小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

トランプ大統領の身勝手この上ない通商政策を検証した。

2018-08-13 03:55:15 | Weblog
 10日から米ワシントンで日米通商協議が始まった(現地日付9日)。TPP(環太平洋パートナーシップ)から勝手に離脱した米トランプ政権が貿易赤字国を対象に高率関税をかけることを表明、当初はアメリカの安全保障上の危惧を口実に鉄鋼・アルミ製品に絞って高率関税をかけるとしていたが、その後トランプ政権の通商政策がコロコロ変わり、EUや日本に対して自動車にも高率関税をかけると言い出した。
 この関税障壁は、当初、同盟国には適用しないとしてEUは除外することを表明していたはずだったが(なぜか同盟国であるはずの日本は除外対象に含まれなかった)、朝令暮改が日常茶飯事のトランプ大統領の気が変わったのか、それとも政権内部で「中国や日本だけを狙い撃ちするような関税政策はアンフェアだ」という批判が強まったせいかは不明だが、いずれにせよ、こんな国を相手に協議して、いったん合意に達したとしても、いつトランプ氏の気がまた変わって合意事項を一方的に破棄される可能性も極めて高い。だから中国やEUは「やれるならやってみろ」と報復に乗り出している。なぜか日本だけは当てにできない二国間協議によって事態を打開しようとしているが…。
 前回のブログで私はプラザ合意による円高を、日本メーカーがどうやって乗り切ったかを書いた。それ以降約3週間になるのに、どなたからも批判が出ないということは、閲覧者の大半が私の分析をご理解いただいたと考えてもいいだろう。で、前回の続きとしてプラザ合意以降の日米貿易摩擦について検証する。トランプ氏の貿易政策が、いかに身勝手で不条理であるかを証明するためだ。このブログを読んでも安倍政権が二国間協議で貿易戦争の火の粉から免れると考えるようだったら、もう救いようがナいと、私は断言せざるを得ない。
 プラザ合意後の日本メーカーのビヘイビアーについては前回のブログで明らかにした。欧米諸国のように工場を閉鎖したり、従業員をレイオフして雇用調整したりできない日本では、何が何でも生産ラインの稼働を最優先せざるを得ない宿命を抱えている。たとえばシャープが液晶テレビで一人勝ちしていた時期、いわゆる「亀山モデル」の増産のために過大な設備投資を行ったのがシャープの命取りになったことは、賢明な読者諸氏ならお忘れではないだろう。
 もしシャープが日本のメーカーでなかったら、おそらく海外の企業に身売りしなくても、経営の立て直しは不可能ではなかったはずだ。現在シャープが立ち直ったのは、ホンハイ精密工業(台湾)の手によって進められている大胆な生産設備の整理統合、国内での白物家電の製造停止と、それに伴う雇用調整による。前回のブログでも書いたが、EUの対抗手段に対してハーレーが米国内での製造をやめて海外に製造拠点を移すことが出来るのも、ハーレーがアメリカの企業だからだ。当然トランプ氏は激怒したが、ハーレーとトランプ氏の「戦争」に米国内のメディアは大騒ぎだ。
 
 今回のブログは、アメリカがいかに身勝手な国であるかを証明することにある。カナダ・メキシコとの自由貿易協定の破棄、TPPからの離脱、パリ協定離脱、イラン核合意の破棄…すべて合理的根拠のない身勝手極まりないやり方だ。オバマケアを破棄しようと銃を野放しにしようと、そうした政策はアメリカ国内の問題で、アメリカ国民が納得するのであれば勝手にやればいい。だが、国際社会での約束事を自国の都合だけで勝手に破棄するといったことは、第2次世界大戦中の様々な出来事を想起させる。
 安倍さんよ、思い出してほしい。あなたが総理大臣として再び権力の座に就いた後、あなたは靖国神社に参拝した。その行為を激賞したのは産経新聞だけで、「国民が待ちに待っていた日が来た」とまで書いた。産経新聞にとっては閣僚の靖国神社参拝に批判的な国民はすべて「非国民」なのだろうが、そういう価値観からすればA級戦犯合祀以降参拝をやめられた皇族方はすべて「非国民」の範疇に入ることになる。いまでは安倍総理の御用新聞と化している読売新聞でさえ、米高官が「失望した」とコメントした途端、安倍さんの靖国参拝を批判する側に回った。
 産経や読売がどういうスタンスをとろうが、そんなことはどうでもいいが、はっきり言って米高官のコメントは内政干渉だ。安倍さん、あなたがアメリカの言いなりになるようになったのは、それからだよね。あなたに日本人として少しでも誇りがあれば、トランプ大統領の身勝手極まりない政策や発言(ツイートを含む)に、その都度なぜ「失望した」と言わないのか。あっ、そうか、あなたの辞書には「誇り」という言葉はなかったんだっけ…。
 安倍さんがどんなに卑屈になろうと私の知ったことではないが、その結果を国民が押し付けられたのではたまらないから、日米貿易摩擦の歴史的検証をしておく。トランプ大統領の身勝手さが一目瞭然になるからだ。

 1985年のプラザ合意以降の2年間に1ドル=240円前後から120円台へと急速な円高を、日本メーカーは日本の消費者を犠牲にしながら輸出量を維持するためのダンピング輸出で乗り切ったことは前回のブログで明らかにした。
 その結果、急速な円高にもかかわらず日米貿易摩擦はかえって激化することになった。当時のNHKはかなり良心的な放送局で、看板番組だった『NHK特集』で、のちに自民党から担がれて都知事選にも立候補した(結果は落選)磯村尚徳(ひさのり)氏がキャスターを務めて、86年4月26日から3夜連続で大型番組『世界の中の日本――アメリカからの警告』を放送した。通常の『N特』の放送時間枠を大幅に超え、1夜目が1時間45分、2夜目が1時間30分、3夜目に至ってはニュースを挟む2部構成で2時間15分、3夜合計で5時間25分という超大型番組であった。ゴールデンウィーク直前という時期だったにもかかわらず、この番組は大反響を呼び、のちにスタッフは放映できなかったエピソードを加え雑誌形式の単行本にして(私の記憶では3冊)出版したほどだ。
 この番組の企画が持ち上がったのは、85年9月に開かれたG5の直後、つまりプラザ合意を受けて「アメリカが何に怒っているのか」「アメリカの本音を探ろう」というテーマで取材に入ることになったという。
 実はこの年(85年)夏、ピューリッツァー賞を受賞したこともある米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイト氏がニューヨーク・タイムズ日曜版のカバーストーリーに『日本からの危機』と題する論文を掲載し、日本でも翻訳されて大きな話題になった。この論文でホワイト氏はこう書いた。
「第2次世界大戦後40年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体させつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種にすぎないのか、それともアメリカより賢くなるべきことをついに学んだのかは、今後10年以内に立証されよう。そのときになって初めて、第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったかを、アメリカ人は知るであろう…」
 いずれにせよ大反響を呼んだ『世界の中の日本』はシリーズ化され、NHKはアメリカから「日本は異質だ」とまで極め付けられることになるジャパン・バッシングの検証作業を続けていく。
一方、アメリカは「日本の大改造」に着手する。1989年9月から90年6月まで断続的に開催された日米構造協議がその舞台になった。
 日米構造協議では、日本もアメリカの問題点を追及した。たとえばアメリカの企業の大半が採用している四半期決算制度。日本も「物言う株主」村上ファンドの登場以降、株主に対する優遇策を重視する会社が多くなってきたし、サラリーマン経営者も高給を取るようになってきたが、当時は「人本主義」という日本経済論(日本の会社は株主のためでもなく消費者のためでもなく、サラリーマン経営者を含めた社員全体のためにあるという説)が話題を呼んだ時期でもあった。つまり、「日本の企業は将来のための長期投資に重点を置いているが、アメリカは短期の利益を追求する経営に傾いた結果、日本との技術開発競争に負けたのだ」とアメリカ側を批判した。
 が、アメリカの交渉テクニックはもっぱら日本のメディアを巻き込むことで日本を圧倒することになる。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心だ」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
 とりわけ米国産牛肉の関税障壁を追求した米商務省の「もし関税が撤廃されたら、日本人は毎週ステーキを食べることが出来る」というレトリックが効いた.「大店法のために、日本の消費者は不当に高いお金を支払わさせられている」「市場を開放して、競争原理がもっと働くようにすべきだ。消費者の利益になる」etc。日米構造協議は完全にアメリカの作戦勝ちに終始した。日本は押しまくられ、大店法の廃止や農畜産物の関税引き下げに応じざるを得なくなった。
 いま日本は、この日米構造協議でアメリカ商務省が駆使したレトリックを、そっくり熨斗(のし)を付けて返上すれば、直ちに一件落着になる。
 日米構造協議が行われていた時期、日本の農畜産業者は困窮していた。もし、どっとアメリカから安い農畜産物が輸入されるようになると、彼らにとっては死活問題になるからだ。日本の食料自給率はカロリーベースで現在38%。アメリカは130%、フランス127%、ドイツ95%、イギリス63%で、先進国の中で日本の自給率は最低だ(データは農水省)。日本の場合、平地が少なく、また農家の規模も欧米に比べて小規模なため生産コストがどうしても高くなる。が、トランプ大統領が「安全保障」を口実に輸入関税を高率化するというなら、安全保障は軍事力だけではない。食料自給率の低さも日本にとっては極めて重要な安全保障上の大問題である。日本はなぜ安全保障を口実に農水畜産物の関税を引き上げるぞ、とやり返さないのか。
 そのうえ、トランプ大統領の通商政策は、かつて構造協議でアメリカが日本を批判した「消費者本位ではなく、生産者中心だ」という、当時のアメリカの主張が自らに跳ね返っていることを、なぜ日本は主張しないのか。もし、EUがいまの日本と同じ立場に置かれていたら、間違いなくそう言うしっぺ返しに出ている。トランプ氏の顔色をうかがいながらの通商協議など、ただちに打ち切るべきではないか。
 さらにトランプ氏の言い分のおかしさはほかにもある。トランプ氏は「アメリカが貿易赤字になっているのは不公平な関税のためだ」と主張しているが、ではオーストラリアなど、貿易黒字国に対してはどうするのか。「黒字はいいが、赤字だけダメ」などという身勝手な言い分が国際社会で通用するとでも思っているのか。「赤字の貿易はしない」というのがトランプ氏の通商政策だというなら、「どうぞ、ご勝手に。いっそのこと鎖国を宣言したら」と突っぱねればいい。アメリカは国土も広いし、資源も豊富だ。食料自給率も先進国で最大だ。鎖国体制をとっても自給自足は十分可能だ。日本はそう主張すればいい。
 
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トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の行方は? アベノミクス失敗のツケが回ってきたよ!

2018-07-25 07:50:24 | Weblog
 アルゼンチン・ブェノスアイレスで開かれていた主要20か国・地域の財務担当相・中央銀行総裁会議(G20 日本からは麻生財務相・黒田日銀総裁が出席)が終わった。いちおう発表された共同声明では「自由貿易の推進、保護主義との対決」といった従来方針を継承した。が、アメリカ発の世界貿易戦争に対する対策や、トランプ大統領のアメリカ・ファースト主義丸出しの関税政策への批判は封印されたようだ。しかし、ノー天気としか言いようがない麻生財務相は「(G20の成果について)きちんとした方向で落ち着いてきた」と高く評価した。日本にとっても貿易戦争は「対岸の火事」ではないはずだが…。
 私が「貿易戦争」という言葉を初めて使用したのは7月9日にアップしたブログ『いま、日本が直面する四大危機…』である。その四大危機の一つとして「世界貿易戦争勃発か?」としてアメリカの身勝手さを告発した。
 実はその数日前に朝日新聞には電話で「いま生じている事態はもはや(貿易)摩擦と言える域を超えた。もはや兵器を使用しない戦争だ」と申し上げた。私の記憶ではメディアが「貿易摩擦」から「貿易戦争」に言い換えだしたのは7月中旬以降だったと思う。トランプ大統領の通商政策は、鉄鋼・アルミ製品にかけるとした25%の関税(中国に対してはすでに発動)の口実「アメリカの安全保障のため」が「口実のための口実」に過ぎないことが、その後の関税政策でも明らかになった。日本やドイツからの輸入自動車がなぜ「アメリカの安全保障」を脅かしているのか。トランプ大統領も説明できまい。
 中国やEUは真っ向からアメリカ発の貿易戦争を受けて立つ姿勢を示している(中国はすでに発動している)。ノー天気なのは、日本だけだ。世界から日本はどう見られているか。安倍さんはアメリカに追随することが「日本の安全保障は戦後最大の危機に直面している」ため最優先政策なのか。アメリカに頭を下げて「日本にだけは関税攻撃をやめてください」とお願いすれば貿易戦争を回避できると考えているのかもしれないが、そうした考え方そのものが世界からどう見られているか、安倍さんは考えたことがあるのだろうか。

