小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NHKは世論調査まで政府に迎合するようになったようだ。

2018-11-13 08:30:30 | Weblog
 NHKに対する怒りの告発を続ける。
 NHKは9~11日の3日間にわたって恒例の世論調査を行い、12日のニュースで結果を発表した。
 NHKに限らず大手新聞社やテレビ局、通信社も、時期こそ多少ずれるが、毎月世論調査を行う。
 世論調査の方式は各社ともRDD方式といって、コンピュータで無差別に調査対象の電話番号を選んで電話する。昨年のある時期までは固定電話だけが対象だったが、読売新聞と日経新聞が共同で携帯電話にも調査範囲を広げたことにより、他のメディアも順次調査対象に携帯電話も加えるようになった。
 固定電話の場合、あらかじめ最初の局番によって調査対象が住んでいる場所が特定できるから、例えば東京都23区内の住民に対しては人口比に応じたサンプル数に電話するようにすればよかった。が、携帯電話の場合、最初の局番の090や080では調査対象が住んでいる地域が特定できない。だから世論調査も大変になったなと思っていたが、ネットで調べたところ、実は携帯電話もある程度所有者が住んでいる地域を特定できるらしい。おそらく090や080に続く4桁の番号で地域の特定ができるのではないかと思う。詳しい方法については私は知らない。ひょっとしたら特殊詐欺グループも、そうやってカモ(もし差別用語だったら、ごめんなさい)を探しているのかもしれない。
 調査方法はともかく、設問の内容によってメディア各社の調査結果にかなりの差異が生じていることは、すでにかなり知られている。また調査相手はコンピュータがランダムに選択するが、アンケート調査は自動音声による場合と調査会社に依頼して調査マンが電話対応するケースもある。RDD方式の場合、大体1500~2000サンプルの調査で誤差は±5%にとどまるとされてきた。が、最近メディア各社による調査結果にかなりのばらつきが目立つようになった。設問の仕方に、メディアの立ち位置が反映されているためというケースもあるだろうが、内閣支持率や政党支持率といった誘導調査が不可能な設問でも、時にはメディアによって10数%の差異が生じることがある。これではどのメディアの調査を信用したらいいのか、また調査の意味が問われると思い、私は何度もNHKふれあいセンターのスーパーバイザー(職位は部長クラスとされている)に、「NHKがメディア各社に呼びかけ第3者的な調査機関を設置するなり、世界的に権威があるギャラップ社に統一して調査依頼をし、かつ電話による調査ではなく、人海戦術で調査するようにしたほうがいいのではないか」と何度も提案してきた。NHKなら一応公正かつ中立的立場が義務付けられているから、NHKがメディア各社に呼びかければ各社も応じる可能性があると思っていたからだ。
 が、そのNHKがとんでもない調査をした。消費税導入について「外食を除く食料品などの軽減税率導入」についての賛否を問うたのだ。

 この質問の内容のどこに私がNHKの公平性に重大な疑義を生じたのか、10月19日に投降したブログ『メディアが報道できない消費税増税の舞台裏――飲食料品の軽減税率は消費税の逆進性を増幅する。国民の90%以上が知らない新聞の軽減化の理由』を熟読していただいた方はすぐお分かりになると思うが、私がこの質問で引っかかったのは「など」という部分だった。「など」という場合、「ほかにもある」ことを意味する。
 で、私はニュースが終わった後、このニュースの正確性を確認するためネットで検索した。私の聞き間違いではなく、間違いなく「食料品など」とアナウンサーが発言していた。そのことを確認したうえで、私はNHKふれあいセンターに電話してコミュニケーター(最初の電話に出る人)に「世論調査について重大な疑義がある。スーパーバイザーに代わってほしい」と申し入れた。代わって電話に出たのが田島と称する女性だった。「責任者の田島です」と彼女は電話口で名乗った。
 実はNHKふれあいセンターは最初に電話対応するコミュニケーターと、その上位に位置するチーフ(課長クラスとされている)、そしてスーパーバイザーという3階層からなっている。スーパーバイザーはかなりの権限を与えられており、自分の意見を言うこともできるし、インターネットも自由に使える。またニュースの原稿や『クロ現』や『Nスペ』などの番組内容もあらかじめ通知されている。だからスーパーバイザーとはかなり突っ込んだ話ができるのだ。
 ところが、田島氏の場合は違った。最初のひと言、ふた言で詐称ではないかと思ったので「食料品など」の「など」はこの場合、何を意味するのか、と聞いてみた。返ってきた答えは「広辞苑などでお調べください」だった。アホか、と私は思った。
 仕方なく、「広辞苑で調べることもなく『など』とは『ほかにもある』ことを意味する。あなたがスーパーバイザーなら『ほかの何か』をご存じのはずだ。その『ほかの何か』は何ですか」と再度聞いた。田島氏は「そういうご意見が寄せられたことを『ニュース7』の担当者に伝えます」と応じただけだった。
 この時点で私は田島氏が職位を詐称していることを確信した。「本当にスーパーバイザーですか?」と、それあとも何度も聞き直したが、その都度「スーパーバイザーです」という返事しか返ってこなかった。
 もし田島氏が本当にスーパーバイザーなら、NHKの人事はどうなっているのか。私の中での女性蔑視の差別意識が初めて芽生えた瞬間である。「女だから、しょうがねぇか」で済む話ではない。女をスーパーバイザーの職責につけたこと自体がNHKの体質を表しているのかもしれない。女にはスーパーバイザーという職務は重過ぎる。女には女らしい仕事を与えてやれ。そう、私は言いたくなった。
 実は「食料品など」という表現には二重の間違いが含まれている。一つはたいしたことではないが、正確には「外食だけでなく酒類を除く飲食料品」が軽減税率の対象である。つまり{食料品など}という質問は、正確には「飲食料品など」でなくてはならないのだが、これはたぶん質問内容を作成した人のケアレスミスだろう。目くじらを立てるほどの問題ではない。私はこのケースについては目くじらを立てたりはしないが、NHKとしてはお恥ずかしい話だろう。
 実はNHKが「など」という表現で意図的にねぐった極めて重要な問題がある。10月19日に投降したブログで書いたが、飲食料品以外にもう一つ大きな軽減税率対象のアイテムがある。「週2回以上発行」の定期刊行物で、「定期購読」の場合である。事実上日刊の新聞で、かつ定期購読の場合(つまりコンビニや駅の売店で買う新聞はスポーツ紙や夕刊紙だけでなく、読売や朝日などの新聞も軽減税率の対象にはならい)に限定されているのだ。そのくらいの消費税増税についての基礎知識くらい、スーパーバイザーだったら常識だろう。田島氏がスーパーバイザーを詐称したことはこのことからも明々白々である。
 なぜNHKはあえて消費税増税についてのからくりを意図的の隠ぺいする調査を行ったのか。言っておくがNHK受信料にも消費税はかかっており、増税の際は軽減対象に含まれていない。なお軽減税率導入を強く求めた公明党はこう主張している。
「(飲食料品以外にも)国民に幅広い情報を伝える新聞も、活字文化や民主主義を担う重要な社会基盤であるという観点から、公明党が(軽減税率の)適用を求めていたものです」
 公明党は、定期購読の新聞には「民主主義を担う重要な社会基盤」という位置づけをしていながら、同じ新聞でもコンビニや駅の売店で購入する場合はその価値がないと思っているようだ。私は私自身が購読している新聞社に対して「この甘い餌に食いついたら、権力に対する監視機能を失うことを意味する。断固として軽減税率を拒否せよ」と強く申し入れた。憲法改正と同じで、憲法を改正したからといって直ちに自衛隊の任務が変わるわけではないだろうが、政権の事情によっていつ自衛隊の任務が変わるかもしれない。もし万一国会で憲法改正案が発議されたら、国民投票で間違いなく憲法は改正される。国民投票で否決されるだろうと甘く考えている人たちもいるが、とんでもない。間違いなく政権側は憲法改正の必要性をこう訴える。
「この国民投票は、自衛隊の存否にかかわることを意味します。つまり、国民投票で憲法改正が否決されたら、自衛隊は『違憲な組織』ということになって、自衛隊を解散せざるを得なくなります。大きな自然災害が起きても、命を張って国民の救済に当たる組織の消滅を意味します。それでもいいのですか?」と。
 そう訴えられて、憲法改正にNOを突き付けられる国民がどれだけいるだろうか。100%、憲法は改正されてしまう。安部さんが異常なまでに「自衛隊違憲論争に終止符を打つため」と今ではほとんど消滅している違憲論争を憲法改正の必要性として強調しているのはそのためだ。
 同様に、新聞社が今甘い餌に食らいついたとしても、今日明日に新聞社のスタンスが変わるわけではない。だが、重大な時期に新聞が「民主主義の重要な社会基盤」としての機能を発揮しようとした時、権力によって「餌を取り上げるぞ」と脅かされたら、おそらく新聞は抗しきれない。目先の餌に食らいついたら、いずれ新聞は権力に対する牙を抜かれることになる。
 さてNHK受信料はなぜ軽減税率の対象から外されたのか。NHKに牙があったら、この軽減税率のからくりを『クロ現』などの番組で暴くはずだ。実際、私はふれあいセンターのスーパーバイザーの何人かにそういう提案をしてきた。この重要な提案は、スーパーバイザー全員に共有されている。そのこともすでに私は確認している。田島氏が本当にスーパーバイザーなら、こうした情報も共有していなければ、そもそもスーパーバイザーとしての資格がない。詐称の可能性が極めて高いと言わざるを得ない。
 あっ、そうか。NHKはすでに「民主主義を担う重要な社会基盤」としての機能を喪失しているから(つまり牙を抜かれているから)、政府も軽減税率の対象にするという餌を与える必要性を感じなかったのか。それなら、わかるよ。今のNHKには牙がないものな…。

【追記】この記事では、あえて有名人ではない個人名を書いた。NHKふれあいセンターへの電話はすべて録音されている。NHKないし、個人名で告発した田島氏が名誉棄損で訴訟を起こさなければ、私が書いたことは事実であることをNHKおよび田島氏が認めたことを意味する。
 私はかつて読売新聞読者センターの方の問題発言をブログで記事にした。NHK以外は電話対応した人は名前を名乗らない。読売の場合は、だから特定の個人名は書けなかった。が、私が読売新聞の「権威」を毀損するかのごとき(受け止め方によると思うが)記事を書いたことで、読者センターは大騒ぎになった。読売との闘いの経緯はすべてブログで公表しているが、私は闘いの過程ですべての経緯を明らかにして読売新聞社のコンプライス委員会に告発した。
 その結果、読者センターのスタッフの大半が二度にわたって総入れ替えになるという完全勝利も、私は勝ち取っている。そのこともブログで報告した。
 さあ、NHKの守旧派よ、そしてやり玉に挙げた田島氏よ、私とトコトンまで戦う勇気があるか。
 この記事は、NHKの経営委員会にFAXする。沈黙は許されない。私は前回のブログで最高裁判決まで論理的に否定した。NHKよ、私と闘え!


コメント

NHK裁判の検証ーー韓国と同様、日本の最高裁も誤判決を下すこともある。

2018-11-05 01:24:08 | Weblog
 前回のブログを投稿してから丸2週間を超えた。この間ブログで書きたいことが山ほどあった。ネットで炎上した安田純平氏に対する「自己責任」バッシング問題、韓国大法院(最高裁判所)での元徴用工判決、招集されたばかりの臨時国会で与野党間の論戦が高まっている外国人材受け入れ拡大法改正問題、さらには前回のブログに関連して消費税増税時の景気対策としての小規模小売店でのキャッシュレス決済への2ポイント還元策やプレミアム商品券発行といったバカらしさ、この上ない愚策の連発…。いずれの問題もそれぞれ独立したブログ記事のテーマにしなければならない重要な問題だが、とりあえずいま生じている諸問題は今回のブログでも多少触れながら、今回はNHKの公共放送としての資質について書く。
 その前に、まず読者の方たちにお礼を申し上げる。プリントすればA4でぎっしり14ページに及ぶ大変な量の記事を読んでいただいた。しかも読者の方は毎日のように増え続け、いつ更新できるか私の最大の悩みになっていた。が、11月に入って最初の新しい週を迎えた今日、思い切って更新することにした。
 つい最近、ある世論調査の結果が公表された。国民のメディアに対する信頼度調査である。その結果、国民が最も信頼を寄せているメディアはNHKであった。「不偏不党、公共性」というNHKに対する国民の幻想が岩盤的信頼感につながっているからではないかと思う。
 が、メディアは民主主義を育てるための最後の砦である。政権寄りとされる産経新聞や読売新聞でも、政権に対する監視機能を完全に失っているわけではない。政府高官に対する厳しい追及は怠っていないし、しばしば疑惑のスクープも辞さない。が、そうしたメディアとしての最低限の機能を、いまのNHKは維持していると言えるだろうか。
 NHKは衛星放送も含めて現在4局で放送事業を行っている。各局が1日20時間放送したとして合計で80時間になる。基本的には番組編成は1週間単位で行われているが、国会中継を除けばNHKが最も軽視しているのが報道系のコンテンツだとしか言いようがない。
 私は1988年11月、『NHK特集を読む』という題名の本を上梓したことがある。『NHK特集』が新たな使命をもって『NHKスペシャル』に衣替えをした時、私はその新番組のCM出演の依頼を受けた。そのときCM作成のディレクターから依頼されたことは「タブーへの挑戦に対する期待を語ってほしい」ということだった。もちろん私は喜んで受諾し、私が出演したCMは全国に流れた。その直後、当時私がメンバーだったゴルフ場に行くと、キャディさんたちが「見たよ、見たよ」と私を取り囲んでくれた。民放での討論番組に出演しても、そういった反応はほとんどなかったので、改めてNHKの存在感のすごさを感じ取ったものだった。
 が、『NHKスペシャル』にしても、国谷裕子氏がキャスターをしていたころの『クローズアップ現代』にしても、当時はかすかにあったジャーナリスト魂が、いまのNHKの番組からは残念ながらみじんも感じることが出来ない。国谷氏が降板させられた事情はうかがい知る立場にはないが、つねづね官邸からNHK上層部に圧力がかかっていたという噂は降板前からネットでは流れていた。直接的には「出家詐欺事件」の責任を取らされたということにはなっているが、国谷氏はキャスターにすぎず、出家詐欺事件を『クロ現』で取り上げた責任者は番組の製作スタッフである。人気絶頂にあった国谷氏に、その後民放からも一切声がかからなかったということ自体、見えざる力が背後で働いていた可能性は否定できない。
 しかし、NHKから完全にジャーナリスト精神が消えたわけではない。私はしばしばNHKの中間管理職クラスと電話等で話をするが、彼らの多くはいまのNHKの在り方に批判的である。そういう彼らへの、このブログはエールでもある。戦え、悩むNHKジャーナリストたちよ!


 最高裁が下した判決・決定は、いちおう最終的で覆すことは不可能とされている。が、刑事訴訟では不服の申し立てを行うことが出来、実際再審が行われたケースもある。
 刑事事件では、判決後に新たな証拠などが発見されたり、あるいはかつての裁判では証拠として認定されていたことが、その後の科学技術の発達などで証拠とみなすことに相当の無理があると改めて認定された場合などが、再審決定に至るケースである。
 が、民事事件では、そうした救済方法はない。つまり民事事件では最高裁が下した判決・決定は最終的な効力を持つ。たとえ最高裁判事が誤った判断基準で下した判決と言えど、裁判の過程で原告あるいは被告が最高裁判事に誤った認識を故意であるか否かを問わず与えてしまった場合(そうなる原因の多くは弁護士の弁論によることが多いと考えられる)、最高裁判事といえど誤った判断基準で判決・決定を下してしまうこともある。そうしたケースの一つに、2017年12月6日に最高裁が下したNHK受信契約義務についての判決がある。
 この判決は放送法64条をめぐって、民放に定められている「契約の自由」を盾にNHKとの受信契約を拒否していた男性に対して、NHKが起こした民事訴訟が最高裁まで持ち込まれたケースについてである。最高裁判決によれば、放送法64条で定められているNHKとの受信契約義務は合憲で、被告の男性はテレビ設置の日にさかのぼって契約しなければならなくなった。
 もともと放送法は特別法として民放に対して優位にある。ということは、民放に定められている「契約の自由」を理由にNHKとの契約を拒否することは、放送法よりさらに優位にある憲法との整合性を問う以外に、被告の男性側に勝ち目はなかった。だから被告弁護士は「契約の自由」を盾に、原告であるNHK弁護士と争ったのだろう。
 その観点から、改めてこの裁判を検証してみる。言っておくが、私の法律知識はせいぜいのところ高校生なみである。大学で法律を専攻したことはない。だから、私がこれから述べることは、すべて法律知識によらず、ひたすら私独自の論理的思考力だけを頼りに書く。が、これから私が書くことに、おそらくいかなる法曹家も反論の余地がないはずだと自負している。論理は、いかなる権威にも勝る、と私は信じているからだ。

 最高裁判決を検証する前に、私は公共放送の受信料支払い義務は全国民にあると考えていることを明確にしておく。ただし1歳未満の幼児(赤ちゃん)及び高度の認知症患者、生活困窮者などを除く。支払い義務は国民一人一人にあり、世帯や組織単位ではない。私はそうあるべきだと考えているし、放送法64条についてもそう解釈すべきだし、それ以外の解釈は論理的に不可能である。実はこの裁判に関しては、被告弁護側も最高裁判事もその基本的視点を欠落していた。だから「世帯単位」という憲法違反の契約のありかたを争点にせず、単純な「契約の自由」を争点にしてしまったのだと思う。
 まず公共放送の契約義務について、私の考えを述べておく。
 日本の放送法15条で、公共放送の使命と役割についてこう述べている。「公共の福祉のために、あまねく日本全土において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(中略)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うこと」。この規定に従って日本国民は等しく公共放送事業者と契約する義務が生じる、と私は考えている。
 公共放送の契約義務を認めたうえで、NHKに対して受信料の支払い義務が生じうるか否かを検証する。NHKは現在地上波2局、衛星(BS)2局の計4局で番組を制作し、放送している。それほどまでに公共放送に値するコンテンツがあるのか。
 そもそもNHKが衛星放送を開局したのは地上波(当時はアナログは)の難視聴対策だった。だから衛星放送のコンテンツもほぼ地上波と同じだった。
 しかし地上波がデジタル化することによって、地上波の難視聴問題はほぼ解消した。当然NHKは衛星放送から撤退し、それまで有していた衛星放送の電波帯やBS衛星の権利を民間に売却して受信料の軽減化に取り組むべきだった。が、NHKはそうしなかった。当然使える電波帯は一気に2倍に膨れ上がった。その電波帯を有効に使えるような公共放送のコンテンツなど、そうそうあるわけではない。実際、NHKが取り組んだのは総娯楽放送局化への道だった。やたらとドラマを増やし、大金を投じて、民放と大きなスポーツ大会の放映権獲得競争に狂奔することだった。こうしたコンテンツが、果たして公共放送といえるだろうか。私は面倒くさくてそこまでやるつもりはないが、もし暇を持て余している方がいらっしゃれば、1週間分でも1か月分でもいいから、NHKが公共放送の名にふさわしいコンテンツと娯楽番組との放送時間の割合を計算してみていただければ、と願う。
 またEテレについても、すでに時代の要請は終了している。まだ日本が貧しかった時代、すなわち男女ともに高学歴社会に入っていなかった時代に、中卒で就職した人たちなどのために通信制の教育プログラムを組んだり、大学受験資格検定試験に合格するための教育プログラムが必要だった時代の産物であり、今ではその必要性はほぼなくなっている。が、組織を維持することが自己目的化して、教育プログラムとはおよそ無関係の番組を延々と放送し続けているのが偽らざる現状である。
 ヘーゲル弁証法の核心をなすとされている「らせん発展」説とは、社会の進歩は一直線的ではなく、らせん階段を上っていくように進む、という考え方だ。実は「逆もまた真なり」と、私は考えている。らせん階段を下るように組織の肥大化による劣化が進む、というのが私の認識だ。
 中学生でもわかるように、この関係を書く。組織はある目的を達成するためにつくられる。公的組織であろうと私的組織であろうと、その点に差異はない。
 そして、その目的を達成するための手段が様々講じられえる。その過程では議論も活発に行われるだろう。が、いったん「目的を達成するための手段」が組織内で決定されれば、その手段を実現することが自己目的化される。そして、さらに新たに自己目的化された手段(つまり二次目的)を実現するための手段(二次手段)がまた講じられる。そして二次手段が三次目的になり、三次目的を実現するための三次手段(=四次目的)が正当化されていく。いつの間にか最初の目的は忘れ去られ、次々と生まれる新しい目的を達成に向けて努力することが組織維持の手段と化していく。「負のらせん構造」が、こうして構築されていくというわけだ。
 公共事業体が、当初の目的を終えたにもかかわらず、目的を変更して存続し続けようとするのは洋の東西を問わない。
 民間企業であれば、その会社が当初製造していた製品が社会的存在価値を喪失しても会社を解散せず、新たな存在価値のある製品を開発して企業の存続を図ろうとするのは当然だが、税金や義務化された受信料で運営されている公的組織が、当初の社会的存在価値を喪失したら、組織の存続を自己目的化した方向転換を図ることは許されていいわけがない。
 さらに、そもそも憲法や法律以前の自然法として権利と義務の関係は自動的に発生する。つまり、「権利が生じない義務」もなければ「義務を伴わない権利」もあり得ない。そのことに対する基本認識が、最高裁判事には完全に欠落していた。だから、テレビ設置者に「受信契約の義務化」を認めながら、では「契約の義務を果たし、放送法には義務付けられていない受信料を支払っている視聴者にNHKはいかなる権利を約束しているのか」という観点が、この裁判の判決から完全に欠落していた。
 ひょっとしたら、NHKは「放送を見る権利」を与えていると主張するかもしれない。もし、そう主張するなら「放送を見ない権利」も自動的に生じるわけで、その場合は「NHKの放送は見ないから受信料は支払わない」という権利も自動的に正当化される。つまり「契約の自由」が認められなければならないことになる。が、契約の義務化と受信料の支払い義務は別問題であり、受信料の支払い義務については放送法の条文には書かれていないし、最高裁判決も契約の義務化は認めたが、受信料の支払い義務については何ら言及していない。
 NHKは紅白歌合戦などの人気番組の見物応募資格に「受信料をお支払いの方に限ります」と限定条件を付けることがあるが、それがNHKが受信料支払い者の「権利」だとも言うのか。だったら、そんな権利などいらないから「契約はするけれども受信料は支払わない」という主張も論理的には成立するはずだ。
 私は最高裁の判決直前の17年12月4日にブログでこう書いた。「ここで問題になるのは『受信料契約の義務』を明記している放送法64条が憲法違反の法律なのかという判断と、契約をした場合自動的に受信料の支払い義務も生じるのかという問題が混同して論じられていることだ」「放送法64条1項は、テレビ受信機を設置した者は受信契約を結ぶことを命じている。が、受信料については第2項で免除の基準についての記載はあるが、どの項目にも受信料の支払い義務の記載はない。NHKは受信契約を結べば、受信料の支払い義務も自動的に発生すると考えているようだが、その法的根拠は明らかでない」と。
 判決後の12月7日、13日にも最高裁判決の問題点についてブログをアップしたし、放送体制の見直しを含めて地上波とBS放送の分離、BS放送の民営化にまで踏み込んで、書いたブログをNHKの経営委員会にFAXで送った。
 その時点では書かなかった、というより思いつかなかったことを今日は書く。
 NHKの経営委員を公選制にすることだ。政治選挙のときのマニフェストと同様、経営委員に立候補する人はNHKの放送についての方針を公約に掲げる。「エンターテイメント中心にする」という立候補者がいても構わないし(現状肯定派)、「少なくともコンテンツの30%以上は報道や政治問題、社会問題。国際問題で占める」という人がいてもいいではないか。私たち視聴者が経営委員を選ぶ権利があれば、私たちが選んだ経営委員会が認めた番組編成は許容せざるを得ない。公共放送は、視聴率競争を超越しているから、公共放送たるゆえんではないか。

