小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

集団的自衛権行使にあくまで食らいつくぞ。 日米安全保障条約の片務性解消の方が優先課題だ。⑤

2014-07-24 08:10:59 | Weblog
 ウィキペディアで「集団的自衛権」を再度、検索してみた。また直近に書き加えられていた。7月19日のことが記載されていたからだ。
 ウィキペディアは言うまでもなく、新聞の社説などと異なり、原則として客観的事実に基づいた「解説」である。「リアルタイムの百科事典」といってもいい。ただし、根拠があいまいな解説もある。あるいは根拠が示されていても、その根拠自体に論理的合理性が認められるかどうかは別である。
 だからしばしば寄稿された「解説文」についてウィキペディアの編集部が注釈をつけることがある。今日検索した「集団的自衛権」の解説には「宣戦布告との関係」という項目が書き加えられており、その項目にウィキペディア編集部は「この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題個所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください」という注釈がつけられている。誤報しても、知らん顔のメディアと違って、私がしばしばウィキペディアの解説を最も信用するに足ると考えているのはそうしたチェックが入っているからだ。ただ間違いを見つけたときは、一度ブログで「ウィキペディアの解説は間違っている」と指摘したことはある。今日取り上げる解説も「間違い」とまでは言えないにしても、「偏向」とみられる言葉があった。
 それはともかく、「宣戦布告との関係」について非常に重要な記述がある。日本にとって対米関係の最大のトラウマである「宣戦布告なき真珠湾攻撃」についての歴史的評価を一変させかねない重要な記述が追加されているからだ。
 これまで歴史的事実として解明済みのことは、日本帝国海軍が真珠湾奇襲を開始する前に、日本政府は在米日本大使館に「宣戦布告を米政府に通告せよ」との暗号電文を送っており、米側はその暗号電文を解読していながらハワイの米海軍基地に防衛体制をとることを指示しなかったこと、また駐米大使の野村・来栖両大使がこの重大な局面を熟知していながら、パーティに出席していて宣戦布告の通告が真珠湾攻撃の後になったことである。
 分かっている事実はそれだけで、米側が日本を「アンフェアな国」と決めつけ、米兵の戦意高揚と日本に対する憎悪を国民の共通認識として確立しようとしたかしなかったかは、歴史的事実としては解明されていない。その後の事実としてわかっていることは「リメンバー・パールハーバー」がアメリカ国民の合言葉として共有されるようになり、その残滓がいまだに米国内の一部に存在することと、当時、在米日系人がいわれのない虐待を米政府によって行われた(その後、米政府はその過ちを認めて謝罪し補償もしたが、在米日系人の失われた時間は永遠に取り戻せない)という事実だけである。
 その「宣戦布告なき真珠湾攻撃」という日本のトラウマが、解消されるような記述がウィキペディアに載ったのだ。その項目の全文を転載する。

 宣戦布告は、開戦に関する条約第1条により敵対行為開始前に行って置く義務があるが、集団的自衛権を行使する際に宣戦布告が必要かについて、中谷元防衛庁長官(平成13年5月当時)の国会答弁や坂田雅裕元内閣法制局長官の見
解に見られるように、「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」という解
釈が日本では支配的である。
 これに対し、1966年のベトナム戦争当時、アメリカがベトナムに対し宣戦布告をせずに戦争を開始したことの合法性について、アメリカのラスク国務長官は、理由を示さず「個別的、集団的自衛権の行使の前に、宣戦布告の(※「を」の誤入力?)するという国際法上の要請はない」と議会証言している。どのような理由で宣戦布告が必要ないと証言したかは不明であるが、同時期の1966年3月に米国務省の法律顧問が米上院外務委員会に提出した書面には、国際法上、自衛権の行使の前提として宣戦布告をすることを必要としない理由として、国連憲章での武力の行使の違法性の判断に関し宣戦布告の有無は関係しないことを挙げているが、開戦に関する条約の宣戦布告義務がなぜ適用されないかについては何も論じておらず疑問が残る。
 なお、「国連憲章は戦争を禁じているので、宣戦布告は禁止されている」という説があるが、これに対し米国議会調査局の2007年3月8日のレポートは「自衛権行使のための宣戦布告」は認められているとの見解を示している。前者の説は、国連憲章が自衛権の行使を認めていることを考慮に入れていない点で、米国議会調査局の結論に反した結論になっている。
 磯崎陽輔国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官は、集団的自衛権と宣戦布告に関し、twitterで「『宣戦布告』のことがお気に掛かるのでしたら、外務省にご紹介してはいかがですか。議論する話ではありません」と発言し、2014年7月1日の閣議決定による解釈改憲直後であるにもかかわらず、宣戦布告の必要性について十分調査されていないことを吐露している。

