうと思ったが、ちょっと論理的思考力の高め方についての話を長く書きすぎた。誠に申し訳ないが、本題についてのブログの続きは明日に延ばさせていただきたい。明日でこの連載ブログは終える。

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法務省官僚と国会が世論とマスコミに屈服して、とんでもない法律を作ってしまった。 ③

2014-01-15 04:06:07 | Weblog
 ついに都知事選が火を噴いた。昨日(14日)舛添要一氏が自民都連、公明の支持を受けて立候補を表明、動向が注目されていた細川護煕・元首相が小泉純一郎・元首相の支持を得て今日立候補を表明する運びになった。細川・小泉陣営は「脱原発」をスローガンに都知事選を戦うようで、舛添氏も原発問題を避けては知名度・人気度ともに抜群の細川・小泉陣営との戦いが不利になるため「原発依存度を減らしていくことは大切だ。しかし、では明日からというわけにはいかない。それなりの手順を踏まなければ」と受け身に回らざるをえなくなった。一方、細川氏の支援を表明した小泉氏は、相変わらずの小泉節で「東京が省エネに成功すれば、日本を変えられる」と応援団長宣言をぶち上げた。すでに小泉氏の「脱原発論の非現実性」についてのブログはとっくに書き終えていて投稿のチャンスを失い、お蔵入りかと諦めていた私には願ったりかなったりの「お年玉」になったが、とりあえず現在連載中の記事を終えてから投稿する。

 さて昨日お出しした宿題に皆さんはどういう答えを出されたであろうか。私が上げた三つ以外にもっと重要な目的があるはずだとお考えの方もいるかもしれない。
 私は、卑猥なコメント以外は一切削除しないと申し上げている。いかなる批判も削除しないし、批判に答えるべきと私が考えた場合はこれまでも答えてきた。
 では私の考えを書こう。現代社会で最重要視すべき目的は③の「犯罪抑止力」である。二番目が①の「犯した罪に対する社会的制裁」だ。従来最重要視されてきた②の「反省の機会を与え、社会復帰への努力を促す」は、重視すべきではないとまでは言わないが、少なくとも「抑止力」と「制裁」のほうが重要視されるべきなのだ。
 実は③と①は表裏の関係にある。制裁を重くすればするほど抑止力としての効果も高まるのは当然であろう。 
 現に危険運転致死傷罪の適用項目に「飲酒運転」が含まれたことにより飲酒運転による事故は激減した。厳罰化によって抑止力が高まることが実証されたのである。
 が、その結果、刑法との矛盾が生じてしまった。
 刑法は、犯行の意図があっての行為を前提に設けられている。そのため、危険運転致死傷罪を一般刑法とは別の法律にしたことによって、量刑の整合性が崩れてしまった。なぜなら、従来、犯行の意図があって行った犯罪行為の最長有期刑は20年の懲役であった。それに対して犯行の意図がないことは明らかなのに危険運転致死傷罪の最高を20年の懲役としてしまったからである。これは法務省が世論とマスコミにおもねた結果と言わざるを得ない。
 誤解がないようにしてもらいたいのだが、私は危険運転致死傷罪の量刑が重すぎると言っているのではない。もっと重くしてもいいとすら思っている。
 だが法務省が世論やマスコミにおもねて新たに重罪の危険運転致死傷罪を設けたことで、劇的な抑止力が生じたことは昨日のブログで書いた。これも誤解されていないとは思うが、法務省は行政府であって立法府ではない。だから法案は作成するが、国会で審議し可決されなければ法律として成立しない。国会の先生方は、行政府が作成した法案を審議するが、新しい法案を成立させると、関連した法案との整合性をどうするかといった論理的思考力を持ち合わせていない方が多いようで、世論の動向ばかり気にして新しい法律を作ったらどんな矛盾が生じるかまでは頭が回らないようだ。