 第2次世界大戦が終結する約1年前の1,944年7月、米ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44か国の財務担当相が集まって戦後の世界経済正常化のための国際会議を行った。第2次世界大戦勃発の最大の要因が、列強を中心としたブロック経済圏同士の覇権争いにあったという反省から、金との兌換(交換)を保証していたアメリカの通貨・ドルを世界の基軸通貨として世界各国が認め、各国通貨の米ドルとの交換比率を一定に保つことが決められ、公平で平等な自由貿易体制を構築することになった。いわゆるブレトンウッズ体制の確立である。実はこの会議にはソ連も参加して協定に調印したのだが、最終的には国内で批准しなかった。
 日本も戦後、この体制の下で1ドル=360円(±1%)と決められ、この固定相場制の下で戦後の経済復興を成し遂げてきた。戦後復興の大きな要因として朝鮮戦争特需や池田内閣による高度経済成長政策が取り上げられることが多いが、実は最大の要因は、この恵まれた固定為替によって日本製品の輸出競争力が格段に高まったことにある。戦争による痛手をほとんど受けることがなかったアメリカが、戦後世界経済発展のゆいつの牽引車になり、そのアメリカ向けの輸出拡大で日本経済は回復の足場を築いてきたからだ。日本の経済学者たちは、なぜかこの最大の経済回復要因をあまり重視していない。無能なせいかどうかは、私にはわからない。なお日本がGNP(国民総生産…現在は経済指標としてはGDP=国内総生産=が使われているが、実質的に同じである)で西ドイツを抜き世界第2位に躍進したのは1969年である。
 いずれにせよ、このブレトンウッズ体制の下で日本経済が繁栄を謳歌できたのは四半世紀ほどだった。アメリカがあまりにもドルを世界にばらまきすぎたことやベトナム戦争での戦費がかさんだこともあって米経済の疲弊が進み、ドルとの兌換を保証してきた金の保有量とドルの流通量との格差が生じだしたのである。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が前触れも一切なく、いきなりドルと金の兌換の停止を発表した。「ニクソン・ショック」である。
 それでもその年12月18日にはワシントンDCのスミソニアン博物館に世界主要国10か国の蔵相が集まって金との兌換保証のない米ドルをいったん切り下げたうえで、米ドルを引き続き世界の基軸通貨として容認して固定相場制の存続を決め、各国通貨のドルとの交換比率を見直すことにした。その結果、西側ヨーロッパ諸国をはじめ、先進国の通貨は切り上げられることになり、日本の通貨も1ドル=308円に切り上げられたが、日本経済はそれほどの打撃は受けていない。変動相場制に移行するまでのこの時期は、いちおうスミソニアン体制と呼ばれているが、基本的には固定相場制の手直しであり、私はブレトンウッズ体制の崩壊とは考えていない(ブレトンウッズ制度なら別)。
 実質的にブレトンウッズ体制(為替の固定相場制)が崩壊したのは1973年である。その前年72年6月にはイギリスがまず変動相場制に移行(米ドルが世界の基準通貨になったのは先に述べたように戦後であり、それまではイギリスの通貨ポンドが事実上最も信頼できる通貨とされており、ドルの信頼性低下に伴ってポンドの復権を期待したのかもしれない…私の偏見的見解)、73年3月までに日本を含め主要国が相次いで変動相場制に移行し、円高が進み出した。
 この年10月、第4次中東戦争がぼっ発し、それを機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国中ペルシャ湾岸に面する6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げ、ついでOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の段階的削減を決定、石油資源のほとんどを中東に依存していた日本経済は大打撃を受ける。
 変動相場制への移行による円高に加えての石油ショックにより、日本経済はハイパー・インフレ(悪性インフレ)の悪夢に襲われる。実際にはそこまでいかなかったが、それでも翌74年の消費者物価指数は27%も上昇、流通業界の「買いだめ売り惜しみ」もあって洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品は「狂乱物価」状態に陥り、消費者の家計を直撃した。GNPは-1.2%を記録、戦後初めてのマイナス成長を記録、高度経済成長時代はこの年をもって終焉した。
 が、この危機的状況が、皮肉なことに日本産業界のカンフル剤になった。円高で輸出競争力が低下したうえに原油価格の高騰で生産コストが急増したことが、逆に日本産業界にとっては「神風」になったのだ。こういう認識を持っている経済学者は私が知る限り日本には一人もいない(海外については知らない)。
 一方アメリカは、日本ほど影響を受けなかった。ドル安が進んでいたし、石油産出国でもあったからだ。日米産業界が置かれていたポジションとの違いが、その後の経済摩擦を生む最大の要因となった。ほとんど危機感を持たなかったアメリカに対し、日本産業界は重大な危機感を持った。日本産業界は従来の重厚長大型から、「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」など、今日ならいずれも流行語大賞を受賞してもおかしくないスローガンを掲げて産業構造の大転換を図る。そのためのキー・テクノロジーになったのが半導体技術である。
 日本は国をあげて半導体技術の革新に取り組み出した。半導体研究の二つのプロジェクトをスタートさせたのだ。ひとつは電電公社(現NTT)武蔵野通研が中心になってNEC、富士通、日立が参加した次世代メモリの研究開発チーム。もう一つは通産省(現経産省)が音頭をとってNEC、富士通、日立、東芝、三菱などが参加して立ち上げた超LSI技術共同組合である。この研究開発費700億円のうち300億円を国が補助している。
 当時世界の半導体市場のシェアの70%以上をアメリカ勢が握っていた。が、石油ショックで重大な危機感を抱いて国の総力をあげて研究開発に乗り出した日本勢が、一気にアメリカを追い抜き、わずか数年で形勢逆転に持ち込んだ。半導体産業でアメリカを追い抜いただけではない。世界のトップに躍り出た日本の半導体技術を活用したのが家電などのエレクトロニクス製品や自動車etc。雪崩を打つように日本製品がアメリカ市場に流れ込んだ。アメリカ産業界は一気に窮地に追い込まれた。
 日本はこの時に、もう一つの神風を受けていた。西ドイツが日本と競争できなかったからである。なぜか。
 半導体の生産には純水が必要だ。その純水がヨーロッパの水質では作れない。西ドイツに限らずヨーロッパの先進国で半導体産業が一つも生まれなかったのはそのためだ。西ドイツが水質に恵まれていたら、日本経済のその後の発展はなかったかもしれない。
 一方、石油ショックでヨーロッパや日本の経済が疲弊した時期、その余波は当然アメリカも受けた。が、アメリカは日本と異なり、経済再活性化への道を国内消費の拡大に求めた。この手法はアメリカ政治の伝統的手法であり、何度失敗しても懲りない国でもある。
 この時期もアメリカは金融緩和によって国内の消費を刺激した。インフレが進み、日本製品だけでなく、遅ればせながら日本から最先端のエレクトロニクス製品を購入してエレクトロニクス化を進めた西ドイツの工業製品もアメリカ市場に流れ込んでいった。
 アメリカにとって気の毒な面もあった。東西冷戦が続いており、西側防衛のためのアメリカの軍事費は拡大の一途をたどっていた。とくに81年1月に発足したレーガン政権は「強いアメリカの再生」をスローガンに、対ソ軍拡競争を仕掛けていた。その結果、軍事費は膨らむ一方、インフレ克服のため急激な金融引き締め策をとらざるを得なくなった。レーガン政権発足1年後には市中金利が20%を超えるという事態になり、投機マネーがドル買いに集中する結果を招く。ドル高による深刻なデフレ不況がアメリカ経済を襲った。そのうえドル高で輸出競争力を失ったアメリカ工業界は生産拠点を海外に移し出した。アメリカの産業空洞化はこうして始まったのである。
 こうした困難を回避するには再び金融緩和すればいいのだが、金融を緩和すればドル高は収まるが、財政赤字は膨らむ。アベノミクスが金融緩和によって財政赤字が膨らんだのと同じ理屈だ。赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増大させるのが金融緩和だから、当然と言えば当然だ。
 国内の金融政策ではどうにもならなくなったレーガン大統領は、貿易赤字の元凶である日本と西ドイツに救済を要求した。それが85年9月にニューヨークのプラザホテルで開催したG5である。アメリカが他国に頭を下げて救済を頼んだのは、おそらくこのプラザ会議が最初で最後ではないかと思う。ま、アメリカは他国に頭を下げて頼んだなどとは絶対に認めないだろうが…。
 G5の参加国は米・英・仏・西独・日本の5か国。日本からはのちに首相になる竹下登蔵相が出席した。レーガン大統領の狙いは日本と西ドイツの2か国だけだったが、イギリスとフランスも呼んだのは両国のメンツを考慮したためか、あるいは日本と西ドイツへのプレッシャー効果を高めるためだったのか。いずれにせよ、日本はアメリカの要請に応じてドル売り政策を発動、プラザ合意が行われた9月23日の1日だけで為替相場は1ドル=235円から一気に約20円もドル安円高になった。さらに1年後には150円台に、2年後には120円台へと急速にドル安円高が進んだ。
 実はこの急速な為替変動が日本ではバブル景気の遠因になったという説もあるが、このブログではそこまでは立ち入らない。日本の工業界がどうやってこの時期の円高を乗り切ったのかの検証だけしておく。この時期の日本企業(円高の衝撃をもろに受けた輸出産業)のビヘイビア原理を解明すれば、アベノミクスの失敗原因が手に取るように理解できるはずだからだ。

 アベノミクスが金融緩和によってデフレ不況脱却を目指したことはだれも分かっていると思う。それが、なぜ「絵に描いた餅」で終わったのか。
 そもそも安倍政権が発足したときの経済状態は、確かに好況とは言えないまでも、それほど不況感が強く、経済活動が停滞していたと言えるだろうか。少なくともプラザ合意後の2年間での円高に比べれば、それほど大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。
 金融緩和の一番手っ取り早い方法は赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増やすことだ。通貨も商品だから供給量を増やせば通貨の価値は下がる。つまり円安になる。円安になればメーカーの国際競争力は強くなる。いままでより安い価格で輸出できることになるはずだ。
輸出価格が下がれば、海外での需要も増える(国内の需要は為替相場とは直接は連動しない)。需要が増えればメーカーは供給を増やすだろう。つまり生産力を増強するだろう。生産力を増強するためには設備投資をするだろうし、雇用も増やす。そういう歯車が回れば、日本経済は活性化する。これがアベノミクスの「絵に描いた餅」の正体だ。それ以上でも、それ以下でもない。
 では、なぜそういう結果が生じなかったのか。その理由を説明するために。私はプラザ合意後のメーカーのビヘイビアを検証することにしよう。
 実はプラザ合意で円高になった分、本来ならメーカーは輸出価格を値上げしなければならなかったはずだ。たとえばそれまで1万ドル(当時の円換算で240万円)で輸出していた商品があったとして、円が倍になったら輸出価格を2万ドル(円換算で480万円)に引き上げなければならないはずだ。もし、ドル建てで同じ価格(つまり1万ドル)で輸出しようとすれば(そうすれば輸出競争力は低下しない)輸出価格は円換算で120万円にせざるをえなくなる。実質的に半値で輸出することになる。これで採算が取れるだろうか。
 ところが、それに近いことを日本のメーカーは当時していたのである。例えば自動車。プラザ合意以降、輸出価格はドル建てで多少は値上げしたが、せいぜい20%程度だった。アメリカから「ダンピングではないか」と追及されると「合理化努力によってコストダウンを図ったのだ」と居直った。実際、知人の都銀支店長から「左ハンドルでよければ、ものすごく安く入手できるよ」と言われたことがある。私は左ハンドルの運転に自信がなかったので、せっかくのチャンスを逃したことがある。
 合理化努力によってコストダウンを図ったのだとしたら、日本国内での販売価格も同様に値下げしてもいいはずなのだが、国内価格は据え置いたままだった。なぜか。その背景には日本独特の雇用関係があったからだ。

 トランプ大統領の関税攻撃に対してEUは「ハーレーのバイクにも25%の関税をかける」と対決姿勢をあらわにした。途端にハーレーは「EU向けの製品はアメリカ国外で生産する」と発表した。トランプ大統領は頭を抱えたが、実はハーレーが日本の会社だったらそういうことは不可能なのだ。アメリカをはじめほとんどの国は、いいか悪いかは別にして、会社の都合によるレイオフ(解雇)や工場閉鎖が自由にできるが、日本ではレイオフや工場閉鎖は会社の都合ではできない。従業員に対する雇用環境が世界一保護されているからだ。
 日本もバブル景気が破たんして「失われた20年」を迎える以前は、いわゆる非正規社員という存在はほとんどなかった。もちろんアルバイトやパートといった雇用形態はあったが、勤務状態が正社員と同じでいながら非正規という雇用形態はほとんどなかったといってもいいだろう。
 バブル崩壊以降、非正規という雇用形態が急増したのは、非正規ならばいつでも解雇できるからである。右肩上がりの成長は今後見込めないと考えられる業種ほど、当面必要な人材は非正規で採用したほうが雇用責任も発生しないからである。だから就職先として人気はあっても右肩下がりの出版業界など、正規社員として入社するのは極めて困難である。
 だから「働き方改革」の一環で正規社員と非正規社員の格差是正が求められても、そのこと自体は会社にとってさほどきついことではない。正規社員であれば、年功序列で昇給や昇格をある程度保証しなければならないが、非正規であればつねに労働に見合った賃金を支払えばよく、また不必要になればいつでも解雇できるからだ。安倍さんは、鬼の首でも取ったように格差是正を誇っているが、非正規社員の雇用の不安定状態はまったく変わっていない。

 プラザ合意後の急速な円高で、日本のメーカーが困ったのは、こうした日本特有の雇用関係が背景にあったからであある。円高と関税はもちろん別物だが、輸出産業にとっては同じ効果を持つ。アメリカのハーレーのように、「25%も関税をかけられるなら(為替が25%上がるのと同じ効果になる)海外で生産する」という経営判断が日本ではできないのだ。日本企業がある程度身勝手にならざるを得ないのは、そうした事情による。
 つまり、こういうことだ。日本のメーカーにとっては工場を閉鎖したり、あるいは生産ラインの一部を止めたりして生産量を調整することは、たちまち生産コストの増加を意味する。従業員の給与は、日本ではランニング・コストではなく、固定経費だからだ。生産コストの増加を防ぐには、まず生産量を維持することを最優先しなければならない。生産量を維持するには輸出量も維持しなければならない。円高になっても輸出価格に反映できず、ドル建て輸出価格を極力下げないようにしなければならない。その結果輸出が赤字になっても、国内販売でカバーできればメーカーは最小限の利益は確保できる。
そのしわ寄せが、国内の消費者に回ったのもそのためである。実際、当時は逆輸入(いったんアメリカに輸出した商品をアメリカで買い付けて日本に持ち帰ること)のほうが安いというおかしな現象が生じ、私も仕事や遊びでアメリカに行ったときにはゴルフボールなどアメリカで買ったことがしばしばある。ご存じのようにゴルフボールは結構重い。それでも、その「苦役」に耐えるだけの価値があった。それほど日米の価格差が拡大した時期があった。アメリカがダンピング輸出だと怒り、日米経済摩擦が爆発したのも、そのせいだ。アメリカの自動車のメッカであるデトロイトで、日本車の輸入激増で職を奪われた労働者たちが日本車を叩き壊したり、火をつけてうっぷんを晴らしたことを、安倍さん、もう忘れたのかね。
なお、シャネルなどの一流ブランド品を海外で安く買い付けて日本に輸入するビジネスを「並行輸入」というが、これは日本では不当に高値で販売している正規代理店の、「日本人は値段が高くないと買わない」という信じがたい販売戦略に対する対抗ビジネスで、ダンピング輸出された日本商品をアメリカで安く買って持ち帰る逆輸入とは違う。
いずれにせよ、そうした日本メーカーが抱えている宿命的問題を安倍さんはまったく理解していなかった。だから金融緩和によって為替相場を円安誘導すれば 【日本メーカーの輸出競争力が回復→設備投資による生産力の拡大→雇用の増加→日本の労働者の総収入アップ→国内消費の回復→デフレ不況からの脱却】 という「絵に描いた餅」が食べられなかった理由はそこにあった。日本のメーカーにとっては少子化によって市場の拡大が期待できない以上、設備投資などすれば地獄を見ることになることが、100%確実だったからだ。とくに自動車などは大都市の公共交通手段の利便性増強もあって若い人たちのクルマ離れが激しく、国内市場は縮小の一途をたどっており、回復の見込みはない。
当然メーカーは円安になっても生産量を増やさず、輸出価格を据え置いて為替差益をがっぽり、内部留保だけ史上最高を記録(利益も史上最高)、という極めて論理的な果実を得ただけだった。そうした結果は、結果を見るまでもなく、プラザ合意後の円高の中で日本メーカーが示したビヘイビア原理を検証していれば、確実に予測できたはずである。頭の悪い人が経済政策を立てると、こういう結果になる。
結果が出てから内部留保に課税したらといった議論も政府で出たようだが、それは重複課税になるから(内部留保は課税後の利益だから)検討するまでもなく無理。「内部留保を賃金として従業員に渡せ」というもっともらしい主張もあるが、日本の大企業の場合、労働組合が単産(単位産業別)組織になっており、昔より自由度は高くはなったが依然として横並び意識が強く、例えば自動車メーカーで言えば勝ち頭のトヨタだけが突出して過大な賃上げをすることに抵抗が強い。

このブログもかなり長文になり、私も疲れたので、この辺で終わらせていただくが、アメリカがEUに対しても関税戦争を仕掛ければ、EUも直ちに報復手段に出る。そのときは間違いなくEUは中国と手を組む。
トランプ大統領は貿易戦争を仕掛けるに際して、当初、「同盟国は除外する」と言っていたが、日本は同盟国でありながら貿易戦争の標的にされていた。その時点ではEUは貿易戦争の対象から除外されるはずだったが、トランプ大統領の気が変わったのか、あるいは政権内で「そういうやり方はフェアでない」と批判が出て方針を変えたのか、メディアがだらしがないため事情がさっぱり分からない。
いずれにせよ、EUが中国と手を組んで本格的な世界貿易戦争に突入したとき、日本はどうする?
それでも「何とか話し合いで解決を」と、アメリカに頭を下げ続け、世界中からコケにされるつもりか?
安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。

【追記】今日(10日)から日米通商交渉が始まる。この長文のブログはまだ読者が一向に減る気配がないが、来週月曜日【13日】には強行更新する。今日から原稿を書き始めるが、政治家やメディアの方たちは思い出してほしい。私は78歳になるが、私よりはるかに若い方たちが、私以上に認知症(健忘症?)になりながら大きな顔をして御託を並べている事態に我慢がならないからだ。
なぜ認知症になってしまうのか? 目先の情報に振り回されてしまっているからだ。
そういう方たちに重大なヒントだけ差し上げておく。
日本がバブル景気によっていた1989年9月、アメリカの要求によって日米構造協議が開始された。その時もアメリカは貿易赤字に苦しんでおり、日米貿易摩擦が火を噴いていた。アメリカ側は日本の行政スタンスをこう攻撃した。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心になっている」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
いまのトランプ大統領の保護主義的貿易政策は、この時のアメリカの日本に対する批判を、そのまま熨斗をつけて返上したらどうか。今回の日米通商交渉に際し、日本代表は、そのくらいのハード・ネゴシエーションを覚悟すべきだ。やたらトランプにおべっかを使って、少し負けてもらおうなどというさもしない態度だけは取ってほしくない。
 
 
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緊急告発! 民主主義とは何かが、いま問われている⑲ーー参院選の合区解消は民主主義の前進か後退か?