 このウィキペディア記事の著者は不明だが、ちょっと気になることはこの記事の最後で段落で「解釈改憲」という表現をしていることである。閣議決定は「憲法解釈の変更」であり、「解釈改憲」とは微妙にニュアンスが異なる。「解釈改憲」という用語は「平和憲法」という用語と同じく、すでに用語自体に特種な思想性が含まれている。
 内閣法制局によると、現行憲法が施行されて以降、今日に至るまで「憲法解釈の変更」が行われたのは過去1度だけだという。今回が2度目だというが、それはウソだ。閣議決定で変更したのは、「憲法解釈」ではなくて「集団的自衛権」の「定義」である。そのことは、私の指摘を受けて外務省北東アジア局の官僚が認めている。しかも私が「安倍総理はそのことを国民に説明していませんね」と言ったとき、間髪を入れず「その通りです」と答えた。
 安倍総理があくまで「憲法解釈の変更」にこだわるなら、憲法9条のどの部分の「解釈」を、どのように「変更」したのか、国民に説明する必要がある。
 少なくとも、従来の「集団的自衛権」に関する憲法解釈は、「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」という定義にのっとって「憲法の制約によって行使できない」というものである。この「憲法解釈」を変更するということは、上記の定義を変えない限り、「自衛のための実力の行使」に該当しない。
 閣議決定で自公両党が合意した「集団的自衛権行使の新3要件」は、①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が脅かされる明白な危険があり、②その危険を排除するについて他に適当な手段がないとき、③必要最小限の実力を行使する、というものである。
 新3要件とある以上「旧○要件」がなければおかしい。が、「集団的自衛権行使を容認する旧○要件」など存在しない。あえて無理やり該当させるとしたら「集団的自衛権についての定義」しかない。「旧定義」であれば、「新3要件」により「密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」としてきた定義が、今回の閣議決定による新3要件によって変更されたことを意味する。それだけのことで、この新3要件には「憲法解釈の変更」が入り込む余地がない。
 再度、念を押すが、従来の政府の定義は「密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する」というものである。その定義を維持する限り、解釈の問題ではなく憲法の制約によって行使できないのは自明の理である。そのため、安倍総理としては集団的自衛権の定義を変えない限り、合憲性が認められる他国防衛のために実力を行使することが不可能なため、「新3要件」を盛り込んだ「集団的自衛権の新定義」を閣議で決定したということなのだ。無理やり他国防衛のための実力の行使に合憲性を持たせるために「定義」を変えただけで、それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 繰り返すが、集団的自衛権の定義を変更することは、憲法解釈の変更を意味しない。そもそも従来の定義にしても憲法解釈によって作られたものではなく、冷戦時代の米ソが「自衛」(自国防衛)ではなく、自国の「国益防衛」のために行ってきた、他国や、密接な関係にある国の反政府勢力に対する攻撃を正当化するための口実にしてきた「定義」である。22日のブログでも書いたように、ニカラグア事件などはアメリカがどう屁理屈をつけようと「自国防衛」のための武力行使ではない。ニカラグア事件のようなケースが「集団的自衛権」として国連憲章が容認しているならば、先の大戦における大日本帝国の戦争も、すべて集団的自衛権の行使ということで正当化されてしまう。
 メディアもいい加減、目を覚ませ、と言いたい。