 なお、これまでのブログでもさんざん書いてきたことだが、放送法64条1項については、NHKは厳密に守ってほしい。この項目にはNHKと受信契約を義務付けている相手は「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」と定義されている。放送法のどこにも受信契約の義務者は「世帯主」とは記載されていない。「設置した者」はだれのことか?
「設置した者」に受信契約の義務があり、契約者に受信料支払いの義務があるというなら(何度も書くが、そんな法律は放送法だけでなく、どこにもない)、NHKはまず「設置した者」を特定する必要がある。不動産や自動車の場合は、登記や登録によって税金などの支払い義務者が確定できるが、テレビにはそういうたぐいの制度はない。
 言っておくが、これは法律に関する問題だ。「常識だろう」といったたぐいの非論理的主張は通用しない。「設置した者」を特定できない以上、NHKとの契約を結ぶか否かは個人の任意によらざるを得ないはずだ。まともな法曹家なら、この考え方を否定できないと思う。
 ちなみに私の場合、引っ越し祝いにある人(その人に迷惑がかかるといけないので明らかにしない)からプレゼントしてもらった。また「物理的に設置した人」はテレビを配達してくれた家電量販店の人だ。アンテナの接続だけでなく、地デジの場合は地域によって細かな設定が必要なようで、素人には難しいということだった。もちろん設定料金は3000円ほどかかっている。さてこの場合、NHKとの契約義務を負うのはだれになるのか。
 事実上「所有している人」という解釈になれば、家庭向けテレビのリース会社が雨後の竹の子のようにできる。買わずにリースすれば受信料を支払わなくて済むからだ。リース会社も「契約の守秘義務」を盾にとって、リース先を明らかにするのを拒んだら…。さぁ、NHKどうする!?
 だから私は、これまで書いてきたブログで主張したように、受益者負担、つまりNHKであろうがなかろうが、テレビ放送を見ることで受益する人すべてが平等に負担するようにすべきだと思う。ひとり暮らしの若者や老人が、多人数の世帯と同額の受信料を支払うという、いまの制度を、国政選挙に関しては「一票の格差」をあれほど問題にしてきた最高裁の判事が下した判決とは信じがたい思いがする。バカも休み休みにしてもらいたい。

 最高裁がおかしな判決をすることは、あり得ないことではない。すでに書いたが、オウム事件の最高裁判決は自らが下した死刑判決の基準とされている「永山判決」の要件を著しく逸脱したものだった。少なくともサリン散布の実行犯でもなければ、明確な殺意の立証も出来てもいない被告に対しても、最高裁は世論に迎合して死刑の判決を下した。
 韓国の大法院(最高裁)も、やはり1965年の日韓請求権協定に反して、世論に迎合する判決を下した。司法が政治的圧力や世論に迎合して、政府から歓迎されたり、あるいは世論の喝さいを受けることを目的とするような判決を下し、それがまかり通る社会ということになると、もはや民主主義の最後の拠り所としての機能を司法自らが放棄することを意味する。メディアは、司法の責任をとことん追求しなければならない。それがメディアの最低限の義務であり責任ではないか。

 安田氏に対する「自己責任」バッシングについても書いておく。武装勢力の兵士二人に挟まれて安田氏が「助けてください」と懇願した映像を見た時、正直私も「リスクを覚悟の上でシリアへ密入国したはずだ。いまさら『助けてくれ』はないだろう」といったんは思った。が、テレビが放映した、この映像の入手ルートが分からなかったので(メディア側は入手ルートについては一切明らかにしていない)、多少の疑問を抱いていた。
 安田氏が解放された後で、彼が奥さんに送った暗号化された文書から(文書には「金は払うな」「必ず帰る」といった安田氏の真意が書かれていた)、あの「助けてくれ」映像は武装勢力に強制され、やむを得ず喋ったことが判明した(記者会見で安田氏もそう証言している)。また彼は出かける直前にも奥さんに対して「どういう事態になったとしても自己責任だ」と語っている。
 安田氏が、当初予定していた方法ではなく、安易に(おそらく)武装勢力側の二人に誘われてシリアに密入国して捕まったことについて「凡ミスだった」と述べていたが、安田氏はいわゆる「冒険家」ではない。冒険家の場合は、無謀なチャレンジはしない。安田氏が何度も危険な地域で取材活動をしてきた経験豊富なジャーナリストなら「凡ミス」で済む話ではないが、安田氏の場合、単独で極めてリスキーな行動に出たのは、ひょっとしたら過去の経験がかえって裏目に出たのかもしれない。
 彼はイラク戦争当時、イラクで取材活動をしていたが、イラク政府の「人間の盾」作戦に参加し、何度かイラク軍や武装勢力側に拘束されたが、すぐに解放されている。そうした経験が、もちろんシリアへの密入国のほうがはるかに危険なことは承知していただろうが、彼の「自己責任」の考えの基本にあったのは、戦闘に巻き込まれて重傷を負ったり、場合によっては死に至る危険性の意味だったのではないか。武装勢力に長期にわたって拘束され、金銭目当ての人質にされる可能性は過去の経験からあまり考えていなかったと思われる。
 おそらく今では安田氏も自分の計画そのものが安易だったことを、百も承知していると思う。そういう意味では「凡ミス=迂闊(うかつ)」だったでは済まない話だとは私も思うが、同様の「凡ミス=迂闊さ」の責任は、武装勢力の作戦にまんまと引っかかって武装勢力が流した映像を何度も安易に放映したメディア側も問われなければならない。武装勢力側は、日本のテレビ局が放映することで日本政府を追い詰める作戦を立てていたことは間違いなく、テレビ各局が意図せず武装勢力に加担してしまった結果、政府も水面下で動かざるを得なくなり、安田氏は言われもなき「自己責任」バッシングを受ける羽目になった。
 実際、政府は安田氏解放のために身代金を肩替わったとされているカタールの首相を日本にお礼招待することになった。お礼で招待して、手ぶらで返すことは国際慣習上できない。ODAという形になるのだろうが、この事件で日本政府がそれなりの借りをカタール政府とトルコ政府に負ったことだけは間違いなく、その全責任は安田氏の「身勝手さ」にではなく、武装勢力の作戦にまんまと引っかかったメディア側にあることだけははっきり言っておく。

 最後に、消費税増税に伴う政府の景気対策について一言。
 消費税を増税すれば一時的に消費が冷え込むのは歴史上の常識だ。竹下内閣による消費税3%の導入、橋本内閣による5%へのの増税、そして安倍総理による8%への増税時も例外ではなかった。竹下内閣も橋本内閣も、消費税導入、増税後の選挙で自民党が敗北、二人の総理は責任を取って辞任した。安倍総理だけが消費税増税を争点にした選挙は行わず(正確には増税時期の延期を争点にして選挙で勝利したことはあったが)、つねに「アベノミクスは着実に成果を上げている」と明言してきた。
 アベノミクスは失敗に終わったから、消費税増税に際しては景気への悪影響を避けるため万全の対策を立てる、という話なら私にも理解できる。が、アベノミクスが成功しているのに、なぜ景気への悪影響を心配する必要があるのか。私は理解に苦しむ。
 前回のブログにも書いたように、私は消費税増税に基本的には反対ではない。だが、アベノミクスが成功しているのに、増税効果を台無しにするような対策がなぜ必要なのか。いまこそ財務官僚は正念場に立っていることを肝に銘じてほしい。
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メディアが報道できない消費税増税の舞台裏ーー飲食料品の軽減税率は消費税の逆進性を増幅する。国民の90%が知らない新聞の軽減化の理由。

2018-10-20 08:17:18 | Weblog
来年10月1日から消費税が10%に増税されることが決まった。ただし、与党の一角を占める公明党の強い要望によって8%に据え置かれる商品もある。飲食料品の大半と週2回以上発行される定期購読の刊行物(新聞)だ。いまメディアとくに民放テレビ局は、8%に据え置かれる飲食料品のイートイン問題について連日、バカみたいに、かつ大真面目に報道している。
しかし、この軽減税率制ほど国民を愚弄した税制はない。
いかに愚弄しているか。そのことを明らかにする前に、私自身の消費税増税に対する基本的スタンスを明らかにしておく。
私は消費税増税に基本的には反対ではない。多少消費は下向くだろうが、少子高齢化に歯止めがかけられない中で社会保障費が突出して増大していくことは避けられず、何らかの税増収を図るか、歳出を削減するかの工夫をしなければ、日本財政はいずれ間違いなく破たんする。
だが、本来は税体系全体の見直しと、歳出の見直しの中で消費税をどう位置付けるかの「税哲学」の確立がまず必要なはずだ。だが、本来は政府の政策を社会的弱者の立場からチェックすべきメディアが、肝心の牙を政府の優遇処置によって完全に抜かれてしまっており、その結果、飲食料品の扱いだけにメディアの関心が向かっている。メディアもまた国民を愚弄する側に入ってしまったと言える。戦中の、あの暗黒の時代を想起せざるを得ない。

いかなる政策も、メリットだけではない。必ずデメリットも伴う。たとえばリスクを伴う金融商品の販売については、メリットの強調だけでなくデメリット(リスク)の開示が義務付けられている。義務付けたのは、もちろん政府だ。
なのに政府は、国会に法案を提出するに際して、メリットしか言わない。デメリットに関しては、野党が国会審議の場で追及すればいいと考えているのか。
 それはそれで一つの考え方ではあると思う。しかし、政府は法案の策定過程において与党内でさんざん議論し、メリット・デメリットを洗い出したうえで最終的に法案として策定して国会に提出する。重要法案についてはメディアが作成プロセスの一部を報道することもあるが、それは法案に疑問を持つ与党議員からのリーク情報に基づくことが多く、問題点の一部でしかない。
 ちょっと本筋から離れるが、橋本内閣が消費税を3%から5%に増税したとき内税方式の価格表示を義務付けた。が、安倍内閣が8%に増税したとき、その縛りを外した。そのため零細商店は別にして、多くの大手小売業者(デパート、スーパー、コンビニ、チェーンレストラン、量販店など)は本体価格(税抜き価格)と税込み価格を両方表示することにした。で、おかしなことが生じているのだが、だれも指摘していない(私はブログでかなり前に指摘したのだが、主要メディアはなぜか無視している)。
 買い物をする場合、ほとんどの消費者(99.999…%と言ってもいいだろう)は自分が支払う金は個々の商品の税込み価格の合計だと思っているが、実は違う。本体価格の合計に消費税率をかけているのだ。計算方法によって結果にどういう違いが出るか、簡単なケースで証明する。
 本体価格が1個98円の商品を例にとる。その商品の価格は【本体98円(税込105円)】と表示されている(1円未満は切り捨てのため)。が、その商品を2個買うとレジが計算する消費者の支払価格は【105×2=210円】ではない。【98×2×1.08=211円(1円未満切り捨て)】である。私は別に小売店に嫌がらせをしたいわけではないが、たまたま1円玉がないときは「別々に支払う」ということがある。そうすると税込105円の商品を別々に支払うのだから、私は合計で210円支払えばいい。しかも買い物袋不要の場合、1円か2円分のサービスする店もあるから(ポイント付与)、別々に会計するとレジ袋不要のサービス・ポイントも2倍になる。ウソだと思ったらスーパーなどで試してみたらわかる(ただし、私がそうした「矛盾」を指摘した某スーパーは税込み価格を「約」と表示し、しかも1円未満切り上げで表示するようにした)。ただし某大手スーパーでは個々の商品の税込価格の合計を支払えばいい。法律で義務付けられた消費税計算方式には違反だが、差額はそのスーパーが負担して国庫に納めている。
 細かいと言えば細かい話だが、この消費税計算方式は竹下内閣が消費税を導入した時に決められており、橋本内閣が5%に増税したときに内税方式にしたため、政府自ら法律を破ったことになる。そのことを野党もメディアも不問に付してきた。「恥も外聞も知らない」とはこのことか。

 本筋に戻る。自民党税調と財務省・国税庁は「連立維持」を税体系の整合性より優先した結果、公明党の要求に屈して10%増税時には軽減税率の導入を決めた。公明党は、なぜ軽減税率にこだわったのか。
 私は公明党が党の主要政策として軽減税率導入を位置付けた時、公明党本部に電話で聞いたことがある。そのとき本部事務局の職員は「最近、軽減税率導入はおかしいという声が多く寄せられるようになっています。そういう声はちゃんと政策意思決定部門にお伝えしますが、私の意見は言えませんのでご容赦ください」という。私は「あなた個人の意見を求めているのではなく、党の政策についての説明を聞いているのだ」と、重ねて問いかけたが、「申し訳ありませんが、私はお答えする立場にはありまんので…」の繰り返しで、「他にも電話がいっぱいかかっていますので、これで切らせていただきます」と、一方的に電話を切られた。公明党の本部事務局職員が答えられないのなら、私が代わりに公明党の軽減税率政策についての公式説明を明らかにしよう。以下に引用するのは15年12月20日付の公明新聞の記事である。この時点では消費税増税は17年4月に行われる予定だった。

買い物のたびに消費税の負担を重く感じ、財布のひもを固く締めてしまう―。そうした「痛税感」を少しでも和らげるため、軽減税率を導入します。特に低所得者ほど消費税の負担が重くなる「逆進性」の緩和が求められます。

こうしたことを踏まえ、軽減税率の対象は、生活に不可欠な食品全般(酒類・外食を除く)に加え、定期購読される新聞(週2回以上発行)になりました。これらは消費税率が10%に引き上げられた後も、8%のまま据え置かれます。

加工食品を含む幅広い食品が対象となったことで、「生きていくのに必要な食品は据え置かれる」という安心感が生まれます。また、国民に幅広い情報を伝える新聞も、活字文化や民主主義を担う重要な社会基盤であるという観点から、公明党が適用を求めていたものです。

 消費税増税が決定したいま、公明党はどう考えているのか。公明新聞(今月12日付)は、こう主張して自画自賛した。

家計の負担を和らげるため、飲食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率は、公明党の粘り強い主張で、消費税率が10%になるのと同時に実施される。

 消費税の逆進性(低所得層には負担が重く、高所得層には有利に働くこと)は、政府や財務省・国税庁も否定はしない。が、飲食料品に軽減税率が導入されたら、逆進性がさらに増幅するではないかというのが私の主張であり、しばしばブログで書いてきた。最近公明党に電話をした時、「低所得層ほどエンゲル係数が高くならざるを得ない。高所得層がデパートで買うグラム3000円もするA5国産ブランド牛肉と、低所得層がスーパーで買うグラム100円程度のオージービーフの消費税率が同じ軽減恩恵を受けるということについての説明が聞きたい。高所得層は喜ぶだろうが、そういう方式で国民が納得するだろうか。私は8%増税時に行ったような低所得層への給付金の復活と、給付金制度の恒久化のほうが望ましいと思うが…」と主張した。このときは公明党職員も私の主張を認め、執行部に伝えると言ってくれたが、すでに時遅しだったのだろう。
 