2018-07-19 11:40:50 | Weblog
 昨日(18日)、参院議員の定数を6つ増やす改正公職選挙法が成立した。「この時期に議員定数を増やすことに国民の理解が得られない」として、採決に際して船田元議員(自民党所属)は議場から退席した。
「男をあげた」などというと差別用語だというお叱りを女性議員から受けるかもしれないが、私はあえて船田氏に対してこの言葉を贈る。
というのは、その一方で「男を下げた」議員がいたからだ。超党派の国会改革を目指す議員集団を作り上げた小泉進次郎議員が、採決に際して白票(賛成票)を投じたからだ。その瞬間、静粛だった議場にどよめきが奔った。誰もが小泉議員の投票に大きな関心を寄せていたからだ。
もともと小泉氏はこの改正公職選挙法に批判的だった。採決が終わり、議場から出てきた小泉氏は当然メディアの取材陣に囲まれた。小泉氏は「改めて国会改革をやらなければいけないとの決意を新たにする意味での賛成だ」と弁解した。「男を下げた」瞬間だった。
だらしがなかったのは、メディアの取材陣だ。「なぜ白票を投じることが国会改革につながると考えたのか」と追及しなかったからだ。
衆院選における「一票の格差」問題について最高裁は「2倍を超えたら違憲」という判断を下した。なぜ2倍以内なら有権者が投じる一票が平等なのかは、頭の悪い私には理解不能だが(強いて最高裁判事の判断基準を憶測すると、小数点以下切り捨てにした場合、倍率が1.9999…なら1とみなすということなのだろうか)、最高裁はこの判決(11年3月23日)で、「一票の格差」が2.000…1を超える違憲選挙制度の欠陥は「一人別枠方式にある」と選挙制度改正を国会に求めた。
この判決を受けて国会では300の小選挙区(当時。現在は289に削減)のうちあらかじめ各都道府県に割り当てていた「別枠」の47議席を廃止した。さらに翌12年には参院選についても最高裁は都道府県単位を選挙区とする選挙制度に否定的見解を出したことで国会はいったん鳥取・島根と徳島・高知の両県をそれぞれ合区として一つの選挙区にした。
最高裁判決の決定は最終決定とされているため、国会も国民も従わざるを得ないが、私は最高裁が常に正しい(「正しさ」の基準は人や組織によって異なるが)決定を下しているとは考えていない。
そもそも「民主主義とは何か」について、最高裁判事たちは真剣に議論したことがあるのだろうか。一人ひとりの権利を完全に平等にするなどということは絶対に不可能で、だから民主主義はやむを得ず「多数決原理」を採用している。この「多数決原理」という、民主主義制度の最大の欠陥を補完するため、「少数意見にも耳を傾けよ」というルールが採用されてもいるが、しかし最終的に採決する際、少数意見が採択されることは絶対にありえない。もし議長が少数意見を採択するようなことが可能であれば、それはもはや民主主義ではなく独裁政治を意味するからだ。
そう言う前提に立った場合、最高裁は「少数意見をどう政治に反映させるか」を基準に選挙制度の問題点を考えるべきであった。
アメリカでは、日本の衆院に相当する下院では各州の人口比に応じて議員定数が割り当てられている。現在の日本の小選挙区の選挙方法とほぼ同じだ。ただし、アメリカには日本のような比例代表区というのはない。だからアメリカにも弱小政党は日本以上にたくさんあるが、実際に下院議員になるチャンスはほぼなく、政権交代可能な2大政党政治が長く続いている。
ただ、日本の参院に相当する上院は世界にもまれにみる選挙方式になっている。50の各州の議員定数はすべて2人で、計100人だ。そのため上院議員の割合はつねにほぼ与野党が互角である。しかもアメリカでは上院・下院ともに党議拘束がかけられない(そういう規則になっているのか、日本と違って議員は所属政党の力にあまり頼らず「草の根」選挙で勝ち抜いてきたために党の方針に拘束されないからなのかは、メディアが報道してくれないのでよくわからないが…)アメリカの政局のカギを上院が握るケースが多いのは、そのためだ。
いずれにせよ、日本の最高裁のように形式的平等主義でアメリカ上院の選挙制度を「民主主義」についての最高裁判事の判断基準で見る時、目を回さない判事がいるだろうか。アメリカの上院選挙では一票の格差が100倍を超えているだろうからだ。
そういう意味では日本では参院は衆院のカーボン・コピー(カーボンは今は使用が禁止されているが…)と批判を常に浴び続けてきている。参院議員の自覚を待つのは「百年、河清を待っ」ても、はっきり言って無理だ。とくに「政党助成金制度」という悪法が出来て、所属議員はよほど力がない限り党の方針に逆らえない仕組みになってしまったからだ。
だとしたら、参院が衆院のカーボン・コピーにとどまらない議会にするためには、いっそのこと形式主義的民主主義の考え方を捨てて、アメリカ上院のように47都道府県に各二人の議員定数を割り当てたらどうか。そうすれば、地方の小さな声が大きな声として国政に反映させることも可能になる。沖縄県民の「基地をなくしてほしい」という声や、原発立地県の「原発、もういらない」という悲痛な声も、全国民が共有できるようになる。
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いま、日本が直面する四大危機ーー内閣支持率急回復・働き方改革への野党対応・世界貿易戦争勃発か?・オウム死刑ーーについて考えてみた。

2018-07-09 01:43:04 | Weblog
 前回のブログ記事を投稿してから、もう2週間以上が過ぎた。その間、猛暑で体調を崩していたわけではない。
 米朝首脳会談後の米朝の動向や働き方改革の問題など、すでにいくつかの記事を完成させていた。が、前回のブログの閲覧者数が一向に減少せず、また訪問者 : 閲覧者の比率が200%をいまだに切っていない状況で、今日まで更新の機会を得られなかっただけのことだ。
 そういう状況の中で、最近の諸問題について、いくつかの雑感を今日は述べておきたい。

 まず内閣支持率の急回復。「人のうわさも75日」(『成語林』による)と言われる。私自身は49日と思っていた。念のためネットで調べてみた。75日説は「五行思想」によるというが、根拠は不明。49日説は仏教儀式に根拠があるようで、人の死後49日間は喪に服す期間からきているという。いずれにしても科学的根拠は薄い。
 もう少し論理的に考えると、高齢化が進んで日本人の記憶力が平均的に衰えているのではないか。そう考えると、メディアがモリカケ問題をあまり扱わなくなったころから徐々に内閣支持率は回復基調に入っていったのではないかと思われる。メディアの世論調査は成人を対象に行われるから、調査対象者の平均的記憶力は日本人全体よりかなり劣っていると考えてもいいだろう。そうした状況を考慮に入れると、私に言わせれば「人のうわさも初7日まで」という感じだ。
 安倍内閣を窮地に追い込むためには、野党だけでなく与党内の反安倍勢力も連携して勢力の拡大を図る必要があるのに、そうした動きが一向に見えない。どうせ今年9月の総裁選では勝ち目がないから、「次の次」のために泡沫扱いされようと旗をあげることに意味を見出しているのかもしれない。オリンピックと違って政治は「参加することに意義がある」わけではないはずだが。おっと、最近はオリンピックも「勝つために参加する」ことに意義がある、に変わってきているようだが…。

 次に働き方改革の問題点を二つ。いまの状況だとせっかく書いた原稿を没にせざるを得なくなりそうなので、野党側の追及の問題点に絞って書いておく。ポイントは「高プロ制」と「同一労働同一賃金制」の二つ。
 高プロ制を、企業側の権利ではなく、労働者側の権利にしたらどうか、という「逆転の発想」による提案なり追求が野党からまったくなかった。夏ボケしたのか。
 高プロ制を「私の仕事の成果は時間では測れない。だから高プロを適用してもらいたい」という要求を労働者が行える権利にしたら、どうなっていたか。その要求は、正当な理由がなければ企業側は拒否できないとしたらどうか。企業が拒否しようとした場合は、公正な第三者機関の審査にゆだねればいい。
「高プロ制」をそういう制度にひっくり返していたら、1075万円以上の高収入労働者に限定して適用する必要もなくなる。もし野党がそういう提案をしていたら、おそらくメディアはこぞって支持したであろうし、働き改革をめぐる議論は一変していたであろう。
 もう一つの「同一労働同一賃金制」。これは私自身多少忸怩たる思いがある。「高プロ制」の前身は「成果主義賃金制」である。その時期から野党もメディアも「残業代ゼロ制度」と批判していた。この「成果主義賃金制」について、私はその前提として「同一労働同一賃金制」を導入・定着しなければだめだ、とブログで主張してきた。この時期はまだ正規・非正規の格差問題は社会問題化していなかった。企業業績が回復の途に就いたばかりで、どの企業も正規・不正規の格差是正どころではなかったからでもある。
 が、企業業績が急回復するようになって以降、その恩恵を蒙れた正規社員と、ほとんど「蚊帳の外」に置かれてきた非正規の、社会福祉を含めての賃金格差が大きな社会問題になるようになった。で、安倍内閣が「同一労働同一賃金制」の導入を打ち出して以降、大企業のいくつかは非正規社員の正規社員への転換を進めていった。そのことを、私は問題にしているわけではない。
 ただ非正規社員の正規社員への転換を進めた大企業のほとんどは急成長を遂げつつあり、人手不足と人材難がさらなる成長にとって大きな壁として立ちふさがっていた。はっきり言って正義感からではなく、「背に腹は代えられない」行為としての正規社員への登用だった。
 誰もまだ気づいていないことを書く(もっとも、私はいくつかのメディアに同一賃金同一賃金が包含している問題点を指摘し、メディアの大半から「指摘はもっともだと思います」との好意的返事をもらっている)。それは同一労働同一賃金の対象は正規・不正規の格差是正にとどまらないということだ。パートやアルバイト、外国人労働者も、平均時間給に対して「同一労働同一賃金」を適用しなければ、画竜点睛を欠くことになる。しかし、その一方企業が支払う全従業員に支払う賃金はゼロサム(総額が変わらないこと)である。言うなら企業内弱者の賃金を上昇させれば、企業内強者の賃金を相対的に減少せざるを得なくなる。若手の有能な正規社員の賃金を減らすことは出来ないから、間違いなくしわ寄せは年功序列で管理職になった中高年社員に向かう。そのことへの社会的同意がいま出来ているとは思えない。
「内部留保を吐き出せばいい」という議論も聞こえてくるような気もするが、そうすれば企業間の強弱がはっきりしてしまい、優秀な人材(学生も含め)は好業績の企業に一極集中してしまう。企業内格差は縮小しても企業間格差が拡大し、日本全体で考えると格差はかえって拡大せざるを得ない。その格差を税金で埋めるというばかげた議論はまだ出ていないが、そういう状況になるとそういうばかげた議論が噴出しかねないことが危惧される。そうした懸念についての議論はまったく出ていない。野党やメディアはもっと勉強してほしい。
 これまでの「弱者救済横並び」型の経済政策(私が1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇』で指摘したころに比べれば、アメリカの圧力もあってかなり傾向は変わってきたが)は一切捨てて、アメリカ型の弱肉強食型経済政策に大転換するというなら、まず社会的合意を得てからの話だろう。
 少子高齢化時代を迎えて、そろそろ日本の政治は経済成長を目指すべきではない時期に来ていることを考慮しなければならないと思う。人の「幸せ感」はさまざまであり、何も高級車や高級ブランドの衣服で身をつつむことだけにあるのではない。GDP至上主義から、政治家だけでなくメディアもそろそろ脱皮してもいいころだと思う。野党に求められているのも、安倍政権のGDP至上主義的経済政策に対して、「これからの日本という国の在り方(国の形ではない)」について、「国民の幸せ感」が今どういう方向に向かっているのかを基点に、自公とは別の土俵を作って見せることにあるように、私は思う。言っておくが、「国民の幸せ感」はこうあるべきだなどという押し付け議論は一切禁止だ。

 次にアメリカ発の、兵器を使用しない世界大戦勃発の危険性について。
 トランプ大統領は確かに大統領選挙のときから「アメリカ・ファースト」を連呼していた。が、「アメリカ・ファースト」政策がここまで拡大するとはだれも想像もしていなかっただろう。中間選挙を控えてなりふり構っていられないのかもしれない。実際ある調査によれば、中間選挙で与党(現在は共和党)が勝利するには、大統領支持率を60%台に乗せる必要があるようだ(中間選挙で敗れても次期大統領選で敗北するとは限らない)。トランプ氏としては、大統領就任以来40%前後で推移してきた支持率が、一向に上がらないことで焦っているのではないかという観測もある。
 北朝鮮の核廃棄問題が一向に進展しないことについては、すでに書きあげている原稿があるが、これは賞味期限がまだ残っているので時機を見てアップするが、日本やアメリカでは「北朝鮮はこれまで何度も約束を破ってきた」と、北への不信感をあらわにしている政治家や評論家、メディアが少なくない。それは事実だから、事実として主張しても構わないが、では一方のアメリカはどうか。
 トランプ大統領になってから、アメリカはTTPから離脱し、パリ協定からも離脱し、NAFTA(北米自由貿易協定)も一方的に破棄し、さらにイラン核合意からも離脱して対イラン制裁を強めている。トランプ大統領の約1年半で、アメリカは国際的な約束をいくつも破ってきた。今後も大統領権限を行使して何をやらかすか、誰にも予測不能だ。北の変節を責めるのは自由だが、同時にアメリカの変節も俎上に上げないと、議論のやり方としてはフェアでない。
 アメリカの変節は昨今のことだけではない。安倍総理も尖閣諸島が日米安全保障条約5条の範疇に入るという言質を、いったんオバマ大統領から取り付けながら、政権が変われば政策も変わる、国家間の約束もいつ反故にされるかわからないことを熟知しているから、改めてトランプ大統領からも言質を取り付けた。そのくらいアメリカとの約束は当てにできないことが分かっていながら、アメリカ発の世界貿易戦争に対しては、日本は話し合いで問題を解決するつもりのようだし(ということはゴルフで戦争回避が出来ると思っているからかも…)、日本にとって重要な石油輸入国であり友好的な関係にあるイランへの訪問予定を一方的に取り消して、トランプ大統領のご機嫌伺いに必死だ。
 実際には安倍総理も一国の総理だ。日本の国益よりアメリカの国益を重視することはあり得ない。問題は「アメリカに追随する姿勢を見せておくことが、安全保障を含め日本の国益になる」と思い込んでいることだ。実際に安倍総理がそう言ったわけではないが、総理の言動を見ている限り論理的にはそう思い込んでいるとしか考えられない。そうした言動が、トランプ大統領をご機嫌にはさせても、ヨーロッパをはじめ諸外国から「日本はアメリカの属国になったのか」という軽蔑の目で見られていることも分かっているのだろうね。
 なお、これは非常に重要な問題なので書いておく。EUが報復処置としてハーレーの大型バイクや世界トップ・ブランドのリーバイスのジーンズに25%の関税をかけると発表し、ハーレーはEU向けの輸出バイクの生産をアメリカ国外で行うと発表、トランプ大統領を激怒させている問題だ。「ざまぁみろ」などと溜飲を下げればいいという問題ではない。ハーレーのような決断は、日本ではできないからだ。
 アメリカの企業は自由に労働者をレイオフしたり、工場閉鎖したりできる。日本では会社が潰れたり潰れそうになったりしない限り、従業員の雇用を守らなければならない。高度経済成長時代には、そうした雇用関係が従業員の会社に対するロイヤリティの高さの土壌になっており、「会社のために払った犠牲は必ず後で返してもらえる」という信頼感が労働者側にあった。いまそれは薄れつつあるが、経営者が「昔の従業員は…」と嘆いたところで、日本経済が成長期を終え、成熟期から後退期に差しかかっていることを明確に自覚する必要がある。今後、従業員との雇用関係はどうあるべきかを、経済後退期を前提に再構築していく必要があるだろう。アベさんの「働き方改革」には、そういう視点がまったくない。依然として高度経済成長時代の再現を夢見ているからだ。
 なおハーレーと違ってリーバイスは何の動きも見せていない。そもそもジーンズの生産拠点の大半は中国に移しているから、中国から輸入する場合の関税が高くなっても手の打ちようがない。せいぜい生産拠点を中国からベトナムに移すくらいのことで、すでにそうした動きは始めているかもしれない(日本では報道していないが)。