 危険運転致死傷罪の適用要件を細部にわたって検証すると長くなるし、一般の読者の方にはあまり意味がないと思うので、「酩酊状態で飲酒運転をして重大な人身事故を起こしたら最長20年の懲役刑を食らう」という程度の認識を持たれていれば十分だと思う。
 私が問題にしたいのは、その結果、犯行の意図があっての犯罪との整合性が
取れなくなったため、一般刑法における有期刑の最長を20年から30年に延ばしたことである。これでおかしなことが生じるようになった。
 自動車事故についても危険運転致死傷罪の適用範囲を、とくに素人の裁判員が感情に流されて重い量刑を下しかねないことを危惧したのか、実際に裁判官が危険運転致死傷罪で裁判を行うことを嫌がり、検察もそうした裁判官の心情を思いやってか危険運転致死傷罪で立件することをためらうようになってしまった。だが、すでに書いたようにこの法律の抑止力は抜群だった。
 しかし、すでに述べたように酩酊状態での飲酒運転による重大な人身事故などしか危険運転致死傷罪が適用できないため、「軽度な悪質」と検察や裁判官がみなした自動車運転による人身事故はすべて最長懲役7年の自動車運転過失致死傷罪を適用せざるをえなくなってしまった。なぜか。
 この法律の最大の欠陥は、酩酊状態だったかどうか、また人身事故を起こしたとして何人を死傷させたら懲役20年の最高刑を科せるのかの基準がまったくあいまいなまま成立してしまったことである。量刑の判例は、自動車運転過失致死傷罪での裁判しかない。
 その結果、最長懲役20年の危険運転致死傷罪と、最長懲役7年の自動車運転過失致死傷罪との量刑の開きが問題化したのである。その矛盾がだれの目にも明らかになったのは、すでに述べたように無免許運転の少年が猛スピードでハンドルおよびブレーキ操作を誤り重大な人身事故を起こした事件で、裁判官が危険運転致死傷罪の適用を見送ったケースである。
 新聞報道によると、裁判官がこの事故の加害者について危険運転致死傷罪の適用外にしたのは「無免許ではあったが、それなりに運転歴があり、運転技術が未熟だったとは言えない」ということだけが大きく報道されたが、私は裁判官が危険運転致死傷罪の適用を見送ったのは飲酒や薬物使用などの悪質性がなかったからというのが本当の理由だと思う。
 しかし被害者や遺族は事故結果の重大性を社会に訴える行動に出た。マスコミもまた、彼らの目線に立った報道を繰り返した。その結果、また小手先のごまかしとしてこの二つの法律の中間に自動車運転死傷行為処罰法という、まったく意味不明な法律を新設して最長懲役12年を科せるようにし、一般刑法に残されていた自動車事故関連規定が新設の自動車運転死傷行為処罰法に移管されることになった。
 しかし、そうすれば他の有期刑の量刑や無期懲役、死刑との整合性に大きな齟齬が生じる結果になった。「犯罪に甘い国・日本」という国際的に定着していた海外の日本観にも大きな影響が出始めた。苦境に立たされた法務省は今刑法の整合性に苦しんでいる。とりあえず、犯行の意図がない飲酒や薬物使用による危険運転致死傷罪の最高である懲役20年との釣り合いをとるために、一般刑法における有期刑の最長を20年から30年に延ばしたが、今度は意味不明な自動車運転死傷行為処罰法を新設したため、犯行の意図を持った犯罪行為についての量刑のすべてを見直さざるをえなくなっているはずだ。
 私が重視している点は二つある。一つは有期刑・無期懲役・死刑の三つの量刑の整合性と仮釈放要件が完全に混乱してしまったことである。もう一つは脱税やインサイダー取引などの経済事犯に対する量刑との整合性も取れなくなったことだ。本来、裁判で最重要視されるべきは結果の重大性より犯行の悪質性であるべきはずだ。もちろん結果の重大性は無視してよいなどと私は言っているわけではない。が、危険運転致死傷罪にせよ、自動車運転死傷行為処罰法にせよ、明らかに犯行の悪質性より結果の重大性を重視した法律である。法律に無知な私にも理解しがたい愚かさと言っていい。