 日本の税制は戦前から直接税が中心だった。そして意外なことに戦前の累進課税制度のほうが、戦後導入されたシャウプ税制より富裕層には過酷だったようだ。戦後、日本の民主化に取り組んだアメリカは1949年、かなり社会主義的思想を持っていたシャウプ教授をはじめコロンビア大学の教授グループが中心の税制改革スタッフを日本に送り込み、派遣団は翌50年、日本政府に累進課税制度の見直しをはじめ所得税と間接税の体系を整備する勧告を行い、政府は翌51年税制改革を行った、とされている(吉田内閣)。
 シャウプ税制は、戦前ほどではなかったが、やはり高所得層には過酷な累進課税を直接税(所得税)の体系としていた。戦前・戦時中は産業分野と軍事力分野で欧米列強に肩を並べるための財政強化が目的だったが、戦後の税体系は敗戦で荒廃した日本産業を民生分野を中心に復興させるための財政強化が目的とされた。
 世界の奇跡とも言われた戦後の日本の高度経済成長がどういうプロセスを経て可能になったのかの検証は私が92年に上梓した『忠臣蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』(祥伝社刊)に譲るが、極端に要約すると、生産力の回復と消費購買力の増大がパーフェクトなまでにシナジー効果を生んだということに尽きる。その結果、国内では中流意識階層をが世界に例を見ないほど膨れ上がり、「3種の神器」「新3種の神器(3C)」に代表される購買ニーズの拡大によって日本の産業界は一気に回復・成長の波に乗った。
 さらに世界を襲った石油ショックは、日本にとっては神風となり、ほとんど資源を持たない日本は産業界をあげて「軽薄短小」を合言葉に省エネ省力技術の開発に取り組み、「物まね」と世界中から揶揄(やゆ)されていた日本がたちまち技術力で世界をリードするまでになった。
 その一方で、それまで高額所得層に対する厳しい累進課税の重圧に耐えてきた経済界の要請を受けて、自民党政府がシャウプ税制の緩和に乗り出し、累進課税の緩和によって生じた国税収入減を補うために導入した間接税が消費税(間接税先進国のヨーロッパ諸国は「付加価値税」)である。
 この時期、日本の政府(自民党)は驚くべきでたらめ政策を行っていた。このことは経済学者もまったく指摘していないので、おそらく私が初めてだと思う。異論のある方はどしどしコメントを寄せていただきたい。まともな批判は、私は一切排除しない。時系列で検証しよう。
 石油ショックが世界経済を直撃したのは1973年10月。日本も高度経済成長時代の終焉を迎えた。当時の田中内閣は高度経済成長政策の転換を余儀なくされ、11月には新幹線計画や高速道路網計画を延期(事実上の中止)、戦後世界経済の超優等生だった日本は「狂乱物価」によるハイパーインフレに突入した。不況下におけるインフレを意味する「スタグフレーション」という言葉がメディアで飛び交ったのもこの時代である。
 結果的に日本産業界は総力を挙げて省エネ省力の技術開発に取り組み、危機を脱出することができた。皮肉なことに、日本は資源がなかったため石油ショックという危機を「神風」に変えることが出来たのだ。
 しかし危機を脱出した日本産業界はさらに前途多難な時代を迎える。資源国であり、石油ショックの打撃をあまり受けなかったアメリカが、日本やドイツとのハイテク技術競争に敗れ、戦後初めてと言える景気後退期に入っていた。ドイツとの摩擦は自動車だけだったが、日本との摩擦は自動車、エレクトロニクス分野、鉄鋼などあらゆるハイテク分野にまたがっていた。
 歴史的な出来事が、こうした状況を背景に生まれた。85年9月22日、アメリカが国際競争力の回復を求めて日独にドル安(つまり円高、マルク  高)に移行すべくニューヨークの名門ホテル、プラザホテルに日独英仏の蔵相・中央銀行総裁を集めて国際協調為替介入を要請し、やむをえず各国も同意して「プラザ合意」が結ばれた。はっきり言えば、英仏が呼ばれたのは彼らのメンツをアメリカが配慮しただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。アメリカが戦後、他国に頭を下げて頼んだゆいつのケースである。
 その後、円高が怒涛のように進み出す。日銀総裁に澄田氏が就任したのが、こうした困難な時期に直面していた84年。プラザ会議は、その翌年だ。
 日銀は当時、金融引き締め政策をとっていた。石油ショック後のスタグフレーション時代に急速に進んだインフレを退治するため金融引き締め策をとったのだが、その後、OPECがあまりにも極端な原油の生産調整は世界経済を麻痺させ、結局は自分たちの首を絞めることになることに気付き、原油価格も急落して日本経済も安定期に入っていたのだが、澄田総裁は引き締め策を継続したため、日本経済は超インフレからは脱却したものの経済活動は停滞したままだった。が、プラザ合意を受けて円高が急速に進み出したため、政府・大蔵省の強い圧力を受けた澄田総裁はプラザ会議の翌年の86年に金融政策を一気に転換、大胆な金融緩和策にかじを切り替えた。
 一般には経済学者たちは、この金融緩和政策がバブル経済を招来し、澄田氏をその元凶として位置づけているが、実は違う。いまのミニバブルと共通した要素があり、そのことに経済学者たちは気付いていない。
 87年11月に総理大臣に就任した竹下氏が、自民党にとって念願であり、歴代総理が何度も挑戦しては敗れてきた消費税導入だったが、88年にようやく消費税法を成立させ、翌89年4月から実施した。それも、所得税法「改悪」による税収減の穴埋めとして導入され、メディアは一斉に評価した。「高額所得者の税負担はあまりにも過酷で、働く意欲をそぐ」という竹下内閣の論法は、当時高給取りが多かったメディア関係者にとっては「たなぼた」的プレゼントでもあったからだ。
 すでに述べたように消費税は逆進税制であり、高額所得者には恩恵だが、低所得者には大きな打撃となった。当時日本人の大半は中流階層意識に浸っており、テレビは一家に1台から一人1台の時代になっており、かつては「新3種の神器(3C)」として庶民の夢だったクルマも、だれにでも手が届くようになっていた。ゴルフブームは絶頂期を迎え、庶民の夢はクルマからそこそこのゴルフ場のメンバーになることに移っていった。
 しかも、金融機関にとっての社会的使命も時代とともに失われていく。金融機関の本来の使命は、国民から少しずつ預金を集め、産業界の設備投資資金や運転資金のニーズにこたえることにある。が、すでに日本の産業界は金融機関の支援を必要としないほどの体力をつけており、金融機関にとっての優良な融資先は急速に減少していた。
 しかも日本の金融機関は伝統的に担保主義である。日本はしばしば資本主義ではなく「地本主義(土地本位主義)」と揶揄的に言われることがあるが、土地神話(土地は増やせないから土地の価値は下がらない)が長く根付いてきたことによる。金融機関が重視したのも担保価値として確実な(?)不動産であり、優良な融資先に困っていた金融機関が飛びついたのは土地の価値をさらに高めるだろうデベロッパーや、担保価値の高い不動産所有者だった。こうしてバブル景気は、まず不動産関連から始まった。
 さらに、東京の地価急騰をもたらしたのは、日本政府の「東京をアジアの金融センターにする」という未来構想(本当にそういう構想を政府が持っていたのかは不明)であり、「都心のオフイスが不足している」という根も葉もないうわさを流した長谷川慶太郎なるエセ評論家に踊らされたデベロッパーや地上げ業者だった。当時、すでに都心のビルの空室率は危険水域というほどではないにしても、オフイスの需要は十分に満たしていた。そうした事情は金融機関は百も承知だったはずだが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理が働いたせいか、あるいは土地価格が高騰していたためか、金融機関は不動産関連融資に「特攻隊」のように脇目も振らずに突っ込んでいった。
 これが、バブル景気を招来した発端である。さらにバブルを推進したのが、消費税導入によって余裕資金が増大した高額所得層であった。高額所得層は土地という、金融機関にとっては美味しい担保を持っており、金融機関は彼らを対象にカードローンというニュー・ビジネスを始めた。バブル期のカードローンは、現在金融機関が盛んに行っていて危険視されているカードローンとは異なり、不動産を担保に融資限度額を設定、その範囲まで出し入れ自由という富裕層限定の融資事業である。「ローン」とは名ばかりで、実際には借り入れも返済も「あるとき払いの催促なし」という融資制度であった。
 そのうえ金融機関は、富裕層に対してマネーゲームの「露払い」にまで変貌していく。当時住友銀行のドンだった磯田頭取などは営業担当の社員に対して「向う傷は問わない」とまで、失敗を恐れず積極的な融資先開拓を命じていたほどである。有名な保養地や観光地のマンションをはじめ、ゴルフ場会員権の売買斡旋まで金融機関の営業社員が血眼になってやっていたのだから、目を覆いたくなるような状況だった。大規模デベロップ事業となると、銀行の支店長が富裕層顧客を接待、現地案内役まで買って出ていたほどである。普段「床の間を背にする」言われていた金融機関の支店長がこのありさまだから、資産バブルの対象が不動産関連から株、ゴルフ会員権、絵画へと限りなく広がっていったのは、当然と言えば当然だったかもしれない。
 このように、当時のバブルはたまたまさまざまな要因が複合して生じた経済現象だった。確かに澄田日銀総裁の金融政策の誤りという要因は小さくはないが、「たられば」の話を前提に考えると、日銀の金融緩和政策だけがバブル経済を招いたと考えるのは短絡的すぎる。
「もし石油ショックがなかったら」
「もしプラザ合意が成立していなかったら」
「もし竹下内閣が消費税を導入していなかったら」
「もし金融機関がシェア競争に奔走せず、金融機関本来の社会的使命から逸脱した融資に狂奔していなかったら」
「もし東京をアジアの金融センターにするという政府の未来構想の真偽をメディアが確認する取材を行っていたら」
「もし長谷川慶太郎などというエセ評論家をメディアが無視していたら」
「もし都心のオフイスが不足しているというなどというデマをメディアが暴いていたら」
「もしゴルフブームは一過性で終わるかも、という疑問をメディアが抱いていたら」……
 その「たられば」の一つでも欠けていたら、バブル景気は生まれなかったかもしれない。
 私が「検証」という論理的作業を、様々な主張をするとき最重要視するのは、「人間は歴史を忘れることができる才能を有している唯一の動物だ」という認識に立っているからである。
 人間以外の動物は、自分が痛い目にあった経験を絶対忘れないという。だから、危険な目にあった場所には二度と近づかないと言われている。だが、人間という特異な動物は、チャレンジ精神が旺盛なのかどうかは知らないが、同じ過ちを二度三度と繰り返す勇気と度胸を持っているようだ。だから格言にもあるではないか。「歴史は二度繰り返す」と。あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とも。

 安倍内閣の税制改革の検証作業を、まだまだ続ける必要がある。連立の片棒を担いでいる公明党の問題は軽減税率問題だけではない。年収800万円以上の給与所得者の給与所得控除を引き下げようとしていた財務省と自民党税調に逆らって、年収850万円以上にさせた。私がネットで日本人の世代別平均年収を調べたところ、20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代661万円である。公明党は「中間所得層の年収を考慮して引下げ基準を年収850万円に上方修正させたようだが、公明党の感覚はあまりにも世の中の実態とかけ離れすぎていると言わざるを得ない。「年収800万円以上はまだ高給取りを優遇しすぎている。年収500万円まで控除基準を引き下げるべきだ」と主張するならわかる。いまの公明党は、自民党以上に富裕層に支持基盤を持っているのだろうか。
 公明新聞は昨年12月15日付で、公明党の所得税改正についての方針を明らかにした。すでにメディアで明らかにされているが、自民税調と財務省は現在の給与所得控除の上限を年収1000万円以上の給与所得者にしていたのを年収800万円まで引き下げる予定だった。まだ最終案が固まっていなかった昨年12月1日のブログ『近頃、ちょっと腹が立つ話』でも触れたが、そもそも政府や税務当局(大蔵省→財務省)の姑息なやり方に、私は腹を据えかねている。
 すでに書いたが、竹下内閣が消費税を導入したとき、政府は「日本の所得税法は高額所得者に過酷すぎる。欧米先進国並みに税率を引き下げたい」と税制改革の必要性を主張していた。
 確かにシャウプ税制は高額所得者にとって過酷な累進税制だった。が、安倍内閣が所得税制を始めて改正したとき、安倍総理は驚くべき事実を明らかにした。私は天地がひっくり返るほどびっくりした。
「日本の高額給与所得者の給与所得控除額は、欧米先進国に比べて高すぎるから、段階的に控除額を引き下げる」と所得税法改正の必要性を打ち出したのだ。
 おいおい、ちょっと待ってくれよ。確か、竹下内閣の消費税導入、橋本内閣の消費税増額時の説明は、「日本の所得税制は、高額所得者は欧米先進国に比べて過酷すぎる。これでは高額所得者の働く意欲をそぐ」ということだったはずだ。いまさら、「日本の所得税法は高額所得者に甘すぎた」はないだろう。
 あの時は白く見えたけど、よく見るとクロだった、で済む話ではない。日本の政治に対する信頼感を、根底から覆す話だ。竹下も橋本もいまはこの世にいないが、当時国会議員だった自民党議員は全員頭を丸めて辞職してもらいたい。
 さらに問題なのは、メディアや野党が自民党政府のこの詐欺性を厳しく追及しなかったことだ。若い記者の責任までは問えないが、少なくとも竹下内閣時、橋本内閣時に政治記者だった連中も、頭を丸めて自己都合退職してもらいたい。「都合の悪いことはさっさと忘れること」「のど元過ぎれば熱さ忘れろ」…これって、日本人の美徳だったっけ?
 そういえば、重度の認知症の政治家やジャーナリストがうようよいますな。いまの日本には…。
 とにかく、欧米先進国と比較して云々と、政策を変えたり法律を変えたりするときは、政治家が都合の悪いことは伏せて、変えるために都合がいいことだけを「変えなければならない理由」として並べ立てるのは仕方ないとしても、メディアが政治家の主張をうのみにしていたら、ジャーナリズムと言えるのか。
 実は安倍総理が給与所得控除について、事実上、過去の竹下内閣や橋本内閣の欧米との対比がウソで固められてきたことを知った私は、主要メディアに「各国の税制を調べて、日本国民が政治家のウソを見抜けるよう報道してほしい」と要請したが、どのメディアもやってくれない。高収入を得ている自分たちにとって都合が悪いからなのかな?
 とりわけ個人の所得税にせよ法人税にせよ、いろいろな名目の控除した後の表面上の税率だけを比較するのは詐欺と同じだということだけは、はっきりしておきたい。個人の課税対象になる所得は、年収から社会保険控除、生命保険や火災・地震保険の一定額、配偶者控除、扶養家族控除、寄付金控除、基礎控除、給与所得控除などが引かれた額である。法人税の場合も、収益から貸倒引当金など多くの名目の引当金が控除された額にかかる税率だ。至れり尽くせりの日本の控除型税制と、基本的に自己責任の考え方に基づいて設計されている欧米の税制を、表面上の税率だけを都合よく比較解釈して制度設計に結び付けるようなやり方を、二度と政府に許してはならない。
 そうした前提で公明党の税制についての考え方を検証する。自民税調と財務省に丸呑みさせた最大のポイントは給与所得控除を一定額で打ち切る線引きだが、自民税調と財務省が決めていた下限800万円を850万円に引き上げさせたことだ。その理由について斉藤党税調会長は公明新聞の昨年12月15日付でこう述べている。

 働き方の違いによる課税の不公平を解消するため、誰でも受けられる基礎控除を拡大し、会社員向けの給与所得控除を縮小しました。自営業やフリーランスで働く人などは減税となります。一方、所得税の控除見直しで増税となる会社員の給与水準は、当初、年間給与収入が800万円超の世帯と示されていましたが、公明党が中間層に配慮するよう強く求めた結果、850円超に見直されました。ただし、850万円超でも22歳以下の子供や介護が必要な家族がいる約200万人の会社員は増税になりません。これも公明党が勝ち取った大きな成果です。

 斉藤氏が、そう胸を張るのは勝手だが、私は「中間層に配慮」した公明党の感覚を疑う。すでに明らかにしたが、日本の平均年収は20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代でも661万円である。60代は公表されていないが、65歳の定年以降は無収入になるから(年金支給は70歳以降)、50代より平均年収が多いとは考えにくい。公明党が勝手に決めた「中間層」は何を基準にどういう物差しで測ったのか。
 あっ、ひょっとしたら公明党本部に勤務する職員の平均給与が850万円ほどだからか。だとしたら公明党本部の職員募集には求職者が殺到するだろうな。ただ、少なくとも創価学会信者のふりをする必要はあるだろうが…。
 内閣府は1958年以降、毎年「国民生活に関する世論調査」を行っている。最初の調査で回答者の7割以上が「中流意識」を持っていることがわかった。その後、60年代半ばまでに「中流意識階層」は8割を超え、70年以降は9割に達した。79年の『国民生活白書』は国民の中流意識が定着したと評価、メディアも大々的に取り上げ大きな話題になったことがある。この時代、日本は貧富の格差が少ない国と見られており、ネット検索では見つけることが出来なかったが私の記憶によると、先進国で新入社員と社長の年収の差を調べたメディアがあり、日本が一番格差の少ない国だったことを覚えている。実際、アメリカの経済学者が「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」と指摘したほどだった。
 が、先ほど明らかにした世代別平均年収を基準にすると「中間層」の年収が850万円に届くとは到底思えない。やはり公明党の「中間層」認識が世間の常識とはかなりずれていると思わざるを得ない。
 政治が社会の変化に追い付かず、様々な行政分野で制度疲労を生じていることは認める。そうした制度疲労の一つに税制も含まれることも、私は認める。だが、社会の変化のスピードは速く、対症療法的手直しでは根本的解決はできない。給与所得控除の見直しにとどまらず、現在の控除方式税制の抜本的改正が必要ではないかと考えている。選挙のための税制改革だけはやってほしくない。後世に誇れるような税制改革に、政府は野党とともに取り組んでほしいと願っている。
 朝日新聞の報道(18日)によれば、政府税調は相続税と贈与税の見直す検討を始めたという。贈与税より相続税のほうが税負担が軽い現状を改め、子育てなどで出費が増える若い世代への生前贈与を促すことが目的だという。
 はっきり言って、取り組むのが遅い。「遅すぎた」とまで書くと「遅きに失した」と取られかねないので、とにかく早急に進めるべきだ。少なくとも私は安倍第二次政権が発足した直後のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』(12年12月30日投稿)でこう提案している。

(金融緩和によるデフレ克服策ではなく、景気回復のために市場に金が出回るようにするには)まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに需要が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。(中略)
 また所得税制度も改革の必要がある。(消費税増税に際しては)食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯(※年収500万円以下)の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
 なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減税率にすべきではないかというと、国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは「タイム」と並ぶ2台週刊誌の「ニューズウィーク」が紙の刊行をやめた。(※当時はまだ新聞のデジタル配信はあまり進んでいなかったが、全国紙大手が)全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすれば一気に電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。

 実は安倍内閣はひそかに私の提案やアイディアをいいとこどりしている。朝日新聞が報道した相続税と贈与税の関係見直しも、7年近く前に私が提案したことを今頃になっていいとこどりしようとしている。高額給与所得層に対する課税強化もこのブログですでに提案しているし、「働き方改革」で導入されることになった「同一労働同一賃金制」も、実は私のブログからのパクリである。もう引用はしないが、「高度プロフェッショナル制度」の原型である「成果主義賃金制」に関しても、私は14年5月21日から3回にわたって連載したブログ『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることが出来るか』で、日本の伝統的雇用形態である「終身雇用年功序列」からの脱皮を促したものがパクられた。
 それで日本が良くなるのなら、いくらパクられても私は一向構わないが、パクリが中途半端だから、かえって事態を悪化させることになる。高度プロフェッショナルにせよ成果主義にせよ、賃金に見合う成果をあげれば「働き方は働き手の原則自由」にしなければ、かえって過重労働を惹起する。同一労働同一賃金とはそういうことを意味する言葉だ。働き場所や長時間労働を義務付けて、時間外賃金(残業代)だけゼロというのはないぜ。
 高プロ導入に伴う長時間労働のリスクを回避するためには、仕事の内容によっては難しいケースもあるが、基本的に高プロ対象者の働き方は働き手の自由を保証することが重要だ。また、長時間残業を防止するには、現在の割増賃金基準を一気に倍にする必要がある。つまり現行25%は50%に、50%は100%に――そうすれば経営側は高額な残業代を払うより、高齢者の通常雇用のほうを選択する。サービス残業に対しては、ブラック企業に対する罰則を強化し、脱税行為(サービス残業による未払い賃金は所得隠しに相当する)として刑事罰と重加算税を科すことにする。安倍総理は周辺に「自分はリベラルなんだよ」と言っているくらいだから、経済界に賃上げを要請するだけでなく、ブラック企業から労働者を守るためにも、そのくらい厳しい残業規制をやってもらいたいものだが、ないものねだりか。

 今回のブログは、実は昨年末に書きあげていた原稿に加筆した。今日まで「冷凍保存」させていたが、来年10月1日の消費税導入が確定したために「解凍」することにしたというわけだ。
 ただ、新聞が軽減税率の対象になったため、今回の消費税増税の問題を追及できず、民放テレビも新聞との資本関係があって批判も及び腰なので、いくつか重要な問題点だけ指摘しておく。
 まず民放テレビがひっちゃきになって取り上げているイートインの問題だ。実は軽減税率導入先進国のヨーロッパではマクドナルドが困っている。とくに付加価値税(日本の消費税に相当)が20%と高く、持ち帰り食料品は税率ゼロのイギリスでは、課税の公平性を保つため持ち帰り用は作り置きした冷たい商品を提供するようにしているらしい。
 日本の場合はたかだか2%の差だから、店員から聞かれれば正直に「ここで食べます」と答える客が多いとは思うが、コンビニやスーパーのイートインはどうするか。弁当だけなら客に聞くことが出来るだろうが、いろいろな買い物に弁当などが混じっている場合、いちいち個々の買い物について聞くことが出来るだろうか。私は実際にいくつかの店で聞いたが、どの店も「そこまでは対応できません」という答えが返ってきた。もっと問題なのはデパートで、イートイン用ではないが、食料品売り場ではない待ち合わせなどのための休憩所で食べたらどうなる? このスペースはイートイン用に設けられてはいないが、事実上イートインと同様になる。私は財務省にざる法になることが見え見えのバカげた(外食)扱いはやめろと言っておいたが…。
 ヨーロッパで付加価値税が導入された当時は、おそらく外食はぜいたくな食事法だったのだろう。だから軽減税率の対象から外したのだと思うが、いまの日本では必ずしも贅沢な食事法とは言えない。サラリーマンが会社近くの安い定食屋やファミレスで食事するのが贅沢といえるだろうか。
 だから、外食については飲食に伴うサービスが行われているか否かを基準にすればいいのではないかと私は考えている。つまりセルフサービスの外食はコンビニやスーパーに限らず軽減税率の対象にすべきだと思う。誰だって時間に余裕があれば、自宅に持って帰ってゆっくり食事をしたい。そんな余裕がないから、やむを得ずイートインや安い定食屋で食事をすることになる。そういう人たちの食事法は、ぜいたくだと本気で財務省は考えているのか。アホとちゃうか。
 セルフサービスの外食をすべて軽減税率対象にすれば、多くの価格競争をしているレストランが一斉にセルフサービスに切り替えることも考えられる。とくに朝定食やランチメニューを採用している店は、朝食やランチに限ってセルフサービスに業態を転換する可能性が高い。人材の有効活用にもつながるし、飲食業界に多いブラック企業の淘汰も期待できる。税制の運用方法次第で、日本が抱えている様々な問題を解決できる可能性だってある。どうして官僚は複眼的な思考をしないのか…。
 また酒類はなぜ軽減対象から外されたか。嗜好品だからというなら、コーヒーやお菓子もアイスクリームやキャンディも嗜好品だ。タバコは食料品ではないが、おなかの中に入らないという意味ではチューインガムも同じだよ。チューインガムはなぜ軽減対象になるの?
 さらに国民が納得するかという問題では、すでに書いたが国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ軽減対象になることだ。「食料品を軽減税率にすることによって低所得層の痛税感を緩和するため」という説が有力だが、消費税という、政府も認めている逆進性をさらに増幅することになるではないか。民放テレビはイートイン問題には熱心だが、こうした本質的な矛盾にはソッポを向いている。それとも頭が悪いから気が付かなかったのか。

 さらに最大の問題は新聞が軽減対象になっていることだ。そのこと自体を、おそらく国民の90%以上がご存じないと思う。少なくとも昨日までに私が訪ねた友人たち20人ほどの全員が知らなかった。
 また、数少ない「知っている」人も、これから書くことは多分誰も知らないと思う。実は軽減にはこういう限定条件が付いている。
「週2回以上発行されている定期刊行物の定期購読」
 この限定の意味がパッと分かる人は、まず皆無だと思う。
 私は最初、自民党か公明党の機関紙が日刊ではないのからなのかと思った。で、ネットで検索してみたが、両方とも日刊だった。では、なぜ?
 読売新聞は「文化的存在」だからという。公明党は「活字文化や民主主義を担う重要な社会的基盤」だからという。新聞だけがそういう存在と言えるのか。週刊誌や月刊誌は除外されるが、日刊のスポーツ紙や夕刊紙は軽減対象だ。読売新聞や公明党は週刊誌や月刊誌、あるいは単行本のほうがスポーツ紙や夕刊紙より社会的存在価値が引くと考えているのだろうか。
 実は、この限定条件に「なぜ?」という秘密が隠されている。
「定期購読」という条件だ。スポーツ紙や夕刊紙を定期購読する人はほとんどいない。駅の売店かコンビニで買うケースが圧倒的だ。そういう意味では、自宅や会社で定期購読するのではなく、駅の売店やコンビニで買う読売新聞も軽減対象外になる。
 若い人たちの活字離れとも無関係ではないが、定期購読している高齢者も、その大半が習慣的に新聞をとっているだけという人たちが多いのだ。消費税増税は、新聞購読をやめるきっかけになる可能性がかなりある。実際、たばこも値上げのたびに、それをきっかけに禁煙者の仲間に入る人が多いという。
 はっきり言おう。政府はスムースに消費税増税を実現したい。そのために世論形成で障害になりかねない新聞を沈黙させることは、野党を黙らせるより効果がある。そして新聞は沈黙することにした。新聞と資本関係にある民放メディアも国民の関心をイートインに絞り込むことで政府に協力することにした。これが今回の消費税増税劇の舞台裏の真相である。
 私の友人たちは大半が高齢者である。私自身が高齢者なのだから仕方がない。
 彼らに「なぜ定期購読の新聞だけが軽減対象になったのか」を説明すると、みんな怒った。消費税が増税された時点で、定期購読を打辞めると意思表示した人たちが大半を占めた。
 ひょっとしたら、「定期購読」の新聞を軽減対象にしたことで、新聞社はかえって自分の首を絞めることになるかもしれない。



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いわゆる「安倍外交」を検証してみたーー日本にとって本当にプラスだったのか?