 最後にオウム死刑執行問題について。
 13人の死刑囚のうち、一気に7人が6日に死刑を執行された。メディアの解説によれば、平成に起きた大事件は平成のうちに処理しておきたいという政府の思惑があったというが、だとすれば残りの6人も新天皇が誕生する前に死刑執行という事態になる。新天皇即位の直前というのは避けたいだろうから、少なくとも年内には死刑執行が確定したと考えてもいいようだ。
 私がオウム裁判について疑問に思うのは、最高裁判事までもが世論に迎合したと思えることだ。死刑判決の基準としては、長い間「永山判決」が重視されてきた。この判決で最高裁が示した死刑判決の基準は9つある。難しい裁判用語は避けて、多少正確性を欠くかもしれないが、要点をまとめる。
①  犯行の方法(残虐性など)
②  犯行の動機(身勝手さ、同情できる余地の有無)
③  計画性(殺意の程度)
④  被害者の数(犯行の重大性)
⑤  遺族の被害感情(幼い子供の親とか配属者などが抱く感情)
⑥  社会的影響(メディアの取り上げ方?)
⑦  犯人の年齢や学歴、生育環境
⑧  前科の有無と事件内容
⑨  犯行後や逮捕後の態度(自首、反省の姿勢)
これらの9項目に合致するオウム死刑囚は13人のうち何人いたか。私ははなはだしく合理性に欠けると思わざるを得ない。
決定的なのは、犯行の実行者であり、かつ明確な殺意があったか否かの認定である。犯行の実行者というのは、実際に殺害行為を行った人物でなければならない。凶器となったサリンを車で運搬した行為が共同正犯に相当するのか。こうした解釈が最高裁で認められるということになると、いわゆる「共謀法」より恐ろしいことになる。今後の事件で、オウム事件の判例に従い「凶器を運べば、即共同正犯」という解釈が正当化されかねないからだ。
いや、そもそも凶器としての認識すらなかったと主張した被告もいた。「認識していたはずだ」と認定するだけの合理的証拠はあったのか。
殺意を真っ向から否定した被告もいた。サリンの猛毒性を科学的に熟知していなかったら、「こんな方法で何人もの人が死ぬとは思ってもいなかった」と主張したら、そういう主張を合理的に否定できる証拠はあったのか。
メディアや訳知り顔の評論家たちは「なぜこうした事件が起きたのか、高学歴のまじめな若者がなぜこういう凶悪な犯罪を起こしたのかの根源が解明されていない」と死刑執行の時期尚早を主張しているようだが、この問題の解明は永遠に不可能だ。犯人一人ひとりの深層心理を解明する必要があり、現在の犯罪心理学のレベルでは解明は不可能だ。
むしろオウム判決は、共謀法より恐ろしい判例となりうることへの警鐘を、だれも鳴らさないことへの強い憤りを私は抱いている。
最高裁判決は、ほとんどの人が正しいと思っている。とんでもない。オウム事件に関しては、一種の魔女狩りを求める空気が社会に醸成されていた。そうした空気に、最高裁判事も逆らえなかったのか、あるいは判事自身がそうした空気に呑み込まれていたのか。
この判決が今後、権力に対する市民の抵抗運動に対する弾圧を正当化する基準になりうる危険性を、私は最後に指摘しておく。

※昨夜『NHKスペシャル』でオウム死刑問題を取り上げた。やはり事件の真相は闇のままという内容だった。当時の事件裁判官も「真相を解明できないまま終わった」と悔いの言葉を発した。
放送終了後、Nスぺ担当者に電話して前記ブログ原稿を読み聞かせた。担当者は率直に「ご指摘の通りだと思いました」と、認めてくれた。Nスぺ担当者が認めてくれるより、事件裁判官に痛烈な反省をしてもらいたかった。このブログについては首相官邸を通じて法務省に伝えてもらう。 
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「安倍・加計面談」は加計学園事務局長のでっち上げではない。事実だったことを証明する。

2018-06-23 02:10:20 | Weblog
 22日のBS日テレ『真相NEWS』を見た。テーマは「加計問題で与野党激論…理事長緊急会見の疑問」である。国民の多くが重大な関心を寄せている問題だけに、かなり多くの人が視聴したのではないかと思う。
 討論(?)の参加者はタイトルの大袈裟さとは裏腹に、テリー伊藤氏を別にすれば自民党政調会長代理の片山さつき氏と共産党書記局長の小池晃氏の二人だけ。これで「与野党激論」とは……?
 局が野党代表として小池氏だけを選んだとは考えにくいので、立憲民主党や国民民主党はなぜ逃げたのか?
 その追求は置いておくとして、ほぼ片山氏と小池氏のバトルに終始した番組だったが、ある意味、人身御供にされた片山氏がちょっと気の毒だったような気がするバトルになった。
 こういう番組を制作する場合、局は政治家個人に直接交渉することはまずない。出演者の人選は政党に任せるのが通例だ。自民党が片山氏を選んだのは、たぶん彼女の印象面の好感度のためだろう。片山氏が断らなかったのは「ご立派」と言いたいところだが、彼女の「争点そらし」の術は成功したのだろうか。
 争点は、19日に地元記者だけを呼んだ加計学園理事長の加計孝太郎氏のたった25分の緊急記者会見で、果たして加計問題の疑惑は解消できたのかという一点だった。片山氏は「疑問は解消できたとは言えない」としながらも、愛媛県今治市に獣医学部を新設したことの是非を問うという戦術に出た。「争点そらし」と私が書いたのはそのためだ。ま、彼女としてはそうするしかなかったのかもしれないが…。
 が、小池氏も番組キャスターたちも、「それは争点そらしだ」と片山氏の戦術を封じることはしなかった。なぜなのかは、わからん。
 もっとも、加計氏会見の翌日20日の朝日新聞も1面記事だけでなく「時々刻々」や社説まで総動員して論評したが、加計氏発言の最大の問題点には気づいていなかったくらいだから、小池氏が肝心の問題点を指摘できなかったのもやむを得なかったのかもしれない。
 これから書くことは、20日に朝日新聞の「お客様オフィス」に電話した内容である。電話に出た方は「大変重要なご指摘です。報道局に伝えます」と言ったが(そういう言い方をした場合、必ず報道局に伝えている)、その後の紙面にはこの重大な視点が反映されていない。外部からの指摘で批判の視点を変えることを、恥だと思っているのかもしれない。が、これから書くこと、つまり朝日新聞に伝えたことに、反論できる人は絶対にいない。安倍総理も加計氏も、反論しようのない重要な指摘だ。

「本人(加計学園事務局長で、愛媛県に安倍・加計面談の内容を報告した渡辺良人氏)が、前に進めるために申しあげたとのことでございます」

 これが実は加計氏の記者会見での発言における最大の「キーワード」だった。朝日新聞も小池氏も、総理発言や柳瀬氏の発言とのつじつまが合っていないことに批判を集中したが、この重要なキーワードが持つ意味が分かっていない。
 もし渡辺氏が、加計学園の獣医学部新設計画を「前に進めるために」安倍・加計面談をでっち上げたとしたならば、その捏造話を持ち込む相手は加計学園の獣医学部新設についてそれなりの権限を持っている相手でなければ意味がない。文科省だったら、それなりの意味を持ったかもしれないが…。
 愛媛県は加戸前知事時代から10数回にわたって文科省や構造改革特区のプロジェクトチームに働きかけてきた。が、そのつど「岩盤規制」とやらに跳ね返され涙を呑んできた。
 ちょっと話が横道にそれるが、医療界は極めて保守的な体質である。最近も専門医が初期がんを見落として患者が命を失い、病院が謝罪会見をする羽目になった事件が報道されたが、AIによる画像診断技術は専門医による画像診断技術をはるかに上回るレベルに達しているが、AIによる画像診断の導入には医療界は否定的だ。自分たちの仕事がAIによって奪われかねないからだ。
 同様に、四国には獣医学部がなく、何とか招致したいという加戸時代からの念願の前に立ちふさがったのも、競争相手が増えることを恐れた獣医師会という圧力団体であることは明らかだ。獣医師会とつるんだ農水省が文科省にくちばしを突っ込んで、愛媛県の念願を踏みにじってきたことも間違いない。
 ついでに、別に文科省の天下り事件を弁護するつもりはないが、ちょっとかわいそうな面もある。というのは、文科省は他の省庁と異なり、傘下の外郭団体が極めて少ない。霞が関では、外郭団体への「転職」は「天下り」とは考えていないようだが、文科省はキャリア官僚でも次官レースから外れた人材をおしこめることが出来る外郭団体が少ないため、OBを利用して私立大学などに「転職」の世話をせざるを得なかったのだろう。国家公務員を目指す学生諸君は、事実上の「天下り」先である外郭団体を傘下にたくさん持っている省庁を選んだほうがいい。財務省や経産省、おっと厚労省も悪くないよ。地方に行くことをいとわないなら、自治省も悪くない。
 話を本筋に戻す。加戸時代の経験から、加計学園の事務局長が安倍・加計面談話をでっち上げてまで、獣医学部新設にまったく権限がない愛媛県に報告しても何の意味もないことは、赤ん坊でもなければ誰にでもわかることだ。
 実際、この「でっち上げ話」を聞いた愛媛県は、まったく行動を起こしていない。その証拠に、安倍・加計面談についての愛媛県文書はごく最近、国会に提出されたことで明らかになった。柳瀬氏(元総理秘書官)の国会答弁に疑惑がもたれなかったら、この文書は永遠に闇に葬られていた可能性が高い。
 頭が悪い人のために、もう一度、整理しておく。
 安倍・加計面談は100%、実際にあった。そして話の内容は加計氏が事務局長に伝えたのだろう。また愛媛県にあいさつに行って来いという指示も、加計氏が出したはずだ。
 これは加戸氏の国会での証言だが、愛媛県と加計学園との関係は「たまたま愛媛県の獣医学部招致計画の担当職員が加計学園の有力者と知り合いで、そこから話が進んだ」ということだ。つまり10数年にわたって愛媛県と加計学園は二人三脚で獣医学部新設プロジェクトに取り組んできた。
 安倍総理の力添えが期待できるという状況に至った時、加計氏が真っ先にこの朗報を愛媛県に伝えようとしたのも、人情としては十分理解できる。
 
 この問題は四国に獣医学部が必要か否かの問題ではない。たとえどんなに必要であったとしても、獣医学部新設に至るプロセスに、すでに「一強」体制を作り上げていた安倍総理が直接関与していたことが問われている。安倍総理が柳瀬氏に指示して、獣医学部新設計画を構造改革特区ではなく、自らが率いる国家戦略特区に変更させ、柳瀬氏自ら加計学園の担当者を官邸に呼んでいろいろ指導してきた経緯も、また加計学園担当者が柳瀬氏との面談に愛媛県と今治市の担当者を同行したにもかかわらず、柳瀬氏の念頭には加計学園の担当者のことしかなく、「愛媛県や今治市の方とは会ったことはない」と記憶の外だったことも、すべて合理的に説明がつく。
 柳瀬氏がおかした致命的なミスは、国家戦略特区プロジェクトの主体は、事業者ではなく地域であることを熟知していなかったことだ。この初歩的ミスを柳瀬氏がおかしていなかったら、柳瀬氏が官邸に呼ぶ相手はまず愛媛県の担当者でなければならない。その際、愛媛県担当者が最大の事業者候補として加計学園の担当者を同行するという経緯であれば、安倍総理の関与も表面化しなかったかもしれない。
上手の手から水が漏れた。

 この件については5月29日と6月7日に投稿したブログでも詳しく分析しているので、そちらも参考にしていただければ幸いである。
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「骨太の方針」はアベノミクス破綻を証明した。少子高齢化社会で成長神話にしがみつくのはアナクロニズムだ。

2018-06-19 02:11:26 | Weblog
16日、政府は新たな「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)を閣議決定した。民主党最後の政権・野田総理との約束によって消費税を5%から8%にアップし、消費税増税による消費の冷え込みを防ぎ日本企業の国際競争力を回復するために、日銀・黒田総裁とのタッグで異次元の金融緩和を行い、景気のテコ入れを行ったが、結果はどうだったのか。
 確かに大企業は軒並み史上空前の利益を計上し、株価もかなり上昇した。失業率も回復して史上空前の人手不足状態が続いている。大卒の就職希望者は完全な売り手市場になり、企業は人材確保に躍起だ。それなのに、消費税10%へのアップを安倍内閣は2度も延期し、来年10月に予定されている「3度目の正直」も実施が危ぶまれている。しかもプライマリーバランス(国家財政における歳入と歳出の引き算)を黒字化する時期の目標を、5年も延期して2025年まで延期した。アベノミクスは成功過程にあると、政府は強調するが、それならなぜプライマリーバランスの黒字化を延期する必要があったのか。
 少子高齢化に歯止めがかけられず、社会保障費が予想より膨らんだからだというのが、政府の説明だ。もともと政権交代につながった国会での野田・安倍「約束」は、「税と社会保障の一体改革」を断行するということだった。ただ当時の野田総理はその青写真を提起できなかった。民主党が野合政党だったため、青写真を作ることが出来なかったのかもしれない。
 が、政権を引き継いだ安倍内閣は一強体制を作り上げることに成功した。本気で「税と社会保障の一体改革」を実現するつもりだったら、やれたはずだ。「二兎を追うものは一兎も得ず」という。痛みを伴わない景気回復に奔走した結果が、消費も回復せず(消費税増税にもかかわらず消費税の歳入は思ったより増えなかった)、プライマリーバランスは悪化の一途をたどる結果になった。