 この連載ブログの1回目の冒頭で、最近地裁での死刑判決が重すぎるとして高裁で無期懲役になったケースを書いた。覚えていらっしゃる方も多いと思うが、一つのケースについて簡単に触れておこう。
 09年、千葉県松戸市で4年生の女子大生が強盗殺害された。犯人はすぐ捕まったが、02年にも強盗致傷事件で服役し、出所から3か月足らずの間に強盗致傷や強盗強姦を繰り返しており、1審の裁判員裁判では死刑が言い渡された。この判決を不服とした被告側が控訴し、東京高裁での2審で1審判決が破棄され、無期懲役の減刑判決が言い渡された。 
 その理由が②を重視した内容だった。新聞によれば「殺害された被害者が一人で、計画性がない場合には死刑は選択されないという先例の傾向がある」とし、「1審判決は合理的かつ説得力を示したものと言えない」と断定したようだ。こうした判決に対して読売新聞は「裁判員制度の趣旨を無視した判決」という主張をしたと記憶していると書いたが、産経新聞も主張(社説と同じ)で同様の主張をしていたことがネット検索で分かった。
 高裁が「先例」を重視したということは、とりもなおさず裁判官が②をいまだに量刑の基準にしていることを意味する。おそらく長い判決文の中に「被告が犯した罪を悔い改め、社会復帰できる可能性が皆無とは言い切れない」といった趣旨の判決理由が述べられていたはずだ。だが、そういう犯罪者に対する過度の思いやりがどういう結果を招いてきたか、この裁判官は考えたことがあるだろうか。政府が裁判員制度を導入したのは、裁判に市民感覚を反映させるという意味だけではなく(読売新聞や産経新聞はそう解釈しているが)、過去の裁判官が下す判決が②を重視しすぎており、被害者や遺族の目線に立っていないということがあった。被害者や遺族の目線に立つと量刑の基準は③の「犯罪抑止力」つまり、二度と私たちのような思いを生じないようにしてほしいということであり、そのためには①「犯した罪に対する社会的制裁」として厳罰化を求めているのである。
 裁判員制度が導入されたとき、量刑が重くなるだろうことはマスコミも予測していたと思う。ただなぜそうなるかの分析はだれもしていなかったはずだ。裁判員はおそらく被害者や遺族の感情を重視するだろう、くらいのことしか考えていなかったと思う。確かに裁判員の意識の片隅にそういった心理が働くであろうことは私も否定しない。その心理を形成したのは被害者や遺族の心の底からの叫び「二度と私たちのような思いをさせたくない」という声が裁判員の心の奥底に響いていたはずである。そういう心理で裁判員が裁判に臨めば、当然③を最重要視するだろうし、それを可能にするためには①の重罰化は避けられなくなる。
 その視点で、もう一度自動車事故に対する法律を、なぜ刑法から外す必要があったのか。道交法で定められている「安全運転の基準」を逸脱したら、「車は走る凶器になる」という誰もが否定しない要素を導入すれば、刑法の殺人罪、傷害罪で検察は起訴できるし、裁判官も「犯行を意図した行為ではないが、飲酒や薬物使用、あるいはスピード制限の相当程度の超過や信号無視などは、正常な運転を不可能にする可能性があることを運転免許保有者は常識として持っており、したがってこの事故は未必の故意による犯罪と考えるべきである」と判断し、そのうえで殺人罪や傷害罪に対して法が定めた量刑の範囲で情状をどう酌量するかですんだ話なのだ。
 まだ、この項目は終わっていないが、もう日課としたブログの文字数の目安を超えた。続きは明日書く。