2018-10-13 02:44:15 | Weblog
 トランプ大統領と安倍総理は仲がいいと言われている。とりわけトランプ大統領は安倍総理とのゴルフが楽しいらしい。腕前が互角で競争心をあおられるからなのか。それとも勝敗で優越感に浸れるからなのか。
 ゴルフでどっちが勝とうが負けようが、そんなことに関心はないが、二人の関係は「君子の交わり」なのか否かは、今後の日米経済関係に大きく影響する。
 安倍総理は9月28日、アメリカから帰国した。トランプ大統領が日本に求めていた二国間交渉の要求に屈した安倍総理だが、懸念されていた日本車への高関税措置について、トランプ大統領が交渉中は発動しないことを「確認した」と記者会見で胸を張った。
「約束を取り付けた」ではなく「確認した」とはどういう意味か。記者会見で、「確認したとは、どういう意味か? 約束を取り付けたわけではないのか」「どういう方法で確認したのか」といった質問をした記者もいなかったようだ。
 もっとも約束だろうが確認だろうが、トランプ大統領の場合は「朝令暮改」どころか「朝令朝改」の常習犯だから、公式文書にでもしてもらわないと当てにできないことは、安倍総理も百も承知しているはずだが…。ま、「君子の交わり、淡きこと水のごとし」というから、二人の親密度もその程度と思っていれば腹も立たないが…。「君子は豹変す」とも言うしね。

 国連総会でトランプ大統領は国連を否定するかのような演説までした。「アメリカはアメリカ人が統治する。我々はグローバリズムを拒否し、一国主義を採る。今後は我々に敬意を払う国、率直に言えば我々の友人にだけ対外援助を与える」と。さらにトランプ氏は友好国を数え上げたが、その中に中国やロシアが入っていないのは当然としても、同盟国であるはずのドイツや韓国はおろか、誰かが「我が国は100%、アメリカとともにある」とトランプ大統領に忠誠を誓ったほどの日本も含まれていなかった。安倍総理はどんな思いで、会場内に失笑の渦が巻いたトランプ演説を聞いたのだろうか。
「100%、ともにある」とはどういうことを意味するか。世界に向かって「対米属国宣言」をしたに等しい意思表明だ。たとえ夫婦であっても、夫か妻の一方が「100%貴方とともにある」などとは考えもしないだろうし、そんな夫婦関係はあり得ない。私は国粋主義者ではないが、日本の右翼団体や日本会議と称する復古主義団体が、この国辱的発言になぜ沈黙しているのか理解できない。
 トランプ大統領が言う「公正な貿易関係」とは何を意味するか。貿易収支がトントンであれば、それが「公正」なのか。
 だとすれば、もともと安い労働力を求めて「産業の空洞化」に踏み切り、中国を「世界の工場」に育て上げてきたのはアメリカ自身ではなかったか。その結果、アメリカの貿易収支は悪化の一途をたどることになったが、中国に進出したアメリカの大企業は好業績を続けることが出来た。
 アメリカに「右へ倣え」したかどうかは別として、日本も安い労働力を求めて韓国や中国に進出して、アメリカほどではないにしてもやはり「産業の空洞化」への道を歩むことにした。
 技術革新の多くは、生産現場から生まれる。たとえば現在進行形中のIT革命のキーテクノロジーの一つである半導体。半導体産業はアメリカで生まれ、育っていった。当時の日本の通産省が賢明だったのは、「将来、半導体があらゆる産業のキーテクノロジーになる」とみなして国をあげて半導体技術の革新を図ってきたことだ。その結果、短期間で日本の半導体技術はアメリカに追いつき、そして追い越した。
 半導体の生産に欠かせないのは良質な軟水である。ローコストで純水を生産できるからだ。アメリカのシリコンバレーも、日本も、良質な軟水に恵まれていた。ヨーロッパ諸国で半導体産業が育たなかったのは、実はこの一点による。が、日本の半導体産業はいったん世界を制覇したものの、生産現場を韓国に移すようになった。韓国も良質な軟水に恵まれていたからだ。だが、最先端の研究開発拠点は日本に残した。そうすることで、技術革新の主導権は維持できると考えたのだろう。
 が、そうはならなかった。先に書いたように技術革新の多くは生産現場から生まれる。というより、生産現場からしか生まれない。韓国が半導体技術の主導権を握るようになるのは時間の問題だった。日本もかつて巨大な輸出先のアメリカから「物まね産業」と揶揄(やゆ)されながらも、生産現場から生まれた先端技術で世界をリードするようになった。 
 私は30年ほど前、半導体に限らずあらゆる先端技術の分野を取材していた。その取材で痛感したのは、「産業の空洞化は、必然的に技術の空洞化を招く」ということだった。政治が貧困だと、そうした事態を生じる。実際アメリカがそうなったし、日本もアメリカの二歩くらい後から同じ道を歩んでいった。
 世界の歴史において、貪欲でない国家は存在したことがなかったし、また同様に貪欲でない企業も存在しえない。政治の目的の一つ、というより最大の目的は自国の経済発展である。その経済発展の目的が他国の同じ目的と衝突したとき、最終的な解決手段は戦争で決着をつけることだった。かつて帝国主義時代あるいは植民地主義時代も、領土の獲得の目的は経済発展だった。そうした類の侵略戦争は第二次世界大戦後、姿を消したが、それは軍事大国が国連憲章の平和主義を順守してきたからではない。巨大な軍事費と莫大な人的犠牲を払わざるを得ない植民地支配が、必ずしも経済的合理性に適うとは限らないことに、大国がようやく気付いたからに他ならない。むしろ軍事的・政治的に支配するより、独立国として扱いながら経済的に支配し、「資本」という巨大な力で、安価な労働力と豊富な資源を利用したほうが経済的合理性に適うことが分かったからに他ならない。
 その経済的合理性の追求は、今では体制を超えて行われている。冷戦時代、西側先進国は東側の安価な労働力や豊富な資源を自国の経済的目的を達成するための手段として利用しようとはしなかった。共産圏の経済的発展を促し、ひいては軍事的緊張を生むことを恐れたからだ。
 いま西側先進国には、そうした懸念はない。ソ連圏の崩壊によってパワー・バランスが崩れ、冷戦が消滅したからだ。アメリカや日本、韓国などが中国に経済進出を始めたのも、そうした安心感からだった。が、過度に経済的合理性を追求すると、かつて日米間で生じた経済摩擦と同様、経済進出した先の「途上国」だったはずの国からの輸出攻勢に自国の産業が脅かされることになる。トランプ大統領が始めた貿易戦争は、そうした事態への尻拭いを一気にやろうとしたことにある。危険な火遊びだ。
 いま世界は、自由貿易の流れをさらに進めるべきか、保護貿易主義に戻るかの二者択一を迫られている。どちらの政策をとるにしても、メリットを得る産業とデメリットを受ける産業が生じる。国民投票でEUからの離脱を決めたイギリスは、新たな自由貿易圏への参加を目指してTPP加盟を考慮しているようだ。本気なのか、それともEUからの離脱に際して「いいとこどり」のためのEUとの交渉材料にしようとしているのかはわからない。日本のメディアや政府は、イギリスの計算を考えようともしていない。私自身は、EUとの交渉を有利に進めるためのブラフにすぎないと見ている。

 日本はTPPの推進やEUとの自由貿易協定など、自由貿易の流れを促進する経済政策をとってきた。そうした政策は民主党政権時代に確立されたもので、安倍政権になってから始めたことではない。だからそうした政策については与野党の対立はない。国会でも議論さえされずに、当然のように推進されてきた。 いま、そうした流れに安倍総理は竿をさそうとしている。トランプ大統領との首脳会談で、事実上二国間の貿易協定を締結することに踏み切ったからだ。トランプ大統領の得意のブラフ「日本車への輸入関税を現行の2.5%から10倍の25%に引き上げる」に屈したと報道されている。
「やれるものなら、やってみろ」と、中国やEUのように報復処置による対抗策を、安倍総理はなぜとろうとしないのか。
「もうアメリカから防衛装備品を無条件に買うことはやめる。必要な防衛装備品はEUやロシア、中国からも買う選択肢を持つことにする。さらに在日米軍に対する思いやり予算も10分の1に削減する。基地協定を廃止し、EU並みに国内法を優先する。それで基地を引き上げるというなら、それはそれで結構。日本はもはやアメリカの『核の傘』で守ってもらう必要はない。日本の安全保障上、核が必要ということになれば、我が国が核を持つ。核不拡散条約から離脱はしないが、日本も核大国の仲間入りをして自国の安全保障を充実させる」
 私自身は日本の核保有には賛成しかねるが、「日本車の関税を10倍にする」などというブラフには、そのくらいのブラフで対抗してもよかったのではないかと思う。
 あるいは、「アメリカの農畜産物に対する関税を10倍にする」といった中国やEUのような報復処置を発動してもいいだろう。アメリカは食料自給率130%に達しており、余剰の30%分は輸出せざるを得ない。おいしい輸出先の日本が、「アメリカから買わなくても、いくらでも売ってくれる国はある」と居直れば、困るのはアメリカの農畜産業者だ。彼らはトランプ大統領の岩盤的支持層の一つであるだけでなく、伝統的に共和党の支持基盤である。
 世界有数の石油産出国であり、ガソリンがぶ飲みのでかい車しか作ってこなかったアメリカの自動車産業が衰退したのは、日本のせいでもなければドイツのせいでもない。自分たちの経営判断が誤った結果にすぎず、アメリカの対日貿易赤字の80%近くを日本車の輸入が占めているといっても、それはアメリカの消費者の選択であり、日本の消費者がアメ車を買わないのは日本政府の政策のためではなく、日本の交通ルールに従って右ハンドルの車を開発しようとしない米自動車メーカーの怠慢の結果にすぎない。トランプ大統領は「日本は不公平だ」と主張するが、現在日本は輸入車に関税をかけていない。アメリカは日本車に2.5%の関税をかけているが…。
 アメリカ政府がやるべきことは、自動車メーカーに対して「いま国内で生産しているアメ車を買うべきだという傲慢な経営姿勢を改め、輸出したい国の交通ルールや道路など交通事情に合わせた車の開発に力を入れろ」と行政指導することではないか。
 ビジネスでの交渉は、複数の業者での入札を除けば、基本的に売り手と買い手の1対1の「押したり引いたり」のテクニックがものを言う。政治の世界での経験がまったくなく、1対1のビジネス交渉の巧みさで事業を成功させてきた手法を政治の世界に強引に持ち込もうとしても、そんなやり方を認める国は世界中で安倍総理を擁する日本以外にない。安倍総理がトランプ大統領に押し切られて二国間交渉に応じることにしたことに、世界の国々がどう見ているか、「少しは恥を知れ」と言いたい。
 日本が毅然とした態度に出れば、共和党もトランプ大統領を見離しかねない。トランプ氏の危険な賭けに、アメリカ人がいつまでも黙ってついていくとも考えられない。安倍総理がトランプ大統領との蜜月関係の維持に固執すればするほど、安倍総理はいつまでもトランプ氏の手のひらで踊ることになり、日本は「アメリカの属国的地位」からいつまでたっても抜け出せないだろう。

 ついでに竹島や尖閣諸島について日本政府は公式に「日本の領土」という認識を示している。竹島の場合は現在、韓国が実効支配しており、日本からすれば「不法占拠」ということになる。軍事的に奪還するのが難しければ、「そういう国とはお付き合いできません」と国交を断絶するのが国際常識だ。10億円という大金を払っても慰安婦問題の解決には熱心な日本政府だが、日本の国土が不法占拠されていても何も言えない。それなら「日本の国土」だと宣言したり教科書に掲載させたりしなければいいのに…。
 尖閣諸島も、元の所有者から日本政府が買い取って国有地にした。安倍総理はオバマ大統領に次いでトランプ大統領からも、「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用地域だ」との言質を取り付けた。が、それはその時点の米大統領の気まぐれ的口約束にすぎず、正式な約束事になっているわけではない。ということは、大統領が代わるたびに、日本の総理は頭を下げて実質的に無意味な言質を取り続けなければならないことを意味する。なぜ米大統領の言質が有効なうちに、日本は尖閣諸島を実効支配しようとしないのか。
 もっとも、外務省の中国・モンゴル1課の説明によると、「日本の領土ですから、そう表明することで実効支配しているという認識です」ということだ。そんな理屈が通るなら、韓国が事実上実効支配しているように私には見える竹島も、実際には日本が実効支配しているということになる。ただし、中国・モンゴル1課によれば、「竹島は私どもの担当ではないので、私が云々することは出来ない」。かつて評論家の竹村健一氏が「日本の常識は世界の非常識」という名文句をつくったが、日本の外務省の「認識」は日本国民のだれも理解できないだろう。あっ、安倍さんは別か…。
 日本はもう一つ領土問題を抱えている。北方領土だ。ロシアに「返還」を求めている以上、常識的には日本の領土と政府は考えていると思われるが、竹島や尖閣諸島のように日本の領土とは教科書への記載は求めていない。日本にとって北方領土はどういう位置づけなのか。そうした疑問すら提起しないメディアは、自らの言論の場での使命をどう思っているのか。
 尖閣諸島問題に戻る。アメリカの大統領が代わるたびに、日本の総理大臣は大統領に頭を下げて、「尖閣諸島は日米安保条約5条の適用地域だ」という言質を取らなければならなくなる。つまり、そのたびに日本はアメリカに新たな借りを作ることになる。どうやって、その借りを返すのか。
 防衛装備品をさらにアメリカから購入することによってか。それとも、沖縄県民の悲鳴にも近い辺野古基地建設中止の願い(普天間基地の移設ではない。「普天間基地返還=辺野古基地移設」は一種のトリックだ)を踏みにじることによってか。あるいはまるで日本がアメリカの属国であるかのような(少なくとも外国から見れば、そう見える)基地協定を存続することによってか。
 安倍さんがオバマ氏やトランプ氏に頭を下げて尖閣諸島についての言質を取るたびに、メディアの世論調査で内閣支持率は上昇するが、そうしたことを今後の総理も続けなければならなくなったという、悪しき前例を安倍さんは残してしまったことになる。そして、何の意味も持たない言質を取るたびに、日本はアメリカに借りを作り、返し続けなければならなくなった。
 私は、いわゆる「安倍外交」のすべてを否定するわけではないが、少なくとも対米外交については、これほど屈辱的な姿勢をとり続けた総理を、かつて見たことも聞いたこともない。
 
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「全員野球内閣」とネーミングした安倍総理の真意と、のほほんと国民に伝えたメディアの感覚を問う。

2018-10-04 01:26:36 | Weblog
「全員野球内閣」だそうだ。もちろん、3選を果たした安倍総理が行った内閣改造についての、安倍総理自身が胸を張って発表したネーミングだ。
 当然、私は違和感を覚えた。いったい「全員野球」とはどういう意味か。
 ちなみに、共産党の志位委員長は「閉店セール内閣」とネーミングした。これも意味不明だ。
スーパーなど小売店の閉店セールには2種類ある。一つは近隣の同業者との競争に敗れて店じまいする際に行うセールだ。いま安倍内閣がそういう状態にあるかといえば、むしろ内閣支持率(新内閣支持率は各メディアが今週末に行うだろうが、結果は不明だが、過去に関しては内閣改造で支持率が下がったケースはほとんどない)は上がる可能性のほうが高い。もう一つの「閉店セール」は、建物が老朽化したり、さらに売り上げを伸ばすために行う店舗リニューアルの際、在庫商品を一掃するために行うセールで、むしろ前向きのセールを意味する。まさか、志位さんが新内閣を前向きの「閉店セール」と評価することはあり得ないから、たぶん前者のセールを意味したネーミングだと思う。
 そう考えると、先の衆院選で共産党は議員数をほぼ半減する大敗を喫した。その大敗について共産党は「野党共闘を重視したためだ」と言い訳している。では聞くが、2年前の参院選で共産党は1人区での野党共闘という、前回衆院選と同じ選挙をした。その結果、共闘相手の民進党は惨敗したが、共産党は比例区で躍進した。そのとき、「共闘方式の勝利」と自画自賛しなかったか。同じ共闘方式で2年前には勝利を謳歌しながら、去年は敗北を認めようとしない。共産党は「ご都合主義政党」以外の何物でもない。あるいは「認知症症候群政党」とでも呼ぼうか。