 今回は安倍総理への『追悼の辞』の続編を書く。経済政策であるアベノミクスへのレクイエムだ。
 アベノミクスの目的は、日本経済を再び成長路線に回復することにあった。
 そして日本の大企業の多く、とりわけ輸出企業が次々と史上最大の利益を計上したり、日経平均が大きく回復したことで、アベノミクスは成功過程にあると多くの国民は思っているかもしれない。
 そのため、各メディアの世論調査でも、モリカケ問題のようなスキャンダルが生じると一時的に内閣支持率は下落するものの、騒ぎが収まるとすぐ回復する。また内閣支持率が低下しても自民党支持率は30%台を維持し、公明党支持率と合わせると与党の支持率は40%台を常に維持している。「支持政党なし」という無党派層がやはり40%台と高いため、野党の支持率は立憲民主党だけがかろうじて2ケタ台前後で推移している以外は1~2%と低迷しており、当面の政権交代可能性は極めて低い。
 与党が衆参両院で3分の2以上を占めるという異常事態の原因については、小選挙区制にあるという指摘もあるが、この選挙制度を導入したのは細川政権であり、野党も選挙制度を批判しにくい状況にある。
 そもそも政治的価値観が多様化している状況の中で、なぜ政権交代可能な2大政党政治を、当時の与野党が一致結束して日本に導入すべきだと考えたのか(メディアもこぞって支持した)、私にはそのことが不思議でならない。曲がりなりにも2大政党政治が行われているのは先進国ではアメリカとイギリスだけで、イギリス以外のヨーロッパ諸国の大半は多党政治である。国会での絶対過半数を占める政党がなく、第1党がどの党と連立を組むか政党間の駆け引きが日常茶飯事である。極端な話、いまのイタリアでは左翼政党が右翼政党と連立を組むという、かつての村山政権をほうふつさせるようなことが当たり前になっている。
 いま世界の先進国はいずれも経済問題を抱えている。日本だけではない。なぜ共通した課題を抱えているのか。
 その原因は、先進国のすべて(と言ってもいいと思う)が、従来の「経済成長神話」から脱皮できないためではないか、と私は考えている。
 政治の目的は、基本的には二つしかない。そのことは資本主義の国であろうと社会主義の国であろうと、変わりがない。
 一つは国と国民の安全保障をどう確保するか。
 もう一つは国民生活の向上と安定をいかに実現するかである。
 安全保障については、私もさんざんブログで書いてきた。軍事的抑止力に頼ることだけが、唯一の安全保障策であるべきなのかという疑問を呈してきた。
 もう一つの国民生活の向上と安定についても、アベノミクスの検証を通じて「必ずしも成功したとは言えない」と、やはりさんざん書いてきた。
 アメリカの大統領選で、当初は泡沫候補と見られていたトランプ氏が大逆転勝利を収めたのも、彼の経済政策がアメリカ国民の心をわしづかみした結果である。日本では「メキシコとの国境に壁を作る」と言ったエキセントリックな政策だけがクローズアップされる傾向があったが、そんな単純なことでトランプ氏が勝利を得たわけではない。
 日本でも安倍政権が長期化した最大の理由は、バブル崩壊以降の「失われた20年」からの回復期待がいまだに国民の多くにあるからでもある。メディアは世論調査で安全保障政策やモリカケ問題などのスキャンダルは調査するが、アベノミクスについての成否についての調査はしていない。確かに調査がしづらいという面はあるだろう。せいぜい「豊かさの実感があるか」といった質問に留まらざるを得ないのかもしれない。
 が、なぜ先進国のすべてが経済問題をいま抱えているのか。
 実は先進国のすべてに共通した現象がある。
 少子高齢化、がその共通点だ。日本だけではない。すべての先進国がこの問題を抱えている。唯一フランスが少子化の歯止めに成功したかのように伝えられているが、多民族国家のフランスでも「貧乏人の子だくさん」の結果であり、中流階層以上の白人社会では日本と同様少子高齢化問題を抱えている。
 少子高齢化が、経済的にはどういう結果をもたらすか。
 消費が伸びない。その一点だ。
 世界中の先進国が共通して抱えている経済問題の根本には、この同じ現象がある。富が一部の高齢者に集中し、消費の底支えを担うべき中間所得層が将来の生活不安のために消費より貯蓄や投資にカネを使っているためだ。
 日本もそういう状況を前提に、経済政策を考えなければならなかった。が、アベノミクスは依然として「成長神話」にかじりついている。そういう目線でアベノミクスの検証を、経済学者やメディアは行うべきなのだが、残念ながらそういう方は一人もおられないようだ。
 アベノミクスの提唱者は世界的に権威のある経済学者であり、リフレ派と見られている浜田宏一氏(内閣官房参与)とされている。浜田氏は必ずしも金融緩和だけを提唱したわけではないようだが(浜田氏は「金融政策だけではデフレ脱却は無理」と主張している)、「失われた20年」はデフレ不況によるという見方は変えていない。はたして「失われた20年」はデフレ不況によるものだったのか?
 デフレかインフレかは、需要と供給の関係による。本来はシーソーのようなもので、需要が供給を上回れば商品価格が上昇し(過度に上昇した場合は悪性インフレ=ハイパーインフレとなり、石油ショック時のような状況が生まれる)、消費が手控えられることで需要が減少して商品価格も次第に下向く。供給が需要を上回った場合がデフレだが、いったん商品価格は下落するが、その結果消費が回復して商品価格も次第に上向く。アダム・スミスの「神の見えざる手」が働くのだ。こうして行き過ぎたアンバランスは自然に解消される。
 だから、はっきり言って「失われた20年」はデフレが続いた結果ではない。少子高齢化が急速に進んだ、という別の要因にある。
 なぜ世界の先進国で少子高齢化が共通して進んだのか。
 消費の核を担うべき中間所得層以上の人たちの家に育った女性の高学歴化と社会進出の機会増大が、その原因である(そのことを私は否定しているわけではない。先進国共通の現象として私はそう認識しているだけだ)。
 私がその現象を重く見ているのは、私が生まれ育った時代と無関係ではない。私は昭和15年(1940年)の生まれだが、小学校時代の同級生で大学に進学した女性は裕福な家庭に育った方一人だけであった。さらに私たちの世代が結婚した場合は女性は家庭に入り専業主婦になるのが当たり前という時代でもあった。実際、私の妻も結婚と同時に仕事を辞めて専業主婦になったし、これは偶然だが結婚して新居を構えた新築のアパート6世帯がすべて新婚家庭で、しかもすべて奥さんたちは専業主婦だった。
 いい配偶者に恵まれずに結婚が遅れた女性は職場の上司から、いまだったらセクハラになる「まだ結婚できないの」などと、暗に「寿退社」を求められるような時代でもあった。
 ところが敗戦ですべてを失った日本が「世界の奇跡」と言われるような経済復興を成し遂げ、戦後の過度の累進課税制度もあって中間所得層の可処分所得が急増し、それが3種の神器や新3種の神器時代という消費の急拡大時代を迎え、それが高度経済成長を促した。日本の高度経済成長は池田総理の「所得倍増計画」によるという誤解が流布されているが、池田内閣は給与所得者の所得を倍増させるための具体的な経済政策は何も行っていない。皮肉な言い方をすれば、何もやらなかったからこそ日本の高度経済成長が可能になったとも言える。
 その結果、日本のサラリーマンの所得水準は短期間で欧米先進国の水準に追いついた。だから少子高齢化も欧米先進国とほぼ同時期に訪れている。そして戦争のない平和な時代が世界的規模で続いた結果、日本も含め先進国の女性の高学歴化と社会進出の機会増大が急速に進む。
 女性が高学歴化し、社会進出の機会も増えれば、当然のことながら家庭に閉じこもって子育てに専念するより、社会から受ける刺激に人間としての生きがいを見出すようになるのは当たり前のことだ。こうして少子化が急速に進んだ。実際「失われた20年」とされた時代でも、女性相手のビジネスはむしろ活況を呈していた。産業構造が変化しただけの話だったのだ。
 産業構造が変化すれば、旧態型産業に対する需要が冷え込むのも当たり前の話だ。たとえば、若者たちの自動車離れ。交通インフラの整備とともに、所有することがさほどの意味を持たなくなっただけのこと。若い人たちの経済力が自動車を所有できないほど低下したわけではない。金の使い方に対する価値観が大きく変わっただけのこと。そうした社会現象の変化が見えないから、「失われた20年」はデフレ不況のためなどという非論理的な検証をしてしまい、デフレ脱却がアベノミクスの目的になってしまったというわけだ。
 私は第2次安倍政権が誕生した直後の12年12月30日、『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で、アベノミクス(当時はまだその呼称はなかったが…)についてこう注文を付けている。いまでも当時のブログはさかのぼって読めるから、結果解釈ではない。

 まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共事業による経済効果の2点である。(※当時は「矢」はまだ2本だった)
 金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか。私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。では例えば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかというと、そんなことはあり得ない(※結果論からいえば銀行はサラ金まがいのことを始めた。日銀がマイナス金利を始めたためである)。優良企業が銀行から金を借りなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業と言っても、銀行が融資する場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることが出来るからだ。
 そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な貸出先がなく、金融緩和でだぶついた金の運用方法に困り、リーマン・ブラザーズが発行した証券(日本にもバブル期に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザーズが経営破たんしたあおりを食って大損失を蒙り、金融界の再編制に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない(※スルガ銀行の不正融資で実証された)。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安が進み株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性の現象にすぎない。とにかく市場に金が出回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。
 そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる(※この提案は一部安倍内閣が「違法」コピーした。私はコピーを禁止してはいないが、するなら完全コピーしてもらいたい。それと提案者に対する礼儀として報告ぐらいしろ)。(中略)
 また所得税制度も改革の必要がある。(中略)
 私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。
 なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減税率にすべきではないかというと、国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ(※最近自民党の石破氏が同様の主張を始め、軽減税率を自民党に認めさせた公明党・山口代表の反発を受けているが、こういう時こそ野党は石破氏の見解を支持し、軽減税率導入を阻止すべきだ)。

 翌13年3月8日にも、もう引用はしないが『再び断言する――公共事業で景気は回復しない。ケインズ循環論は今の日本には通用しない』と題したブログを投稿している。浜田氏がケインズ循環論をベースにアベノミクスの経済政策を構築したことは否定できない。しかし少子化で社会全体の需要が減退する中で、企業の業績だけを上げるための公共事業をいくら行っても、景気の浮揚策にはならない。
 成長神話の時代は終わった。そうした認識をベースに、これからの経済政策はどうあるべきかを構築すべきではないか。シャウプ税制まで戻せとまでは言わないが、ある程度社会主義的政策を取り入れて累進課税制を多少強化し、消費社会の核になる中間所得層の可処分所得を拡大すべきだと思う。「孫に対する教育費」などという限定を付けずに、高齢者富裕層がため込んでいる金が市場に出回るように、贈与税を思い切って軽減化し(その場合、税負担は贈与者ではなく、贈与を受ける側にすることが重要…そのことは12年12月30日のブログでも書いている)、税率を相続税より低くすること。」
 そうすれば株価の上昇は止まるかもしれないが、経済は成長しないまでも、ある程度活性化する。さらなる豊かさを求める時代の終焉を、私は宣言する。
 
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緊急告発! 高齢者による自動車事故急増の原因は、無能な警察庁の免許更新制度にある。

2018-06-14 01:44:57 | Weblog
 75歳以上の高齢者による自動車事故が急増している。「急増」と書くと、ごく最近の傾向のように思われるかもしれないが、そうではない。
 実は私は68歳だった2008年5月、2度にわたって警察庁長官あてに高齢者の免許更新制度について意見具申している。
 最初の文書は10日付。この文書で私は70歳になった時点で自動車免許を返納することを申し出ている(当時は返納制度がなかったため更新しないことを申し出た)。理由についてこの時の文書で、こう書いている(一部抜粋)。

 私はいま毎日のようにフィットネスクラブで汗を流していますが、エアロなどをなさっている方はお分かりですが、インストラクターは毎回新しいステップを考案して指導します。若い人は1~2回やれば新しいステップをすぐ覚えますが、私くらいの年になると最後までインストラクターの動きについていけないことがしばしばあります。私はバーベルエクササイズやプールなどでの筋トレメニューでは若い人に負けない体力がありますが、運動神経(反射神経と言ってもいいかもしれません)は確実に年とともに後退していることをいやというほど知らされるのがエアロです。私が70歳になった日に、つまり免許の有効期限が切れる日に運転をやめることに決めた最大の理由です。
 また川崎市では(※当時は川崎市に住んでいました)、川崎市内から上下車するバスは横浜市内に行く場合でも月額1000円で無料利用できる制度を設けていることも免許更新をしない音にした大きな理由です。

 実はこの時の文書の目的は別にあり、免許更新料や紛失したときの再発行料が異常に高いことに対する抗議が本来の目的だった。この手続きになぜ異常なほどの高額料金を設定する必要があるのか。警察官の天下り先でもある交通安全協会に儲けさせるためとしか考えられないことも指摘した。当時すでに1000万画素を超えるデジタルカメラが普及しており、免許更新時に警察署で行う視力テスト以上に簡便な方法で本人確認も確実な顔写真も警察署で撮れるようになっており、さらにICチップ付の住民基本台帳カードは区役所でデジタルカメラで撮影し、原価数百円で作成できるようになっていることなどを指摘し、もはや交通安全協会などアナクロニズム的存在であることも指摘した。警察はだれのためにあるのかという疑問を呈している。
 その2週間後の25日には新たに警察庁長官あてに文書を送った。この文書では明確に高齢者免許更新制度についての提案をしている(一部抜粋)。

 今月10日付で免許書発行(更新及び再交付)のシステム改革の提案をしましたが、まだ警察庁からのご連絡をいただいておりません。検討に値しない提案だとお考えなら、その旨ご連絡ください(※なおこの文書もたぶん警察庁広報部によって握りつぶされたようで、いまだ返事はない)。
 前の文書で私が満70歳の誕生日に有効期限が切れる運転免許の更新はしないことを明らかにしましたね。その理由は、健康のために通っているフィットネスクラブでのエアロビクス・レッスンに若い人のようにはとてもついていけないことから、例えば路地から子供が飛び出したようなときに、急ブレーキを踏むか、急ハンドルを切って電柱に車をぶつけても子供を避けるとかといった、とっさの正確な判断と、その判断を下す反応スピードについて自信が持てなくなったからです。
 さらに昨日娘の家に行き5歳の孫と遊んでいてまたショックを受けました。任天堂が発売して大ヒットし、テレビゲーム機の王座をソニーから奪い返したWiiのことは多分ご存じでしょう。そのWiiで遊ぶゲームでやはり大ヒットしたのがWiiフィットです。その中のバランスゲームが実に優れもので、5歳の孫がバランスボードの上でぴょんぴょん跳ね回り、「じいちゃんもやってごらん」と言われ、やってみたのですが、全然ついていけないのです。バランスゲームという名前から単純にバランス感覚を養うためのゲームだろうと思っていたのですが、エアロ以上に反応速度と判断の正確さが試されるゲームなのです。
 で、私の提案ですが、任天堂と共同で判断力や反応速度を3分くらいで測定できる装置を開発し、70歳以上の高齢者の免許更新時には、視力だけでなくとっさのときの反応スピードと判断力を検査項目に加えればいかがでしょうか。現在70歳を超えた人が免許の更新をする場合は民間の教習所で3時間の高齢者講習を受けなければなりませんが、講義を除けば本当に必要なとっさのときの反応スピードや判断力の検査は行われていないのが実情です。実際に、最寄りの教習所に高齢者講習の内容を聞きましたが「15分ほど車に乗ってもらうが、ハンドルを握らなくても乗っているだけでいい」ということでした。(※今は運転実技が義務付けられているようだ)。
 いま私の手元にはインターネットで検索した交通安全白書の19年版に記載されている「交通事故」をプリントしたものがありますが、高齢者が起こす自動車事故は平成元年の3倍に達しています(全年齢の事故件数は65%に減っているのにです)。この高齢者事故をどうやって減少させていくかが、飲酒運転の撲滅とともに全国の警察組織が全力で取り組まなければならない課題だと考えています。

 はっきり言って高齢者事故の激増は昨今のことではない。放置してきた警察官僚と、社会問題化するまで放置してきたメディアの責任は軽くない。最近の、90歳女性が起こした自動車事故犯罪(赤信号であることを認識しながら横断中の歩行者がいないと勝手に思い込んで交差点に進入して殺人を犯した事件)がきっかけで、メディアも本腰を入れて高齢者免許問題に取り組みだしたが、はっきり言って生ぬるい。
 この事故の直後、朝日新聞は『天声人語』でこうのたもうた。「道路での危険を回避できる自信は高齢者になるほど強くなる。そんな調査結果もあるようだ。自信は、ときに過信になる」(5月30日)
 私は強く朝日新聞に抗議した。電話に出た方は、そういう調査が実際にあること、その調査をした学者と原典も教えてくれた。世の中には、バカな学者も多い。バカな学者の常識はずれの論文を信用した天声人語氏もバカだ。
 私は電話に出た方にこう言った。「高齢者が起こす事故の大半はブレーキとアクセルの踏み間違いだ。つまりとっさのときの反応スピードと判断力に問題が生じているからだ。高齢者が若い人のようにスピード違反をしているか。むしろ運転は極めて慎重になっている。それでも事故を起こすのは、自分の運転能力を過信しているからではない」と。電話に出た方は、私の主張を肯定したうえで、担当者に伝えるといった。が、『天声人語』で訂正しない限り、読者はそう思い込んだままだ。朝日の傲慢さは、いまだに治っていない。
 さらにNHKにもこの事件をきっかけに高齢者免許更新問題を「クローズアップ現代で取り上げてほしい」と申し入れた。私はそのとき、10年前に警察庁長官あてに申し入れたことも伝え、高齢者事故の激増は警察庁の責任でもあり、そのことも明確にしてほしいとお願いした。
 私の提案が受け入れられたのか、あるいはすでに取り上げることに決まっていたのかはわからないが、6月7日に『クローズアップ現代』が取り上げた。タイトルは『90歳事故で議論再燃!? 高齢者の運転どう考える』だったが、中身はこれ以上ないというほどお粗末だった。『クローズアップ現代』では珍しく生放送で、85歳の高齢者ドライバーとその家族との中継で武田キャスターがやり取りしたり、地域で高齢者の足を支えあうケースを紹介したり、スタジオでは「日本の高齢者免許更新制度は世界レベルから見てかなり厳しいほうだ」と言った専門家(ジャーナリスト)が大きな顔をしたり、まるで警察庁に忖度しまくりという内容だった。

 手元に警察庁のWebサイトをプリントした文書がある。75歳以上のドライバーが受ける認知機能検査についての説明だ。それによれば、この検査では3つの項目について検査用紙に記入し、「記憶力や判断力を測定する」とあるが、果たして高齢者の事故防止に役立つ検査か。3つの項目とはこうだ。
●時間の見当識…検査時における年月日、曜日及び時間を回答する。
●手がかり再生…一定のイラストを記憶し、採点には関係ない課題を行った後、記憶しているイラストをヒントなしに回答し、さらにヒントをもとに回答する。
●時計描写…時計の文字盤を描き、さらにヒントをもとに回答する。
 読者の皆さん。このテストでとっさのときの反応スピードや判断力の正確さを測定できると思いますか。こんなペーパーテストで、とっさのときの高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いを防げると思いますか。アホと、ちゃうか!
 私はいま、このブログを書きながらかなり頭にきているので、書きながら怒りがますます増幅している。過激な表現になっていることはご容赦願いたい。
 