 明日までに皆さんに考えておいていただきたいことがある。まず今回のブログの冒頭に述べたことの第一の件だが、日本の刑法には「仮釈放」の規定があり、無期懲役囚も10年以上服役し、その間模範囚であった場合仮釈放が可能になるということ。また有期・無期を問わず「仮釈放は認めない」という確定判決がなぜできないのかということ(仮釈放を認めない無期懲役は、事実上「終身刑」を意味する)。また仮釈放の規定を変えないなら、なぜ確定終身刑が日本にはないのか。こうした私の疑問はすべて日本の司法が②を基準にしてきたことにあると私は思っているが、皆さんはどう思われるだろうか。
 次に第二の件だが、日本が「犯罪に甘い」のは刑事事件だけではない。「脱税は割に合わない」とよく言われるが、それは税務当局が作り出した幻想にすぎず、日本ほど「脱税が割に合う」国は多分ないと思う。脱税だけでなく経済事犯はすべて日本はやりどくである。もし日本最大の証券会社・野村証券がアメリカの証券会社だったら、とっくにSEC(米商取委)によって潰されていた。
 ではまた明日。
 


 
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法務省官僚と国会が世論とマスコミの感情的主張に屈服して、とんでもない法律を作ってしまった。 ②

2014-01-14 06:34:15 | Weblog
 前回の続きを書く。前回、私は刑法に定める量刑の目的は三つあると述べた。もう一度おさらいしておこう。
 ① 犯した罪に対する社会的制裁
 ② 反省の機会を与え、社会復帰への意欲と努力を促す
 ③ 犯罪に対する抑止力
 実はこの三つの目的は私が高度な論理的思考力を駆使して勝手に定義づけたもので、刑法の中にそうした目的のどれを当該事件について勘案して量刑の軽重を決めるべきといった記述は多分ないと思う。従って刑法専門の法曹家がどう考えているか、まったく見当がつかない。つかないが、論理的に考えれば、この三つしか裁判官が量刑を決めるときの判断基準はないはずである。
 そこで私が疑問に思うのは、死刑と無期懲役という量刑の格差の大きさである。死刑の判決を受けた被告が、何度も玄関払いされながらボランティアの支援を受けて諦めずに戦い続け、とうとう再審に持ち込み無罪になったケースが相次いでいる。「死刑」を実行しなくてよかったなと思う半面、明らかに誤審だったケースもあれば「疑わしきは罰せず」の原則で「灰色」のまま無罪釈放になったケースもある。被害者の遺族の気持ちを思うとやるせなくなるのは私だけではあるまい。
 もちろん裁判官が量刑を決めるときに最優先するのは①である、はずだ。であるからこそ前回のブログの冒頭に書いたように東京高裁が一審の千葉地裁判決が過去の類似した事件の被告に対して判決で言い渡された量刑と比較して重すぎると判断したのであろう。
 裁判官が先例を重視するのは日本だけではない。それなりの合理性があるからだ。もし裁判官が、たとえば被告の顔つきが気に入らないとか、態度がふてぶてしいとか、個人的かつ感情的要素を重視して量刑の軽重を左右することは確かにあってはならないことである。
 だが、先例を重視しすぎても裁判官の裁量に時代性(世論、つまり国民の総意が反映されているものとして私はこの言葉を採用した)が無視されることになってしまい、それなら過去の確定した判例をすべてコンピュータに入力しておいて、書記が被告の犯行の状況を可能な限り入力すれば自動的に判決を決められるようにした方がよほど客観的に見て合理的であろう。実際、今のコンピュータはスーパーコンピュータを使わなくてもパソコンを数台つないだだけで、過去の名人戦などの差し手を入力しておけば本物の現役プロ棋手と対戦して勝ってしまうくらい知的能力が高度になっている。
 もちろん私は裁判官の個人的裁量の余地を失くしてしまえなどと言いたいわけではない。政府は「日本は諸外国に比べ法曹家が不足している。だから法科大学院を作って法曹家を大量生産する」というバカげた方針を打ち出して、見事に失敗した。法曹家が足りないなら、金がかかる法曹家を大量に作り出すよ
り、コンピュータを活用すれば、現在の法曹家が本来の仕事に集中でき、また