 全員野球とはどういう意味か。ネットで検索したが、ネットの解釈は間違っていた。「選手だけでなく、野球部に関係するすべての関係者が一丸となって戦う」という意味の高校野球用語とされている。とんでもない。最初にこの言葉を使ったのは高校野球チームの監督だったかもしれないが、いまは高校野球に限らず、プロ野球も含めて使われている言葉だ。
 野球はグラウンドで試合をする選手は9人と限定されている。が、交代要員も含めてベンチに入れる選手も数が限定されている。確かプロ野球の場合はベンチ入りできる選手は25人だったと思う。とりあえず、そのうちから9人が先発メンバーとして出場する。残り16人は交代要員としてベンチで待機する。投手の場合は試合が始まった直後は別にしても、2~3人がブルペンでピッチングの練習をしているし、野手はいつでもピンチヒッターとして起用されてもいいようにベンチの裏部屋で素振りの練習をしている。
 私は、自分で言うのもなんだが、非常に素直で、人の言うことをほとんどまともに聞いてしまう性格の持ち主だ。で、安倍さんの「全員野球内閣」も裏を勘ぐったりせず、素直に聞くことにした。つまり今回の内閣改造で新大臣になった閣僚は、留任も含めて20人。野球で言えばグラウンドで試合をしている選手9人に相当する。ということは、「ベンチには交代要因などいらない。先発9人で最強の布陣で臨む。この9人で最後まで戦う」という自信にあふれた人選ではないことを総理自ら表明したのが、この新内閣の閣僚ということになる。
 全員野球とは、ベンチの控え選手も、リリーフ投手やピンチヒッター、代走、守備固めなどとして、ほとんど全選手が一人残らずグラウンドに出て戦う「総力戦」を意味する言葉だ。政府の場合、野球のようなベンチ要員がいるわけではない。敢えて言えば、大臣に何かあったときはとりあえず副大臣がその任に就くことになるが、副大臣がそのまま大臣に昇格するケースはほぼなく、すぐに新大臣が閣外から任命される。だから副大臣をも含めた閣僚が野球でいうベンチ要員には当たらず、与党の国会議員全員が野球でいうベンチ入り選手に相当すると解釈するのが妥当だろう。わたしと同様、素直な性格の人なら、間違いなく同じ結論に達するはずだ。
 私は性格は素直だが、こういうあり得ない結論に達した場合は、本当は安倍さんは、言葉の選択を間違えただけかもしれない。全員野球という言葉に託して本当に言いたいことはなんだったのか、というように思考をめぐらす傾向がある。
 安倍さんが野球に例えたように、これからの総裁任期3年は彼にとって「最後の聖戦」の重みがあるのではないか。安倍総理にとっての「最後の聖戦」は言うまでもなく憲法9条の改正だろう。来年夏の参院選はまだ予断できる時期ではないが、与党が3分の2以上の議席を確保できると決まったわけではない。去年の衆院選は直前に「北朝鮮のミサイル発射」という神風が吹いたが、与党にとっていつも神風が吹くという保証はない。そう考えたら、何としても今月中にも開催されるだろう臨時国会で憲法改正の発議を行い、参院選の前に国民投票に持ち込みたいのではないか。そのために、与党内の改憲慎重派や反対グループを根絶やしにしてでも、改憲派全員の総力をあげて正面突破するという覚悟を表したのが「全員野球」というネーミングだったのではないかと考えるのが妥当のように思える。
 それにしても、「全員野球内閣」なるネーミングを安倍総理が発表した記者会見の場で、「全員野球とはどういう意味か。安倍チームが戦う相手はだれか。野党か。それとも与党内のたとえば石破氏に代表されるような安倍改憲反対グループか。それとも安倍政治に批判的なメディアか。ひょっとして改憲に批判的な国民なのか」――そのくらいの質問を安倍総理にぶつける記者が一人もいなかったのは、「このジャーナリズムの片隅に」ひたすらジャーナリストのあるべき姿を求めて細々とブログを書いている私にとっては、ショックを通り越して絶望感すら味わうほどの出来事だった。
 絶望といえば、前回のブログで明らかにしたように、リベラル派メディアの本丸と、私がかってに誤解していた朝日新聞の体たらく。このブログでまた書いてしまうと、3年後の朝日の報道姿勢がどうなるか多少心配になるが、3年後に自民党総裁選が行われたとき、おそらく朝日はいけしゃあしゃあと「地方票」という表記を説明もせずに「党員票」に書き換えるだろうと、私は思っている。いったい朝日はあの「慰安婦誤報問題事件」から何を学んだのか。
 言っておくが、政治家とジャーナリストにとっては、言葉は命だ。LGBTの方たちに対して「彼らはこどもをつくらない。つまり生産性がない」と雑誌に書いた杉田水脈議員に再びいう。「あなたたち夫婦は子供を一人しかつくらなかった(これからつくるのは年齢的に不可能)。つまりあなたたち夫婦二人は次世代の一人の人間におんぶで抱っこで生きることになる。日本が少子化を脱して人口減に歯止めをかけるためには、夫婦は最低でも子供を二人以上つくる必要がある。自分たちの生産性の低さを一度でも考えたことがあるか」と。
 自ら発した言葉に責任を負わない政治家やジャーナリストは、直ちに表舞台から引っ込んでもらいたい。そういう日本にしていかない限り、日本の将来には夢も期待も持てない。

 最後に、まだ安倍改憲論の全貌が見えていない(自民党内でまとまっていないため)ので、このブログでは最終的な評価は差し控えるが、安倍総理が常々主張している「自衛隊違憲論争」など、いま日本のどこにも存在していない。私自身は常々ブログでも「素直に憲法9条を読めば、自衛目的とは言えど戦力を放棄している以上、軍事力を擁した自衛隊は憲法9条に抵触する」と主張してきた。中学生程度の理解力があれば、だれでもそう解釈せざるを得ないはずだ。だが、メディアによる世論調査をみれば、「自衛隊は憲法違反だから、直ちに解散せよ」などと考えている国民は皆無ではないかもしれないが、ほとんどいない。むしろ「合憲派」のほうが圧倒的に「違憲派」よりはるかに多数を占めている。
 違憲論に決着をつけるために憲法を改正して9条の1項、2項を残したまま3項あるいは9条の2として自衛隊を明記(どう明記するかはまだ不明)するという安倍改憲論が、たとえ国会で発議されたとしても国民投票で否決されれば、自衛隊は違憲だと国民が結論を下したことになる。
 おそらく安倍総理はそうした事態を想定して、「もし憲法改正に反対すると、自衛隊は違憲ということになり、地震や台風などの自然災害のたびに国民のために命をかけて活動してくれている自衛隊をつぶさなければならなくなります。そういう結果になったいいのですか」と、おかしな論理で憲法改正の正当性を主張することは間違いない。
 そうした議論に巻き込まれると、それこそ安倍総理の思い通りの結果になる。私が見ている限り、そうした事態を想定した理論武装を、まだ野党も平和団体も、また見せかけのリベラル派メディアである朝日新聞を筆頭とするジャーナリズムも、まったく不十分である。第一、私がこのブログで書いたような「国民への訴えかけ」を安倍陣営がしてくることに気付いている政党、ジャーナリズムは皆無だ。
 国民に自ら考える能力と考える方法論を伝えるのは、いまの学校教育の担い手には、残念ながら期待できない。野党の政治家やジャーナリズムは、自らのアイデンティティがいま問われていることに、一日も早く気づいてほしい。残された時間は多くはない。
 いま、何をなすべきか。また何をなすべきかを、野党の政治家やジャーナリズムは本当にわかっているのか。アイデンティティとは、そういうことだ。
 民主主義とは多数決のよって決める政治のシステムだ。しかも有権者がどう判断を下すかは、メディアや政治家がどういう情報を国民に提供するかによって大きく左右される。権力者は自分たちにとって都合の悪い情報は極力隠そうとする。権力者が自分にとって都合の悪い情報を開示して、そのうえでどう対応するかを国民に問う…そういう時代はいつか来る。いや、そういう時代をつくらなければならない。それが政治家やメディアの責任だ。「多数決原理」という民主主義の最大の欠陥を、まず日本が克服したとき、世界は日本に対して尊敬の目で見てくれるようになる。


【追記】新内閣発足早々、早くもピンチヒッターの出番が生じた。新任の柴山文科相が記者会見で「教育勅語は現代風にアレンジすれば道徳教育の教材に使える」といった趣旨の発言をしたのだ。教育勅語の一字一句を読めば、現代社会でも守りたい精神的規範がないことはない。が、そうした普遍的規範は何も教育勅語を持ち出さなくても、すでに現在の道徳教育に盛り込まれている。柴山大臣が意図的に教育勅語のアレンジを公言したのは、安倍総理の考えを代弁したかったのか、それとも日本会議のさらなる支援が欲しかったのか? いずれにせよ、柴山大臣の椅子は、就任早々危うくなった。さあ、ピンチヒッターには誰がなる?

【追記】私のブログに安倍総理がさっそく反応した。記者会見で改めて「全員野球内閣」の意味を説明したのだ。
「内野とか外野とかの守備位置に関係なく、選手全員が一丸となって課題に取り組むという意味だ」(趣旨)
 そうか。つまり麻生財務相の財政政策が気にくわなかったら、文科相が財務省に乗り込んで、麻生氏に代わって大臣としての権限をふるって財務官僚たちに勝手に麻生氏とは真逆の指図・命令してもいいということか。
 三権分立という近代民主主義の基本的ルールを破壊しただけでなく、行政機能を大混乱に陥れることが安倍総理の目的だったのか。(7日)
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朝日新聞が大混乱に陥っているーー民主主義とは何かが、いま問われている⑳

2018-09-17 02:20:48 | Weblog
昨日(20日)自民党総裁選が行われ、下馬評通り安倍総理が3選を遂げた。そして朝日新聞も大々的に報じたのだが、中学生の作文にも劣る記事が掲載された。そのことについては、このブログの末尾に【追記】として書く。

 自民党総裁選の報道で、朝日新聞が大混乱をきたしている。
 その原因は、私にある。
 経緯から説明する。何が混乱しているのかは、「後のお楽しみ」。

 通常国会が終了した途端、自民党は一気に総裁選モードに突入した。その時点では安倍晋三、石破茂、野田聖子の3氏が立候補するとみられていた。その後、野田聖子氏は必要推薦人20人を確保できずに立候補を断念、安倍現総裁と石破氏の争いに絞られた。
 当初、安倍陣営はいわゆる「地方票」(ここで鍵カッコを付けた意味が今回のブログのキーポイントになるので記憶しておいていただきたい)で石破氏に負けるかもしれないという危機感を抱いていた。そのため野田氏をあえて立候補させ、第1回投票で石破氏がトップになっても、ほぼ国会議員だけによる決選投票で逆転できると読んでいたのだろう。で、当初は安倍陣営は野田氏を立候補させるため、あえて安倍陣営から推薦人を出すことも考えていたようだ。
 が、肝心の野田氏がスキャンダルを生じ、安倍陣営から野田氏の推薦人に回ることを逡巡する議員が続出したこと、また安倍総裁自身がかつてやったことがない地方行脚をしたり、首相官邸に地方議員を招いて食事を共にして「地方票」固めに必死になるという「前代未聞の作戦」で、第1回投票でも総票の過半数を獲得できるという見通しが立ったため、あえて野田氏を立候補させる必要がなくなったというのが、野田氏立候補取りやめの真相だと思う。
 少し時間を巻き戻す。今年春ごろ、私は共産党本部に電話した。私自身は共産党支持者ではないが、共産党の政策には共感することも少なくない。私が電話したのは、朝日新聞が共産党の衰退についてかなりの紙面を割いた報道をしたためである。その新聞がいま手元にはないし、この原稿を書いている16日も明日17日も朝日は読者からの問い合わせに応じない体制をとっているため、記憶に頼って書いている。間違いがあったらコメントで指摘していただきたい。
 記事によれば、それまでの選挙では消去法で共産党に票を入れていた無党派層が雪崩を打つように立憲民主党に投票したこと、また共産党の機関紙「しんぶん赤旗」や「しんぶん赤旗日曜版」の読者も激減し、党員数も減少傾向にあるという記事だったと記憶している。しかし、メディアが毎月行っている世論調査の結果からすると共産党の支持率はほぼ3%前後を維持しており、共産党への岩盤支持層がそれほど減少したようには思えない。で、私は前回の衆院選で共産党がなぜ大敗したのか、共産党自身の総括を聞くことにしたというわけだ。
「選挙協力を行い、野党候補が一本化できた選挙区では立候補者を立てなかったためです」
 で、私はこう問い返した。
「もともと小選挙区では共産党は一人も勝てていません。前回の衆院選ではむしろ他党の協力を得て沖縄では一人勝っていますね。比例区で惨敗したのは選挙協力のためとは考えにくい。民主主義の国ではいいか悪いかは別にして選挙がすべてです。有権者も、どの政党に日本の明日を委ねるかの結果責任を負います。政党も有権者からの支持が激減したら、執行部は当然責任を取るべきです。共産党は当選議員数が約半減したのに、執行部はだれも責任を取ろうとしないし、また執行部の責任を問う声も党内で生じていない。そういう政党が、民主主義について声を大にする権利があるとは思えないのですが…」
「執行部に伝えます」
 怒ったような口ぶりで電話をガチャンと切られた。
 自民党本部に電話したのは、通常国会が終わって総裁選に突入した直後だ。
「これから総裁選が本番を迎えるが、自民党総裁は自民党国会議員の代表ですか。それとも全国の自民党員の代表ですか」
 電話機の向こうは無言だった。私がどういう意図でそういう疑問をぶつけたか、理解できなったのかもしれない。で、私が一方的に電話を続けた。その内容は7月25日に投稿したブログ『トランプ政権が仕掛けた貿易戦争の行方は?アベノミクスの失敗のツケが回ってきたよ!』の末尾に書いたので、その個所を貼り付ける。

安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。

 私はこうも続けた。「日本の政党の代表の選出方法は自民党だけではない。アメリカでは共和党の大統領候補者も民主党の候補者の選出も、上院議員も下院銀も州知事も、投票の権利は一般党員と同じ一票だけです。日本の政党が、なぜ国会議員にだけ特別な権利を与えているのか理解が出来ない」
 そこまで話して私の意図がようやく分かってくれたようで、「おっしゃることはよくわかります。私も同感です。いただいたご意見は文書にして執行部に伝えます」と言ってくれた。
 いままで一般党員や地方議員のことなど見向きもしなかった安倍総裁が、今回の総裁選に限って「地方票」固めに奔走しだしたのは、私が自民党本部に電話したことと無関係ではないと思う。安倍さんが血眼になっただけでなく、安倍陣営の各派閥も一斉に「地方票」固めに全力を注ぎだした。まるで総裁選後の論功行賞を競い合っているかのようだ。
「地方票」の意味をネットで調べてみた。前回(2012年)の総裁選のとき朝日新聞がこう解説している(9月24日付朝刊)。

地方票の300票は、各都道府県連にまず基礎票として3票ずつ(計141票)を割り当て、残り159票を党員数に応じて振り分ける。持ち票が最も多いのは東京都連の16票。最少は岩手、徳島、沖縄など8県連の4票。地方票は都道府県連ごとに党員投票の得票数に応じ、ドント方式で配分される。

 私は8月中旬頃だったと思うが、NHKと朝日新聞に対して「地方票」という言い方はどう考えてもおかしい、表記を「党員票」にしてほしい、と要望を伝えた。
 自民党員は現在約107万人。一方自民党所属の国会議員は衆参合わせて405人。「議員票」は一人一票で405票。「地方票」は107万人で「議員票」と同じ405票。党のトップである総裁を選出する票の重みは、国会議員は一般党員(地方議員など無含む)の実に2600倍を超える。そのうえ第1回投票でどの立候補者も過半数に達しなかった場合は、ほぼ国会議員だけによる上位2者の決選投票で決めることになっている。一般党員の党費は年4,000円だから、その2,600倍の権利を有する国会議員は1040万円もの党費を払っているのだろうか。だとしたら、よほどの金持ちでなければ自民党所属の国会議員にはなれないことになる。共産党は自民党政治に対して「金持ち優遇政治」と批判するが、党運営の体質がそうなら、むべなるかなと言わざるを得ない。
 それはともかく、私の要望に対してNHKも朝日新聞も「報道部門に伝えます」と言ってくれた。結果はどうだったか。
 NHKは今回の総裁選については政治部記者やアナウンサー、字幕(テロップ)もすべて「党員票」に統一した。
 大混乱を生じたのは朝日新聞だった。「党員票」と表記した記事もあれば、従来通り「地方票」という表記をした記事が混同していた。その都度、私は朝日新聞に電話をして表記の統一を要請した。たまたま電話で私と話をした人が同一人物だったので、そうした経緯を朝日新聞側は否定できない。
 私が怒り心頭に達したのは、13日付朝刊の「自民党総裁選2018 識者に聞く」シリーズの1回目である。この回の識者はコラムニストの小田嶋隆氏だったが、記事の中で小田嶋氏は「党員票」と明確に話しているのに、見出しでは「地方票」と改変されていたのだ。
 実は朝日新聞は今回の総裁選報道では、少なくとも私の記憶にある限り、見出しで「地方票」という文字が躍ったのはこれが初めてである(今後は頻発するかもしれない)。
「この問題について電話するのは最後にします」と断ったうえで、朝日新聞のいい加減さをブログで書くことも伝えた。かつて読売新聞の読者センターと私はかなり激しいやり取りをして、2度にわたって読売新聞社のコンプライアンス委員室に事情をすべて文書で通告し、読者センターは責任者を含めてかなりのスタッフが入れ替えになったこともある。その経緯もブログで書いた。
 読者によっては「些細なこと」と思われるかもしれない。が、メディアにとっては記事によって表記がばらばらというのは決して些細なことではない。
 なぜ自民党はあえて党員票(正確に言えば「党員・党友票」だが、党友票は極めて少ないから省略してもいい)と言わずに「地方票」としてきたのか。実はネットで調べたが、党則には「地方票」とは明記されていない。「党員の投票による選挙人」という位置づけのようだ。実は「選挙人」という具体的な人物がいるわけでもない。いわばロボットのような存在と考えればいい。ロボットのような選挙人405人が47都道府県にそれぞれ党員数に応じて割り当てられる。例えば東京都に住民票を置く自民党員が全党員数の1割とすると東京都には40人の選挙人がドント方式で割り当てられる。党員票は各都道府県ごとに集計され、最多の票を獲得した立候補者にすべての選挙人が割り当てられる。こうしたやり方をドント方式(選挙人の総取り)という。
 実は前回の総裁選(2012年)では選挙人は300だった。総裁選には5人が立候補したが、選挙人は石破氏が165人を獲得し過半数を超えた。2位の安倍氏が獲得した選挙人は87人にすぎず、石破氏の約半分に過ぎなかった。僅差ならいざ知らず、党員の総意は明らかに石破氏に軍配をあげた。
 が、一人一票の権利を有する議員票では安倍氏が54票、石破氏が34表と20票の差で安倍氏が有利に立った。それでも党員票による選挙人と議員票の合計が全体の50%を超えていれば石破総裁が誕生したのだが、石破氏の獲得した票は合計で199票で総数の30%にとどまった。そのため上位2人による決選投票が国会議員のみによって行われ、有力派閥をバックに持っていなかった石破氏が涙を呑む結果になった。このことは何を意味するか。
 自民党員の総意を国会議員198人がひっくり返したことを意味する。民主主義の最大の欠陥は「多数決原理にある」ことは、これまでの民主主義シリーズで毎回書いてきた。「少数意見にも耳を傾けよ」というルールもあるが、採決に際して少数意見が採用されることは絶対にありえない。もし議長権限で少数意見を採用したら、そのこと自体が民主主義制度の破壊を意味する。
 実は自民党総裁選挙規定は、民主主義制度の破壊の上につくられている。自民党の総裁は、自民党所属の国会議員の代表ではなく、自民党員の代表であるはずだ。党員票に基づく選挙人の数で、石破氏は過半数を獲得していた。総裁が党員の代表であるならば、その時点で総裁選の決着はついていたはずだ。これほどあからさまな民主主義の破壊を、私は見たことも聞いたこともない。
 私が「地方票」と「党員票」の表記にことさらこだわったのは、単に表記がバラバラでもいいのかといった単純なことではなかったのだ。
 たとえば民間会社の株主総会では役員の改選を行う。この場合、投票の権利は株主が所有している株数によって平等に与えられる。単位株が100株の場合、1000株を持っていれば株主は10票の権利を持っている。所有株数に限らず一人一票の権利しか与えられなかったら、それは形式民主主義で、真の民主主義ではない。だから大株主が会社の経営権を握るのは当然のことだ。
 だから国会議員の場合、すでに述べたように一般党員の党費4000円の2600倍にあたる1040万円の党費を納めているのなら、まだ一般党員の2600倍の権利を与えられていたとしても、それは一つの政党の在り方として容認できないこともない(政党は民間企業とは違って利益団体ではないはずだが…)。
 確かにアメリカのように、国会議員も州知事も一般党員と同じ投票権しか持っていないということになれば、トランプ大統領のような政治音痴の大統領が登場するリスクはあるが、日本の場合は政党の代表者の立候補資格として「自らが国会議員であること、国会議員の推薦人が一定数必要なこと」という高いハードルを設けている政党が大半だから、政治経験がまったくないトランプ氏のような人物は政党の代表者には絶対になれない。
 朝日新聞の表記上の大混乱は、単にメディアとしてみっともないというだけでなく、そもそも民主主義という制度に対する哲学的理解が新聞社として皆無であることを意味する。強い反省を求めたい。リベラルを標榜している新聞社だけに…。

【追記】自民党総裁選で安倍総理が辛勝(あえて「辛勝」と書く)した翌日の朝日新聞朝刊は、党員・党友の投票について1本の記事だけを除いて見事に表記を「地方票」に統一した。
 私がこのブログを書く前に「地方票」という表記はおかしいと「お客様オフイス」に電話をしてきた経緯についてはすでに書いた。そしてこのブログを書く前は、朝日新聞は表記に混乱をきたしながらも、全体の流れとしては「党員票」という表記に移行しつつあった。
 が、私がこのブログで朝日新聞の表記についての混乱を批判した途端、朝日は表記を統一することにしたようだ。今朝(21日)の朝刊は1面トップから解説記事、「時々刻々」「社説」に至るまで、ものの見事に党員や党友による票を「地方票」というおかしな表記に統一することにした。
 それはそれで、海のものとも山のものともつかない読者の批判になんか応じられるか、天下の大新聞の「沽券にかかわる」というどこかの総理顔負けの「権威」を守ることを最優先したのだろうから、これ以上私ごときが天下の大新聞に刃向かったところで、風車に槍1本で突進したドンキホーテほどの効果もないので、これ以上刃向うのはやめる。
 で、これは嫌がらせではなく、朝日新聞の方針に相反する表記が堂々と載っているので、訂正分をお出しすることをお勧めする。例の「慰安婦誤報問題」事件以来、朝日は連日、訂正文の大安売りをしているから、今から指摘することも、大安売り記事の目玉になると思うからだ。
 この日の朝刊に「麻生・菅・二階氏続投へ「圧勝」できず、政権運営に影 安倍首相、自民総裁3選」という見出しの記事が載った。署名記事ではないが、かなりの扱いの記事だから、政治部の責任記事と考えてよいだろう。全文を引用しても意味がないから、肝心の箇所だけ引用する。(下線が問題の表記)
「総裁選では、国会議員票の8割超を固めた首相陣営が当初、党員票でも7割を獲得して圧勝し、石破氏をはじめ党内の異論を封じる筋書きを描いていた。ところが、地方票の獲得は55%にとどまり、議員票も当初見込みより減らした」
 私が17日に投稿したこのブログでは、記事によって表記がバラバラのケースが多すぎることを批判した。例外的に見出しの表記と本文記事での表記が異なるケースが(私が気付いた限りでは初めて)あったので、これは見過ごすわけにはいかないと思い、「お客様オフイス」に断ったうえで、ブログで告発することにした。いくらなんでも、一連の解説記事の中で、「党員票」と「地方票」をどういう理由で混同したのか。そもそも使い分ける必要などまったくない、同じ意味のことをわざわざ別の二つの表記で記事にする。アホとちゃうか!