 悪質な自動車事故に対する処罰について、私が書いたブログの原本を改めて読み返した。1回目は13年1月20日に投稿したもので、タイトルは『自動車重大事故に対する刑罰の細分化は裁判官・裁判員を困惑させるだけだ』とある。「自動車重大事故の罰則がまた重くなるようだ」という書き出しから始めたこのブログでは、自動車運転棄権致死傷罪の適用ハードルが高すぎて事実上罰則が軽くなることに対する被害者や遺族の反発が大きく、最高が懲役7年の自動車運転過失致死傷罪との間に最高が懲役15年の「中間の罪」(17日付の朝日新聞朝刊記事の表現)を設けようという動きが法務大臣の諮問機関で検討されているという記事を巡って、「意図した犯罪行為」と「過失」の間に「未必の故意」に相当する罰則を加えることを意味するのかという疑問を呈した内容だ。
 日本では「未必の故意」は確信的な「犯意」がなくても、「行為の結果を予測していた」ことを立証しなければならない。このことは行為者の深層心理の解明に相当し、実際には危険運転致死傷罪の適用より困難になると私は思った。
 が、結局「中間の罪」が新たに制定された。私は14年1月10日、14日、15日、16日、17日と5回にわたって『法務省官僚が世論とマスコミの感情的主張に屈服して、とんでもない法律を作ってしまった』と題するブログを投稿した。
 私の主張は結論から言えば、自動車事故に関しては「犯意」があろうとなかろうと、飲酒運転や薬物などを摂取した状態での運転、過度のスピード違反はすべて「未必の故意」による行為として一般刑法で殺人罪や傷害罪で罰すべきというものだ。何のために交通法規があるのか。交通法規には2種類あり、一般の交通の妨げになる行為(駐車違反など)と、事故を起こす危険性が高い行為や状態(スピ-ド違反や飲酒運転など)に分けられる。前者の処罰は交通違反として取り締まるべきだが、後者には一般刑法を適用し、自動車運転免許を取得した時点で、重大な違反行為による事故はすべて「未必の故意」によるとすべきだと私は考える。
 たとえば最近社会を騒がせているあおり運転は、「事故になるとは思っていなかった」と「故意」を否定しても、免許取得の条件として危険な運転をしないことが前提になっており、その前提を無視した時点で必然的に「未必の故意」が成立するという判断を最高裁は示すべきだ。そうでなければ、意識を失うほどの過度の飲酒運転は、意識がある軽度の飲酒運転より危険運転致死傷罪に問うことが論理的にはかえって難しくなる。重大なスピード違反も、自分の運転能力に自信があり、100キロ超のスピード違反でも過去に事故を起こしたことがないと主張されたら、「故意」を前提とした危険運転致死傷罪に問えなくなる。
 90歳女性のケースも、私は「未必の故意」の殺人罪で処罰すべきだと考えているが、もし弁護士が「警察の認知機能検査に合格しており、運転能力にも自信があった。したがって偶然の事故であり、過失に過ぎない」と主張されたら、裁判官はどう判断する。現行法と、警察の高齢者免許更新の際の認知機能検査では、高齢者の反応スピードや判断力低下による事故は防げない。「法と警察の検査の不備が原因だから無罪」と、弁護士が主張したら、私が裁判官だったら認めざるを得ない。
 はっきり言って、高齢者事故の激増の最大の責任は警察庁にあり、したがってペーパーテストによる認知機能検査で合格させた高齢者の事故はすべて免責にすべきだ。
 それはおかしいというなら、現在の高齢者免許更新制度に対する手厳しい批判をメディアはあらゆる手段を講じて行うべきだ。とりわけ警察庁に対する忖度番組を報道したNHKは深刻に反省してもらいたい。当然この番組を制作した担当者は社会的制裁を受けるべきだと考える。

 ただし、高齢者が自主的に自動車免許を返納するようになるためには、地域の行政による「高齢者のための足のインフラ整備」が不可欠である。東京や横浜、大阪、名古屋などの大都市では高齢者に対して有料の敬老パスを発行している地域もあるが、地方は財政難もあってそうしたインフラ整備にまでは手が回らないようだ。これは基本的に国の地方に対する助成金についての考え方にも問題があるためだ。箱もの重視から、高齢化社会に対応したインフラ整備への手厚い補助があってしかるべきだと思う。
 東京都の音喜多議員のように、高齢者に対する敬老パスをなくせと主張するバカもいるが、では高齢者が起こす交通事故に対する責任を自らが負ってほしい。敬老パスは、高齢者に対する過度の社会保障ではない。自動車免許を返納した高齢者の足を確保するために絶対必要な交通インフラなのだ。
 私に言わせれば、保育所の整備のほうが過度の社会保障だ。「少子化対策」などといわれるが、保育所に子供を預けることが出来た母親は社会復帰して仕事に意欲と生きがいを回復する。そのこと自体は、女性の高学歴化により社会がより高度化された女性の労働力を要求した結果であり、また女性の生き方のひとつとして私も否定はしないが、そうした生き方の選択は当然、自ら結果責任も負うべきであり、行政が支援すべき話ではない。高額の保育費を支払っても社会で自分の存在感を見出したいと考える女性も少なくない。認可保育園は、少子化対策ではなく、共稼ぎ夫婦に対する生活支援に事実上なっていることを社会は認めるべきだ。そのうえで、そうした制度を充実すべきだというのが民意だというのなら、私はあえて反対はしない。が「保育園落ちた。日本死ね」とほざいた女性は、自分だけは行政から特別扱いされるべきだと考えているようだ。そうした自己中の声が社会の共感を得るような、いまの日本にこそ私は「死ね」と言いたい。


 
 
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安倍政権はまだ崩壊したわけではないが、この時点で「安倍政治」の総括をしておく。

2018-06-07 02:17:32 | Weblog
 安倍政治とはなんだったのか。
 まだ安倍政権が倒れたわけではない。が、私の目から見ると、もはや断末魔の状態だ。「断末魔」と書いたのは、安倍政治そのものが末期的症状にあるという意味で、政権の行方は現時点では依然として不透明だ。明日にでも倒閣するような状況にあるわけではない。それでも、私はこの時点で安倍政治とはなんだったのか、という総括をする。その目的は、日本型民主主義政治を改めて検証することにある。なお、この稿では敬称は一切略させていただく。
 安倍政治の本質は、ひとことで言えば「情の政治」だった。
「情の政治」という定義に、」あっ、なるほど」とうなずく人は少なくないと思う。「そう言えば」と、納得される方も多いと思う。
 日本社会の底辺に流れる精神構造について独自の視点で研究してきたのが山本七平だ。その集大成が『空気の研究』だった。
 山本七平は、イザヤ・ベンダサンなるペンネームで『日本人とユダヤ人』を著わし、著書は単に大ベストセラーとなっただけでなく、日本人社会の底辺に脈々と流れる精神的規範と欧米社会のそれとのパーセプション・ギャップを初めて解き明かした歴史的名著である。私自身、若いころ同書を読んで、言葉には表せないほどの精神的ショックを受けたことを今でも鮮明に覚えている。
 安倍は外交の名手だった。安倍の外交テクニックは相手国の首脳との信頼関係を築くことに大きな力を発揮した。トランプとも最初の会見でたちまち意気投合した。彼の外交テクニックの機微はどういう点にあったのか。相手の情に訴えることの巧みさにあった、と私は思っている。
「日本は100%アメリカとともにある」
 安倍はつねにこう言いつづけた。トランプが喜ばないわけがない。
 ただし、その考えは必ずしも安倍の本音とは限らない。「日本の国益にかなう限り」という本音が隠されているはずだ。ただ、そう言ってしまったらおしまいよ、ということになるから、その言葉は発しない。相手の耳に心地よいことだけをとりあえず言っておく。
 安倍とトランプの親密さは、そうやって構築されてきた。
 安倍がトランプの言いなりになっているように振る舞っている間は、トランプにとっても安倍は最も頼りになる海外の友人である。だから安倍がトランプに会いたいと申し入れると、最優先で会うようにしている。とくに国内にも国外にも敵が多いトランプにとって、安倍は海外の得難い友人なのだろう。
 安倍とトランプの関係については、メディアも政治家もその程度のことは百も承知しているはずだ。ただ、私のようにあからさまに書いたり言ったりしないだけだ。
 安倍外交の威力は他の国々に対してもいかんなく発揮されている。安倍が第2次政権を確立して以来の海外訪問歴は、それまでの歴代総理の訪問歴を圧倒している。1国の首脳が訪問すれば、相手国も首脳が対応せざるを得ない。安倍は相手国首脳との間に親密な関係を構築することにかけては、他に例をみないほどに辣腕だ。どうやって相手国の首脳を誑(たら)し込むのかはわからないが、その交渉テクニックは歴代総理の中でも群を抜いていると思う。
 そうした外交術によって日本産業界はかなりの恩恵を被ってきた。高度技術が要求される新幹線や原発などのインフラ産業の海外進出はアベノミクスによる円安効果も相まって大きく進んだ。
 が、そうした外交テクニックは、想定外の弊害も生みかねない。相手国の首脳から「くみやすし」と、足元に付け込まれかねないからだ。たとえばアメリカにとって最も忠実な同盟国であるはずなのに、アメリカは日本に鉄鋼・アルミの関税を引き上げたり、自動車に至っては関税を25%に引き上げると脅かされたりしている。「そんな勝手な話があるか」と、安倍はトランプに怒りをぶつけようともしない。せいぜい、鉄鋼やアルミにかける関税について、カナダやEUの尻馬に乗ってWTO(世界貿易機関)に提訴する可能性を示唆する程度の抵抗しかできないでいる。
 EUや中国は「それなら我々も報復処置をとるぞ」と猛烈に反発したが、日本の姿勢は「同盟国じゃないですか、どうかお手柔らかに」と、頭を下げて交渉しているようにしか見えない。
 そもそもトランプが主張する「貿易の公平性」とは、輸入と輸出のバランスを取るという単純なことでしかない。アメリカは輸入超過で貿易収支の赤字が続いている。その赤字を解消するために、輸入超過が目立つ国の主力輸出品をやり玉に挙げて関税を引き上げようというものだ。さすがにそういうあからさまな関税引き上げ理由は国際社会の理解が得られないことも分かっているから、「安全保障上の観点から」というおかしな理由付けをしている。
 そもそも安全保障上の問題であるならば、関税の引き上げで輸入量を制限するというのは理屈に合わない。該当品目のすべてを輸入禁止にすべき話だろう。関税の高率化で輸入量を制限することが、アメリカにとってどういう安全保障策を意味するというのか。日本政府に誇りと矜持があれば、トランプ主張の自家撞着を追及すべきだった。安倍外交の矛盾点がこうした形で表面化せざるを得なくなったのだ。いくらゴルフ外交で「親友ぶり」をアピールしても、肝心の安全保障政策や貿易問題で言うべきことも言えないのでは、安倍はどの国の国益を最優先しているのかと言いたくなる。
 国益より、トランプとの友好関係を重視するように見える安倍の「情の政治」は、国内でも表れている。たとえばモリカケ問題。同じように見えて、実は二つの問題は本質的に違う。加計学園の加計孝太郎は安倍の大親友だが、森友学園の籠池泰典との交友関係はほとんどない。実際森友学園との国有地払い下げ交渉の文書にも、安倍自身の名前はまったく出ていない。
「忖度は片想いとは違うよ」ということは5月22日のブログでも書いたが、安倍は5月14日、国会の集中審議での答弁でこう主張した。
「忖度されたか否かは、される側にはですね、例えば私のことを忖度していると言われているんですが、される側にはわかりにくい面がありまして…」
 ご冗談もほどほどに、と苦言を呈しておく。たとえばアイドル・タレントに勝手に片想いをし、それが嵩じてストーカーになったり、時に凶行に及ぶファンがいて民放のニュースショーの格好な話題になることがあるが、こうしたケースはタレント側には責められる要素はまったくない。
 が、忖度は違う。相手に忖度させるための何らかのアクションがあったはずだ。そうでなければ、官僚が危ない橋を好んで渡るわけがない。
 忖度という言葉は、籠池が国会での証人喚問で、財務省が国有地払い下げで破格の対応をしたことについて「たぶん忖度があったのだと思う」と述べたことがきっかけで一躍流行語になったが、籠池は役人に忖度させるために昭恵夫人の名前を交渉過程で頻繁に出し、ちょっと顔見知り程度の政治家の名前も出して自らの政界への影響力をこれでもかこれでもかとばかりにちらつかせてきた。実際には籠池の政界への影響力はさほどではなかったため、籠池は逮捕され締め上げられている。昭恵も籠池からそういう形で利用されているとは思いもよらなかっただろうから、いまは相当籠池に対して相当頭にきているはずだ。このケースはしかるべき地位にある官僚がある時点で昭恵をたしなめていれば、籠池の芝居は「カラカラ空回り」に終わっていた。
 しかし、加計学園の問題は全く違う。安倍自身が、官僚に忖度させるために、自らの権力をフルに行使した。
 15年2月15日に、安倍が加計と会って加計学園の「国際水準の新しい獣医学部を作りたい」という計画を聞いて「いいね」と賛意を示したのは、5月29日のブログで書いたように99.99%事実だろう。
愛媛県や今治市の文書の中に安倍・加計面会の記録が書かれていたのは、加計学園からの情報提供だったことははっきりしている。が、安倍が加計との面会を強く否定したため、加計も口を合わせ、そのうえ加計学園の事務局長の渡辺が虚偽情報を愛媛県や今治市に伝えてしまったことにした。記録文書が愛媛県や今治市に残っている以上、その記録を否定するためには加計学園としてはトカゲのしっぽを創らざるを得なくなったというわけだ。
トカゲのしっぽに指名された渡辺によれば、「その場の雰囲気で、とっさに私が思いつきで言ったのだと思う」ということだが、どう考えてもそういうことはあり得ない。
まず愛媛県や今治市には獣医学部新設を認可する権限がない。権限のない自治体に、「その場の雰囲気で思いついた作り話」というのは、どう考えても筋が通らない。強いて最大限善意に解釈して、愛媛県と今治市が国家戦略特区プロジェクトに申請する際の、内閣府官僚に忖度させるための材料として提供したというなら、まだ理解できないこともないが、愛媛県も今治市もこの材料を使って内閣府に働きかけていないのだから、加計学園側は愛媛県や今治市に「こんなにいい材料があるのに、なぜ使ってくれないのか」とせっついていなければ筋が通らない。
愛媛県今治市に獣医師養成大学を誘致するという計画の推進主体は、それまでの愛媛県から、安倍・加計会談を機に加計学園側に移行したと考えるのがもっとも論理的な帰結だ。
 29日のブログを書いた時点では、国家戦略トップのキーマンである柳瀬がいつ動き始めたのかは不明だったが、いまは3月3日ということが判明している。この日、柳瀬は加計学園側と最初の面談を行っているが、加計学園の計画をバックアップするために同行した愛媛県や今治市職員のことは、柳瀬の記憶からすっぽり抜け落ちていた。柳瀬は国会に参考人として招致されたとき、加計学園担当者とは3回面会したことは認めたが、愛媛県や今治市職員が一緒だったことは全く覚えていなかった。ということは、柳瀬は加計学園の計画を国家戦略特区プロジェクトに認めさせるための方策を考えるのに必死で、それ以外のことは頭の片隅にもなかったことを意味する。
 なぜか。
 安倍から、直接「加計学園の面倒を見てやれ」と指示されていたからに他ならない(この部分は、私の論理的推測。しかし、この推測には100%の自信がある)。そうでなければ、この時期、国家戦略特区プロジェクトのキーマンである柳瀬が、直々加計学園担当者を総理官邸に呼び、直々に指導することなどあり得ないからだ。実際国家戦略特区プロジェクトに関して、自治体以外の事業者と面会したのは加計学園だけだったということも明らかになっている。
 前回のブログにも書いたように、国家戦略特区プロジェクトの主役は地域の自治体である。地域の経済振興を政府が後押ししようというのがプロジェクトの趣旨で、安倍自身が最高責任者にもなっている。つまり、安倍の指示がなければ、柳瀬が面会すべきは特区として名乗りをあげようとしていた愛媛県と今治市の担当者のはずだ。
 四国には獣医師が少ないという。そのため前愛媛県知事の加戸時代から、県は構造改革特区の制度を使って愛媛県に獣医学部の大学を誘致したいと何度も文科省に願い出ていたという。が、獣医師会の既得権益死守による強い反対と、その政治力によって愛媛県の思いは何度も厚い壁に跳ね返されてきたという。「岩盤規制」とやらの規制が本当にあったのかどうかは知らないが、安倍が加計に「国家戦略特区ならオレが最高責任者だから、何とかなる」とアドバイスしただろうことも想像に難くない。そしてキーマンであり総理秘書(当時)だった柳瀬に指示こともたぶん間違いないと思う。おそらく安倍の直接的関与はここまでだったと思う。だから前文科省事務次官の前川の証言のいくつかは、柳瀬が内閣府に根回ししたために官僚が行った忖度によると思う。安倍も、それ以上危ない橋を渡るほどのバカではあるまい。