客観的で国民の理解を得やすい判決を出すことが出来るのではないかと思うからだ。現に私は家にこもって誰に取材することもなければ図書館に足を運ぶ必要もなく、インターネットを活用するだけで昔だったら考えられないような多岐にわたる分野の記事を書くことが出来ている。しかも、私はインターネットで得た知識を右から左に流しているわけではない。ことごとく従来の定説や法解釈を覆し、専門分野の学者や評論家、ジャーナリストも私の主張を否定できない独自の論理を展開している。IT技術は、使いようによっては人間の能力を無限に高めてくれる可能性を秘めている。法科大学院を作るなどといったバカげたことを考えるより、IT技術を活用することによって現在の法曹家の能力を高めることを考えた方がはるかにましだった。これからの政治家は、最低インターネットの活用能力テストに合格した者だけが立候補資格を得られるようにしたらどうかと思う。そうすれば政策秘書など必要とせずに政策を議員自身が考えることが出来るようになる。また議員には政府なり自治体が「特定の地域、業界、団体、個人派の利益誘導型の法案作成や行政ができないよう、いわばアンチ・ウイルスのような類のソフトをあらかじめインストールしておけば、いま疑惑の的になっている猪瀬前都知事と徳洲会の癒着のようなケースも未然に防ぐことが出来るようになる。
 また裁判員制度を活用するには、法曹家が手取り足取り裁判員を指導するのではなく(それが裁判官や書記官にとって相当な負担になっていると思う)、インターネットの活用法を、たとえば私のように専門外のことでも判断したり考えたりするために必要な知識を容易に得られる方法(いとも簡単ですよ)を、インターネットの利用術にたけた人がアドバイスする仕組みを作ったほうがはるかに金もかからず時間も節約でき、その時々の風潮に流されもせずに現代の日本社会が求めるべき正義(何が正義かはその時代時代の国民が決めることだ。その基準を世界中が共有できるようになれば民主主義は飛躍的に成熟し、国際紛争もなくなるが、さて何百年後になることやら…)を実現する制度にできるはずだ。
 前回のブログに続いてこのブログを書いたのは、量刑の軽重を考える際の三つの目的のうち、現代社会はどの要素を最重要視すべきかということを読者の皆さんと一緒に考えたかったからだ。皆さんはどうお考えになるだろうか。大きなヒントを差し上げておこう。
 少なくとも裁判員制度の発足や危険運転致死傷罪が作られる前は、裁判官が量刑を決める際に最重要視してきたのは、②の「反省の機会を与え、社会復帰への努力を促す」ことだった。そうした判決が重なり、「被害者の人権より加害者の人権を重視しているのではないか」という批判を浴びることになったのである。
 読者の皆さんは、読者ご自身の主体的思考で考えて頂きたい。私自身の考えは明日のブログで書く。
 大それた言い方をあえてすれば、これは民主主義をより成熟させるための主体的努力の第一歩である。
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法務省官僚と国会が世論とマスコミの感情的主張に屈して、とんでもない法律を作ってしまった。

2014-01-10 04:05:56 | Weblog
 今日から数回にわたって重いテーマの記事を連載する。非常に混乱しがちな法律用語も出てくるが、それは法務省のバカどものせいで、私が責任をとらねばならない話ではない。その代わり、この連載ブログを理解できたら、あなたの論理的思考力は格段に高度化するだろう。
 
 裁判員制度は、コンピュータで無作為に選ばれた数人の裁判員が、裁判官や書記から法律(刑法)の知識や過去の判例などを教えてもらい、ある程度の知識を得たうえで判決に参加するという制度である。昨年後半、裁判員制度による一審判決が二審の高裁で破棄・差し戻されるケースが相次いだ。高裁での判断は、過去の同様な犯罪に比べ一審の量刑が重すぎるというものだった。