【更に追記】 22日の朝日新聞朝刊は自民党総裁選の分析記事「地方票、参院選を懸念? 各地の獲得状況を分析 自民党総裁選」を載せた。この記事は署名記事である。その記事の冒頭で記者はこう書いた。
「20日に投開票された自民党総裁選で、安倍晋三首相を相手に善戦した石破茂・元幹事長が45%を獲得した「地方票」に注目が集まっている」
 通常、引用文中の鍵カッコは二重鍵カッコにするのだが、この引用については私は意図的に二重鍵カッコを付けなかった。この記事で、記者が「地方票」という表記に鍵カッコを付けたことを明確にするためである。「天下の朝日新聞」が、名もない一読者の批判に振り回されている実態が明白になった記事である。
 このブログでは書かなかったが、何回か朝日新聞の「お客様オフイス」に電話した際、私はこう主張したことがある。
「イラク・シリアにまたがる地域で一時勢力を拡大したイスラム過激派について、NHKはある時期からISと表示するようになった。が、多くのメディアは鍵カッコを付けて『イスラム国』と表示した。どうしても『地方票』という表記をしたいならば、自民党の党都合にすり寄るためではないことの証明のために、地方票という表記に鍵カッコを付けるべきだ」
 朝日新聞の「お客様オフイス」は、たぶん慰安婦記事誤報問題で社内が大混乱した時期からではないかと思うが、名称を「読者広報」から変更した。通常、広報はメディア関係の窓口である。別に「上から目線」の名称ではない。が、名称を変更することで、あたかも「読者に寄り添う」かのような錯覚を、朝日新聞自身が持つようになったのではないかと思う。
 名称変更だけではない。公称されている「お客様オフイス」の電話番号は大阪本社以外はナビダイヤルである。0570から始まるナビダイヤルは、受信者が電話料金を自由に設定できる制度だ。朝日新聞の場合、実質的にNTT料金とほぼ同じだが、携帯電話からは電話できない。おそらく、朝日新聞はNTTから通話料に応じたバックマージンを受け取っていると思われる。ナビダイヤルというのは、そういうシステムだからだ。
 活字メディアは、どこも経営が苦しい。だが、ほとんどの国民は知らないと思うが、活字メディアは政府と闇取引をしている。来年10月に引き上げられる予定の消費税で、政府は公明党の主張に配慮して軽減税率を導入する予定だが、軽減化の対象はスーパーなどで買う食料品だけではない。新聞や週刊誌、月刊誌などの活字定期刊行物も対象になっている。私は日本経済が消費税を引き上げられる状況にあるかどうかに疑問を抱いているが、引き上げる場合には軽減税率を導入すべきではないと主張してきた。食料品に関して言えば、「オージービーフの切り落としと、銘柄和牛のひれ肉が、同じく軽減税率の対象になることに国民が納得するか」と。さあ、朝日新聞はどう答える?


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「北朝鮮の非核化」問題の真相はこうだ。メディアや評論家には見えない金委員長の権力構造を考えてみた。

2018-09-10 05:02:48 | Weblog
 昨9日、北朝鮮は建国70周年の記念行事を行った。報道によれば恒例の軍事パレードでは、従来と異なり文民と軍人の2つが別々にパレードを行い、軍人パレードの一部が反米スローガンを掲げたものの、多くは経済発展や国民の生活水準の向上を誇るものが多かったという。軍事パレードにICBMも参加させなかった。神経ととがらせているアメリカへの配慮と見られている。
 この記念行事には一時、中国の習近平主席が出席する予定と伝えられていたが、周氏は訪朝せず、中国共産党序列3位の葉戦書・全人代常務委員長が出席、金氏が葉氏の手を高々と掲げて朝中間の親密ぶりを印象付けようとしたが、中朝の思惑は必ずしも同一ではないようだ。また、金委員長は恒例の演説も行わなかったが、このことは金委員長がまだ軍部を必ずしも完全に掌握しきってはいないことを表していると考えていいだろう。
 北朝鮮に非核化への道は、メディアや政治家・評論家たちが考えているように、それほど簡単ではない。各種報道によれば、北朝鮮国民の生活は金委員長時代に入ってかなり向上しているようだし、そうした報道が事実であれば(北朝鮮の実態は「鉄のカーテン」に覆い隠されており、メディアが見聞しているのはほんの一部でしかないからだ)、国民の金委員長への信頼と忠誠の念には揺らぎがないように思える。
 が、金委員長が軍部をどこまで掌握しているかは、依然として不透明だ。朝鮮半島非核化(「北朝鮮の非核化」とは、あえて言わない)への第一歩として行われた南北会議(板門店)での両首脳が示した感動的シーンはいまだ多くの人たちの脳裏に深く刻み込まれていると思うが、この会議に北朝鮮は軍幹部2人を随行させている(韓国側は軍関係者は参加していない)。さらに米朝首脳会談に至る過程で、金氏は軍幹部3人を処分した。おそらく処分された3人は反米強硬派だったのだろう。どういう形で軍の要職から排除したのかは不明だが、絶対的な独裁権力を確立していれば、金委員長に逆らえば即粛清を意味するはずだ。粛清できなかったということ自体が、金委員長がまだ軍を完全には掌握しきれていないことを意味すると考えてよかろう。
 メディアを含め大半の人たちは、金委員長の考え一つで非核化は簡単に行えると思い込んでいるようだが、そんなに単純ではない。金氏が非核化に舵を切ったのは間違いなく、それはやはり北朝鮮への制裁が大きく効果をあげた結果だとは思う。が、やりすぎると「窮鼠、猫を欠く」という事態を招きかねない。
 いつの世でも、独裁政権が恐れるのは国民が飢えることと、軍のクーデターである。国民は飢えれば、必ず暴動を起こす。日本でも絶対権力が確立されていた封建時代でも、飢饉などで農民が飢える状態に陥れば、村長(むらおさ)は自らが死刑に処せられることを覚悟で一揆を指導したり、直訴に踏み切ったりした。「北朝鮮の国民は雑草を食べても核を放棄しない」とバカなことを、北の大国の大統領が言ったらしいが、いかなる国の国民も自らの死と引き換えに権力者を守ろうとは絶対にしない。またいかなる国の軍もつねに権力者に対して揺るぎない忠誠心を抱いているとは限らない。ある程度の権力の座に就けば、さらにその上の権力を目指すのは人間の常であり、毛沢東時代の中国でNO。2の地位にあって林ピョウがクーデターを試みで失敗し、ソ連への逃亡中に殺害されたことを想起するまでもないことだ。
 日本でも多くの国民の反対を押し切って安倍内閣は集団的自衛権行使を可能にする安保法制を国会で強行採決させたが、その行使ははっきり言って容易ではない。たとえば沖縄在留の米軍が、アメリカの国益のために軍事行動を起こしたとして、当然相手国は沖縄の米軍基地を攻撃対象にする。そのときアメリカが日本政府に対して集団的自衛権の行使を要請しても、日本の自衛隊が「はいはい、そうですか」と軍事行動に踏み切るとは思えないし、もしそういう事態が生じたらおそらく国民が黙っていない。間違いなく政府は転覆する。
 安倍さんは安保法制を国会で通過させたことで、アメリカに恩を売ったつもりかもしれないが、どうやらトランプ大統領にはそんな思いはまったくないようだ。かえって圧力をかければ日本はどうにでもなる、という確信をトランプ氏に抱かせただけの結果に終わったとみるべきだろう。
 安倍さんの権力がいまだ強固なのは、そこそこ経済政策が成功しているかのように見えている今だけのことで、マンション・バブルが崩壊するのははっきり言って時間の問題だ。かつてのバブル時代には不動産だけでなく、株やゴルフの会員権、絵画などの「資産」が軒並み高騰した。
 アメリカのリーマン・バブルもそうだが、バブルの発端はつねに不動産関連だ。かつてのバブル時代には長谷川慶太郎なるエセ評論家が「土地は増えない」「東京にはオフイスビルが不足している」「東京がアジアの金融センターになる」といったでたらめをメディアで吹聴しまくり、都心の不動産が高騰し、それが首都近郊まで広がっていった。いくら金持ちでも、ほんの一握りの富裕層が都心の不動産を買いまくったり、高層マンションを建てまくったりできるわけではない。現在のマンション・バブルも「2020東京オリンピックまでは持つ」と不動産業界は見ているようだが、この希望的観測も実は怪しい。おそらく不動産業界はオリンピックの前にバブルが崩壊するとみているだろうし、いまはトランプのババ抜きゲームの最終段階に入っているとみているようだ。で、最後にババをつかまされるのは、スルガ銀行ではないが不動産融資に熱中している金融機関だろう。そうなれば、いま高値水準にある株価も、一気に暴落し、アベノミクスが砂上の楼閣にすぎなかったことが早晩証明される。

北朝鮮の非核化問題に戻る。米朝首脳会談(6月12日)で発表された共同声明の解釈でいまだに世界中が揺れている。解釈が揺れているのは、前文の「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」という箇所だ。
会談直前まで、トランプ大統領は「この会談で共同声明にサインすることはないだろう」と言っていたし、「北の本気度は1分でわかる」「途中で席を立つかもしれない」と、会談の成功についてかなり悲観的なニュアンスをツィッターなどでつぶやいていた。
だから、この声明文の前文を読む限り、一見北朝鮮ペースで会談が行われ、トランプ大統領が金委員長に譲歩したのでは…という見方が妥当なように思える。実際、日米のジャーナリスト・評論家や政治家でそう主張する人たちが少なくなかった。本当にそうか。
前文に続く2項と3項ではこう書かれている。
 2 米国と北朝鮮は、朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を築く貯め共に努力する。
3 2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全非核化に向けて努力すると約束する。
 3項にある「板門店宣言」とは韓国・文大統領と金委員長の首脳会談で実現した合意事項を指す。つまりトランプ大統領が南北会談での「公約」を正式に承認したことを示したことを意味する。
板門店宣言では、「朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同目標とし、積極的の努力すること」「休戦状態の朝鮮戦争の終戦を2018年内に目指して停戦協定を平和協定に転換し、恒久的な平和構築に向けた南・北・米3者、または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進すること」「相手方に対する一切の敵対行動を全面的に中止し、まずは5月1日から軍事境界線一帯で実施する」「軍事的緊張を解消し、軍事的信頼を構築し段階的軍縮を行う」などで南北が合意した。
その合意事項をトランプ大統領が承認したことが、米朝共同声明で明らかになった。メディアは、そのことをあまり重視していない。なぜなのかは、私にはわからない。
アメリカはかつて財政赤字と貿易赤字の双子の赤字に苦しんだ時期がある。政治経験がまったくなく、異色の大統領として登場したトランプ氏にとって、アメリカという国家の経営の中心的テーマは今も続いている財政赤字と貿易赤字を一掃することだった。が、そのことはあまりにも大きなテーマだったので、大統領選では公約にしていない。私にも、最近になってトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の狙いがようやく見えてきた。
トランプ大統領が発信する様々な情報は、それらの一つ一つはジグゾーパズルのピースである。個々のピースにとらわれすぎていると、「木を見て森を見ず」ということになりかねない。またジグゾーパズルと違う点は、すべてのピースが目の前にあるわけでもない。だから目の前にあるピースを枠の中にはめ込みながら、空白の部分(つまりまだピースが隠れている個所)にどのようなピースが入るかを論理的に推理していくしかない。
その頭の中でする作業にとって最も重要なことは、目の前にあるピースの中でどのピースが「キーワード」になるかを見つけることだ。
米朝首脳会談の共同声明で最重要なピースは「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」という一文である。
この共同声明には北朝鮮の非核化へのプロセスはまったく明記されていない。そのことを最重要視するメディアや政治家が、アメリカでも日本でも多い。
だが、そのことを最重要視するなら、同様のレベルで「ではトランプ大統領はどうやって北朝鮮に安全の保証を与えるのか」も重要視しなければならない。金委員長が制裁の段階的解除と合わせて、最近、いまだに休戦状態にある朝鮮戦争の終結協定の締結に強くこだわりだしたのは、おそらく軍内部からの突き上げがあったからだと私は考えている。
金委員長が首脳会談を前に何度も強調していたことは「目の前の脅威がなくなれば核を持つ必要もなくなる」ということだ。首脳会談は、この一点を巡っての米朝の厳しい交渉だったと思う。その結果が、共同声明に表れている。この声明の主語が、米朝もともに国家ではなく、トランプ大統領と金委員長になっていることだ。そのことが何を意味するか。この約束はあくまでトランプ氏個人と金氏個人の約束に過ぎず、この約束は両国または一方の国の代表者が変われば反故になる可能性が極めて高いことを意味する。
たとえば尖閣諸島。オバマ大統領は日米安保条約5条の対象だと言ってくれた。これはアメリカの永遠の約束ではないから、大統領がトランプ氏に代わったら、またトランプ氏からも同じ言質を取り付けた。。
言っておくが、日本政府はアメリカの大統領が変わるたびに、同じことを繰り返していかなければならない。日本のメディアはそう口約束に過ぎないということが分かっているのか。少なくとも安倍総理は分かっているから、トランプ大統領にお願いしてオバマ氏の約束を継続してもらうことに成功した。が、そのつど、日本政府は米政府に借りを利息付きで継続せざるを得なくなる。借りをなくすためには尖閣諸島を実効支配して自衛隊を常駐させ、漁業活動の拠点も整備してしまうことだが、そんな勇気も日本政府にはない。実際、外務省に「アメリカが保障してくれている間に、なぜ尖閣諸島の実効支配に踏み切らないのか」と問い合わせても、「日本は話し合いで解決する方針ですから」というばかばかしい答えしか返ってこない。それならハーグの国際司法裁判所で尖閣諸島についての領有権問題に決着をつければいいのに、日本側は「中国との間に領有権問題は存在しない」という立場だから、話し合いによる解決をするつもりもないようだ。
では、アメリカ大統領が「尖閣諸島は日米安保条約第5条の範疇に入る」と口約束している間に、日本が実効支配に踏み切らないのか。実は「踏み切らない」のではなく、「踏み切れない」のが実情だ。日本が「では実効支配に踏み切ってもバックアップしてくれますか」と頼んでも、アメリカは「やめとけ」とブレーキをかけることが分かっているからだ。いや、実際に、そうした打診はすでに行っているかもしれない。が、アメリカが、「NO」と突っぱねてきたのではないか。アメリカにとっては、そんなくだらないことで米中間に軍事的緊張が高まることを、何よりも恐れているからだ。世界中から、日本がアメリカの属国扱いを受けている事情が読者に少しはお分かりいただけただろうか。
 
 いずれにせよ、金委員長の権力がそれほど強固なものではないことが、読者にもお分かりいただけたと思う。独裁政権の権力にとって一番危険なのは、すでに述べたように国民が飢えることと、軍のクーデターである。軍がクーデターを起こす場合、国民の支持が得られるような状態が生じるか(国民が飢えるケースが最大の要因になる)、権力者の近親者を担ぐことでクーデターの正当性を担保することだ。それが金委員長も分かっているから、将来、軍に担がれる可能性がある肉親の兄や叔父を暗殺・粛清してきた。そういう意味では、ひょっとしたら妹のヨジョン氏が、金委員長にとって最大のリスクになる可能性が強い。いまのところ、ヨジョン氏と金氏との間に齟齬は生じていないように見えるが、ヨジョン氏が力を付けるにつけ、その権力に群がろうとする官僚や軍幹部が増えてくる。これもまた権力を利用しようという人間の常である。ヨジョン氏もバカではないだろうから、兄の金委員長に寄り添う姿勢を崩していないように見えるが、「鉄のカーテン」の中の事情はなかなかわからない。
 私は金体制の存続を望んではいないが、いま北朝鮮で政権を揺るがすほどの混乱が生じたら、それは北朝鮮の核やミサイルどころではない、日本にとっても大問題に直面することになる。難民が日本にも大量に避難してくることは間違いないからだ。バカの一つ覚えみたいに「制裁、制裁」を連呼していれば済む問題ではない。
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日本の携帯電話料金が世界一高くなった理由ーー後手後手に回った行政のツケが消費者に。

2018-09-03 01:36:36 | Weblog
 最近、私のブログの訪問者数・閲覧者数に異変が生じている。中身が改ざんされた様子はないのだが、前回の投稿から3週間になるというのに、一向に訪問者数や閲覧者数が減少する気配が見えず、かえって増え続けているのだ。しかも、以前だったら急減していた土・日や祝日でも、減るどころかかえって増えたりするおかしな現象が見受けられるようになった。
 私はつねに数本の未投稿原稿を抱えている。私のブログの訪問者数・閲覧者数にはかなりのかい離がある。閲覧者数が訪問者数の3~5倍なのだ。ここでちょっと説明しておくと、訪問者数は私のブログにアクセスしたパソコンやスマホの台数のことである。一方、閲覧者数は、実際に私のブログにアクセスした人の数である。ただし、同じパソコンあるいはスマホから、ほかのサイトに移行せず続けて別人が読んでくれた場合は、訪問者数も閲覧者数も増えない。また、私のブログは長文のため、途中で読み続けるのをやめていったんほかのサイトに移行し、また時間が空いたときに続きを読んだ場合は訪問者数は増えないが(同じパソコンあるいはスマホだから)、閲覧者数は新たにカウントされる。
 スマホは会社や役所が支給している場合を除いて個人所有だから、インターネット接続にフィルターがかかることは考えられないが、会社や役所などに設置されている業務用のパソコンの大半は基本的にインターネットに接続できないようにフィルターがかかっている。だからインターネットに接続できるパソコンを支給されている幹部社員・職員が私のブログを読んで部下に「面白いから読んでみろ」といったケースがあり、その場合、部下が続けて読んだ場合は訪問者も閲覧者もカウントされないが、幹部がいったんほかのサイトに移った後で部下が幹部のパソコンで私のブログを読んだ場合は、訪問者はカウントされないが閲覧者はカウントされる。私のブログの場合、訪問者数と閲覧者数にかい離が生じるのはそうした事情による。
 そのため、私はブログを更新する基準としているのは、訪問者数と閲覧者数の比率が2倍を切ったとき及び閲覧者数が一定の数値を切ったときと決めている。以前はだいたい1週間くらいで更新基準に達したために、ほぼそのサイクルでブログを更新していた。が、最近は2週間たっても3週間たっても更新基準に達しないのだ。その結果、せっかく書いたブログ原稿をボツにせざるを得ない状況がしばしば生じていた。
 実は私のブログは何者かによってかなり以前から不正侵入を受けていた。そのことに偶然気付いたのはパソコンである作業をしていた時だった。goo事務局は何か問題が生じた場合、チャットで相談に乗ってくれる。そこで私はブログのIDを変えてもらいたいと申し入れたのだが、「IDの変更は可能だが、ブログの継続性が失われます。それでもよければ」という返事が返ってきた。ブログの継続性は私にとって命綱のようなものだから、いろいろチャットで相談した結果、大変面倒だがパスワードをちょいちょい変更し、かつパスワードの「保存」を解除することにした。つまり毎日、訪問者数や閲覧者数のチェックをしたり、ブログを更新するたとき、パスワードをその都度入力することにしたのだ。ただパスワードを入力したとき、いったんサイトを離れても数分間はパスワードが保存状態になるため、ブログの編集ページを開くのは深夜の午前1~2時ごろにしている。別に目覚まし時計をセットしているわけではなく、だいたいその時間帯にトイレで目が覚めるからである。当然ブログ原稿は前日の日中には完成している。
 だが、どうやって、また何の目的でだれが侵入しているのかは、まったくわからない。私のブログに対するコメントは、「馬鹿」とか「老いぼれ、早く死ね」といった卑劣な書き込み以外は一切排除しないことにしているが、ほとんどコメントは書き込まれていない。閲覧者の大半がメディア関係者か政治家だからではないかと思っている。
 いずれにせよ、前回のブログの訪問者数と閲覧者数の状況が不自然なので、閲覧者数がいまだ高水準を維持してはいるが、ブログを更新することにした。原稿はとりあえず以前に書いたままのものに、【追記】として書き加える。