 私はこの問題を考える時、いろいろ仮説を立てて考えてみた。現場のメディア記者は直接自分の目や耳に入る情報に振り回されるため、樹を見て森が見えなくなるきらいがある。が、私には情報量が圧倒的に少ないため、森の全体像から樹を探すという方法を取らざるを得ない。
 私が立てた仮説の一つに、もし安倍の親友が加計ではなく加戸だったら、柳瀬はどう動いただろうかというものがあった。
 当然柳瀬は、まず愛媛県の考えを聞き、四国の獣医師不足問題の解決法として愛媛県の担当者にアドバイスをしていたはずだ。愛媛県のどこに作りたいのか、また愛媛県に獣医学部を新設しようという大学があるのか。計画はどこまで具体化しているのか。etc
 加戸の国会での答弁から、たまたま加計学園の役職者と愛媛県の担当者が昵懇にしていて、愛媛県の計画を聞いて加計学園が乗り気になったという経緯が分かっている。
 こういう経緯を考えると、柳瀬が最初は愛媛県の担当者と会い、2回目の面会の時に候補地の今治市の担当者や事業者である加計学園担当者の同行を求め、今治市や加計学園の本気度や具体的計画を確認するというのが、このプロジェクトのまともな進め方にならなければおかしいのだ。それが、柳瀬の頭の中には、最初から最後まで加計学園のことしか念頭になかったということ自体が「加計ありき」の紛れもない証左である。「(忖度)される側にはわかりにくい面もありまして」とは、安倍も白々しすぎる。忖度どころか、まぎれもなく「情の政治」の一環として安倍は「岩盤規制にドリルで穴をあけた」のだ。これが加計学園問題の真相であることは、99%間違いない。

 この稿を終えるにあたって、安倍政治のもう一つの「顔」について書いておきたい。
 報道によれば、昨年10月安倍は周辺に「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際水準からいえば」と語ったという。
 リベラルという政治思想には、実は二つの流れがある。元来の意味は自由主義(リベラリズム)という意味合いで、古くはヨーロッパで発生した。個人の自由や多様性を重視すべきだという考え方で、18世紀半ば、アダム・スミスが経済学として著わした『国富論』により、経済活動は「神の見えざる手」にゆだねるべきで、政府の介入を極力排した「小さな政府」を主張したのが源流とされている。
 アダム・スミスは近代経済学の祖とされており、のちにマルクスやケインズの経済学にも多大な影響を与えたようだが、リベラルという政治思想には1930年代以降アメリカでまったく正反対の解釈が生まれた。「保守」に対する概念として社会主義的経済政策や社会保障・福祉を重視する考え方だ。アメリカでは保守の「小さな政府」を主張する共和党に対して「大きな政府」を主張する民主党という対立構図として受け止められている。そのため、選挙になると共和党候補者は民主党候補者に対して「リベラル」というレッテルを「社会主義思想の持ち主」という意味で貼り付け、民主党候補者はそのレッテルを極端に嫌う傾向があるようだ。
 安倍は成蹊大学を経てアメリカ南カリフォルニア大学に留学、立教大学を経てカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に留学していた加計と知り合い、親交を重ねるようになった。そうした経歴から、安倍が言うリベラルはアメリカの政治思想に近いと考えられるが、「私がやっていることはかなりリベラルなんだ」という場合、思い浮かぶのは経済界に対して毎年のように賃上げを要求したり、歴代政権に比して最低賃金制の上昇率を重視したり、正規・非正規の格差是正のために「同一労働同一賃金」の導入を図ろうとしたことくらい、つまり賃金政策に絞られているといってよいだろう。「国際水準」と安倍が言う場合、彼の念頭にはアメリカしかないようで、とりわけ外交政策とくに安全保障政策がアメリカ一辺倒と見られるのも、留学時代の影響かもしれない。

 いずれにせよ、安倍時代はそう長くないと私は見ている。「情の政治」で構築してきたお友達政権だが、安倍一強体制の「扇のかなめ」を自負してきた麻生財務相をいつまでかばい続けられるか、時間の問題になりつつある。自身が高転びに転ぶか、泣いて馬謖を斬るか、どちらにしても安倍政権にとっては命取りになる。安倍政治が果たした役割で、評価すべき点は私も評価しているが(アメリカ以外の国との外交関係の構築や弱者救済的要素が強い賃金政策など)、民主主義の大原則である三権分立を破壊した「民主主義に対する罪」は後世に大きな汚点を残した。「人間、引き際が大切だよ」と申し上げておきたい。

【追記】 上記の原稿は3日に書いた。その原稿は印刷して4日に友人と北川正恭(元三重県知事)に渡している。
 4日夕方、財務省が調査結果(第三者委員会による調査ではなく、省内調査)と処分を発表した。したがって、上記原稿の内容にはこの調査結果やメディアの反応は全く反映されていない。そのことをまずお断りしておく。なお、この追記は翌5日に書いているが、5月29日に投稿したブログの閲覧者が依然として増え続けているので更新できない状態にある。(※昨日6日現在の閲覧者数も依然として高水準を維持しているが、これ以上投稿を伸ばすと賞味期限切れになる恐れがあるので、この時点で投稿することにする)
 財務省の調査結果と処分内容については、すでに読者もご存じのはずだから、ここでは触れない。すでにメディアも指摘しているが、森友文書改ざんはあくまで理財局内部の行為として、処分対象も理財局所属職員に限定している。
 私はこれまで数度にわたるブログで指摘してきたが、果たして佐川(元理財局長)の単独判断でこれほど大規模な決裁文書の改ざんが出来るのか。
 国会での総理や大臣に対する質疑応答は原則、事前に質問事項が相手に渡され、答弁内容は官僚が徹夜で作成する。こうした慣行はなれ合いを生むとかっこいいことを言って事前の質問事項は明らかにせずぶっつけ本番で答弁すると大見得を切った小池都知事は、最初の都議会での質疑応答で悲鳴を上げて、ぶっつけ本番をやめた。
 証人喚問の場合、事前の調整があるのかぶっつけ本番なのかは私は知らないが、佐川の答え方から質問事項はあらかじめ承知していたと思われる。あらゆる質問によどみなく自信満々で即答していたからだ。
 果たして、この佐川答弁が、佐川の独断で勝手に行われたと結論付けることが出来るのか、そんなことはあり得ないと思う。私が前回と今回のブログで書いたように、森友学園の籠池が理財局との国有地払い下げ交渉で昭恵やちょっとした顔見知り程度の政治家の名前をちらつかせて自らの「政治力」を誇示して官僚に「忖度」を迫ったことは、もはや疑いの余地がない。この籠池の交渉テクニックにまんまとはまったのが理財局官僚。
 が、ことが公になって理財局だけではことを収めることが不可能になり、佐川が国会に証人喚問されることになった時には財務省全体の浮沈をかけた問題になってしまった。事態の収集方法については佐川が中心になって考えたかもしれないが、その間の経緯については逐一財務省本局のしかるべき官僚、はっきり言えば当時の事務次官にまで報告をあげ指示を仰いでいたはずだ。が、事務次官にまで報告が及んでいれば、当然のことだが麻生にも「こういう方向で事を収めたいと思う」という報告が行っていたはずだ。麻生が田中角栄のように「よっしゃよっしゃ」とOKサインを出したかどうかは知らないが、こうして財務省の調査報告の方向付けが行われたことは間違いない。
 私は前にもブログで書いたが、もはや佐川に明るい未来はない。麻生は裏社会とつながっているという噂がいまでもあるようだから(あくまでも噂で筆者が実態を知っているわけではない)、佐川の面倒は今後裏社会が見ることになるのかもしれない。ここまで書いた私の身に何かがあれば、そのことが事実として裏付けられたことになる。自分自身の安全のために、そこまで書いておく。
 佐川への処分がたった停職3月というのも、佐川の反乱を防ぐためだろう。佐川が、どこまでこの案件をあげたか口を割ってしまえば、麻生の首はおろか安倍内閣も総辞職を免れない。
 基本的に官僚社会に限らず、何か問題になりそうな案件は自分自身への保険をかけるため必ず上司に判断を仰ぐのが、組織人の習性だ。上司が「お前の判断に任せる」と逃げることもあるが、その場合も「上司に了承を得た」ことにするため、必ず結果報告はする。私自身は若いころサラリーマン生活を送った経験があるが、そうした組織人の習性になじめず、上司の決裁を仰がずに勝手に独断で決裁してきた。平社員の時代に、課長級までの人事評価と給与査定も、これはさすがに自分一人でとはいかずに常務と二人で会議室に3日間缶詰めになって行ったこともある。新製品の価格決定も、工場から原価についての報告を受けて私一人で決め、上司の決裁も仰がずに勝手にカタログまで作ってきた。
 そんなことが、いまの官僚社会で出来ようはずがない。佐川に対しては財務省は口封じの代償として停職3月という寛大な(?)処分にとどめた、と考えるのが文理的であろう。
 このことはこれまでも何度も書いてきたが、民主主義の絶対原則であり、それゆえに最大の欠陥でもある「多数決原理」が働いている国会で、いくら徹底抗戦を叫んでも風車に突っ込むドンキホーテのようなことすら出来ないのだから、唯一解散権を総理の手から奪う方法を伝授しておこう。おそらく誰も考えもしなかった伝家の宝刀になりうる緊急避難処置だ。
 それは、野党議員が結束していっせいに議員辞職に踏み切ることだ。野党議員が全員辞職しても3分の2を超える与党議員が残るのだから国会機能は保たれるが、そうした状況の中で与党だけで国会審議を進めていくとなったら、メディアや国民がどう反応するだろうか。
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
 皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を断つ。
 野党が本当に民主主義の危機を心底感じているのなら、そこまでやった時、国民はもう一度だけ賭けてみようかという気になるかもしれない。
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加計学園問題を解くカギはこれだーー野党議員やメディアが見過ごしてきたこと。

2018-05-29 05:58:10 | Weblog
 これから述べる推論は、ほぼ99%当たっていると思う。
 2015年2月15日、安倍総理が加計孝太郎氏と面談し、愛媛県今治市に国際水準の獣医学部を新設したいという計画を聞き、「いいね」と賛同したことは99.99%事実だろう。
 そのこと自体は犯罪でもなければ、総理が加計氏の計画に賛同したからといって、そのことが直接その計画に便宜を計らったということも意味しない。
 愛媛県は前知事の加戸氏の時代から、四国に獣医師が少ないこと、何とか愛媛県に新しい獣医学の大学を誘致したいと考えて国(厚労省や文科省)に嘆願してきたことも事実として明らかになっている。が、獣医師の増加による過当競争を恐れた獣医師会と、その圧力を受けた政治によって、愛媛県の要望はつねに跳ね返されてきた。
 愛媛県は獣医学系大学の新設について、当然事業者にもあたりをつけていた。すでに加戸氏の国会での発言から明らかになっているが、たまたま愛媛県の担当者が加計学園の実力者と懇意で、その関係からとんとん拍子で加計学園が愛媛県に獣医学部を新設するという計画を立てた。が、獣医学系大学の新設には国の承認がいる。大学には税金が投入されるからだ。そして獣医師会の不当な圧力によって、この計画は何度も頓挫させられてきた。言葉が妥当かどうかは知らないが、「岩盤規制」によるとされている。
政治の力に対抗するためにはそれに上回る政治力を利用するしかない、と加計氏が考えたのは事業家として当然の発想である。加計氏が、アメリカ留学時代からの「刎頚の友」である安倍総理に、藁をもつかむ思いで助力を願い出たとしても、そのこと自体を責めることはできないと思う。
愛媛県と今治市は、過去、獣医系大学の新設について構造特区の制度を利用しようと考えてきた。が、安倍・加計会談の直後から、愛媛県と今治市は計画を変更する。構造特区から国家戦略特区の適用申請にかじを切り替えたのだ。国家戦略特区プロジェクトのトップは安倍総理自身だ。この会談のとき、総理が加計氏に「構造特区から国家戦略特区に切り替えたらどうか」というサジェッションがあったかどうかは不明だが、それに近いアドバイスはあったと思う。その程度のことは、友人関係にあろうとなかろうと、それほど目くじらを立てるほどのことでもあるまい。
問題はその直後に生じた。5人の総理秘書官の中で国家戦略特区のキーマンである柳瀬秘書官(当時)が、「面談したのは加計学園関係者だけ」と国会で述べている。国家戦略特区プロジェクトは特区(特定の地域)を指定して新しい産業を育成しようというプロジェクトで、アベノミクスの目玉経済政策の一つだ。経産省出身の柳瀬氏がキーマンになったのは、そのためだ。
柳瀬氏が乗り出すまでは、愛媛県は構造特区を利用しての獣医学系大学誘致計画しか考えていなかった。が、柳瀬氏が乗り出したことによって愛媛県はかじを切り替え、国家戦略プロジェクトへの申請を目指す。
ここでメディアや野党がほとんど関心を払ってこなかった、極めて重要なポイントを書いておく。柳瀬氏は国会で、このプロジェクトの関係者と3回面談したと発言している。問題は、柳瀬氏の念頭には加計学園関係者のことしかなく、加計学園関係者との面談の席に愛媛県や今治市の職員がいたことは気付かなかったと再三にわたって述べていることだ。
前にもブログで書いたが、国家戦略プロジェクトの主体はあくまで地域である。「こういう新しい産業を興して地域経済を振興したい」という地域の申請を受け、内閣府のプロジェクト担当部門で妥当かどうかを検討する。もちろん、認定するときには新産業の担い手である事業者についても裏付けや十分な資格があるかを慎重に検討するだろう。が、あくまで国家戦略特区プロジェクトの主体は地域であり、いきなり事業者がプロジェクトのキーマンと面談してアドバイスを受けるといったことは、本来ありえない話だ。
が、キーマンの柳瀬氏の念頭には事業者の加計学園担当者のことしかなく、3回も面談していながら肝心の事業主体である地域(愛媛県と今治市)のことは頭の片隅にもなかったという紛れもない事実がある。そのことは柳瀬氏本人が口を酸っぱくするほど語っているのだから、少なくとも柳瀬氏にとっては「加計ありき」であったことは否定の仕様がない。
そして柳瀬氏と加計孝太郎氏をつないだのも安倍総理であることがはっきりしている。例の内輪のバーベキュー・パーティが、おそらくそのために設けられたのだと思う。そして、そのときから柳瀬氏の念頭には「加計ありき」がこびりついたのだと思う。柳瀬氏の念頭から肝心の事業主体である愛媛県や今治市のことがすっぽり抜けていたという事実が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。
柳瀬氏が、彼の記憶によれば「加計学園関係者との最初の面談は15年2月か3月」ということだ。しつこいようだが、同席した愛媛県や今治市についての記憶は彼にはない。
2度目の面談は4月20日。この時も同席した愛媛県や今治市についての記憶はない。
1回目と2回目の面談で、柳瀬氏は愛媛県や今治市の担当者にではなく、加計学園関係者にどういう話をしたのか。そのことを野党は国会で追及しなかったようだ。野党議員の頭には「加計ありき」を何とか証明したいということしかなかったからではないか。
99%以上の確信をもって推測するが、1回目の面談で柳瀬氏は国家戦略特区申請の手続きについて説明したと考えられる。本来国家戦略特区プロジェクトへの申請は愛媛県なり今治市が行うことであり、一事業者に過ぎない加計学園が行う話ではない。が、この時点で柳瀬氏の頭の中には、加計学園の獣医学部新設計画をどうやって国家戦略特区プロジェクトに押し込められるかということしかなかったのだろう。
2回目の面談は4月20日。おそらく愛媛県と今治市は国家戦略特区プロジェクトへの申請書類を作成して、柳瀬氏の指導を仰いだと考えられる。ただ、いつの時点からかは不明だが、少なくともこの時点では愛媛県も今治市も表舞台から降りることを決めていたと考えられる。愛媛県や今治市という地域が表舞台で正面突破するより、加計学園を主役にして計画を進めたほうが得策と考えたと思う。この時点で愛媛県や今治市が筋を通していれば、その後の混乱は最小限にとどめることが出来たのではないか。
6月愛媛県と今治市は国家戦略特区プロジェクトに正式申請する。この前後に柳瀬氏は加計学園関係者と3回目の面談を行ったという。加計学園側からすると、ここまでこぎつけられたのは柳瀬氏のおかげという意味を込めた「お礼もうで」だったのだろう。ここに至っても、柳瀬氏の念頭から地域主体という国家戦略プロジェクトの本来の在り方が、すっぽり抜け落ちていたと思われる。
12月、広島県・愛媛県今治市が国家戦略プロジェクトの第3次認定に合格した。このブログで、これ以上書く必要はあるまい。

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日本の国益重視の対北朝鮮外交を考えてみた…アベさんのトランプ・ベッタリは間違いだ!