 この高裁判決に対して、「裁判員制度導入の目的である市民感覚を判決に反映させるという趣旨を否定するものだ」と読売新聞が批判した(その記事が掲載された新聞はすでに古紙として処分してしまったので私の記憶による。記憶ミスだったらご指摘いただきたい)。
 裁判員制度による判決が厳しくなる傾向にあることは事実のようだ。だが、それに対して異を唱える法曹家の感覚のほうが時代遅れになっているのではないだろうか。私はこの問題については読売新聞の主張を支持する。
 そもそも刑法の原型は明治維新によって成立した新政府が西欧の法制度を参考にしながら犯罪に対する量刑の整合性を図ることを目的に作ったものだと思う。その刑法が戦後、GHQの指示により、当時の量刑が加害者の人権を軽視しすぎているとして改正されたのではないだろうか。その結果、裁判官が下す量刑が軽くなる傾向が強くなり、一般市民の感覚からすると違和感を抱かざるを得ないケースが多くなり、小泉内閣の時代に裁判員制度が導入されたという経緯だったと思う。
 上記の裁判員制度導入の経緯については、私は法曹家ではないので、ネットでいろいろ調べはしたが説得力のある記述が見つからず、私見として思い切った簡略化による解釈をしてみた。間違っていたらご指摘いただきたい。
 裁判官が下す量刑が被害者や遺族の目線に立たず、加害者の人権を重視しすぎているという被害者や遺族の反発をマスコミが大きく取り上げるようになったことが裁判員制度の導入に結びついたのはことは記憶の片隅にある。危険運転致死傷罪が作られた経緯も世論が大きく作用したと考えられる。
 私も多少誤解していたが、危険運転致死傷罪が成立したのは1999年11月に飲酒運転のトラックが前方を走行していた乗用車に追突し、乗用車が炎上して後部座席に乗っていた幼い姉妹がなくなった事故がマスコミで大きく報道され、その事故を起こした運転手に対する罰則が当時は自動車運転過失致死傷罪(業務上過失致死傷等罪の中で自動車事故に限って設けられた量刑)の適用で、7年以下の懲役または100万円以下の罰金とされており、「飲酒運転によって失われた幼い姉妹の命の代償がそんなに軽くていいのか」という怒りの声が全国的に広まったことがきっかけと思っていた(実際、ウィキペディアの「東名高速飲酒運転事故」の項目には、この事故に対するマスコミ報道が「危険運転致死傷罪の成立に大きく影響した」と記載されている)。
 が、同じウィキペディアの「危険運転致死傷罪」の項目によると多少この法律成立の経緯が異なっているようだ。同項目によれば、東名事故の翌年4月に神奈川県座間市で検問を猛スピードで突破して逃走した建設作業員が運転した車が歩道に突っ込み大学生二人を死亡させた事故が発生し、逮捕された作業員は無免許飲酒運転で、車も車検を受けず保険にも加入していないという極めて悪質なケースであり、被害所の母親が法改正のための署名活動をはじめ、その運動に東名事故の遺族も同調、全国的に署名活動が展開され、その運動をマスコミが後押ししたという経緯が正確なようだ。それまでは、自動車事故も刑法の業務上過失致死傷等罪の対象とされており、同罪の刑罰は「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」とされており(先に述べたように自動車事故に関しては多少、重い刑罰が科せられてはいた)、この二つのケースに対する量刑はあまりにも軽すぎるという世論が爆発したのだと言えよう。