 8月13日に投稿した記事『トランプ大統領の身勝手この上ない通商政策を検証した』の閲覧者が爆発的に増えているが、携帯電話料金を巡る騒動が一気に浮上したので、急きょこの問題についてブログを更新することにした。なお、この原稿は24日に書いている。その日のうちに朝日新聞とNHKにはFAXする。朝日やNHKの報道にこれから私が書く視点が反映されるかは分からない。
 この騒動は21日に菅官房長官が行った講演会での発言「日本の携帯電話の料金はあまりにも不透明で高すぎる。4割程度は下げる余地がある」と述べたことから始まった。超多忙の菅氏が、携帯電話料金について独自に調べたりしている時間があるとは思えないから、監督官庁である総務省官僚から依頼されての発言だとは思うが、本来なら野田総務相が行政指導方針として発言すべきことではないか。「野田氏では力不足」と総務省幹部が考えたのかもしれない。
 報道によれば、菅発言を受けて野田氏は23日、情報通信審議会(会長・内田トヨタ自動車会長)に携帯料金の引き下げを含む通信事業の在り方について諮問、来年12月をめどに答申をまとめるという。
 それはさておき、国鉄民営化も電電公社民営化も、最近では郵政民営化も、政府や監督官庁は「なぜ民営化する必要があるのか」という「哲学」なしにただなんとなく【規制緩和→民営化→自由競争社会の出現→競争原理が働く→消費者に有利な健全な競争社会が出現】と言った幻想からスタートした「はじめに民営化ありき」の政策だったのではないかと思わざるを得ない。
 たまたま24日付朝日新聞朝刊は、立憲民主党・枝野代表の自治労定期大会(23日)での発言(要旨)を記事にした。枝野氏が競争社会についてどう考えているのか、この発言だけでは不十分だが、いちおう転載しておく。
「私自身も反省を含めて、この20年、30年、我が国は『改革』という名の下に、民営化をすればよくなる、民間に任せればよくなる、規制を緩和すればよくなるというあまりにも偏った、誤った道を歩んできたのではないか。高度成長を遂げて成熟社会になった日本は、個人の自己責任にあらゆるものを帰して公的役割を縮小させた。明らかに時代に逆行していた。家族や地域のコミュニティーでできなくなった支え合いを誰が行うのか。それは政治であり、行政である。今までの過ちを改めて、改革ではなく、守るべきものをしっかりと守る。お互い様の支え合いを、役所が支えていくことによって、安心して暮らせる社会をつくっていく」
 正直意味不明な部分もあるが(記者の文章力のせいかもしれないが)、民営化や規制緩和はだれのために行うのか、という原点に戻って従来の政策に疑問符を投じた意味は小さくないと思う。
 確かに国鉄や郵政の民営化によるプラスの面も少なからずあったが、逆にマイナス面も小さくない。もちろんあらゆる政策は必ずプラスの面とマイナスの面の両方を持つ。が、これまでの政治はあらかじめ予測できたはずのマイナス面には一切触れず、プラス面ばかりを強調してきたきらいは否定できない。一方、政策に反対する野党はプラス面は一切評価せず、マイナス面ばかりを強調する。これでは国会での議論がかみ合うわけがない。
 このブログでは国鉄民営化や郵政民営化に伴う負の検証は行わない。いずれ行うかもしれないが、最近私のブログの読者が増えすぎて、しかも訪問者・閲覧者が2~3週間たっても減少しないため、せっかく書いても賞味期限切れでボツにせざるを得ないことが多く、原稿の書き貯めに躊躇せざるを得ない状態が続いているためだ。で、電電公社民営化に伴った負の検証だけ、今回は行う。
 電電公社が民営化されたのは1985年4月である。国鉄民営化と同様、民営化に際して電電公社は3分割された。NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズ(インターネット・プロバイダーのOCNを傘下に持つ)である。携帯電話会社のNTTドコモはこの時点ではまだ生まれていない。
 電電公社最後の総裁である真藤氏が、自身最後の大仕事として手掛けたのがISN(のちのISDN)事業。通信をデジタル化するために日本列島縦貫のひかり大幹線を敷設するという大事業だ。
それはそれでいいのだが、「哲学なき民営化」と私が決めつけたのは、経営体を分割しただけで通信インフラである通信網(メタル&ひかり電話線)を分離しなかった点にある。これは国鉄民営化についても言えることだが、鉄道インフラである鉄道レール(レールの敷地も含む)を分離して、そのインフラをどの事業体でも利用できるようにしておけばよかった。そうすれば、おそらく民間から想定もしていない鉄道レールの利用法のアイデアが吹き出していた可能性は否定できない。同様に、電電公社の民営化に際しても経営体の分割より、通信インフラである通信網を分離して、NTTも第二電電(DDIのちKDDI)もソフトバンクも対等な条件で自由に利用することが出来るようにすべきだった。
電電公社時代、就職や結婚などで新居を構えた時、電話を引くのに「電話加入権」を電話局から買う必要があった。申し込みが多くて電話を引くのに時間がかかるような場合は、加入権売買業者から高値で購入しなければならなかった。今は電話を引くのに加入権など必要がなくなったし、加入権売買業者もなくなった。いまNTTはメタル回線など新設することはないし、本来ならメタル回線の使用料(固定電話の基本料)はとっくに償却がすんでいて、せいぜいメンテナンス・コストが多少かかる程度になっている。それなのにNTTはメタル回線の基本料を値下げするつもりはまったくない。
なぜか。NTTが馬鹿げた事業に大金を使いだしたからだ。真藤時代に計画した日本列島縦貫のひかり大幹線の敷設と、各地の電話局までをひかりで結ぶところまではいいのだが、各家庭にまでひかりを引き出したのだ。そのためには膨大なコストがかかる。そのコストをねん出するために、すでに減価償却がすんでメンテナンス・コストしかかからないメタル回線の基本料をビタ1円たりとも値下げしないのだ。
さらにバカなことをNTTの子会社のドコモがやり始めた。携帯電話のための基地局を1社独占で作り出したのだ(格安スマホ会社には提供しているが)。そもそもそういうばかげた計画を、監督官庁の総務省がなぜ承認したのか?
そのためauもソフトバンクも基地局をすべて自前で作らざるを得なくなった。新規参入しようとしている楽天も自前で基地局をつくるようだ。こんなばかばかしいことをやっている国はおそらくない。
総務省が平成27年度の携帯電話料金の世界6都市の比較を公表した。東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、デュッセルドルフ(独)、ソウルの6都市だが、東京はニューヨークに次いで高い。アメリカが世界1高いのは当たり前で、日本と比較した場合人口は約2倍だが国土面積は26倍にもなる。携帯電話の基地局の数までは頭の悪い総務省官僚は調べていないようだが、アメリカの基地局は携帯電話会社が共同利用していなければ、おそらく日本の100倍は超えているはずだ。しかし実際には日本とアメリカの携帯電話料金の差はそれほど大きくはない。日本のように、個々の携帯電話会社が個別に基地局を設置するようなバカげた重複投資はしていないと思う。
総務省は調べていないようだし、また当局が公表していないのかもしれないが、平均賃金が日本よりはるかに低い中国でなぜ携帯電話が異常なほどに普及しているのか。またスマホの利用法も、電子決済など中国は日本をはるかに凌駕している。中国も国土が広く、へき地まで電話線を引くことは容易ではない。だから携帯が急速に普及したとも言えないことはないのだが、どんな低所得層でも利用できるシステムになっているから普及したことは否定できない。
いまからでも遅くない。現在の基地局や次世代型も携帯電話インフラは携帯各社が共同利用できるようにするだけで、「もうけすぎだからけしからん」などと言わなくても格段に安くできる。現にBSやCSなどは、放送局各社が放送衛星を共同利用している。もし放送局各社が自前で放送衛星を打ち上げるようなことをしていたら、NHKを除いて放送局はすべて潰れてしまう。
国民のために自由な競争を加速させることの意味を考えない規制緩和、つまり「哲学なき規制緩和」はかえって国民のためにならない結果を生みかねないことを、政治家や官僚は自覚してほしい。

【追記】8月28日、総務省は新たな規制緩和を発表した。来年9月から、中古も含めてスマホのSIMロックを解除させることにしたという。
 しかし、どうして総務省は規制緩和を小出しに行うのか。番号ポータビリティによって携帯電話会社の囲い込みはある程度壊したが、携帯電話会社は次々と“裏の手”を考え出していく。そしてつねに行政は後手後手に回っていった。今回のSIMロック全面解除にしても、総務省は15年春以降に発売された機器については、利用者からロック解除の要望があり一定期間利用するなどの条件が満たされたら解除の要求に応じなければならないことを義務付けていた。が、利用者が他社に移る場合には、契約期間が満了していても契約解除料が発生するという“詐欺商法”(事実上のカルテル)には手を付けていない。
 新規契約の場合、契約金をとるか否かについては各携帯会社の自由方針に任せてもいいとは思う。契約金を高くすれば、おそらく利用者はよほどその後の利用サービスが有利でなければ、その会社とは契約しないからだ。
 しかも携帯電話会社が強制する契約期間とは、あらかじめ機器代をかなり高額に設定したうえで、その代金を24回払いにして基本料金に上乗せするという仕組みである。2年間の契約期間が満了すれば、新製品に買い替えて新たに2年契約を結ばなければ実質的に損をする仕組みだ。携帯大手3社がすべて同じ仕組みにしているのに、なぜ独占禁止法で摘発されないのか、私には不思議だ。
 
 
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トランプ大統領の身勝手この上ない通商政策を検証した。

2018-08-13 03:55:15 | Weblog
 10日から米ワシントンで日米通商協議が始まった(現地日付9日)。TPP(環太平洋パートナーシップ)から勝手に離脱した米トランプ政権が貿易赤字国を対象に高率関税をかけることを表明、当初はアメリカの安全保障上の危惧を口実に鉄鋼・アルミ製品に絞って高率関税をかけるとしていたが、その後トランプ政権の通商政策がコロコロ変わり、EUや日本に対して自動車にも高率関税をかけると言い出した。
 この関税障壁は、当初、同盟国には適用しないとしてEUは除外することを表明していたはずだったが(なぜか同盟国であるはずの日本は除外対象に含まれなかった)、朝令暮改が日常茶飯事のトランプ大統領の気が変わったのか、それとも政権内部で「中国や日本だけを狙い撃ちするような関税政策はアンフェアだ」という批判が強まったせいかは不明だが、いずれにせよ、こんな国を相手に協議して、いったん合意に達したとしても、いつトランプ氏の気がまた変わって合意事項を一方的に破棄される可能性も極めて高い。だから中国やEUは「やれるならやってみろ」と報復に乗り出している。なぜか日本だけは当てにできない二国間協議によって事態を打開しようとしているが…。
 前回のブログで私はプラザ合意による円高を、日本メーカーがどうやって乗り切ったかを書いた。それ以降約3週間になるのに、どなたからも批判が出ないということは、閲覧者の大半が私の分析をご理解いただいたと考えてもいいだろう。で、前回の続きとしてプラザ合意以降の日米貿易摩擦について検証する。トランプ氏の貿易政策が、いかに身勝手で不条理であるかを証明するためだ。このブログを読んでも安倍政権が二国間協議で貿易戦争の火の粉から免れると考えるようだったら、もう救いようがナいと、私は断言せざるを得ない。
 プラザ合意後の日本メーカーのビヘイビアーについては前回のブログで明らかにした。欧米諸国のように工場を閉鎖したり、従業員をレイオフして雇用調整したりできない日本では、何が何でも生産ラインの稼働を最優先せざるを得ない宿命を抱えている。たとえばシャープが液晶テレビで一人勝ちしていた時期、いわゆる「亀山モデル」の増産のために過大な設備投資を行ったのがシャープの命取りになったことは、賢明な読者諸氏ならお忘れではないだろう。
 もしシャープが日本のメーカーでなかったら、おそらく海外の企業に身売りしなくても、経営の立て直しは不可能ではなかったはずだ。現在シャープが立ち直ったのは、ホンハイ精密工業(台湾)の手によって進められている大胆な生産設備の整理統合、国内での白物家電の製造停止と、それに伴う雇用調整による。前回のブログでも書いたが、EUの対抗手段に対してハーレーが米国内での製造をやめて海外に製造拠点を移すことが出来るのも、ハーレーがアメリカの企業だからだ。当然トランプ氏は激怒したが、ハーレーとトランプ氏の「戦争」に米国内のメディアは大騒ぎだ。
 
 今回のブログは、アメリカがいかに身勝手な国であるかを証明することにある。カナダ・メキシコとの自由貿易協定の破棄、TPPからの離脱、パリ協定離脱、イラン核合意の破棄…すべて合理的根拠のない身勝手極まりないやり方だ。オバマケアを破棄しようと銃を野放しにしようと、そうした政策はアメリカ国内の問題で、アメリカ国民が納得するのであれば勝手にやればいい。だが、国際社会での約束事を自国の都合だけで勝手に破棄するといったことは、第2次世界大戦中の様々な出来事を想起させる。
 安倍さんよ、思い出してほしい。あなたが総理大臣として再び権力の座に就いた後、あなたは靖国神社に参拝した。その行為を激賞したのは産経新聞だけで、「国民が待ちに待っていた日が来た」とまで書いた。産経新聞にとっては閣僚の靖国神社参拝に批判的な国民はすべて「非国民」なのだろうが、そういう価値観からすればA級戦犯合祀以降参拝をやめられた皇族方はすべて「非国民」の範疇に入ることになる。いまでは安倍総理の御用新聞と化している読売新聞でさえ、米高官が「失望した」とコメントした途端、安倍さんの靖国参拝を批判する側に回った。
 産経や読売がどういうスタンスをとろうが、そんなことはどうでもいいが、はっきり言って米高官のコメントは内政干渉だ。安倍さん、あなたがアメリカの言いなりになるようになったのは、それからだよね。あなたに日本人として少しでも誇りがあれば、トランプ大統領の身勝手極まりない政策や発言(ツイートを含む)に、その都度なぜ「失望した」と言わないのか。あっ、そうか、あなたの辞書には「誇り」という言葉はなかったんだっけ…。
 安倍さんがどんなに卑屈になろうと私の知ったことではないが、その結果を国民が押し付けられたのではたまらないから、日米貿易摩擦の歴史的検証をしておく。トランプ大統領の身勝手さが一目瞭然になるからだ。

 1985年のプラザ合意以降の2年間に1ドル=240円前後から120円台へと急速な円高を、日本メーカーは日本の消費者を犠牲にしながら輸出量を維持するためのダンピング輸出で乗り切ったことは前回のブログで明らかにした。
 その結果、急速な円高にもかかわらず日米貿易摩擦はかえって激化することになった。当時のNHKはかなり良心的な放送局で、看板番組だった『NHK特集』で、のちに自民党から担がれて都知事選にも立候補した(結果は落選)磯村尚徳(ひさのり)氏がキャスターを務めて、86年4月26日から3夜連続で大型番組『世界の中の日本――アメリカからの警告』を放送した。通常の『N特』の放送時間枠を大幅に超え、1夜目が1時間45分、2夜目が1時間30分、3夜目に至ってはニュースを挟む2部構成で2時間15分、3夜合計で5時間25分という超大型番組であった。ゴールデンウィーク直前という時期だったにもかかわらず、この番組は大反響を呼び、のちにスタッフは放映できなかったエピソードを加え雑誌形式の単行本にして(私の記憶では3冊)出版したほどだ。
 この番組の企画が持ち上がったのは、85年9月に開かれたG5の直後、つまりプラザ合意を受けて「アメリカが何に怒っているのか」「アメリカの本音を探ろう」というテーマで取材に入ることになったという。
 実はこの年(85年)夏、ピューリッツァー賞を受賞したこともある米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイト氏がニューヨーク・タイムズ日曜版のカバーストーリーに『日本からの危機』と題する論文を掲載し、日本でも翻訳されて大きな話題になった。この論文でホワイト氏はこう書いた。
「第2次世界大戦後40年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体させつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種にすぎないのか、それともアメリカより賢くなるべきことをついに学んだのかは、今後10年以内に立証されよう。そのときになって初めて、第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったかを、アメリカ人は知るであろう…」
 いずれにせよ大反響を呼んだ『世界の中の日本』はシリーズ化され、NHKはアメリカから「日本は異質だ」とまで極め付けられることになるジャパン・バッシングの検証作業を続けていく。
一方、アメリカは「日本の大改造」に着手する。1989年9月から90年6月まで断続的に開催された日米構造協議がその舞台になった。
 日米構造協議では、日本もアメリカの問題点を追及した。たとえばアメリカの企業の大半が採用している四半期決算制度。日本も「物言う株主」村上ファンドの登場以降、株主に対する優遇策を重視する会社が多くなってきたし、サラリーマン経営者も高給を取るようになってきたが、当時は「人本主義」という日本経済論(日本の会社は株主のためでもなく消費者のためでもなく、サラリーマン経営者を含めた社員全体のためにあるという説)が話題を呼んだ時期でもあった。つまり、「日本の企業は将来のための長期投資に重点を置いているが、アメリカは短期の利益を追求する経営に傾いた結果、日本との技術開発競争に負けたのだ」とアメリカ側を批判した。
 が、アメリカの交渉テクニックはもっぱら日本のメディアを巻き込むことで日本を圧倒することになる。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心だ」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
 とりわけ米国産牛肉の関税障壁を追求した米商務省の「もし関税が撤廃されたら、日本人は毎週ステーキを食べることが出来る」というレトリックが効いた.「大店法のために、日本の消費者は不当に高いお金を支払わさせられている」「市場を開放して、競争原理がもっと働くようにすべきだ。消費者の利益になる」etc。日米構造協議は完全にアメリカの作戦勝ちに終始した。日本は押しまくられ、大店法の廃止や農畜産物の関税引き下げに応じざるを得なくなった。
 いま日本は、この日米構造協議でアメリカ商務省が駆使したレトリックを、そっくり熨斗(のし)を付けて返上すれば、直ちに一件落着になる。
 日米構造協議が行われていた時期、日本の農畜産業者は困窮していた。もし、どっとアメリカから安い農畜産物が輸入されるようになると、彼らにとっては死活問題になるからだ。日本の食料自給率はカロリーベースで現在38%。アメリカは130%、フランス127%、ドイツ95%、イギリス63%で、先進国の中で日本の自給率は最低だ(データは農水省)。日本の場合、平地が少なく、また農家の規模も欧米に比べて小規模なため生産コストがどうしても高くなる。が、トランプ大統領が「安全保障」を口実に輸入関税を高率化するというなら、安全保障は軍事力だけではない。食料自給率の低さも日本にとっては極めて重要な安全保障上の大問題である。日本はなぜ安全保障を口実に農水畜産物の関税を引き上げるぞ、とやり返さないのか。
 そのうえ、トランプ大統領の通商政策は、かつて構造協議でアメリカが日本を批判した「消費者本位ではなく、生産者中心だ」という、当時のアメリカの主張が自らに跳ね返っていることを、なぜ日本は主張しないのか。もし、EUがいまの日本と同じ立場に置かれていたら、間違いなくそう言うしっぺ返しに出ている。トランプ氏の顔色をうかがいながらの通商協議など、ただちに打ち切るべきではないか。
 さらにトランプ氏の言い分のおかしさはほかにもある。トランプ氏は「アメリカが貿易赤字になっているのは不公平な関税のためだ」と主張しているが、ではオーストラリアなど、貿易黒字国に対してはどうするのか。「黒字はいいが、赤字だけダメ」などという身勝手な言い分が国際社会で通用するとでも思っているのか。「赤字の貿易はしない」というのがトランプ氏の通商政策だというなら、「どうぞ、ご勝手に。いっそのこと鎖国を宣言したら」と突っぱねればいい。アメリカは国土も広いし、資源も豊富だ。食料自給率も先進国で最大だ。鎖国体制をとっても自給自足は十分可能だ。日本はそう主張すればいい。
 
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トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の行方は? アベノミクス失敗のツケが回ってきたよ!