2018-05-26 06:24:10 | Weblog
 米朝会談の行方が不透明になった。
 トランプ米大統領はこれまでも北朝鮮・金委員長を持ち上げて見たり、罵倒してみたり、主にツィッターで北朝鮮との交渉で様々なブラフを操ってきた。「正直」であることを美徳としてきた日本では、メディアや政治家がこうしたブラフをまともに受け止め、その都度右往左往してきた。
 ブラフは通常、言うなら「振り上げたこぶし」である。あるいは日本刀の「鯉口を切ったり、締めたり」といった行為に近い。振り上げたこぶしは、頭上で
振り回して相手を威嚇したり、少し緩めて相手の譲歩を引き出そうとしたりすることで交渉を有利に進めるための駆け引きである。鯉口も切ることで相手を威嚇し、交渉を有利に進めようとする行為だ。
 だが、振り上げたこぶしも、鯉口を切る行為も、そこまでがブラフの限界だ。振り上げたこぶしを打ち下ろしてしまったり、刀を抜いてしまったら、ブラフによる交渉は終わりで、「俺に従うか、それとも戦うか」という最後通告、あるいは宣戦布告に代わる。打ち下ろしてしまったこぶしや抜いた刀は、相手が服従しなければ、実際に戦いで決着をつけるしかなくなる。
 24日、トランプ大統領が、とうとうブラフの限界を超えた。6月12日にシンガポールで開催を予定していた米朝会談の中止を金委員長に文書で通告したのだ。はたせるかな、いったん北朝鮮はトランプ文書に猛烈に反発したが、25日になって態度を急変させ、トランプ大統領に翻意を「懇願」した。
 米朝トップ会談は、もともと北朝鮮側の念願だった。北朝鮮にとっての最大の政治的懸案は金体制の安定と継続である。それを確保するには「内敵」と「外敵」による体制崩壊を未然に防ぐことが最重要な課題となる。「内敵」は国内の政権に目障りな重要人物の粛清や反体制派への弾圧でつぶすこと。これは共産主義体制の国に限らず、アメリカの同盟国でも独裁国家の常套手段である。「アメリカの同盟国でも」と、わざわざ書いたのは、アメリカがしばしば人権問題で他国を非難する場合、アメリカと敵対関係にある国や非友好国(アメリカの同盟国と敵対関係にある国を含む)に限られている。アメリカの友好国の場合は、人権無視の独裁体制でも知らんぷりだ。実際、ベトナムで独裁体制を築き、人権無視の反体制派弾圧を繰り返してきたゴ・ジェンジェム政権を守るために、アメリカは自国兵士の血を大量に流したこともあった(ベトナム戦争)。

 ここで私の立ち位置をはっきりさせておく。私は北朝鮮の独裁体制を擁護するつもりなど毛頭ないし、北朝鮮の核やミサイルが日本の安全保障上の問題にならないようにするためには、そしてまた拉致問題の完全解決を実現するには、日本政府はどういう政策をとるべきかを最重要視している。
 そのうえで、トランプ大統領の「米朝会談中止決断」を支持し、賛意を示した日本政府は、本当に日本の国益を最優先しているのかという疑問を呈さざるを得ないと考えている。
 もし、本当に「ブラフ交渉はもう終わりだ。力で決着をつけよう」というトランプ大統領の最後通告(もっとも、交渉再開の最後のチャンスは与えていたから、宣戦布告にまでは至っていないが)に北朝鮮がそれまで強がっていたように、金体制の存続をかけて「核戦争辞さず」の態度に出る可能性は無視できなかった。日本がかつてアメリカの最終的ブラフの「ハルノート」を最後通告と解釈して無謀な対米戦争に突入したように…。
 幸い、金委員長は旧日本陸軍のようにバカではなかった。北朝鮮側のブラフが通用しなくなったと判断して対米交渉の姿勢を大きく転換した。金委員長はまだ若いが、トランプ大統領が評価しているようにかなり頭がいいようだ。そもそも平昌オリンピックを契機に一気に南北融和の機運を作り、文・韓国大統領との首脳会談を実現して南北融和への道を開いた外交力は、世界各国の首脳の中でもトップクラスと評価してもいいだろう。
 日本のメディアは二人の親密な関係の演出ばかりに目を奪われているが、実はそれ以上に金委員長の手腕で驚嘆すべきことがあった。それは南北首脳会談に自分の身内だけでなく、軍の幹部二人を連れて行ったことだ。先に独裁政権にとって「内敵」をいかにつぶすかが重要なテーマであることは書いたが、金委員長は権力の座を脅かしかねない(脅かそうとしていなくても、将来その可能性が否定できない)重要人物は、肉親ですら粛清したり暗殺したりして排除してきた。あと残るのは「反体制派」である。そして最も怖いのは軍が反対制になることだ。いまのところ軍は金体制に忠実であり、クーデターの心配はないと思われるが、金政権が従来の対韓・対米政策を大きく転換した場合、それまで対韓・対米のためにひもじい思いをしながら戦意を高揚させてきた軍が、一気に不満を爆発させる可能性を金委員長は恐れたのだと思う。だから軍のクーデターを未然に防ぐために、あえて南北融和への道筋を作る南北会談に同行させ、トップ級会談にも同席させて南北融和進展の責任を一緒に負わせることにしたのではないか、と私は推測している。
 そこまで周到な金委員長だったが、それでも計算を間違えることもある。対北強硬派のペンス・米副大統領を無能呼ばわりして、トランプ大統領から譲歩を引き出そうとしたことだ。これが、トランプ大統領を一気に硬化させてしまった。
 金委員長にしてみれば、韓国の文大統領を引き寄せ、中国の強力なバックを得ることにある程度成功したことで、米朝会談を有利に進めることが出来ると計算したのだろう。その場合、最大の障害になる可能性があったペンス氏の力をそぐことで、米朝交渉を一気に北朝鮮ペースに持ち込もうとしたのだろう。それが裏目に出た。アメリカが今年中間選挙を控えており、トランプ氏が大統領再選を果たすには中間選挙での攻防は極めて重要である。トランプ大統領にとっては、何がなんでも米朝会談を成功させノーベル平和賞の候補になることで、なかなか上向かない支持率を一気に引き上げるために、ある程度譲歩に応じるだろうと読んだのだろう。
 実際、その作戦はある程度成功しつつあった。北朝鮮側に「核とICBMの即時完全廃棄」を絶対条件にしていたトランプ氏が、北朝鮮の条件(段階的廃棄)を条件付きで認めることを示唆しだしたからだ。
 残る大きな対立点は二つある。
 一つはアメリカが(日本も尻馬にのって)「北朝鮮の非核化」を要求しているのに対して、北朝鮮は一貫して「朝鮮半島の非核化」を主張して譲らないことだ。韓国は、日本と同様、核は持っていない。韓国駐留の米軍基地に配備されていた核も、いちおう撤去されたことになっているが、実態は不明だ。北朝鮮は米軍基地にまだ核が配備されていることを疑っているか、あるいは諜報活動によって配備されていることをキャッチしているのかのどちらかだと思う。そう北朝鮮が考えても無理はないと思える要素もある。本当に韓国の米軍基地に核が配備されていないのなら、トランプ大統領も北朝鮮の「朝鮮半島の非核化」に同意しても差し支えないはずなのに、また文大統領も同意しているのに、頑として「朝鮮半島の非核化」には同意しない。やっぱり韓国の米軍基地にはひそかに核が配備されているのか、という疑問を私も持たざるを得ない。
 もう一つの懸案は「金体制維持の保証」である。これは米朝交渉の大きな壁として表面化しているわけではないが、私が金委員長だったら、という仮定で論理的に考えてみた。トランプ大統領は「核の完全かつ不可逆的な廃棄」と引き換えに金体制の維持を保証すると主張している。北朝鮮が核を完全に不可逆的に廃棄すれば、本当にアメリカは(ポスト・トランプ後も)金体制の維持を保証してくれるのかという不安を、金委員長が持つのは自然である。私が金委員長だったらアメリカに「金体制維持の不可逆的保証」を、「核の完全かつ不可逆的廃棄」との引き換えに要求する。この問題は、まったく表面化していないが、おそらく水面下では厳しい駆け引きがあるのではないか。
 この二つさえ着地点を見いだせれば、米朝会談は間違いなく大成功に終わるし、日本にとっての安全保障上の最大の懸案も一気に解決する。日本には「北朝鮮がICBMを廃棄しても中短距離ミサイルがある以上、日本にとっての安全保障上の問題は解決しない」などとしたり顔で主張する向きもあるが、ミサイルに搭載される核がなければ、ミサイルは爆弾を搭載していない爆撃機と同じ単なる飛行体に過ぎない。むしろ日本が必要以上に北朝鮮や中国の軍事力を安全保障上の脅威と騒ぎ立てて、「戦争が出来る条件を緩和」(集団的自衛権の行使容認のこと)したり、それを口実に自衛隊の攻撃的(防衛的要素を超えた)軍事力を強化すれば、それは直ちに近隣諸国にとっては安全保障上の脅威になり、かえって彼らに軍事力増強の口実を与え、その結果日本の安全保障上の脅威が高まるという非条理が、安倍政権にはまったくわかっていないようだ。

 私は前にも書いたが、経済面における安倍外交は高く評価している。日本産業界の営業本部長のごとく世界各国を飛び回り、日本経済の発展に努力してくれていることには感謝すらしている。
 が、アメリカべったりの安倍政治外交にははっきり言って疑問を抱いている。少なくとも米朝交渉でアメリカの尻馬に乗ることは、日本の安全保障上も、また拉致問題の解決にとっても百害あって一利がない。日本にとっての安全保障を、アメリカの安全保障より優先するのであれば、「朝鮮半島の非核化」と「金体制維持の不可逆的保証」をアメリカに要求すべきではないか。日本の政府要人からも「いざというとき、アメリカが核の傘で日本を守ってくれるという保証はない」という発言が公然と出ているくらいだ。すでに述べたように、アメリカにとって敵対国や非友好国の人権問題には軍事力の行使もいとわない介入をするアメリカだが、同盟国や友好国の非人道的行為には見て見ぬ振りが出来る国だ。日本の政府要人がいみじくも語ったように、アメリカが自国の国益に反してまでも、日本を核の傘で守ってくれるなどと期待することは大甘だ。アベさんも、アメリカべったりの外交姿勢を示すことで、アメリカの核の傘の威力を高めることを考えているのだろうが、果たしてそれが日本の安全保障にとって最善の道か。
 前にも書いたが、第2次世界大戦後、国際間の状況は一変した。かつての、いわゆる「帝国主義」「植民地主義」による他国への侵略行為はまったく不可能になった。かつてだったら、尖閣諸島はとっくに中国によって軍事侵略されていただろうが、そういうことは、いまの世界情勢では不可能だ。オバマ前大統領やトランプ大統領が「尖閣諸島は日米安保条約5条が適用される」と言ってくれてはいるが、そんなのは単なるリップ・サービスでしかない。尖閣諸島が軍事拠点になりうるようなら、中国に侵略されたらアメリカにとって大きな軍事的障害になるから自衛隊と一緒に尖閣諸島防衛に相当の力を注いでくれるだろうが、その可能性は全く考えられず、いちおうリップ・サービスをした手前の程度の協力はしてくれるだろうが、せいぜいそこまでだ。
 別に国益最優先は、アメリカだけではない。あらゆる国が国益最優先である。それが間違っているとまでは、私も言わない。
 マルクスはかつてこう書いた。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。この言葉のために、私は学生時代を過ごした。その過去を、私は後悔しているわけではない。むしろ、自らの生き方として、その言葉のために生きた時代を誇りにすら思っている。
 ただ現実を考えた時、その言葉のむなしさを涙が出るほど悔しく思うしかない。そして今、私の価値観の大半を占めていることは、自分のためにすることが他人のためになればいいな、自国の国益になることが他国の国益になるような政治になればいいなと、外野席から蟻の歩みほどの貢献でもできたらと考えているだけだ。
 そういう視点から、北朝鮮問題について、過去にも何度も書いたが、日本の国益にもなり、かつ北朝鮮の国益にもなり、ひいては世界平和に貢献できればいいではないか、という取り組み方を改めて提案する。
 北朝鮮との関係を考える場合、これまでは拉致問題と安全保障という二つの問題が重視されてきた。そのこと自体を否定するわけではないが、同時に解決しようというのは、はっきり言って無理がある。現に、日ロ関係も(旧ソ連時代から)平和条約締結と北方領土問題を同時に解決しようと日本政府は努力してきたが、一歩も前進しなかった。やはり優先順位をつけるというか、一つを解決することで残った問題の解決にも近づけるという考え方が必要なのではないかと、私は思う。
 話があまり拡散しても読者が混乱するだろうから、北朝鮮との関係に絞る。私は、たとえアメリカが不愉快になろうと、まず北朝鮮との平和条約締結に向けて最大限の努力を払うべきだと考えている。平和条約を締結して、日本が技術・資本の面で協力して北朝鮮の産業近代化を支援して、友好関係と経済的互恵関係を強めることだ。経済的互恵関係が強まれば、それは双方にとっての最高の抑止力にもなる。
 抑止力というと、リベラル志向が強い朝日新聞ですら「相手の軍事力に対抗する軍事力」と解説しているくらいで、「抑止力=軍事力」と思い込んでいる政治家やジャーナリストが大半だが、現代における最大の抑止力は経済的互恵関係の構築と、それによる友好関係の強固化である。戦後、なぜ日米関係が、たびたび経済摩擦を生じながらも強固な友好・同盟関係を長期にわたって築いてこれたのかを考えてみればわかる。アメリカも日本も、もし軍事的に対立するようなことがあったら、双方が自ら自国の国益に反する行動をとることを意味するからだ。
 そういう関係をできるだけ多くの国と構築することが、日本にとって最大の抑止力になる。安倍総理が世界中を飛び回って多くの国と経済的互恵関係を構築しようとしていることは、単に日本の産業界の発展のためだけではなく、実は安倍さん自身気付いていないようだが日本の抑止力を高めているのだ。
 そのことに安倍さん自身が早く気づいてくれれば、北朝鮮との関係についても、どういう外交方針をとることを最優先すべきかが分かるはずだ。
 日本が北朝鮮との間に平和条約を締結して経済支援(技術及び資本)を行って(できれば韓国と足並みを揃えて行うことが望ましい)、北朝鮮の産業近代化が進み、国民生活が向上すれば、日本と北朝鮮との経済的互恵関係が強くなる。
 日本は少子化が進み、今後も労働力不足が当分続く。AIが労働力不足を完全に補えるようになるまでにどのくらいの時間がかかるかは私にはわからないが、少なくとも最も近い国である北朝鮮の労働力を日本企業が活用できるようになれば、日本にとっても北朝鮮にとっても大きなプラスになる。そうなれば経済的互恵関係が深まり、両国の友好も強まる。互いに相手の軍事力を脅威に感じる必要もなくなる。そうなったとき、黙っていても拉致問題も解決するだろう。
 国益重視の外交とはどうあるべきか、頭を冷やして考えてもらいたい。
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