 そうした世論やマスコミの主張に配慮して業務上過失致死傷等罪から切り離して悪質な自動車事故に対する刑罰として2001年に危険運転致死傷罪が設けられ(最高懲役20年)、さらに自動車事故抑止のため2007年には自動車事故過失致死傷罪(最高懲役7年)が設けられた。また危険運転致死傷罪の成立によって一般犯罪の最高量刑も軒並み引き上げられ、有期刑の最長も20年から30年に引き上げられた。が、無期懲役刑はそのままであり、「10年以上の懲役で仮釈放が可能になる」という規定はそのまま残されたままだ。
 が、実際の仮釈放の適用は世論やマスコミの批判を恐れてか減少しつつあり、98年には仮釈放者が18人だったが、その後の平均は年間9.5人に減少し、07年には3人に減った(07年以降は不明)。
 また自動車事故に対する量刑も、裁判官が運転手を危険運転致死傷財に問うケースはほとんどなく(適用要因がきわめて限定されていて、立証が困難という検察側の事情もある)、大半は最長7年の懲役刑である自動車運転過失致死傷罪しか適用できない状態が続いていた。その後しばらく社会問題化するような自動車事故が発生しなかったため(厳密に書くとマスコミが大々的に報道するような事故のこと)矛盾が表面化することはなかったが、11年4月に栃木県鹿沼市でてんかんの持病を隠して運転免許を取得して操作していたクレーン車の運転手が児童6人を死亡させ、翌12年4月には京都府亀岡市で無免許運転の少年が集団登校の列に突っ込み生徒と保護者が死傷した事故が発生し、被害者や遺族が危険運転致死傷罪に問えるよう声を上げ、マスコミもこれを支持したため法務省も無視できなくなり、13年11月に「自動車運転死傷行為処罰法」という法律(あくまで罪名ではない。つまり道交法と連動した自動車事故の加害者に対する刑罰の隙間を法律で埋めるという小手先のごまかし)を成立させた。この法律の施行により危険運転致死傷罪の適用対象の拡大と同時に、「過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪」(最長12年の懲役刑)が設けられた。
 何度も繰り返すが、私は法曹家ではない。一人の良識人として素朴な疑問を
呈しておきたい。
 まず、なぜ自動車事故の加害者に対して一般刑法の中での量刑を適用しないのか、という疑問である。わざわざ自動車事故に関してのみ一般刑法とは別の量刑体系の罰則をなぜ設ける必要があったのかという問題である。
 答えはとりあえずわかっているので、書いておこう。これまで自動車事故の加害者には業務上過失致死傷罪(過失が大きい場合は重過失致死傷罪)という一般刑法を適用してきた。そこにそもそも重大な錯誤があったと考えるべきではないかと思うのである。
 ナイフや包丁は一般に凶器とみなされるか。否、である。だが、抜身のナイフや包丁を振り回しながら人ごみの中を歩いていたら、たとえ人を傷つける行為に至らなくても凶器とみなされ可能性があり、もし殺意や人を傷つけるつもりはなくても、他人を死に至らしめたり傷つけたりした場合は一般刑法に定める殺人あるいは傷害罪が適用される。その理由は、ナイフや包丁は本来の目的外の行為に用いた場合「凶器」と化す可能性が高く、そのことはナイフや包丁の持ち主は当然の常識としてわきまえているということが前提にあり「未必の故意」(人を殺傷したり事故を起こすつもりはないが、結果的にそうなることが予測できる行為をすること)と見なされるからである。
 また、この事実はかなり知られていると思うが(私自身ネット検索するまでもなく知っており、法務省の担当者に電話して間違いでないことも確認している)、空手やボクシングの選手がけんかをして相手を殴って怪我をさせたり死に至らしめた場合、こぶしは凶器とみなされる。
 では道交法は何を目的に作られているか(自動車を運転する場合に限定する)。「車は走る凶器だから、安全な運転をするよう規則を定めたもの」のはずだ。だからスピード制限や飲酒運転、薬物使用運転、てんかんなどの持病のある人の運転規制を定めているのである(運転状態にない駐停車禁止は別の目的=交通の妨害行為になるという理由)。つまり制限を超えたスピードで車を走らせたり、飲酒して運転したりする行為は自動車を「走る凶器」と化す危険性があると、取り締まる側(要するに警察)は考えており、スピード超過の度合いが増すほど危険性は高くなり、飲酒量が多いほど危険性が高くなるという前提で道交法の罰則規定は定められている。