 それはともかく、アメリカのご都合主義には呆れるばかりだ。確かに日本が
今日あるのは、アメリカの軍事力によって日本の平和が保たれてきたという側面も間違いなくあり(アメリカも自国の国益に合致するから日本を防衛してきたのだが)、それはそれで感謝すべき点はあると思う。
 が、アメリカのやることは何でもかんでも支持するというのなら、それは主権国家ではない。アメリカの同盟国でも、しばしばアメリカを厳しく批判し対立することもある。アメリカの外交政策(戦争も含む)に対して何も言えない日本は、はっきり言ってアメリカの従属国であり、準植民地ということになる。そんなくらいなら、いっそのことロシアに編入したウクライナのクリミア自治共和国のように、アメリカに編入を要請して「アメリカ合衆国日本州」になったほうがまだましだ。日本国民はアメリカ国民と同等の権利が保証されるからだ。沖縄では米兵による性犯罪が後を絶たないが、米国内では性犯罪は重罪である。沖縄の性犯罪被害者もアメリカ国民と同様に保護されれば、性犯罪は激減する。安部さん、マジにアメリカ編入を考えたらどうかね。

 ウィキペディアから転載したように、宣戦布告をせずにアメリカがベトナムに戦争したことについて、ラスク国務長官が議会で「個別的、集団的自衛権の行使の前に、宣戦布告をするという国際法上の要請はない」と証言し、「宣戦布告なき攻撃」の合法性を主張するなら、日本の真珠湾攻撃も宣戦布告の必要がなかったことになる。
 また現代においても、日本が突如攻撃されたら、相手に宣戦布告するまでもなく反撃しなければ、宣戦布告を準備している間に、好きなようにやられてしまう。相手から攻撃を受けた場合に反撃する権利を「自衛権」として国連憲章は認めており、相手から攻撃されていないにもかかわらず勝手に相手を攻撃する権利など国連憲章は認めていない。現に、旧ソ連ですら、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本を攻撃したとき、攻撃に先立って対日宣戦布告をしている(1945年8月8日)。ベトナムから攻撃されていないにもかかわらず、宣戦布告も行わず、「自衛権の行使」と居直るアメリカの非条理は、日本がアメリカから受けてきた恩恵に対する感謝と相殺されるような性質のものではない。

 なお別件だが、昨日、ソウルで日韓の外務省局長協議が行われた。日本は井原アジア太平洋局長が、韓国はイ・サンドク北東アジア局長が出席し、約4時間にわたって協議を行ったという。この席で、韓国側は日本政府が「河野談話作成過程の検証」を行い公表したことに強い遺憾の意を示した。日本側は、「談
話に対する作成過程を検証したのは国民に対する説明責任を果たすためであり、
談話を継承する方針に変わりはない」という日本政府の立場に理解を求めた。
 またこの問題について菅官房長官は記者会見で「韓国側の反応は極めて残念だ。今回の検証は、国会の要請を受けて河野談話の作成過程の事実関係を明らかにするため、角界の有識者の指示に従って行われた客観的作業だ。ぜひ韓国政府も検討結果を冷静に見てほしい」と述べたという。なお、菅官房長官の会見での発言内容はNHKオンラインから転載したもので、発言内容が事実であるとの保証はない。NHKはしばしば大物政治家の発言内容を捏造するからだ。
 ま、いちおう本当だとして、ふざけるな、と言いたい。メディアや国民が疑問を提起してきたのは、談話の作成過程ではなく、談話の内容自体に対する疑問である。談話の内容を検証するために、まず談話の作成過程を検証して、作成過程に問題がなかったかどうかを明らかにすることが無意味だとまでは、私も考えていない。
 が、作成過程の検証の結果、韓国側とのやり取りやすり合わせがあり、韓国側の要請もかなり受け入れた、相当程度の政治的配慮によって作成されたことが明らかになった。そうである以上、河野談話の内容自体の検証が不可避になるはずだが、オバマ大統領が示した不快感の前に安倍総理が跪き、河野談話自体の検証はおろか、「談話の継承」まで国際社会に約束してしまった。
 国民に対する説明責任は「河野談話」そのものに対する国民の疑念に答えることだったはずだ。ところが、安倍総理は肝心の「河野談話」の検証を放棄し、国民に対する説明責任より、オバマ大統領のご機嫌取りと韓国政府に対する政治的配慮を優先した。そんな人が「政府は国民の命に責任を持つ」と1万回約束してくれても、信用できるわけがない。
 
 明日から、アメリカとの「同盟」関係の再構築について考えたい。