2018-07-25 07:50:24 | Weblog
 アルゼンチン・ブェノスアイレスで開かれていた主要20か国・地域の財務担当相・中央銀行総裁会議(G20 日本からは麻生財務相・黒田日銀総裁が出席)が終わった。いちおう発表された共同声明では「自由貿易の推進、保護主義との対決」といった従来方針を継承した。が、アメリカ発の世界貿易戦争に対する対策や、トランプ大統領のアメリカ・ファースト主義丸出しの関税政策への批判は封印されたようだ。しかし、ノー天気としか言いようがない麻生財務相は「(G20の成果について)きちんとした方向で落ち着いてきた」と高く評価した。日本にとっても貿易戦争は「対岸の火事」ではないはずだが…。
 私が「貿易戦争」という言葉を初めて使用したのは7月9日にアップしたブログ『いま、日本が直面する四大危機…』である。その四大危機の一つとして「世界貿易戦争勃発か?」としてアメリカの身勝手さを告発した。
 実はその数日前に朝日新聞には電話で「いま生じている事態はもはや(貿易)摩擦と言える域を超えた。もはや兵器を使用しない戦争だ」と申し上げた。私の記憶ではメディアが「貿易摩擦」から「貿易戦争」に言い換えだしたのは7月中旬以降だったと思う。トランプ大統領の通商政策は、鉄鋼・アルミ製品にかけるとした25%の関税(中国に対してはすでに発動)の口実「アメリカの安全保障のため」が「口実のための口実」に過ぎないことが、その後の関税政策でも明らかになった。日本やドイツからの輸入自動車がなぜ「アメリカの安全保障」を脅かしているのか。トランプ大統領も説明できまい。
 中国やEUは真っ向からアメリカ発の貿易戦争を受けて立つ姿勢を示している(中国はすでに発動している)。ノー天気なのは、日本だけだ。世界から日本はどう見られているか。安倍さんはアメリカに追随することが「日本の安全保障は戦後最大の危機に直面している」ため最優先政策なのか。アメリカに頭を下げて「日本にだけは関税攻撃をやめてください」とお願いすれば貿易戦争を回避できると考えているのかもしれないが、そうした考え方そのものが世界からどう見られているか、安倍さんは考えたことがあるのだろうか。

 第2次世界大戦が終結する約1年前の1,944年7月、米ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44か国の財務担当相が集まって戦後の世界経済正常化のための国際会議を行った。第2次世界大戦勃発の最大の要因が、列強を中心としたブロック経済圏同士の覇権争いにあったという反省から、金との兌換(交換)を保証していたアメリカの通貨・ドルを世界の基軸通貨として世界各国が認め、各国通貨の米ドルとの交換比率を一定に保つことが決められ、公平で平等な自由貿易体制を構築することになった。いわゆるブレトンウッズ体制の確立である。実はこの会議にはソ連も参加して協定に調印したのだが、最終的には国内で批准しなかった。
 日本も戦後、この体制の下で1ドル=360円(±1%)と決められ、この固定相場制の下で戦後の経済復興を成し遂げてきた。戦後復興の大きな要因として朝鮮戦争特需や池田内閣による高度経済成長政策が取り上げられることが多いが、実は最大の要因は、この恵まれた固定為替によって日本製品の輸出競争力が格段に高まったことにある。戦争による痛手をほとんど受けることがなかったアメリカが、戦後世界経済発展のゆいつの牽引車になり、そのアメリカ向けの輸出拡大で日本経済は回復の足場を築いてきたからだ。日本の経済学者たちは、なぜかこの最大の経済回復要因をあまり重視していない。無能なせいかどうかは、私にはわからない。なお日本がGNP(国民総生産…現在は経済指標としてはGDP=国内総生産=が使われているが、実質的に同じである)で西ドイツを抜き世界第2位に躍進したのは1969年である。
 いずれにせよ、このブレトンウッズ体制の下で日本経済が繁栄を謳歌できたのは四半世紀ほどだった。アメリカがあまりにもドルを世界にばらまきすぎたことやベトナム戦争での戦費がかさんだこともあって米経済の疲弊が進み、ドルとの兌換を保証してきた金の保有量とドルの流通量との格差が生じだしたのである。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が前触れも一切なく、いきなりドルと金の兌換の停止を発表した。「ニクソン・ショック」である。
 それでもその年12月18日にはワシントンDCのスミソニアン博物館に世界主要国10か国の蔵相が集まって金との兌換保証のない米ドルをいったん切り下げたうえで、米ドルを引き続き世界の基軸通貨として容認して固定相場制の存続を決め、各国通貨のドルとの交換比率を見直すことにした。その結果、西側ヨーロッパ諸国をはじめ、先進国の通貨は切り上げられることになり、日本の通貨も1ドル=308円に切り上げられたが、日本経済はそれほどの打撃は受けていない。変動相場制に移行するまでのこの時期は、いちおうスミソニアン体制と呼ばれているが、基本的には固定相場制の手直しであり、私はブレトンウッズ体制の崩壊とは考えていない(ブレトンウッズ制度なら別)。
 実質的にブレトンウッズ体制(為替の固定相場制)が崩壊したのは1973年である。その前年72年6月にはイギリスがまず変動相場制に移行(米ドルが世界の基準通貨になったのは先に述べたように戦後であり、それまではイギリスの通貨ポンドが事実上最も信頼できる通貨とされており、ドルの信頼性低下に伴ってポンドの復権を期待したのかもしれない…私の偏見的見解)、73年3月までに日本を含め主要国が相次いで変動相場制に移行し、円高が進み出した。
 この年10月、第4次中東戦争がぼっ発し、それを機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国中ペルシャ湾岸に面する6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げ、ついでOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の段階的削減を決定、石油資源のほとんどを中東に依存していた日本経済は大打撃を受ける。
 変動相場制への移行による円高に加えての石油ショックにより、日本経済はハイパー・インフレ(悪性インフレ)の悪夢に襲われる。実際にはそこまでいかなかったが、それでも翌74年の消費者物価指数は27%も上昇、流通業界の「買いだめ売り惜しみ」もあって洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品は「狂乱物価」状態に陥り、消費者の家計を直撃した。GNPは-1.2%を記録、戦後初めてのマイナス成長を記録、高度経済成長時代はこの年をもって終焉した。
 が、この危機的状況が、皮肉なことに日本産業界のカンフル剤になった。円高で輸出競争力が低下したうえに原油価格の高騰で生産コストが急増したことが、逆に日本産業界にとっては「神風」になったのだ。こういう認識を持っている経済学者は私が知る限り日本には一人もいない(海外については知らない)。
 一方アメリカは、日本ほど影響を受けなかった。ドル安が進んでいたし、石油産出国でもあったからだ。日米産業界が置かれていたポジションとの違いが、その後の経済摩擦を生む最大の要因となった。ほとんど危機感を持たなかったアメリカに対し、日本産業界は重大な危機感を持った。日本産業界は従来の重厚長大型から、「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」など、今日ならいずれも流行語大賞を受賞してもおかしくないスローガンを掲げて産業構造の大転換を図る。そのためのキー・テクノロジーになったのが半導体技術である。
 日本は国をあげて半導体技術の革新に取り組み出した。半導体研究の二つのプロジェクトをスタートさせたのだ。ひとつは電電公社(現NTT)武蔵野通研が中心になってNEC、富士通、日立が参加した次世代メモリの研究開発チーム。もう一つは通産省(現経産省)が音頭をとってNEC、富士通、日立、東芝、三菱などが参加して立ち上げた超LSI技術共同組合である。この研究開発費700億円のうち300億円を国が補助している。
 当時世界の半導体市場のシェアの70%以上をアメリカ勢が握っていた。が、石油ショックで重大な危機感を抱いて国の総力をあげて研究開発に乗り出した日本勢が、一気にアメリカを追い抜き、わずか数年で形勢逆転に持ち込んだ。半導体産業でアメリカを追い抜いただけではない。世界のトップに躍り出た日本の半導体技術を活用したのが家電などのエレクトロニクス製品や自動車etc。雪崩を打つように日本製品がアメリカ市場に流れ込んだ。アメリカ産業界は一気に窮地に追い込まれた。
 日本はこの時に、もう一つの神風を受けていた。西ドイツが日本と競争できなかったからである。なぜか。
 半導体の生産には純水が必要だ。その純水がヨーロッパの水質では作れない。西ドイツに限らずヨーロッパの先進国で半導体産業が一つも生まれなかったのはそのためだ。西ドイツが水質に恵まれていたら、日本経済のその後の発展はなかったかもしれない。
 一方、石油ショックでヨーロッパや日本の経済が疲弊した時期、その余波は当然アメリカも受けた。が、アメリカは日本と異なり、経済再活性化への道を国内消費の拡大に求めた。この手法はアメリカ政治の伝統的手法であり、何度失敗しても懲りない国でもある。
 この時期もアメリカは金融緩和によって国内の消費を刺激した。インフレが進み、日本製品だけでなく、遅ればせながら日本から最先端のエレクトロニクス製品を購入してエレクトロニクス化を進めた西ドイツの工業製品もアメリカ市場に流れ込んでいった。
 アメリカにとって気の毒な面もあった。東西冷戦が続いており、西側防衛のためのアメリカの軍事費は拡大の一途をたどっていた。とくに81年1月に発足したレーガン政権は「強いアメリカの再生」をスローガンに、対ソ軍拡競争を仕掛けていた。その結果、軍事費は膨らむ一方、インフレ克服のため急激な金融引き締め策をとらざるを得なくなった。レーガン政権発足1年後には市中金利が20%を超えるという事態になり、投機マネーがドル買いに集中する結果を招く。ドル高による深刻なデフレ不況がアメリカ経済を襲った。そのうえドル高で輸出競争力を失ったアメリカ工業界は生産拠点を海外に移し出した。アメリカの産業空洞化はこうして始まったのである。
 こうした困難を回避するには再び金融緩和すればいいのだが、金融を緩和すればドル高は収まるが、財政赤字は膨らむ。アベノミクスが金融緩和によって財政赤字が膨らんだのと同じ理屈だ。赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増大させるのが金融緩和だから、当然と言えば当然だ。
 国内の金融政策ではどうにもならなくなったレーガン大統領は、貿易赤字の元凶である日本と西ドイツに救済を要求した。それが85年9月にニューヨークのプラザホテルで開催したG5である。アメリカが他国に頭を下げて救済を頼んだのは、おそらくこのプラザ会議が最初で最後ではないかと思う。ま、アメリカは他国に頭を下げて頼んだなどとは絶対に認めないだろうが…。
 G5の参加国は米・英・仏・西独・日本の5か国。日本からはのちに首相になる竹下登蔵相が出席した。レーガン大統領の狙いは日本と西ドイツの2か国だけだったが、イギリスとフランスも呼んだのは両国のメンツを考慮したためか、あるいは日本と西ドイツへのプレッシャー効果を高めるためだったのか。いずれにせよ、日本はアメリカの要請に応じてドル売り政策を発動、プラザ合意が行われた9月23日の1日だけで為替相場は1ドル=235円から一気に約20円もドル安円高になった。さらに1年後には150円台に、2年後には120円台へと急速にドル安円高が進んだ。
 実はこの急速な為替変動が日本ではバブル景気の遠因になったという説もあるが、このブログではそこまでは立ち入らない。日本の工業界がどうやってこの時期の円高を乗り切ったのかの検証だけしておく。この時期の日本企業(円高の衝撃をもろに受けた輸出産業)のビヘイビア原理を解明すれば、アベノミクスの失敗原因が手に取るように理解できるはずだからだ。

 アベノミクスが金融緩和によってデフレ不況脱却を目指したことはだれも分かっていると思う。それが、なぜ「絵に描いた餅」で終わったのか。
 そもそも安倍政権が発足したときの経済状態は、確かに好況とは言えないまでも、それほど不況感が強く、経済活動が停滞していたと言えるだろうか。少なくともプラザ合意後の2年間での円高に比べれば、それほど大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。
 金融緩和の一番手っ取り早い方法は赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増やすことだ。通貨も商品だから供給量を増やせば通貨の価値は下がる。つまり円安になる。円安になればメーカーの国際競争力は強くなる。いままでより安い価格で輸出できることになるはずだ。
輸出価格が下がれば、海外での需要も増える(国内の需要は為替相場とは直接は連動しない)。需要が増えればメーカーは供給を増やすだろう。つまり生産力を増強するだろう。生産力を増強するためには設備投資をするだろうし、雇用も増やす。そういう歯車が回れば、日本経済は活性化する。これがアベノミクスの「絵に描いた餅」の正体だ。それ以上でも、それ以下でもない。
 では、なぜそういう結果が生じなかったのか。その理由を説明するために。私はプラザ合意後のメーカーのビヘイビアを検証することにしよう。
 実はプラザ合意で円高になった分、本来ならメーカーは輸出価格を値上げしなければならなかったはずだ。たとえばそれまで1万ドル(当時の円換算で240万円)で輸出していた商品があったとして、円が倍になったら輸出価格を2万ドル(円換算で480万円)に引き上げなければならないはずだ。もし、ドル建てで同じ価格(つまり1万ドル)で輸出しようとすれば(そうすれば輸出競争力は低下しない)輸出価格は円換算で120万円にせざるをえなくなる。実質的に半値で輸出することになる。これで採算が取れるだろうか。
 ところが、それに近いことを日本のメーカーは当時していたのである。例えば自動車。プラザ合意以降、輸出価格はドル建てで多少は値上げしたが、せいぜい20%程度だった。アメリカから「ダンピングではないか」と追及されると「合理化努力によってコストダウンを図ったのだ」と居直った。実際、知人の都銀支店長から「左ハンドルでよければ、ものすごく安く入手できるよ」と言われたことがある。私は左ハンドルの運転に自信がなかったので、せっかくのチャンスを逃したことがある。
 合理化努力によってコストダウンを図ったのだとしたら、日本国内での販売価格も同様に値下げしてもいいはずなのだが、国内価格は据え置いたままだった。なぜか。その背景には日本独特の雇用関係があったからだ。

 トランプ大統領の関税攻撃に対してEUは「ハーレーのバイクにも25%の関税をかける」と対決姿勢をあらわにした。途端にハーレーは「EU向けの製品はアメリカ国外で生産する」と発表した。トランプ大統領は頭を抱えたが、実はハーレーが日本の会社だったらそういうことは不可能なのだ。アメリカをはじめほとんどの国は、いいか悪いかは別にして、会社の都合によるレイオフ(解雇)や工場閉鎖が自由にできるが、日本ではレイオフや工場閉鎖は会社の都合ではできない。従業員に対する雇用環境が世界一保護されているからだ。
 日本もバブル景気が破たんして「失われた20年」を迎える以前は、いわゆる非正規社員という存在はほとんどなかった。もちろんアルバイトやパートといった雇用形態はあったが、勤務状態が正社員と同じでいながら非正規という雇用形態はほとんどなかったといってもいいだろう。
 バブル崩壊以降、非正規という雇用形態が急増したのは、非正規ならばいつでも解雇できるからである。右肩上がりの成長は今後見込めないと考えられる業種ほど、当面必要な人材は非正規で採用したほうが雇用責任も発生しないからである。だから就職先として人気はあっても右肩下がりの出版業界など、正規社員として入社するのは極めて困難である。
 だから「働き方改革」の一環で正規社員と非正規社員の格差是正が求められても、そのこと自体は会社にとってさほどきついことではない。正規社員であれば、年功序列で昇給や昇格をある程度保証しなければならないが、非正規であればつねに労働に見合った賃金を支払えばよく、また不必要になればいつでも解雇できるからだ。安倍さんは、鬼の首でも取ったように格差是正を誇っているが、非正規社員の雇用の不安定状態はまったく変わっていない。

 プラザ合意後の急速な円高で、日本のメーカーが困ったのは、こうした日本特有の雇用関係が背景にあったからであある。円高と関税はもちろん別物だが、輸出産業にとっては同じ効果を持つ。アメリカのハーレーのように、「25%も関税をかけられるなら(為替が25%上がるのと同じ効果になる)海外で生産する」という経営判断が日本ではできないのだ。日本企業がある程度身勝手にならざるを得ないのは、そうした事情による。
 つまり、こういうことだ。日本のメーカーにとっては工場を閉鎖したり、あるいは生産ラインの一部を止めたりして生産量を調整することは、たちまち生産コストの増加を意味する。従業員の給与は、日本ではランニング・コストではなく、固定経費だからだ。生産コストの増加を防ぐには、まず生産量を維持することを最優先しなければならない。生産量を維持するには輸出量も維持しなければならない。円高になっても輸出価格に反映できず、ドル建て輸出価格を極力下げないようにしなければならない。その結果輸出が赤字になっても、国内販売でカバーできればメーカーは最小限の利益は確保できる。
そのしわ寄せが、国内の消費者に回ったのもそのためである。実際、当時は逆輸入(いったんアメリカに輸出した商品をアメリカで買い付けて日本に持ち帰ること)のほうが安いというおかしな現象が生じ、私も仕事や遊びでアメリカに行ったときにはゴルフボールなどアメリカで買ったことがしばしばある。ご存じのようにゴルフボールは結構重い。それでも、その「苦役」に耐えるだけの価値があった。それほど日米の価格差が拡大した時期があった。アメリカがダンピング輸出だと怒り、日米経済摩擦が爆発したのも、そのせいだ。アメリカの自動車のメッカであるデトロイトで、日本車の輸入激増で職を奪われた労働者たちが日本車を叩き壊したり、火をつけてうっぷんを晴らしたことを、安倍さん、もう忘れたのかね。
なお、シャネルなどの一流ブランド品を海外で安く買い付けて日本に輸入するビジネスを「並行輸入」というが、これは日本では不当に高値で販売している正規代理店の、「日本人は値段が高くないと買わない」という信じがたい販売戦略に対する対抗ビジネスで、ダンピング輸出された日本商品をアメリカで安く買って持ち帰る逆輸入とは違う。
いずれにせよ、そうした日本メーカーが抱えている宿命的問題を安倍さんはまったく理解していなかった。だから金融緩和によって為替相場を円安誘導すれば 【日本メーカーの輸出競争力が回復→設備投資による生産力の拡大→雇用の増加→日本の労働者の総収入アップ→国内消費の回復→デフレ不況からの脱却】 という「絵に描いた餅」が食べられなかった理由はそこにあった。日本のメーカーにとっては少子化によって市場の拡大が期待できない以上、設備投資などすれば地獄を見ることになることが、100%確実だったからだ。とくに自動車などは大都市の公共交通手段の利便性増強もあって若い人たちのクルマ離れが激しく、国内市場は縮小の一途をたどっており、回復の見込みはない。
当然メーカーは円安になっても生産量を増やさず、輸出価格を据え置いて為替差益をがっぽり、内部留保だけ史上最高を記録(利益も史上最高)、という極めて論理的な果実を得ただけだった。そうした結果は、結果を見るまでもなく、プラザ合意後の円高の中で日本メーカーが示したビヘイビア原理を検証していれば、確実に予測できたはずである。頭の悪い人が経済政策を立てると、こういう結果になる。
結果が出てから内部留保に課税したらといった議論も政府で出たようだが、それは重複課税になるから(内部留保は課税後の利益だから)検討するまでもなく無理。「内部留保を賃金として従業員に渡せ」というもっともらしい主張もあるが、日本の大企業の場合、労働組合が単産(単位産業別)組織になっており、昔より自由度は高くはなったが依然として横並び意識が強く、例えば自動車メーカーで言えば勝ち頭のトヨタだけが突出して過大な賃上げをすることに抵抗が強い。

このブログもかなり長文になり、私も疲れたので、この辺で終わらせていただくが、アメリカがEUに対しても関税戦争を仕掛ければ、EUも直ちに報復手段に出る。そのときは間違いなくEUは中国と手を組む。
トランプ大統領は貿易戦争を仕掛けるに際して、当初、「同盟国は除外する」と言っていたが、日本は同盟国でありながら貿易戦争の標的にされていた。その時点ではEUは貿易戦争の対象から除外されるはずだったが、トランプ大統領の気が変わったのか、あるいは政権内で「そういうやり方はフェアでない」と批判が出て方針を変えたのか、メディアがだらしがないため事情がさっぱり分からない。
いずれにせよ、EUが中国と手を組んで本格的な世界貿易戦争に突入したとき、日本はどうする?
それでも「何とか話し合いで解決を」と、アメリカに頭を下げ続け、世界中からコケにされるつもりか?
安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。

【追記】今日(10日)から日米通商交渉が始まる。この長文のブログはまだ読者が一向に減る気配がないが、来週月曜日【13日】には強行更新する。今日から原稿を書き始めるが、政治家やメディアの方たちは思い出してほしい。私は78歳になるが、私よりはるかに若い方たちが、私以上に認知症(健忘症?)になりながら大きな顔をして御託を並べている事態に我慢がならないからだ。
なぜ認知症になってしまうのか? 目先の情報に振り回されてしまっているからだ。
そういう方たちに重大なヒントだけ差し上げておく。
日本がバブル景気によっていた1989年9月、アメリカの要求によって日米構造協議が開始された。その時もアメリカは貿易赤字に苦しんでおり、日米貿易摩擦が火を噴いていた。アメリカ側は日本の行政スタンスをこう攻撃した。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心になっている」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
いまのトランプ大統領の保護主義的貿易政策は、この時のアメリカの日本に対する批判を、そのまま熨斗をつけて返上したらどうか。今回の日米通商交渉に際し、日本代表は、そのくらいのハード・ネゴシエーションを覚悟すべきだ。やたらトランプにおべっかを使って、少し負けてもらおうなどというさもしない態度だけは取ってほしくない。
 
 
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