 実はスピード違反による危険性や飲酒量による危険性は個人差があるのだが、その個人差も違反したときの健康状態などで変化するため、個人差を考慮せずに一定の制限をすべての運転者に適用するのはやむを得ないと私も思っている。無免許で登校中の行列に突っ込んだ少年に対して、「無免許でも相当の運転歴があり運転技術が未熟とはいえない」と危険運転致死傷罪の適用を認めなかった裁判官の判決を盾にとって被害者側は「それなら運転者の個人差を認めず一律の罰則を定めている道交法は憲法に違反している」と高裁に提訴してみたらどうか。裁判官にもよるが、憲法違反を認める裁判官もいるのではないだろうか。
 ま、それは半分冗談だが、「車は走る凶器」というのは運転者にとって常識で
あり、免許取得時だけでなく更新時や軽い違反で講習を受ける際も必ずしつこ
いほど講師から「安全運転の心構え」として頭に叩き込まれている。それを前提として考えれば、この裁判で裁判官が個人差を理由に危険運転致死傷罪の適用を認めなかったのは、はっきり言って道交法の趣旨を無視したものであり、それなら飲酒運転による人身事故の場合もその人が飲酒していたか、また飲酒量がどうだったかより、その人の飲酒による運転の状態を完全無欠に再現したうえで個人差を認定し、判決を下さなければならないことになる。
 言っておくが、私は犯罪者の個人的事情を斟酌すべきではないと言いたいのではない。道交法は個人的事情を斟酌していたら成立しない。たとえば制限速度を個々人の運転技術によって変化させるなどということは不可能だ。
 ということは道交法と連動させた自動車運転事故の罰則を一般刑法から外すべきではないという結論にならざるを得ない。「車は走る凶器」という認識を前提にすれば、道交法に違反した時点で車は「凶器」になったと判断されるべきで、従ってそういう状態で起こした事故に対しては一般刑法の傷害罪あるいは殺人罪を適用すれば済む話だ。そうすれば、個人的事情も勘案できるし、事故を起こした状況に対する情状も、一般犯罪と同じ基準で考慮すればよいということになる。
 
 さて書き出しの本題に戻る。刑事裁判での判決が重くなる傾向は私も確かに感じる。だが、それは自動車事故の加害者に対する罰則が強化されたのに伴って一般犯罪に対する量刑も重くなるのは、刑罰の整合性を重視すれば当然のことである。それを過去の判例を盾にとって一審判決を覆した高裁の判断こそ時代遅れと言わざるを得ない。そもそも刑罰の軽重は何を持って基準とすべきかの議論がなおざりにされているのではないか。
 私は刑罰の目的は三つあると思っている。「法曹家でもないのに」という人は、「新聞は絶対間違ったことは主張しない」という驕りの持ち主だけだろう。
① 犯した罪に対する社会的制裁
② 反省の機会を与え、社会復帰への意欲と努力を促す
③ 犯罪に対する抑止力
 この三つのうち何を最優先すべきかは、その時代における国民の意志であるべきだと思う。国民の意思は時代とともに変化するし、いかなる時代にも通じる絶対的基準というものはない。国民の意思がその時々の感情で左右されることも承知の上で、民主主義とはそういうものだという認識を国民すべてが持つようになれば、一時的な感情に流されて国の針路を誤らせる選択をしてはいけないという、集団心理的感情に対するコントロール機能が働く。民主主義はそうやって遅々たる歩みで成熟していくものではないだろうか。(続きは14日から)
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